———スターフォックス
世界ジュニア祝勝会の翌日から、光は勧誘解禁されたとばかりにいのりや亜子にシンクロ9新チームへの熱心な勧誘を始めた。
いのりが辟易した顔で答える。
「光ちゃん……光ちゃんもう3回転ジャンプも許可おりて回復してるよね? やっぱり、シンクロすぐやりたいの?」
「もちろん! 私の才能ならオリンピックも狙えるかなって思うし」
自身満々の光に、いのりは渋い顔だ。
「うーん。私は光ちゃんみたく才能ないからなあ。シングルでいっぱいいっぱいだよ」
光は意外な顔をした。
「え? いのりちゃんが才能ないって? そんな事あるわけないよ!
少なくともシンクロ9については私よりずっと才能あるよ! いのりちゃん、鏡動作も後進動作も他人の動きと合わせるのも私より得意じゃない」
「うーん。でも、振り付け覚えるのは苦手だからなあ。シンクロ9って即応ラウンドとかあって、短時間で振り付け作る必要あるでしょ? 私は難しいな」
光はフォローに必死だ。
「いやいや、そんな事ないって。振り付け付きのプログラムで滑るようになっても最初の数年はなかなか覚えられない事よくあるって。
でも、振り付けのパターンとか身についてきたら、もう知らないうちにだいぶ覚えられるようになってるものだって。例えば……いのりちゃん、亜子ちゃんの振り付け覚えてる?」
いのりは、上目になって記憶を探って答えた。
「……覚えてる。でも、それは同じクラブだし」
「じゃあ、世界ジュニアのロビンさんや、ベリンダさんや、ホランさんの振り付けは? 半分くらい覚えてる?」
光が挙げた名前にしばらく頭を巡らせて、やがて答えた。
「ロビンさんはこうでこう……ホランさんはこうでこうで……結構覚えてる……かな?」
「ほら! 振り付けの文法のようなもの身についてきたら、覚えるのも自然とできるようになるものだって」
「うーん……」
なおも渋るいのりに、光は聞いてきた。
「じゃあ、いのりちゃんはどんな選手になりたいの? どんな人生送りたい?」
いのりはハッキリと答えた。
「私は金メダリストになりたい」
光はその続きを聞いてきた。
「そして、その後は?」
「……そして、スケートで生きていけるようになりたい……」
いのりの頭にあったのは司の姿だった。
あんなに綺麗に滑れるのに、現役時代に大きな成果を残せなかったために氷の上でスケーターとして生きる道に進めないでいる。現役時代に活躍する事が、スケーターとして生きる為の必要条件。できれば、オリンピックの金メダルが欲しい。それがいのりの考えだった。
返す光の答えはぶっ飛んでいた。
「そうよね。スケートの世界で生きていくにはオリンピックのメダルがいる。それは私もいのりちゃんと同じ考え。
でも私は……
オリンピックのメダルが10個欲しい」
「え!? 10個!?」
何を言ってるのかわからず目を回すいのりに光がたたみかける。
「もちろん、全部金メダルというわけにはいかないだろうけど、私はいのりちゃんはもちろん、他にもたくさんの選手に関わって、たくさんのメダルを取りたい。
でも、シングルだけなら競技寿命までに行けるオリンピックは3回が限界。団体戦も入れて最高6個が限界。
でも、シンクロなら競技寿命長くて30代でもいけるから、オリンピックのメダル獲得チャンスは5回はある。2刀流に踏み切ればメダル2桁の大台までギリギリ届く」
「……」
話が大きすぎて、いのりも目を回し始めた。
そして、そこまででも大概な夢物語なのに、光の話はそこからさらに壮大なストーリーになった。
「まあ、10個取ったら純おじさんも軽く超えるレジェンドよね。その功績で通年スケート場建ててスケートショー主催して、たくさんの人を呼ぶの。そうしたら、八木ちゃんやりんなちゃん、四葉ちゃん。亜子ちゃんや神楽ちゃん、美玖ちゃん……メダル取れる子も取れずに引退する子もいるだろうけど、キャストで集まってみんなスケート人生続けられる」
いのりは、遠くを見る目で大志を語る光に、狼嵜光王国に君臨する女王の姿を見た。
光はドン引きのいのりに構わず、得意顔で続ける。
「シンクロ9は競技の中で集団指導や練習運営、チーム管理を学ぶ事になるから、引退後もショーのキャストや指導者への道も行きやすい。
つまりは、シンクロはこれからのフィギュアスケート文化を繋いで行くのに必要な選択肢で、選手の人生にも優しいサステナブルな種目なのよ」
完全な蕨の受け売りなのだが、司を見て引退後の人生の事も気になっているいのりには刺さった。刺さったというよりは圧倒されていると言う方が近いかもしれないが。
『よし、効いてる……』
光はいのりの表情を見て効果十分と悟ると、いったん押すのをやめて引いてきた。
「まあ、フィギュアはスピードスケートや陸上何百m走みたいに一人で何種目も出る人って珍しいし、ペアなんかは明らかに違った練習いるから、ねねよしペアの2刀流も今季限りだけど。でも、シングルとアイスダンス、シンクロはそれほど離れているかな? どうだろう? シンクロはまだできたばかりだし、わからない事多くて不安なのもあるよね」
いのりは光がわざと見せた逃走路に突っ込んだ。
「そ、そうだよね。まだルールとかわからないところだらけなのは困るよね」
光はその退き際の言葉尻を狙ってきた。
「そうなんだよね。で、いのりちゃん、お願いがあるんだけれど、今週末……」
———東京神宮スケートリンク
東京の神宮スケートリンクではこの日、神宮FSCが主催する「シンクロ9勉強会」が開かれた。シンクロ9のルールや練習方法、今後の展望等の情報交換が目的で、全国のクラブからシンクロ9を始める事を検討している指導者や選手が集まった。
スターフォックスの選手からは、いのりと亜子、そして入会したばかりだがシンクロ9専門の選手となる亜昼美玖の3名の選手が参加した。指導陣はライリーと司、胡荒コーチが参加する他、神宮FSCの蕨コーチも今日は主催者側で来ている。
東京からだけでなく各地から人が集まっており、「数年後にオリンピック正式化されるであろう新種目」としての注目度の高さが伺える。
既に春休みが始まっていることもあり、ジュニア選手もそこそこ集まっている。『ジュンリンク』の名港トレーニングセンターが選手集めを始めていることもあり、名古屋の選手も多い。
その中には名港ウィンドFSCの夕凪の姿もあった。
「いのりちゃん!? 今日の勉強会に来たのいのりちゃんなの? 光ちゃんじゃなかったの?」
「光ちゃんも今日の勉強会楽しみにしてたんだけど、北海道からお母さんたちが来て一緒に住む事になって、今日引越日だから来られなくなっちゃって……それで『代わりにいのりちゃん行って見てきて!』って頼まれちゃって」
髪をパステルカラーに染め直してきた亜子が補足する。
「光ちゃん今日の勉強会楽しみにしてたのに、引越しが重なっちゃって来られなくなっちゃったの。でも、各クラブ2枠のところ無理矢理3人目で光ちゃん入れてもらってたのに欠席したら失礼だって言って、いのりちゃんを代わりにねじ込んできたの」
夕凪は心配そうに聞いてきた。
「そう……私が言うのもなんだけど、いのりちゃんや亜子ちゃんもシンクロやる可能性あるの?」
世界ジュニアで好成績を残して、すでにシングルで将来有望ないのりと亜子がシンクロに手を出すというのも、ちょっと心配なのだろう。
「えっと、そこは保留なんだけど、光ちゃんが猛烈アタックしてきてて……」
「とりあえず、私もいのりちゃんも返事保留で。この神宮FSCは私やお母さんが元いたクラブだし、この勉強会の主催の
亜昼美玖ちゃんはシンクロ専門よ。復帰かけてこの春からうちに入ったの。
夕凪ちゃんの方は?」
夕凪は自分の事情を話した。
「私の方も、クラブの看板背負って練習会に行くとなると、私が行かなきゃと思って志願したんだよ。シンクロやるやらないに関わらず勉強になると思ったし、それに、光ちゃんが来るって噂になってたから」
「そうなの? ごめんね、光ちゃん急に来ない事になっちゃって」
「いやいや、家庭の事情なら仕方ないよ。でも……どこのクラブも結構すごい選手来てるね」
夕凪がそう言うのも無理はない。各クラブ、ジュニアの ほぼ一線級の選手を連れて来ている。結束いのりと胡荒亜子を連れてきたスターフォックスはもちろん、名港ウィンドは夕凪と申川りんな、名城クラウンは足利刹那に古部多まいん、蓮華茶は鹿本すずに大和絵馬、といった具合である。
もう、シーズンがほぼ終わって試合もないし、遠征に連れて行くとなると『シンクロ転向の意思の強い者』か『興味を持った者で最上位』となるが、まだ各地にチームもできてきていない中、シンクロ転向を決めた者は数少ない。
そんな中「狼嵜世代の筆頭、狼嵜光がシンクロ9とシングルのかけもちを始める」という噂は、ジュニア女子シングルトップ選手の間で無視できないものだった。
対して、今からの転向や掛け持ちが現実的でないシニア選手はまばらだった。オリンピック種目となるのはおそらく6年後ということもあり、既にシニアの者には遅いというところもある。
「ちょっと聞きにくい事聞くけどいいかな? いのりちゃん、亜子ちゃん?」
夕凪がおずおずと切り出してきた。いのりも亜子もこくりとうなづく。
「光ちゃんって、本当にシンクロ9やるの?」
いのりも亜子も即答だった。
「うん。間違いないね」
「光ちゃんは絶対やる。もし、スターフォックスにシンクロチームできないってなったら、神宮に移籍しちゃうか、名古屋に戻ってジュンリンクのシンクロチームメンバー募集に応募しに行っちゃうわよ」
「それほどなんだ……」
夕凪の質問に返していのりが聞いてきた。
「夕凪ちゃんはどうなの? ジュンリンクのチーム募集って、結構応募あったの?」
夕凪はポツリと答えた。
「ジュンリンクは……まだできたばかりだし、アイタイムスの発表もシーズン最中の1月だったから、そんなにすぐには応募ないみたいで。
でも、竜宮コーチの名城クラウンとかは結構前向きに選手の転向勧めてるみたい。少なくとも古部多まいんちゃんとかは参加確定って話」
「……」
いのりはじっと夕凪を見ている。その前の質問、『夕凪ちゃんは?』の答えを待っているのだ。
「私は……光ちゃんには言わないでね」
いのりと亜子がこくりとうなづくと、夕凪はおもむろに答えた。
「私は、光ちゃんがやるならやる……光ちゃんと戦うために」