———スターフォックス
3月末でスターフォックスは2名の生徒が「卒業」した。
表門円香は高校進学を機に引退。今シーズンは東京ブロック17位敗退。最高成績は昨シーズンの東京ブロック10位、東日本21位だった。
十市真衣子は今シーズン、東京ブロック11位で東日本初進出し19位だった。今年は新中3に上がり、受験に専念する。小4で今年ノービスBに上がる弟の幹雄はクラブに残る。
寄せ書きされたチームジャージに身を包んで、笑顔で正面玄関で見送られる。
「いのりちゃんや亜子ちゃん、光ちゃんと一緒に練習できた事が一番楽しかったです。ありがとう」
「東京ブロック突破できた事が一番の思い出です。怪我からの復帰を手伝ってくれて、みんなありがとう」
生徒やコーチ達も拍手で見送る。
「しゅ、宿題手伝ってくれてありがとうございました」
「受験頑張って下さいね!」
「寂しくなったらいつでもリンクに来て下さい。シンクロチームで復帰とかもワンチャンありですよ」
「弟の幹雄君のことは任せてください!」
「二人とも頑張ったね! 高校でも受験でも頑張ってください」
「何の用事でもいいからまたクラブに来てくださいね」
そして、新しい生徒とコーチも迎える。
2年のブランクを経て高校進学とともに復帰をかける亜昼美玖、北海道のクラブから移籍して来たペア志望の小3、狼嵜光の血縁上の弟の魚瀬はやぶさ、隣のモールのスポーツ店の店長からコーチへと転身した下蔵コーチである。
亜昼美玖はシンクロ9専門の新設コース生となる。レッスン代も氷代(リンク代)も安く、経済的な問題を抱える美玖でもこれならスケートを続けられる。
魚瀬はやぶさはペア志望だが、こちらの方がクラブ的には対応が難しい。ペアの設備も相手もスターフォックスにはない。かろうじて、神宮FSCから今季いっぱいまでの約束で来ている蕨がペア出身で指導ができるのみである。
そして、ライリーと司が選手として神宮FSCのシンクロ9チーム「クリスタルメッセンジャー・ナインノート」に加入してしまった為、胡荒コーチ達指導陣、新コーチとして加入した下蔵も大忙しだった。
「ああ、忙しい……下蔵さん。はやぶさ君に2A指導できます? できれば実演付きで」
「実演付きは勘弁してください胡荒コーチ。僕、シングル経験あるとは言えアイスダンス出身ですよ」
シングル経験ないのに3Lz実演指導ができる司がバケモノなだけである。
胡荒コーチは額を押さえながら言った。
「はやぶさ君、ほっておくと他の女の子を口説いて勝手にリフトしようとしたり、ひどい時はスロージャンプで投げようとするんですよ。何か課題与えておいていただけません?」
「蕨さんは?」
「他クラブからのシンクロ9選手受け入れ調整の為、荒川グローの方に行ってます。ライリー先生はクラブ掛け持ちの選手からは氷代も取らず、美玖ちゃんと同じレッスン代だけで受け入れるようです」
「本当ですか? それはいいなあ……
……はやぶさ君にはステップの課題でも与えておくか。
ところで、ライリー先生と司先生は今日から神宮でしたっけ?」
「ええ。ライリー先生の『ナインノート』加入も、今日の滑りを見て正式に決まるようです。美蜂さんも連れて行ってしまいました」
「いいなあ。僕もライリー先生の滑り見たかったなあ。ライリー先生、ブランク大丈夫かな。かな……?」
と、下蔵はそこで微妙な顔になって言った。
「……すいません。今、良からぬ事を考えてしまいました」
胡荒コーチも仏頂面で答えた。
「大丈夫です。私も今同じ事を考えてました」
二人の考えた事は同じだった。
『ライリー先生、滑り見せるのに失敗してくれないかなぁ。チーム加入断られて、指導に戻ってきてくれないかなぁ……』
———神宮リンク
残念ながら、2人の願いは叶わなかった。
「いいね! 予想以上だよ。流石は金メダリストと言ったところだね」
「ライリー先生に加入いただけるなんて、感動です……」
「まあ、ざっとこんなものです」
鯨臥と九尾塚の激賞の中、ライリーは得意顔で堂々とリンクを降りる。
「腰の方も大丈夫みたいだね」
鯨臥もそこは心配していたのだが、美蜂が説明する。
「ええ。元より心因性で動かせなくなっていた面が強く、運動量が足りないのでかえって固まって機能低下が心配だったのですが、今年に入ってリンクでもよく動かすようになって改善傾向にあります。3回転以上のジャンプや一部の柔軟性が必要な技はさせられませんが、今回は男女混合のチームという事で、男性基準の柔軟性の技までなら問題ないかと」
「リンク外でもよく運動するようになって、今年は本当に腰が良くなりました!」
元気に答えるライリーに、なぜか司が顔を赤くして目を背けた。
「私の国籍については、参加条件問題なかったですか?」
ライリーの確認に鯨臥が笑顔で答えた。
「ああ、日本での在住、活動実績十分だし、元より広く参加国を募るテスト大会だということで全く問題にならなかった」
ライリーも面白そうな顔をして返す。
「ふふふ。アメリカの連盟のアマンダさんからも連絡ありましたよ。『テスト大会なのに出場国国籍必要だとか言うバカ委員がいたら、4発ぐらいぶん殴ってリンクの下に埋めてやるから、帰化焦ったりしないで。アメリカ国籍持っておいた方が絶対いいわよ。あと、婚約と選手復帰はおめでとう』って」
「ははは。そうかい」
ライリーは続けた。
「あと、チームができたらコーチに相談したい事があるってアマンダさん言ってました」
「そちらの方は了解しているよ。招待大会のことね。ライリーさんの加入も決まって、『ナインノート』結成はもうすぐだよ。今日はチームに加入するメンバーが1人来てるんだ。ライリーさんも司君もよく知ってる人だよ」
鯨臥が言うと、一人の男がリンクサイドに入って来た。
「やあ! ツーくん!」
「ジュナ君じゃないか!」
司の元クラブメイトで美玖やいのりの振り付けもした白鳥珠那だった。
ライリーは推しタレントが同チームに入ると分かって大興奮した。
「きゃーっ! ジュナさん! 同じチームなんですか!? すごく嬉しいです!」
「ええ。もともと社会人チームに入ろうとしてたんですが番組もあるんで諦めていたところ、テスト大会とは言えオリンピック目指すチームができると聞いて志願したんですよ。4月の番組改編で芸能活動はお休みです」
「うわ、残念……でも、これからジュナさんの活動を毎日のように間近で見られるって、独り占めしてるみたいですごく楽しみです! ああ、『ナインノート』に入れて良かった!」
はしゃぐライリーを見て、司がブスっとした表情で鯨臥に聞いた。
「鯨臥先生、芸能人なんて入れて大丈夫ですか?」
鯨臥は表情はそのままにして返した。
「ジュナ君はこう見えて勉強熱心で、シンクロの事もよく勉強してくれていたんだ」
ジュナも司に抗弁した。
「ひどいよツーくん! 僕だって去年とか特に『ドンターク』とか番組でよく滑ってみせてたから、すごく練習してたって! 撮影控えてる時なんて、下手したら現役の時より氷に乗ってたって!」
「そうだね。ジュナ君は番組の金でよく練習しに来てたよね。勉強も熱心で、番組でもシンクロを一度大きく取り扱ってくれて、何より……」
鯨臥はそこでニヤリと笑った。
「蜻堂君とともに司君の勧誘を推してくれた。結果として、司君ばかりかライリーさんまで来てくれる事になって嬉しい限りだよ……胡荒くんの事が心配だけどね」
ライリーは意外そうな顔で言った。
「あら? 亜子ちゃんは引き続き母親がコーチしますし、シンクロ始めてもプラスの経験にしていけると思いますよ?」
鯨臥は半分呆れ顔でライリーの誤解を正した。
「僕が心配しているのはヘッドコーチ業務丸投げされて今日も忙しい思いをしているであろう、お母さんの方だよ」
「ははは……」
ライリーは笑ってごまかした。
———ジュンリンク
「結束式ドミノ事件」が語られる時は「神宮FSCの勉強会に来ていた世界ジュニア女王結束いのりがシンクロ9との掛け持ちを表明した為、ヘッドコーチの金メダリストライリーフォックスやJGP女王胡荒亜子、名古屋ジュニアの盟主八木夕凪を始めとした多数の選手がシンクロ9に加入した事件」と語られる事が多い。
しかし、誰がこの事件の「最初のドミノの1ピース」だったかについては、「そもそも狼嵜光がシンクロ9勧誘に非常に熱心で、結束いのりも彼女に押されて勉強会に参加していた」とか「『ナインノート』のメンバー募集していた鯨臥豊先生が、結束いのりのコーチの明浦路司に選手復帰を勧めた事がそもそものきっかけ」と、関係者の間で意見が分かれるところである。
しかし、「誰がこの騒動の『ドミノの最大の1ピース』であったか」については、皆意見が一致する。
「ジュンリンク」の主、夜鷹純である。
ジュンリンクで「メンター」という形ばかりの名誉役職に就いて、夜毎の空き時間に一人で滑る生活に悦に入っていた彼であったが、すぐに飽きてきた。
『張り合いがないなあ……』
光の指導をしていた時や、蓮華茶でコーチ資格取得のため指導論を学んだり、蛇崩とともにすずや天音の指導をしていた時は、なんだかんだで自分にとっても刺激になった。
そこから急に人と接する事のないお気楽ポストについたので、なんだか物足りない気分になってきた。
『なんか、面白い事ないかなあ』
とは言っても、元よりほぼ社会不適合者である彼は「しかし、何かするのは面倒くさい」とばかりに、自分から動こうとはしなかった。毎日変わらず夜のジュンリンクで『誰か来ないかなあ。慎一郎君とかいいなあ。理凰君とか来て、またクソジジイ呼ばわりしてくれないかなあ』等と勝手な事ばかり考えていた。
転機のキッカケとなったのは古部多まいんである。
昼間のシンクロ9体験会に出席した彼女は、スマホをリンクに忘れて夜中に取りに来た。そして、薄暗いリンクで夜鷹純とバッタリ会ってしまった。
「ひえっ!? あ、すいません。わたし、忘れ物して……」
「……(ひえっ!?)」
夜鷹純も表情には出さなかったが、暗い中で女子中学生と急に近距離遭遇した為、何気にビビっていた。
夜鷹純は平静を装いながら、慌てる頭で適当な事を垂れ流し始めた。
「キミ……昼間の体験会に来てた子だね」
「は、はい!」
「……才能あるかも知れないね」
「わ、私がですか!? は、はい! がんばります!」
「うん。ジュンリンクで頑張って」
「……」
これで夜鷹はその場を取り繕えたと思っていた。
事が大きくなったのはそれから数週間で古部多まいんがメキメキ実力を伸ばしたからである。彼女は理由を聞かれる度に「夜鷹純さんが私に『シンクロ9の才能がある』って言ってくれました!」と答えていた。
そして、シンクロ9のコーチの御穴ありさが毎日のように夜鷹に聞いてきた。
「どうしてあの子に才能があるって分かったんですか? 教えて下さい!」
———夜鷹の心中
「……口で説明できたら僕も苦労しない」
そう取り繕うのが精一杯だった。上桐天音や結束いのりの時のように何か感じたわけでもない。単なる口から出まかせだった。
思うに、金メダリストに声をかけられたことで彼女のモチベーションが上がった事がキッカケだったのか?位しか考えられない。
「120%、彼女の努力と実力だ」
そんな説明で周りは納得するはずもない。
『やはり夜鷹純の目は本物だ』
『名港杯では審査もしてもらわないと』
周りが騒がしくなってきた。泣きそうだ。
シンクロ9なんて、やった事もないしロクに勉強していないから才能も何もわかるわけないよ!
なのに、慎一郎君が自分の虎の子の夕凪君たち連れてきて言うわけさ。
「夕凪君たちもシンクロ9を始める事になった。御穴コーチにお世話になるが、純君も気付いた事があればアドバイスして欲しい」
「……」
ヤバい。僕の化けの皮が外れてポンコツだと発覚する日、カウントダウン?
そう悩んでいると、御穴コーチが面白い話を仕入れてきた。
「私の師匠の鯨臥先生が東京でシニアチームを新設しようとして、何と、スターフォックス結束いのりの指導者の明浦路コーチを勧誘したんですよ。そしたらOKされたばかりか、結束いのりや胡荒亜子もシンクロ9始めたんですって。そして、挙げ句の果てになんとなんと、スターフォックスのヘッドコーチにして元金メダリスト、ライリー・フォックス先生まで現役復帰して、その『ナインノート』に参加いただける事になったんですよ!」
「……」
ライリーさんと司君、上手くやったな。そうか、指導とか面倒なら勉強する側、選手に逃げるって手があるのか。
思えば去年も、コーチのライセンス取得の為色々勉強したが、金メダリストだからってみんな便宜図ってくれてとってもラクだった。
これからのことを考えるに、「ジュンリンク」で流行るシンクロ9について今からでも知見を得るのが正解だな。できたばかりの競技だから、今なら何も分からなくても何も恥ずかしくない。そして、僕のような天才は自分でやってみるのが一番手っ取り早い。
ちょっと毎日「ジュンリンク」も飽きてきたことだし、久々に東京に行ってみるか。
「御穴コーチ。鯨臥先生にお願いして、その『ナインノート』とか、参加できない?」
薄暗闇の中で白眼がない古部多まいんにバッタリ出会ったら普通にビビる