ちょっと変な話していいか。
訓練兵団でいちばんモテる男って、誰だと思う?
――俺だよ。
待って。石投げないで。真面目な話なんだ。ちゃんとした根拠がある。
「フィン! 味見しますよ!! 一口だけ、一口だけでいいですから!!」
「いい加減にしろ、もう三口目だろが!」
……ちなみに、今吠えてるあの猛獣はノーカンで頼む。
訓練兵団の厨房は、「質素」の一言に尽きる。
今週の配給は、まだマシなほうだった。
主食はインゲン豆。これは貴重なタンパク源だ。それに、芽が出かけた芋、刃が跳ね返るくらい硬い蕪。
珍しいことに人参まである。妙に細くてしわしわで、明らかに市場で売れ残ったやつだ。こういう「商品にならない野菜」が、たまに訓練兵団に回ってくる。
ラードの缶は、もう何ヶ月も同じものを使い回している。誰もが一滴でも多く使いたがるから、いつ誰が触ったのか分からないほどベトベトで、香りはとうに死んでいる。それでも、ないよりはマシだ。
塩なんてもっとひどい。瓶の底に、名残惜しそうな結晶がこびりついているだけだ。
包丁は刃こぼれだらけで、蕪を切るたびにゴリッと嫌な音を立てる。鍋も古くて、気を抜けばすぐ底が焦げ付く。だが、こいつらとももう長い付き合いだ。だから俺は――ちゃんと、使いこなしてやる。
切って、煮て、腹は満たせる。けど、それだけだと心がガス欠のままになる。
……昔、俺が作ってた泥臭いスープの味が、ふっとよみがえる。ただの「栄養補給」としての飯。あんなの、もうごめんだ。
だから考える。
同じ食材でも、少しでも「うまい飯」にできないかって。
ここ最近すっかり厨房の番人扱いされている俺は、焦げ跡のこびりついた大鍋の前で腕を組んだ。
「……火が強すぎるな。コニー、薪ちょい抜け。焦げる」
「え、まだグツグツいってねぇのに?」
「焦がしたら甘みが死ぬ。勝負は火加減だよ」
鍋の中をかき混ぜると、立ちのぼる湯気の中に、ふわっと甘く香ばしい匂いが混じった。
焦げる寸前まで焼きつけた芋の香りだ。
「今の、芋? すごくいい匂いがしたよ」
水汲みを終えたクリスタが、湯気にそっと顔を近づける。俺は木杓子を動かす手を止めて、軽く頷いた。
「皮つきのまま焼いてある。焦げ目がつくくらいまでやると、甘みと香りが出るんだ。蕪の葉っぱも細かく刻んで足した」
「葉っぱ?」
「ああ。捨てるにはもったいない。火を通せば、ちゃんといい香りが出る」
「……いつもの食材だけで、そんなふうにできるんだ。フィンって、本当に料理上手だよね」
クリスタの素直な声に、我慢が切れたみたいにミーナが身を乗り出してきた。
「今日の豆も、全然臭くない。こっちも何か工夫した?」
「昨日の夜から水に漬けてた。アクが抜けるし、煮る時間も短くて済む」
「……ちょ、それって当番始まる前から準備してたってこと?」
「まぁ。水に放っとくだけだし、大したことじゃねぇよ」
「もはや兵士より料理人向きじゃねーか。辞めて食堂に就職すれば?」
俺が肩をすくめると、ユミルが横からニヤニヤ顔で割り込んできた。
「店でも開いたら通ってやるよ。なあ、クリスタ」
「うん。絶対に通うよ」
「……まぁ、それもアリかもな」
軽く流しながら、木杓子の先で煮え具合を確かめる。
ちょうど芋の角がほろっと崩れ始め、スープにうっすらとろみがつきかけていた。よし、順調。
そのとき、背後から控えめな声がした。
「……芋の芽は?」
「ああ。芽と傷んでるとこだけ取った。皮ごと煮たほうが煮崩れしねぇし、味も残る」
ミカサが遠慮がちに鍋を覗き込みながら小さく頷き、目を細めた。
「本当に、美味しそう」
そのひと言で、厨房の空気がわずかにやわらぐ。
と、黙っていたアニがスッと前に出てきた。無言でスプーンを差し出してくる。思わず俺は目を瞬いた。
「味、見させて」
「……どーぞ」
頷くと、アニは一口すくってスープを口に運ぶ。
口元に手を添えたまましばし沈黙し、無表情のまま、もう一度スプーンを差し出した。
「……うまいね。ここの食事で、こんな味出るもんなのか」
その瞬間、厨房の空気がぴたりと止まった。
「……褒めた?」
全員が硬直して、次の瞬間――
「え、アニが褒めた!?」
ミーナがクリスタの腕を掴んで跳ねるみたいに喜び、ユミルは俺の背中をドンと叩く。
「どうした料理男子。モテ期か?」
「……やっ、やめろって……!」
肩を抱かれそうになって思わずのけぞる俺をよそに、あちこちから笑いとざわめきが上がった。
……そのとき、斜め後ろからやたら冷たい視線が突き刺さるのを感じた。
ちら、と視線を向けると、ジャンが皿を拭きながら、すっげぇ目でこっちを見ている。
コニーも明らかに雑な手つきで、薪をいじり倒していた。
「……調子に乗りくさってんな、フィンくんよォ……」
ジャンが歯噛みするみたいに呟く。
「俺なんか『豆は豆だろ』って言っただけで、やる気ないなら外行けって言われたんだぞ」
コニーの愚痴に、ユミルがゲラゲラ笑う。
「そりゃ料理に向いてねぇよ、お前らは!」
「調理のときばっかり張り切りやがって……」
ちょうどそのタイミングで、薪を抱えたライナーが厨房に戻ってきた。
二人をじっと見てから、静かに言う。
「……ジャン、それを嫉妬って言うんだぞ」
「うっせぇ!」
ジャンが一言でぶった切る。
それでも口の端が悔しそうに歪んでいたのは、否定しようのない証拠だった。
……悪いけど、正直、めちゃくちゃ気分がいい。
これで分かってもらえたと思う。今、この世で一番モテるのは、俺――
「フィン!! 私も味見!! お願いしますってばぁ!!」
――そんな馬鹿なことを考えていたところに、嵐が突っ込んできた。
「うるっせぇなサシャ! そもそもお前、今日は当番じゃねぇだろ!」
「毒味です、責任ある立場なんです! こっちだって命がけで味を見てるんですよ!」
「どこの部隊におかわり要求する毒味係がいるんだよ!」
「一口だけ……一口だけでいいんです! それ以上は望みませんから!」
目が本気だった。
俺は深いため息をつき、スプーン一杯分だけすくって差し出す。
「……これだけ。マジで最後な」
「ありがとうございます! ふわぁ、蕪と豆の香りが……!」
サシャはうっとりした顔でスープを啜り、ほんの少し口の端を綻ばせた。他に何もいらないって顔だった。
「……こんなん、野良猫に餌やってるようなもんだよ……」
思わず漏らした呟きに、隣のアニが吹き出しそうになっていた。
*
食事の準備もほぼ終わり、鍋の火を落としたタイミングで、ミーナがぽつりと呟いた。
「ところでさ、みんな……卒業後の配属先って、決めてる?」
一瞬で、厨房の空気が変わった。さっきまで漂っていた笑いが引き潮みたいに引いていく。
誰もが言葉を探すように黙り込み、やがてミカサが口を開いた。
「私は、エレンの行くところに行く」
まあ、予想通りの答えだ。
ミーナが「だよね」と頷いて笑い、続いてクリスタが言う。
「私は……まずは卒業できるかどうかが先かな」
「何言ってんだお前。どこが危ういんだよ。だけど、まぁ……私は、どこでもいいかな」
ユミルが肩をすくめて笑う。
アニは少しだけ考え込んでから、低い声で呟いた。
「憲兵団だけど」
その言葉に、「だろうな」と何人かが頷いた。アニなら確実に上位に入るだろうし、その選択は意外でもなんでもない。
だが、その直後に発せられた声が、場の空気をまた変えた。
「私も憲兵団ですね」
スープを啜っていたサシャが、いつもの調子でさらっと言った。
――いや、待て。
「は?」
「憲兵団? サシャが?」
ジャン、俺、コニーの三人が同時に振り返る。
厨房に奇妙な沈黙が落ち、顔を見合わせる仲間たちは、必死に笑いをこらえている。
「……ちょっと。真面目な話なんですけど」
サシャがぷくっと頬を膨らませて抗議するが、ジャンが眉をひそめた。
「貴族の皿からつまみ食いとかすんなよ。憲兵団って、そういうとこだぞ」
「バレたらクビじゃすまねぇからな。物理的に首が飛ぶ」
「し、しませんよ、そんなこと! 人を何だと思ってるんですか」
「そもそも成績上位じゃないと無理なんだって。お前、入れるつもりなの?」
俺が指摘すると、サシャ、ジャン、コニーが顔を見合わせ、そろって俺のほうを向き、にっこり笑った。
「お前より可能性あるだろ」
「どっかの料理研究家よりは優秀だ」
「憲兵団なんて、フィンには遠い世界の話でしたね、ごめんなさい……」
「お前ら……」
さっきまで飯を恵んでやってた恩を、どの口が忘れやがった。
「まあ、調査兵団ってのも、なくはないですけどね」
ふいにサシャの表情が、少しだけ真面目になる。
「土地を奪還すれば、食料も増えるんです。憲兵団の食事が豪華だって噂は聞きますけど、奪還を人任せにするのも、ちょっと……違うかなって」
そのひと言に、厨房の空気がまた揺れた。
……え、今のサシャ、ちょっとかっこよくなかったか? なんだよその顔。
「じゃあさ」
コニーが、かすかに声を落として言った。
「もし、巨人を全部倒して、土地を取り戻せたら……お前ら、何する?」
全員が静かになった。火のはぜる音と、大鍋の中で具材が寄せ合う音だけが聞こえる。
俺はスプーンを置き、肩の力を抜くように笑って言った。
「サシャは聞くまでもないよな。心ゆくまで食いまくるとか、そんなだろ」
だがサシャは、きょとんと首を傾げた。
「それは進路ではありませんよ。私はもう、ちゃんと決めてます」
「へぇ。例えば?」
「結婚と出産です」
思わず、変なところに入った息が喉でつかえた。
「……っ、け、けっこん!?」
俺の声が情けなく裏返るのと、ライナーが咳き込むのと、ミーナがスプーンを落とす音が重なった。
「当たり前じゃないですか。昔みたいに狩りをしながら、大家族で暮らすんです。分け合って、助け合って。理想ですよ」
ジャンが机をバンと叩いて叫ぶ。
「お前と結婚できるなんて、どんな男だよ!」
「そうですねぇ、料理のうまい人がいいですね」
「え……」
ジャンが石像みたいに固まる。
そして――その場にいた全員の視線が、俺に集中した。
「な、なんで俺を見んだよ!?」
ユミルが、ニヤニヤしながら俺の肩を叩いてくる。
「いや〜、豆の下処理できる男、いいよな〜?」
ミーナとクリスタが手を口元にあてて笑う。
「皮ごと煮込んで、焦がし加減で風味も出して……」
「無駄がなくて経済的」
「え、ちょ、おまえら、やめろって……」
焦る俺の背後で、更に焦ったような低音が聞こえた。
振り返ると、薪を両腕に抱えたライナーがこちらを見ていた。
「クリスタ、それって……家事ができる男なら……誰でも可能性が……?」
「ライナー、外で薪割ってこい」
ユミルがライナーの背中を軽く蹴飛ばす。
どうにかこの流れを終わらせたくて、俺は鼻をこすりながら口を開いた。
「ま、まぁ……悪い気はしねぇけどな」
「フィンって、絶対いいお父さんになると思う」
「いやミーナ、お父さんとか言うなよ……でも……」
「……はぁ、分かってませんね」
鋭い声に振り返ると、サシャが呆れたような、少し馬鹿にしたような顔でこっちを見ていた。
「な、なんだよ」
「私にだって、選ぶ権利くらいあるんですよ?」
「え……」
この顔は、見覚えがある。入団式の日、教官に芋を半分渡したときの――あの顔だ。
「……こ、こっちだって、サシャみたいな『うるさい』奴、願い下げだ!」
「そんなことより、おかわりはまだですか?」
「味見のおかわりって何だよ! お前に食わせるもんなんてもうない。腹が減ったんなら……巨人の肉でも食っとけ!」
「誰が食べるんですか、そんなもの!」
「……」
そのやりとりを黙って見ていたライナーが、薪をくべ直しながらポツリと呟いた。
「……さっきの結婚がどうとかいう発言。全部、フィンにおかわりを出させるための策略なんじゃないか?」
ジャンが頭を抱える。
「芋女が、一丁前に男を弄ぶ術を身につけたようだぞ」
誰も、うまく言い返せなかった。
「やっぱフィンはダメだな。すぐキレるような男にクリスタはやれん」
「もう、何言ってるのよ」
「クリスタ、俺は気が長いぞ」
「水汲み行くぞ」
「待って、ユミル!」
「……」
去っていく二人の背中を見送りながら、ライナーはぽつりと呟いた。
「……芋。皮ごとでも、うまいって言ってたよな……」
*
やがて全員分の食器が並べられる頃、鍋の蓋がゆっくり開けられる。
湯気と一緒に立ちのぼる、焦がし芋の香ばしさ。干し豆と人参のやさしい匂いに、蕪の甘い香り。貧しいはずのそれぞれが混ざり合って、ちゃんと「うまそうな」匂いになっていた。
今日の献立は、「干し豆と根菜の素朴煮込みスープ」。相棒は、いつもの黒パン。
具材は崩れず、スープはとろり。わずかに浮いたラードの薄い膜が表面に光を作って、色の乏しい世界に、ささやかな艶を与えている。
「おい、準備遅くねぇか」
「フィン先生のありがたーい料理講座がな、長ぇんだよ」
扉を開けてエレンが入ってきて、眉をひそめる。
ジャンがうんざりした顔で呟くが、ミカサが淡々と言った。
「でも、美味しい。エレンも食べたほうがいい」
「……食べたほうがいいも何も、みんなと食べるだろ?」
器が配られ、スプーンが一斉に動き出す。
そして――
「……うわ、これ……焦げ芋の香りがすごい」
「干し人参と豆の出汁が、すごく出てる。スープに厚みがあるっていうか」
エレンが呟き、アルミンが目を輝かせる。
「蕪がホロホロ崩れて……美味しい……」
「とろみがあるのに、全然重たくない。黒パンに合うよ、これ」
ベルトルトがうっとりした顔でスプーンを動かし、マルコも感心したように言った。
そして一番の爆発は、やっぱりあいつだった。
「この副菜は何ですか、芋の皮だけ!? カリカリで美味しい……! もう主食これでいいじゃないですか!」
サシャが目を輝かせて叫ぶ。
食堂が、一気に祭り会場みたいになった。
笑い声と椅子のきしむ音と、スプーンが器を叩く小さな音。
みんなが笑って、またスプーンを動かして、また笑って――俺もようやく一口、スープを啜った。
温かさが喉を通り、腹に落ちていく。
同じ材料のはずなのに、昔の泥臭いスープとは違う味がした。
そのとき、ジャンがぽつりと呟いた。
「……もう厨房、あいつ一人に任せたらよくないか?」
それに反論する者は、誰もいなかった。
ほら。だから言ったろ。
俺は今、訓練兵の中で一番モテるんだって。
――食堂と厨房限定だけどな。
(完)
お久しぶりです。
陰鬱な本編とは真逆のアホみたいな話を、限りなく肩の力を抜きながら書きました。全話読んでくださった方へのちょっとしたお礼やサービスになっていたら嬉しいです。