夏休みが終わり、事務室のライリーは幼児体験レッスンの成果報告書類を眺めて大満足の様子だった。
「むふぅ。夏だけで12人♪ これは記録大幅更新♪ しかも、半分、6人男子♪」
胡荒コーチが浮かれすぎのライリーに釘を刺す。
「確かに幼年会員の増加は好ましいですが、少し急すぎますね。幼年コースのためにコーチの増員も考えなければならないのでは?」
そこでライリーは気を取り直し、かねてからの発案を口にした。
「うん。それでちょっと司先生とも飛行機の中で話してたんだけど、いっそのこと、シンクロナイズドスケーティングのチーム作らない? ジュべナイルだけ」
「作っちゃいますか……」
胡荒コーチも乗り気だった。
もとより、体験レッスンでシンクロナイズドスケーティング体験をやらせておいて、入会したらチームがないのはどうなのという声もあった。
何より、司も言っていたが、シンクロナイズドスケーティング自体個々人に必要とされる技量の敷居が低い割に、シングルやペアにも共通する色々な要素の広さがあり、幼い選手の適性を量り、伸ばしていくのに適している。集団で教えることも、初級者にはモチベーションの維持にとても有益である。
「シンクロナイズドスケーティング、胡荒さんすごく頼りになるものね。何せ、日本最初のチームの立ち上げメンバー、始祖の12人の一人」
ライリーの中2病っぽい呼び方に、胡荒コーチが軽く赤面する。
「やめてください。本当にあの時は、何としてもリンクに残りたいと必死で……亜子が生まれるまでは」
「あら、ごめんなさい。亜子ちゃんの世界線前で忙しかったわよね。タイミング悪かったよね」
少し申し訳なさそうな顔になったライリーに、胡荒コーチが慌てて言い繕う。
「いえいえ! 亜子をここまで育てていただいたご恩に報いる為にも、チーム立ち上げには粉骨砕身取り組ませていただきます!」
やる気に溢れる胡荒コーチに、ライリーは満足そうに頷く。
「大丈夫よ。司先生にも手伝ってもらうし、あと……」
そんな話をしているところ、ジュナが事務室に入ってきた。
「やあ、ライリー先生。オーストラリア戦お疲れ様でした」
ライリーが目を輝かせて椅子から立ち上がる。
「ジュナさん! 来ていらしてたんですね! すいません、お茶もお出しせず……」
と、言っている間に胡荒コーチはアイスコーヒーのグラスを素早く準備して、ジュナをライリーの隣の席に座らせる。慣れたものである。
ジュナはライリーの隣の席に深く腰掛けると、ドヤ顔でライリー達の不在間の話をする。
「ツーくんがオーストラリア戦に付き添ってる間、いのりちゃん見せて頂きましたよ。いやあ、やっぱり良い子だ。成長も素晴らしい。それでいて素直。ひねくれこじらせてるツーくんにはもったいない……
と、それは冗談で、『司先生いない間に成長して、先生ビックリさせてあげよう』と言ったら、凄く集中して練習して、振付けの完成度も凄く増しました」
「その分、夏休みの宿題がギリギリでしたけどね」
胡荒コーチがくすくす笑いながらひねくる。
そこでジュナは、ちょうど今話されていたシンクロナイズドスケーティングの話をしてきた。
「それより、ツーくんに聞きましたけど、シンクロナイズドスケーティングのチーム立ち上げ、検討してらっしゃるとか」
「ええ、ジュブナイルだけですが。司先生にも手伝って頂こうとかと……」
そこでジュナが身を乗り出す。
「僕にも手伝わせてくださいよ。実は、神宮のクリスタル・メッセンジャーにも『ドンターク』の番組の取材とかで行ったことあって、一時期社会人チームに入ってみようかと思ってたくらいで」
ライリーは驚いた。
「え!? 『トーク』チームにですか?」
「よくご存知で。まあ、練習時間全然取れそうになかったですし、当時亜昼美玖選手の指導もあったので断念したんですが、シンクロナイズドスケーティングの仕事やってみたかったんですよ」
「ええ! ぜひお願いします!」
目を輝かせてジュナの手を取るライリーに、ジュナは続ける。
「あと、神宮の鯨臥先生のところにも相談行った方がいいですよ。あの方、『シンクロナイズドスケーティング流行らすぞ! オリンピック種目にしてやるぞ』って気合い入ってますから、絶対協力してもらえますよ」
ライリーはその言葉にちょっと微妙な顔になった。
「あはは……。実は鯨臥先生にはこのクラブ立ち上げの時から大変お世話になりっぱなしで、選手やコーチも頂いてばかりなので……」
そこで、胡荒コーチがツッコミを入れた。
「だからこそ、ご挨拶行かないとダメですよ。鯨臥先生、こちらのクラブのことすごく気にかけてくださってますから」
「……そうですよね。そうなんですが、あの大先生すごくなんでもしてくださるので。なんだか申し訳なくて」
ジュナも胡荒コーチも苦笑いだ。スターフォックスの今の大躍進は神宮FSCから引き抜いた胡荒コーチや亜子、鵯朱蒴といった選手の活躍があってのものである。若いクラブだから仕方ないとはいえ、お世話になりすぎて気後れしてしまうのもわからなくはない。
「差し入れはいつも通り果物がいいかしら? ああー、私が直接行くのは久しぶりだからどういう風に持っていこう……」
ライリーが頭を悩ませていると、ジュナが助言をした。
「さっき、ツーくんから鯨臥先生に合った時の話も聞いてまして。いい考えがありますよ」
―――数日後、神宮スケートリンク
ライリーは、司、胡荒コーチと一緒に神宮FSCの鯨臥ヘッドコーチのところに向かった。ジュナも同行しているが、あと4人、光といのり、亜子に朱蒴も同行している。
ライリーは鯨臥コーチの元に向かうにあたり、ジュナの助言に従い「JGP前の出稽古」という形で向かうことにした。
鯨臥コーチがライリー達を出迎える。
「おお、ライリー先生、良く来られました。胡荒君や選手たちも」
鯨臥コーチは宝箱を目の前で開けられたような満面の笑みを浮かべる。才能ある選手を見ることが、この鯨臥豊の一番の喜びである。
そして、何より鯨臥を喜ばせたのがライリーのクラブの成長と、シンクロナイズドスケーティングチームの立ち上げだ。
シンクロナイズドスケーティングの普及に取り組む鯨臥にとって、ジュベナイルチームであっても新規にできるのは嬉しい。そして、それがクラブ立ち上げから面倒を見ているスターフォックスともなれば一入である。
ライリーも、日本でのコーチ資格取得から何から何まで世話になっている鯨臥の喜びように一安心で、
「もう、『ヘッドコーチとしてのライリーはワシが育てた』って言って頂いていいですよ」
などと冗談を交えて歓談している。
いのりたちも、神宮の選手たちと一緒の練習を楽しんでいる。亜子や朱蒴はスターフォックス立ち上げ前の幼い頃に神宮FSCにいたので、その頃の友人も多く、旧交を温めていた。
特に朱蒴は希少な男子選手ということもあって、同年代、その上の年代の選手に男女問わず大人気だった。
「いやあ、朱蒴君、すごく立派になったね。去年なんて、並いる他の選手を押さえて、ジュニア男子ただ一人のファイナリストだもんね」
「いやぁ、俺らも頑張らないとなぁ」
もっとも、特にJGPの試合が近い亜子や朱蒴はそうしてばかりもいられない。ジャンプ練習では『場所が変わっても跳べるかどうか』を課題に高難度ジャンプを確かめ、3Aや4Sといったジャンプが成功する度に神宮の選手からの拍手喝采を受けていた。
いのりや光も神宮の選手達の注目を集めていた。
特に光は先日のオーストラリア戦での優勝もあってか、しきりに他の選手から声をかけられている。本人はシンクロナイズドスケーティングに興味を持ったらしく、選手やコーチと話をしている。
対していのりは、特にコーチ陣の視線を集めていた。
高難度ジャンプを跳んでみせる誰も真似できない天才とハッキリわかってしまう光に対して、エッジコントロールを努力で刻んできたことがわかるいのりの方が「どうやったらこのような選手が育つのか」という興味をひいていた。
ジュナは神宮の、特にジュニアやノービスの子達に大人気だ。仕事関係で何回かきている他、取材以外でもちょくちょく来たことがある。その際に司やいのり達スターフォックスについての話を聞かれた他、鯨臥コーチも会いたがっているという話を聞いた事が、今回の出稽古という形での訪問をライリーに勧めたきっかけである。
練習が進み、シンクロのチームの曲かけ演技になると、いのりたちは見学に回った。特に競技を始めたのが遅いいのりにとっては、演技の鑑賞も感情表現の上達に重要な練習である。
司が解説しながらいのりの洞見を促す。
「この曲のテーマは『旅』だよ。旅には嬉しいこと、寂しいこと、大変なこと、たくさんあるよね。今、どういう場面をどんな風に表現しているか、考えながら見ていこう」
「はいっ!」
一方で、亜子はライリーや鯨臥コーチと話をしていた。
「結構、シングルとかと掛け持ちの選手が多いんですね」
「そうだね。アドバンストノービスくらいまでだと、掛け持ちした方が練習効率も高いと見ているからね。ジュニアでもうちは半分以上掛け持ちしてる。あ、これは僕が押し付けてるわけじゃないからね
スターフォックスでも、ジュブナイルと言わず、ジュニアチームも立ち上げちゃったら?」
話を振られたライリーが照れ笑いしながら答える。
「いや、なかなかそこまで。ここのような指導のキャパシティーも、選手のキャパシティーもまだまだで……」
遠慮がちなライリーの答えを鯨臥は笑い飛ばす。
「何言ってるんだい。クリスタルメッセンジャーの初代立ち上げメンバーの胡荒君はもちろん、司先生とかすごく指導能力が高くて、しかも、沢山の生徒に目を配れる観察力がある。
選手のキャパシティーも……くくく」
そこで、鯨臥は笑いを堪えきれなくなったように腹を捩らせた。
「? どうなされました?」
異変が起きていたのはリンク上だった。
シニアのチームの演技が終わり、ジュニアのチームがリンクに入ったが……
「あ、あれ!?」
「え!?」
いのり達やライリーも驚いた。
ジュニアのチームの中に、なぜか光が混ざっていた。