850年から107年前。
エルディア帝国について独自解釈を含みます。
【84】
「──シャル! お願い、返事をして! シャル! シャルル!」
(私の名を呼んでいるのは……誰、ですか……?)
『死のない世界』、朦朧とする意識の中でクリスタの声を聞いたシャルルは徐々に記憶を思い出す。
それは、生前の、それも晩年の記憶である。
「──シャルル陛下! 聞いておられますか!」
「あぁ……あなたでしたか。ケネス。そんなに叫んで、一体何の用です……?」
ウォールローゼ北区域、レイス家の領地にてシャルルは湖を眺めていた。
この壁の世界において、水は貴重な資源である。標高の高い壁の中央地域から湧き出る地下水は川を流れ、四方へと伝わり人々の生活を支えている。
本来ならばこのような巨大な湖は中央政府による管理を受けるのが道理なのだ。
そのような価値ある財産がレイス家の領地に組み込まれているという事実は、レイス家がただの一貴族ではないことを証明している。
彼は自身の近衛──初老の男、ケネス・アッカーマンに呼ばれて振り向く。
「先ほどから、声をかけても反応がありませんでしたので。もう3時間も湖を眺めておられますが……間もなく『継承の儀』の時間でございますよ」
『継承の儀』──シャルルの持つ始祖の巨人を、レイス家の娘との間に生まれた未だ12 歳の息子に継がせるのだ。
シャルルはもう28になる。15のときに始祖を継承してから13年が経ち、始祖ユミルの呪いによる寿命がすぐそこまで迫っていた。
「そうですか。申し訳ありません。呪いのせいか耳が遠く……時間の流れもだいぶ早く感じてしまうようになりました。……もう少ししたら向かいます。刻限のギリギリまで、ここにいさせて下さい」
「……承知しました。何かあればお呼びください」
「はい」
ケネスはそう言うと去っていった。かつての彼はシャルルの教育係も務めていおり、互いに気心の知れた仲であった。だが今となっては、交わす言葉も少ない。
(お互いに歳を重ねたからでしょうか……いいえ、違いますね。私と彼の関係が冷え込んだのはこの島に来てからです……きっと、思うところがあるのでしょう)
巨人大戦を終え、敗北を演じたシャルルはパラディ島へと居を移した。
そして三重の壁を築き、その中に民を閉じ込めた。巨人による支配を終わらせるために、記憶すらも消去して。
(何十万という超大型巨人による壁の建設はつつがなく完了しました。始祖ユミルが積極的に協力してくれおかげですね。私に忠誠心がある者、治る見込みのない病魔に侵された者、未来に希望を抱く者、口減らしにされた者……一応そう言った者たちを優先的に巨人に変えましたが……所詮は言い訳に過ぎませんね。いくら取り繕ったところで、どうせ記憶など改竄してしまうのですから……)
シャルルは湖を見ながら、この壁へと連れてきた民草に思いを馳せる。
エルディア人……いわゆるユミルの民は、その血が宿す巨人の力を利用して他民族を虐げてきた。その歴史は2000年にも及ぶ。無論、その中には数百年間平和だった時代や、巨人が人々に恵みをもたらした時代もあったが……シャルルの知るここ数百年の治世はそんなものとはかけ離れていた。
始祖の力を持つ王家のうち、悪たる者はその力を恣意的に利用し、善たる者は全能に近い能力を持ちながら、変わらぬ世界に絶望し現実から逃避した。
知性巨人を受け継ぐ貴族たちは皆その強固な立場を利用し、民を支配し、とりわけ他民族の者を搾取し続けた。
市政の者どもはその支配に抗うことはせず、自分より立場が低い者たちを虐げて不満を晴らした。
シャルルは即位前、皇太子の立場を利用し現状の改善を試みたが……数百年のうちに固定化された体制を崩すことは叶わず、あとにはエルディア人に対する失望感だけが残った。
シャルルの目には、エルディア人の持つ本質が悪に見えてならない。それほどまでに帝国は、その醜い本性と子々孫々に渡る悪事を世に晒し続けていた。
シャルルは、そのような悪辣たるユミルの民を全員滅ぼすつもりであった。始祖の巨人が持つ座標の力はあれば、そのようなことは容易である。自害せよと命じればそれで済むのだから。
だが……シャルルはそれをしなかった。最後の最後まで、エルディア人の本質が悪とは限らないと思いたかった。だから、このような迂遠な手段で何度も確かめたのだ。エルディア人の本質を。
エルディア帝国が2000年も崩壊しなかったのには理由がある。それは過去の王が構築したいくつかの縛り、精神操作によるものだ。
その内容は『同族同士の戦争を避けること』、『貴族と平民の地位を固定化し逆らえないようにすること』、『巨人の力を高貴なものと捉えるようにすること』など多岐にわたる。
シャルルはこれがエルディア人の悪意的振る舞いを招いているとして、すべてを取り払った。
結果、招かれたのが巨人大戦である。平民の反乱、知性巨人同士の内乱、他民族の蜂起によって、2000年を誇った帝国は腐った納屋のようにあっけなく滅びた。
その間に起きた出来事の中で、シャルルがエルディア人の善性を感じ取ることは一切なかった。結局それらの出来事は、シャルルをよりエルディア人性悪説に傾倒させただけであった。
そして今、巨人の力をなくし、記憶をなくしたエルディア人はようやく普通の人間になったように思える。
『過ぎた力がエルディア人を悪たらしめた』……一先ずそう結論づけたシャルルであったが、不安は消えない。今は人間であっても、いつまた獣に戻るか分かったものではない。
(やはり、ユミルの民は一人残らず消えるべきなのでしょうか……?)
エルディア人の善性などない。そう言って諦めてしまえれば楽だろう。だが、シャルルにはそれができなかった。そうできない理由が、彼にはあった。
シャルルはその理由──『とある一人の女性』を思い起こそうとして、止めた。それはシャルルがエルディア人を信じたいと思う理由である一方、彼がエルディア人を失望するきっかけでもあったからだ。
癒えぬ心の傷を慰めたところで、虚しいだけである。
(過去よりも、今は未来のことを考えましょう……壁外と壁内で平和を保ち、巨人の記憶を風化させるのが私たちの目的です。壁外はウィリアム卿とへーロスに託しました。私は壁内の民がまた力に溺れてしまうことがないように『対策』を講じなければ……)
刻限である。シャルルは湖に背を向けて歩き出した。今宵、シャルルは巨人に食われるのである。
これまで、エルディア帝国に滅ぼされた多くの国の人間がされてきたのと同じように。
【85】
巨人を継承する直前に、シャルルは『死のない世界』を訪れていた。ここは現実との時間の流れが異なる故、いくら過ごそうとも現実で時を進めない限りはシャルルの命が尽きることはない。
シャルルがここへ来たのは理由はただ一つ。
前述の『対策』を確かめに来たのだ。
「始祖ユミル、『不戦の契り』は完成しましたか?」
シャルルはこの世界の主たる少女、始祖ユミルに問いかけた。その問いに応じ、始祖ユミルは手枷のようなものを差し出した。
「……なんです、これは? まさかこれが『不戦の契り』なのですか?」
「……」
始祖ユミルがコクリと頷き、シャルルは悩ましげに頭を抱えた。このような物理的な手枷が一体何の抑止力になると言うのだろうか。
なお、シャルルの見立ては間違っている。この手枷はあくまでもイメージの具現化に過ぎず、実際これでシャルル以降の王家の血筋の始祖継承者の思考は統制できるのだ。
始祖ユミルはこの世界で全能であり、彼女の持つイメージがこの世界を形作っている。そしてこの手枷は始祖ユミルにとって『束縛』の象徴であり、見た目以上の効果を持つのであるが……始祖ユミルは言葉を話せないのでそれをシャルルに伝える術はない。
「駄目です、認められません。手枷なんてものは破壊されたら終わりではありませんか」
シャルルは土塊で作られた手枷を放り投げた。心なしかしょんぼりとした様子で始祖ユミルはそれを見ている。
「手枷は縛ることしかできないでしょう? もっとこう……何かないのですか? あらゆる物事に柔軟に対応できる方法、例えばあなたのように精神を残すような方法とか」
始祖ユミルがこの世界に来たのは無意識のことであり、よって彼女がその方法を知るはずがないので答えようがない。
あるいは、例の有機生命の起源ならば知ってるかもしれないが……。
……いや、無論それは言葉の綾である。アレに『知っている』といった機能などない。あるのは宿主に力を与え、そして宿主の子を増やし自己を増殖するという機能だけである。
「……」
うんうんと悩むシャルルを置いて、始祖ユミルはまた砂をこね始めた。シャルルは突然の始祖ユミルの行動に意味が分からず困惑するが、次第に得心がいく。
始祖ユミルは瞬く間に、シャルルそっくりの人形を作り上げた。
「……この土塊の人形を器とし、私の精神を残すということですか。まるで活版印刷のような方法ですね」
土塊に写された精神はシャルルなのか、それとも別人なのか。哲学的な問いにまたも頭を悩ませるシャルルであったが、ひとまずこの方法でいくことにした。さすがに手枷に世界の未来を託すのはいささか心もとない。消去法である。
「器はこの人形、中身は私の精神をそのまま写す。機能は壁内の平和を維持し、間違った方向へ進むことを阻止すること。そして……」
始祖ユミルが作り出したペンを使い、人形に中身を書き加えていく。ある程度書き連ねたところで、シャルルは手を止めた。
「いえ……やはりやめておきましょう。全く同じ写し身を作り出しても、同じ歴史を繰り返すだけです。私は……異なる未来を見てみたい」
シャルルのした選択が正しいか間違ってるか、彼にもまだ分からない。それは後世の歴史家が判断することだからだ。
ただ、もし仮に自分のやり方が間違っていたとしたら……同じ過ちを繰り返すのもう2000年もやった。そろそろ、この連綿と続く災禍の輪を断ち切らねばなるまい。
シャルルは人形に書き加えた全てを一度消し、また新たに書き加えていく。
「必要なのは私の知恵、私の知識、私と同じ意志、そして……私とは異なる可能性。故に『失望の記憶』は……必要ないでしょう」
そうしてソレは出来上がった。シャルルと似通った思考を持ちつつも、未来でシャルルとは異なる結論を得る可能性を持った人形──『不戦の契り』が。
「願わくは、あなたが輝かしい未来と平和を築かんことを……」
シャルルはそう締めくくり、筆を置いた。
「……時間ですね、私はもう行きます。またあとでお会いしましょう、始祖ユミル」
【86】
うず高く積もった砂の山が揺れ、シャルルは顔を出した。
(そうだ……私は『
シャルルの肉体は砂となって崩壊を始めていた。あの日、クリスタが始祖を継承した日、彼が始祖ユミルによって『死のない世界』から弾き出された日から少しずつ。それは始祖ユミルがシャルルの肉体の維持を止めたからだ。土塊の器が人の形を保っていられたのは、座標の主たる始祖ユミルの力あってこそのことである。
(いつからだ? 私がフリーダと関わる中で、人間性を取り戻し始めたときか……それともヒストリアが始祖を継承したとき? あるいは兵団と協力しこの再び世界と向き合うと決めたとき? いいえ、もっと前だ……思えば、アレには昔から選好があった)
始祖ユミルは壁を作るのに妙に協力的だった。それはなぜだろうか? 壁の世界の先に、始祖ユミルの望む未来があるとでも言うのだろうか?
(いや……それすらも、もはやどうでも良い。ただ確かなのは、アレの望む未来と私の望む未来は相容れないことだ。だったら……)
シャルルは背後に忍び寄り、渾身の力で始祖ユミルを殴った。現世のどこかを眺めていたのか、避けられることなくその拳は始祖ユミルの後頭部にヒットする。
シャルルに残された時間は少ない。絶対たる始祖ユミルに対して、勝算は限りなく薄い。だが、ここで始祖ユミルから座標の力を奪い取らねば……やっと見えてきた異なる可能性を失ってしまう気がするのだ。
倒れた始祖ユミルに馬乗りになり、その首を絞め上げる。始祖ユミルは苦しそうにうめき声を上げた。
(この世界では始祖ユミルのイメージが全て。本来ならば私が彼女に勝てる見込みはない。だが……彼女は自分を神だとは思っていない! それどころか私に首を絞められ、苦しいと思ってしまっている! ならば、このまま彼女の精神が落ちるまで、締め上げてやる……ッ!)
力を込めて、目一杯、目の前の少女の首を絞めた。気道に息が通わないように強く、血が巡らないように固く、抵抗を許さず全力で。
時の流れぬこの空間で、須臾にも永遠にも等しい時間、シャルルは始祖ユミルを殺し続けた。
しばらくが経った。このまま変わらぬ光景が続くかに思えたが、シャルルは体に痺れが走ったように感じ、一瞬手を離してしまう。
その独特な痺れは、始祖の座標の力によるものだ。座標を通して他者に記憶や命令が下るとき、対象は電流が走ったような痺れを感じる。
今この瞬間、座標を通して、始祖ユミルからシャルルに向けて記憶が流れたのだ。
流れる記憶の中で、どこか聞き覚えのある少年の声が聞こえた。
とこまでも広がる青い空。どこまでも続く地平線。踏みつぶされた大地を見下ろし、少年は腕を広げ呟く。
「これが──自由だ……!」
「これが……こんなものが……? ……始祖ユミルッ! こんなふざけた未来、私は到底受け入れられない──お前の迷いを晴らすためだけに、二人の少年少女を殺し合わせ、あまつさえ世界の8割を踏み潰すなどと……ッ!」
「……」
決裂。
【原作との違い】
・始祖ユミルに原作知識がある。
なんでだろうね。はい、というわけでシャルル本人ではなく不戦の契りさんでした。二度目のタイトル回収です。そしてこの世界の初代レイス王は始祖ユミル同じように『とある人』への愛ゆえに(無論それ以外の理由もあるが)事を起こしたことになります。血筋ですねぇ。
あと今更ですが、ウィリアムさんは100年前のタイバー家当主です。現当主ヴィリー→ヴィルヘルム(非短縮形)→ウィリアム(英読み)が由来です。シャルルはカールの仏読みで、ケネスはケニーの非短縮形ですね。
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