給与の明細の説明時に起こった微笑ましい誤解が解消された後、ライリーはこの機会に経費等に関わる注意事項を述べた。
「あと、備品の購入や情報収集活動について、重要な注意事項があります。
あなたは、最初のハーネス購入の際に自費で購入、その購入費用を工事現場のバイト等で賄っていたと聞きます」
ここでライリーは強く、静かな戒めの意をこめて言った。
「これは、管理者の大恥です。ここでは絶対にやめて下さい。
仕事に必要な物品はクラブで購入します。検討する間もなく購入してしまった場合も、立て替え扱いで後日請求をかけて下さい。
あなたのハーネスも立て替え払い扱いでクラブのものにさせていただきます。よろしいですね?」
「? ハーネスは新しく購入されたのでは?」
「あれは予備です。来週より他のクラブからハーネス練習希望者を一定数受け入れます。もし、前日練習等で破損して予備がなければ、遠方から来られた選手に申し訳ないでしょう?」
「なるほど」
「もっとも、あなたが仕事外で他所で誰か吊りたい場合は、こちらも今使用中のハーネスを買い上げるのを諦めざるを得ませんが」
「いえいえ、さすがにそれはしません……」
「ルクス東山にはルクス東山なりのルールや方針があると思いますが、スターフォックスでは公私混同は基本的にルール違反と考えて下さい。厳密な線引きをして息苦しい思いをさせたいわけではありませんが、指導に必要なものをクラブが買うことや、必要なスカウト活動等に従事するスタッフに経費や時間を充てるのもクラブに必要な経験値と考えてください」
美蜂さんのスカウトのことか、と司も気付いた。
「はい。わかりました」
ライリーは良い返事に笑みを浮かべつつ続ける。
「もちろん。払った分こき使いますよ。ふふ……というわけで、早速ですが、近日中にシングル用のシューズを予備含め購入しておいてもらえますか? 領収書を経理に回せば立て替え、支給扱いにしますので」
「シングルのシューズ、ですか?」
「ええ。あなたにはジャンプの指導にも注力していただきたいし、狼嵜光のような実演を要する生徒もいます。普段はアイスダンスのシューズでもいいのですが、その日の指導内容に応じて選択肢を増やせるようにした方がいいでしょう?」
「確かにそうですね」
「隣のモールの2階のスポーツ用品店で、ブレード研磨やシューズの熱成形調整もやってます。こちらの従業員の5%割も利きますので、行ってみてくださいね」
シングルのシューズか……
司は少しの胸の高鳴りとちくちくとした痛みを感じた。
―――隣のモール内、スポーツ用品店
移籍当初は忙しかったこともあり、司がこのスポーツ用品店を訪れるのは初めてだった。
「……良い店だな」
スケート用品コーナーの一角の入り口には、子供や入門者用のシューズと共に手書きのポップやイラスト、観戦イベントやスケート記事の掲示があり、自然と客が引き込まれるようになっている。
司が奥に向かうと、店員らしき男性から声をかけられた。
「もしかして、明浦路司君?」
「……もしかして、全日本の時の下蔵さん?」
司のアイスダンス全日本出場の時の3位だった選手だった。
「いやあ。スターフォックスに結束いのり選手が移籍してきたから、司君もいつかこの店にも来てくれると思ってたよ。うんうん」
うなづく下蔵に司は答える。
「おや、ご存知だったんですか。そうなんです。自分と一緒に4月から移籍して来まして」
「うん。『ゆいつかブログ』に書いてあったから知ってる」
「『ゆいつかブログ』?」
聞き慣れない単語に司が聞き返す
「知らないの? いのりちゃんのお姉ちゃんの実叶ちゃんが去年からやってる、いのり選手応援ブログ」
実叶さんそんなことしてたのか。
「知りませんでした。後で見てみます」
司はアドレスをもらうと、スマホのホーム画面にアイコンを置いた。
下蔵は購入相談の合間にいのりについて聞いてくる。
「ねぇ、結束選手って、スケート歴まだ3年目って本当?」
「ええ、本当なんです」
「色々聞かせてもらっていいかな?」
「もちろんです」
ここから、司の近況と共に、熱の入ったいのり自慢がしばらく続いたが、下蔵は熱心に聞く。
「そっかあ。天才少女というより、執念の子、という感じか。うん、いい事を聞いた」
「? なんでいい事なんです?」
「そりゃ、『スケートって5才までに始めるものなんでしょ』って5才神話で諦めそうな親御さんに、『いやいや、結束いのりという選手は天賦の才に恵まれたわけでもないが10才の時に……』って言えるでしょ。天才じゃない方が僕にはありがたい。これまでの烏羽ダリアちゃんネタより3歳分稼げるネタになる」
これには司も苦笑する。
「いや、コーチとして順風満帆だね。スケート競技に関わって生きていけるって素晴らしいね。ライリー先生にも評価されているみたいで」
「いやあ、いのりさんに出会えて以来幸運づくめで」
照れる司に、下蔵は展示棚からシューズを取って言った。
「それじゃあ、そんな幸運な司先生の幸運を分けてもらって、売り上げに貢献してもらおうかな。はい、コレ、司先生にオススメのシングルのシューズ。シングルの世界にようこそ」
司はそのシューズを見て目を丸くする。
「このシューズ、鴗鳥慎一郎先生の……」
以前夜鷹純と滑った際に、鴗鳥慎一郎に貸してもらったシューズと同じモデルだった。
「お、お目が高い。それの最新フラグシップモデルだ、熱成形も入って4回転だって目指せるぜ」
こんな最高級モデルでサイズも合ったものが店頭にあったのは偶然なのだろうが、司は運命を感じずにはいられなかった。
シングルの世界が、コーチとして自分を必要として呼び戻してくれているように感じた。
―――
シューズの調整と予備の注文を終えた司は、帰り道に「ゆいつかブログ」を開いてみた。
実叶自ら観戦に行った大会の記事やファンからの投稿写真の他に、いのりの近況についても書かれており、去年ブレードを受け取りに行った帰りの出来事についても「少し先生とケンカしちゃったけど、すぐ仲直りできました」と、ラーメン店での写真とともに軽く触れられていた。
ファンからの投稿などにもこまめに返信しているようで、実叶のこまめさと共に、いのりがどれほどファンに愛されているかがありありと感じられた。
司はシューズの写真と共に誓いをこめて投稿した。
「コーチの明浦路司です。こちらのブログを知り、初投稿です。
ジャンプ指導のためにシングルのシューズを買いました。
世界一のコーチを目指して、自身も技を磨き続けます」
就職活動中の学生さんがリア充活動アピのためにブログ始めるのは必然
あと1、2話で第1章終わります。