何事も、大きなトラブルはコミュニケーション不足から生じる事が多い。特に上の立場の人間が忙しくしてコミュニケーションの手を抜くとロクな事にならない。
時にそれは大事故に繋がる。
今年のスターフォックス、シンクロ9のチーム「アウトフォクシーズ・スイッチ」に起きたのがそれだった。
———スターフォックス、多目的室
「アウトフォクシーズ・スイッチ」の皆は多目的室で、今シーズンのプログラムとなる曲を選ぶ会議をしていた。今シーズンとは言っても、初試合となる7月末の名港杯まで3ヶ月半ちょっとしかない。7月の頭には神宮の「クリスタルメッセンジャー・ナインレター」との試合を控えている。よそのチームも似たようなものかもしれないが、早急にプログラムを作る必要がある。
まずは監督の蕨がシンクロ9の大会ルールとプログラムの考え方を説明する。
「まず、シンクロ9は従来のシングルやペア、16人制シンクロと違って、『ラウンド制』『ノックアウト制』が取られる。
1回戦毎にテーマが変わる1対1のトーナメント方式と思ってもらえばいい。例えば、1回戦のテーマが『スピード』、2回戦のテーマが『パワー』……というような感じだ。1対1で戦って、負けたチームは次に進めず、そこで終わり。
さらに即応ラウンドというのがあって、ラウンドの90分前にコーチ1人と隔離部屋に閉じ込められて、「はい、今回の『スピード』ラウンドの即応テーマは『嵐』です。この部屋で氷上練習開始までにプログラム修正の打ち合わせどうぞ」なんてやられちゃう。
……まあ、この辺はまだまだルール整備中なので、次のユースやオリンピック本番では変わるかもね。
なんでこんな方式なのかというと、そこにはオリンピック競技化の為の理由があったんだよね。
一つは、従来競技の「採点がわかりにくく、一般人には優劣がハッキリしない」という問題の解消だね。例えば、君たちも新体操の点数計算とかわからないよね? フィギュアの観客も点数計算はわかりにくいと思ってる。
でも、「あるテーマで2チーム戦って、こっちのチームが勝ち」なら一般人も何となく納得できるし、テレビ映えもする。
もう一つは、「従来シンクロの『とにかく時間をかけて完成度練り上げたチームが有利で、新興国が参入しにくい』という問題の解決」だね。
大会毎にラウンドのテーマが違い、即応ラウンドまであると、完成度より対応力が求められる。すると、戦略や運で番狂せも起きやすくなり、新興国もワンチャン勝てて盛り上がる。
ラウンド毎のテーマは大会毎に異なって、先週からの発表で名港杯は『パワー』『スピード』『コネクション、連携力』『ショーマンシップ、演出力』の4テーマ。アメリカのアナーバー杯は『スピード』『コントラスト、対比』『プレシジョン、精密性』『キャラクター、役柄表現』そして、大会テーマの『エマージ、誕生』の5個テーマだ。
ここまでで質問あるかな?」
光が手を挙げて質問する。
「はい。アメリカのアナーバー杯の大会テーマの『エマージ』だけ、なんだか他と違った感じがします。なんでですか?」
「うん。他のテーマはいわば『シンクロ9のこういう要素に着目してプログラムを作って演じてください』という基本問題なのに対して、『エマージ』は『この題材であなたの考える芸術作品を作ってください』という応用問題だと考えるとわかりやすいね。
題材に応じて芸術作品を構築し練り上げる能力、というちょっと高度な能力を求めている。国際大会という事もあり、難しい事をさせようという意図があるんだよね」
次はいのりが手を挙げた。
「はい。どちらの大会も『スピード』が共通してますけど、なぜですか?」
「これは、シンクロ9は従来シンクロと違って必要とされるスピードが段違いだからだね。なんせ、16人で使ってたリンクを9人で使いきらなきゃならない。こないだの神宮での勉強会に出ていた子なら想像つくだろうけど、従来シンクロのスピード感でシンクロ9やると間延びしてスカスカの演技になる。
でも、それがわかってない、従来シンクロと同じゆっくりした曲とゆっくりとしたスピード感でシンクロ9やろうとするチームが多すぎるから、主催もテーマに『スピード』を入れてスピードを磨かせたいんだよね。ぶっちゃけ全ラウンドスピードを意識した方がいいくらい、シンクロ9に求められるスピード技術の水準は高いんだ」
最後は亜昼美玖が手を挙げた。
「はい。結局は何曲分プログラム仕込めばいいんですか? 名港杯とアナーバー杯で8テーマ? 流石に8曲もプログラム仕込むのは時間的にも無理だと思うんですけど」
「そこは難しいところだね。これにも主催側の理由があって、さっき言ったように新興国も入れるように、時間をかけて育てたチームより戦略や即応力があるチームが勝てるオリンピックを作りたいんだ。だから、テーマに合わせて曲を選ぶより、自国の大会で使って詰めた持ち曲を国際大会で調整して使える柔軟性を求めている。なので、他国のテーマを基本マネしたりはしないし、オリンピックではテーマ発表も2、3ヶ月前とか、テーマに合わせて曲を選んでたら間に合わないような日程になる見込みだ。……まあ、オリンピックの大会ルールなんてまだ全然決まってないし、これからどうなるかはわからないけどね」
「へえ……。それでもアナーバーの大会出るなら最低5曲も仕込まないとダメなんですね」
「そうだね。実際は名港杯は16チームなんて集まらないだろうし、アナーバーも32チームは集まらないだろうから、使わないテーマも出てくるだろうけど……でも、使わないテーマは当日までわからない」
「え? どういう事ですか?」
「どちらの大会も、何回戦が何のテーマかは当日発表だからね。例えば、名港杯で8チームしか集まらなかったとして、3ラウンドしかやらないとなったら、どの3テーマでやるかは当日までわからない。いらない1テーマを事前に知る事はできないんだ。わかってるのはアナーバー杯の『大会テーマは決勝戦』って事だけ」
「……結局、優勝するためには最低5曲必要なんですね」
「そうだね」
質問が出揃ったところで、蕨がまとめに入る。
「しかし、とにかくやってみないことには始まらないよ。まずは名港杯目指して『パワー』『スピード』『コネクション』『ショーマンシップ』の4曲を選ぼう。そして、その4曲でアナーバーを戦うのに足りないと思える要素でもう1曲選ぶ、それでどうかな?」
そこで、いのりが手を挙げた。
「あの、実は私ちょっと『スピード』で選びたい曲があるんですけど、いいでしょうか?」
「うん、とりあえずみんなに言ってみて」
蕨に促されていのりがCDを数枚取り出した。インクジェットプリンタでラベルを印刷したとわかるCD-Rで、「えびたい謹製」と印刷してある。
「これは?」
「あの、私の元クラブのルクス東山のアイスダンスのチームえびたいさん、今年のFDはユーロビートのメドレーだったんです。私ユーロビートのわかりやすさやスピード感いいなって思って、えびたいさんたちからCDいただいてたんですけど……今年のプログラムには選べなくて。
でもでも! シンクロならピッタリだなって! 『スピード』の一曲、ユーロビートから選んでいいですか?」
ユーロビートは、ヨーロッパのディスコ音楽を源流としたダンス音楽の総称で、日本では1990年代後半から2000年代初頭にパラパラとともに流行した。速く規則正しいビートと覚えやすいメロディーラインが特徴的な「わかりやすくて派手な曲」である。
「スピード」のテーマにはとても合っている。蕨はにっこり笑って答えた。
「うん。みんなも良ければいいんじゃない?」
「さんせーい」
「意義なーし」
「……うーん」
皆が賛同する中、亜昼美玖が難しい顔をしていた。
「リーダー、どうしたの?」
蕨が聞くと美玖が答えた。
「いえ。これからの戦いを考えると、使う曲のジャンルは慎重に決めないと。というのも、次の大会のために使い回したり、メドレーにすることもある事ので、『曲のジャンルを絞る』という選択肢があるのと、私達の特性です」
「……どういう事かな?」
笑顔をつくって先を促す蕨に、美玖は続ける。
「シングル掛け持ちで、個人のスケーティング技量が高い私等なら、速いビートの曲でもエッジや姿勢を崩さず、複雑なステップを滑走速度を落とさずに処理できます。もし、相手が『シンクロ9のスピード感に対応できておらず、従来シンクロを軽くアジャストした程度の付け焼き刃』な相手なら、それだけで印象勝ちできる」
蕨は美玖の戦略に心中穏やかでないものを感じつつ、表情を作ったまま聞いた。
「……つまり、ジャンルをいっそユーロビートに絞って、『スピード強点一点突破型』のチームにしてみようかという案だね」
「ええ。今年は、ですが」
蕨は笑顔を保ちつつ内心考えた。
『どうやってこの案を崩そうか……』
———多目的室前
数日ぶりにクラブに来たライリーは、いのりたちの会議が行われている多目的室に向かいつつ、上機嫌でジュナと話していた。後ろで司が黙って睨んでいる。
「シンクロ9の振り付けまで作っていただけるなんて感激です!」
「ええ。僕も選手としてシンクロ9の振り付け作成の場数を増やしておいて、ナインノートで即応ラウンドにも対応する経験値積まないと」
ジュナはその空間把握能力と創造性を活かして、ナインノートの隊列・振り付け修正担当になっていた。
「美玖のために振り付けてやりたいというのもありますしね。修正も蕨さんなら任せられますし。
あと、メイン仕事休止中の自分の貴重な収入源かな?」
最後、冗談めかして言ったジュナに司が突っ込む。
「芸能界で荒稼ぎして十分な貯金はあるだろう?」
ジュナは笑って答える。
「振付け師の方の仕事は常に何か作り続けて感性を保っておかないとね。……AIを使って粗製濫造してくる商売敵に勝てなくなる」
最後、少し声を落としたジュナにライリーが心配そうに聞いた。
「やっぱり振付け師のお仕事でもAIの脅威があるんですか?」
ジュナは真面目な顔で答えた。
「深刻です。さっき触れた、AIに作らせた素案を手直しして売る者もいますが、なかなか見分けは困難です。またあるダンサーの振り付け師の方は、客がAIで作った素案を持ってきて『先生は手直しだけお願いします』って。それも、名前伏せますが結構プロ寄りの顧客が」
ライリーも司も渋い顔をする。
「プロ寄り、でそれですか」
「それは振り付け師として商売あがったりだね」
ジュナも肩をすくめ、半分冗談めかして語る。
「僕なんかは別に収入ありますし、フィギュアの振り付けの氷上での見え方の作り込み等はAIではやりにくいところなんでダンスに比べると困ってるとまではいきません。
まあ、プロのダンサーならいざ知らず、ジュニアの選手には振り付け代も経済的負担でしょうし、安く上げるために素案を作ってくるのもやむなしとは思いますが……」
そこでジュナの口調が熱の入ったものに変わった。
「せっかく素案作るのなら、AIでなく自分で作ってみてほしい。同じ手直しでも選手が作ったものからなら芸術的意図が伝わる事がある分、こっちもやりがいありますし、何より、素案作りも選手自身の芸術的センスを磨くだいじな機会です」
ライリーも誇らしげにうなづく。
「そうですよね。幸いうちの選手たちは何がやりたいか結構自主的に示してくれる子等ですから」
ジュナも爽やかな笑顔を返して同意した。
「そうですよね。昨年今年と見させていただいたいのりちゃんはもちろん、『群狼』の光ちゃんも『展覧会の絵』の亜子ちゃんも、他の子も、曲の選択からセンスを感じますよ」
生徒たちを褒められてライリーも得意気だった。
「ええ。うちの子等は基本、自分で曲は選びます。ちょうど今も、こっちの多目的室でみんなシンクロ9の曲選び会議してるところです。お見せしますね」
ジュナも苦労を語る。
「いいことですね。他所のクラブだと、『過去曲はこれこれこれです。今年のおすすめ曲で振り付けお願いします』とだけ言ってきて、『もうちょっとどんなプログラムやりたいか言ってくれよ!』って思っちゃう子とか、『何でこの曲選んだの?』って聞いたら『コーチに言われました』はまだマシな方で、中には『AIにオススメされました』なんていう子もいて……」
「それはちょっとひどいですね」
ライリーも苦笑いを返した。
そして、多目的室のドアを開いて仰天した。
多目的室の中では、何やら話し込んでいる美玖と蕨を尻目に、いのりや他のメンバーが何やらスマホをいじっており、ちょうどライリーたちの目に入った萌栄のスマホには『シンクロ9におすすめの曲はなんですか?』と質問中のAIのチャット画面が表示されていた。
ライリーの髪が逆立った。
これがこの後に起こる地獄のような大事故につながる第一歩だった。
作中の大会レギュレーションは創作です。
今年6月に発表されたシンクロ9大会の基本構成は開始ラウンド、準決勝、決勝・順位決定戦の3段階です。
まさか、シンクロ9が今年、大会レギュレーションまで固まってオリンピック競技化してしまうとは思ってませんでした。
オリンピック競技化のタイミングは基本オリンピック後の7月なので、この創作の大会ルールは「2年後のオリンピック後に競技化される前、ユース五輪採用直後のまだ手探りの段階」という事でよろしくお願いします。