結束いのり、スターフォックスへ   作:山倉衛

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第一章 スターフォックスは夜の森
5話 ようこそ、夜の森へ


―――東京都立川市、スターフォックスFSC

 

 スターフォックスFSCの少女たちは、この日やって来る転入生の話で持ちきりであった。

「本当に来るのかなぁ?」

「エイプリルフールは昨日で終わってるし。あ! でも、アメリカはまだギリ4月1日かも?」

「エイプリルフールで嘘をついていいのは午前中までだよ。ライリー先生もさすがにそんな嘘はつかないでしょ」

 

 そんな話をしている子らの後ろから、際立ったオーラを纏った少女が現れ、声をかけた。

「ねぇ。何の話をしてるの?」

「あ、光ちゃん……」

 

 〝天才少女〟狼嵜光

 スターフォックスFSCのトップ選手。全日本ノービス4連覇に加え、推薦出場の全日本ジュニア2連覇。その先日の全日本ジュニアでは4回転ルッツを始めとする4回転3本他高難度ジャンプを決め、フリー156.54の驚異的記録を叩き出した生きる伝説

 

 もはや歩くだけで女王の凄みを感じさせる彼女は、もう一度聞き直した。

「ねぇ。亜子ちゃん。何の話をしていたの?」

 

 問われた少女は少し引きつった笑みをつくると、あきれたような声で返した。

「光ちゃんの顔に出てるよ」

 

 光は、今までクラブの誰も見たことがないような、満面の笑みを

 ゾッとするような満面の、捕食者の笑みを浮かべていた。

 

 

 話題の少女がライリー先生に連れられてやって来たのは午後のバレエレッスン前だった。

「はーい! では、みんなお待ちかねの転入生を紹介しまーす」

「東山ルクスから移籍してきました。ゆ、結束いのりです。よろしくお願いします!」

 

 〝期待の新星〟結束いのり

 昨シーズンの全日本ノービスでは4回転サルコウ2本を降り、ノービス11年ぶりとなるステップシーケンスレベル4を達成して話題となった選手。

 今シーズンもJGPファイナルで活躍した彼女であるが、驚くべきはそのスケート歴である。

 フィギュアスケートを始めたのは小5、わずか3年前だという話はスケートに関わる誰もが耳を疑うものだった。

 

 去年のジュニア合宿に参加した数名の者以外は、

「ヤバいスケート超人が来る」

 という認識だったが、実際に見てみると、

「なんかトロそうな子」

「キョロキョロしてて、リンクでの姿と全然違う」

 という印象を受けた。

 

『なんか、思っていたのと雰囲気違うね』

『なんで自分の名前でかんでるの?』

 歓迎の拍手をする子らの間でそんな小声がたちあがったが、次の瞬間

 

 ゾクッ

 いのりの目が標的を見つけた狩人の目に変わった。

 床暖房のフロアが氷の板になったような寒気が皆の背筋を走り、ヒソヒソ話を一瞬で静めた。

 

 いのりの視線の先にあったのはもちろん狼嵜光だった。

 光はおもむろに立ち上がると両手を広げて歓迎の意を示したが、皆にはそれが顎を開けて涎を垂らす獣のように見えた。

「いのりちゃん。ようこそスターフォックスへ! こないだのJGPファイナル良かったね。一緒のクラブになれて嬉しいよ」

「……光ちゃんの全日本ジュニア、ものすごく感動しました。ありがとう。ものすごい励みになりました。これからはクラブメイトとしてよろしくお願いします」

 光が握手を促すと、いのりも応じた。

 その間も、2人は瞬きもせず互いを睨みつけており、交わされる言葉とは裏腹な異様な雰囲気に、皆一言も声を出せず、子狐のように背中を丸めて怯えていた。

『ひえぇ……何、この2人!?』

 

 決闘前のような緊張を伴った長い握手を終わらせたのはライリー先生だった。

「はいはーい。それではいのりさん座って下さい。続いて新しいアシスタントコーチの紹介でーす」

 いのりはそれを聞くと、ぴょこんと子犬のようにしゃがみ、新コーチが入って来る扉を見てニコニコしだした。

 凍りついた場の空気もたちまちに元に戻った。

 

 その様子を見て胡荒亜子はホッと胸を撫で下ろし、呟いた。

「ふう。何事もなくて良かった……」

「ねぇ、亜子ちゃん。あの2人、何かあったの?」

 小声で尋ねられて亜子が答える。

「何かあったかっていうか、お互い凄くライバル視してて。去年のジュニアの合宿でも大変だったんだよ。いのりちゃん、初日に光ちゃん見るなり泣き出して」

「泣き出した!? 何で?」

「悔し涙。その半年前の全日本ノービスのだよ! どれだけ引きずるのって」

「わぁ……」

 狼嵜光に負けた事で泣いていたら、自分たちは涙腺が保たない。悔しい気持ちを忘れてしまったのはいつからだっただろう?

「光ちゃんも光ちゃんで、インタビュー練習にかこつけて、いのりちゃんを煽るわ煽るわ……で、もう」

「うわ。普段の光ちゃんから想像できない。でも、さっきの雰囲気もそうだけど、光ちゃんもかなりいのりちゃん特別視してるよね」

「天才は天才を知るってやつ?」

「女王対彗星ってカンジ?」

 そんな会話がもう小声とは言えない大きさで飛び交っていたが、当の本人たちの耳には入っていなかった。

 

 当の本人たちの目は入って来た男性コーチ、明浦路司に向いていた。

 司も新しい生徒に受け入れられようと、気を張って自己紹介をする。

「明浦路司です。結束さんと同じく東山ルクスから移籍して来ました。アイスダンスで全日本の出場経験があります。主にスケーティングを担当します。よろしくお願いします!」

 

 そんな司を見て、いのりは、

「ふふん。みんな『わたしの』コーチを見なさい!」

 とばかりに、得意げな顔をしていたが……

 

『あれ?』

 司は気づいた。

 生徒たちはいのりと光についてのヒソヒソ話に夢中で、ほとんど司の自己紹介を聞いていなかった。聞いていたのは、光くらいのものだろう。そんな状況に気づかないいのりのドヤ顔が痛々しい。

 

 明らかにスベった状況にいたたまれなくなったライリーが無理矢理締めにかかる。

「はーい。みんなもいのりちゃんと司先生をよろしくね。それではレッスンの方を始めまーす」

 司はすごすことトレーニングルームを出つつ、ボヤいた。

「みんなちゃんと俺の名前や顔、覚えてくれたかな……」

 

 事実、誰も名前や顔どころか自己紹介があったこともろくに覚えておらず、直後のスケートリンク練習では、

「あれ? 新しいアシスタントの方ですか?」

 と、何人にも言われて凹むことになった。

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