―――全日本ジュニア1週間後。邦和みなと、名港ウィンドホームリンク
「うん。全く問題ないね」
夕凪の回復具合を確認して、慎一郎はうなづいた。
昨日からリンク上練習を再開し、スピンやジャンプなしでの練習後、眼球運動や体を軽く回して親指を見続けられるか等のテスト、バランステスト、タブレットを使った反応速度や数字を目で追うテストなどの脳震盪の影響を調べるテストを実施したが、全て異常なしだった。
「はい。自分でも全く問題ないから、補欠のJGPファイナルには現地入りしておこうとは思うんですが……」
鹿本すずがシンスプリントでファイナル出場を辞退したため、スターフォックスの胡荒亜子が補欠から出場する事となった事は知っている。
2位、3位各1回、24ポイントは亜子と同じながら、総合点数で劣る自分はあと一歩で補欠のまま、と夕凪は思っていたが……
慎一郎は、夕凪の目を見て告げた。
「いや、補欠でなく、君はファイナル出場となる。
まだ発表されてないが、光が脚の不調でファイナルを回避した。補欠1位の胡荒亜子選手だけでなく、補欠2位の夕凪君も繰り上げ出場になる」
夕凪は驚いた。
「え! 私が光ちゃんの代わりに!?」
慎一郎は夕凪に顔を近づけて続けた。
「光が見舞いに来てくれた日にはもうわかっていたんだが、夕凪君が復帰を焦るといけないから発表を待ってもらっていた。
もちろん、君が必ず出られるとは限らない。これからの練習で症状が再発するようなら、やはり出場取りやめにするし、出場したとしても100%の演技はさせられない。
しかし、順調なら出場して問題無いレベルまで戻せる。
夕凪君。焦らず、症状が出た時には正直に言うようにして、練習制限もキチンと守ってくれるかな?」
「は、はい!」
夕凪は顔を紅潮させて答えた。
慎一郎は満足気にうなづいた。
「では、今日はこれで練習終了だ。ファイナル出場の件もお家の方に伝えておく。明日からジャンプやスピンも少しずつ戻すからね。今日はゆっくりおやすみ」
「わかりました」
夕凪はそう答えつつ、気づいた。
『そうか……光ちゃん。自分とすずちゃんが棄権したら、ファイナルの出場権は私にまで回ってくるってわかっていたんだ……うん。焦らずに行こう』
そこに、鯱城理依奈がやって来て檄を飛ばした。
「よう! 夕凪。ファイナル補欠じゃなくなったんだってな! 一緒にポーランド行くぜ!」
「はい! 理依奈センパイ! 名港ウィンドのため、一緒に頑張りましょう!」
2人は大会に向けて気合を入れ直した。が、……
「ところで……光ちゃんの脚ってどのくらい悪いんですか?」
2人とも光の事が気になった。
―――東京、スターフォックスリンク
「へっくちっ!」
「あら、大丈夫? リンクサイド冷えちゃう?」
光がくしゃみすると、隣にいたライリーが心配して声をかけた。光はまだ氷上練習はできず、見取り稽古である。
「大丈夫です。誰かが噂しているのかな? もう、連盟通じて私の欠場発表されましたよね?」
「公式ホームページにアナウンスあったね。ISUからは各国選手に連絡あったみたい。それと、うちのホームページにもさっきお知らせ載せたわ」
「そろそろ誰かからLINE来る頃かな……って来た。
……え?」
光がスマホを確認し、送信元に驚いた。
「誰から来たの?」
「フランスのアルエットちゃん……うわ、長文……」
ファイナルでは選手の不意の欠場に備えて、1、2名ほど補欠選手が現地入りする。すずと光の欠場により、亜子と夕凪が出場選手へと繰り上がるとアルエットが補欠1位となる。急遽ポーランドに行く事になったわけだ。
彼女からの長文メッセージは、欠場する光へのお見舞いの内容から始まっていたが、その後はほとんど質問攻めだった。
「私の脚の具合、か……『骨折一歩手前で異常見つかって良かった』っと。
私がポーランドに現地入りするかって? 『するわけない。まだジャンプ禁止時期』っと。
亜子ちゃんがどんな選手かって? 『ハイレベルなオールラウンダーで今シーズンはレオニード氏が振付けてるから強いよ』っと。
八木選手は脳震盪の影響ないのかって? ……まあ、それ気になるよね。夕凪ちゃんが出られなかったらアルエットちゃんまで出場回ってくるもんね……『当日試合後お見舞い行ったけど元気だったよ。でも、慎一郎コーチは少しでも影響あるなら出場させないと思う』っと」
律儀に返信する光のそばに、衣装姿のいのりがやって来た。
「光ちゃん。発表あったの?」
「うん。何故かフランスのアルエット選手から最初にお見舞いメッセージ来た」
「アルエット選手か……ノルウェーで4S成功してたら補欠繰り上がりで出場できてたよね」
「そうだね。フランス戦では夕凪ちゃんに勝ってたものね。夕凪ちゃんがファイナル出られて自分が出られないのは悔しいだろうね」
そんな会話をしていると、ふと光はいのりの衣装の変化に気づいた。
「あ、そのコサージュ……」
「うん。新しいのにつけ直してもらったの」
光はもじもじと謝りはじめた。
「あの、そのコサージュ、試合中に取れちゃったのって、やっぱり私がノルウェー戦前に引っ張っちゃったせいだよね……」
いのりはとんでもないといった顔で答えた。
「え!? まさか! 関係ないと思うよ」
<<<<嘘嘘嘘嘘>>>>
「そう? それならいいけど……あの時は本番前の大事な時に、ごめんなさい」
謝られたいのりははにかんだ顔をした。
「気にしてないよ」
そばにいたライリーもフォローする。
「衣装は練習のちょっとした事で痛むことあるから、大会前には自分でもチェックしないとね」
「そうですね。いい教訓になりました。リカバリーも貴重な経験です」
「そうだね。落ち着いて演技ができたって、いのりんつよつよだよね。挽回の機会はまたあるよ」
いのりはそこで話題を変えた。
「そう言えば、今日は本番衣装練習の日なのに、なんで今滑ってる亜子ちゃん本番衣装じゃないんですか?」
ライリーは面白がるような顔になった。
「ふふふ……亜子ちゃんはなんと、JGP本番では新衣装です。まだ仮縫い中だけど、すごい衣装だから」
光もいのりも驚いた。
「え!? そうなんですか。すごい……」
「亜子ちゃんも光ちゃんの代わりでの出場とあって、気合い入ってますね……」
「全ジュニには間に合わなかったんだけど、世界戦でお披露目する事になったね。みんな、びっくりすると思うよ。クラブでは来週か再来週には新衣装見られるけど、ニュースになるかもね……」
ライリーの思わせぶりな物言いに、いのりたちも興味を持つ。
「えーっ!? なんだか、私もその衣装見るの楽しみになっちゃう……っと、私は自分の演技に集中しないと……」
「そんなにすごい衣装なんだ……あーあ、一緒に滑れなくて残念だなぁ」
「あ、鉱森ちゃん。ちょっと……」
そこでライリーが鉱森神楽の指導に行ってしまうと、いのりと光はにわかに二人きりになった。
すると、いのりがおずおずと光に話しかけてきた。
「光ちゃん……脚の事と言うか、ちょっと聞きにくい事なんだけど……」
「うん? いいよ、何?」
いのりは光の顔を伺いつつ、持ちかけた。
「スタッフブースでお話ししよっか?」
―――スタッフブースC
スタッフブースに入ると、いのりは早速切り出してきた。
「あの……脚、去年からのダメージの蓄積で痛めたって言ってたけど、やっぱり4Lzが悪かったの?」
「!?」
光は少し困り顔で答えた。
「えっとね……ハッキリした事はわからないけど、私が思うには全体的なジャンプ練習過多で、去年今年と着氷全般で痛めてたのかもなって思うよ。4Lzというか、4回転全般良くなかったのかもしれないけど、4回転だけじゃないね」
「いのりちゃんのジャンプとか見てて思ったけど、私のジャンプって着氷で結構ガシッと見栄を切っていて、きれいに見えるけど、脚への負担は大きかったのかなって。
それに比べて、いのりちゃんはどの着氷でもエッジの入りや膝の使い方が良くて、4Sとかでも上手く衝撃逃せてるなって思うよ。それに、いのりちゃんはもともと練習でもジャンプ本数制限きちんとかけてるし」
光は、いのりが自分の脚も不安がってると思ってそう付け足したが、いのりの心配ポイントはそこではなかったようだ。
「そ、そう? ええと、私のコトじゃなくて……実は……」
「?」
いのりはもじもじと、何か言うのを躊躇している様子だったが、ついに告白した。
「実は……今年、スターフォックスに来たばかりの時に、光ちゃんと司先生が話しているの盗み聞きしちゃって……」
「!!」
光は思い出した。司先生と売り言葉に買い言葉で、いのりに対してまで酷いコトを言っていたところを、タブレットで盗み聞かれてしまった時の事だ。
その直後に亜子から聞いて、いのりが盗み聞き、泣いていた事を知った。
光は慌てて謝ろうとした。
「ええと、あの時はごめんね。ちょっとまだ司先生に慣れてなくて機嫌が悪くて……」
いのりはキョトンとした顔になった。
「何が?」
「え? いや、ちょっと口が悪くなってたから、いのりちゃんの機嫌損ねる事言ってたかもって……」
「そうなの?」
あれ? 盗み聞きした後、ショックを受けて泣いていたと聞いたから、てっきり自分の心無い言葉を聞かれたのかと思っていたが、それは勘違いだったようだ。
なら、なぜ泣いていたのだろう?
いのりが泣いていたのは別の理由だった。
「あの……司先生とルッツのフォーム修正について話してて、腰のひねり方が悪くて良くないルッツだったから、直さなくちゃダメだって言ってたの聞いて……2Lzからやり直しだって……」
「うん。司先生から見取り稽古して2Lzから直したね。その時に腰のひねり方が悪い話もしてたね」
「……去年の全ジュニで4Lz跳んでから、光ちゃん4回転全部封印してるって聞いてた。みんなも『去年の全ジュニ、暫定1位のダリアちゃんも点数低めだったから、光ちゃんは4Lzどころか、4回転1本も跳ばずに勝てた。なんでライリー先生はあんな構成にしたんだろう』って……」
そして、泣きそうに顔を歪めて尋ねた。
「光ちゃんが身体痛めてまで4Lz跳んだのは、私のため? それで4回転封印になっちゃったの?」
本誌連載でも司に負い目を感じでいるいのりが、全ジュニ後4回転封印の光に負い目を感じないはずはないと、こういう話にしました。
100話以上前のやりとりで、実はいのりが泣いていた理由なんて知らないと言われるかも知れませんが(汗)
なぜ、今になって聞いてきた等は次回に