結束いのり、スターフォックスへ   作:山倉衛

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114話 全日本ジュニア その7

 亜子は滑走後、観客席にいるレオニードに謝りに行った。

「すいません。レオニードさん。踊り損いました……」

 

 レオニードは意外だといった顔で答えた。

「踊り損なった? 何を言ってるんだい?

 僕が最後のジャンプに求めたのは、アクセル指定ってことだけ。

 そして、それは完璧だった。コンビネーションを落としてREPTをくらっても、それは採点ルールの話。

 あれで良かったよ。タコ踊りみたいな無理矢理な1Tつけて転倒でもされたら、恥ずかしくてどこかに行ってしまいたくなるところだった」

 

「キミは僕の想像以上によく演ってくれているよ。なあに、挽回する機会はまたすぐ来るさ」

「はい。挽回してみせます」

 力強く返答する亜子に、レオニードはウインクして視線をリンクに戻した。

 

―――

 

 整氷の終わったリンクでは、最終グループの直前練習が始まっていた。

 

 一人、目立っておかしな選手がいた。上桐天音だ。

 明らかに周りが見えていない。蛇崩コーチと亀金谷コーチが、「周りを見ろ! 天音!」「気をつけろ! 天音!」と、声を飛ばしているが、時折「はい! わかりました!」と答えるのみで、まるで改善する様子がない。

 

 蛇崩と夜鷹は、天音の視野狭窄を改善するのを早々に諦め、その集中力を逆に利用してジャンプ強化に舵を切っていた。それが、6分間練習にも影響したか、全ジュニという大舞台の緊張感が拍車をかけたか、天音はこの練習の場では周りが見えておらず、ただ自分の練習に専心しており、周りの選手の警戒とコーチたちの声掛けが事故を防いでいた。

 

 そして……

 ……シュタッ

「え!?」

 そばにいた八木夕凪が驚きの声をあげた。

「……4Lo!?」

 

「……4Loだと!? 見間違いじゃないのか?」

「そんなの予選で跳んだか?」

「女子だと国内初だろ!? おい!」

 上桐の4Loに、にわかにリンクサイドと観客席が慌ただしくなる。国内初の女子4Loだと、報道席は全てのカメラを向け直す。ただでさえ、3Aと4Sを跳びだした今大会の台風の目が、直前練習でいきなりの4Loだ。台風の目どころか隕石の直撃である。

 この騒ぎが届いていないのは、皮肉にも本人だけであった。

「(ぶつぶつ)4Loよし……次は……」

 

 そんな騒ぎをよそに、いのりはリンクの手すりで息を切らしているすずの近くに寄った。

「おう、いのりちゃん。……また背が伸びた? すこし、その背丈、うちの寧々子センパイに分けたってーな。

 もう練習いいんか? まだ時間あるで」

 いのりはすずの軽口に構わずに聞いた。

「私、グループ1番滑走だから。

 それより……すずちゃん。調子悪い?」

「……何言うてんねん。ちょっとインターバルとってるだけや」

 すずは、先程から4Sを跳ぼうとして失敗していた。3Aは跳べているようだか……

「3Aも調子悪いよね?」

 いのりの言葉に、すずはムカっとした顔で返した。

「なんでそんなコト言えるん? いのりちゃんは3A跳べへんやろ?」

 

 いのりは心配そうに切り返した。

「じゃあ聞くけど、ジャンプの回転時に全くウインクを入れない『世界一かわいいトリプルアクセル』ってあるの?」

「!!……」

 鹿本すずは驚いた。鹿本すずの『世界一かわいいトリプルアクセル』の密かなこだわり。それを見抜いていたとは。

「よう気付いたな。そんなトコに気付いたんは、純さんとジャッキー先生、そしてあんただけや……選手では初めてや……」

 

「4S、跳ぶ気なんだね」

「そうや。止めてくれるなや……」

 そう言って、呼吸を整えるすずの耳元に、いのりはそっと言った。

「腕を振り上げる瞬間、視線と頭が動いている。そこを直せば多分跳べる」

 すずは驚愕の表情で振り返った。

「!?……マジか?」

 コクリとうなづくいのりに、すずは言った。

「すまんが、それ教えたこと後悔しても、もう遅いで」

 

 そう言って、すずがいのりの元を去り、リンクに戻る時にその悲劇は起きた。

「え!?」

 

―――

 

 八木夕凪は焦っていた。

 目の前で4Loを跳ばれた衝撃が感覚を狂わせている。修正しなければ。

 その時、周りが見えてない様子の上桐天音のせいで使いにくかったコーナーが空いた。さらに、近くにいた結束いのりと鹿本すずは壁で休憩。

 

 これならあのジャンプが練習できる。

 先の見えない難しい体勢からの3Lz+3Loコンビネーション。後半に入れる重要な得点源ジャンプだ。

 上桐天音は中央でステップ。岡崎いるかと狼嵜光は別コーナー。よし、邪魔は入らない。

 

「慎一郎先生、見ていて下さい……」

 八木夕凪は慎重に練習どおりに跳ぶ。

 ……シュタッ、ずりっ!

「!?っ」

 着氷エッジが大きく流れた。無理矢理堪えてループを……

 

「!!??っ」

 なぜ、そこにいる!?

 

 鹿本すずも、何も確認せずにリンクに戻ったわけではない。ただ、いのりがこっそりと話すため近づき過ぎており、体が視界を遮っていた。流れて大きく外に膨らんだ夕凪の姿はその死角にあった。

 気づかず一歩踏み出した位置は、大きくズレた夕凪の軌道上であった。

 夕凪はかろうじてジャンプを止めたが、衝突は避けられなかった。

 

 ゴツっ、ごんっ!

「あぐっ!」

「ぐ……」

 

 夕凪の肘がすずの左頬を直撃。夕凪は反動でバランスを崩して転倒、側頭部を打った。

「あああっ!」

 観客の悲鳴が場内を大きく揺らした。

 

「いたた……。今の八木ちゃん? ごめんな……」

「すずちゃん! 大丈夫!?」

「いのりちゃん。ちょっとごめん。顔、見られたくない……」

 少し、口の周りを切っているようだ。

 すずはリンクの壁際にしゃがんで、いのりの陰で顔を隠した。

 

「夕凪ちゃんは? 大丈夫?」

「夕凪くん!」

 いのりと慎一郎が夕凪に声をかけると、動かなかった夕凪がゆっくりと体を起こした。

「う……」

 

 リンクサイドから跳び出してきた慎一郎は、夕凪の頭を赤子のようにかかえ抱いた。

「!!?? え!?」

 何も状況が掴めていない夕凪に慎一郎は諭す。

「夕凪くん。頭を動かさないで。立ち上がらないで、目を閉じてそのままで」

「!!……はい……」

 夕凪は耳まで真っ赤になって従った。

 すぐに大会ドクターが夕凪のところに来て聞いた。

「あなたの名前は?」

「……? おじさん、誰?」

「私は大会ドクターの中本です。あなたの名前は?」

 夕凪は何が起こっているか理解できないまま、かろうじて答えた。

「八木……夕凪……」

 大会ドクターがさらに質問する。

「今、どこの大会?」

「……? 大会?」

「……」

 

 夕凪は10秒以内に答えられなかった。

「競技続行はできません」

 大会ドクターがそう宣告し、慎一郎はうなづくと夕凪に言った。

「夕凪くん。担架が来た。医務室に行こう。そのまま首を動かさないで」

「……はい。慎一郎先生……」

 夕凪はまだ、慎一郎の腕の中で夢うつつだった。

 

 夕凪が我に返ったのは、担架に乗せられ、頭を支える慎一郎の手が離れた時だった。

「!! 全日本ジュニア! 私、私……ああっ!」

「!! 夕凪くん! 落ち着いて! 頭を動かさないで!」

「ああ……私、私……」

 消え入りそうな声が、担架に連れ去られていった。

 

―――

 

「すず、立てるか? 手当するで」

「……カメラNGやで……」

「ああ」

 蛇崩はすずを連れて行こうとする。そこへ来た別の大会ドクターが念の為にすずにも聞いた。

「君の名前は?」

「うちの名は鹿本すず! この全日本ジュニアを征覇してその名を全世界に轟かせるスーパー美少女……」

 顔を覆いつつ長い啖呵を切るすずを、蛇崩が遮ってリンク外に連れていった。

「ほい、ドクターさんごめんな。コイツはいつもこうやから」

「新たな見当識障害はなさそうですが、吐き気や頭痛は?……」

 

―――

 

「……ぶつぶつ……コンビネーションスピンよし……」

「おい! 天音! 時間だ! 上がれ!」

 亀金谷ヘッドコーチの声に、天音はようやく我に返り、リンクサイドに向かった。

 

「……問題ありませんでした。蛇崩コーチは?」

「!?」

 何が起こったか、天音は全く気づいていなかった。

 亀金谷コーチはあきれた声を噛み潰しつつ言った。

「お前はもう、自分の競技だけに集中しとけ」

「はい……ぶつぶつ……」

 天音はそのままイメトレへと移行した。

 

『騒ぎに気付かず動揺しなかったのは幸いだ。こいつはもう〝ゾーン〟に入っている……。邪魔したらあかん。すずの方は蛇崩に任せよう』

 亀金谷コーチはそう悟ると、天音を控えに誘導した。

 

―――

 

 司がリンクサイドのいのりに呼びかける。

「いのりさん!」

「……大丈夫です。私は自分の演技ができます」

 いのりはそう答えたが、司は心配だった。

 

 すずが少しリンク上に血を落としていた為、その箇所は数分間の部分製氷が始まっていた。

 「リンクの確認作業が行われています」のアナウンスと共に、スタッフが水とタオルで氷上を掃除する。

 

 その間に、司はいのりに話しかけ、様子を伺った。

 一年前の全ジュニでも、いのりは落ち着いた様子に見えたが、それは見かけだけだった。まして、今回の接触事故は目の前、直前まで話していた子が巻き込まれたのだ。

「いのりさん……」

「……」

 

 いのりは、静かに目を閉じて、気持ちを落ち着かせていた。

 怪我や事故は怖い。誰でもそうだ。他人のことであってもだ。それにショックを受けてしまうことは仕方がない。避けられないことだ。

 しかし、大事なのはそこからどう立ち上がるか。レジリエンスだ。

 

 いのりはこのシーズン、自らの弱さと向き合うために、あえて実叶の最後の曲を選んだ。亜昼美玖の最後の曲を選んだ。白鳥の湖。

 避けようもない不幸があることは知っている。予測できない事に打ちのめされる事があることは分かっている。それでもなお、私は私の演技ができるようにしたい。

 失敗も事故の恐ろしさも、目を背けるのではなく、受け入れた上で前に進む。恐れも、結果も、全て受け入れる。

 

 目を閉じるいのりの目の裏で、いるかの負傷の動揺で崩れた去年のいのりの姿が氷板の下に沈んでいった。接触事故で脱落し、泣き落ちる八木夕凪と鹿本すずの幻影が氷板の下に沈んでいった。負傷で選手生命を絶たれた実叶が、いるかが、氷板の下に沈んでいった。失敗で沈む明浦路司が、亜昼美玖が、氷板の下に沈んでいった。

 再び、いのりが目を開けた時には、そこには全てを受け入れ、冷酷に輝く真白き氷板しかなかった。

「では、行きます」

 いのりは部分整氷の終わったリンクに迷いなく足を踏み入れた。

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