「光ちゃん。あけおめー。……ちょっといい?」
冬休みが終わってスターフォックスに帰ってきた光に、駒取莉子が話しかけてきた。
中1でジュニア1年目、スケートの腕は東日本ブロック出場止まりだが、スターフォックスで唯一の彼氏持ちの彼女は皆から尊敬をこめて『アダルティ莉子』と呼ばれる。
ゴシップ好きで、よく迂闊に恋バナをしてはライリーに理不尽に怒鳴られている彼女のことだ。今度は年末に明らかになった自分の家族事情のことで根掘り葉掘り聞かれるものかと思ったが、彼女が持ちかけてきた話題は全然別のことだった。
「ねぇねぇ……司先生。なんか雰囲気違わない? 恋人とかできたと思うんだけど、どう思う?」
「……なんで、そんな話を私に?」
冷めた視線で聞き返す光に莉子は答えた。
「だって光ちゃんって、他人の人間関係とかすぐ見抜けるでしょ? 司先生の雰囲気とかで見抜けるかなって」
「……」
たしかに、光はそういう雰囲気を読むのに聡い。
光の本性は狼だ。狼は群れを尊び、群れで行動する。
だからこそ男女関係の扱いには慎重になる。それは時には群れの崩壊や離脱者の発生につながるからだ。したがって、その手の話題に積極的に触れたくはない。まして、司は担当コーチとして夜鷹純並に尊敬している人物であり……
ともあれ、自分の家族のことをネタにされるより百倍マシと考えた光はピリピリとした表情になりつつ、莉子に聞く。
「で、アダルティ莉子ちゃんは、誰が司先生の恋人と思うわけ?」
「アダルティはやめて。流石に相手まではわからないわよ。知らない人かもしれないし。でも、身だしなみに去年よりワンランク気をつけるようになったように見えるから……」
「ふうん」
光は平静を装いつつ、全力で気にしないようにすることにした。
———
陸トレを終えた光はリンクの司のところに行った。
「やあ。光さん。家族のところでリフレッシュできた?」
「……ええ、おかげさまで。弟とスケートを楽しむ事もできました」
心なしかいつもより朗らかな表情で清潔感のある身だしなみの司だが、これだけでは彼女ができたかなんてわからない。
いや、気にしないようにしよう。どうでもよく……はないが、知りたくはない。
光は話を夜鷹純の話に切り替えた。
「純おじさんも、新しいリンクで新しい仕事始まったようで、お母さんも安心してます」
「それは良かったね。『ジュンリンク』もすごいニュースになってたね」
「そうですね。私もシンクロ9早くやりたくなっちゃいました。まだジャンプ復帰できないし、シンクロの勉強でもしようかな」
「そう。じゃあ、仮想フォーメーション走行でもやってみる? 自分の技術を見直す良い機会だよ」
「はい。よろしくお願いします」
仮想フォーメーション走行といっても、司と一緒に音楽に合わせて決まった位置を滑るだけだ。しかし、やってみると、意外と地味だが難しかった。
「これは……意外とコントロール難しいですね」
「そうだね。16人制に混じってやってみた時は気づかなかったかも知れないけど、9人制は必要なスピードや使う空間の広さが段違いだね。
すると、シングル選手の癖である『空いている場所を演技を最大化する為自由に使ってしまう』ところが出てしまいがちだ。まあ、すぐ慣れるよ」
その様子を蕨が確認する。
「お、光ちゃん。なかなかできているね。もともとのエッジコントロールはしっかりしているから、あとは慣れだね」
「そうですね。シングルではスペースの使用にここまで細かいコントロールを求める事が少ないですから。自分の技量を見つめ直すいい機会に感じます」
蕨はその答えに満足すると、司に交代を促した。
「司先生。そろそろいのりちゃん来るし、光ちゃんの指導は引き継ぎますが練習記録簿だけお願いしますね。ジャンプ解禁も近いとは言え、スケーティングも脚の負担ですから」
「了解。じゃ、いのりさんの方に行くから光さん、またね」
「はい」
いのりの方は世界ジュニアに向け気合い十分だ、
……シュタッ
「よし! 今日も4S、コンビネーション含め全降り! 優勝間違いなしだね!」
「はい! 今年も絶好調です!」
今シーズンのいのりはルッツの見直しを行ったものの、新技のようなものは編み出していない。しかし、焦らず表現力を地道に鍛えるとともに、既存の技を継続性重視で磨くことで安定した強さを見せている。
ジャンプの負荷などによる不調もなく、シーズン大一番となる世界ジュニアを迎えようとしている。
司とよくコミュニケーションをとって辛抱強く綿密な歩みを進めて結果を積み上げるいのりを見て、鉱森神楽と百瀬繭香が羨ましそうな顔で呟く。
「いのりちゃん順調だね……すっかり追い抜かれちゃったね」
「ちゃんと練習制限も守ってあれだからなぁ……見習わないとね」
この2人組はノービス時代は胡荒亜子と東京ブロック表彰台独占を成し遂げたが、光といのりが加入、平新谷萌栄が4Sを習得し躍進してからは、スターフォックス内でも影を潜めている。
光はそんな2人に声をかけた。
「かぐちゃん、マユちゃん。あけおめー。ことよろー」
「今年もよろしくね」
「ことよろー」
繭香が心配そうに聞いてきた。
「なんだか、ジュンリンクのニュースもすごいけど。光ちゃんの方もネットニュースになっちゃってるよね」
「らしいよね。弟のはやぶさがクラブのみんなに喋っちゃってたし。でも、かわいい弟だし、スケートもうまいし許す」
神楽と繭香は弟の話題に食いついてきた。
「え!? 弟がいるの? 見せて見せて!」
「え、弟がいたの? スケートも上手いの? いくつ?」
光はスマホで、弟と滑っている動画を見せた。
「この私と滑ってる子。まだ小2で来年ノービスかな」
2人組はその映像の中の光の弟、魚瀬はやぶさの滑走姿を鑑賞した。最初はにこやかな表情をしていたが、だんだんと驚きの表情に変わっていった。
極め付けは、はやぶさが光をリフトしてみせた所だった。はやぶさが膝を深く曲げ、光がその腰に横向きに乗る、いわゆるヒップシート型のリフトであるが、しっかりと体格が上の光の体重を受け止めて数メートル保持して滑走してみせた。
「……上手いし、小2にしてはパワーありすぎない?」
「上体も折れてないし、エッジも逃げてない。光ちゃんの協力があるとはいえ、完璧」
弟を褒められて光は鼻高々だ。
「なんでも、ねねよしペアに憧れてペア志望なんだってさ。私より大きい子でもリフト練習したことあるみたいだよ」
「やっぱり光ちゃんの弟ね。天才だわ」
「光ちゃんとはやぶさ君、夜鷹純の姪と甥にあたるのよね。やっぱり遺伝子レベルで才能あるのかも」
「ふふふ。そうかもね」
そんな感じで、光の身上については皆に知られるところとなったものの、特に問題なく受け入れられた。
スケート界隈ではちょっと話題になりはしたものの、夜鷹純と「ジュンリンク」の話題の陰となり、直接光の親族や血縁関係の方に興味の目が向けられる事はあまりなかった。
莉子だけ騒いでいる司の彼女疑惑も、もとよりライリーのせいで恋バナしにくいスターフォックスではそれほど話題として広がっていないようだった。
なにより、クラブの中心選手3人が世界ジュニアに出るというスターフォックスでは、それどころではない。
———
しかし、数日後朝練の時だった。
駐輪場で光は妙な事に気づいた。
「あれ? 司先生。今日は自転車じゃないんだ」
そのまま駐輪場を出ると、正面入口から入ってくる司を見かけた。
「司先生、おはようございます。今日は歩きなんですね」
「おはよう。光さん。今日は天気が良いからね。早く起きちゃった」
「……? ……!!」
光は少し鼻をひくつかせると、途端に青い顔になった。心配した司が聞く。
「どうしたの?」
「いえ……何も……」
光は小走りにその場を離れた。
「今の……?」
自動販売機前で一息ついて、思考を整理しようとする。
そこにライリーが通りがかった。
「おはよう。ぴかるん。自販機いい?」
「あ、どうぞ」
ピッ、ゴトン
ライリーがアイスココアを買うと、ちょうど売り切れになった。
「お、ちょうど売り切れ。……って、ぴかるん、これ飲みたかった?」
「……」
見ると、光が幽鬼のような目で恨めしそうにライリーを睨んでいた。
「いえ。ココアは糖分多いし太りますから。
失礼します」
その場をそそくさと去る光。
光は更衣室の隅で一人悩んだ。
「なんで……私、気づいちゃうのよ……。
司先生と……ライリー先生だ。どうして……」
二人の振る舞いから関係をたどることは困難だった。おそらく、世界ジュニアに出る選手たちに影響しないように、まだ関係を隠しているのだろう。念入りに。
しかし……。
確信に至る決め手となったのは、2人のかすかな『匂い』だった。朝練出のタイミング、よく注意して嗅げば……。
言われなければ嗅いでも気づかなかっただろう。光は莉子を恨んだ。
「黙っておこう……」
光の本性は狼だ。狼は群れの論理を優先する。感情に任せて司とライリーの関係を公にして、クラブの空気を乱すなどもってのほかだった。
———別日、市外のホテル
朝食後、ホテルの部屋に戻ったライリーと司は少し困った顔で話をしていた。
「光ちゃんは私たちのことに気づいているかもしれないですって?」
「そうなんです。何となく勘づかれているようです……」
「ふむ……」
ライリーは少し思案顔になったが、すぐに開き直って表情を戻した。
「まあ、あり得ますよね。あの子、そういうところに勘が鋭いから。まあ賢い子だから、喋ったりしないでしょ」
「だといいんですが……」
「皆に打ち明けるのは、予定どおり世界ジュニア後にしましょう。しっかり皆の目に見える形で」
そう言ってライリーは自分の左手の薬指をなでた。
「ふふっ。楽しみです」
「ジュエリーの外商さんが部屋に来るのは10時半ですから、まだ時間はありますよね」
そう言ってライリーは身体を寄せ、司のシャツのボタンに手をかけた。
司は抵抗はしなかったが、心配そうに聞く。
「あの、でも。もし、その……体型が変わってしまうような事態が生じるおそれが……」
心配する司に、ライリーはイタズラっぽく答えた。
「大丈夫ですよ。IUSはISUより信頼性高いですから」
今日のオチ、自分でもあんまりだと思います。