「それはね……鹿本すず選手の、試合直後の様子がおかしかったからなんだ」
司はそう言った。
「……? 何かありました?」
光はキョトンとした顔だ。司は説明する。
「今日の鹿本すず選手、滑走後にやけに早くキスクラに向かわなかった?」
「……? ……ああっ!」
光も気づいた。いつものすずなら、観客からの歓声に浸るため、なかなかキスクラに向かおうとしない。まして、今回のように暫定1位の見事な演技に、観客が熱を持った歓声を送っている状況なら尚更だ。
「俺も、いのりさんがさっきの打ち合わせで、『なんだか、すずちゃん調子悪そうな気がします。直感ですけど』なんて言ってたんで、ビデオ見返して気づいたんだけどね。……あと、もう一つはここだ」
司はそう言って、今度はキスクラの映像を映した。
光はそれを見て、やはり首を捻る。
「今度はどこです? 脚さするくらいは普通に誰でもすると思いますが」
「彼女が使ってるブレードカバーだ」
司の指摘に光は目を細める。
「かわいいブレードカバーですけど、何か?」
司は説明する。
「これ、多分、自立するから立っててもつけられるタイプのブレードカバーだ。
脚を痛めていて、練習後につける時につらいからこのブレードカバーにしたと考えると辻褄が合う」
「……でも、このかわいいブレードカバー。確かノルウェー戦の時にはもう使ってましたよ」
光のツッコミに、司も狼狽える。
「……そうだっけ?」
「でも、リンクからすぐ降りるあたり、ひょっとしたらノルウェー戦から痛め始めているのかもしれませんね。蓮華茶では把握してるんでしょうか?」
「どうだろう? 本人が隠してる疑いはある。合ってても間違ってても失礼だから、試合後にしか聞けないかな」
司の穴のある分析に光はため息を吐く。
「まあ、すずちゃんはそれほど伸びない分析でも問題ないかもですね。じゃ、私は予定どおりの編成で行きますね。
ショートと同じく、着実にいきましょう」
「あ、ああ。それで行こう」
司は、光がすんなり予定編成に合意した事にホッとした。
「よし、決まった。勝手に4回転もバックフリップも跳ばないでね」
司が冗談めかしてそう言うと、光は虚を突かれたように慌てて笑ってごまかした。
「え!? ……あははっ、練習もしてないのに跳べるわけないじゃないですか!」
「そうかな。君は結構才能あるからできちゃうかもよ」
「はは……そうだとしても、危ないからやめときますね」
「お願いね」
司の念押しに、光は気まずい顔をしつつ退出した。
「では、ライリー先生に終わったって行ってきます。おやすみなさい」
「おやすみ。また、明日ね」
光が退出すると、同席していた鵯の母、アシスタントの鵯美幸が司に確認した。
「光ちゃん、大丈夫ですか?」
「大丈夫でしょう。光さん、いい子ですから」
ニコリと生徒を信頼しきった笑みを浮かべる司に、鵯アシスタントは司への不信感を一層募らせた。
―――翌日、女子フリースケーティング。観客席
観客席に入った加護親子は、見知った顔を見かけた。
「やあ、瀬古間さん。どうも」
「やあ、加護さん。どうも」
結束いのり同担と知れた仲なので、そのまま隣に腰掛ける。
加護耕一は昨日の興奮を持ち越したまま語った。
「昨日はショートプログラム、すごかったですねぇ。瀬古間さんから見ても、今年はすごいですか?」
「はい。得点もそうですが、各選手の成長ぶりがすごい。特に、PCSを伸ばして来ている選手が多いです」
瀬古間も興奮気味に語ると、羊も語りだす。
「最近PCSわかってきたばかりだけど、人それぞれで面白いね。昨日一番すごかったのはすずちゃんといるかちゃんだけど、この2人はプレゼンテーションがすごかった……見ていて引き込まれる感じ」
瀬古間もうなづく。複雑なフィギュアの採点を解する少女の成長に顔を綻ばせる。
「そうですね。音楽のストーリーや世界観の、表現への落とし込みが素晴らしかったですね。鹿本すず選手はアイドルのライブ感、岡崎いるか選手は勇ましい海洋冒険をそれぞれ表現していました。
あと、鹿本すず選手はショートでは要素のつなぎがすごく良くなってますね」
羊はさらに続ける。
「いのりちゃんはもともとスケーティングスキルがすごいけど、今年はコンポジション伸ばしてきてる。細かい振り付け一つ一つに意味がある感じ。あと、リンク全体使えるようになってきて、スピードと流れがすごくいい」
これも、瀬古間が追従する。
「その通りです。点数つけで一番ごまかしが効かず、他の選手と差がつきやすいスケーティングスキルがシニア並みなのは大きな強みですね。
フリーで高難度ジャンプを跳んでも、前後のつなぎがスムーズなままなのも良いところですが、そこも今年はさらに良くなっている
そして、去年は細かい振り付けの多用とスケーティングの緩急つけでコンポジションやプレゼンテーションを誤魔化しているところありましたが、今年はそこが改善されつつあります。滑走速度だけでなく重心が変わる身体全体の動きを演出に乗せられるようになってきてます。リンクの使い方も大胆になりましたね」
加護耕一は半分以上何言ってるか分からず、羊と瀬古間のマニアックな会話に苦笑いだ。
『本当に、芽衣子に似てきたな……分からないと嘆いていたPCSも今やこんなに熱く語るようになるなんて……』
PCS談義に区切りを入れるべく、別の話題を振る。
「今年の全日本ジュニアはかなりレベル高いみたいですが、フリーはどのような展開になると予想されますか?」
その言葉に、瀬古間と羊の2人はそろってハッとした顔になり、続いて「うーん」とうなり考え込んでしまった。
『ははは……難しい事聞いちゃったかな……』
瀬古間が少しずつ分析結果を語り始めた。
「去年は……岡崎いるか選手が負傷した雰囲気の悪さのせいか、各選手のパフォーマンスは、狼嵜選手を除いてあまり良くなかった。狼嵜光の156点の下は、烏羽ダリア選手の124点と大きく離れ、落ちました。烏羽選手にしてもそのシーズン満足できる高い点数とは言えませんでした。
しかし、今年は違います。恐らく、早々120点台を超えてくる選手が……第3グループくらいに出て、そこから120点台が続出するでしょう。狼嵜光が4回転を封印していますが、最終的には130点台勝負になるかと思います」
そこからは羊が予想した。
「ううん。もう、第2グループで120点台出ると思う。りんなちゃんか、愛花ちゃんか……スターフォックスの鉱森、平新谷選手あたりで」
これには瀬古間もハッとした顔になった。
「なるほど……そう言えば、平新谷萌栄選手は4Sを跳びましたし、ミスなければ120点台は軽く出るでしょうね」
そこからさらに羊は大胆予想した。
「すずちゃん、いるかちゃん、光ちゃん、いのりちゃんはノーミスなら140点台いくよ。優勝争いは140点台になるね」
「……国内大会では、PCSをあまり高くつけないのが通例ですが、SPの鹿本選手、岡崎選手はかなり評価されましたね。プレゼンテーションは明らかに国際・シニアの領域にありましたからね。……なるほど、140点台で争われる全日本ジュニア……今年は熱いですね」
そこで、耕一が脳天気に聞いてきた。
「狼嵜光は去年4回転を3本跳んで、156点と大活躍でしたが、今年はそれぐらい出さないんですか?」
これには、また羊と瀬古間は「う〜ん」と唸って黙り込んでしまった。
「光ちゃん、今年は4回転封印しているのよね」
少し間を置いて、羊が説明した。
「元々、去年の全ジュニで『なんであんな不必要なまでに高難度構成を?』て疑問視されてたけど、今年封印するために、あの編成にしたんじゃないかと」
「……そうですね。あの高難度ジャンプを維持していくのは、いくら狼嵜光とはいえ厳しい。あの4Lzを解析した国内外の評論家には『身体に負担が大きすぎるジャンプ。継続使用は危険と思われ、春の腰の不調や、全中回避の遠因と考える』と評した人もいました」
羊もそれに続く。
「その評論家知ってる。でも、その人『4Sや4Tまで封印しているのは、4Lz封印を機にPCS磨く気ではないか』ってこないだ言ってた。」
「……そうでしたね。高難度ジャンプに頼っていると、どうしてもPCS磨くの疎かになりますからね。上桐選手のように」
瀬古間が出した名前に羊も苦笑する。某誌で、4Sと3A跳んだがPCSが酷いと酷評されていた選手だ。
それを聞き咎めたか、一人の女子選手が突然話に飛び込んで来た。
「ちょっと! 上桐センパイを悪く言うと承知しないわよ!」
「!?」
「!?」
突然、知らない選手に大声で話しかけられて驚く瀬古間と羊。
「やめなよ。悠貴花。……すいません、お騒がせしました」
「……ふん。上桐センパイはすごいんだから……」
その選手の友人と思われる別の女子選手が止めに入った。悠貴花と呼ばれた選手も引き下がる。
「……びっくりしました。蓮華茶の選手ですね」
羊が胸を撫で下ろす。
「失礼。口は災いの元と言いますか……まあ、件の選手はすごいと言いますか、惜しいといいますか……賛美両論な選手なのです」
瀬古間の呟きに耕一が聞きかえす。
「どういう事ですか?」
羊が説明した。
「今シーズンから3Aと4S、3Lz+3Loを跳びだしたすごい選手なんだけど……繋がりが悪くて、難しいジャンプを跳んだ分PCSが下がる残念な選手なの……」
瀬古間が補足する。
「通常、どんなジャンプも音楽の流れの中で跳べるようになってからプログラムに組み込むのですが、この選手はそれができないのに、プログラムに入れてきて……TESの暴力で勝ち上がってきてる、恐ろしい選手です」
羊はそれにうなづき、自身の予想を付け加えた。
「単独3Aや4回転が跳べないショートと、それらが跳べるフリーで全然PCS違うから、ある意味面白いよ……でも、私はあの選手は強くなると思う……今シーズンはともかく、PCSを捨ててジャンプに集中した、思い切った育成……。コーチの覚悟を感じる」
―――
「ぶえっくしょん!」
蛇崩は大きなくしゃみをした。
そばにいる大和絵馬が心配そうに声をかける。
「大丈夫? ジャッキー先生?」
「大丈夫や。誰かが噂してるんやろ」
蛇崩はハンカチで口を拭いつつ答えた。
夜鷹純が蛇崩に見出した才能は、ハーネス師としての才能だった。蛇崩や亀金谷ヘッドコーチも最初は半信半疑で、まともに吊れるようになるまでには吊られ役の骨折を伴ったり顔面ダイブをしたりしたのだが、やがて才能を開花させ、鹿本すずのジャンプ担当を任され、4T、4Sの習得を成功させた。
しかし、その蛇崩もフィジカル等の土台を満たしていないジャンプまで跳ばせられる訳ではなかった。代わりに、絵馬は夜鷹の勧めに従い、ステップシーケンスに注力してレベル4を取るまでになった。
「……まだ、あいつらの背中には届かんが、全日本まではついて行きたいなぁ」
次のステップは全日本。その席は……おそらく6座。
絵馬のショート終了時点の順位は10位
「ついて行きたいなぁ……」
珍しく、絵馬はそう答えた。