―――ノルウェー、オスロ。ソニア・ヘニースケート場
いのりたち日本の選手団は、JGP第7戦の地、オスロに降り立った。
鹿本すずは会場正面広場の、ソニア・ヘニーの銅像前に立つ。
「この人がソニア・ヘニーさんか。いのりちゃん。一緒に記念写真撮ろ!」
「この人、誰?」
いのりが聞くと、すずは得意気に答えた。
「この人が、このソンヤ・ヘニースケート場のシンボル、ソンヤ・ヘニーさんや。すごい人やで。世界選手権10連覇や」
「10連覇!?」
いのりも跳びあがる。
「そや。いまだに破られてへん大記録や。オリンピックも3連覇してるし、欧州選手権も6連覇……」
「はあ……」
いのりは記録のすごさにため息しか出ない。すずは続ける。
「そして、何と言ってもすごいのが、引退後はハリウッドスターになったところやな。アイスショーや映画で大活躍して、当時『世界で最も裕福な女性の一人』とも呼ばれたで」
「そ、そう……」
ハリウッドスターとかは、いのりにとってはどうでも良かったが、将来の芸能界入りも視野にある鹿本すずにとっては、ソニア・ヘニーは神様のような人物だった。
「ウチもこの人のようになりたいわあ。このスケート場に来るためにノルウェー戦選んだみたいなモンや。さあ、蛇崩先生、カメラを……」
そこにフランス選手団がやって来た。選手団からアルエットが抜けて、銅像のところにやって来た。
「ハロー。あなたたち、日本のカモト・スズにユイツカ・イノリね。フランスのアルエット・デュポワよ。よろしく」
お付きのスーツ姿の女性が通訳をする。
「そか、アンタがアルエットちゃんか。一緒に写真撮る?」
すずが誘うと、アルエットは胸を張って偉そうに返してきた。
「いいけど、ワタシがセンターよ?」
すずの目が一気に戦闘モードになる。
「ほう。ウチからセンターを奪えるとでも思ってるんか?」
アルエットも傍若無人ぶりを発揮する。
「そっちは日本人2人なんだから、左右にバラけなさいよ」
訳のわからない事で張り合って睨み合う2人にいのりが困っていると、車椅子でコーチを押しているベリンダ・ベルガマスコが通りがかった。
「あら、みんな。どうしたの?」
去年のJGPでベリンダと顔見知りのいのりが説明した。
「このソニアさんの銅像と記念写真撮ろうとしたら、並び方で揉めちゃって」
アルエットの通訳を挟んで事情を確認したベリンダは提案した。
「いのりちゃん、結構背が伸びたけど、まだ私より少し下ね。じゃあ、像の前に真横に並ぶんじゃなく、像と同じアラベスク・スパイラルのポーズをとって、少し斜めに並ぼう。順番は左奥が先頭になるよう背の高い順、私、いのりちゃん、スズ、アルエットの順。それで、カメラにはやや斜め後方から撮ってもらう。これで、私は先頭。いのりちゃんとスズはセンター寄り。アルエットはカメラに最も近い。真ん中後方に像もちゃんと入るし、これなら文句ないでしょ?」
「それいいですね! ベリンダさんありがとう! 2人ともそれでどう?」
これにはすずとアルエットの2人も納得し、皆、撮影態勢をとった。
「蛇崩センセ、ポーズキツいから早よ撮って」
「はい。ほな、ワン、ツー、スリーでいくで」
この写真は、ベリンダがすぐにブログにアップした。
―――リンク、前日公式練習
会場での前日練習。
指導陣や報道の目がリンクに注がれる。
今大会は4回転持ちが3人もいる。主な注目の的はそこだ。
……シュタッ
「おおっ!」
まずはアルエットの4S、続いていのりの4Sがギャラリーからの歓声を生む。
しかし、それを見たすずは、
「もー。二人とも、明日はショートやで」
と、4Tを跳ぶのを控え、代わりに3A+3Tのコンボを詰めていた。これにも歓声が上がる。
すずの様子にいのりは、
「すずちゃん。調子悪い?」
と聞いた。するとすずは、
「実はそうやねん。ちょっとウチの『世界一かわいいトリプルアクセル』のかわいさがいつもより10%ほど落ちててなあ……このままではいつもならひと跳びで100人は魅了できるところが90人に減ってまうで」
と、おどけて答えた。するといのりは、
「うん。そうだね」
と、真顔で答えたので、すずはすかさずツッコむ。
「そこは、『なんでやねん!』ってツッコんでくれんと、お客さん困るがな!」
「お客さん、って?」
不思議な顔をするいのりに、すずは黙って後ろを指差す。
2人の会話を聞いていたアルエットの付き人が、堪えきれず苦しそうに笑いを漏らしながら通訳している。
「ちょっと。うちの通訳を笑い死にさせる気?」
アルエットが冗談半分で文句を言いにくる。
すずは涼しい顔だ。
「これしきのノリについてこれへんと、関西では生きていかれへんで」
アルエットはその言葉を通訳に聞き直す。
「そうなの?」
「Oui, une prime de risque est requise.……『はい。危険手当が必要です』」
付き人は律儀にジョークを返した。
「ほらほら。すず。またインターバル長いで。漫才しに来たんとちゃうで」
蛇崩が練習に戻るよう促すと、すずは、
「はーい。ほな、またな。いのりちゃん」
と、練習に戻った。
いのりはそんな2人にかまわず、司とタブレットでジャンプの映像チェックをしていた。
そんな様子のいのりに、アルエットは上から目線で聞いて来た。
「ユイツカ・イノリ。私のクアドラプル・サルコウはどうだった?」
いのりはきょとんとした顔の後、慌てて答えた。
「えっと、見てたけど、気になったのは……あっ、司先生、アルエットちゃんのジャンプ撮ってました?」
「いや、撮ってないよ」
司が答えつつ、『練習の邪魔』と言わんばかりの冷たい視線をアルエットに送ったので、アルエットは、
「ふん! この次はよく見ておきなさいよ」
と、怒って行ってしまった。
アルエットが行ってしまうのを、いのりは残念そうな目で見送った。
「あ。アルエットちゃん行っちゃった……」
いのりの残念そうな様子を見て、司はいのりに聞いた。
「もっとおしゃべりしたかった?」
「いえ。でも、アルエットちゃんとは仲良くしておきたかったかなと」
「はは、そうかい?」
他国の選手とも打ち解けたいのかな、と司は思ったが、いのりの理由はもっと現金だった。
「だって、仲良くなったら司先生や光ちゃんみたくプライベートジェット乗せてもらえるかもしれないじゃないですか」
「……」
司はズっこけた。
「練習中のおしゃべりはよくないからね。お話ししたかったらリンクの外でね」
「はい。わかってます」
―――同会場、喫煙室
「あ、見っけ」
ライリーは会場の喫煙室で夜鷹純を発見した。
「2戦と4戦も見に来ていらしたんですね。声かけてくれれば良かったのに」
ライリーが近寄って声をかけると、夜鷹はタバコを消しつつ面倒くさそうに返事をした。
「ライリーさんは忙しいだろうから」
この男には聞きたいことが山ほどある。
ライリーはさりげなく出口への通路を塞ぐと夜鷹に聞いた。まずは、光の件だ。
「鴗鳥先生と連絡とってます?」
「慎一郎くんとはこないだも話したよ」
「光ちゃんの事について、聞かれました?」
「? いや、何も」
「……」
光の母親が夜鷹澄さんだという事は、まだ伝えられていないという事か。しかし、慎一郎がまだ話してない以上、自分から伝えるのもよくない。いつか伝えなければならない事だろうが……
とりあえず、居所は押さえておきたい。
「連絡先交換しておきません?」
「やだ」
「光ちゃんのこともありますし、連絡先くらいは」
光の事を持ち出して食い下がったが、けんもほろろだった。
「慎一郎君通して。
僕、もう光ちゃんとは関係ないから」
ライリーは怒りを抑えつつ、頭をひねった。
光を夜鷹の元に戻したいわけではないので、ここでいきなり夜鷹澄の事を持ち出すのも良くない。
と、そこで別の人間が現れた。
「おや、夜鷹さん。ライリー・フォックス先生とご歓談ですか?」
ライリーが振り返ると、白髪混じりの眼鏡の壮年、アイチホールディングスの藤原企画部長がいた。
するっ
ライリーが振り返った隙をついて、夜鷹はライリーの脇をすり抜けると喫煙室から出て行ってしまった。
「あ、ちょっと!」
ライリーが呼び止めたが、夜鷹は、
「この人も光のレッスンのこと知ってるから。それじゃ」
と言って、走り去っていってしまった。
「ああ、夜鷹さん……。困ったお方だ」
藤原部長が額に手を当て、ため息を吐く。いつもこの調子なのだろう。
ライリーもため息を吐く。しょうがないので、この男から夜鷹の近況を探ろう。
「アイチホールディングスの藤原部長ですね? 蕨さんからお話は聞いてます。初めまして。スターフォックスFSCのライリー・フォックスです」
―――会場併設カフェ
ライリーは藤原部長とカフェに行く途中、慎一郎と連絡を取り、夜鷹及び藤原部長と接触した事と、今後の方針を詰めた。
『とりあえず、光ちゃんと夜鷹さんに例のこと話すのは、シーズン後、改めて場を設けて2人を集めてという事で良いですね』
『それでお願いしたいと思います。澄さんの行方もわかりませんし。シーズン中は純君も光も混乱すると思いますので……。
藤原さんとは別件で何度かお会いしたことがあるのですが、純君とお知り合いだとは知りませんでした。純君となにかお仕事上の関係が?』
『それもこれから聞こうと思います。わざわざ部長さんと世界あちこちのJGP会場で一緒だなんて、仕事で何かあるに違いありませんから』
慎一郎との通話が終わると、ライリーは藤原部長に向き直った。
「あ、すいません。席、取れました?」
「はい、向こうのブース席に入れるみたいですね」
うまい具合にブース席が取れた。密談には申し分ない。
「どうもすいません、藤原さん。お時間いただいて」
「いえいえ。金メダリストの方とお話の機会いただけるなんて光栄です。日本語ですいません」
少なくともこの男は夜鷹からある程度信頼されている。でなければ、光のレッスンの事を打ち明けられるわけがない。
こういう企業人からの話の聞き出しは、ライリーにとってはお手のものであった。ライリーは嘘を見抜く獣の眼光を潜めつつ藤原部長の向かいに座った。