「こんなにたくさんのコーチに時間とってもらって協力してもらって、本当に嬉しいけど、ボク……何だか、もうダメみたいなんです。もう、すずちゃんとか、絵馬ちゃんとか、子出藤ちゃんたちとか、いのりちゃん見てて、『この子に勝ちたい』じゃなくて、『この子に勝って欲しい』としか思えないようになってきてしまったんです」
「天音……何言うとるんや」
蛇崩が聞き咎めるが、天音は続ける。
「なんか、すずちゃんとか、狼嵜光ちゃんとか、いるかちゃんとか、いのりちゃんとかと、自分を比べるうちに、『この子は何か持っている』、と。比べて、ボクは運が向いてないのも含めて『持っていない』な、別の事をやれと言われているように感じるようになってしまったんです。
3A跳べるようになっても、やっぱり変わらない」
天音はリンクサイドのベンチでうなだれたまま、そう独白する。母親が天音の横に座り、優しく背を撫でる。
「いのりちゃんなんて、ボクがジュニアに上がる年にスケート初めて、もうボクよりずっと前にいる。もう、羨ましいとか悔しいとかじゃなく、すごく楽しみな子だとか、頑張ってるこの子の為に何かできることはないかとか、考えちゃうんです」
「天音だって、頑張ってるやないか。今日だって3Aまで……3Aやで! オリンピックレベルのジャンプやで?」
「オリンピックなんて、何人が行けるんですか? それにボクはもう、いのりちゃんや光ちゃんやすずちゃんのオリンピックの方が……」
なおも復帰を拒む天音を司は遮る。
「じゃあ、そろそろ休憩終わりにして、次は4Sでいいかな?」
「よ、4S?」
パニックに陥りかける天音に司はツヤツヤとした狂気の笑顔で答える。
「そう! 『3Aから』とは言ったけど、3Aで終わりとは言ってないよ? リンクは明日の朝まで使い放題だし、ライリー先生も許可出してるし、美蜂さんも胡荒コーチも明日休みにしてくれたし。
蓮華茶にも『延長は先生の判断で』って言質取ってるし。
何より、俺はこんな面白い選手いじれる、もとい、指導できる機会逃したくない」
「は!? 4S? 今から? いや、遅くなるから新幹線の中で仮眠しておいてとは聞きましたが日を跨ぐとは」
蛇崩が口を挟むが、亀金谷が留める。
「ええやん。明日試験とかやないし、天音がやりたくないんならあかんけど」
「え? いえ! やります!」
高難度ジャンプの魅力に抗えるスケーターなどいない。
それは跳ばせる側の司も同じであるようだった。
「ちゃんとドクターストップだけはかけられるよう、美蜂さんにもお願いしてあるんだ。
スリーターンからサルコウ入る選手の4S指導は実は初めてなんだ。絶対やっておきたかった。深夜の選手指導ってのも、ある元メダリストがやってて、真似したかったんだよね。ということでよろしく。
じゃ、フォームの説明から入るね。」
「……お願いします」
流されるままに返事をする天音であった。
―――
時刻は夜中3時を回っていた。
……シュタッ
……どてっ
着氷に成功した天音だったが、直後に疲労から尻餅をついてしまった。息が荒い。
美蜂が駆け寄ってドクターストップを告げる。
「もう限界ですね。ここまでです」
そう言って、ハーネスを解いた。
司が悔しそうにリンクに膝をつく。
「くそ……ハーネス付き着氷までだったか。間に合わなかった。習得まで見たかったのに……」
「司先生。すいません。ボクが力不足で……」
動かない脚をさすり、美蜂から肩を借りながらリンクサイドに連れていかれる天音を家守が慰める。
「天音っちはすごいっす。十分っす。もう、やめにしましょう。整理運動に行きましょう」
「……はい」
天音がストレッチ等のため連れていかれた後も、司は悔やんでいた。
「くう……。才能あるこの子ならと思ったのに。狼嵜光もまだ届いていない、あの男も跳ばせられなかったジャンプに手が届くと思ったのに、勝てなかった……もう少しだったのに」
消沈する司に蛇崩は駆け寄る。
「司先生はすごいですやん! そんなガッカリせんといてください! 最後のジャンプもあそこまで仕上げてくださったら、あとは自分たちが完成させてあげられます。
司先生。そんなにがっかりせんといてください。ここまでやっていただいて、そんな様子だと、自分たちのコーチとしてのプライドまで傷ついてしまいます」
司も高望みだったとはいう自覚はあった。
「自分では十分やってるとはわかってはいるんです。
しかし、同時にこんな機会はそうそう訪れるものではないと思うんです。
4Lo指導なんて。
やはり、4S習得より4Loを優先すべきだったか……しかし、それだと『スリーターンから入る選手の4S指導経験がない』状態が続いてしまう。習得見込も大きかった4Sを優先せざるを得なかった……」
「一晩で3Aと4S跳ばせただけでもすごいのに、4Loまで成功させてたらやり過ぎですがな!
もう、ホンマありがとうございます。今日のコトは一生忘れません」
涙を流して頭を下げる蛇崩
「じゃ、司先生。私達は帰りますから、明日の早朝のホッケーチームの受け入れ準備、よろしくお願いします」
美蜂と胡荒コーチは司に後を任せると先に帰った。
整理運動を終えた天音が最後に挨拶にやってきた。
「司先生。ありがとうございました! また、機会ありましたらよろしくお願いします」
司は最後に決め台詞を言った。
「困ったらまた来てください。どうか遠慮しないでくださいね。
『どんな困難に溺れちゃっても釣り上げて見せますよ』」
最後のキメが、あまりにもわざとらしく品を作ったものだったので、蛇崩はたまらずツっこんだ。
「司先生。それは何ですか?」
「いや、ちょっと魚渕先生のマネをしてみたくて」
「……」
天音は頬を赤らめた。何かストライクだったようだ。
「……やめてほしいわ。惚れてまうやん」
天音は誰にも聞かれないようつぶやいた。
家守が車をまわし、蓮華茶の皆は車に乗り込んだが、亀金谷ヘッドコーチは朝にライリーに挨拶してから帰ると、その場に残った。
―――
天音たちを伯母宅に送る途中、家守は聞いた。
「こんな深夜になって、伯母さん大丈夫ですか?」
「そちらには連絡してありますから。ちょうど今、待ってるってメッセージ来ました」
天音の母が答える。
「明日の説明会には寝坊しないようにしないとね」
「ボク、一人でも大丈夫だから。お母さんは寝てたら?」
天音の気遣いに母親や優しく答える。
「娘を6年間も預けるかもしれない大学だもの。私もちゃんと聞きます」
そんな家族の会話を続ける天音に、家守は運転をしながら言った。
「みんな、天音っちのコト、運が悪いとか言ってるケド、実際は運が良かったんじゃないですかね?
JGPとか出られず、辞めるなんて言い出さなければ、こうやって東京で司先生のレッスン受けようなんて話にならなかったでしょうし。
3Aなら蓮華茶でもできたでしょうけど、4S習得とか思いつきもしなかったですよね。
4S覚えられるなんて、絶対運良いですよ。何か持ってますね。
まあ、運が悪ければ続けられないなんてことはないと思いますが。
ていうか、4Loとかどうするんすか?」
天音の目はもう濁ってはいなかった。
「4Loなんて危ないジャンプ、独りでやってケガでもしたら大変じゃないですか。……すいません、蛇崩先生。蓮華茶に復帰してまだしばらく続けたいと思います」
「おお、そうか。天音、ありがとう」
蛇崩は感涙した。
「すずちゃんやいのりちゃんたちもビックリしてくれるかな?」
くすぶり消えかけていたジュニアラストイヤーの者達の火種が再び燃え上がった。
―――
朝、ライリーが出勤すると、司はパソコンの前の寝袋で寝こけていた。横では亀金谷ヘッドコーチが座っていた。
「あ、ライリー先生。この度はありがとうございました。
司先生は先程まで起きていたのですが、整氷終えると寝てしまいました。ライリー先生が来る前には起こすように言われてたのですが、お疲れのようでしたので起こしそびれました」
<<<<嘘嘘嘘嘘>>>>
「そうですか、ありがとうございます。
胡荒コーチからメールで少し聞いてますが、3A、4S習得に加えて、4Loもハーネス付き着氷までいったとか」
「ええ。こちらも驚いております。おかげで上桐選手の慰留も叶いました。このお返しは何でもさせていただきます」
頭を下げる亀金谷をライリーは止めながらパソコンを開く。
「ヘッドコーチが『なんでも』なんて白紙手形切っちゃダメですよ。あら? こちらの司先生からのメールの報告書、亀金谷さんひょっとして手直しされました?」
亀金谷は頭を掻きつつ答えた。
「はい。認識合わせの部分を少しだけ」
<<<<嘘嘘嘘嘘>>>>
「そうですか。よくまとまっていて読みやすいですね。ありがとうございます。このまま、蓮華茶の方にも転送しておきますね。
夜遅くまでかかってしまったようですみませんでしたね。アシスタントコーチの皆さんは?」
「上桐選手を送らせた後は、ホテルで休ませてます。
私は、ライリー先生に直接お礼を言わずに帰るわけにもいきませんので、こちらに残らせて頂いた次第です。重ね重ねありがとうございました」
「おやまあ、お気になさらずともよかったのに。
今日はこの後お帰りで?」
ライリーが聞くと、亀金谷は首を振った。
「いえ、よろしければ、今日のキッズ体験講習など手伝わせていただけないかと。司先生は自分も手伝う予定だとは言ってましたが、明日の朝練もあるでしょうから。私も借りを万分の一でも返しておきたくおもいます。」
ライリーは微笑んでその申し出を受けた。
「では、よろしければ手伝っていただけますか? 胡荒コーチまで今日休みにしてしまったので、正直人手が足りてなくて」
その日のスターフォックスリンクのキッズ体験講習は、東西の名門フィギュアスケートクラブのヘッドコーチ2名という珍しい講師陣で行われた。
集まった児童はもちろん、親達も「あのひょうきんなハゲのおっさん」が実は西の名門クラブのヘッドコーチだとは気づかなかった。
ライリーとハゲの共演という誰得