結束いのり、スターフォックスへ   作:山倉衛

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92話 JGP第五戦トルコ 中編

―――女子ショート

 

 女子ショートはやや荒れた。

 昨日と今日の午前の公式練習で『トルコの氷』の感覚を掴めなかった選手も多く、そういった選手は軒並み成績を落とした。

 

 そんな中、いのりは完璧な演技を見せた。

 難解な氷の特性をいち早く感得していたいのりはジャンプに必要な修正を済ませ、3Lz+3T、3F、そして2Aを完璧に跳んでみせた。

 上半身の動きを足して鳥に姿を変えられた戸惑いを鮮やかに表現した振り付けは見事にPCSを稼ぎ出した。

 2Aの着地にはアレンジも入れ、GOEを稼ぐ余裕すらあった。

 

 この点数はなかなか超える者が現れず、長くスコアボードで『漬ける』こととなった。続く選手は氷上感覚の修正が不十分で構成を落としていた選手もいたし、なんとか修正できた選手もいのりの高みには届かなかった。

 

「やっぱりいのりちゃんは、たいしたもんだなぁ」

 白花も詰めたが、やっと暫定3位という結果だった。

 

 ライリーは次の選手に目を向けた。

「さて……いよいよミーアね」

 隣にいる司も息を呑む。

「今日の公式練習でも、アクセルでうまくいってないようでしたね。助走スピードが定まらず、1Aで何度も抜いて修正していたようですが……」

 

 ……シュタッ

「……? 初手アクセル?」

 ライリーは首を傾げた。司が解説を入れる。

「後半ジャンプ作戦ですか。

 難しい着地アレンジ入れてましたね。氷上感覚は掴めていると考えて間違いないでしょう」

 司の解析にライリーも頷いた。確かに、PCSも各構成もGOEも大差ないいのりにショートで差をつけるには、コンビネーションを最後に持ってきて後半ボーナスで稼ぐくらいしかないだろう。

 しかし、それをこの難しい氷の上でやるのはかなりのリスク。そのリスクを冒してまでやるか?

 司もそれは気になっているようで、最後のコンビネーションまで目を見張る。

 

……シュタッ……シュタッ

「むむむ……」

 見事に跳ばれた。そのままノーミスで演技終了。これは抜かれるか?

 司もライリーも口を歪める中、点数発表。

「やはり抜かれたか……」

 司は悔しさを噛み潰す。

 

 ライリーは冷静に評した。

「リスクを取って少しでも稼いで、という魂胆だったのでしょうが、これくらいならフリーで簡単に挽回できますね。去年のオーストリア戦より点差はない。こちらのPCSも伸びている。

 この難しい氷で後半にコンビネーションを入れるリスクを取り、賭けに勝った彼女を褒めるべきでしょう」

 

 そう、この差は埋められる。

 去年のオーストリア戦ではもっと大きい差があった。

 それを埋められたのは……

「司先生! コレなら4Sで勝てますね!」

 いのりがニッコリ笑う。

 

 そう。フリーでは4回転が跳べる。これはいのりの絶対的に大きなアドバンテージだ。ミーアがフリーで後半ジャンプ作戦等で足掻こうがこの基礎点の牙城は絶対に崩せない。

 ライリーも司もいのりも安心し切っていた。

 

 そんないのりをミーアはキスクラから荒い息で睨んでいた。

「とりあえず、最初の条件はクリア。いのりちゃん。待ってなさいよ……」

 

 

―――男子ショート

 

 慎一郎は必死になって理凰のコンディションをたて直していた。

「理凰、親指でこっちの親指にタッチして。……そう、次はこっち……」

 慎一郎が取ったのは、「関係ない作業に集中させてプレッシャー源から気を逸らす」という、いかにも子供じみた手法だった。

 そんな幼稚な手遊びでも、理凰はなんとか光から受けたプレッシャーを振り払ってリンクに上がった。

 

 ジャンプ、スケーティング、パフォーマンスと朱蒴に劣る理凰であったが、氷上感覚の修正力だけは辛うじて朱蒴より長けていた。

 少し緊張で固くなっていた分、3Aの着氷時のチェックが一瞬遅れ減点されたが、それ以外はミスなく演技を終えられた。

「……はあ、3A狙いすぎたかな。これだと、良くて4位か5位かな……フリーで追いつくのは無理だろうな。

 まあ、そうなったら、光も諦めてくれるか……」

 

 そうならなかった。

 

 男子ショートは大荒れに荒れまくった。女子ショートの比ではなかった。

 『トルコの氷』の感覚が掴めてない選手のせいもあるが、男子と女子の戦略の差がその影響を大きく広げた。

 この『トルコの氷』の最も注意すべき事項はコンビネーションの修正だ。

 それがわかっていない選手が多すぎた。

 

 男子は女子と違いショートで3Aが跳べるので、3A持ち選手の多くは最も重要なジャンプとなる最初のジャンプに3Aを選択した。結果、その3Aはほぼ全員が成功した。

 そして、次の3Lz+3T、この『トルコの氷』での隠れた落とし穴となるコンビネーションを、3Aを跳んだ衝撃で感覚が鈍っている脚で跳ぶこととなった。

 

 結果は阿鼻叫喚の大惨劇となった。3A持ち選手、つまりトップクラスの選手ほどこの罠にハマり、そのほとんどがコンビネーションを落としてしまったのだ。

 

 とは言え、この難解な氷の特性を即座に見抜いたいのりがむしろ外れ値で、トップ選手でもたった2回の公式練習では現ジャンプの確認がやっとといったところだったであろう。

 男子でこの惨劇を免れたのは、いのりから氷の特性を伝えられ早期に氷上感覚を修正するとともに、コンビネーションを最初に回していた朱蒴と理凰のみだった。

 

 朱蒴も本来の実力が発揮できていないところもあったが、なんとか持ち堪えた。ただ、氷が完全には掴みきれていなかった分、3Aの着地でステップアウトしてしまった。

 キスクラでライリーと結果を待つ朱蒴に告げられた結果は……僅かな差で惜しくも2位

 

 この日、鴗鳥理凰の名前はスコアボードの頂上で最後まで漬けきり、暫定1位でショートを終えることとなった。

 

「嘘……」

 理凰は信じられないといった顔でスコアボードを見ていた。

 

―――

 

 ショートが終わりしばらくして光からのLINE通話がかかった時、理凰は当初居留守を決め込もうとした。

 しかし、「光の声が聞けるかも」それだけで反射的に応答ボタンを押してしまった。

 

「理緒! すごいじゃない! ショート1位発進なんて!」

「う、うん……」

「もう少しだよ。あと一歩だよね!」

「……」

「ファイナルで待ってるよ! 頑張ってね!」

 

 光は一方的に言うだけ言って、通話を切った。

 そして、そのまま真っ赤に紅潮した顔を枕に埋めた。

『理凰はすごい……本当にファイナル来るかも……来たらどうしよう……』

 その思考回路は、自分の滑走の際に使われる緻密な計算装置も、人間関係を察するセンサー群も素通りした、砂糖菓子製の乙女機関でできていた。

 そんな期待と興奮の中、ファイナルに立つ理凰の姿を夢見て眠りについた。

 

「今の通話、光ちゃん?」

 朱蒴が声をかけ、隣に腰掛けてきた。

「はい。そうです」

「どうせ、僕を倒してファイナル来いとか言ってたんでしょ」

「っ!……」

「はは、表情にでてるよ。全く、クラブメイトなのにひどいなあ。まぁ、理凰君の方が付き合いが長いか」

「……」

 

 黙る理凰に、朱蒴は続ける。

「ジュニア初年度で、初戦4位」

 理凰は答えた。

「はい。そうです。それだけで出来過ぎと思います」

 朱蒴は構わず続ける。

「ファイナルに出るには、次の大会で金メダルを取るしかなかった」

「……」

 黙りこくる理凰に朱蒴は語る。

「キャリアも浅い彼女のファイナル進出は難しいと誰もが考えていたが、彼女は諦めなかった」

「? 彼女?」

 ここに来て理凰は、朱蒴が語っているのは自分のことではないことを知った。

「去年のいのりちゃんだよ」

 

 朱蒴は朗々と続けた。

「去年のオーストリア戦のいのりちゃんはショートでミーア選手に遅れを取り、苦しい状況にあった。でも、その苦境を跳ね除け4Sを跳び、ミーア選手を下してファイナルを決めた。

 いのりちゃんは今、その時と同じ苦境にある。しかし、きっと4Sを跳び、ミーア選手を倒すだろう。

 僕も明日、4Sを跳ぶよ。そして君を倒す。君にだけは負けられない」

「!! 4Sまで跳ぶんですか!? 朱蒴先輩!?」

 

 朱蒴がフリーで本来の実力を発揮すれば、例え4Sを跳ばなくてもPCSの差だけで理凰を追い抜く事ができるはず。

 なのに4Sまで跳んでくる? オーバーキルにも程がある。

 

 理凰は自分が4Sの斬撃でボロ切れのようにズタズタにされ、リンクに倒れる姿を幻視した。

 

 もうやめて! とっくに理凰の精神のライフはゼロよ!

 

「君の言いたいことはわかるよ。『失敗する可能性のある4Sをわざわざ使わなくても勝てるのでは?』だろう? だけどね、いのりちゃんと共に再びファイナルに並び立つ者として、きっちり4Sを決めてファイナルに行く。

『アベック優勝、期待してます』なんてナメた事言ってる後輩には思い知らせておかないとね。

 理凰君、勝負だ」

 そう言うと、朱蒴は立ちすくむ理凰を残して去っていった。

 

「なんでだよ……」

 後に残された理凰は頭を抱えた。

 

―――

 

 司はライリーとフリーの詰めを行っていた。

「朱蒴くん。4S跳ぶって言ってるんだけど、どう思う?」

 ライリーの問いに司は答える。

「朱蒴くんの4Sは確かにまだ不安要素があります。が、朱蒴くんの課題は実績を重ねて自信をつける事です。無論、大コケしたらファイナルに行けない可能性までありますし、4Sを跳ばない方が1位確実というところはありますが、確実なファイナル進出より、成長のための一歩と考えます。ここでストップをかけると、何のために4Sを選ばせたかわからない」

 ライリーはうなづいた。

「私も同じです。挑戦させましょう」

 

 ライリーはいのりに話題を移す。

「さて、いのりちゃんの方ですが、ミーアがショート1位獲ってきましたね。どうしましょう?」

 こちらも、『いのりん』呼びから『いのりちゃん』になってる。ショートで抜かれて、ライリーも少し気負いが入っている。

 司は答えた。

「昨年のオーストリア戦と同じように行きたいと思います。4Sは一本で行きます」

「ふむ……一本で足りますかね? ミーアも去年からPCSかなり伸ばしてますが……」

 ライリーの確認に、司はうなづいた。

「確かにそうですが、PCSはこちらも伸びてます。

 シーズン初戦ですし、慎重なスタートにしたいと思います。この大会の課題は『4S一本でどう勝つか』と考えます」

「……いいですね。それでいきましょう」

 こちらは対象的に朱蒴と対象的に慎重策となった。

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