スターフォックスはJGPに2戦派遣の選手が4人もいるので、9月も大忙しである。毎週のように試合があり、ライリーに至っては日本にいる日の方が少ないくらいだ。
美蜂も、2戦目は福岡FSCの興梠にお願いして休めたものの1、3、4、5、7戦にサポートとして参加する。司も1、3、5、7戦と、出張しない大会の方が少ない。
そんな中、新しく来た派遣コーチの蕨コーチも即戦力となり頑張っている。第2戦のあった先週は司と一緒にシンクロナイズドスケーティングの教育プログラムを組み、今週はラトビア帰りの胡荒コーチとシンクロチーム立ち上げスケジュールを組んでいる。
ライリーはラトビアから日本に帰らずそのまま第3戦の行われるフランスに行き、今日出発した光と司と美蜂が来るのを待ち受ける。
スターフォックスは実叶と蕨という臨時戦力で何とか回っている状態だった。
「いやあ、まだ秋口だというのにスターフォックスは忙しいっスね。人使い荒いっスね」
おどけて言う蕨に胡荒コーチは冷たく釘を刺す。
「忙しいのは確かですが、人使いは荒くありません。福利厚生等細々としたところからしっかりしてますから」
これには蕨も頭をかいて訂正する。
「ははは。口が滑ったっスね。ところで、隣のモールのスポーツ用品店で働いてらっしゃる下蔵さん。ここのコーチになれないかって、ライリー先生に言ってきたみたいっスね」
「あら。神宮の社会人チームにもいらしたし、全日本はアイスダンスで司先生と同じ大会にも出てたみたいですね。期待できますね」
ここでまた、蕨が口を滑らせる。
「ええ。あの方も家族いて会社にも認められて安定した生活手に入れられたのに、コーチの世界に戻ろうとは思い切ったコトするっスね」
「……少なくとも、スターフォックスではコーチも割と安定した生活できるとは思いますが」
「……失礼しました」
胡荒コーチが言い添える。
「とは言え、ここのようなショッピングモール横のスポンサー付き自前リンクなんて環境、他のクラブからしたら夢のようなものですよね。収入源が太すぎる。そこに、若くカリスマ性と先見の明のあるメダリストの経営者までいますから」
蕨は大きくうなずきつつ、また失言めいたことを漏らす。
「そう! まさにそれですよね! まあ、環境が良いところに良い選手が育つとは限りませんけどね」
何を言っているのだ、この男は。
胡荒コーチは今度こそ怒って何か言ってやろうと手を止めたが、蕨の目の奥の暗がりを見て取り、開きかけていた口を閉じた。
『環境があっても育たなかった選手』は蕨自身の自嘲だと胡荒コーチは悟った。
―――フランスに向かう機内
光は機内Wi-FiでずっとLINEをしていた。
隣の席の美蜂が尋ねる。
「さっきから一体誰とLINEしてるんですか?」
光は悪びれもせずに答える。
「ミーア・オセロット選手。オーストラリアの大会で仲良くなって、LINEしてるの。翻訳機能って便利ですね。
えーと『こちらはあと4時間でフランスです。そこからプライベートジェット機に乗り換えです』」
「海外の友達もできたんですね。良かったですね」
美蜂がにこやかにそう言うと、光は機嫌良くやりとりの中身を話し始めた。
「ふふ。向こうは今練習中だそうです。次は第5戦のトルコでいのりちゃんと戦うの楽しみにしてるそうです。……えーと、『ユイツカ・イノリの弱点は何ですか?』ですって、あはは」
さすがに冗談だとわかっているので、冗談で返す。
「えーと『彼女はバックフリップ跳べません。コーチに教えてもらえませんでした』っと。
……『バックフリップを教えてもらうためのコツは、試しに跳んでみようという素振りを見せる事です。そうしたら、コーチは危ないのでちゃんと教えてくれます』ですって。あはは!『そうですね。私もリンクで跳びたそうにしてたら、コーチが危ないからとちゃんと教えてくれました。いのりちゃんに教えておきます』っと」
ここで、後ろの席の司が心配そうにツッコミを入れる。
「あの、やめてね。いのりさんはホント、跳ばれたら困るから」
光は笑って受け流す。
「ふふ。そんなことしませんよ。私がそんな煽り方したら、いのりちゃん本当に跳びたがっちゃうかもしれないじゃないですか?」
―――ミーアの練習リンク
リンクサイドで休憩していたミーアは、スマホ片手にリンクに戻ると、のんびりした声でコーチに報告した。
「コーチ。やっぱりおじさんが言ってた『ユイツカはまだ脚に不安があり、ジャンプ制限している』って情報は本当みたい。カミサキと同じコーチなのに、バックフリップは教えてもらえなかったってさ」
コーチも分析する。
「そうか。カミサキよりジャンプテクニックは劣るとはいえ、バックフリップ程度を避けた。ライバルのカミサキに教えているのに、ということはやはり脚の不安が理由だな。
……となると、新ジャンプもないだろう。第5戦では4Sは1回しか跳んでこない方に賭けよう」
「了解。おじさんの言ってる事は合ってたでしょ?」
そう答えたミーアに、コーチは目を背けつつ答える。
「ああ、クラブの生徒の親とやらとどこでコネつくったか知らんがな。
あと、バックフリップの危険性を認識しているが、カミサキには教えたという事は、カミサキの腰はやはりそれほど悪くない。あの4Lzはさすがに2度とやらせんだろうが、4Tあたりは修正してグランプリには戻してくる可能性があるな」
ミーアはニマリと笑った。
「ソイツは愉快だ。とりあえず私はトルコ戦に集中しないとね。ユイツカへのリベンジは済ませてファイナル行きたいし、当面の目標ラインも見えたしね」
―――フランス、パリ市内レストラン
ライリーは恩師であるデボラヘッドコーチと食事をしていた。
「先生には本当に感謝してます。特に、私をあの家族や『プログラム』と離していただいたことに」
ライリーの両親は『ハルモニア・ランゲージ・プログラム』という悪名高い民間の教育団体の幹部だった。「幼児の多言語能力を引き出すエリート教育をあなたの子に」とうたい、集まった多くの子供達に、一度に数言語同時の多言語の詰め込み教育を強制した。有名脳科学者等のパーソナリティが広告塔になっていたこともあり、「エリート教育」という言葉に騙されたアッパーミドルの多くの子供が集まった。
その結果、ライリーの兄弟を含む多くの生徒は、英語もどの言語も中途半端になるセミリンガル化に悩まされた。唯一、ライリーはその天賦の才ゆえに言語習得に成功したが、今度は団体の広告塔にされかけた。
そんなライリーを毒親や『プログラム』から救ったのがフィギュアスケートであり、恩師であるデボラである。『プログラム』の影響力もスケート界には及ばす、氷上は幼いライリーの避難先となった。
今も団体は存続しているが、近年、親や生徒からの集団訴訟を受けたりし、大幅に弱体化している。
「もう、彼らにあなたという金メダリストに手出しできるほどの力はないわよ。……だから、アメリカに戻っても大丈夫よ」
そう、優しく言ったデボラに対し、ライリーは少し遠慮したように笑って返す。
「ははは。戻ったら『プログラム』への復讐なんかに精を出したくなっちゃうかもしれないのでやめときます。日本にもたくさんの大事な生徒ができました」
ライリーの目を確認したデボラは安心の笑みを浮かべる。
「そう、それは良かったわ。
先生としては、バックフリップを跳んじゃうような、ヤンチャな生徒の方がかわいいのです。あなたが選手生命より金メダルに賭けてあの4回転フリップに手を出した事は悲しかったですが、あなたが氷上で新しい人生を選び、歩めている事は嬉しいです」
そのままデボラは立ち上がると、手を差し出した。
「そして、今やあなたは私と対等の指導者であり、ライバルです。自分の育てた才能が自分を脅かす存在に成長する事こそ、競技の世界における最高の恩返しです。
では、後は氷の上で語りましょう。カミサキ・ヒカル選手の健闘を祈ります」
ライリーも立ち上がって、力強い言葉で返す。
「ロビン・チェン選手の健闘を祈ります」
――― パリ=シャルル・ド・ゴール空港
ライリーは空港の搭乗口のところで他の2組の選手およびコーチ達と一緒に光達を待っていた。
ひと組はロビンとデボラ達のアメリカ組、もうひと組は地元フランスの選手とコーチ及び保護者。
デボラもライリーもフランスのコーチのリオンとは知り合いだったため、リオンの誘いに乗って会場のあるクールシュベルまで、地元選手の自家用ジェット機に相乗りすることにしていた。
光は待ち受ける人生初の自家用ジェット機移動にワクワクしながら到着ゲートを潜った。
到着ゲートを抜けた光に最初に声をかけてきたのは小柄なフランスの選手だった。
「カミサキ・ヒカル! ようこそフランスへ!」
アルエット・デュボワ選手。彼女も今年からジュニアに上がった、今フランス大会に出場する地元選手である。
なんだか汐恩に似ている雰囲気がある。
「ボンジュール。アルエットさん。メルシーボクー」
光が飛行機の中で覚えてきたフランス語と共に笑顔で挨拶した。
「光ちゃん。今日のこれからの移動はこの子のジェット機だから、仲良くしてね」
ライリーが親指を指した先にはフランスの誇る最高級自家用機、ファルコン8Xが停まっていた。
―――ファルコン8X機内
「うわ……」
機内に入った光は目にした光景に息を飲んだ。
入り口付近にはコートラックなどがあり、手前の区画は対面4席の他、3人掛けソファまである落ち着いた雰囲気のラウンジ区画となっている。
真ん中の区画は内装がゴージャスなものに変わり、ダイニングテーブルを囲む4席に加え対面4席のシートがある。
奥が半個室になっており、2名のVIP区画になっている。
窓が大きく、数も多い。その窓からの光を受けて、高級感あふれる内装がさらに輝きを増しているように見えた。
壮年の機長がフランクに英語で出迎える。
「やあ。才能溢れる子供達を迎えられて嬉しいねえ。
私が機長のジャン=ピエール・ルモワンだ。ライリーさんを乗せてクールシュベルまで飛んだのはもう10年前かな。今日は金メダリストとなったライリーさんに加え、3人ものメダリスト候補を乗せられて光栄だね。このフライトは記憶に残るものになるよ。1時間半しかかからないのが残念だがね。国家元首も御用達のこの機で快適な旅を約束するよ」
「あ、ありがとうございます!」
機内の荘厳さに呆気にとられていた光は慌てて頭を下げた。ロビンも優雅に礼をする。
「じゃあ、ジャンおじさん。よろしくね。みんなはこっちの席だよ」
アルエットは慣れた様子で光たちを案内した。
―――
それから短い空の旅を、光たちは快適な機内で翻訳アプリなどを使ったおしゃべりをしたり、写真を撮ったりして過ごした。3人ともすっかり仲良くなったようだ。
司たちコーチ陣も、リラックスして会話を楽しんでいた。
が、機内アナウンスが着陸に入ることを知らせた時、司は窓の外を見て何故か青ざめ、慌ててシートベルトをきつく締めると椅子に深く腰掛け頭を抱え耐ショック姿勢をとった。
ライリーがそれを見て、「司先生、まだ飛行機慣れませんか?」と心配そうに聞く。
3人の少女は大の大人の情けない姿を見てくすくす笑っていた。
光が司が怯える理由を理解したのは着陸アプローチの時だった。
シートベルトを締めた光は、身体にかかるGの大きさに違和感を感じた。
『あれ? 結構急角度で降下してる……?』
クールシュベル飛行場は山に囲まれた斜面に位置し、坂になった凹凸の激しい短い滑走路が特徴的な空港である。「危ない空港世界ランキング」では10位以内に入る。
着陸アプローチが急になるのはもちろん、機体の角度も大きくなる。
司は遠目に空港が見えた時、その滑走路が異常なものに思えた、というのが慌てていた理由だ。
その分析は概ね正しかった。
どんっ!
最初の着陸の衝撃の大きさは司が経験したことのないものだった。
「わわっ!」
再度離陸するのかと思うくらい大きな上下動
ぐぐぐっ!
坂により急減速に晒される機体
もっとも、いかに危険な空港とは言え、空港として使われる十分な安全性を備えたものであり、この最高級機の性能の前では大した問題ではない。
ベテラン機長の腕の良さもあり、機体は難なく安全に停止した。
機内からは他のコーチや選手等から機長に拍手が上がる。飛行機慣れした者にとってはこの程度の揺れ等、どうという事はないものだった。
司もほっと胸を撫で下ろすと、自らの醜態を恥じた。
「いや、すいません。まだ、飛行機慣れできてなくて、お見苦しいところを……」
他クラブのコーチ達からくすくす笑いが返ってくる。ライリーも苦笑しつつ言った。
「ホント、司先生。しっかりしてくださいよ」
「はい……」
ライリーは司の様子を見て、司の次に飛行機慣れしてないであろう光にも声をかけた。表情は大丈夫そうだが……
「光ちゃんは大丈夫?」
光は精一杯の冷静な表情をつくって答えた。
「……大丈夫です」
<<<<嘘嘘嘘嘘>>>>
―――
機から降りると、皆は各クラブごと、各々のホテルの迎えを待つこととなった。
光は「トイレに行ってきます」と言って、荷物を持ったままトイレに行こうとした。
「スーツケース、預かるよ」
司が気を利かせてスーツケースを預かろうとすると、光は「キッ!」と睨み返して拒否し、そのまま行ってしまった。
残された司は、
「俺、やっぱり嫌われてる?」
と、一人ショボくれた。