「藤原部長のことは蕨辰夫さんから伺っています。素晴らしい方だと」
ライリーはまず軽くお世辞を言って様子見をする。
「あっはっは。いえいえ。自分はただのイベント屋で。
彼も指導者として力をつけているようで嬉しい限りです。実は、おととい久しぶりに彼と話しました。スターフォックスのほうでもシンクロナイズドスケーティングのチーム立ち上げられるとか」
「あら、お耳が早い」
「ライリー先生は若いのに立派な方だ。金メダルを取って引退されても、次々に新しいチャレンジをなさる。私もあれですな。そういう新しいチャレンジをされる方に力を与えるように励んでいきたいと思ってます」
なかなか熱い話をしてくる男だとライリーは思ったが、話の間を狙って夜鷹の話題をねじ込む。
「ふふ。どうも。ところで、金メダリストの夜鷹さんと何戦か観戦してらっしゃるようですが、彼もなにかアイチの事業絡みで何かチャレンジングな仕事を?」
これに、藤原部長は苦笑しながら答える。
「もちろんそうなんですが、本人もあのとおりの人嫌いな性格なので、なかなかうまくいきませんな」
ライリーはさらに詰めてくる
「やはり、アイチでは自動車関係の仕事ですか? CMとか? それともスケート関係で、アイスショーとか?」
藤原部長は難しそうな顔で答える。
「まあ、夜鷹さんもいろいろチャレンジはしているんですが、まだまだ手探りというところみたいですな。アイスショーなどは本人の性格にも合わんでしょうが。
CMの話も昔からあったんですが、夜鷹さん運転できませんからね」
「あらあら、それでどうなりました?」
「僕からは何事もライセンスは取った方がいいとアドバイスしました。それで車の運転の方は……まあ、ライセンスは取れたけど、楽しんで運転できそうにもなく、ちょっとCMはキツイかなといったところで。まだ、彼が何をしていくかについては……決定した事は何もないですね」
「……」
『決定した事は何もない』にも嘘はない。
「あら、JGPにまでご一緒なので、てっきり何かお仕事決まってるものかと。本当は夜鷹さんと何かなさってるんでしょう?」
でなければ、企画部長がとんだ給料アンド出張費泥棒である。ジュニアの国外大会に3度も自費で来ているわけがない。
「はい。まあ、まだ先の約束程度の事なので、はっきりした事は言えません。この大会で一緒なのは、彼の今のポテンシャル見るためでして。たまたま私が海外回り中なので、ご一緒させていただいたまでで」
「……」
ライリーは口をほころばせた。『はっきりした事は言えない』というのは、仕事上漏らせないと言ってるようなものだった。逆に言えば軽々しく漏らせない重要な仕事をしているという事がわかった。十分な収穫だ。
「夜鷹さんが何しているかは教えてもらえないという事ですね?」
ライリーがそう聞くと、藤原部長は申し訳なさそうに頷き、聞き返してきた。
「何か、お困りのことが?」
ここでライリーは誰にも聞かれていないか、確認してから口を開いた。
「夜鷹さんが狼嵜光のレッスンをしていた事はご存知でしょう? でも、辞めるときに、結構唐突に出ていかれて、そのまま行方知れずになって。スケート靴まで置いていってしまったので、光ちゃんとかすごく心配してまして。
今すぐとかではないですが、落ち着いたらちゃんと光ちゃんとお話しさせたいと思ってます」
藤原部長はそれを聞いてうんうんとうなづいた。
「夜鷹さん、いなくなる時はふらっといなくなるからなぁ。なるほど、そんな事が。
わかりました。夜鷹さんに、狼嵜光と連絡するように言っておきましょう。ライリー先生通さなければなりませんか?」
「……いいえ。どうも、私は夜鷹さんに避けられているようですし。ただ、落ち着いた頃には、私と夜鷹さん、光ちゃんで話したいと思います。シーズン後を目処に」
「ふむ。夜鷹さんもその頃には少し落ち着いているかも知れませんね。……すいませんね。私が先約なので」
藤原部長はそう言ってスマホをちらつかせた。
「?」
スマホ画面の地図アプリに夜鷹の位置を示す輝点が映っていた。どうも、GPSをつけているようだ。
『夜鷹が居なくなっても、自分ならすぐわかる』というアピールなのだろう。
―――翌日、女子ショート
ライリーは、夜鷹に会ったことだけは司に話し、いのりの試合に集中することにした。いのりには特に何も言わなかったのだが、いのりは客席の夜鷹に気づいてしまったようだ。
「司先生。夜鷹さんが見てます」
軽く敵意をはらんだ目で客席を見るいのりに、司は言った。
「ああ。気にする事はない。今日の相手は夜鷹さんじゃない」
そう言いつつ、司も夜鷹を軽く睨んだ。
なぜか、夜鷹が軽く笑みを返したように見えた。
滑走が始まった。
ショートなので、ジャンプ構成はすずを除いて、いのり、ベリンダ、アルエット共にほぼ同じ。3Lz+3T、2A、3Fとなる。
ベリンダは去年、脚の不調のためコンビネーションを3F+2Tに落としていたが、今年は戻している。
一番滑走はベリンダだった。テーマ曲は変拍子のポップソングだ。不利な順番をものともせず、ジュニアラストイヤーの経験値に裏打ちされた、しかし、16才とは思えない優れた構成の演技を見せる。
脚の不調の間に磨きあげたPCSが、脚の復調と共にお釣りがついて返ってきた。強弱のメリハリの生きた振り付けが演技全体のレベルを引き上げる。各ジャンプも去年までの不調を感じさせない見事なものだ。
いのりも感嘆の声を上げて見入っている。
「すごいな、ベリンダさん。背筋の使い方がしっかりしているから、重力に負けたような脱力感も出るんだなぁ……なかなか真似できそうにない……」
そして、このスコアが漬ける。ファイナル常連の彼女の演技に勝る選手はなかなか現れない。
まずは、アルエットが挑んだ。
しかし、ジャンプ構成は互角でも、ジュニア初年度の未熟さが隠しきれておらず、ベリンダにはまだまだ及ばない。
次に、いのりはなかなかのパフォーマンスを見せた。
ジュニアとは思えない非凡なスケーティングスキルに裏打ちされ、成長し続ける手足に『演技』が乗っている。濃やかな指導で積み重ねられたことがよくわかる構成も、その演技の良い土台となっている。
惜しむらくはジャンプスキルか。特に3Lz+3Tは、ギリギリなんとか跳べていることが『わかってしまう』出来で、ミスや減点要素はないものの、復調したベリンダにはギリギリ及ばなかった。
いのりはPCSもかなり伸ばしてはいるが、それでもベリンダと互角といったところ。ショートでの点数はごく僅か、約0.2点及ばなかった。
しかし、この状況は計算どおりだった。
キスクラで点数を確認したいのりは、ベリンダを抜かせなかった事に消沈する事なく、静かに言った。
「十分、詰められましたね」
ショートでこれくらいの点差にまで詰めておけば、ジャンプ構成の自由度の高いフリーで逆転できる。今回はいのりは4Sを2本用意している。
対して、脚の不調から復調したばかりのベリンダが、ミーアのように新ジャンプを用意している可能性は皆無。フリーでの彼女の強みはコレオシーケンスだが、今シーズンのいのりはこちらでも、スターフォックスでの移転で得られたリンク占有での練習時間の増加に加え、振付師にジュナをつけるなどして大幅に改善している。コレオで点差が付くのを防ぐ準備は万端だ。
問題は次の滑走者、鹿本すずだった。
「おー。いのりちゃんもショートから飛ばすなあ。まあ、ここでサボるわけにもいかんよなぁ」
蛇崩も心配そうにすずに聞く。
「すず。行けるか?」
「もちろんや。ウチの『世界一かわいいトリプルアクセル』が火を吹くで」
「……」
蛇崩は余計に不安な表情になった。
しかし、すずの滑走は圧巻だった。
合宿でも見せた、転調とテンポチェンジを繰り返すアニメソングにも見事に合わせる演技に磨きがかかっている。何より恐ろしいのはジャンプの入れ方だ。
……シュタッ……シュタッ
「……おおっ!?」
あまりに自然に入りすぎていて、観客の歓声も一瞬遅れる。3A+3Tという、オリンピックにもそのまま出せるようなジャンプが、すずの世界の背景に流れるように組み込まれている。観客の反応が一瞬遅れるところは同じでも、唐突感のあった第1戦までの光のジャンプとは正反対である。
「これが『世界一かわいいトリプルアクセル』……やっぱりすごい。自分で『世界一』とか言っちゃうだけのことはある」
いのりも口をキュッと結んで、歯噛みしながら演技を見守る。
プレゼンテーション面だけならジュニアで世界一になるのではと思われる彼女だが、まだ、ジュニア1年目である。
何より、3Aからの連続ジャンプを高レベルでこなしているのが恐ろしい。昨シーズンでは、ショートでこれができるのは狼嵜光だけかと思われたが、今シーズンで鹿本すずと胡荒亜子が追随してきた。
『感謝するで、いのりちゃん、亜子ちゃん、そして光ちゃん……みんながおらんかったら、ウチ、美少女バトル続けられへんかったわ……』
瞬く間に輝かしい結果を出せば天才と呼ばれ。
月日をかけて結果を出せば秀才と呼ばれる。
そして、天才や秀才と呼ばれた後も、更なる結果を出す事が求められ、競い、競い、競い合う事が求められる。
天才や秀才である事は、トップ選手である彼女らにとってはスタート地点でしかない。
切磋琢磨する環境。そういえば聞こえはいいが、レベルの高い者同士が争う蠱毒のような戦場。
そのような戦場でしか生まれ得なかった存在が、今、銀盤の上に花開いた。
彼女こそ、全てを手に入れる為に生まれてきた「偶像」であった。
この日、鹿本すずはショートプログラム1位となり、翌日のフリープログラムを迎える事となった。