「狼嵜光さん。すいませんが、MRI撮り直しお願いします」
「「え!?」」「……!?」
驚くライリーたちに看護婦が説明する。
「腰自体は大きな異常はなさそうですが、ただ、少し気になる写り込みがあって。念のため、脚のMRIも追加で撮らせてくださいという事でした」
「そ、そうですか……わかりました」
仮病を使っていた光もこれには面くらったが、指示に従って再度MRIに向かった。
―――名古屋市内のスケートリンク
人気のない夜のリンクサイドで夜鷹純は蛇崩からの連絡を携帯で受けて凹んだ。
「マジか……」
すずの診断はシンスプリント。骨膜浮腫まで起こしていて、ファイナルも全日本も回避らしい。
「リンクの上ではわからなかったなぁ……これじゃ『全部金メダル取ったらキミの言うとおりスケート界に戻る事考える』なんて言ってた僕が悪者じゃん……ああ、もう……やっちゃった……」
落ち込む夜鷹に、藤原部長が声をかける。
「どう? 調子は?」
「いや、すずちゃん。脚の具合良くなかったって」
「いや、氷の具合」
「……」
夜鷹はブレードカバーをつけながら渋々答えた。
「最高。気に入った。毎日でも滑らせてもらいたいけど、今日は気分が乗らないからここまで」
「気に入ってくれて何より……気分が乗らないのは、教え子たちの事かな?」
「……教え子と言うほどの事はしていない。ちょっと『できるかも』ってアドバイスしたら、みんな、元々のコーチと色々頑張って考えて、いろいろ強くなっていっただけ」
夜鷹が目を伏せると、藤原は励ますように言った。
「それでいいんじゃない? 純君ほどの金メダリストにアドバイスされたら、選手もパワーが湧くさ」
夜鷹はベンチに腰を下ろして靴を脱ぎつつ、吐き捨てた。
「でも、それで怪我しちゃったら意味がない」
それに藤原部長は目を丸くして言った。
「おいおい。失敗一つして挫けたらダメだし、怪我してしまった選手をどう立ち直らせていくかが大事だろう」
夜鷹はそれを聞き流すふうに言った。
「……めんどくさいね」
「でも、ここでやるって決めたんだろう?」
藤原の質問に、夜鷹は少し困った顔をして答えた。
「まあね」
そして、笑顔をこぼしながら言った。
「思ったより楽しいからね」
―――再び、病院。診察室
光に下された診断は予想外に重いものだった。
「右脚の脛の骨髄浮腫……ですか?」
「はい。腰の方は問題ありませんでしたが、こちらの撮り直した脚のMRIの、ここですね。脛の中が白く見えている部分、これが〝骨髄浮腫〟です」
光は戸惑い、説明を求めた。
「え!? 骨折れてるんですか?」
「折れてはいません。ただ、骨の中の細かい構造が繰り返しの衝撃で少し傷んで、むくんでいるイメージです。
言い換えると、〝疲労骨折の一歩手前〟か、かなり初期の段階です」
「脚は全然痛くないんですけど……」
光はまだ信じられないといった顔だ。
「この段階だと、痛みは強く出ないことも多いです。だから気づきにくいのが特徴です。
今見つかったのは、かなりいいタイミングです。ここで止めれば、きちんと戻ります」
ライリーはしっかりと医師の目を見てから、光に言った。
「大きな事になる前に見つかって良かったわ。
しっかり戻しましょう。光ちゃん」
「すいません……約束破って4T跳んだから……」
泣きそうな光に、医師が別のMRI画像を出しつつ言った。
「そういうわけではないと思いますね……こちらご覧ください」
医師が取り出したのは別のMRI影像、日付は去年、腰を中心に撮ったものだが、範囲広めで撮影されており、脚も写りこんでいた。若年アスリートを撮る時にはスクリーニングも意識してかなり広めに撮影する事が多いので、去年の撮像にも脛まで写っていた。
「こちらは去年のMRIです。かろうじて骨膜、つまり骨の外側の反応が見られますが、主訴の腰でもないですし、この程度では拾わないですね。成長期ですと、このくらいの反応は誰でも普通に出ますから。
しかし、今回のMRIで全く同位置に骨髄浮腫を認めます。
それと繋げると、つまり、本日のジャンプによる急性のものではなく、去年からのストレスの蓄積が骨髄に達した可能性が高いと思われます」
「去年から……?
あの……去年も脚に全く痛みは無かったんですが……」
医師は美蜂にも目配せしつつ、光の脚に手を伸ばす。
「ここ。ここの一点。メディカルトレーナーの方も確認して下さい。ここ押すと痛みか違和感ありますよね?」
医師が脛の一点を押すと、光ははっきりと違和感を感じた。
「!! ……はい。ちょっとだけ違和感が」
「自分では押さないで下さいね。チェックはメディカルトレーナーさんに任せて下さい」
診断結果に呆然とする光に美蜂が声をかける。
「光さん。これは、異常が表面化する前に発見できて運が良かったと考えましょう。知らずに放置して練習しつづけたら、より重い怪我につながっていたかも知れないものですから」
「そうですよね……」
光の脳裏に浮かんだのは、疲労骨折と思われる骨折で引退してしまった実叶のことだった。自分も全く痛みはなかったので、骨の中にストレスが溜まっていたなんて気づかなかった。
なるほど、医者の言うとおり幸運だ。
4回転を勝手に跳んでも痛みもなく、気付かず、そのうち「もういいだろう。今度は勝たなくてはいけないし、4Sも跳ぼう」と言い出して、そして……ある日突然疲労骨折する事を想像し、光は背筋を寒くした。
「……」
しばらく黙っていた光だったが、自らの運命を受け入れ、しっかりとした目で言った。
「わかりました先生。それと、ライリー先生も、美蜂先生も、ご迷惑おかけしますが、復帰プログラムお願いします」
―――
光は帰る前に、ライリーと一緒に夕凪の病棟に向かった。
病室に入る前に、光は慎一郎に診察結果の事を話した。
「慎一郎先生。実は……」
慎一郎は光から事情を聞くと、少し考えて答えた。
「そうか……。去年のうちに気付いてあげられなくてすまないね。
それと、さっきまで鹿本すず選手がお詫びに来ていた。知っているかもしれないが、鹿本すず選手はシンスプリントで復帰は年明け以降になり、JGPファイナルと全日本は回避となる」
「やはりそうですか……」
自分と同じだ……いや、自分の方は骨髄にまで異常が出ているので、より復帰が遅れるかもしれない。
顔をうつむかせる光に、慎一郎は言った。
「それでね……」
―――
病床の上の夕凪は、思ったより元気そうだった。
サイドテーブルには生八ツ橋が広げられていた。すずがお詫びの品に持ち込んだのだろう。
入ってきた光に、夕凪は心配そうに言った。
「光ちゃん。残念だったね……」
光は表情をつくると、笑いとばすように言った。
「何言ってるの? 私は今回も表彰台だったんだから。
WDになっちゃった夕凪の方が災難だったでしょ」
「そうなんだけど……」
夕凪は、光が優勝し続けることにどれほどこだわっていたか知っている。今回の敗北がショックだった事もわかっている。
だから、光の敗北にはそれ以上触れないように話題を変えた。
「私の方は、検査もテストもCTも異常なし。今晩一晩様子見入院だって。早く復帰したいなぁ……」
それに、光は嗜めるように言った。
「脳震盪って繰り返すと怖いから、焦ったら良くないよ。しっかりと様子見てから練習戻ろう」
「うん。年末の全日本も出られないし。しばらく試合ないもんね……ああ、出たかったなぁ……。
すずちゃんも残念だろうなあ。優勝したのに全日本も出られず、せっかくのJGPファイナルも出られないなんて……」
ここで、光は話題を変えた。
「そうだ。もう噂になってるから知ってると思うけど、私とすずちゃんのコーチ……」
夕凪は答えた。
「夜鷹純さんだったんでしょ。光ちゃんの天才っぷりにも納得だよ」
「うん。隠していてごめんね。秘密にするのが夜鷹さんとの約束だったんだ」
「うんうん。仕方ないよね。私、なんで慎一郎先生が光ちゃんにだけ無理させるのか不思議だったんだ。納得したよ」
夕凪は納得の笑顔を見せた。
そこで、看護婦が声をかけた。
「そろそろ……」
脳震盪の当日なので、面会は3分だけに時間制限されていた。
光は最後にもう一度、気遣いして言った。
「じゃあ、またね。無理だけはしないでね」
「うん。またね」
―――名古屋市内ホテル、ライリーの部屋
ホテルに戻り、集められたクラブの皆に光の症状が明かされると、皆驚いた。
即座に司が土下座しようとする。
「申し訳ございません! 俺が4Tを跳ぶのを止められなかったばかりに……」
膝をついた司が頭を床につける前に、美蜂が脇を抱えて起こした。
「およしなさい。ライリー先生の話をよく聞いてください。原因は今回のジャンプではなく、少なくとも昨年からの負荷の積み重ねによるものらしいとの事です」
ライリーが説明を終えて言った。
「……と、このように、今回のケースは他の部位の微細な違和感から、疲労骨折一歩手前の病変がMRIで偶然発見された、極めて幸運なケースです。
みんなも、『ちょっとおかしかったかな?』程度の事でも、不安なら遠慮なく受診するようにしてください。
そして、光ちゃんのリハビリについては、皆で理解し、協力してあげてください。
あと、外部への発表は1週間経ってからになります。それまでは口外しないように」
と、そこでライリーは胡荒コーチに向き直って言った。
「特に、胡荒コーチ。秘密厳守お願いしますね」
「は、はい!」
赤い顔で慌てて返事をする胡荒コーチを確認し、ライリーは補足する。
「あと、蓮華茶の鹿本すず選手もシンスプリントで年内の大会を回避するそうです。重ねて言いますが、皆さんも、痛みや違和感があった時には早めに言ってください。隠しても何も良いことはありません」
光がクラブメイトから慰めと励ましの声を受ける中、胡荒亜子は言った。
「私、光ちゃんの分も頑張るから」
光はおどけて答えた。
「私の分まで頑張ったら、優勝しちゃうよ」
「いつも、そうするつもりよ」
そう答えた亜子の目には気合いがみなぎっていた。
いのりはその理由を理解した。
「そうか、亜子ちゃん……光ちゃんの代わりにJGPファイナル出ることになるんだ」