一旦アニ視点です。
【63】
アニは何かを踏み潰していた。それはカマキリか何かの虫だった気がする。ジーク戦士長がパラディ島に送られる戦士が云々などと言っていた時のことだ。アニはそれを聞き流しながら、執拗に虫を踏み潰していた。このときのアニは悲しみも喜びも知らない。ただの戦闘人形であった。
場面が変わる。今度はライナーを蹴っていた。マルセルを失ったのに作戦を続行しようとする無能に痛みを教えてやるためだ。そのために、アニはひたすらライナーを蹴った。その時のアニには不安があった。
場面が変わる。アニは男の足を踏みにじっていた。虫と同じように何度も何度も執拗に、男が立てなくなるように。その時のアニは怒りと鬱憤で満ちていた。
時系列がバラバラのようだ。しかしそれは続く。
場面が変わる。先ほどの男が、アニの前で情けなく崩れ落ちながら懇願していた。『生きて帰ってきて欲しい』と、涙を流して。その時アニは喜びを知り、全てが報われたような気がした。
場面が変わる。アニは、泣き叫び懇願するマルコから立体機動装置を外していた。彼を抑えつけるライナーは言う。『俺たちはここの悪魔とは違う。それでこそ戦士だ』……と。アニは、本当はそんなことをしたくはなかった。その時の彼女にはただ罪悪感だけがあった。
あぁ、最後に、マルコはなんて言っていただろうか。そうだ……『まだ話し合ってない』、と言っていたんだ。
場面が変わる。アニは調査兵団を虫けらのごとく踏みつぶしていた。
場面が変わる。アニは巨人となったエレンを叩き潰していた。
場面が変わる。アニの足は血に濡れていた。足をどければ、そこにはつぶれた金髪の少女だったものがあった。それはアニ自身か、それとも……。
潰れた顔とアニの目が合った。それはアニに向けて叫ぶ。
「──アニ!」
「ごめん、なさ……い」
目を開く。そこはストヘス区にある憲兵団支部の中、アニの自室だった。目の前には心配そうにこちらを覗き込むルームメイトのヒッチ・ドリスがいた。
「ヒッチ……?」
「あんたほんとに大丈夫? だいぶ魘されてたみたいだけど。『ごめんなさいごめんなさい』ってさ……本当に病気なんじゃないの?」
疑うような目でこちらを見てくるヒッチにアニは曖昧に頷いた
「あーあ、もう。こりゃだめだわ。てかあんたのせいで私まで遅刻扱いなったらどうすんの? ほら服着替えるよ。立って」
「ごめん……」
服を脱がされながら、アニは迷惑をかけたことをヒッチに謝った。
「あんたさぁ……ほんと、コミュニケーションが下手よねぇ。こういうときはお礼を言いなさいよ。ほら『あ・り・が・と・う』でしょ?」
「……ありがとう」
「うそ、まじ? 素直なあんたも、それはそれで怖いわー……」
ヒッチの手助けもあり、朝礼に間に合ったアニは上官から本日の任務を聞かされた。
なんでも、壁外調査で成果を出せなかった調査兵団およびエレン・イェーガーを王都に運ぶ途中このウォールシーナ東側城塞都市ストヘス区を通るので、その間ストヘス区支部の憲兵たちによって護送するとのことらしい。
「あぁそれと、護送団の中には王都から来た憲兵さんがたもおられる。やつらに目をつけられることはするなよ?」
そう言って、上官はこの憲兵団に似つかない真面目野郎のマルロ・フロイデンベルクに全任務を押し付け、趣味部屋と化した上官室へと去っていった。
護衛の配置につくために移動しながら、アニは考える。
昨日の失態でアニは己の正体が壁内組織にバレたかと思っていた。特に、自分と同じように格闘戦を通して真実に気づいたクリスタがいる。彼女は始祖の巨人の継承者の可能性が高く、そうであるならば王家の血筋であり、故に中央憲兵と繋がっていると思われただからだ。
だがどうやら中央憲兵はアニが女型の巨人だとは知らないらしい。もしそうだったらば今朝のうちにアニは捕らえられていただろう。
むしろ彼らは愚かにも調査兵団とで対立している。でなきゃエレンを王都に強制連行などしないはずだ。
(つまり、クリスタは始祖の巨人の継承者ではあるが王家の血筋ではなく、中央憲兵との繋がりはなかったということ……? 座標を使えなかったのはそのため……?)
楽観的な考えだとアニは頭を振った。中央憲兵が女型の巨人について知らずとも調査兵団は、あのエルヴィン・スミスは確実に気づいている。
いずれにせよアニのすることは変わらない。今日この日をもって、彼女は行方をくらます。
もうたくさんだ。人を殺す、命を狙われる、正義を騙る、悪を成す、人の心を騙し、人に心を動かされる。
五年もここで暮らし、アニはもう疲れ切っていた。ライナーのように忘れてしまえたのならば幸せだったろうに。あるいはベルトルトのような達観した世界観の持ち主なら、複雑な感情をも飲み込めたのかもしれない。
(いっそこのまま名前も身分も捨てて、地下街で格闘技一つでやり直してみようか)
所定の位置につき、馬車が通り過ぎるのを待つ間、アニはそんな妄想を膨らませていた。
不意に、ざわめきが聞こえる。外門の向こう側が何やら騒がしい。
「おい! エレン・イェーガーが逃げたぞ! 全員戦闘用意、巨人化される前にかたをつけ……」
上官が命令を下す前に、爆発が起きた。それは外門の向こう側からである。アニは壁の上を見上げた。モクモクと蒸気が昇っている。あの馬鹿は本当に巨人化したようだ。
「おい、どうする!?」
「どうするって……と、とにかく壁の上に登って様子を見よう!」
新人の憲兵たちと、無能な上官は一気にパニックに陥る。挙句の果てにはエレンの巨人を見ようと興味本位で寄ってくる野次馬によって現場は混乱を極めていた。
アニは冷静にその様子を眺めた後、フードを被り路地の陰に消えた。
(外門付近は視線が多い、逃げるなら北か南か……とにかくここを離れよう)
アニはなるべく人を避けるように道を移動した。分かれ道に出くわしては人がいない道を選ぶ。『都合良く片方の道には人の視線がない』ことを疑問に思いつつも、アニは足を速めた。
そうしているうちに、彼女は開けた行き止まりに出た。来た道以外は建物に囲まれている。そして、人の気配は全くと言って良いほど無かった。
妙な胸騒ぎがして、アニは指輪を指にはめた。仕込み刃のついた、彼女のお守りである。両の手が塞がれていてもこれで巨人化ができるのだ。
そして、アニは来た道を振り返った。
そこには一人の男が、手のひらの傷を見せびらかすようにして、いつの間にか立っていた。
「……よぉ、昨日ぶりだな。アニ」
憎しみの籠もった鋭い目つきでこちらを睨みつける男──エレンがそう言った。
彼に呼応するように、周囲を囲む建物の屋上から兵士が姿を現す。アニは、己が袋のネズミにされたのだと気がついた。
「……私は一ヶ月ぶりだけどね、エレン。一応聞いておくけど、何の用?」
どうか願わくば、このまま見逃してほしい。もう、戦うのは疲れたんだ。
そんなアニの思いが僅かにでも通じたのか、意外な人物がエレンの後ろから現れた。
「話をしに来たんだよ、アニ」
「──アルミン」
皮肉にもあの日、マルコがアニに叫んだ言葉をアルミンは言った。
「すぐに殺し合うつもりはないよ。僕らはまだ何も話し合ってないんだから」
「……良いよ、聞くだけ聞いてあげる」
二度目の機会に、アニは耳を傾けた。
そこに壁がある限り、分かり合えることなどないと知っていたのに。
ヒッチ、良い女。次は作戦会議に一度戻ります。
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