———スターフォックス、トレーニングルーム
「えー。荒川グローFSCから2名、蝉丸ひまりさんと甲勇希さんが、シンクロの練習に参加する事になりました。みなさん、よろしくお願いします」
「蝉丸ひまりです。よろしくお願いします」
「甲勇希です。よろしくお願いします」
蕨が2人を紹介すると、スターフォックスの生徒から拍手があがった。
蕨は続けた。
「これでメンバーも揃いました。『アウトフォクシーズ・スイッチ』始動になります!」
「やったあ!」
「よろしくお願いします!」
光と美玖が一番大きな声を上げた。この2人がチーム結成を一番待ち望んでいた。
『アウトフォクシーズ・スイッチ』の『スイッチ』は電気等のスイッチの意味もあるが「すり替える」「切り替える」という意味もあり、「シングルとシンクロの切り替えをしながらやってほしい」というライリーの思いから付けられた。
「まずは、練習用ユニフォームを配ります」
下蔵が前の職場から納入されたダンボールを持って来た。選手等がおそろいの衣装を手に取って騒ぎ出す。
「わ! 背番号入りだ! 12番まである!」
「このマークは電気スイッチ? チーム名が『アウトフォクシーズ・スイッチ』だから?」
初期メンバーは、亜昼美玖、狼嵜光、結束いのり、胡荒亜子、平新谷萌栄、鉱森神楽、百瀬繭香、駒取莉子、そして今年からジュニアに上がってくる中1の太田ぺこら、
光、いのり、亜子のトップ3が参加表明した事で、態度保留していたシングル選手等が、我も我もと雪崩をうってシンクロ掛け持ちを始めた。
9名と補欠3名といったところだが、美玖以外は全員シングルとの掛け持ちでところどころ抜ける事を考えるとこれでも全然足りず、シーズンが深まると開店休業に近い状態になってしまうだろう。早い選手だと、結束いのりは1月後、ゴールデンウィークに行われる中国の国際招待大会「シンセン・アイステック」の出場が決まっている。
「さて、ここで重要な話をします。新しくできたシンクロ9ですが、まだほとんど大会がありません」
蕨が説明を始めると、皆がしんとして聞き入った。
「でも、みなさんは幸運です。7月末の名港杯に加え、何と8月中旬にアメリカのアナーバーで行われる国際大会に招待されています」
皆、一斉にどよめいた。8月中旬……
「もちろん、ほとんどがシングル選手のみなさんには難しい選択です。いつものシーズンなら東京夏季フィギュアスケート競技会で調整したり、トップ選手の子ならJGPのために詰めたりしたい時期ではあります。
しかし、シンクロ9は団体スポーツなので『ちょっと抜ける』ことは難しくなってしまいます。『8月までシンクロ頑張って、それからはシングル』と割り切ったつもりで始めても、夏になって『シングルの新プログラムがうまくいかず、時間をかけなきゃ……』となる事もあるでしょう。しかし、シングルの時には一人で考えていた問題が、全員に影響する問題となります」
皆、真剣に蕨の話に聞き入る。
「でも、これは悪いことばかりではありません。悪い事は全員に影響してしまう代わりに、どんな事も全員で考え、対処することができます。調子の悪い子や忙しい子の代わりに、ポジションを代わったり補欠の子が入ったりできます。それがチームです」
そして、蕨はこの場にいないライリーの言葉を紹介しつつ、話を締め括った。
「ライリー先生はこのチームに『スイッチ』という名前を付けました。スイッチはついたり消えたりします。シンクロのスイッチが入れられない子が出たりするでしょう。
しかし、車とか一つの機械にはたくさんのスイッチがありますが、いくつか消えたり故障したりしても、機械がそれで動かなくなる事はありません。他のスイッチが補って、一つの機械として機能し続けます。
みなさん一つ一つのスイッチは、今繋がりました。これをシンクロの時だけ、リンクの上だけのものと思わず、シングルの話やお家の話、個人的な悩みでもなんでも、お互いに助け合えるスイッチになってくれればと思います」
「お話は以上です。亜昼美玖さん。これを着けて下さい」
「はい」
亜昼美玖に腕章が渡された。
このチームのメインスイッチの証、キャプテンマークである。
———玉川上水の賃貸マンション
メンバーも集まり、いよいよチームが動き出す。しかも、いのりちゃんや亜子ちゃん、神楽ちゃんまで参加してくれた。シンクロのわからないところはキャプテンの美玖ちゃんがやってくれそう。
「ただいまー」
狼嵜光が浮かれ気分で帰宅すると、来客が来ていた。
「おかえりー。純おじさん来てるわよ」
「え!」
———
「というわけで、純は選手復帰してシンクロ9の神宮のチームでオリンピック目指す事になったの」
澄の説明を純が補足する。
「……オリンピックじゃなくテスト大会。招待試合だから、出場は確定している」
光は驚いた。
「え! 神宮のチームって『ナインノート』? ライリー先生や司先生と同じ!?」
「そうだよ」
「純おじさんすごい!」
「……まあ、オリンピックよりは楽だけどね」
「2年後のケベック? 金メダル目指してください!」
「……別に金メダル目指してるわけじゃない」
興奮気味に詰め寄る光に純は少したじたじになり、落ち着く為にタバコを取り出した。
「!?」
がしっ
それを見た澄が、鬼女のような形相で腕を掴んだ。
「!? いたい……」
純の抗議じみた声もかまわず、澄は身の毛がよだつほどの形相で純を威圧して言った。
「……煙草なんて吸うな」
今まで誰も見た事が無い恐ろしい顔だった。
「!! ……はい」
ぽろり
表情を保ちつつも怯えきった声の純がタバコを取り落とすと、澄はそれをぽいっとゴミ箱に投げた。
「もう持ってない?」
「ない……あの一箱だけ」
澄の詰問に純が弱々しく答えると、澄はたちまち笑顔に戻って言った。
「よかった、純がタバコ『やめて』くれて」
その笑顔は先ほどの鬼の形相よりずっと恐ろしかった。
「……はい、やめます。もう吸いません。ごめんなさい」
怯えきった純の様子を見て、光は言葉を失い、はやぶさは目を丸くしつつ言った。
「父ちゃんより怖え……」
「じゅ、純おじさんはどうして急に選手に復帰したんですか?」
光が話と空気を変えようとしてそう聞くと、純が答えた。
「シンクロ9ってまだできたばかりで、まだ誰もよくわかってないからね。チームに入って覚えることにした」
「え!? つまり、指導の為?」
「そういう事になるね」
光は感心しきりの顔で質問を続けた。
「純おじさん、指導者で頑張ってるんだ……そのうちにまた私の指導もしてくれます?」
「いやそれは……いや……」
純は一度断りかけてから言い直した
「今の光は別の先生から学んだ方がいい。でも、そのうちにまた、自分が教えた方がいい時が来るかもしれない」
『姉さんの前であまり冷たい断り方したらヤバいからな……』
純は内心怯えつつそう答えたが、幸いにも光は納得してくれた。
「そうですよね。純おじさんもコーチを変えてばかりだったけど、コーチを変えた方がいい場合もありますしね。同じ人に教わり続けて伸び悩んでいる時とか」
「そうだね。僕も新しい事学ぶから選手に復帰して東京まで来るわけだしね」
「私も、司先生が選手復帰して忙しくなるんで、代わりに神宮の鯨臥先生に指導してもらえるようになったんです」
光が言うと、澄や純もうんうんとうなづく。
「鯨臥豊先生って解説者もしてるし、すごい有名なコーチじゃない。光、良かったわね」
「うん。あの人に教えてもらえるならいい事だね」
「純はどの辺に住むの? 東京にどれくらいいるの?」
澄の質問に純が答える。
「都心。四ツ谷のへんにマンション借りた。2年だけ選手やって、ケベックのテスト大会までやってからジュンリンクに戻ることにした。時々、スターフォックスにも寄るよ」
「その時はうちにも寄ってね。泊まれるように準備するわね。光やはやぶさも、おじさんに会えるの楽しみにしているから」
「うん。たまに泊まらせてもらうよ」
そこで光がトレーニングバッグから衣装を取り出して自慢を始めた。
「あ、そうだ! 見て見て!
今日、スターフォックスでもシンクロ9のチームができたの! これ、練習用ユニフォーム!」
それを見て、澄が興味津々に聞いてくる。
「へえ。これって電気スイッチのマーク?」
「そう! 新しいチーム『アウトフォクシーズ・スイッチ』っていうの。電気スイッチのように互いに連携するように、だって」
「へえ、そう……純のチームは『ナインノート』だっけ?」
純が説明する。姉から聞かれている時は、さすがに純も丁寧になる。
「正しくは『クリスタルメッセンジャー・ナインノート』英語だと綴りは『NINE NOTES』なのに日本語読みは『ナインノート』。これはシニアのシンクロ9チームで、ジュニアのチームだと『ナインレター NINE LETTERS』。神宮のシンクロチームはみんな『クリスタルメッセンジャー』で、後ろについてる名前で種目や年齢区分、一軍、二軍チームの区別を示すね。何もついてない『クリスタルメッセンジャー』だけだと、一番最初にできたシニアの16人制シンクロのチームで『無印』と呼ばれたりする」
「へえ。たくさんチームがあるのね」
光も説明する。
「スターフォックスだと2チームだけだけど、ノービス前の子の16人制シンクロチームが『アウトフォクシーズ・キッツ』で、ジュニアのシンクロ9チームが『アウトフォクシーズ・スイッチ』。『キッツKITS』は子供の『キッズKIDS』じゃなくて、『キツネさん』みたいな幼児語なの」
そこではやぶさが不満そうに言った。
「ノービスの子だけチームがないんです」
それを光が慰める。
「あはは。そもそも、シンクロ9はできたばかりだし、16人制シンクロもオリンピック競技じゃないから日本ではなかなかチームがないよね」
はやぶさがぼやきつつ言った。
「あー。早くペアやりたいなぁ。デススパイラルとかツイストリフトとかやりたい。今日、
澄が顔をひきつらせつつたしなめる。
「スロージャンプは危ないからダメだって言ってるでしょ。お父さんから金メダリストの言葉教えてもらってたよね」
「はい。『人間投げたらいかん』」
「そうよ」
「……」
それは、人間を投げるスポーツの金メダリストの言葉だった気がしたが、光は黙っておくことにした。
「……」
純は何か言いたげにしていたが、その場では言うのをやめた。
そうして、家族のゆっくりした時間を4人で楽しんだ。