———スターフォックスリンク
プロモーション用の撮影が始まると、リンクにはいのりと朱蒴、立ち合いの司、カメラマンの赤石と若い男性の助手1名のみとなった。それ以外の見学者は共有の保護者ブースから見守ることになる。ライリーも見たがってはいたのだが……
「ライリー先生は事務室にお願いします。どうしてもライリー先生にお目通し頂かないといけない仕事は『たくさん』ありますので」
「あ、はい」
胡荒コーチが引き摺るようにライリーを事務室に連れて行った。
最初の撮影は撮影経験のある朱蒴からだった。
「まずは鵯君から撮らせていただきますね。まずはジャージを着たカットから。その後リンクで何カットか撮って、最後にいのりちゃんとの繋ぎのカット撮らせていただきますね」
「頑張ってくださいね! 朱蒴センパイ!」
「ようし、やるぞ……」
いのりの黄色い声に朱蒴は少し気負った様子だ。
撮影の立ち合いの司も手伝う。
「赤石さん。リンクではどんな技を撮れれば良いですか?」
「そうですねぇ。寧々子ちゃんといのりちゃんの間に入れるので、男の子らしいちょっとパワー寄りの技がいいですね。ただ、いのりちゃんの締めの技は通常のジャンプにしたいので、それ以外の技でお願いできますか?」
赤石の撮影ニーズに司は用意していたかのように提案を返した。
「なら、まず、ロシアン・スプリットジャンプ、開脚ジャンプですね。その次にバタフライからキャメルスピンに繋げるのはどうでしょう? 朱蒴君、やってみるかい?」
「は、はい!」
朱蒴は素直に司のオススメ構成に従う。
まずはロシアン・スプリットジャンプ。空中で左右に開脚し、閉じて着地するだけの単純なジャンプだが、柔軟性とジャンプ力、テクニックを兼ね備える選手にかかればなかなか見応えのある技になる。
「なかなかいいですね!」
赤石も声を弾ませてカメラドローンを操る。これはなかなかいい画が撮れそうだと満悦する彼女だが、この技がより刺さっていたのはいのりだった。
「……悔しい……」
柔軟性のあるいのりでも、流石に朱蒴と同じように180度近く開脚した後に閉じて着地できるほどの高いジャンプはできない。それだけならまだしも、これは司も朱蒴と同レベルのものはできないジャンプだった。司は柔軟性はもとよりジャンプ力もそれなりにあるが、小柄で機敏な朱蒴にはジャンプの高さでは敵わないし、そもそも脚が長すぎて朱蒴と同じくらいまで開脚した状態からはスムーズに閉じて着地まで持っていけない。
『ぐぎぎ……司先生より上手い』
「!?」
いのりに妙な対抗心から睨まれて、朱蒴はびくつく。
『なに? 何でいのりちゃん怒ってるの?』
朱蒴は背筋が冷える思いをしつつ、次の技に繋げる。
次の技はバタフライ。上体を氷面に近い水平姿勢にして跳び、両脚を大きく振り回す、アクロバティックな動きです。空中で手足を大きく広げ、蝶の羽ばたくような動きからバタフライと呼ばれる。これも太もものバネが必要なパワー型の技で、これを男子並みに出来る女子選手となると岡崎いるか等少数の者に限られる。
しかしこの技に対しては、いのりは笑顔になった。
『ふふん。バタフライなら司先生の方がいい』
バタフライも続くキャメルスピンも司なら体格と脚の長さで朱蒴より迫力を出せる魅せ方が出来る。
いのりが表情を戻したのを見て、朱蒴も『さっきの技より、こっちの技の方が良かったのかな? いのりちゃんの前に下手な演技をしないようにしよう』と、気を取り直した。
キャメルスピンまで撮り終わると、赤石カメラマンはいのりを呼んで繋ぎの部分の撮影に取り掛かった。
「ここも合成なんだけど、演技を終えて直立する朱蒴君の周りをカメラが回ると、いつの間にか正面に次の人が現れて、もう一回りする時に前の人が消える、という繋ぎを考えてます。とりあえず、これで撮りましょう」
赤石が見せたサンプル動画は、周囲を回るドローンのカメラが背後をアップした際にもう一人が死角になるタイミングを利用して、もう一人が現れたり消えたりする合成動画だった。
「わかりました。やってみます」
いのりはリンクに入ると朱蒴の真正面、キスできるくらい顔も近い至近距離に立った。
「!? いのりちゃん、近すぎ……」
朱蒴が照れて言うと、いのりは不思議そうな顔で答えた?
「え? これくらい近くないと、互いの死角に入らなくないですか?」
「そうなんだけど……」
「うん、そのくらいの位置がいいわ。ありがとう、撮影するね」
早速赤石は撮影を開始したが、すぐ問題に気付いた。
『……コレは使えないわね』
ドローンからの映像が送られたタブレットを確認すると、朱蒴が緊張しすぎの表情で、若干赤面までしてしまってる。運動しているならともかく立っているだけなら目立ちすぎる。カメラの発色が良すぎるのも仇になった。
「どうしました?」
赤石の困った様子に司が聞くと、赤石は取り繕って答えた。
「いえ。上手く撮れてはいるんですが、あれだけのパワーのある技とキャメルスピンの後に、こういう静止しての回転での繋ぎを入れると流れ的にイマイチかなと悩んでます」
取り繕って悩みを述べる赤石に司は提案を返した。
「それなら、ドローンを周りで回す代わりに、キャメルスピンのところで合成して交代シーンを撮りませんか? 朱蒴君のキャメルスピンが途中でいのりさんとの脚持ちのペアのスピンになり、最後にいのりさんのキャメルスピンになる形で。朱蒴君はライリー先生から遊び技でペアでのスピンを教えてもらってましたし、いのりさんは僕とやった事があるので。朱蒴君、いのりさん、できるよね?」
「え!? いのりちゃんの脚を持って……」
戸惑う朱蒴をよそに、いのりが楽しそうに返事をした。
「面白そう! むふふ。朱蒴センパイの方が司先生よりも体格的にやりやすいです」
赤石もそれに乗った。
「良さそうですね! スピンの途中で背中や顔のアップ等を入れれば、相手を死角に入れられます。朱蒴選手も問題ないですか?」
「……はい」
この後、朱蒴といのりはしばらく脚持ちのペアキャメルスピンを撮影した。
『いのりちゃん柔らかい……ダメダメ! 集中しないと! 変なこと考えてるって思われたら終わりだぞ! 耐えろ、僕!』
朱蒴は鉄の意志で、いのりのふくらはぎの感触や至近距離からの匂い、自分の脚をいのりに持たれる事に反応してしまうのを堪えた。
赤石は朱蒴の表情については加工でなんとかすることにした。
———
「お疲れ様……でした。後、いのりちゃん頑張ってね」
「はい! 朱蒴センパイもお疲れ様でした!」
朱蒴の入る撮影が終わり、神経を使い果たしたかのような表情で朱蒴が退出すると、いのりの番になり、窓の外のギャラリーも増えてきた。ナインノートの監督の九尾塚はドローンの機動性や安全性に興味があるようで、助手の男性と色々話をしている。ジュナや蜻堂はリンクを見ながらその横で、今日の練習をどうしようか等雑談を始めていた。
撮影の邪魔にならないよう、皆リンクサイドには入らないようにしていたが、いのりは気づいていた。
「ふふふ……お客さん来てますね。いよいよ私の番ですが、やりたい技があるんです。良いですか?」
「なんですか?」
赤石が聞き返すと、いのりは得意満面に答えた。
「コンパルソリーです。氷上に図形を描く技です。何でも描けますよ」
「コンパルソリーですか……」
赤石は少し悩んだ。氷上に図形を描くコンパルソリーはフィギュアの原点だが、わかりにくく見栄えがしないのが難点である。
そこは割り切って、ここでも加工に頼ることにした。
「軌跡を光る線で見えるように加工すれば使えると思います。問題は何を描くかですね」
ここでも司が案を出した。
「大会ロゴはどうですか? 深圳の『S』の字の中心に楕円形のリボンが斜めに絡んでいる図形なので、コンパルソリーで描けると思います。大丈夫? いのりさん?」
いのりは自信を持って答えた。
「大丈夫! 簡単ですよ」
赤石はリンクを上から撮った画像に大会ロゴを透過させていのりに見せた。
「S字はこんな感じで、リボンの楕円形の大きさと配置はこんな感じなんだけど、イメージつく?」
「もちろんです! バッチリです。練習の成果見せますよ。遊び技ですけどね」
悪戯っぽい元気いっぱいのいのりの笑み。
赤石はリンクの真上にカメラドローンを上げると撮影を始めた。
「じゃあ、キャメルスピンの最後から繋げるので、少しだけキャメルスピンしてからスタートお願いします」
「はい! いきます!」
いのりは自信に満ち溢れて滑走を始めたが、赤石は「何回も撮ることになるだろうな」と考えていた。
どんなに滑走テクニックがあっても、目印もない氷上で大きな図形を歪みなく大きさを整えて描くのは難しい。S字のロゴのような曲線なら尚更だ。
……シャー、シャッ
「できました! どうですか?」
「ありがとうございます。確認しますね」
真上から撮られたいのりの軌跡に赤石カメラマンが大会ロゴを重ねてチェックすると……
「……ぴったり合ってますね。すごいですね。一発OKです。あとはカッコよく編集しますね」
「お願いします!」
隣の部屋で様子を見ていたジュナと九尾塚は、赤石の助手から録画映像のチェック中のタブレットを見せてもらって、大会ロゴにぴったり合わせたように正確に図形を描いて見せたいのりに、ドン引きしながらも感心した。
「あんな複雑な図形を一発で描くとは……」
「結束選手、氷上の空間感覚がすごいですね」
いよいよラストのシーンだ。
「最後は得意のサルコウを下からあおる角度で撮らせてもらいます。少し離れた位置から氷面スレスレ低空並走していますから、気にせずに思い切り長距離、幅広めに跳んでください」
「はいっ!」
……シュタッ
こちらも問題なく撮影された。
赤石のドローンの操縦の腕とカメラワークで、女王のごとくカメラを見下ろすいのりが、ジャンプの瞬間まるで氷上遠く、大空へと飛び立っていったような画が撮れた。
「すごく格上オーラ出てる画像撮れましたよ! さすがジュニア女王ですね!」
「ふふふ……大人っぽく撮れましたか?」
いのりに聞かれて赤石は苦笑しながら答えた。
「ジュニア女王らしく撮れましたよ」
———
撮影が終わるとTJI広報のリンがランドセルくらいの大きさの箱を持ってきた。
「こちら、今回の撮影に使われたのと同型のドローン、静音タイプの『ホーント・プロ4』です。今回の撮影の御礼に2人に差し上げます」
「わあ! 操縦できるかな?」
いのりの疑問に朱蒴が答える。
「コントローラーで操縦することもできるけど、カメラでジェスチャー……身振り手振りで操縦したり、自分を追従させたりする事もできるよ」
「へえ、面白そう。『ホーント』だから『ぽんたくん』って呼ぼうかな?」
いのりの提案に朱蒴も乗る。
「いいね、じゃあ僕の機体が『ぽんたくん1号』で、いのりちゃんのが2号ね」
「うん、それでいいよ」
「名前まで付けていただきありがとうございます。転売はしないでくださいね。登録記号控えてますからね」
リンが冗談混じりに言うと、なぜかいのりは狼狽えた。
「や、やだなぁ。売ったりなんてしませんよ……」
いのりが隠したスマホには『ホーント・プロ4』の市場価格が書いてあった。
なおこの「ぽんたくん1号2号」はその後スターフォックスの共有物のように扱われ、ナインノートがスターフォックスで練習する時に九尾塚が撮影に使ったり、朱蒴が休憩時間にたまに遊ぶ事があったものの、しばらくいのりが触れる事はなかった。
「ぽんたくん」の名が知られるようになるのはしばらく後の事である。
———後日
数日後、プロモーションビデオの完成版とメイキング映像データが送られてきた。
いのりが心配していた地味なコンパルソリーも、エッジが青白い火花を散らして、ネオンサインのように光の図形を見せるよう加工が為されていた。
10数名いるプロモーションビデオの演者の中でもいのりの映像は群を抜いていた。
「これカッコいい! 映画みたい!」
いのりはご満悦で、他の選手にも見せびらかす。
「わ! すごい。いのりちゃん主役みたい!」
「大会でも主役級の活躍できるといいね!」
一方で、朱蒴は微妙に拗らせていた。
「いのりちゃん……」
メイキング映像の中のペアスピンで自分の脚に絡みつくいのりや、ジャンプ前の煽り角度から撮られたいのりの元映像データをコマ送りしたり拡大したりしては、一人ため息を吐いていた。
時は四月。春である。