———2月中旬。スターフォックスリンク
リンク練習を終えたいのりに、ライリーが話しかけた。
「いのりん、ちょっといい?」
「はい、何ですか?」
「司先生からは『本人の希望に合わせて』とは聞いているけど、エキジビジョン練習多くない?」
いのりは少し困惑顔で答えた。
「……スタッフブースで話してもいいですか?」
スタッフブースでライリーと2人きりになると、いのりは恥ずかしそうに言った。
「世界ジュニア前で、曲かけ練習時間をたくさんもらっているのに、エキジビジョン練習ばかりしているのはみんなにも悪いと思ってますけど……」
「いやいや、それは構わないわよ。でも、どうしてエキジビジョンにそこまでこだわっているのかなって」
今シーズンのいのりの手品仕立てのエキジビジョンは、正直なところジュニアとしてはもちろん、シニアと比べても『かなり凝っている』レベルにある。
「色々理由あります。司先生にはナイショのところから言いますね。まず、今シーズンのエキジビジョンの演目を選んだ理由は、司先生に目立って欲しいからなんです」
「ああ、なるほどね」
ライリーは合点がいった。手品仕立てのいのりのエキジビジョンをうまく仕上げるため、司は結構目立つための努力を強いられている。いのりがタネを取り出す際に、司は自分の方に注目を集められるように、花を拾い上げる動作やいのりを追いかけたり問い詰めたりする動作で、パントマイムのような無言劇やコミカルなまでに大げさな全身の振り付け等、見映えのするショースケーター的テクニックで工夫しなければならない。昔のプログラムのショー的アレンジと見せかけて、実はそういう裏の意図が隠されていた。
ライリーは質問を続けた。
「それは、ジュナさんも共犯者なのかな?」
「はい。司先生がショースケーターに挑戦したいと考えている事は移籍時にも相談しましたよね? 司先生も私のコーチと兼業でやりたいと考えてくれているんですけど、常設のショーじゃなくてイベント的に行われるショーに呼ばれる方って、現役時にすごく活躍したか、ジュナさんや名港の雉田輝也コーチのように顔の良い方だけじゃないですか。
それでジュナさんに相談したら、『去年のJGPFみたく、大きな大会でいのりちゃんのエキジビジョンに出て目立てば良いんじゃない?』って言ってくれて、それで……」
いのりはそこまで言って、慌てて思い返したように言い直した。
「でもでも! エキジ練習増やしてる理由はそれだけじゃありませんから! ほら、本番のフリーの構成とかは高難度ジャンプも多くて、結局ジャンプ練習本数制限で跳べないか、ジャンプ練習分の本数を曲かけ練習に回さなきゃならないじゃないですか。それでは本末転倒です。
だけど、エキジ練習では司先生のアイスダンス仕込みの奥深いスケーティングも間近で見られて、合わせて練習できますから。すごくすごく勉強になります」
「そうよね。司先生もいのりんがエキジ練習の時の自分のスケーティングをよく見てるってわかってるから、いのりんいない時でもよく練習しているよ」
「そうなんですか。良かった。
私も、司先生のスケーティングが大好きで、自分もスケーティングが上手い選手って言われたいと思うんです。……もちろん、大会で点数を上げるにはジャンプのGOEを上げたりする方が効率良くって、光ちゃんやすずちゃんに勝つには、ゆくゆくは3Aが絶対必要になるとはわかってるんですが……」
「いや、うん。わかった。光ちゃんやすずちゃんは世界ジュニア出ないものね。それに、台乗りまでできれば司先生をエキジビジョンに出せる」
「今年はシーズン途中から何となく表現力が伸びてきて良かったです。3A跳ばない分4Sも磨いてきたしこれなら世界ジュニアでも勝てると思ってます。余裕があるとまでは言いませんが、あとはスケーティングの方を磨いて詰めたいと思ってます。最初から3Aを選ぶのに比べて遠回りな選択だとはわかってます」
「うん。司先生も『本人はスケーティングの詰めのためにエキジ練習増やしているようです』って言ってたし。
念の為に聞くけど、ジャンプ時に足の負担感じてたりしないわよね?」
「はい。もちろんです。でも……」
「でも?」
「司先生にも言いましたが、光ちゃんとかすずちゃんとかがああなったのを見てしまうと、練習のジャンプ本数増やすのが正直怖くって。成長痛はもう全然なくなったんですが、美蜂さんとも相談したとおり、ジャンプ本数増やすのは、身長の伸びの収まりを見た上で体重の増加を見極めてからにしたいと思います」
「……良い判断ね。昨シーズンからの身長の伸びも急だったしね。今シーズンはそれでいいと思うわよ。むしろ、そのおかげで表現力伸びてきてこれからも期待できるわ。じゃあ、その調子で頑張ってね」
「はい!」
そうして、ライリーとの面談を終えたいのりがスタッフブースを出ると、珍しい来客があった。
亜昼美玖だった。隣に光もいる。
「いのりちゃん! 久しぶり!」
「美玖ちゃん! どうしたの?」
「高校、東京の高校に合格したの! 春から隣町の伯父さん家に引っ越すから、そしたらここに通うの!」
光が横から口を挟む。
「美玖ちゃん。シンクロ9専門でフィギュア復帰するの。シングルとの掛け持ちでない子は今のところ美玖ちゃんだけの予定だから、キャプテン候補だね」
そこで、光はついつい口を滑らせてしまった。
「いのりちゃんも世界ジュニア終わったら、いっしょにシンクロできるよね?」
「え?」
突然の勧誘にキョトンとするいのりの後ろから、ライリーが氷のような冷たい笑みを浮かべて現れた。光はあわてふためいた。
「あれ!? ライリー先生いたんですか?」
ライリーの返事には怒気がこもっていた。
「光ちゃん? いのりちゃんや亜子ちゃんの勧誘は世界ジュニア終わってからって言ってたよね?」
「ご、ごめんなさい!」
光は深く頭を下げると、尻尾を巻いて逃げてしまった。
いのりはそれをひきつり笑顔で見送った。
「あはは……。光ちゃん、まだジャンプ2回転までしか許可出てないから、すっかりシンクロの方に目がいってますね」
ライリーがすまなさそうに言った。
「ごめんね。世界ジュニアに集中しなきゃいけない時期だから、シンクロの勧誘とかしないようにキツく言っておいたんだけど」
「いえいえ! そこは仕方ないと思ってますから……」
そこで、亜昼美玖が不思議そうに聞いてきた。
「あの……光ちゃんって、シングル復帰に結構かかりそうなんですか? 骨髄浮腫だけど、骨折とかする前に早期発見できて、全中は微妙だけど来シーズンには問題ないと聞いていたんですが」
「そうよ。どうして?」
ライリーが聞き返すと、美玖は言った。
「光ちゃん、ジャンプ制限中だからシンクロやってみたいって言ってるだけで、治ったらシングルに戻りますよね?」
ライリーは渋い顔をして答えた。
「ううん。真剣に掛け持ちやろうって言ってるのよ。怪我しちゃう前から早くジュニアチーム作ろうって」
「そうなんですか……。いっしょにチームになれるのは嬉しいけれども複雑な気持ちです。
光ちゃん、シングルに集中しようってならないんでしょうか? シンクロなら掛け持ちしても大丈夫って考えているんでしょうか?」
これにはいのりも心細そうに言った。
「私は逆に、光ちゃんがシンクロの方に集中しようってならないか心配だなぁ……なんだか、光ちゃんの好みに合ってるみたいなの」
「ふむ……」
ライリーはそんな2人を見て、少し考えると言った。
「ぴかるんのシンクロ練習、2人とも見てみましょうか?」
———
サブリンクの方では蕨の指導の下、光と繭香、萌栄、莉子がシンクロ練習で、ステップを入れつつフォーメーション練習をしていた。
「はい、1、2……はい、ストップ。光ちゃん。膨らみすぎだったね」
「す、すいません」
ライリーはその様子を確認して、いのりと美玖に見学を促す。
「はい。じゃあちょっと練習見てみてね。後で感想聞くわ」
「はい」
「はい」
いのりと美玖が見守る中、4人が様々な基本的なフォーメーションを組んでは離れ、ステップを踏む。
「……」
「……」
練習を見守るいのりと美玖の表情が険しくなった。
「どう? ぴかるんのシンクロ技術、どう思う?」
ライリーの問いに、いのりも美玖もしばし悩んだが、やがていのりから口を開いた。
「光ちゃん、シンクロに実は向いてないんじゃないですか?」
ライリーはそう言ういのりに微笑みながら問い返す。
「どうしてそう思う?」
「光ちゃんのスケーティングの良さが出てません。シングルで滑っている時はリンクをめいいっぱい使って表現できていたのに、シンクロになると、後進や鏡動作でシングルにはあまりない細かい動きの制御が要求されて……
意外ですが、あの4人の中では光ちゃんが一番そこのアジャストに苦しんでいるように見えます」
美玖もいのりの意見にうなづく。
「後進時の動きも動作の左右差も、シングルだとそれほど問題にならないじゃないですか。光ちゃんがわざわざ苦手なことやっているように感じます」
ライリーはそんな2人の答えにうんうんとうなづいてから聞き返す。
「そうよね。じゃあいのりんから聞くね。
確かにぴかるん、シングルでの実力をシンクロでは発揮できてないけど、そこを直せたらシングルでの動きもちょっと良くなるんじゃないかな?」
いのりは少し考えつつ答えた。
「……そう、ですね。シングルでは誤魔化しが効くところではありますが、できるようになると技術の引き出し広がりますね」
「うんうん。そうだよね」
ライリーはいのりの答えに満足しつつ、次は美玖に聞いた。
「では、美玖ちゃん。ぴかるんがわざわざ苦手な事している、才能に合ってない種目に手を出しているのじゃないかって言ってましたけど……」
そこで、ライリーは美玖の目を覗きこんだ。
「自分にぴったり合った、自分が今勝てる見込みのあるところでしか勝負しちゃダメ? 美玖ちゃんは勝てそうだからシンクロ選んだの?」
「!! ……はい。正直、今の女子シングルはレベル高すぎて、ブランクのある自分では追いつけないと思いました。でも、シンクロなら自分にも勝ち目はあると考えました……でも……」
そこで、美玖はライリーの目を見つめ返して答えた。
「それが誰にでも正しい選択であるとまでは思いません」
ライリーは2人の答えに満足すると、腕を組み、目を閉じつつ語った。
「2人ともぴかるんの事いろいろ心配に思ってくれていることはわかります……ここで、ある一人の選手の話をしたいと思います」
雰囲気の変わったライリーに、いのりと美玖は途端に神妙な顔になる。ライリーは教会の牧師のようにゆっくりと語り始めた。
「ある選手は要領が良くて、担当コーチが基礎や古典を重視せよと言うのに耳を貸さず、得点を上げ、大会で勝つのに最も手っ取り早く、最も効率的な技術に注力しました。結果、幸運もあり、オリンピック代表として選ばれるチャンスを得ました。
そんな時期です。その選手はジャンプのコーチから、オリンピック金メダルも狙える大技を提案されました。その大技は実は身体の負担が大きく、選手生命を危うくするもだと選手は気付きましたが、オリンピックまでは持つだろうと、その選手はその大技に手を出しました」
いのりも美玖も息を飲んで続きを聞く。ライリーが自分の4Fの事を語っていると気づいたからだ。
「結果、その選手は金メダルを手にしましたが、その選手はそのオリンピックで引退しました」
「……!!」
「……!!」
驚く2人にライリーはしばらく沈黙した。そして今までに語ったことが2人の頭に落ち着くのを待って、再び話を続けた。
「フィギュアスケートは元々選手寿命の短いスポーツです。短い時間を有効に使わなければと思うのはわかります。
しかし、私はフィギュアを選んだ全ての選手に、フィギュアを選んで良かったと思って欲しい。
いのりちゃん、美玖ちゃんは少し運がない世代かなと思います。初めてオリンピックに出られるのは20歳。女子シングル選手としてはピークから落ち始める時期にようやく初めてのオリンピックが来る。
だけど、逆に言えばそれまであと6年もある。回り道と思えるような選択で費やした時間も、仕方なかったブランクの喪失も、後になれば関係なかったと埋めてしまえるだけの時間があるわ」
ライリーはそこまで語ってから、茶目っぽく2人に微笑んだ。
「まあ、せっかちなコーチとしては、いのりちゃんには世界ジュニア優勝してもらえると嬉しいかなと思うけどね」
「えへへ……」
いのりもライリーにはにかみ笑いを返してうなづいた。
美玖も、改めてこのクラブに入れる巡り合わせに感謝した。
いのりが手品仕立ての凝ったエキジビジョンしている理由の一つに、司がアイスショーのキャストとなれるよう目立たせようとしている、というのは正直後付け設定です。いのりのエキジビジョン考えた時は、原作score61で司がキャスト再挑戦宣言するとは思ってませんでした。