結束いのり、スターフォックスへ   作:山倉衛

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110話 全日本ジュニア その3

―――引き続き、女子ショート

 

「蝉丸ひまりさんの得点……66.81。現在の順位は第3位です」

 アナウンスを聞いたミケは、少しだけショックを受けていた。

「(ジュニアの選手、強いだに……)」

 

 今年の女子ショートは、皆強すぎる。

 申川りんなの高得点のせいで、皆挑戦的編成をしてきた。にもかかわらず、大崩れがほとんどいない。去年は狼嵜光の一番滑走の影響か、崩れて40点台に落ちる選手もわりといたが、今年はノーミスまたは軽いミスばかりだ。元々ジュニアのショートはノーミスが多く、PCSもそれほど飛び抜けも落ちもしにくい。が、それにしても今年の60点台の層が、強化選手が未滑走の段階で既に10人以上と分厚すぎる。

 

 その背中に鞠緒の檄が飛ぶ。

「ほら、ミケ。あんたの番だ。狼嵜世代だかなんだか知らないけど、一泡吹かせてやるんだろ?」

「……言われんでもそうするし。ショートなんか、短いんだから、軽く済ませてくるだに」

「よし。行ってこい……ノーミスでいこうなんて考えるな。攻めて攻めて攻めまくれ!」

 

 鞠緒にしてみれば、ミケにとってのこの全日本ジュニアのショートは経験の場だ。ミケのスケーティングや上半身の体幹はまだ小学生のものだ。まだそれほど演出が乗らない。目標は62点だったが、PCSが上がらないと60点台は厳しいだろう。

 しかし、恐れず攻めてさか安全滑走に逃げない、それがしっかりとできれば、フリーで巻き返せる点差に抑えられるはずだ。フリーではミケには4Sがある。

 

 ジュニア推薦を見越してショートのプログラムも早めに組んでいた。スタミナ切れを考えず、ガンガンに動きを盛りまくって、動きの量で未熟さを埋める計算だった。

 しかし……

 ここまでの選手が積み上げて来たノーミスの山、分厚い60点台の層の重圧が遅効性の毒のように効いてきた。

 

 ミケの滑走、最初のジャンプ。3Lz+3T。

『ここで転倒してしまうと、リカバリーできず大量失点だ。ここだけ死んでも跳べ! あとはミスしてもどうでもいい! 手足振り回してくたばって来い! 最初のジャンプ成功したら9割方成功と思え』

 鞠緒の簡明な指導で、このジャンプで転倒する事はありえないまでに練度は上げていた。

 

 ……シュタッ、、シュタッ

 少し両足着地気味に詰まったが、なんとか跳べた。

 

 よし、うまくいった。と、鞠緒は思った。

 なんで? うまくいかなかった……。と、ミケは感じた。

 GOEは減るが、わずかな小ミスのうち。しかし、それが歯車を連鎖的に狂わせた。

 

 続く2A。

(さっきのミス、取り返さないと……)

 焦る心が助走に現れた。

「(おいおい! 助走前に減速入れるな! スムーズに! ……助走も早過ぎじゃ!)」

 鞠緒の心の声が絶叫するが、ミケはジャンプを少し背伸びして跳ぶことしか考えてなかった。

 

 ……シュタッ

 

(ああっ! やってしまっただに……)

 ここでも小ミス。オーバースピードで、前傾着地になった。

「(ああっ! でも、転倒しなかった、偉い! 気持ちを持ち直して……)」

 鞠緒はミケの様子を見て、そして戦慄した。

「(表情っ〜!)」

 ミケの表情は冷たく引きつっていた。

 

(なんで? なんで? 練習ではうまくいっとったに……ママもオトンも、じいじもばあばも見に来とるのに……もう、ミスできん……)

 連続したミスに心囚われたミケの手足は、知らず知らずのうちに安全運転を始めた。

 

「(おいおい! 手だけ動かして上半身の体幹動かしとらん! あれだけ練習したろう? お前の小さい手足じゃ、動きを大きく派手派手にせんと……音にも遅れとる……)」

 リンクサイドで切歯扼腕する鞠緒の願い虚しく、ミケの演技は明らかに審判員に低評価とされる内容に流れた。

「(守りにいったな……)」

「(これでは、プログラムではなく練習滑走だな……)」

 

 ミケも自分の手足が動かないのが何故かわからなかった。集中力を落とし、スピンの姿勢も最後まで保持しきれていなかった。

 最後のフリップも、慎重に、慎重に……流れを犠牲にして跳んだ。

 

 審判の目は氷のように冷徹だった。

「(姿勢保持が足りていない……レベル取れてないな)」

「(跳ぶために滑りを止めた……)」

「(降りた時、視線が氷に落ちている……次の音を取りに向かってない)」

 

 キスクラで放心状態のミケを鞠緒はなんとか慰めようとした。

「胸を張れ。ミケ。納得いかん滑走だったのはわかる。

 でも、お前は転倒せずに完走した。中学生どころか高校生までおるこのジュニアの大会でよくやった。……ノービスの王者らしくしろ」

「でも……」

 

 やがて、ミケの順位が告げられる。

 

「三家田涼佳さんの得点……54.63。現在の順位は第19位です」

「……」

「……」

 

 ショート落ちせず、明日のフリーに進めるのは24人。

 残り13人のうち、残るのが5名以内なら……

 いや、それは有り得ない。ノービスからの推薦の残り4人はともかく、強化選手9人がいる。5人どころか全員ミケの点数を軽く上回ってくるだろう。

 去年のレベルなら、十分残れた点数だったのだが……

 

「……来年、またここに来る」

 ミケはキスクラを降りつつ、そう呟いた。

「よし、わかった」

 鞠緒はそれだけ答えた。それ以上かけられる言葉はなかった。

 

―――

 

 ミケの次の選手は、蓮華茶の真砂みさ、全日本ノービス3位の選手だった。

 コーチの伊文里に何か相談して、OKをもらうとリンク中央に向かった。

 

 滑走が始まり、最初のジャンプ。

 ……シュタッ、シュタッ

 3Lz+2Tだった。

 ミケが崩れるのを見て、自ら構成を下げたのだ。

 

 しかし、ジャンプ構成を下げた分、演技に余裕が出た。

 ジュニアにも負けない。元気さと健気さを振り絞った演技を見せる。ミケがやろうとしていた演技だ。

 その結果は……

 

「真砂みささんの得点……61.55。現在の順位は第10位です」

 思わぬ高得点にキスクラの真砂みさ本人も困惑する。

「あれ? 目標点越してる……構成下げたのになんで?」

 伊文里コーチが説明した。

「ジャンプに余裕が出た分、GOEもちょっとついたし、演技も落ち着いてできてたね。構成の分、取り返せてたよ」

「やったあ! 残り12人? 通過qついた!」

 真砂みさも快哉を叫ぶ。

 

 その様子を見てミケは絶望していた。

 ショート落ちがより確実になったからだけではない。

 自分がジャンプで倒したはずの相手が、この推薦出場の全日本ジュニアという大舞台で、ジャンプ構成を下げて自分を上回る点数を出してきた。

 ジャンプ下げたのに点数上げるなんて……

 ジャンプ絶対視の自分には堪え難い選択肢で、それに大負けした事でプライドもズタボロであった。

 

 流す涙も枯れ、亡霊のようにリンクを睨むミケの肩を叩く者がいた。

「よ、ミケちゃん。そんなに気落ちするなや」

 平新谷萌栄だった。隣に炉場愛花もいる。

 

「……愛花ちゃんに、いのりちゃんのクラブメイトら? ……さっき、『ジュニアで4Sを跳ぶために必要なもの』わかったに……」

「……」

 萌栄が黙って聞くと、ミケは言った。

「ショートで落ちたら、もう4Sは跳べんに」

「……そうや」

 萌栄は黙ってミケの頭を撫でた。愛花もミケの肩に手を当てて慰める。

 この2人も、今年はすでに通過qがついたが、去年は崩れてショート落ちだったのだ。

 

 ミケは鼻を啜りながら宣言した。

「ぐすっ……イノリだって、去年はショート落ちだったんだに……わしは今年、まだノービスAの一年目だに……絶対、また来年推薦でここに来るに!」

「その意気だよ!」

 愛花もひざを打った。

 

 萌栄と愛花が少しだけお姉さんらしく、ミケに言った。

「他の選手の演技、ちゃんと見といた方がいいよ」

「いるかちゃんの演技とか、すごく参考になるから!」

 ミケもコクリとうなづいた。

「……暇になったし、見せてもらうにー」

 

―――

 

 他のノービスからの推薦出場者も50点台後半を出して通過圏に留まり、シード、強化選手たちの滑走が始まった。

 まずは亜子。最初に3A+3Tを跳び、わずかに回転不足を取られるも、68.06で暫定2位。JGPの時よりもレオニードの振り付けの良さを引き出せるようになっており、フリーに向かって十分な位置につけた。

 続いていのり、最初の3Lz+3Tでわずかに崩れチェック遅れるも、立て直してStSqレベル4も取った。69.09で亜子を抜くも、上桐天音にはわずかに及ばず。

 

 しかし、このクラスになると、軽いミスがあっても当然の如く申川りんなの点数を上回ってくる。

「さすが強化選手……」

 りんなも唇を噛む。

 観客も息を呑む高レベルな戦いが続く。白花が68.65、蘭が67.90とそれぞれ伸ばしたPCSを武器に60点台後半に詰めて来たが、ついに70点台の壁を抜ける者が現れた。

 ……シュタッ、シュタッ

「おおおおっ!」

 観客の驚きが場内に響き渡った。

 八木夕凪が3Lz+3Loを見事に跳んでみせたのだ。

 

 同じ3Lz+3Loを跳ぶ上桐と比べると、ジャンプの出来は互角だが、PCSはわずかに八木夕凪が上回った。

 このショート初の70点台、70.13を叩き出し一躍トップに出た。

 

 慎一郎も小さくガッツポーズを作った。

 

 それを、狼嵜光はにやりと笑ってひとりごちた。

「夕凪ちゃん、ナイス! ……ふふふ、4Loジャンパーだかなんだか知りませんが、たいしたことないですね。どこで見てますか? 夜鷹さん」

 そう言って客席を見回すが、夜鷹の姿はない。

 3階のガラスボックス席の中は……

 何となく目を凝らしてボックスを見たが、ガラスを透かして見ることはできなかった。

 

 まあいい。きっとどこかで見ているはずだ。

 光は獲物を追い詰めた狼のような凄惨な笑みを浮かべた。

 

―――

 

 夜鷹はガラスボックスの中のスポンサー席で、アイチグループの企画部長の藤原氏と観戦をしていた。藤原は、上機嫌に事業の話をしていた。

「そう言うわけで、日本に戻ってみたらハコの方はすっかり準備万端でね。試験運転も上々、水素の力を君にも楽しんでもらえると思うよ」

「……そう。それは良かった」

「君の方もなんだか張り切りすぎじゃないかい? さっきの子もすごかったけど、すずちゃんの方はもっとすごいんだって? 楽しみにしてるよ」

「……まあ、適当に楽しんでおいて」

 夜鷹は褒められて上機嫌であったが、いつもどおり表情には全く出さずにリンクの方を眺めていた。

 

 ちょうど、次の滑走順の狼嵜光が誰かを探しているのが見えた。その視線がこちらのガラスボックスの方に向くと、見えるわけがないのに、なぜだか光と目が合い、見つけられた感じがした。

 夜鷹は背筋に寒気が走るのを感じた。

 

 ……なんか、睨んでない? 僕、なんか恨まれるような事した?

 ……いかん。出場する大会に全部勝つ事や曲かけで転倒しない事の強要はともかくとして、ロケット投げ捨てとか心当たりがたくさんある。誰かのせいにしたいが自分の顔しか思い浮かばない。

 

 席から逃げたくなったが、この席を出た方が危険が危ない。知り合いが多すぎるこの名古屋の地で、他の誰かに見つかりたくはない。

 夜鷹は一人冷や汗を流した。いつもどおり、表情は全く変えずに。

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