―――トルコ戦帰国後、スターフォックスリンク
「わー。いのりちゃん。気合入ってるねー」
胡荒亜子がリンクサイドから感嘆の声を挙げる。いのりは衣装慣らしも兼ね、本番衣装だ。今日は一般滑走が4時で終わった後のメインリンクはまるっといのりと司のマンツーマンレッスンで埋まっている。
こういう、柔軟性ある集中運用が可能なのが、スターフォックスの強みだ。普段はリンク外の練習を重視しているが、ここぞという時にはリンクを必要な選手に割り当てられる。
そして、今は「ここぞという時」だった。
ミーアの策略でトルコ戦2位となってしまった以上、次のノルウェー戦で2位以上とならなければファイナル進出はない。そしてこのノルウェー戦は7戦中最も激戦となる。
『世界一可愛いトリプルアクセル』の鹿本すず。
順調な回復を見せ、今年はジャンプ構成を伸ばしているベリンダ・ベルガマスコ。
それぞれ、4戦アラブ首長国連邦、2戦ラトビアで1位を取ってきている選手である。また、鹿本すずといのりは何度か直接対戦しているものの、まだ一度も勝ったことがない。
「この2人、タイプは違うけど、どちらも強いね」
この2人と対決した亜子が評する。
「どちらかと言われればすずちゃんの方がすごい。今年はすごくプレゼンテーション伸ばしてるし、何より4戦で跳んできた4T。完璧だった」
亜子が唇をかむ。ジュニア合宿では見せなかった4回転をついに投入してきた。
「私の見立てではあの4回転、すぐ4T+3T+2Loにできるよ。つまり、4回転は2本飛んでくると見た方がいい」
「うわ……。楽しみ」
「……」
ギラリとした捕食者の笑みを隠せない光に対して、亜子があきれたように言う。
「ほんとに楽しみでいられるの? すずちゃん、本当にプレゼンテーションも上げてるから。4Tを2本跳ばれたら光ちゃん、単純計算では点数負けると思うんだけど」
「……そうね。負けたら困るんだけど、それでも、楽しみな気持ちは変わらないね」
「……(はぁ、このスケート戦士が……)」
亜子は元の話に戻した。
「すずちゃんやベリンダさんも強いけど、フランスのアルエット選手はどうなの? 光ちゃんも直接対決したでしょ?」
「そうねぇ……4Sは跳んでたけど、正直いのりちゃんの方が上ね」
「でも、爆発力ある子よね。それに、4Sの着地後の勢い結構残してるから、いのりちゃんみたく4S+2T挑戦して2本跳ぶかも。持久力が保つか未知数だけど……」
「いのりちゃんは4S+2Tも確実だし、その他加点要素全体で上回っている。負けないよ」
「まあ、そうよね。ベリンダさんはジャンプ全体の構成上げてきているけど、去年のホランさんほどは強くないね。それに……」
亜子は改めてリンクの上に目を向けた。
「いのりちゃんのこの気合いの入りよう。すずちゃん以外に負けるとは思えない」
「でも、いのりちゃん、落ち込んでないようで良かった。ミーアさんにあんな形で逆転されて、悔しくて消沈しちゃわないかと心配だった」
光の言葉に亜子がこそりと教える。
「……表向きに見せないだけで、結構悔しがってると思うよ。飛行機の中で寝てる時、ちょっと泣いていたみたいだし」
「! そうなの!? ……悔しくて奮起してるところもあるのかもね」
「そうね」
そこで、光は無意識のうちにこぼしてしまった。
「私も、トルコ戦は悔しかったもんなぁ……」
亜子が相槌を打つ。
「いのりちゃん、ミーアさんに3Aあるって知ってれば絶対勝てたものね。オーストラリア戦では跳んでもどうせ2位だからって隠してたミーアさん、策士よね」
「……。 そ、そうね。いのりちゃん惜しかったね」
光はそう取り繕ったが、光が悔しいとこぼしてしまったのは、トルコ戦男子シングルで3位となってファイナル進出を逃した理凰の事だった。
残念だったねとメッセージのやり取りはしたが、それ以降、気まずさもあり通話等していない。落ち着いたら色々と話がしたい。理凰の声が聞きたい。
光がそんなことを考えていると、LINEにメッセージが届いた。ミーアからだった。
―――
「さて、そろそろ起爆時期かな? 日本時間は……と」
ミーアは光にLINEメッセージを送った。
『やっほー。光ちゃん。元気?』
『あ、ミーアさん。元気です。ミーアさん、ファイナル進出おめでとうございます』
『どうもありがとう。トルコ戦の後、いのりちゃんとお話ししたけど、聞いてたとおりとってもいい子ね。あんな騙し討ちした私に一言も恨み言言わなかったし』
『あはは。そうですか。すごくいい子なんです。スケートも強くて』
『それに、すごく仲間思い。落ち込んでる友達を励まそうとしてたりしてた』
『そうだったんですか』
『ソニドリ・リオウ? いい選手よね。でも、フリーではいのりちゃんの励ましのキスで気負っちゃったかな?』
『え!? キス!?』
『あれ? ひょっとしていのりちゃんと理凰くんの2人は恋人同士だったりした? 昔ナゴヤにいた時にツカサコーチに習ってたとか聞いてるけど。だとしたらお似合いの恋人同士よね』
『いえそれはないかと思いまして思いまして』
タイポする光の焦りようにミーアは笑いを堪え、効果は得られたと話にキリをつける。
『あら、そうなの? でも、父親に似てクールな男の子だし、みんなに人気なんだろうな。ファイナルに来なくて残念! 光ちゃんはまたファイナルでよろしくね』
『よろしくお願いします』
ミーアは作戦成功とばかりに小悪魔の笑みを浮かべた。
「にっしっし。さて、と。まあ、いのりちゃんは誰でもわかるくらい奥手だからあまり効かないかもね」
―――
いのりがリンクの端で給水したタイミングで光が声をかけてきた。
「ねえねえ。いのりちゃん」
「何? 光ちゃん」
「ちょっとトルコ戦の事で聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「いいよ! 何?」
明るく答えるいのりに光は聞いた。
「大会期間中も理凰くんのこと聞いたりしてたけど、理凰くんと何かあった?」
「は?」
いのりは光の質問にたちまち表情を曇らせ苛立ちを覚えた。
鴗鳥理凰は光の元クラブメイトで元同居人、それはわかる。が、この大事な大会前の詰めの練習中にわざわざ持ち出す話題? ミーアさんと一緒に確か何かしたが、タイミング悪すぎてよく思い出せない。
適当な返事を返した。
「3位で良かったねと思ったよ。それだけ。じゃ」
この言葉は光のシャクに触った。
は? 3位がすばらしい? ファイナル落としたんですけど!
「ちょっと待って! いのりちゃん!」
がしっ
光がリンクに飛び出して、いのりの肩を掴んだ。
いのりが怒りの表情で光をにらみつける。
「……何?」
光も獣の眼光でにらみ返す
「何って何よ。聞いているんだからね。理凰にキ……」
そこまでだった。
亜子が光の背後から、司が2人の間に割って入って2人を引き離した。
「はいはい、光ちゃん。ちょっとお話しようか。司先生、光ちゃんお借りします」
「はい。胡荒さんお願い。光さん。光さんの指導はちょっと後になるからごめんね」
「……はい」
少し熱くなってたことを自覚した光は素直に従った。
「ファイナルで待ってて。それじゃ」
いのりは厳しい表情で練習に戻った。
―――スタッフルーム
「まあ、いのりちゃんが何したかはわからないケド、JGPファイナル決まる瀬戸際で忙しいいのりちゃんの練習中に、もう2戦終わってファイナル逃しちゃった他クラブの理凰くんの話で引き留めるのはいただけないよね。光ちゃん、何を見てるの? ってなるよね」
「……おっしゃる通りです」
落ち着いて反省している光の様子を見た亜子は話を進めた。
「私はやっぱりいのりちゃんの気持ちわかるなあ。光ちゃん、やっぱりいのりちゃんや理凰くんに対する態度、他の子と違うもの」
「……そうかな。うん、そうかも」
「でもね、いのりちゃんと違って、理凰くんに対しての方は……」
ここで、亜子は声をひそめた。
「光ちゃん、理凰くんの方は過大評価し過ぎてるって思う。2戦派遣選手とはいえ、本来ファイナルはまず無理。各シリーズ戦でも表彰台までは厳しかった選手でしょ? トルコ戦は3位でも出来すぎ。そこはいのりちゃん正しいと思うよ」
「そ、そうかな……」
「……」
亜子の沈黙に促され、光は理凰の評価をもう一度、やり直す。
かっこよくて、私の事もよく見てくれていて、3Aも跳べるけど、ジャンプやスケーティング、PCS等々はジュニア1年目選手というところもあり平均の範疇。でも、かっこよくて、私の事もよく見てくれていて、そして、かっこいいから……あれ?
光は自分の理凰への評価がだいぶポンコツおかしい事に気づき始め、顔を少し赤くした。
「え、ええと。そうかもね」
取り繕う光に、亜子はトドメを刺した。
「ナントカは盲目、ね」
「!! ……っ!」
光は一瞬で茹蛸のように真っ赤になり、憤慨して立ち上がったが、返す言葉もなく、そのまま机の上に崩れ落ちた。
「しょうがないじゃん。理凰はかっこいいんだから。フランス戦で、私のために3A決める、って言ってくれた時とか、ほんとかっこよくて……」
完全なこじらせ乙女の本性をさらけ出した光に、亜子は安心した顔をした。
「まあ、でも、少し安心した。ここに来たばかりの光ちゃん。学校も休むしクラブメイトとあまり話さないし、スケート以外何もないスケート戦士みたいだったけど、司先生に担当変わって、なんか人間味出てきた」
「は? 何で司先生が出てくるわけ?」
これには、光も憤慨した。
亜子は落ち着いて流しつつ続ける。
「あ、これはあくまで想像だから、まるっきりハズレでも気にしないでね。……光ちゃん、名港にいた時に変なコーチに教わってなかった? 慎一郎先生じゃなく」
「な!? 何でそう思うの!?」
焦る光に亜子は自分の分析結果を伝えた。
「勉強嫌いで学校よりスケートって子はごくたまにいるけど、光ちゃんはそんな勉強嫌いでも苦手でもないでしょ? なのに学校休んでスケートに打ち込んでたって、親でもなし、絶対変なコーチか誰かの影響かなって」
「……まあ、そうかも」
次に述べた亜子の仮説が光には衝撃的だった。
「で、そんなコーチなら人間関係への干渉もしてくるかなって。スケート以外の人間関係断ち切れ、みたいな」
「そんな事……あっ!」
光は心当たりクリティカルヒットし、衝撃で机の上に倒れた。拳を固め、嫌な記憶のぶり返しに耐える。
あの、夜鷹さんにロケット捨てられ事件の事はトラウマ並みに覚えている。
再度机に突っ伏す光に亜子は確認した。
「覚えがあるわけね?」
「うん……」
最後に亜子は光に忠告した。
「たぶん、光ちゃん。その抑え付けの反動が今来てるから。気をつけた方がいいよ」