「ひかる選手は、何才の時にスケートをはじめたんですか?」
「5才の時だったかな」
それを聞いて男の子が少しがっかりした表情になった。
「?」
やがて音楽が始まり、赤いライトの線を追って隊列が回り始めるが、男の子の表情は暗いままだった。
「どうしたの?」
光が聞くと男の子は辛そうに答えた。
「僕、もう6才なんです」
「? それがどうしたの?」
「パパママが、『スケートは5才までに始めないと上手くならないから、サッカーにしなさい』って。僕、スケートの方が好きなのに。夏休みサッカー教室がお休みだからこっちに連れて来てもらえたけど」
『……5才神話か……』
光は理解した。「運動神経のゴールデンエイジ」と呼ばれる幼児期にフィギュアを始めると、氷上での平衡感覚や柔軟性、恐怖心の少なさが身に付きやすいし、その後の技術習得もスムーズというのはあるが、『5才までに始めないと上手くなれない』という5才神話は全くの誤解だ。
平衡感覚や柔軟性は10代でもトレーニングで十分身につくし、恐怖心の克服に至っては個人差の方が大きいくらいだ。
第一、この子はかなり運動神経が良く、既に氷上での感覚もそれなりに掴んでいるように思える。転んだ他の子を光が来る前に率先して助け起こしていた。
「何か運動やってるの?」
「サッカー。あと、お父さんのトレーニング」
「? お父さん運動選手なの?」
「うん。昔ね」
光はとっておきの話をする事にした。
「ここのクラブに結束いのりって、私の同い年、中2の選手がいるんだけど。すごく上手な選手で私の1番のライバルなんだけど、スケート始めたのすごく遅かったの。何歳から始めたと思う?」
男の子目が輝いた。
「6才? もしかして、7才とか?」
ああ。この子のこの顔を見れただけでも、いのりちゃんをあの日に励ましてあげて良かったと思える。
光はニヤリと笑いながら答えた。
「10才。しかも、すぐ11才の誕生日だったよ」
男の子はそれを聞いて興奮し、滑るのを忘れて騒ぎ出した。
「すごい! それで他の子より上手いの? 光ちゃんと同じくらい!?」
「うん。去年は世界大会で高校生くらいの選手たちにも勝って、決勝の中国大会で……おっと、足が止まってるよ。後でくわしく教えてあげるね」
「わわ……うん!」
キラキラと目を輝かせてスケートに集中し直す男の子を見て、光は誇らしく感じた。
今でも思い出す、初めていのりちゃんと滑った日。まだ初級なのに必死でついてこようとする。あの子。
その、いのりの姿がこの男の子にダブって見えた。
光はこの子を手助けしたくなった。
「いのりちゃんもね。始めたばかりの時ね、もっと上手になりたいけど、お母さんに許してもらえないかもって泣いてたことあったの」
「そうなの? 僕もお父さんにゆるしてもらえないかもしれません」
男の子はしょんぼりとうつむく。もう6才だからと言って諦めさせようとする親なら、元よりフィギュアをそれほどやらせたくないのかもしれない。
光はここで、しゃがんで男の子の目を覗き込んで言った。
「わたしね。その時いのりちゃんに言ってあげたの。『私はコーチにオリンピック行かせてくださいってお願いしたよ。伝えなきゃわかってくれないよ』って」
「オリンピック……」
男の子の目に輝きが戻った。
光は微笑みつつ励ました。
「お父さんお母さんにちゃんと言おうね」
―――
体験レッスンが終わると、男の子は真っ先に母親のところに行って本入会をねだった。
「お母さん! 6歳から始めても全然大丈夫だって!」
「え? そう? でも……」
母親がまごついていると、光が司を引っ張ってきた。
「ほら、この人が結束いのり選手のコーチ。司先生よ」
「わあ! つかさ先生! 教えて下さい!」
男の子は司に色々と質問を始めた。
間もなく母親がサブリンクで遊んでいた父親を呼んできて、多目的室に通して入会相談となった、のだが。
「僕、タカヒコにはサッカー続けさせたいんだよね」
この父親の方が非常に難物だった。
タカヒコ君とその両親の相手をするのはライリーと司、胡荒コーチだった。母親は、「タカヒコがやりたいというんなら、やらせてあげれば?」と満更ではないのだが、父親は華奢な外見と柔らかい物腰とは裏腹に、厳しいことを言ってくる。
「フィギュアスケートって、女の子のスポーツという感じですよね。このクラブの男女比もかなり偏ってらっしゃるようで」
ライリーは顔を引き攣らせつつ答える。
「ええ。確かに男女比は偏っていますが、男子選手の育成には力を入れておりまして、鵯朱雀選手という昨年のジュニアの世界大会でも活躍した選手もこちらの所属で、ファイナル進出を果たしました」
「その子スケート始めたの何歳ですか?」
これは予想された質問だった。
「5歳です。年齢の事を気にされているようでしたら問題ないと思いますよ。タカヒコ君は幼い頃から色々なスポーツに触れ、運動神経抜群のようですので」
「まあ、小さい頃からいろいろやらせてるからね。でも、フィギュアって小さい頃から金かけて育てられた幸運な環境の子だけが集まった狭い世界って感じがするんですよね。この子には広い世界で色々な人と触れてもらいたいなぁ」
ライリーの眉間に皺が寄る。
「……親御様にも恵まれた幸運な子たちかもしれませんが、狭い世界なんて事はないと思います。サッカーに比べれば裾野は広くないかもしれませんが、レベルは高く、また、選手のバックボーンも様々ですよ」
それについての問い返しもシャクに障るものだった。
「へえ? ちなみにアメリカでのライリー先生のクラブには黒人の生徒っていました?」
「……ゼロではありませんでしたよ。私はこのクラブを開くにあたり、才能ある子ならどんな子でも来られるよう腐心しております」
「ふうん。でも、フィギュアスケートって、小さいうちに始める割に現役期間短すぎるよね? ライリー先生は16歳で引退されたんでしたっけ?」
だんだんライリーもキレそうになってきた。
「……私は日本でコーチをしたいという夢があったから引退しただけですよ。確かに、特に女子選手は早く引退する選手も多いですが、当クラブでは選手生命を伸ばすために骨量チェックをはじめ、様々な取り組みを行っています」
「ふうん。でも、男子も短いよね。昔金メダル取った夜鷹純選手なんて20歳で引退だっけ?」
ここからはキレないように必死のライリーに代わって、司が答えた。
「夜鷹選手は金メダル取って満足されただけなんじゃないですかね。ライバルの鴗鳥慎一郎選手は28歳のシーズンで銀メダルをお取りになりました」
今度は司に矛先が向けられた。
「司先生は何歳まで現役?」
「24歳です。ただ、俺はアイスダンスの選手で、相方の高峰瞳さんが引退されたので」
「アイスダンス? ああ、あの2人でやるやつのジャンプがないやつね」
と、そこで実叶がお茶を持って入ってきた。
「コーヒーをお持ちしました。えっと、こちらがライリー先生で……」
「ありがとう。助かるわ」
ライリーは心を落ち着かせようとカップを取る。
「?」
見ると、スターフォックス側3人のカップには付箋が付いている。砂糖入り等の区別と思いきや……
『お父様の最住薫様。ヒガンテ長久手の元プロサッカー選手』
父親の詳細情報が書いてあった。
『実叶ちゃんナイス! ……でも、これは厄介ね』
ライリーは心の中で快哉を叫びつつ、困った顔をした。
そりゃ、元サッカー選手なら息子にはサッカーをやらせたいのが道理。例え息子がサッカーよりフィギュアがやりたいと言っても、首を縦には振りたくないのはわかる。それでこの態度か……
ライリー達がどういう手を打とうか考えあぐねていると、当のタカヒコ君がとんでもない事を言い出した。
「お父さん! つべこべ言わずに勝負です!」
1/22 14巻情報より微修正