―――各選手、ホテルでの作戦会議
司といのりは、亜子の躍進を「レオニードが手を加えた、クラシックバレエ寄り、東欧風寄りの表現調整の評価が高かったのでは?」と分析した。
「サルコウに入るスリーターンとか典型的ですよね。ミーアさんとかは跳びやすいように最短距離で氷を切って、ターンの勢いをジャンプに最大限利用してる。ターンを挟む頃にはもう跳ぶための軸が完成していますね。
対して、亜子ちゃんやベリンダさんは、ターンの前にちょっと間を置いてて、ターンの軌道も曲線の弧の形。肩と視線が遅れて音楽をなぞるような……跳ぶ準備ではなく、旋律の続きを身体で表現するような入り方ですね」
「そうだね。ミーア選手の方が効率的で無駄のない動きなのに対し、亜子さんやベリンダ選手は舞踊的。本来そこまで評価に差が出るものではないけど、今大会のジャッジには後者の評価が高い、という可能性が高いね」
ここでいのりは思案する。わかったからといってマネできるものではない。司はそれを見守る。自分で考え、選択する力はこうした重みのある実践でしか得られない。
「……ステップとコレオの……こことここと……あと、ジャンプの後のここだけ、少し意識して肩で舞踊的な表情を足すようにしたいと思います」
「いいね。それぐらいの調整ならあまり負担にならず、明日にでもできると思う。じゃあ、どんな感じか、一緒に詰めてみようか」
「はい。これはベリンダさんの演技を見ていて気付いたんですが……」
いのりと司はしっかりと明日に向けて分析を詰めていた。
一方、胡荒親子は明日の演技を軽くおさらいしただけだった。
「うん。大丈夫。亜子はちゃんとまとめられていると思うわ」
「うん。ありがとう。もう、明日滑るだけね……ねえ、今日予想よりあんなに点数高かったの何でと思う?」
胡荒コーチは娘の質問に首を振る。
「正直、いつもよりパフォーマンスも観客の反応も良かったけれど、それが何故か、なんでPCSにもあんなに効いたのかまではわからないわね。レオニードさんのおかげかな、と思うけど」
「そう……でも、レオニードさんには本当にお世話になったから、そのためにも……」
ここで亜子は、自分に言い聞かせるように気迫を込めた。
「いのりちゃんにも、勝たなきゃね」
―――女子フリースケーティング
女子FS。一番手のロビンは奮起してショートでのミスの取り返しを図るも、ステップアウト等小ミスが目立ち浮上できなかった。
「……まだ……足りない……か」
ロビンが沈んだのを見た夕凪は3Aに挑戦し、軽く手をついたものの転倒は堪えてロビンの点を越した。
「よし! やりました! 慎一郎先生!」
「見事です。夕凪くん。次につながるいい滑走でしたよ」
元より負傷明けということで無理をしない予定だったので、十分な成果と言える。
「さすがに……病み上がりの選手にまで負けてられないわよね」
ミーアも3Aを跳び、チェック遅れの小ミスに抑えた。八木夕凪を抑えて暫定1位につける。
しかし……
「問題は、これであの子に勝てるか、よね」
トルコ戦ではいのりに勝てた。しかし、それはいのりが4回転を1本に抑えていたからだ。4回転2本を積んで、PCSも伸ばしてきている今大会のいのりにこれで追いつくのは苦しそうだ。
そればかりか、3Aをコンビネーション入れて2本跳んでくる亜子にも追いつけないだろう。成長著しい後輩たちにジュニアラストイヤーの彼女は苦しいため息を吐くばかりであった。
もう一人のジュニアラストイヤー、ベリンダも苦々しい表情だ。去年のファイナルより格段にレベルが上がっている。これでも日本は上位2人、シリーズで1位2回を決めてファイナル進出の狼嵜光と鹿本すずが負傷辞退している。しかし、代わりに補欠出場したのが奇しくもやはり日本人2人、3A持ちの胡荒亜子に八木夕凪である。まだ、高難度ジャンプに手を出せるほどではないベリンダには頭が痛い。
「全く、ホランさん、いるかさんがシニアに上がっても楽させてくれないわよね」
ベリンダは磨いた七拍子の『ヘプタグラム・ダンス』で勝負をかける。ただ変拍子に適応するだけの小細工ではない。細かな独特の拍子取りが彼女の音楽センスを最大限に芸術性に変換し、滑走に乗せていく。復調しつつあるとはいえ、ジャンプが弱く高難度ジャンプもない彼女の唯一無二の武器だ。
いのりもよくベリンダを観察してはいたが、そんな彼女の技をすぐに全部盗めるわけではない。しかし一部分、重要な要素を解析しつつあった。それは肩の動きだ。
「肩の上下動で重力や躍動感を出せるけど、肩の開きや左右の動きはこんなに、遠くからでもわかるほど旋律の流れるような動きに効くんだ……先に動かして、続く腕や手の動きをより綺麗なゆっくりする動きに見せる事もできるし、後に動かして音楽から身体への動きの流れを作る事もできる……よし……」
ベリンダが意地を見せた。このジャンプで不利なこのフリーでも美しい滑りでミーアの追撃を振り切り、暫定1位で演技を終える。
「私は私の演技を見せたわよ。さあ、いのりちゃんに亜子ちゃん。来てみなさい」
そして、いよいよいのりの滑走。
ベリンダから見習った肩の動きの使い方を早速いくつかのポイントで実践してみる。この肩の使い方は、そこだけ見てもわからないような微妙な違いなのに、うまくやると誰でも感じるほどの表現の色の違いが出てくる。早速観客もわかるほどの反応が生まれた。
「おや? ショートより大人っぽい動き……なんか微調整してきたね」
「いのりちゃんも身体大きくなってきたし、胴体部分の動きに細やかさが加わると各振り付けも映えるね」
リンクサイドの司も作戦成功にグッと拳を握る。
車椅子の上のベリンダのコーチは顎をなでつつ「うちのベリンダの技、真似られてしまいましたか」と苦笑するばかりだ。
ベリンダも「イイと思った事はすぐやってみる貪欲さ、欲張りだねぇ……」と呆れる。
そして、続く4回転2本。4S+2Sに単独4S。
……シュタッ、シュタッ
「!!!!!おおっ!」
……シュタッ
「!!!おおっ!」
たちまち会場が割れんばかりに盛り上がる。
ミーアやベリンダもガックリと肩を落とす。
「あちゃー。成功されたか」
「あの子くらいPCS取れる子に4回転成功されるとね……しかも、2回はオーバーキルよ」
「よし……このまま行けば、1位を確実にできる……」
司も熱い期待が込み上げてくるのを感じた。
が、その通りにはならなかった。
「……あれ?」
ステップが1拍乱れた。
「……あれ?」
また乱れた。音が取れていない。
どうした? エッジチェンジが1拍早い。ターンの「置き所」が音楽から微妙にズレてしまっている。これではレベル要素は取れてもGOEが……
「……!」
またズレた。いのりは表情を崩さず滑っているが、観客も気づき始めた。もちろん、審査員が気づかないはずがない。
「何故だ? 何が起きた?」
司が焦り、頭をひねる。
音楽に深く解釈して表情をつけようとし過ぎた? 振り付け自体はあまりいじってないが、何か気づかないところで今まで拍を取るのに必要だった要素を削っていた?
「うーん。何であんな正確な選手にこういう凡ミスが出たか……あ!? まさか?」
最初に気づいたのはベリンダのコーチだった。
「まさか……これは……くくく……」
彼は車椅子の上で身体を折って伏せ、笑いを堪える。
それを見たベリンダも理由に気づいて、同じく笑わないように耐える。
「あ……あの子ってば……くくく……」
いのりの演技が終わる頃には、司も理由に気付いた。
「いのりさん……」
いのりは拍手を受けつつも、恥ずかしさにキスクラでも顔を赤くしていた。
「あの……わかってますから」
「でも」
「本当、わかってます!」
ミミズ人間ぬいぐるみを盾に司の追及を逃れようとするいのり。
しかし、司はツッコまざるを得なかった。
「いのりさん……もしかして、ベリンダ選手の7拍子につられちゃった?」
直前までベリンダの演技を食い入るように見ていたいのりだったが、どうやら無意識に7拍子リズムにひきずられてしまって、ところどころハマってしまったらしい。
演技直前まで他の選手もよく観察するスタイルのいのりだが、今回ばかりはそれが裏目に出た。
「……」
失笑ものの珍ミスに真っ赤な顔をミミズ人間で隠すいのり。かろうじてベリンダから逃げ切って暫定1位だった。
一方、そんないのりの滑走を、亜子は全く見てなかった。
同じクラブなのでお互いの実力は隅々までわかってるし、点数予想もほぼ誤差無くできる。いのりが普段通りの滑走でノーミスなら勝ち目のない点数になってしまうこともわかっていた。それを見る事を恐れて、自分の演技の前には自分の演技に集中するようにしていた。
胡荒コーチも最低限の声掛けだけで送り出す。
「練習してきたとおりよ。あとは運に任せて」
「うん。行ってくる」
光吸収素材の衣装が視線を惑わせ、細かな振り付けの間に微かな間を生み出す。まるで、弔問者の嗚咽のような、悲しみを湛えた雰囲気が滑走にまとわりついていた。
衣装や髪まで徹底的に黒にこだわる。原曲を大胆に再解釈して絞り出した鬱々としたメロディ。
そういった工夫は演技自体の表現力を支えていたが、同時に演技全体を暗く重い物にしていた。
しかし、それもレオニードの計算どおりだった。
暗く重い悲しみに沈む弔問者。彼の前に広がるのは友の描いた最後の絵画『キーウの大門』。それにより悲しみより立ち上がり救われる再生のストーリー。
それを亜子は、今度こそ完璧に実現してみせた。
……シュタッ、シュタッ
最終ジャンプの3A+3Tのコンビネーション成功に、解説者も興奮して叫んだ。
「日本のコアラ・アコ! このクラクフで『キーウの大門』を開いてみせました!」
暗雲を払うような、荘厳なメロディと共に繰り広げられたこの大技は観客の心を鷲掴みにした。そして、彼女に今大会の金メダルをもたらした。