「あら? 光ちゃんは学校お休み?」
実叶が、平日午前に小中学生を見つけた時のテンプレ対応を取ると、光は説明するのが面倒くさそうに答えた。
「練習の方が大事ですから」
これは実叶には意外だった。
光の担当も司になったと聞いており、いのりと同じく「どんなに焦っても、練習のために学校は休まない」方針だと思っていたからだ。
「あれ? 司先生、いいんですか?」
司は穏やかな声をつくって答えた。
「学校を休まない方針はあくまでいのりさんとの約束だからね。光さんとはそんな約束してないし、ライリー先生も黙認してるから。練習量も守れる子だからね」
そして、同じく優しい口調のまま、光に聞いた。
「光さん。今日は何か練習、お手伝いできる事あるかな?」
光は憮然とした表情で、トゲトゲしく言った。
「いつも通りの練習、スケーティングからしてるだけなので必要ありません。
司先生には3Lzからのコンビネーション、早く習得してくれないと困るんですが」
司は苦笑いして答えた。
「はいはい。頑張るよ。そちらも根を詰めないようにね。
じゃ、実叶さん。また」
そう言って、ジャンプ練習を始めた。
「じゃ、先生、また」
実叶も他のジャンプにかかる前にスケーティング練習を詰めることにした。
そんな実叶のところに、光が話しかけてきた。
「あの、実叶さん。いのりちゃんから来月ここのスタッフとして働くって聞きました」
「そうなの。スケート靴まで気合い入れて買っちゃった。でも、選手として滑ってたの、ノービスまでだから流石にブランクあるなぁ。今、感覚戻すために練習してるの」
ここで光は申し訳なさそうに聞いてきた。
「そうですか。あの、ちょっと失礼かもしれませんが、聞いていいですか?」
「? 何?」
「いのりちゃんから、実叶さんは怪我でスケートおやめになられたと聞いていて、その、詳しく聞いていいですか?」
「……いいわよ」
怪我の怖さは選手同士でよく話していても、怪我をしてやめた者の話はなかなか聞く機会がないだろう。実叶は快く話に応じた。
―――
光は実叶の話に熱心に聞き入り、そのうち実叶が休憩でリンクを降りるとそのまま自分もリンクを降りてベンチに並んだ。
「そうなんですか。やっぱり、はっきりした事ってわからないものなんですね」
「そうね。あの日も体調とか普通だったし、前日や前々日と同じように練習して、そのジャンプも着地まで特別に何か失敗した感覚はなかった。
でも、敢えて後から「これかも」って原因を挙げるとすれば「練習しすぎ」だったのかも、って思う」
「『練習しすぎ』ですか……」
実叶の仮説に光は少し不安になった。
「そう、あの日のあのジャンプ、2Aは跳べてるジャンプって、自分のものになってるって認識あったし……あ、これ、いのりには言わないでね。いのりちゃんがアクセル怖くなっちゃっても困るし」
「ええ。で、『練習しすぎ』の話を」
「そうそう。その日も何本も跳んでもう大丈夫、次のジャンプで3回転に挑戦しようとして、その日最後の2Aのつもりだった。いつものとおりに降りたつもりだったけど……」
ここで、実叶は少し声を細めて確認した。
「ちょっと痛そうな話になるけど、いい?」
「はい」
光は構わず、先を促す。
「降りた瞬間、氷が割れてガクッと階段一段踏み外したような衝撃あって、何があったかわからないまま転倒して、足の方見たら変な方向に曲がってた。最初頭が理解してなかったけど、次の瞬間激痛が走って……」
ここで実叶は光の様子を伺った。光は痛そうな話にたじろぐ様子はなく、逆に、先を促してきた。
「それで、『練習しすぎ』ってのは?」
実叶は確信した。この子はもっと残酷な、いのりにもした事がないような話をしても大丈夫だ。
「だから、怪我をする瞬間まで『痛い』とか『おかしい』とか、全くなかったのよね。コーチや周りの人も気づかなかった。怪我をして、何で怪我をしたのかって考えて、周りの人に聞いてもわからなくて。考えに考えて。お医者さんと検査結果とかも確認して、最後に残ったのが、『疲労骨折だったかも?』『練習時間、ちょっと多くなってたかな?』くらいだったの」
光の表情が曇る。
つまるところ、実叶は「練習時間がちょっと多いくらいだけで、自覚症状も、側から見ておかしなところもなかったのに疲労骨折した」と、言っているのだ。
これは確かに怖い話だ。自分も他の人も疲労骨折一歩手前であってもわからない、気づいてももらえないという事だ。
実叶が、慌てて捕捉する。
「もちろん、本当にそうかなんてわからないよ。練習量も身体の負担も骨量も人それぞれだし。
いのりはすぐ練習がんばりすぎちゃう子だし、シンスプリントも経験あるし、成長痛まであるから、学校休んで練習とか危ないけど。
でも、光ちゃんは『練習量守れる子』って、司先生お墨付きだし、大丈夫じゃない?」
「……そうでしょうか?」
光は納得いかなかった。
司をそこまで信用していないし、自分も昨シーズン前、腰を痛めて休養時期をとったことがある。腰痛の主因はルッツのフォームだが、夜鷹との深夜練習等による練習量の多さも遠因ではないかと思われる。
今は深夜練習もしてないし、このようにレッスン外で来た時の練習時間も把握してはくれているようだが、総練習時間を制限するように言われたわけではないので、正直何で「練習量守れる子」とまで言ってくれるのか意味わからない。練習量に口出しして、負けた時の責任取りたくないだけかとすら疑う。
訝しげな表情の光に、実叶はさらにフォローを入れる。
「スターフォックスってすごいよね。身長と体重、こまめに測るし、超音波骨密度計まであって。おまけに半年毎の検査でX線でも骨量詳しく調べてくれるんでしょ? メディカルトレーナーの美蜂さんまでいるし、練習量とか骨量とか気になるなら相談してみたらどう?」
「美蜂さんには本当に助けられてます。前の興梠トレーナーも腕の良い人でしたが、やはり女性の方が相談しやすいこともあって……」
ここで、光はさらに声を落として、真剣な表情をして言った。
「あの、ちょっとさらに込み入ったこと聞きたいんですけと、スタッフブースに来てもらってもいいですか?」
―――スタッフブースC
スタッフブースに案内された実叶は、最初にドアの裏の注意書きを見て吹き出した。
「ぷぷっ。あはは。この『ライリー先生の前では恋バナ禁止』って何?」
「ライリー先生、恋バナ聞かされると理不尽にブチ切れるんですよ。最近はそうでもないって聞きますが。
実叶さんも、バイト始めたら気をつけて下さいね」
光は実叶が腰掛けるのを待って自分も座ると話を切り出した。
「……実叶さんに聞きたい事なんですが、『何でスケートやめられたか』なんです。怪我を理由にやめられる女子選手が多いのはわかってます。でも、詳しい話まで聞かせてくれる方っていなくて……」
実叶は少し躊躇ったが、やがて、答える条件を提示した。
「答えてあげてもいいけど、2つ、条件があるかな。
まず一つ目は、何で聞きたいか教えてくれる?」
光は少し目を伏せたが、少しずつ口を開いた。
「岡崎いるかさんって知ってます? 一昨年のJGP金メダリストで今年、シニアに上がられたばかりなんですが」
実叶はびっくりした。
「よく知ってるよ。去年の全ジュニで大怪我しちゃって、JGPもファイナル棄権になっちゃって今もリハビリ中でしょう? 私、怪我の時会場いたし、いのりが仲良いから。
あと……実は、いるかちゃんは昔名城クラウンにいたから。その時は一緒に練習したり遊んだりしてたんだ。
いるかちゃんはもうすごい選手になっちゃったし、私のこと覚えているかわからないけど」
「……そうでしたか。実は私、ジュニア合宿の時にいるかちゃんにお世話になってて、いるかちゃんがちゃんと復帰してくれるか心配で。それで、復帰を諦めた人の話を聞くことで復帰するために必要な事がわかるかもって思ったんです」
光はジュニア合宿の時、慎一郎コーチの目が離れるのを見計らって夜鷹秘伝の4Lzのフォーム練習をしていたが、腰を痛めるフォームに気付いたいるかは腰のサポーターを貸してくれた。おかげで、腰の痛みを早期発見することができた。ものすごく大恩ある人だ。
フォームが腰を痛める事を教えてくれればもっと良かったが……他のクラブのライバル選手にそこまでは言えなかっただろう。「そのルッツやめろ」と言うようなものだし、ルッツは「他人のルッツを笑うな」と言うくらい機微なジャンプだ。
「そうなの……。参考にならないかもしれないけど、どうしても聞きたいなら、他の人、特にいのりには絶対に秘密にすることがもう一つの条件だけど、それでいい?」
実叶の確認に光はうなづく。
「そう。……私が引退したのはね、怪我というきっかけもあったけど、色々大変だったお母さんを楽にさせてあげたかったからなの」
光は目を見開いた。
「お母さん……ですか?」
「そう。フィギュアスケートって習わせるの大変でしょう? 朝早かったり、夜も遅かったりするから、中学くらいまでは送り迎え必要だし……、あと、……ここからのところは特に、本当にいのりには内緒だからね! 絶対に言わないでよ!」
強い口調で念押ししてくる実叶に、光は静かに答えた。
「誰にも言わないと誓います」
実叶は光の真剣な様子を再度確認した。