結束いのり、スターフォックスへ   作:山倉衛

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117話 全日本ジュニア その10

 光は何かがズレていると感じつつも、必死の形相で滑走を続けるが、そろそろ観客も気づいてきた。

「光ちゃん、すごく頑張りが見て取れるけど……」

「なんだか、切羽詰まっててあまり伸びがないような……」

 

「くっ……!」

 それは演技を紡いでいる光が一番よくわかっていた。

 フランス戦の時はうまくいっていたのに。司が変化をつけた振り付けが、今は逆に光を縛っている。

「このままじゃ……」

 

 このままでは……PCSもGOEも足りない。いのりはおろか、上桐天音にも届かないかもしれない。表彰台落ちすらあり得る。

「それはイヤ!」

 光はその悪夢を振り払うかのように、禁じ手を打った。

 

 ……シュタッ

「4T!」

 観客がどよめく。

「光ちゃん、4T跳んでも大丈夫なんだ!」

「さすが、光ちゃん!」

 ライリーや司も口に手を当てる。

「練習してないのに……」

 

 今シーズン初の狼嵜光の4回転ジャンプに会場は活気を取り戻し、興奮に溢れかえった。

 その声援をうけ、光はやや演技のツヤを取り戻し、なんとか最後までミスらしいミスなく滑り切った。

 

 リンクからうつむいて降りてくる光に、司は聞いた。

「腰は大丈夫?」

「はい……。でも、何かかみ合ってなくて……」

 元気のない光に、司は諭すように語った。

「表情だよ」

「え!?」

「顔もそうだけど、手足、指先、振り付けの表情もそう。『フルパワー出している』って見て取れるけど」

「ええと……なにが悪かったんでしょうか?」

 混乱する光に、司はキスクラで語る。

「光さんも、落ち着いている時は自然にできているんだけど、今日は悪い方向が出ちゃったかな?

 美しい演技には、余裕を含んだ表情が要るんだ。

 すこし、力を抜かないとダメだったね」

「……」

 

 司の言うとおりだった。夜鷹純の幻影に翻弄されて、始終張り詰めた表情を前面に出して踊ってしまっていた。

 映画「群狼」でも、絶望的な状況でもリーダー狼はニヤリと笑ってみせた。それが率いる群れを駆り立てるとともに、滅びに向かう闘いを美しく彩っていたのだ。

 

「大丈夫。すぐ挽回できるよ」

 司は笑顔をつくってそうなだめたが、この場での勝ちにこだわる光には大して慰めにならなかった。

 光は、途中で約束を破ってまで跳んだ4Tが少しでも効いていれば……と、祈るように結果を待った。

 

「狼嵜光さん。

 フリースケーティングの得点131.52。

 ショートプログラムとの合計204.45。

 現在、第1位です」

「はあぁぁ……」

 光は命からがら生き延びたような息を漏らした。

 助かった。そう感じた。

 

 フリーの目標点135点を下回ったが、なんとかいのりにも勝って暫定1位だ。

 光はキスクラから降りてストレッチの準備をしつつ、多分最終滑走者となるいるかに目を向けた。

 ショートではPCSを伸ばしてはいたが、脚にまだ不安があるようで、ジャンプのGOEはやや抑えめであった。

 4Tを成功させれば怖いところだが……

 

 怖々と向けた視線がいるかの目と合った。

 いるかは、光の様子にため息ひとつ漏らして、五里ヘッドコーチに何か手振りをした。

 五里ヘッドコーチは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐうなづいて、いるかを送り出した。

 

『何をするつもりですか? 五里先生。

 4Tは投入しても、GOEを抑えめにして足の負担は減らす戦術ではなかったんですか?』

 司がそう予想したのも無理はない。

 いるかは怪我からの復帰シーズンだ。

 4Tを習得してきたところには驚いたが、このシーズン、いるかがオリンピックを目指すなら力の入れどころはこの全日本ジュニアではなく、推薦で勝ち上がるシニアの全日本選手権大会のはずだ。

 短いショートでジャンプのGOEで稼ぐのを抑えたなら、長いフリーではそれ以上に抑える。事実、予選ではその傾向があった。まだ脚に不安があるから、と、皆憶測していた。

 司のその予測でいるかの点数を見積もっていた。その予想でも、狼嵜光がギリギリ負ける可能性はあったが、今からでは打つ手はなかった。

 司も光も食い入るようリンクを見守る。

 

 いるかがゆったりとした優雅な曲に乗って滑らかに滑り出した。そして、最初のジャンプを跳んだ時に「岡崎いるかは脚にまだ不安がある」という予想が間違っていたことを、皆、思い知らされた。

 ……シュタッ、シュタッ

「4T+2T!?」

 観客が今日一番の、悲鳴のような驚きの声を上げた。

「4Tを2回跳ぶ気ってこと!?」

「それに、すごく優雅に跳んでみせた……まだ余裕がありそう……」

「これ、出来栄え点も高くない?」

 

「え……?」

 絶望の表情の光に、司が頭を抱える。

「まさか……ずっと抑えてた? 本当はもっと跳べるのに? 完全回復以上に取り戻し、なお……

 ああっ!? まさか!?」

 

 完全に読み違えていた。

 いるかがなぜ今シーズン、復帰後にいきなり4Tを跳ぶ選択をしたのか。女子にとっての4回転は通常、復帰戦の不安を抱えながら取れる選択肢ではない。

 ジャンプ基礎点で不安を埋める戦術などではありえなかった。

 

 PCS、特にプレゼンテーション面では今季のいるかは恐ろしい伸びを見せていた。自らのスケートを一から見直す機会が得られたいるかは、怪我をする前以上の境地に達したのだろう。

 なら、そこになぜ4Tを加えたか。

 

 発想が逆だった。必要があって4Tに手を出したのではない。脚の不安もなく、4Tに手を出す余裕があったから4Tに手を出したのだ。

 

 いのりとライリーも目を丸くした。

「いるかちゃん。筋肉すごい仕上げ直してきてたけど、まさか4Tを連続ジャンプでもできるなんて……」

「フィジカルでは十分とは思ってましたが、まさか4Tをここまで磨いてきてたとは……

 怪我を機に自分の武器を磨き直して、他のスケーターの動きからも学び続けた結果、4Tを自分の新しい武器とできる可能性に思い至り、ここまで磨きあげることもできたのでしょうね。

 困難を克服し、膨らみ続ける才覚が、自然と新しい武器を求めることになったのでしょう……」

「それに、出来栄えも高いですね。このフリーでは全力を見せてくれるんだ、いるかちゃん。えへへ……」

 いのりはいるかの演技を期待を込めた眼差しで見た。

 

 その予想どおり、いるかは次のジャンプの4Tも、その次の3Lzも優美に決めてみせた。振り付けもショート以上の艶やかさを見せ、観客を雄大な海の美の世界へと招き入れる。

 

 いのりはイルカの復調ぶりに武者震いした。

「すごい……いるかちゃん」

 少し離れた位置で、光は顔色を青くする。

「嘘……」

 頭の中では計算機がぐるぐる動くが、それは『このままだと確実に抜かれる』という事実を、彼女自身に教えただけであった。

 

 観客席からは、同クラブの炉場愛花や武田桃芽が笑顔を溢れさせて快哉を叫ぶ。

「いるかちゃん! やるぅ!」

「いるかちゃん、ファイト!」

 

「……」

 司はその様子も見ながら、自らの戦略ミスを悔いていた。

『同クラブの選手のあの様子……岡崎選手の演技はオーバーワークではあり得ない。クラブでの練習である程度以上にできてるところを、彼女たちは見てるんだ。

 他の選手を油断させるため、予選では特にジャンプの出来栄えを抑えめにしていただけだったのか……しくじった』

 

 その後もいるかは、観客席から湯気が霧のように立ち上るほどの熱気の中、燦然と輝く演技を続け、最後まで盤石に締めくくった。

 

 羊は拍手をしながら、瀬古間と感想を語り合ってた。

「後半のジャンプだけ、3Lz+2Tとか抑え気味だったけど、あれは脚の不安とか言うより……」

「そうですね。僕の見立てでは、演技途中で『もう狼嵜光に勝った』と悟って、確実にノーミスとなるよう安全方向にハンドルを切ったのでしょう。スタミナ面ではむしろ優れた選手ですし、コレオやスピン等も疲れは感じられませんでしたから」

「まだ、この上があるのね……全日本が楽しみ。理依奈ちゃんとの対戦や、光ちゃんの〝リベンジ〟も見られるね」

 瀬古間もその予想に同意してうなづく。

 羊は『光ちゃんの〝リベンジ〟も見られる』と言った。

 つまりは、この2人はもう、光の負けだと見ていた。

 

「……」

 光はガックリと肩を落としていた。

 光自身も点数発表前から負けを悟っていた。

 司が慌てて取りなす。

「光さん。気を落とさないで……」

 にっこり笑顔を作って、光のテーマ曲にもなぞらえて諭した。

「『群狼』のボス狼も、部下等を鼓舞する為に絶望的な状況でも笑ってみせたよね? 光ちゃんは大会で負けるのなんて初めてかもしれないけど、負けた時にどう自分を取り戻していくかも、トップ選手には必要な資質だよ。レジリエンス!」

「はい……」

 

 光は返事をしたものの、落ち込んだ様子は直っていなかった。司は引き続き励ます。

「しっかりして。落ち込んだ光ちゃんなんて、誰も見たくないよ。俺やライリー先生も、ファンのみんなも、いのりさんや亜子さんや神楽さんも、慎一郎先生も……」

 ここで司は感情を噛み潰しつつ、その男の名前を口にした。

「そして、夜鷹純も君の次の演技に期待しているよ」

「!!」

 光が『夜鷹純』の名前に反応して、かばっと顔を上げた。

 

 ああ、夜鷹コーチ。

 あなたは私に失望しましたか? それとも、あなたの道を外れた私になんて、もう興味ないですか? 私は自分で自分の道を切り拓がなければならないことはわかっています。あなたと同じ道を歩めなくなってしまって申し訳なく思います。

 しかし、せめて、私の姿を見ていてはくれませんか?

 

 光は客席に夜鷹を探し、やがて彼がどこにもいないことを悟るとさめざめと泣き出した。

 司も「夜鷹さんの名前を出したのは失敗だったか……」と、後悔に顔を歪めた。

 

 やがて、岡崎いるかの点数が発表された。

「岡崎いるかさん。

 フリースケーティングの得点138.93。

 ショートプログラムとの合計、212.34。

 現在、第1位です」

 

 いのりや他の選手も脱帽し、拍手で彼女の復活を讃える中、狼嵜光は席で静かに涙を落としていた。

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