鞠緒は不安や迷い混じりの表情でライリーに聞いてきた。
「うちのミケはすごくジャンプにこだわりのある選手なので、4回転の挑戦の話があった時に挑戦しない選択肢はありませんでした。
しかし、習得が見えてくると今度は不安になってくるんですよ。『このジャンプをミケは維持できるのか?』とか、『成長して跳べなくなったら』とか、『4回転の身体への負担とはどう付き合おうか』とかって……」
周りのコーチも耳をそばだてている。
ライリーは少し困った顔をした。他のコーチ陣はもちろん、女性として一人コーチで頑張る鞠緒にはアドバイスしたいのは山々だが、狼嵜光についてはいろいろと話しにくい。
「まあ、これは本当に人それぞれなんですが、自分の話せる範囲でお話ししますね。
まず、光ちゃんの4回転封印は、跳び方に問題があり封印せざるを得ないと判断しました。特にルッツに問題があり、高い故障のリスクがありました。このジャンプについては……」
ここでライリーは鴗鳥慎一郎を見た。
慎一郎はチラとだけライリーに目を向けて先を促す。
夜鷹純や狼嵜光については話しにくい事は多い。しかし、今や狼嵜光を預かるのはライリーである。
それを受けてライリーは、夜鷹の事を隠しつつ話した。
「ここでは名前を伏せさせていただきますが、光ちゃんは非常任の指導者からジャンプ等の指導を受ける機会がありました。その際にヒントを得たのか、ちょっと信じ難いこととは思いますが、ほぼ自力に近い形で4Lzでたどりついたようです。ただ、その跳び方に腰へのリスクがありました。
その指導者が意図して習得させたところではなく、本人も隠し玉のように考えて大っぴらにはしなかったため、腰へのリスクの発見も遅れたという事です。
外観からはわかりにくい問題でしたが、腰への深刻なダメージに至る前に原因の特定ができたところは、慎一郎先生の慧眼によるところと思います」
慎一郎もこれには黙って頷く。夜鷹の事をカバーするストーリーとしては問題ない。
周りのコーチは「ほぼ独力で4Lz? 狼嵜光の才能だとありうるのか?」「非常任のジャンプ指導者……彼かな?」と憶測を巡らせていたが、ライリーは構わず続ける。
「ここは私見ですが、高い才能を持った選手が高難度ジャンプに手を出してしまうのは、選択肢ではなく必然と考えた方がいいでしょう。怪我や不調に陥った先達の例が数多くあれ、高難度ジャンプの魅力を拒む事のできるフィギュアスケーターはいない。と私は考えます。
私もそうでした。あの4Fが悪いと知りつつ手を出してしまい、若くして選手生命を落とすことになりました。専任コーチには顔向けできないところも感じます」
ジャンプ担当の方のハゲコーチのことには触れない。
「その上で4回転ジャンプとどのように付き合っていけば良いと思いますか?」
鞠緒の問いに司が代わって答える。
「まずは選手に合った跳び方の追求ですね。
ここ、魚淵先生とかはうまいですよね。本当に短い観察時間で、選手がその後長い将来にわたって使っていけるであろうジャンプを考え、提案してくれる。
ただ、そうして良い形で習得できたとしても、コーチとしてその後も注意深く見守る必要があります。高難度ジャンプで怖いのはジャンプ時の負担というより、知らず知らず練習量過多に陥る事です。特に女子は成長して跳びにくくなる場合もわりとあるので……」
ライリーは軽くまとめに入った。
「跳ぶためのチャレンジは重要と考えます。選手のモラルのためにも、習得の如何に関わらず技術向上のためにも。
また、練習量をコントロールできている事前提ですが、特に筋力向上が男子ほど期待できない女子は体重が増え始める前の方が、高難度ジャンプを習得しやすく怪我もしにくいという一面もあります。
しかし、身体への影響が生じた際は修正や封印等の適切な処置が必要となる。それは3回転までのジャンプや他の技でも同じだと思います」
そして、最後にすこしおどけてみせた。
「とまあ、自分の失敗も通じてそう思いますが、難しいですよね。一度手に入れたジャンプを失うこともまた、選手には耐え難いものですから。
光ちゃんも、よく一度跳んだだけで封印に同意してくれたなと思います」
鞠緒はかなり強張った顔だった。
もし、ミケが4Sを封印せざるを得ない、ピーキングが必要な状態になったら、彼女を説き伏せなければならないのは自分だ。
その苦しさ、受け入れ難さは自分がよくわかってる。
身体が成長し、4Sが跳べなくなっていった日々。
表彰台も選手としてのキャリアも目に入らず、『一度だけでも試合で4Sを成功させたい』とばかり願い、無理で無為な練習を繰り返した日々。
4Sは彼女にとっての希望であり、呪いであった。
しかし、ミケを自分の過去への復讐に巻き込んではならない。
ミケのジャンプはミケのもの。コーチとして守らねばならないのはミケの未来だ。
気負った表情の鞠緒を司が宥めにかかる。
「困ったらいつでも相談しに来て下さい。自分も魚淵さんのように、選手に合ったジャンプ指導ができるよう経験を積ませてもらっているところなので」
鞠緒は笑顔を取り戻しつつ冗談まじりに答えた。
「ありがとうございます。でも、司先生にはスケーティング指導の方手伝ってほしいですかね。
ミケも4Sを機に、せっかくスケーティングのほうにも目を向けてくれるようになったので、スケーティングの遅れ取り戻したいですからね」
コーチ陣からくすくす笑いが漏れる。幼い選手がスケーティングよりもジャンプ練習ばかりしたがるのはどこも同じ悩みだ。
少し空気が緩んだ機に、白花のコーチの日瀧常が質問をする。少し緊張しているのか、訛りが消えている。
「みなさん、ハーネスを利用して高難度ジャンプに挑戦している方が増えてますが、怪我をされた方もいると聞きます。どのくらい難しいものですかね?」
「そうですね、ホームページでも動画出してますが……」
「やってみてわかるのは……」
「うちの理凰の場合は……」
「危ないんは……」
これには、司や兎太、慎一郎や蛇崩といったコーチ陣が経験談も通して得られたことを語った。
例年とは違って、この年のコーチ陣の懇親会はかなりスケート指導の内容の濃いものとなった。
―――翌日
合宿の最後に壮行式が行われ、各選手は帰路につくこととなった。
スターフォックスの選手は、狼嵜光が1、3戦、いのりが5、7戦、胡荒亜子が2、4戦、鵯朱蒴が2、5戦でそれぞれ派遣される予定だ。
いのりが後半に寄せたのは、先月まで成長痛が治まる様子がなく、身長の伸びも急激だったため、その影響が治まる時期を見越してのことであった。結果的には成長痛もほぼ治りつつあるので、狙い通りである。
対して狼嵜光は前半に寄せた。スターフォックス女子で出す試合が被らないようにする配慮もあるが、ノービスから話題ながら世界戦経験のない狼嵜光に、早めに世界を経験させたいと同時に、狼嵜光のアピールをしたいという意図もあっただろう。
さらに、3戦目のフランスは土地柄、激戦となることが予想されるため、日本のジュニア最高の選手をという狙いがある。
一応、直前まで派遣選手入れ替わりはあり得るが、当面の予定はこんなところである。
壮行式後、光は理凰に話しかけた。
「理凰。3戦目、一緒だね」
「あ、ああ。そう……だね……」
理凰の表情は硬い。昨春、イタリアで行われたノービスの国際大会に出場し海外戦経験はあるものの、ジュニアグランプリシリーズという大きな舞台は初めてとなる。
そして何より……
「……光はフランスでもうファイナル進出、決めちゃうかもしれないね」
「そうだね。理凰も一緒にファイナル行こうね」
「うん……」
理凰は、「光はわかっていない」と感じた。
全日本も、JGPファイナルも、オリンピックも、天才の光なら難なく行けるだろう。
凡才の自分がそこに辿り着くのが、いかに困難で望み薄いものか。
「じゃあ、待ってるから」
立ち去る光の笑顔に、理凰は自らの鬱屈を悟られないように精一杯のつくり笑いをした。
「待っている」という光の言葉が、本当はどれだけ期待してのものなのかわからない。自分にとってはただただ痛い。
結束いのりなら、光の言葉を励みにできるのだろうか?
自分は……
理凰は、光の言葉に何か返すことはできず、ただ、その背中に弱々しく手を振った。
―――スターフォックス
戻ってきたJGP合宿組をスターフォックスの皆が迎えた。
「ライリー先生。お疲れ様でした」
「光ちゃん! おかえり!」
「のんちゃん、おかえり」
その中にはバイトで働いている結束実叶の姿もあった。
「合宿どうだった?」
実叶が聞くと、いのりは元気良く答えた。
「楽しかった! 3Lzも上手く跳べるようになったし、最後の曲かけとか皆んな気合入りまくりで、ミケちゃんは4S挑戦したし、蓮華茶のすずちゃんなんて難しいアニソンですごい滑走してた」
「ふふ。いい合宿だったね」
そんな中、光は平新谷萌栄を見つけて声をかけた。
「ねえ、萌栄ちゃん」
「何? 光ちゃん」
「ちょっと、お願いあるんだけど」