結束いのり、スターフォックスへ   作:山倉衛

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116話 全日本ジュニア その9

「結束いのりさん。

 フリースケーティングの得点132.72。

 ショートプログラムとの合計201.81。

 現在、第1位です」

 

 観客席からは大きな歓声と拍手が上がる。

「来た! 200点台!」

「すごい……伝説に残るね。この大会……」

「なんでこんなに今年レベルが高いんだろう……? すごいもの見に来てしまった……」

 

 しかし、キスクラのいのりと司はやや不満顔だった。

「むー。目標点数は超えましたけどー」

「そうだね。いのりさん、今回すごく頑張ったからもう少し取れるかと思ったけど……ああ、やっぱり衣装脱落取られてる」

 スクリーンを見た司が減点を確認する。

「PCSもこれは……演技中断ありとみなされたかな?」

「えー。きびしいです……」

 いのりは少しむくれ顔になった。

 

 司は「仕方ないか」という表情だった。

 あの、拾った花をとっさに、誰かに差し出すように見せたリカバリーの振り付けは「効きすぎた」

 あのアドリブの振り付けのおかげで、王子との出会いと恋に落ちるストーリーがわかりやすくなりすぎた。

 小道具の違反として取る事はできなくても、プレゼンテーションに与えた効果は減じてPCS算出しないと、他の選手が小道具違反すれすれでプレゼンテーションを稼ぐようになる「見逃された前例」になりかねない。

 

 しかし、いのりがとっさの判断で美に即した反応をしたことには違いない。点数的に評価されなかったことは悔しいが。

 

 司は笑顔をつくって言った。

「でも、あのトラブルを上手くリカバリーしてここまで伸ばしたいのりさんはやっぱり最高だよ! 何より、順位で全日本入り確実にしたしね。次の戦いにつながるいい滑走だったよ」

 いのりは心配そうに答えた。

「まあ、正直、あのトラブルは最悪でしたけど……夕凪ちゃん、すずちゃん大丈夫かな……」

 

「あっ……」

 司は気づいた。いのりが言っている「トラブル」は、コサージュの脱落ではなく、直前練習で目の前で起きた接触事故の方だ。

 周りの人の怪我や事故で動揺しないようにすることこそ、いのりが今シーズン最も望んだことだった。怪我で引退した姉の最後の曲である「白鳥の湖」をテーマ曲に選んだのも、事故や怪我から目を逸らさず、立ち向かうマインドを得るためだ。

 

 姉の最後の曲で姉の最後のジャンプとなった2Aを跳ぶのは怖かった。しかし、あえてそれを雰囲気最悪の最初のジャンプで跳び、克服してみせた。いのりにとってはそれこそが、表現のつながる感覚や、200点台以上に価値のある成功だった。

 

 競技中はマインドセットして演技に集中していたいのりではあるが、演技が終わるとやはり気になり、選手席を見まわした。しかし、すぐ滑走順の八木夕凪も、滑走順ラストの鹿本すずもそこにはいなかった。

 

 キスクラを降りる時に、いのりは気付いた。

「あ……夕凪ちゃん。WDついてる……」

「そうだね。八木選手は頭を打って脳震とう疑われたから、ドクターストップかかったようだね。鹿本選手はまだWDついてないけど……」

 

 司が答えたところに、ライリーがやってきた。

「いのりちゃん、すごいつよつよ滑走だったね! あと、ストレッチしながら私と観戦しよ」

「はい。ライリー先生、お願いします」

「はい。では、いのりさん、ライリー先生、行ってきます」

「いってらっしゃい、司先生」

 司は、滑走を控えた狼嵜光の方に向かった。いのりの様子も少し心配ではあったが、とりあえずはこれから滑走の光の方が重要な仕事だ。いのりもにっこり笑って送り出す。

 

―――

 

「上桐天音さん。

 フリースケーティングの得点131.21。

 ショートプログラムとの合計200.49。

 現在、第2位です」

 

 観客席は唖然とした表情だった。

「4Loすごかった……」

「4Lo、4S、3A全部成功!? これ、光ちゃん超えてるんじゃない? なのに2位なんだ……」

「4Loの後で滑走が止まりかけたくらい? ほとんどノーミスだったよね? なのに2位? 200超えなのに?」

「うわー。この子、オリンピックとか出ないかな? 4Loジャンパーとかすごすぎる……」

 

 熱気に沸く観客とは対照的に、いのりとライリーは冷ややかだった。

「なんだか……自分の悪かったトコ、見せつけられてる気がします。『感情表現を分解して、振り付けにする』作戦、上桐先輩もやってますね……」

「そだねー。でも、上桐選手と違って、もういのりんはだいぶ自分の表現にできてきてると思うよ。今日のフリーなんて特に」

「でも……」

 

 ライリーは曇った表情のいのりに質問した。

「じゃあ、上桐さんの演技で気になったところ、教えてくれる?」

 それに対し、いのりは訥々と答え出した。

「まず、なんだか全部の動きを無理に拍に当ててる気がします。拍頭に何か動きを当てて。スピンの回転まで拍に合ってるのはすごいけど、逆に機械的で躍動感がなくて……あと、ジャンプの前後も無理に拍取ってるから、4回転や3A前後の流れ、すごく悪いんだと思います」

 ライリーもコレには苦笑いだ。

「良く気付いたね。それは多分ね、こういうことなの……」

 

―――

 

 ライリーがいのりの方を見ている間、司は光の方を見ていた。

『光さんは接触事故の影響はなく、集中できているな。いのりさんの点数は予想より跳ね上がったが、それでも、光さんの目標スコアには届いていない……。上桐さんも想定範囲内。こちらは落ち着いてミスしなければいい。……いのりさんには悪いけど、手加減しないよ』

 光は落ち着いているように見えていた。司がスコアボードの方に眼を向けるまでは。

 

 光もいのりが200点超えを達成したことには驚いたが、それより気になっていたのは、コサージュの脱落だった。

『アレさえ無ければ危なかった……目標スコア超えられてたかも。

 ……あれ、あのコサージュ!?』

 

 光は思い出した。

 ノルウェー戦前、いのりちゃんが練習していた時。

 理凰と何があったか聞こうとして、『3位で良かったね』なんてはぐらかされて腹を立ててしまって、肩を掴んでしまった。本番衣装だったのに。

 ……あの時、ちょうどコサージュのあったあたりを掴んでしまった。……指先に、何か糸が切れるような感触はなかったか?

 

 ……いけない……こんな雑念が入るなんて。もし、そうだとしても、後で謝って許してもらおう。すずちゃんはもう出てこないだろうけど、こんなことで集中乱してたら、上桐選手やいのりちゃんやいるかちゃんに勝てない。夜鷹さんも見ているだろうに、ショートのような無様な滑走はできない。

 ……ああ、恥ずかしい。いのりちゃんの肩を掴んでしまったのは、理凰のせいだ。あの時は理凰のことで頭がいっぱいだった。夜鷹さんが知ったら失望するだろう。『なんで、僕がいなくなったら緩んでるの』なんて言われてしまうかも知れない。

 夜鷹さんが何を考えているかわからないけど、緩んでいるなんて思われるのだけは嫌。本気じゃないなんて思われるのだけは絶対に嫌だ。

 

 夜鷹さんの世界以外のものを求めて箱庭を飛び出した私は、夜鷹さん以上のものを見せつけなければならない。私の目指し、歩み出した先を「緩んだ堕落の道」などと思わせてはならない。

 夜鷹さんの失望の顔が、一瞬、目に浮かぶ。

 それを打ち消し、噛み砕くように奥歯に力がこもる。

 大丈夫、私ならできる。問題ない。

 

 ……すずちゃんの退場を見た時の自分の表情を見られなかっただろうか? うっかり「これで助かった」なんて考えてると思われなかっただろうか。

 事故やトラブルに守られた、助かった、運にも恵まれている選手だなんて思われたくはない。

 

 司は、光の方に目を戻して驚いた。

 先ほどは落ち着いた感じだった光が、短時間で明らかに気負った様子になってしまっている。

 これはケアしなければと思ったが、ここで『大丈夫?』とか聞くのは禁物だ、ゆっくりルーティンを確認させるように促そう。

「水分はとったね? そろそろ、眼球運動はじめて、視線ほぐしておこうか」

「……はい」

 光が視線をぐるりと回したその時だった。

 

「!!」

 通路に降りて来た夜鷹純の姿が一瞬見えた。足早に向かったのは選手席の裏手。

「上桐選手が終わったら……私の演技は見なくていいということですか?」

「え?」

 光の眼は憤怒の焔に燃えていた。

 何やらどこかでよくないスイッチが入った光の表情に司は慌てたが、もうタイミング的にどうしようもない。

 

「次の滑走者、狼嵜光さん。スターフォックスFSC」

「……」

 無言でリンク中央に向かう光に、司は慌てて声をかけた。

「いつも通りに!」

 

 光は反応しなかったが、心の中では司の言葉を反芻していた。

『そう。いつも夜鷹さんは観客席で見ていたわけじゃない。見てもらえてなくても、同じようにやるだけ。いつも通り……』

 しかし、その眼から怒りの表情は消えてなかった。

『そして、いつも通り勝って、夜鷹さんに思い出させてやる! いつも勝つのは私だって。私以外を勝たせることは誰にもできないんだって!』

 

 そして、光の滑走が始まった。

 闘志がエッジに乗り、荒々しい加速を見せる。獣のような動きだ。

 去年の全ジュニを彷彿とさせる気勢の乗った動きに、観客も気圧される。

「なんだか、去年と同じくらい、いや、それ以上に気合いが入っていない?」

「うん、すごい必死さが伝わってくるよう……テーマの『群狼』のストーリーにも合ってるね」

 

 そんな観客の盛り上がりに相反して、司は心の中で苦悶していた。

『光さん……それでは、違うんだ……』

 

 光も、演技しつつ、かみ合わないものを感じていた。

『おかしい。何かが間違っている……視線の使い方? 拍の取り方? 何かがかみ合っていないけど、何を修正したらいいのかわからない……』

 焦燥の中、最初のジャンプで3A+3Tを跳ぶ。

 

 ……シュタッ、シュタッ

「おお……」

「すごい……。さすが光ちゃん……」

 辛うじて成し遂げられた大技に沸く観客とは裏腹に、光の心は行き詰まっていた。

『……跳べたけど、いつもより出来が悪い。これじゃ……』

 華々しく猛り舞う姿とは裏腹に、映画「群狼」の最後の戦いで包囲されていく狼の群れのように、光の心は追い詰められつつあった。

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