罪の意識で沈む光に、亜子は声色を戻して慰める。
「あ、2人が仲直りする為なら、亜子はいくらでも悪者になるよ。別に、告げ口屋でもなんでもやるし。あと、こんなクソ女で良ければ、相談も聞くよ。それで楽になれるなら」
光はしばらくうつむいたままだったが、やがて口を開いた。
「私、いのりちゃんに、本当に酷い事言っちゃって……」
光は自分の失言を亜子に説明した。
「……それだけ?」
「……うん」
亜子は光の話を聞くと、拍子抜けしたような顔を一瞬見せた後、しばらく悩み顔をしたが、少しずつ自分の見解を交えて語り始めた。
「あのね。これが、亜子とお母さんなら、同じ事言われても、これ辛うじて陰口のつもり? くらいで全然気にもならない。もしも仮に対面で同じことキツく言われたとかでも」
亜子は抑え目のデスボイス交じりの声をつくって続ける。
「『ああ? こっちはジュニア初年度でJGP出てるんですが、何か? 代表選手が畑か何処かに生えてるとでも? ところで、私と戦うのなんて次シーズン以降の話なのに、シーズン最中忙しい中お引越しとはずいぶんお焦りのようで。ひょっとして、夜鷹純目指してる? これからもコーチ変えまくる事で。お金の事気にせず自分磨きできる環境、自慢できて良かったね。全ジュニのPCSのいい肥やしになってると思うよ』くらいでやんわり返すけど……」
ここで「やんわりとは?」と頭に疑問符を浮かべたまま固まったままの光に、亜子は苦々しく顔を背けて言った。
「いのりちゃんは、1番を取れなかった事、勝てなかった自分を本当になかなか許せない子で、司コーチが自分に失望していないか、努力が足りなかったんじゃないかなんてすごく気にしちゃう子で、そんな子が、盗み聞きなんて自分を責めるしか無い最悪な状況、最悪なタイミングで聞いちゃって……あと……」
亜子は、こんなに罪悪感に苦しんでる彼女に伝えたくない、でも教えておかなければならない事を絞り出した。
「いのりちゃんのお父さんね、名古屋の街中の先祖代々伝わる家、いのりちゃんの為に売っちゃったの。いのりちゃん、どういう事かわかってないわけないよね」
「!!」
スケート靴で殴られた気がした。
光はとうとう椅子に座っている事もできなくなり、床に崩れ落ちた。「スケートの為に何もかも犠牲にする」という事がどれほど残酷な事か、光は夜鷹純と一緒に居ながら全くわかってないも同然だった。
亜子は、光に歩み寄り助け起こして椅子に戻した。
「あのね。いのりちゃんだって、きっとわかってるよ。たまたま、言葉のカドあるとこが自分に当たっただけだって。わかってても泣かずにはいられなかっただけだから……普通に、笑って接してあげて。彼女がこれ以上、意味のない自責や罪悪感で苦しむ事が無いように。そして、何よりあなた自身も」
「……いのりちゃんは、何て言ってたの?」
光は、かすれ声でそう聞いた。
「……全日本ジュニアのショート落ちの帰りに、何があったかだけ聞いた」
亜子は、いのりへの嫉妬心を、万力のような自制心で締め上げ、抑えつけて答えた。
「あなたの技は、あなたのものだから。何に使うなとか、私に言う資格ない」
「……」
亜子は、立ち上がって光に背を向けつつ言葉を添えた。
「あと、私からはもうひとつだけ、お願いね。
今日の2Lzとか、光ちゃんの方が苦しい事わかってるよ。亜子で協力できる事なら3Lzでも何でもやるよ。
でもね、私やいのりちゃんに『勝った事を許されよう』なんて、絶対思わないで。
私もいのりちゃんも、色々なものを火に焚べてあなたに追いついていこうとしている。それを否定することだけは、『そんなことしなくていい』とか、『そこまでさせてごめん』なんて言う事だけは、許されないから」
そう言うと、亜子はブースから出て行った。
机の上に、涙のシミが、また一つ増えた。
―――選手用リンク
光がリンクに戻ると、曲かけを終えたいのりが、他の生徒と談笑していた。
光にはよくわかった。泣きたい気持ちを塗り潰してるから、あんな笑顔なんだ。
その笑顔が、そのまま私に向けられた。
前はいのりちゃんと会うと熱いものが込み上げてきて嬉しかった。話ができるとゾクゾクした。
リンクの上の私を一人にしてくれない、彼女の熱意と狂気が頼もしくて、もっと夜鷹純のように全てを投げ打って私について来てくれる事を求めた。
今は、彼女に色々なものを捨て去る事を強要させたことが、氷毒の塊を呑み込んだかのように、私の心の底を痺れ凍てつかせる。
でも、彼女に、許してください、そこまでさせてごめんねなんて言う事だけは、
もう絶対許されないんだ
笑わなきゃ
いのりちゃんの笑顔を真似るなんて、エイヴァさんの笑い方を真似る時よりずっと簡単なのに。今までやってきたどんな演技よりも苦しく辛い。
光が必死に真似取って作った笑顔は、今まで光が見せたどんな笑顔より輝いて見えた。
「あの2人、仲いいね」「楽しそうだね」と、
何も知らない傍から見れば、初めて出会った時のように笑顔を交わす2人の少女が見える。
でも、もう初めて出会ったあの頃の2人には戻れない。