66話 ジュニア合宿 その1
関空アイスアリーナNTCでのジュニア強化合宿が始まった。全国から集められた選りすぐりのメンバー、のはずだが。
「去年とほぼ同じメンツですね」
「そうですね」
ライリーと司がいうとおり、7割方去年と同じ選手だった。それだけ狼嵜世代が粒揃いと言える。
「イノリー!」
いのりを見つけたミケがいのりに跳びついてくる。彼女は今年も長野合宿成績優秀者としてノービスからの参加だ。
「イノリ! ミケもノービスAに上がったのら」
そう言って、ミケは殺気を込めていのりを見つめたが、いのりは可愛い年下の子の上目遣いとしか捉えなかった。
「そうだね。大きくなったね」
「……」
ミケはムカついて続けた。
「全ジュニ。久しぶりに戦えるら」
「? ……あ、そうだね、推薦狙えるよね。楽しみだね」
その余裕のあるいのりの態度にミケはさらに苛立ちをつのらせた。
そんなところに、見知った顔が近づいてきた。
「いのりちゃん……お久しぶり、です」
「わ、カンナちゃん、久しぶり! ノービスBからの特別枠だ。去年のミケちゃんと一緒だね」
カンナに目がいったいのりの様子を見て、ミケはヤキモチを焼きカンナに絡んできた。
「あ? ミケが特別ゆーしゅーだったからできたBからの枠に、なんか乗っかってきた小さい子がいるのら?」
自分の小ささを棚に置いて絡んできたミケに、カンナは物怖じせず、ポカンとした表情のまま返した。
「ワタシ。4回転跳べるから選ばれた。とくべつ。
ノービス女子で跳べる子、他にはいない」
これはノービス女子で、ジャンプ至上主義、「フィギュアの上手いヒト=ジャンプの上手いヒト」の考えのミケの神経を豪快に逆撫でした。
「ああん? 男子でもやらないようなあんなクソ汚い4T跳んで、何いい気になってるらぁ!?」
その怒声はホール中に広がった。
慌てて周りの選手やコーチ陣が駆け寄りなだめにかかる。
まずはいのりがカンナを庇った。
「ミケちゃん! ミケちゃんの方がお姉ちゃんなんだから、怒っちゃダメだよ」
「イノリ……」
少しシュンとなったミケをコーチ陣が引き離しにかかる。
「はいはい! ごめんね。
ミケ! ちょっとこっち来い!」
那智鞠緒コーチがミケの首根っこを持って引きずって行く。
「ウチのカンナがスミマセン! こら! 何やった? カンナ!?」
経緯を知らない布袋野兎太コーチは、またカンナが何か失礼な事をしでかしたと解している。
カンナは涼しい顔だ。
「ワタシはとくべつ」
「……」
4回転を跳べるようになったカンナは変わった。
練習により熱心に打ち込むようになり、4T以外のジャンプやスケーティングもみるみる向上している。
しかし、性格は変わらないどころか、よりマイペースになった。天才少女と注目を集め、周りからの視線に晒されても、今のように他の子に絡まれても、泰然自若としている。
さらには、4回転跳べる跳べないに関して無神経な言動も目立つようになった。
これには布袋野コーチも手を焼いており、同クラブの大蜘蛛蘭に至っては今の件も少し離れて見守るのみだった。
少し間を置いて、事情を確認した鞠緒がミケを謝らせに戻って来た。
「ほら、ミケ太郎。4T貶したことだけは謝っとけ」
「……」
ミケが頭を下げるのを渋っていると、カンナはつまらなそうに
「ふあぁ……」
と、あくびをした。
「!?」
これには横にいた兎太も顔を引きつらせて、慌ててカンナの口を塞ぐ。
「……わ、悪かったわ!」
ミケは吐き捨てるように謝ると、そのままプイと走り去ってしまった。
「あ、太郎! ……すいません、布袋野先生。
待て! ミケ!」
鞠緒は、布袋野コーチに目配せして頭を下げると、あわててミケの後を追いかけた。
残された兎太はため息一つ吐くと、カンナに説教した。
「あのな。話してる人の前であくびはアカン。すごい失礼や」
「……ん」
あくびを堪えて返事をするカンナに、兎太はまた出そうになったため息を噛み潰した。
―――
女子トイレの陰で鞠緒はミケを慰めていた。
ミケは泣いていた。
「悔しい……。
アイツはウチの事なんとも思っとらん。
4回転が跳べないその他大勢の誰かくらいにしか思っとらん。悔しい……」
鞠緒がミケの肩を掴んで諭す。
「お前がその他大勢なんて、そんなワケないだろう!
長野合宿でも優秀でこうして2年連続でジュニア合宿に呼ばれて、去年のノービスBでもぶっちぎりで優勝してあの子だってコテンパンに負かしてるじゃん。
あの子はただ、ちょっと偏った才能あって、ついこないだから4回転跳べただけじゃないか。4回転跳べたら偉いわけじゃない」
これにはミケは激越に反応した。
「4回転跳べたら偉いに決まっとろう!
スケートのことわかっとらんじいじもばあばも、回転数多いジャンプ跳べたらすごくて、4回転ならオリンピック狙えるって知っとるだらぁ。
光ちゃんだって、4Lz跳んだから世界中でニュースになっとる。
いのりちゃんだって、4S跳べるからすごいんじゃ……」
「……」
鞠緒は言葉に詰まった。
スケートの強さとはいろいろ、と諭すのは簡単だが、素人にもわかりやすいジャンプの魅力を否定してみせるのは容易ではない。実際ジャンプの魅力こそがミケのモチベーションやプライドを形作っており、これを否定してはミケのスケートを否定することにも繋がりかねない。
ミケは泣きながら吐き捨てる。
「ウチはイノリにも光ちゃんにも勝ちたい。ノービスAで勝てば推薦で全ジュニに出れて戦える。でも、勝てない。シニアの選手には3Aや4回転跳べなくても強い選手はいるのはわかってるけど、あれは何年もかけて技磨いてるからできることら。
ノービスの子がジュニアの子に勝つには光ちゃんがやったように難しいジャンプ跳んでジャンプの基礎点で捻じ伏せるしかないら。でも、今のウチには3Aも4回転もない。逆に向こうに4回転跳ばれて返り討ちら。
ウチは悔しい。初級ではイノリと同じ大会出てたのに、あっという間に抜かされ、もう、相手と思ってもらえてないばかりか、今ではBの子にまでバカにされとる……」
鞠緒はぐずるミケの背中をバンバンと叩いて檄を飛ばした。
「何を意気地のないこと言ってる! お前はのり蔵に負けて以来これまでずっと勝ってる。優勝もしてる! 今度も勝てるように、この合宿でも鍛えてやる。そのためにここに来たんやろ? 相手に気持ちで負けるな! のりぴーが油断してるならそれはチャンスだ、目にもの見せたれ!」
「……うん」
ミケは少しは目の光を取り戻した。
しかし、鞠緒は頭痛を抱えていた。
全日本ノービスでは勝てても、全ジュニで待つのは群魔乱舞の狼嵜世代。その群雄の雄たるいのりに勝つといっても、どうやってミケに勝ち筋を作ってやろう?
現状ではジャンプもスケーティングもあらゆる面で負けている。
鞠緒は自分の無力さに歯噛みした。ミケをここまで育てたのは自分だという自負はあるが、それはもとよりミケの生まれ持ったセンスと抜群の身体能力あってのものだ。自分はただ性格的なところが噛み合い、ミケという生徒のモチベーションを上げてあげることができただけだ。
ミケがいなければ、いまだに名城クラウンで落ちこぼれアシスタントコーチであっただろう。いや、生徒や保護者とトラブルばかりだった自分はコーチを続けていられたかすらおぼつかない。
トップクラスの選手にまで成長してくれたミケをさらに成長させるにはどうしたらいいだろう?
そんな悩める鞠緒達に声をかける者が現れた。
「あれ? そこにいるのは那智コーチと三家田涼佳ちゃん?」
―――
集合時間前のホールでは配られた組分け表を片手にジュニア女子達が密談をしていた。
「ちょっと、いのりちゃん。さっきのミケちゃんとカンナちゃん何だったの?」
「あ、亜子ちゃん。実は……」
いのりから事情やミケの性格等を聞いたジュニア女子達は、合宿を穏便に済ますべく作戦を練り出した。
「2人が別々の組だったのは幸いね。2人が接触しないようにしよう。カンナちゃんは蘭ちゃんが、ミケちゃんはいのりちゃんが、それぞれ見ててあげてね。
2人が遭遇しそうになったら気を逸らせて」
亜子の指示に、いのりは顔をひきつらせて答える。
「なんか作戦たてて、大変だね。私にできるかな?」
そんないのりに亜子は呆れたように告げる。
「こんなコト言ってはなんだけど今回の合宿の女子。あなたが生まれ順でも世界ランキングでもナンバーワンなんだからね。先輩らしい仕事して。
去年はあなたと光ちゃんがトラブルにならないように、みんなで同じ様なコトしてたんだから」
去年の合宿の事を思い出し、いのりは乾いた笑みを浮かべた。
「何となく気づいてたけど、やっぱりみんな気を遣ってくれてたんだ……」
蘭がフォローを入れる。
「うちのカンナが迷惑をかけるね。悪いけど頼むよ。
いのりちゃんのスケジュール管理や忘れ物は私や亜子ちゃんもフォローするから」
「……お願いします」
いのりは借りてきた猫のように身体をすくめた。
そこに、光もやって来た。
「あら? 何の話?」
「あ、光ちゃん。あのね。うちのカンナとグラビティ桜通のミケちゃんが(かくかくしかじか)で、2人が衝突しないようにしようって」
蘭の説明に光が心得たとばかりに返す。
「さっきホールで揉めてた子達ね。了解。
去年の私といのりちゃんと同じようなことするんだ」
「……光ちゃんも気づいてたわけね」
いのりが何とも言えない表情をする。
亜子が光に釘を刺した。
「煽ったら面白そうとか思ってないよね?」
光は笑顔のまま口先だけの否定をした。
「え? 流石に直接煽るとかはしないよ。
ただ、ミケちゃんって、まだノービスAなのに、いのりちゃんライバル視してたから面白そ……いや、相手しがいがあるなって」
悪戯心が全く隠れていない光の様子に亜子はため息を吐くしかなかった。
もはや、亜子の中では「光ちゃんにライバルと思われたい」とこだわって落ち込んでた過去の自分は黒歴史である。