結束いのり、スターフォックスへ   作:山倉衛

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99話 JGP第七戦ノルウェー 後編

―――ショート終了後

 

「やっぱり、すずちゃん怖いですね」

 いのりの感想に司もうなづく。

「ああ。やはり4戦より伸ばして来ている。亜子ちゃんが予想したように、明日も4Tからのコンビネーションを跳ぶかもしれない」

「……私は予定通りの構成で行きたいと思います」

「よし、わかった」

 ファイナルで待つ光の元に向かうのが今回の目標だ。すずとの勝ち負けにこだわってリスクを取ることはない、といのりは考えたのだろうと、司は受け取った。

 

 いのりはそこで顔を伏せて続けた。

「すずちゃんとはこの試合だけじゃなく、ファイナル、全ジュニ、全日本と戦う事になると思います。ひょっとして世界ジュニアも……」

 そこまで言って、顔を上げて司と目を合わせた。

「今日この場での勝ち筋より、次につながる一歩です。

 私は今年の課題を一つ一つ詰めていきたい。明日はコレオシーケンスに集中したいです」

「わかった」

 司はいのりの成長を感じたが、同時に自らの不甲斐なさに歯噛みした。

 

 いのりは、この試合で鹿本すずに負けるかもしれないことを受け入れている。司には、その悔しさが痛いほどわかった。

 

―――ライリーの部屋

 

 ライリー・フォックスは司を呼んで作戦会議をしてた。

 この場にいのりは呼んでいない。本人に話せない話もするのだ。

 

 予定構成から変化なしと聞いてライリーは驚いた。

「2位狙いですか? よく、本人納得させられましたね」

「……いのりさんからの申し出です」

「本当ですか!?」

 嘘を見抜けるライリーも、これにはさらに驚いて問い返した。

 

「あんな向上心あふれる子にこんな選択しかさせられないなんて……自分が情けない」

 苦しそうに項垂れながらうなづく司に、ライリーはしばし考え込むと慰めるように言った。

「鹿本すずにも穴がないわけではありません。

 確かに、彼女の今年のPCSの伸び、特にプレゼンテーション面の進化は異常なほどです。

 しかし、第4戦でのフリーでは4Tを跳んだものの、むしろPCSは落ちていた。4回転を跳びつつ『すずワールド』を展開する体力とポテンシャルはないのでは? まして、3Aも跳んでおいて、2回も4回転跳ぶとは……」

 

 ライリーの慰めに、司は苦虫を噛み潰したような声だった。

「はい。ショートを落とした俺たちにとっては、それに期待するくらいしかありません……」

 

―――翌日、フリー

 

 この日、フリーの行われるリンクに注がれる視線は色濃いものだった。報道の目だけではない。一般の観客も、選手や指導者の視線も、勅令でも出たかのように集まっていた。それもそのはずで、このノルウェー大会は今年の女子ジュニアの4回転ラッシュを象徴するかのような戦いとなっている。

 去年までのJGPでの女子の4回転成功者は結束いのりただ一人だった。しかし、今年はいのりに加え、第3戦で4Sを跳び光に次ぐ2位につけたアルエット、第4戦でそれぞれ4Tと4Sを跳び、1位2位を獲った鹿本すずとブラジルのロジータ・ヤグアラー、この4人の4回転ジャンパーがいる。

 そして、第6戦で転倒してファイナルを逃したロジータを除く3人が、この第7戦でファイナル進出を賭けて戦うのだ。注目を集めないわけがない。

 その視線は興味のものだけではなかった。

 冷静にライバルを見極めようとする者、新しい世代に警戒を強める者、女子の4回転という時流の流れを見定めようとする者、様々であった。

 

 この異様な雰囲気は、選手の演技に少なからず影響を及ぼした。その最たるものがアルエットだった。

 最終滑走組。アルエットは会場からの異様な雰囲気に気圧されてしまっていた。

『こ、この雰囲気の中で跳ぶの!?』

 

 その内心の乱れは、いのりや司の目にも明らかだった。

「ジャンプに入る態勢の作り方、まだ安定してないですね」

「ああ、乱れがあるな。あれで跳べるか?……あっ。転倒したか……」

 

 残念ながらアルエットは、地元フランスで見せたような4Sも、パフォーマンスも見せることはできなかった。

「やっぱり、飛ぶ前の視線が定まらなかったですね」

「ああ。それに加えて、会場からのプレッシャーもあったんだろう。力が出せずに悔しいだろうな」

 いのりは観客等からのプレッシャーには強い方だが、同じ過ちはするまいと今一度気を引き締めた。

 

 いのりの自信、余裕の源は自らが積み上げてきた鍛錬の積み重ねだ。続く滑走でもいのりは落ち着いており、アルエットの転倒で暗くなっていた会場の雰囲気に呑み込まれることはなかった。

 ベリンダのような音楽センスがなくとも、基本に忠実なリズムを身体に覚え込ませた。狼嵜光や胡荒亜子のようなジャンプセンスはなくとも、積み重ねたエッジの軌跡が正しいジャンプに導いてくれる。

 スケーティングに対する愛が芸術へと昇華され、リンクに白鳥の湖を描き出す。その苦悩も、呪いも、愛も、希求も。

 

 司も拳を握る。

「よし、表現力も良くなっている。練習通り、いや、それ以上だ」

 焦らずに積み上げ重ねて良かったと感じる。地道な見直し、コミュニケーション、感性の涵養がちゃんと形になって、目に見える成果となって現れている。センスの壁のような伸び悩みは感じられない。

 

 勝ち負けを恐れず、ただ自身の美を追求する求道者のような姿勢には、ベリンダもそのコーチも諦めの表情だった。

「これは厳しいわね。何より、4Sすらも完全に演技の一部として溶け込んでいる。磨かれた武器、というやつね。それを2本跳ぶ体力もある。3Lzも単独では普通に跳べているし。はぁ、今日はどうしようもないわね。ファイナルではどうしようか……」

 早くもファイナルでの対策に頭を移らせていた。

 

 続くベリンダはジュニアラストイヤーの年長者の意地を見せた。ジャズの有名な変拍子曲『ヘプタグラム・ダンス』の奏でる2+2+3の挑戦的な7拍子を完璧に踊ってみせたのだ。

 冒頭の手拍子とベースのみの導入を助走なしの表現導入から入るシブい立ち上がりで始めると、最初の技術要素をジャンプではなくコレオシーケンスから始めた。

 難しい7拍を肩・肘・手首、そして重心移動で可視化する。「難しい音楽を滑っている」というより「自然に踊っている」印象を皆に与えた。

 

 いのりも息を呑む。

「すご……。7拍が本当に自然に取れてますね」

「ああ。挑戦的な音楽の世界に真っ向から立ち向かい、滑りこなしている。驚くべきリズム適応力だね」

 ジャンプもそれぞれ7拍に合わせた助走、踏切、着地。スピンまで7拍に合わせる念の入りように、司も脱帽だった。

 

 最後も7拍目でピタリと止まるスタチューで締めた。ジュニアとは思えない音楽理解力と身体表現の成熟度は会場の皆を震え上がらせたが、いのりは落ち着いていた。

「あははっ。ベリンダさんの後でなくて良かった。直後だったら7拍子に引きずられちゃってたかも」

 冗談を言う余裕すらあった。

 

 ベリンダの点数が発表されたが、やはり4Sを2本入れてきたいのりには及ばなかった。

 

 対して、トリを務める鹿本すずは不適な笑みを浮かべてリンクに立った。

「いのりちゃん。ラクさせてくれへんなぁ……それでこそ美少女スケートバトラーや。うちも、手加減できへんで」

 

 いのりが不安そうに見つめる中、すずの演技は始まった。

 秘密を抱えるアイドルを題材としたそのアニソンは、その弾ける軽い雰囲気とは裏腹に、転調やテンポチェンジが重なる難解な曲であったが、すずは難なく踊りこなす。しかし……

「昨日のショートや合宿のフリーで見せた、全身の体重移動を繰り返す振付けではないですね」

「ああ、抑えて滑っている。その分節約した体力で4Tを跳ぶんだろう……来たな」

 司は目を見張り、いのりは祈るように手を組んだ。

 

 最初のジャンプ。4T+3T+2Loのコンビネーションに会場から大きな拍手が上がった。

 

 この日、すずは4Tを単独でもう一本も決め、表彰台の一番高い位置に立つこととなった。

 

 鹿本すず。1位2回、30ポイント。ファイナル進出。

 ベリンダ・ベルガマスコ。1位と3位の26ポイント。ファイナル進出。

 結束いのり。2位2回、26ポイント。ファイナル進出。

 アルエット・デュポワ。2位と4位の22ポイント。ファイナル進出ならず。

 

―――表彰式の後

 

 表彰式の後、いのりはすずに話しかけた。

「表彰式の時も気になったけど、すずちゃんのブレードカバー。なんかすごく目立ってたね」

「そやで! うちのマイブームや!」

 

 すずのバッグのそばに件のブレードカバーがちょこんと並べられていた。

 苺をくわえたウサギモチーフのそのカバーは、プラスティック製の歩行用ながら、幅広で自立して、行儀良く並んでいた。

「立ったまま着けられるタイプだね」

「……そやで」

 

 いのりはそのブレードカバーをしばし観察していたが、やがておもむろにすずに話しかけた。

「すずちゃん。ちょっとナイショ話、いい?」

「ええで。何?」

 すずが承諾すると、いのりはすずの耳元に口を寄せた。

「……(こしょこしょ)」

「……そやで、良くわかったな?」

「……(こしょこしょ)」

「……うん。そう、それも当たってる。さすがいのりはんやな。上桐センパイもビックリやで」

「……それと……(こしょこしょ)」

「それは……(こしょこしょこしょこしょ)。よろしくな、いのりはん」

「……うん。わかった。ナイショだね」

 

 そこに蛇崩が通りがかった。

「お、なんや。ナイショ話か?」

 だしぬけに呼ばれて、すずは驚いて抗議する。

「うわ! びっくりするやんか! センセにもナイショのうら若い未婚の乙女の会話、邪魔せんといてや!」

 

「『乙女の会話』って……」

 なぜか不満そうないのりに、すずは話を締めた。

「残念ながら邪魔も入ったし、話はここまでやな。

 なら改めて、ファイナルで待ってるで」

「その前に全ジュニだね」

「そやな。バトルは続くで」

 ファイティングポーズを取るすずに、いのりは同じく武道の構え、カンフーナルキッソスの「湖鏡掌」のポーズを取って返した。

「……手加減はしないよ」

「……それは今日勝ったうちのセリフや!」

「あははっ。またね」

 いのりは笑顔をつくってその場を去った。

 

―――帰りの飛行機

 

「いのりちゃん。少し眠る?」

「……いえ。まだ眠くないので」

 ライリーと司と共に帰る飛行機の中、眠る時間も近づいていたが、いのりは思案顔だった。

 

 いのりの様子に気づいたライリーは聞いた。

「いのりちゃん。何か気になること、ある?」

 

 いのりはしばらく迷った様子だったが、やがて口を開いた。

「本当は話そうかどうか迷ってたんですが、言いますね」

 

 ライリーが軽くうなづいて聞き手に回る。

 いのりは、少し間をおいて語った。

「すずちゃん。この大会では構成に入れてませんでしたが、4S跳びます」

「え!?」

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