結束いのり、スターフォックスへ   作:山倉衛

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115話 全日本ジュニア その8

 接触事故直後のこわばったリンクの空気。昨年のいるかの事故の時より状況の良くない、最悪の雰囲気の中であるが、誰かと替わってもらうことなどできない。

 

『流石に演技に影響するんじゃないか? 大丈夫か?』

『頑張って、いのりちゃん……』

 同じ最終グループの岡崎いるかや狼嵜光も、心配そうだ。

 

 司はパーカーの紐を握るいのりを黙って見守る事しかできなかった。いのりはゆっくりと呼吸をしつつ、この会場の空気を味方につけるべく思考を巡らせていた。

「……ジャンプの順番だけ少し変えます」

 いのりのその自信にあふれた言葉に、司はうなづいて言った。

「わかった。信じているよ」

 もう、それだけで十分だった。いのりはパーカーの紐を離すと、放たれた矢のようにリンクへ向かった。

 

 いのりの滑走が始まった。

 まず、滑り出し。最初にゆっくり動くようにみせて、滑らかだが止まらない加速により、気付けばこの大会の誰にも負けないトップスピードに乗る。

 そのスピードのまま場の空気に逆らわず、重く沈みつつも流れるようなステップを踏み、演技を始める。

 

 そして、最初のジャンプ。

 ……シュタッ

 羊が感嘆の声をあげる。

「2A……」

 瀬古間も目を見張る。

「2Aですが、出来栄えが段違いです。これはGOEが大きいですが……」

 それにしても、簡単なジャンプすぎる。後半ジャンプ作戦をするにしても、最初はもう少し難しいジャンプからにするはずでは……と、観客の皆は思っていたが……

 

 ……シュタッ、シュタッ

「出た! 4S+2T!」

「……おおっこれもいい……」

「きれい……なんか、簡単に跳んでいるように見える……」

「磨きあげられたエッジジャンプって感じ……」

「いのりちゃん、背が伸びてジャンプ跳びづらくなっているだろうに、ほんと、このジャンプはそれ、感じさせない……」

 身体の小ささや、軸取りの巧みさで跳ぶジャンプと違い、エッジコントロールの精密さで跳ぶいのりの4Sは、体型の変化や体重増加の影響は微少のようだ。

 この大技は重苦しい雰囲気を一気に打ち破った。

 

 ここでいったんスピンを挟むが、ここまでの流れが、だんだんと観客にも掴めてきた。

「ああ……この頭の動き、鳥なんだ……」

「『白鳥の湖』って、そう言えば、呪いで白鳥に姿を変えられたお姫様のお話よね……」

 

 瀬古間は分析した。

「ふむ。どうやら、会場の悪い雰囲気に呑まれないように、最初は軽めのジャンプに替えて軽くジャブを撃ち、そこから4S+2Tコンビで一気に雰囲気を持っていくように切り替えたようですな」

「そして、特徴的な頭の振り付けで『白鳥に姿を変えられている呪い』を見事に表現している。戸惑いや悲しさの表情も、羽の動きを思わせる振り付けも、ストーリーへの繋ぎが完璧。振付師が策士ね」

 羊が感心したように呟く。その演技に見入った様子に耕一も満足気だ。

『いのりちゃんも、本当に上手くなったけど、羊もすごく観戦眼が覚醒したよなぁ……』

 

 開始時の雰囲気から一転、盛り上がってきた会場の空気にいのりの演技の艶も増す。

 ああ……ジュナさんの言っていた、この感覚だ。掴めてきた……

 いのりは会場の雰囲気が、自分の身体感覚、内受容感覚と連動していき、更にそれが音楽を媒体として表現へと繋がっていく。

 音楽に合わせるんじゃない。リンク全体を観客側の視点から俯瞰して見て、リンク全体から伝わってくるものをエッジと音楽を通して感じ、表現したいものをスケートを通して観客に伝える。

 

 この感覚を掴みかけていたから、今シーズンは何も辛くなかった。自分の成長を感じられた。そして、頑張れた。

 例え、点数が急には伸びなくても。急には狼嵜光に勝てなくても。確実に近づき、勝つための武器を一つづつ入手している。

 

 例え、今日勝てなくても、JGPファイナルで、推薦全日本で、全中で。そして、光が4回転封印を取り戻しても勝てるように。

 それが、光に対して自分ができることだと思っている。

 

 そしてそれは、輝かしくも大きな実を結ぼうとしていた。司は、瞬きもせずその成長を見つめた。

「振り付けと感情表現を……少しずつ自分のものに出来てきている……」

 昨年まで取っていた作戦は、「感情たっぷりに踊れている時の所作を分解して、振り付けの一部にしてしまう」という力技だった。経験年数の乏しさからセンスが足りず、感情表現が得意でないいのりに対し、ジュナの勧めた作戦だった。

 この付け焼き刃では、ジュニアでは戦えてもシニアと戦うには十分ではない。審判には「正しい演技ではあるが生きている演技ではない」と、わかってしまうのだ。

 絵画に例えれば、「模写はできているが、まだ自分の筆致として昇華しきれていない」というところか。

 

 しかし、司はいのりにこの作戦を続けさせるとともに、他の選手の演技の観察を通して、表現を身体と頭に学ばせた。時には司自身も踊って再現して見とらせた。演技や練習中に見られる異様な集中力が、他人の表現を見取ること、そして、分解して自分の体でも実践することに向けられた結果……ついにいのりに「センス」が開花し始めた。

 

 そのセンスの花はまだ小さなものだったが、これからのいのりの競技人生にわたり共にある、彼女だけの唯一無二の花だ。

「いのりさん……あなたは、すばらしい……」

 司はいのりの成長の喜びに震え、滑走を見守った。

 観客も、ジュニア2年目にしてこれほどの境地に至ったいのりの演技に驚きを隠せない。

 

 まだ、プレゼンテーション面ではすずやいるかといった面々には及ばないが、確実に近づきつつある。

 いのりも自分に芽生えてきた感覚に、戸惑いを覚えつつエッジで表現を綴る。この芽生え始めたセンスの発露として、ジュナのデザインした振り付けはわかりやすく、かつ、本式のバレエのように詰め切られていない遊びの部分があり、いのりの状況に合ったものだった。

 

 しかし、この舞台に限っては順調には終わらなかった。3Lz+1Eu+3Sを決めて、最後のジャンプ、4Sを跳んだ時だった。

 ……シュタッ、ぽろっ

「!」

「!!?」

 いのりの肩に付いていた白い花のコサージュが、着地のはずみで外れて落ちた。

 

『いけない!』

 いのりは落ち際にその白い花をさっと拾い上げた。

『氷に着いたか……? とりあえず、この花……』

 衣装の一部が氷に落ちる脱落の減点を取られたかはわからない。このまま花を手に持っているわけにもいけない。

『そうだ……』

 いのりは拾った動作を演技に繋げるために、その花を捧げるように前方に差し出した。

 

 観客席、審査員席、リングサイドの司とライリー、皆騒然となった。

「わ!? 今の何? 手品?」

「偶然? リカバリー? いや、これは……」

「自然にリカバリーに繋げた? いのりさん……」

「いのりんナイスリカバリー!、と思いますが……」

 

『あまり長く持つと小道具の違反取られちゃう……』

 歓声が上がる中、いのりはすぐにスピンへの移行の振り付けに紛れて、花を衣装の隙間に押し込んだ。

『動揺しちゃダメ……次が最後のコレオだ』

 いのりはこのコレオシーケンスの上達に賭けてこのシーズン、スターフォックスに移籍したのだ。

 

 広いリンクを使うことできる環境は名古屋ではなかなか得られないもので、連盟がトップ選手のための講習会のような場を設けてくれた時に限られていた。

 いのりが上手になりたい一心で選んだ移籍の代償は、先祖代々から名古屋の一等地に受け継がれ、いのりが生まれ育った家だった。

 

 自分のために家族に故郷と先祖の家という代償を払わせた。そうまでしたコレオシーケンスこそ、いのりがこのシーズン最も力を入れたエレメンツだった。

 しかし、自由な表現が試される、つまり、個人のセンスによるところの大きいコレオシーケンスは一朝一夕に進歩するものではなかった。辛抱強く試行錯誤を繰り返し、時には後戻りしながらも根気良く磨き上げ、ようやくこの全ジュニの場で、模倣ではなく感性で表現を創り上げるセンスにやっとのことでたどり着いた。

 

 いのりは新たに目覚めたセンスの導きに従い、与えられたリンクという舞台に自分の表現を展開していった。そこでは、恋に落ちる乙女の激情と呪われた懊悩が混じり、重なり、激突して、王子との出会いのシーンを最大限に舞台化していた。

 技術に裏打ちされたスピードに乗ったまま長距離のスパイラル、そして、その後にイーグル、イナバウアーといった技が途切れる事なく情緒たっぷりに繋がる。

 

 そんないのりの大舞台に観客は脳を焼かれた。

 皆、存在しない王子の幻を氷上に見た。

「さっきの、王子様に花を捧げたんだ……」

「『白鳥の湖』にそんなシーンあったっけ? あったような、なかったような……」

「『白鳥の湖』って定番曲だけど、こんなにすごいストーリー性を秘めた曲だったんだ……」

 

「いのりさん……あなたは……すばらしい……」

 司も耳から煙が燻り出るほど脳を焼かれていた。

 

 夜だけ人間に戻れるオデッサ姫が、再び夜明けと共に白鳥に戻り、いのりの滑走は終わった。

 会場の皆はしばらく興奮のあまり声を出せなかったが、やがて、舞台が閉幕したことに気づくと、キスクラに去るいのりの背中に大きな拍手を送った。

 

 キスクラで、いのりは満面の笑みだった。

 上手く踊りきったという事もあるが、それより、自分の成長のための「壁」がまた一つ取り除かれた事の興奮が止まなかった。

「司先生。わたし、良かったですよね?」

 ほかほか湯気を立てながら、ドヤ顔で胸を張るいのりに司も100%満足の笑みを浮かべ、興奮したまま早口でまくしたてる。

「もちろん! 最高さ! いのりさんはすごく成長してるよ! 感動したよ!」

 いのりはその答えに満足げな表情を見せたが、ふと、思い出して言った。

「あ、でも、途中でコサージュが落ちちゃって……あれ、やっぱり減点取られますか?」

「……うん。氷の面に落ちてたからね。まあ、仕方ないから、気にしない方がいいよ。拾ったリカバリーも悪くなかったと思うよ」

「……そうですか。小道具と受けとられないよう、すぐにしまったんですけど、そっちまで違反取られてたら……」

「そっちは大丈夫と思うけど……」

 

 二人は、祈るような表情で点数発表を待った。

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