「よし。時間だ。また5分休憩」
「はい……」
光の2Lzは中々改善しなかった。段々と光も元気がなくなってくる。
司は考えていたが、ふと思いつくと、ちょうど目についた胡荒亜子に声をかけた。
「胡荒選手ー。」
「はい? 何ですか?」
「ちょっと光選手のフォーム改善のために、胡荒選手の2Lz参考にしたいんだけど、5分だけ時間もらえるかな?」
「いいですよー」
光が少し気後れして言った。
「司先生。何でですか? 私、司先生のジャンプの方が」
「いや。この方が効果が高いと思うんだ。やってみて」
「はい」
亜子と光が交互に跳ぶ。司が想像したとおり、光のクセの発生率は半減した。
司の分析では、光は間近で実演した技を見て、そのまま再現できるほど異常に肉体制御能力に長けている。同じ事を繰り返して習得する能力も高いはずだ。ただ、無意識にやっている為、クセだけ出ないようにしたり、一度身についたクセをなくすことは普通の選手より苦手なようだ。
見た技の動きからそのまま肉体制御するなら、体格の似た亜子がやった方がやりやすい分、身についた悪いクセも修正しやすいはず。
司の見立ては正しかった。あとは、今日一日では無理だろうが、これをクセが上書きできるまで続ければ良い。
時間になると、光は亜子と司に深々と頭を下げた。
「亜子ちゃん、司先生、指導ありがとうございました。亜子ちゃん、練習時間割いてくれてありがとう」
「お安い御用ですよ。
あ、司先生。いのりちゃん、今日曲かけでかけたかった音源、見つからなくて更衣室に探しに行きました。ひょっとしたら家に取りに帰るかもしれないです。曲かけ最後にまわしてあげてください」
「いいよ」
「あと、光ちゃん。ちょっと話したいことあるから、曲かけの前にスタッフブースCに来てね。
司先生。私と光ちゃんの曲かけも後回しにしてください」
「了解。今日は本当に協力ありがとうね」
亜子が去ると、光はしおらしく司に謝罪した。
「……あの、司先生……途中批判じみたこと言ってしまいすいません……」
司はもう忘れかけていたが、イマジナリー五里先生から『お前も売り言葉買い言葉してたろうが!』とお叱りを受け、慌てて苦笑いと共に謝る。
「いいのいいの。ゴメンね。こっちも、光さんがいのりさんのこと、来て嬉しく思ってくれてることはわかっているよ。早く来て欲しかったんだね」
「……司先生の事も、来てくれて本当に助かると思ってます。……あの……これからも」
「いつでもちゃんと指導するよ! よろしく!」
司は爽やかにそう言うと、タブレットを操作して何かを確認しつつ、早足で去って行った。
司が去った後、光はひとりごとを言った。
「これが一番いいのはわかるけど。やっぱりイヤです……ライリー先生……」
―――マネージャールーム
司はライリーのいるマネージャールームにノックもせずいきなりバタンと戸を開け入り、うわずった声で言った。
「ライリー先生! 狼嵜光選手について緊急で重大な確認事項があるのですが!」
ライリーはこの闖入に虚を突かれ跳び上がったが、司の顔を見ると、ニンマリ笑いつつ答えた。
「ノックもせずに上司の部屋に入ってくるのは感心しませんね。曲かけの後、昼前に美蜂さんも呼んで臨時ミーティングといきましょう」
―――スタッフブースC
「来たわね。そこに座って」
使用中の札の掛けられたブースに光が入ると、亜子が待っていた。光が促されるまま向かいに座る。
「亜子ちゃん。何の用?」
亜子はしばし思案顔だったが、やがて口を開いた。
「色々あるけど、まずこれかな。
『リンクの上では泣いたり怒ったりしない。紳士淑女であれ』『リンクの上に秘密なし。秘密は必ずスタッフブースで』『ライリー先生の前では恋バナ禁止』
これ覚えてる?」
亜子がスタッフルームのドアの内側に貼られた注意書き――最後の一行は生徒の落書きだが――を指して言った。「えっと、リンクにはカメラやマイク多いし、撮られたら胡荒コーチとか口軽いからすぐ全国に流れちゃうし、ライリー先生はちょっと聞かされただけで理不尽にブチ切れるから、だったかな?」
「わかってるなら、『次回から』気をつけて。で、次の話だけど……」
次回から?
光は少し引っかかったが、亜子の喋るに任せる。
亜子はテーブルの上のタブレットを光に向けた。タブレットの脇の机上に水濡れがあるのが光は気になったが、まずは亜子の説明を聞く。
「誰か、光ちゃんのジャンプ練習中の最初の5分休憩の指導の音声を消しちゃった子がいるみたいなの。私や光ちゃんじゃないなら誰かな?」
「……? ……!!」
まさか? いのりちゃん!?
光は顔面蒼白になる。司先生を遠ざけようと、わざと攻撃的な事も言ってたし、暖かい家族に囲まれたいのりへの嫉妬から、酷い事も言った。何より、自分の胸の内を隠したかった。
「……!! あの。亜子ちゃん。そこの机濡れてる席って」
「いのりちゃんがさっき座ってた」
「!!」
ちょうどその時、ブースの外でいのりの声がした。
「ライリーせんせー!」
がたっ
光は反射的に立ち上がり、ブースから飛び出そうとしたが、亜子の小さくも鋭い声がそれを制止した。
「『座れよ』」
「!!」
今まで聞いたことのない、濃密な殺気すら感じる亜子のデスボイスに光は気圧され、椅子にへたり込む。
「『行ってなんて言う気だ』」
「……」
光はすくみあがった。亜子の言うとおり、何て弁解していいかわからない。「盗み聞きなんて気にしてないよ! あれは冗談だよ!」とでも言う気か? 私は愚かだ
ブースの外では、いのりの元気な声が響いていた。
「ライリー先生! 探してた音源なかったんで、前と同じ曲で行きます!」
「お! いのりん。今日は笑顔満点だね」
「はい! おかげさまでスターフォックスにもすっかり慣れてきました!」
すりガラスでも隠しきれない、いのりの元気な姿がそこにはあった。
何で、いのりちゃん
何で、いのりちゃんそんな笑顔ができるの?
……
……そうだね。いのりちゃんはどんなにボロボロでも、笑顔をつくれるんだったよね。
今日はマオリンクで娘たちと滑ってきて楽しかった。
取材? なんの事?