実叶が平日午前のスターフォックスリンクに行くと、ライリーと司がまばらなリンクで何やら作業をしていた。
司から実叶に声をかけてきた。
「やあ、実叶さん。今日も練習? 熱心だね」
実叶は照れつつ答える。
「年パスまで頂いたので、ちょっと運動しに来ただけです……何やってらっしゃるんですか?」
ライリーと司は三角コーンをリンクに配置しているようだ。営業時間中、選手の自主練時に一般客との混交を防ぐために配置するのはよく見かけるが、そういう何かを囲む配置ではない。
ライリーがニンマリ笑って答える。
「ふふ、実叶さんのアイデアを元に、ちょっと幼児体験レッスンの仕込みをしています。
ちょうどいいですね。実叶さんも見ていて下さい」
ライリーの声に応じて、司が何か手信号を送る。
すると、胡荒コーチの声で場内アナウンスが流れた。
『ただいま、会場テストの為、メインリンクでコーンの設置、音楽および照明テストが行われます。コーンは避けて滑走していただくようお願いします。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします』
すると、N*Kが応援ソングとして制作、国民的アーティストが作詞作曲を務めた某有名お遊戯ソングとともに、リンク中心から各コーンに向かって6本の光の線が投映された。
前奏が終わると、曲に合わせてその線がゆっくり時計回りに回りはじめる。
実叶は気づいた。
「あ、なるほど。体験レッスンでシンクロナイズドスケーティングやらせる際、隊列維持につかうんですね?」
「御名答。さすがシンクロナイズドスケーティング導入の提案者ですね。今、レッスンの内容詰めてるとこなんですよ。
コレならたくさんの子に対してでもわかりやすく教えられるでしょう? 先週から、なんか体験の申し込みも増えてて……」
実叶はその理由に気づいた。
「あ、先々週、都内の学校や隣の市の幼児サッカー教室とかで熱中症での救急搬送とか相次いだからじゃないですか? なんか、夏休み中の運動教室の中止とかしてましたし」
ライリーも納得した。
「なるほど……不謹慎ですがそれは敵失ですね。体験レッスン頑張らないと」
そんな話をしていると、意外な闖入者が現れた。
「へえ、面白そうですね。エキジビジョンみたい」
「!? ぴかるん、何で来てるの?」
狼嵜光だった。
光はライリーの反応に、意外そうに眼をパチクリさせた。
「? いつも通り自主練ですけど?」
ライリーは目を細めて注意した。
「中学の特競部から、『テスト一週間前は部活禁止』って連絡あったよね?」
光はライリーがそんなお堅いコト言うのは意外だった。
「はい。そう言われましたがいつもの事ですし、ジュニア合宿も近いので」
ライリーはなおも詰めてくる。
「私にもぴかるんにも改めて『テスト前は部活禁止』って連絡あったのは、『今回はちゃんと守れ』って事だと思うのよね」
つまりは、前回のテストの成績も思わしくなかったので、『今回は守れ』とのお達しが来たのだろう。
そこでライリーは司に矛先を向けた。
「コレは、担任コーチの監督不行届きですね。いくら、うちのクラブは学校の部活ではないとは言え、生徒が自主練に来ざるを得ないような状況を放置しているとは……」
急に槍玉に挙げられた司は、思い当たるフシがあるので平謝りする。
「申し訳ございません。3Lzからのコンビネーション、まだ見取り稽古させられるレベルには至っておりません。
光さんには申し訳なく……」
これには光が慌てだした。
「べ、別に私、司先生見たさに来た訳じゃありませんから!」
<<<<嘘嘘嘘嘘>>>>
光はどもりながら理由を口にした。
「あの、今日は4時間目技術家庭で、5時間目保健体育で、6時間目ホームルーム……」
主要5教科ではないから構わないだろうという事を言いたいのだろうが、いかにも理由が弱い。
ここで、実叶が光を庇ってきた。
「光ちゃん。知らないかもしれないけど、技術家庭も保健体育も内申評価に掛かる9教科だし、中間テストがない分期末テスト前の授業だけは出た方がいいよ。
今から学校に戻るなら5時間目には間に合うんじゃない?」
光はなおも不満気だったが、ここで逆らうのは得策ではないと見て、実叶の提示する落とし所に乗っかった。
「そうですね。やはり戻って授業を受けることにします。ご心配おかけしてすいませんでした。
通常の練習だけ、またよろしくお願いします」
「了解〜。じゃ、テストちゃんと頑張ってね」
ライリーに帰される光の姿に、司はホッと安堵した。
光が帰るのを見て、実叶はライリーにそっと耳うちした。
「あの、ちょっとした事なんですけど、実は私……」
ライリーは実叶の言葉に最初は驚き、次に苦笑いを浮かべると実叶に答えた。
「あー。それはぴかるんにはちょっと内緒にしといて。すぐわかる事だしね」
―――
光が去った後、ライリーは司をマネージャールームに呼んで、光の事について話をした。
「ごめんなさいね。司先生悪者にして」
「いえ、自分に至らないところあるのはそのとおりですので」
頭を下げる司をライリーは制する。
「頭を下げるのはやめてください。あの場では保護者の立場として、学校をサボる事には何としても釘を刺しておく必要がありましたから」
司は不思議そうな顔をした。
「保護者の立場として、ですか?」
ライリーは少しイラついて自嘲気味に語った。
「ええ。同年代の子と共通的な日常経験を欠いたまま育ってしまうと、特に女の子はロクな大人になりませんよ。
R国のメダリストとか見てるとわかるでしょ?」
司はよくわからないといった顔で答えた。
「いえ、R国のメダリストの方はあまり存じあげませんが、メダリストとして若くして引退後も経営者として素晴らしい人物であらせられるお方を普段から目にしているもので」
司はお世辞のつもりも全くなく、本心からライリーの事を尊敬しているがため口にした言葉だったが、ライリーは憤懣やる方ないといった様子で立ち上がった。
ライリーが立ち上がる時は怒った時ぐらいと知る司はギョッとした。
「私のような特異例を成功例と捉えられるのが一番腹が立ちますね。私は至極幸運に恵まれた一例に過ぎず、才能のある子であっても特別扱いの中だけで育つ事はよろしくありませんし、幸せにもつながりません」
そこまで言って、司に憤りを十分示せたと感じたライリーは椅子に腰掛け直して続けた。
「幸い、今の学校は周りに同じアスリートの多い環境で、クラブ以外でも同じ仲間と過ごせる貴重な環境なので、大切にして欲しいですね。
それでも、ぴかるんレベルだとどうしても特別扱いされがちになるとは思いますが、大会が近いわけでもないのに自ら進んで学校サボってまで特別扱いされようととするのは思いとどまらせておいた方がいいでしょうね。
フィギュアスケートだと2、3学期にテストと大会が丸かぶりすることザラなので、学校側から釘も刺された1学期の期末テストくらいは他の生徒と同じように受けておいて欲しいですからね」
司はライリーの深い考えに脱帽だった。
「すいません。俺はそこまで考えが至っていませんでした……」
深々頭を下げる司をライリーは止める。
「よして下さい。今の自分の見解はあくまで保護者としての、今回のテスト期間に限った意見なので。
司先生がコーチとして競技上で喫緊の課題感じていたり、全く学校に馴染めずクラブしか居場所のない子だったりしたなら、逆の判断する事もあり得ます。
このクラブを居場所のように感じてもらえる事は嬉しくもありますが、ぴかるんのように学校にも馴染める子はその環境、大事にして欲しいですからね」
司は少し頭を掻きつつ言った。
「まあ、競技上は確かに心配ないですね。3Lzからのコンビネーションも自分の見本の準備を待つ事なく、取り戻してしまいそうですし」
「司先生もそこまで無理する事ないですよ。競技復帰するわけでも無いですし、ジャンプ研究の範疇で頑張っていただければ。
……ところで、いのりんのほうはどうですか? 来週からテスト前週間でしたっけ?」
「ええ。まあ、勉強は怪しいところですが、萌栄さんと同じクラスで頑張っているようです。
実叶さんもまだリンクにいますし、学校での様子とか確認してみますか?」
そう言う司をライリーは制止する。
「よしたげなさい。ぴかるんと違い、いのりんにはちゃんとした保護者がいますから、こちらが出過ぎたまねをすることはありません。何か学校や家庭で問題があっても、クラブとしての立場で接してあげる必要ありますからね。
向こうのご家庭から相談されたら、スポンサー問題の時のように家庭や個人の込み入った話にも立ち入らなければいけませんけどね」
司は、競技ではなく生徒を第一に考えた上で光には保護者として、いのりにはコーチとして立場を分けるライリーの振る舞いに感銘を覚えた。
「俺、改めて、メダリストとしてもヘッドコーチとしてもこのような素晴らしい方の元で働けて幸せに思います」
ライリーは司の本心から漏れ出た強火の賛辞に赤面すると、慌てて言い返した。
「よしてください。
私なんて、運良くメダリストになれて、運良く他の人の協力でヘッドコーチやれてるだけの若造ですよ。
ただ、才能に恵まれた選手たちがフィギュアの世界だけでなく、人としても幸せになれるようになって欲しいだけで。
ほら、フィギュアって選手の負担大きく選手人生も短いじゃないですか。
例え競技でうまくいかなくても、その後で人生うまくいくようにしてあげたりしたいですし。競技でうまくいっても、その後人生うまくいかない、あの人のようにはならないようにしたいかなと」
司は最後に触れた「あの人」が誰の事を指しているのかよくわかった。
「夜鷹さんのことですね」
「夜鷹さんのことです……」
ライリーと司は揃ってここにいない夜鷹の事を思い微妙な顔をした。
ライリーの言う「競技でうまくいかなくても、その後で人生うまくいくようにしてあげたりしたい」人物が自分のことを指している事に、司は全く気づかなかった。