司の発見した萌栄の能力は、観察力や直感力といったようなものだった。
たとえば、今やってる4Sに入る時の構えについてもそうだが、腕の位置の違いというわずかな視覚情報等から、直感も入った飛び抜けた観察力で「これがこのジャンプのキモだ」と見抜いてしまったのだ。
迷路で迷う選手に例えて言えば、上空から俯瞰して迷路を見る事ができるのが「鷹の目」だとすれば、萌栄の能力は、迷路を透過して出口やいくつかの重要チェックポイント、避けるべき危険の位置を看破する「レーダー感覚」とでも言えば良いだろうか。
既に、腕の構えの他、足の振り上げや、体を開くタイミングといった重要なポイントを押さえつつある。
しかし、「鷹の目」がそうであるように、この「レーダー感覚」も万能の能力ではない。
「ほらほら。また、構えの時に頭が前傾していたよ」
「んがっ!? ごめんなさーい」
まず、このように自分の状態がつかめる訳ではない。「鷹の目」と一つ大きく異なる点だ。
言い換えれば、いのりさんと同じく、動作の再現が得意な訳ではない。迷路のチェックポイントがわかっても、自分の位置が掴めてなければ何にもならない。
しかし、これは自分のように外から見ている者が根気よく指摘してあげればいい。そこは、普通の選手のように習得していけばいいところだ。
いいところだが……
「萌栄さん。タブレット使える?」
「え? いや。よくわからなくて」
「使って」
司はライリーからタブレットを取り上げると、自分のタブレットとリンクの手すりに並べて、萌栄といのりの動画を並べて流す。
「今回の君のジャンプの問題は?」
「足首」
即答だった。
「正解」
タブレットを使って萌栄選手自身の動きに「レーダー感覚」を使わせる。これで、自己位置の修正は加速度的に進むはずだ。
これなら彼女の特殊な能力を最大限に活用できる。
司の見立てどおり、萌栄のフォームは瞬く間に改善されていった。
そして、次の問題は簡単だった。
「レーダー感覚」は全てのチェックポイントを看破する訳ではない。レーダーに映らない、目などの感覚で見てわからないものは見極められない。
跳び上がったときの空中での回転軸の位置がその最たるものだ。体で感じるしかない。
しかし、そのためにハーネスがある。
「じゃあ、いよいよ4回転の時の回転軸の位置に連れていくよー」
「はい!」
…………シュタッ
何回か、4回転での着氷に成功した。
「ほいっと……今のでどう?」
「はい! 今ので! つかめました!」
「早!?」
ライリーも驚いた。司のハーネス技術はもう一定の基準域に達していた。
問題はここからだ。
カチャリ
ハーネスが外された。
「さあ。もうあと一歩だ。4回転に必要なのは?」
「助走のパワーと上半身の捻りのパワーを合体させる事」
「よし! 行ってこい!」
「はい!」
…………ガリッ。バタン
回転不足。転倒
…………ガリッ。
回転不足
なかなか上手くいかない。司もこれは予想していた。
助走の入りに微妙にムラがあるのか、タイミングにズレがあるのか、もう本人が感じ取るしかない領域。「レーダー感覚」もハーネスも役には立たない。
手探りで正解を探す萌栄を氷が何度も打ちのめす。
氷は誰にでも平等に冷たい。
「あっっ……っっ!! ううああああっ!」
萌栄が苛立ちの雄叫びを挙げる。
その気持ちが司には痛いほどよく解った。
萌栄にはもう、成功のイメージが見えているのだ。
迷路の壁一枚向こう。そこに至れば出口に至るとレーダーが捉えているのに。彼女の感覚ではその壁は透けて見え、成功が待っているのが目の前にありありと見えているのに。氷の壁は無情に彼女を阻むのだ。なまじ見えているからこそ耐え難いのだ。
耐えきれなくなった彼女は助けを求めた。
「あっっ……あううぅ……いのりちゃーん!」
この迷路の踏破者に。
自分の練習に集中し、タブレットに見入っていた彼女もこれには驚いて駆け寄った。
「どうしたの?」
「あうう……。いのりちゃん……。ジャンプのタイミングに何か目印ない……?」
消え入りそうに咽ぶ声
「目印?」
かつて、司先生にも同じことを聞かれた気がする。
「そう! 目印! 例えば『ワン、アイスキャンディ。ツー、アイスキャンディ。スリー。アイスキャンディ』でタイミング取るみたいに」
「? なんで、『アイスキャンディ』?」
不思議そうに問い返すいのりに萌栄が答える。
「『ワン、ツー、スリー』だったら、『ワン』と『ツー』と『スリー』の間が間延びするでしょ。どんな状態でも変わらないように言葉を詰めるの」
「言葉を詰める、か。タイミングで取ってるわけじゃないんだけどなぁ……ちょっと跳んでみるね」
そう言うと、いのりは助走を始めた。
『4回転がどんな感覚か俺に教えようって考えてくれない?』
新潟の時の事を思い出す。
あの日の氷は大須の氷より硬く、ちょうどここの氷くらいだった。表情が緊張する。
スピードの確認
氷の音の高さ
胸の音の速さ
親指の折りたたみ方
にぎる力、緊張レベルのチェック
通り過ぎる光の速さ
頬にあたる風の重さ
……狙う
……シュタッ
お手本のような4Sが決まった。
そして、固唾を呑んで待っている萌栄のところにいのりが戻って来る。
「い、いのりちゃん何か解った?」
いのりは、緊張した表情で目を伏せたまま朗読するように答えた。
「まず、今日の氷の硬さを事前にチェック」
「ふむふむ。氷の硬さ……」
「跳ぶ時は……スピード、氷の音、心臓の鼓動、指のたたみかたと握力チェック、通り過ぎる光の速さ、頬にあたる風の重さ……そして、狙う。かな」
「スピード、氷の音、心臓の鼓動……何か掴めたかも! やってみる!」
走り出す萌栄に、いのりは興味なさそうにやはり表情を緊張させたまま自分の練習に戻った。
司は心配そうだった。
「あんな説明で大丈夫かなあ……?」
対して、ライリーは確信していた。
「萌栄ちゃんがあの調子の時は大丈夫ですよ」
ライリーの言うとおりだった。
もう目標の目前に迫っていた萌栄のレーダー感覚にとって、いのりの言葉はレーダーに映らぬターゲットに直接当てられ、位置を曝け出す探信音だった。その反響は迷路の中を響き伝わり、萌栄のレーダーに捕捉された。
「……光の速さ、風の重さ……ここや!」
……シュタッ
萌栄の補助具なし4S初着氷だった。
ライリーと司の歓声が上がる。
そこからは早かった。初着氷は、4Sという獲物にピラニアが最初の牙を立てたようなものだった。今まで迷路を隔てた存在だった4Sに萌栄の鋭利な感覚が無数のピラニアのように群がり、直接牙を立てる。
……シュタッ
……シュタッ
……シュタッ
3回連続着氷成功
4Sという巨獣はたちまち萌栄の血肉になってしまった。
見守っていた生徒の間からも歓声が上がり、新たな4回転ジャンパー誕生を祝福した。
その歓声はいのりには届いていなかった。
「スピードの確認、氷の音の高さ……」
いのりは集中し、詠唱のように、自分のジャンプ前の氷の世界に言葉を詰め込んでいた。
それは、例えれば、自らの4Sという狙撃銃を分解し、再度組み立て直すような行為だった。暗い夜の森の中、感覚で出来た手順という部品は、手慣れた手つきで月明かりの下に並べられる。
そして、一つ一つの部品を、言葉というツールで磨きながら、再び組み立てることで精度を増していく。
「……狙う……開け」
……シュタッ
その4Sは今までの4Sより、強く、美しく、正確だった。
惜しむらくは、それを目撃したのは司と光、ライリーの3人だけだったことか。
萌栄の成功を見て、他の生徒たちが司を取り囲んで、
「わたしも吊って!」
と、一斉にせがみだした。
「わあ、順番! 順番で!」
司の制止でも止まらない。
「今日、曲かけ一番だからわたし!」
「バッジテスト近いわたし!」
「誕生日近いわたし!」
見かねたライリー先生が声をあげた。
「こら! みんな! やめなさい! こういうのは序列順に決まってるでしょ!」
「序列順?」
…………
イヤッほ〜い☆
生徒たちのこの上なく冷めた視線とまばらな拍手の中、
元金メダリスト、ライリー・フォックスが歓喜の表情と共に4回転フリップを舞っていた。
3回のジャンプの後、ハーネスが外されるとライリーは氷上にへたり込んでしまった。慌てる司。
「あれ!? ライリー先生!?」
「ハァ、ハァ。ちょっと腰が抜けて、立てなくて」
「それはマズい! ちょっとライリー先生連れて行きます! ハーネスはまた今度!」
「えーっ!!」
ライリーを抱え上げた司は、生徒のブーイングと冷やかしの中リンクを後にした。
「裏切り者!」
「お姫様抱っこ! カメラの映像ママ友Lineに上げちゃえ!」
「結婚しちゃえ!」
そんな2人をリンクサイドで迎えた光は、皮肉たっぷりに言った。
「ずいぶん大きな魚が釣れましたね」
ライリーが訂正した。
「違うよ。ピカるん」
右手でピースサインを決めて。
「釣り上げたのは、わたしの方でーす!」
ダメだ。平新谷ちゃん回なのに俺のライつか魂が火を噴いてしまったぜ。