レオニードが概成した「展覧会の絵」の振付を携えてスターフォックスにやってきた。
さっそく、ライリーと亜子、胡荒コーチで確認する。
胡荒コーチが感想を述べる。
「これは芸術作品ですね。編曲が大胆です。まさに天才の仕事というべきものですが、過去作の『展覧会の絵』や今までの作品とはまるで違う。完璧なる傑作、という感じです」
レオニードは得意気に答える。
「僕はいつだって完璧さ。だが、今回はそれだけではない。人はいつだって最新作こそが最高傑作さ」
レオニードの編曲はかなり大胆なものだった。
曲の多くの部分を費やすのは、各絵画でもメインのフレーズでもなく、原曲では絵画と絵画の間に入る間奏の部分だった。それが、フリーの最後に入る「キーウの大門」に向けた盛り上がりを演出する構成になっている。
「『展覧会の絵』は、元々友人の画家の遺作展が舞台だ。君は長年会えてなかった友人の遺作展に行った際、全部の絵をじっくり見るかね? もちろん、思い出のいくつかの絵の前では立ち止まるだろう。しかし、最早冷たい石の下の友人との不通を後悔し、彼が生きているうちに見る事あたわなかった彼の最後の絵を見に、気もそぞろにそちらへ足を進めるはずだ。
つまり、君は弔問客だ。胡荒コーチも衣装はそれに合わせてくれるよう頼むよ」
亜子は概ね満足であった。この振付なら自分の能力を最大限に芸術性に還元できる。
「この、最後のジャンプの指定がアクセルというのは?」
レオニードは宙に視線を向けたまま答えた。
「最後の『キーウの大門』をくぐるのに後ろ向きのジャンプじゃサマにならない。前向きから堂々と『キーウの大門』に挑んでもらいたい」
「……了解です。『キーウの大門』、あなたの前に開いて見せましょう」
亜子は静かに、しかし、確固たる覚悟をもって答えた。
―――
亜子が振付合わせを終えると、トレーニングルームからリンクに降りてきたいのりたちがいた。
亜子はいのりに話しかけた。
「見てた?」
「うん」
「最後のジャンプ。3A跳ぶよ。一昨年のいのりちゃんと同じだね」
「そう……」
いのりは目を伏せた。
あの時の3A。回転不足を取られて表彰台落ち。全日本ジュニア推薦も落としたジャンプだった。
いのりが黙ったままなのを見て、亜子が挑発する。
「最終ジャンプに3Aなんて無謀と思う? でも、私はこれで光ちゃんに勝ちに行く……」
そこで亜子はいのりに告げた。
「光ちゃんが4回転を封印している。3Lzは間にあっても、3Lzからの連続ジャンプは間に合わないかも知れない。狼嵜光と同じ年の私たちにとっては、金メダルを奪い取るにはまたとないチャンス……レオニードさんの振付まで私に譲って、いのりちゃんは、」
いのりは耐えきれず抗弁する。
「私だって勝ちにいきたい!」
亜子は待ってましたといのりの言葉を待つ。
「でも、私が一番怖いのは、去年のショート落ちのような事を繰り返す事。そんな弱点を残した自分は許せないんだよ」
亜子は少しホッとしたような表情をした。
「ふーん。いのりちゃんにはいのりちゃんなりの戦略があるのね。安心した」
そのまま、亜子は自分自身に納得させるように続ける。
「実はね、レオニードさん。どうも、光ちゃんかいのりちゃんに振付するつもりだったようなの。私が無理矢理お願いして振付作ってもらったんだけど……かなり、レオニードさん気合い入ったもの作ってくれてね。
いのりちゃんに譲ってもらったみたいなものだけど、もう今更返さないし、そういうことなら遠慮しないからね」
いのりはしばらく考えた後に返した。
「亜子ちゃんは元々ジャンプ成功率高いから、最後に3Aでも問題ないと思うよ」
亜子はお礼と共に返す。
「ありがとう。いのりちゃんが持久力強化してるのは知ってる。だから、お礼として、いのりちゃんにも勝ちにいくね」
レオニードはそんな2人を遠巻きに眺めていた。
「ふん。イノリ・ユイツカはジュナとかいうコメディアンを選んだか。まあいい。この国の子はまだまだ、なかなか楽しめそうだ」
―――
胡荒コーチは悩んでいた。
これまで、自分は娘の亜子をトップ選手にするべく、最高の環境を整え、最適な指導を施してきたつもりだったが、娘のあまりもの成長ぶりに、最近では「自分の指導では足りないのではないか? 不足しているのではないか?」と不安に感じることが頻繁にある。
狼嵜光に勝つことは及ばなくても、せめて同じ環境にある事が励みになるくらいには成長させてあげたい。
それが、自分の手によってできるだろうか?
そんな事を考えていると、後ろから声をかけられた。
「やあ、胡荒コーチ。レオニードさんの振付、やはりいいですね」
明浦路司だった。
見た目は冴えない男だが、結束いのりを育て、ライリーヘッドコーチも一目置き、ついには狼嵜光の担当まで任されるに至った。この若さで、である。今日本で最もホットなコーチと言っても過言ではないだろう。
胡荒コーチは思いついた。何も、自分一人で抱え込むことではない。同僚やヘッドコーチの助けを受ければいいのだ。
「あの、司先生。うちの亜子のこと、どう思います?」
胡荒コーチの問いに、司は思うまま素直につらつら答える。
「スケーティングもジャンプも高レベルな優秀な選手です。何よりミスが少ないところが素晴らしい。与えられた課題をこなしていく能力や練習姿勢は、胡荒コーチの指導の賜物かと思います」
それに対して、胡荒コーチは悩みを明かす。
「しかし、パフォーマンスに欠けるのではと言われることもあります。母としてこんな事を言ってしまうのもアレですが、自分が厳しく躾けすぎた為に自己主張の薄い子になってしまってはいないかと。自分の指導は適切かと悩むことがありまして」
しょんぼりとした顔の胡荒コーチに司は困った顔をして返した。
「確かに親や周りの子に気を遣ってふるまうことはこれまでも多かったのかなと思います。しかし、それが悪いこととは思いませんね。俺が言うのもなんですが、いのりさんや光ちゃん、すずちゃんといった他のトップ選手が執念やプライド、顕示欲の塊のような子であるだけで」
胡荒コーチは自分の不安をつぶやく。
「そうでしょうか。なんだか、親として、コーチとして、何かそういう……何ていうんでしょう。情念のようなものを与えられないかなと」
それに対して、司は真顔に戻ってキッパリと言う。
「それはできません。言い方が悪いですが、それはある種の異常性でもありまして、親であれ他人が与えられるようなものではありませんよ」
胡荒コーチは失望したようにため息をつく。
「バッサリと言ってくれますね。いのりちゃんはそんな執念の子だからいいかもしれませんけど」
対して、司は苦笑いだ。
「まあ、いのりさんはなかなかスケートをやらせてもらえず、勉強等他の事も苦手だった反動がスケートに打ち込む力になっているところがありますから。
こんな事を言ってはおかしく聞こえるかもしれませんが、『トップスケーターを育てるのはリンクとの距離と父親の経済力、そして、母親の狂気』なんて言われる事がありますよね?
客観的根拠なんてなくても選手を信じる、親としての、指導者としての意気込みはきっと選手を正しい方向に導きますよ」
それを聞いて、胡荒コーチはようやく自分の問題に思い至った。もう紛れもなくトップスケーターである亜子を信じ、育てた自分を信じなくてどうする?
「ふふ。すいませんね。つい、他の選手が天才や怪物に見えてしまっていたようです」
司はほっとした表情で付け足した。
そもそも、亜子は母親が思うような引っ込み思案な子ではない。母親の目の前でそんな光景をめったに見せないだけだ。
「亜子ちゃんだってやる子だと思いますよ。ライリー先生から聞きましたよ。ウクライナ出身のレオニードさんをワザと怒らせて振付勝ち取ったって。
うらやましいかぎりです。いのりさんなんて『展覧会の絵』はもちろん、キーウがどこかも、なぜR国が国際大会から除外受けてるかもまるでわかっていませんでしたから」
これには、胡荒コーチも司と苦笑いを交わすばかりであった。