ジュベナイルチームの幼児たちがリンクに入ってきた。
チーム名は「クリスタル・メッセンジャー・ツイート」
ちなみに、ジュニアのチームは「クリスタル・メッセンジャー・チャット」、シニアチームの2軍、社会人チームは「クリスタル・メッセンジャー・トーク」、1軍はただの「クリスタル・メッセンジャー」か、他チームと区別するときは「無印」と呼ばれるようだ。
「ツイート」チームの今回練習参加者は補欠含め20余名。うち、男子は5名。
「ジュベナイルチームは男女混合なんですね」
司が聞くと、鯨臥は笑って答えた。
「ジュニアチームだって男子受け入れてるんだけど、男子が入っても、すぐペアやアイスダンスのコーチや女子がどこからともなく現れてカップルに引き抜いていくんだよ」
司もこれには苦笑いだった。
「もうね。その手口ったらヒドくってね。話しだすと面白すぎるから今度にするね。
ジュベナイルのコーチはあのオバちゃん、九尾塚くんと、あっちのオニいちゃん、蕨くんね」
鯨臥が指す方向には、中性的な細身の中年女性コーチとやや小柄な青年がいた。
九尾塚は司の後ろの胡荒コーチに軽く手を振り、胡荒コーチも手を振り返す。
「九尾塚さん。ここのコーチ時代からの友達なんです」
九尾塚アシスタントコーチはハキハキとしたよく通る声で子供たちを指導する。子供たちは未就学児とは思えない統制の取れた動きで隊列を組む。
とは言えまだ幼稚園の子ども、チラチラとよそ見をする子もいる。司たちが気になるようだ。
そんな子には蕨がすぐ注意する。
「かなとくーん。ここあちゃーん。よそ見しないでー」
司はその様子に見入っていた。
「あれ? この練習……特に小さい子供にとってフィギュアスケート全般の練習としてとても良いのでは?」
鯨臥もうなづく。
「うん。スケートの基礎やシングル、ペアの要素はもちろん、スピード等スケーティングのコントロール力、そして皆と音楽に合わせる力もよく鍛えられるしね。
コーチの能力が許せばもっと多人数をいっぺんに教えることもできるしさ。
スケートを習う幼児のジュベナイルチームへの参加は任意だけど、大体の生徒は参加希望するね。ついでに言うと、ノービスやジュニアの女子シングル選手も結構ジュニアチームとかけ持ちしてたりするね。
さらについでに言うと、あのアシスタントコーチの九尾塚くん、この後の『トーク』チームのキャプテンで君とも一緒に滑るし、指導は蕨くんね」
「なるほど……結構懐深いですね。個人力でなく全体力が試されるので、それだけ幅広な選手を受け入れられるんですね」
「うん。でも、個人力高い子が集まるね。
最近ルール改正で2回転以上のジャンプもOKになったしね。
ジュニアチームももう少しで16人シンクロ2Aできそうだね」
これには司も驚いた。
「ジュニアで16人シンクロ2A!? それはすごい。もし、2Aに手こずってる子いたら協力させてもらえませんか? 差し出がましいかもしれませんが、俺、最近ハーネス使ったジャンプ指導とか凝ってまして、詰まる子の多い2Aとかこちらから出向いてでも吊りたいくらいなんです」
「ははは。そういや噂になってるね。今詰まってる子はシングルでは跳べる子だからいいけど、そのうち別の子の相談、ライリー先生通してお願いすることになるかもね。
ところで、指導見て気になった点や聴きたいことある?」
「はい。まず、隊列を組み替える時の組み替え要領なのですが……」
それからしばらく、司の質問に対し、鯨臥から指導法についての解説が行われた。
―――
ジュベナイルの練習が終わって、鯨臥からの説明が終わると、今しがた指導を行っていた蕨青年がやってきた。
「鯨臥先生。こちら、今日参加される新規の方ですか?」
鯨臥が司を紹介する。
「そうだ。明浦路司くん29才。24まで現役で、アイスダンスの全日本にも出た。今はあの結束いのり選手のコーチだね。今日は子供向け体験コースにシンクロナイズドスケーティングを導入する為の研修で来た。生で見るのは今日が初めてということで、ジュニアとジュベナイルの演技を見てもらった。体験で今日一日滑るだけだが、しっかり指導してやってくれ。じゃ、任せたよ」
「よろしくお願いします。蕨先生」
「お、おう……あの結束いのり選手のコーチですか。
明浦路さん。よろしく。とりあえず、アップして、今やってるプログラム、動画も使って見てもらいますね。
ちなみに、ジャンプはどのくらい跳びます?」
「最近、3Lzと2A跳べるようになりました。フォーメーションの中でどこまで跳べるかはやってみないとわかりませんが」
「3Lzに2A!? すごいですね。今日は2Sまで入れようと思いますんで、よろしくです!」
司は久しぶりに選手として滑ることにワクワクしてたまらなかった。
スケート靴はシングル用もアイスダンス用も持ってきていたが、今日は2Sまでということでアイスダンス用のシューズを選んだ。
―――
アップや振付確認が終わると、司と一緒に滑るシニアチームの2軍「トーク」チームの選手が集まってきた。男性は司含め3名だが、中には見知った顔もあった。
「あれ? 隣のスポーツ用品店の下蔵さん?」
「司君じゃないか。今日はアイスダンスの靴なんだね」
司がシングル靴を買った、リンクの隣のモール内スポーツ用品店の店員だった。司の全日本の際の3位の選手だ。
蕨や下蔵が司にチームの説明をする。
「『トーク』は趣味でやられてる方の社会人チームですからね。元選手や現役コーチやアイスショーのキャストの方も多いですね。キャプテンは『ツイート』の主任コーチの九尾塚さんで、副キャプテンの蜻堂さんは荒川グローFSCのヘッドコーチで……」
「月2回の練習にも仕事でなかなか来れない人も多くてね。
今日は司君入れてちょうど16名揃ったね」
「よろしくお願いします!」
「みなさん、今日は久々に自分、蕨辰雄がコーチです。
こちらスターフォックスから研修で来た、明浦路司さんです。結束いのり選手のコーチでアイスダンス全日本経験者です。今日一日だけの体験ですが、よろしくお願いします」
「明浦路司です。よろしくお願いします」
「おお、あの結束いのり選手の……」
「スターフォックスに移籍してたんだ……」
蕨からの紹介に皆驚く。明浦路司を知らなくても結束いのりを知らない者は1人もいないようだ。
―――
最後の演技まで終わると、蕨は司に賞賛の声を上げた。
「おいっす。なんか、明浦路先生、すごく上手かったですね」
「いや、一緒に滑らせて下さっている皆さんのおかげです」
そう言われた選手たちが「そんなわけないない」とばかりに手をひらひらさせる。
アイスダンスの実力に加え「鷹の目」による動作再現性の高さを持つ司にとって、動画ででも一度見れば振付の再現までもわけもないものであった。
周りの細かい動きから次の動きを予想し、次の動きに美しく移行する為の計算能力に至っては他を寄せ付けないものがあった。
スケーティングの技術の高さによるスピードや姿勢のコントロール能力は振付師の意図したプログラムの魅力を最大限に引き出し、周りの選手の能力を底上げするものであった。
蕨も司の能力の高さに気づいて、最後の演技では司を引き立たせるために各隊列の重要ポジションに入れる等対応し、これまでチームが達したことのない最高のフィニッシュにまで持っていった。
キャプテンの九尾塚も手放しで激賞する。
「いや、現役バリバリの選手でもいきなり滑ってここまでできる人は絶対いないですよ。一緒に滑れて、こちらが勉強になりました。今日一日と言わず、もう『無印』に入ってもらった方がいいんじゃないですか? きっと金メダルも……」
そんな話をしていると、鯨臥が割り込んできた。
「こらこら、やめなさい。スターフォックスのライリーさんや結束いのり選手に迷惑だよ。
……司君、競技者としてやってみてどうだった?」
司は興奮冷めやらぬ中、あふれる言葉をなんとかまとめて答えた。
「いや、もう、素晴らしい体験でした。
この大人数で合わせる美しさ、楽しさは想像以上でした。スピン一つとっても上手く合わせられると『やった!』って感じになりますね。
もちろん、合わせる難しさはあるのですが、それもまたフィギュアの奥深さを感じ、自分の技を見直すきっかけになります。
他クラブのヘッドコーチまで参加してらっしゃるわけもよくわかります」
鯨臥は満足そうだった。
「ははは。そこまで言ってくれるとは、やらせてみて本当に良かったよ。
指導者として見た場合、チームの指導で何か気付いたことはあったかね? 自分ならこうしたいとか」
司は少しだけ間を置いて答えた。
「今日初めて体験指導を受ける身で、そこまで考えるには至らないのですが、一つだけ。
練習に影響があったわけではないので結果的には何も問題なかったことなのですが、始める際に息を切らしていて少しお辛そうな選手がおられたので、様子を聞いてあげたかったかなと」
これには蜻堂緋紗子が赤面した。
「やだ。司先生、気づかれていらしたんですね。
ちょっと練習に遅れそうで慌てて走って来たので。
生徒のひまりの件でちょっと立て込んでて……」
鯨臥も蕨もこれには目を丸くした。
鯨臥は司の観察能力に脱帽だった。
「よくそこまで気付いてたね。僕も蕨くんも全然わからなかったよ。やはり、結束選手のようなとても素晴らしい選手を持つコーチは違うなあ」
司はいのりが褒められたことに今日一番の笑みをこぼした。