司とライリーはジュニア合宿前の打ち合わせを始めた。
最初の議題は「半年後のユース五輪までに鵯朱蒴に4回転を習得させる事は可能か、可能とすれば、どのようなジャンプを仕込むべきか?」であった。
鵯朱蒴。中学3年。15歳。
昨年はJGPファイナリスト
157cmとやや小柄ながらジャンプの精度は高く、先日司の指導により3Aの習得に成功するや否や、すぐタノジャンブで安定して飛ぶ事ができるようになった。
今シーズンのユースオリンピックへの選出、メダルも期待できる選手である。
とは言え、男子シングルのジュニアもなかなか層は厚い。さらに、魚淵が何人か3Aや4回転ジャンプ等高難度ジャンプを指導して回っていると伝え聞く。
また、蓮華茶FSCでは魚淵を何度か呼んだり、蛇崩アシスタントコーチがハーネス指導を習得したりして男子選手のジャンプを増強しているらしい。
他のクラブの選手も要注意だ。名港ウィンドの鴗鳥理凰も――司の指導で――3Aを跳ぶようになったし、ヘッドコーチの鴗鳥慎一郎が自らハーネスを持っての指導を始めたらしい。
朱蒴も3Aという武器を手に入れたとは言え、もうひとつ決め手となる技が欲しいところ。幸い3A習得後の上達が予想外に早く、ジュニア合宿直前に4回転が視野に入ってきた。というわけで本日の研究である。
「フィジカル、テクニック等基盤的には、4Tも4Sもギリギリというところですね」
認識共有を図る司に、ライリーが難しい顔で決断する。
「正直なところ、大会に出せるレベルで習得できる可能性は3〜4割といったところでしょうかね……。
だがしかし、やるしかないですね。4回転無しで挑んだ場合、ユースに出られる確率は半減、ユースでメダル取れる確率はほぼゼロでしょうから。
4回転のリスクや習得できなかった場合のロスを考えても、メリットが上回るかと」
司もこれには同意だった。
「朱蒴君も体幹しっかり作ってきて、スケーティングもジャンプの軸取りもしっかりしてきてますし、何より3A習得後の伸びが目覚ましい。
ジャンプの習得後の鍛錬で全体的な向上が見られる、新しい技をこなす事で伸びている選手とみなせます。4回転挑戦も将来へのステップという面でもやらせるべきでしょう」
そこで司は一度話を変えた。
「ところで、朱蒴君はタノジャンブに磨きをかけているようで、これは昨年からの本人の発意と聞きますが?」
ライリーは少し考えて答えた。
「光ちゃんの影響でしょうね。彼女がタノジャンブを活用してジャンプを磨いていたのを見てましたから。
ただ、朱蒴君は光ちゃんと違ってそこまでタノジャンブの利点を駆使できてるわけでも頼ってるわけでもないので、4回転どちらにするか考える時は一旦置いときましょう」
司はそれに対して用意していた自分の考えを述べる。
「そうですか。タノジャンブを活かすこと考えた場合は、下半身の力を活かして4Tかなとも思ったんですが」
ライリーはこれには反対した。
「下半身の力に頼る『汚い』男子の4T覚えられても困りますね。朱蒴君の骨格だと足を痛めかねない。上半身の力の使い方の方をキチンと覚えて欲しいです。
ただ、4T、4Sどちらにするかは本人に選ばせてみようと思います」
「朱蒴君はサルコウ跳ぶ時トゥーループと似たちょん開きで跳ぶので、タノジャンブの事を置いておくなら4T、4Sどちらも習得見込みにさほどの差はないと思いますが、本人に選ばせるのはどういう意図で?」
確認する司にライリーは答えた。
「朱蒴君、ちょっと自分に自信がないところあるじゃないですか。
私たちのオススメジャンプより、自分で選んだジャンプの方が習得した時に獲得できる自己肯定感が増すとと思うので。ちょっとすうくん、まだ自主練してるから呼んで来るわね」
―――
「4Sです!」
即答だった。朱蒴がこれほど顕に感情を出すのは珍しい。
『4S習得したら、いのりちゃんとシンクロジャンプ動画……』
上機嫌なあまり、鼻の下まで伸びている。
ライリーも上機嫌で答える。
「サルコウね。オーケー。グッドチャレンジ。
あとで早速フォーム説明から入るよ。トレーニングルームで待ってて」
まず、最初の議題の答えは得られた。
―――
次の議題は光のジャンプについてだった。
「光ちゃんのルッツについては、もう、3Lz+3Tまで戻っている、3Lz+3Loも東日本までに戻る見込みという認識でいいですか?」
ライリーの確認に司は答える。
「はい。Lzのクセはほぼ消え、無理な捻りで稼いでいた分の回転パワーは足抜きの効率化と太腿のバネの活用で補填できてます。3Lzからのコンビネーションについても十分でしょう。ただ……」
司は少し言いよどんた後に続けた。
「長期的には4Lzへの道筋が見えない事ですかね。あとは体幹と筋力を地道に鍛えるしかなく、女子の筋力の伸びから考えると……」
ライリーは少し顔をしかめながら言った。
「短期的には問題ない、ですか?」
司は首を振った。
「光さんは金メダルへの執着が強い選手です。しかし、各クラブで3回転アクセルや4回転に挑戦する選手が増えた今シーズン、4回転を跳ばないといけない状況に追い込まれる恐れがあります」
ライリーはため息を吐いた。
「4回転封印を決めたクラブとしては対処しない訳にはいきませんが……。やはり、隠し球として4Tあたり封印解除して仕込んでおきますか?」
司はこれには反対した。
「今なら99%身体への影響のない4Tが仕込めると考えます。しかし、光さんは将来性が大変高い選手です。担当コーチとしては、120%選手生命に影響のない形で仕込みたい」
ライリーは司の目を覗き込みつつ聞いた。
「それはいのりちゃんと同じ育成方針ですか?」
司は少し考えて答えた。
「選手生命重視はどの選手も同じです。ただ、ここからは憶測になりますが、いいですか?」
ライリーはうなづき、先を促す。
「光さんは、動作再現力が高すぎて、やろうとする技が自分にとって無理がある技でも、半ば無意識的に限界を超えて再現しようとしてしまうところがあると推測します。
それが幸運にも能力向上をもたらしたのが3Aであり、3Lz+3Loであり。不幸にも腰の故障をもたらしてしまったのが……」
「去年の4Lzという訳ですか? 念のため推測の根拠をいただいても?」
ライリーの問いに司は半ば憎々しげに答えた。
「夜鷹純の4Lzです……彼は現役時代も自分が見た時も、光さんのような4Lzは跳んでない。似ていますが、見た目ではわからない力の働きが違います。全身の優れたバネを使いこなして腰を力の伝導に使用している夜鷹純に対して、女性の重い骨盤を弾み車にするような危険なアレンジは……」
ライリーは顔をしかめて言った。
「それが彼女が再現能力ゆえに知らずにハマってしまった落とし穴ですね。皮肉なものです。夜鷹の壁を越えようとして得たものが鉛の靴という訳ですか。それが、光ちゃんのチャレンジを躊躇わざるを得ない理由ですか」
「そうです」
答える司もつらそうだった。
「では、彼女の4回転制限については、やはり年度当初の方針どおり今シーズンは続けることにしましょう」
ライリーはそう言って話題を変えた。
「思ったより伸び悩んでいるのはいのりちゃんですね。まず、コレオシーケンス。準備も研究も情熱も十分と思いますが、動きから硬さが消えませんね。ジュナさんは問題ないと言ってましたが……」
司は少し目を伏せながら答える。
「個々の振り付けや表現を納得するまで詰めることにこだわってしまっているようです。全体としての完成度やジュニアらしい素直な表現の発露を期待して指導をしてはいるんですが……」
ライリーは司とは対照的に上を見ながら言った。
「小さなリンクで個々の要素を詰めるやり方が抜けていない……わけではないと流石に思いますが。
コレオばかりは仕方ありませんね。絵の描き方と同じで、手法はあっても正解はない。まずは気ままに描かせましょう。焦る時期でもありませんし」
ライリーの右手が少しイラついたように机をコツコツと叩き出した。
「ただ、Lzのフォーム変更については、コレはどうなんですかね? 未だに2Lzまでしか跳べてないというのは。
難しいフォーム変更とは言え、この時期には3Lzからのコンビネーションに挑戦はしていなければならないかと」
司はこれには頭を上げ直して言った。
「これはいのりさんとも話し合って決めてます。回転数を上げるよりは個々のチェック点を満たすように焦らず詰めてます。いくらか達成できないままでも3Lzに上げられますが、それではフォーム変更した意味がない」
ライリーはこれには手を合わせて表情を戻した。
「本人に焦りがないなら私も焦らないようにしましょうか。JGP、遅い試合に入れておいて良かったですね」
と、そこへノックの音がして、胡荒コーチが入ってきた。
「打ち合わせ中失礼します」
「ちょうど良かった。次は亜子ちゃんの話をしようとしていたの」
そう言うライリーに胡荒コーチは少し眼をしかめながら言った。
「今しがた手に入れた情報ですが。
岡崎いるか選手がシニアの西日本大会ではなく、ジュニアで出るようです」
「……ふむ」
ライリーはしばし考えた。
スケート年齢で17歳から18歳の選手はシニアとジュニア両方に属しており、全日本か全日本ジュニアどちらかを選んで目指すことになる。
ただ、全日本での成績はランキングに反映され、海外戦への選考等に影響するので、通常は全日本に出る。JGP優勝経験まである岡崎いるかがわざわざジュニアの実績を必要としたとも思えない。
全日本ジュニアに出る目的として考えられる理由はただ一つ。
「狼嵜世代との対決ですか。舐められたものですね」
全日本ジュニアで好成績ならそのまま推薦で全日本に出られるが、ジュニアで待つのは狼嵜世代。岡崎いるかと言えど表彰台落ちの可能性は少なくないはず。
「全日本で待っててくれればいいものを……これは丁寧に返り討ちにして差し上げないといけませんね」
嵐の予感がする。
今年の全日本ジュニアは大荒れになりそうだ。
ライリーは口角を上げた、いわゆるドルフィンスマイルを浮かべた。
次回より新章突入します
(8/25最新話情報より追記)
お、おう、すうくんファイナリスト、、、
って、待って待って、女子シニアファイナリスト6人中5名日本ってマジか
それに男子の方は冒頭でポーズ取ってる見かけない3人はシニアらしいので、男子ジュニアのファイナリストはすうくん一人、、、というより、合宿にいるジュニア男子数からして昨シーズンは表彰台入りしたジュニアの子いる
すうくんが表彰台乗らないと、グランプリシリーズ各2枠国から1枠国に転落、、、
すうくんの強さ盛らないとなぁ
(追記)
グランプリシリーズの枠はグランプリシリーズの成績でなく世界ジュニアの成績と指摘ありました。ありがとうございます!