九つの巨人全部喰う(完結)   作:雄魔雌

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03 二人の失踪

 俺がかろうじでこの戦線を生き残り続けてきた話なんて、別に聞きたい奴もいないだろ。

 

 アニが女型の巨人だったとか、ライナーとベルトルトが裏切り者だったとか、俺がわざわざ説明しなくても、どうせ全部知ってんだろ?

 それを知ったところで、大した衝撃も絶望もなかったよ、俺は。

 あったのは「やっぱりな」という感覚と「逃げられた」という後悔だけ。

 

 クーデターの時も、俺はただ状況に流されていただけ。リヴァイ班でもハンジ班でもなかったからな。

 ある日突然調査兵団の活動が停止したかと思ったら、あのクリスタがヒストリアとかいう名前の女王様になってた。

 

 俺は調査兵団の一員だったけど、ずっと蚊帳の外にいた。

 

 だから詳細は省くが、とにかくまだ生きている。

 で、今。もう猛烈に腹が減っていて……ものすごく不機嫌なんだ。これ以上思い出させないでくれ。

 

 

 

 俺がそう言うと、駐屯兵団あがりのサンドラとゴードンは、あからさまにガッカリした表情を見せた。

 トロスト区での戦闘以降、俺はもう巨人の肉を一欠片も食べていなかった。

 ウォール・マリア奪還作戦が迫っている。俺はまた、目的意識というものを失っていた。ただ流されるままに戦場に向かい、この空腹が消えてくれることをずっと祈っていた。

 

 

***

 

 

 俺はマレーネ班の一員として、ウォール・マリア奪還作戦に参加していた。

 ワイヤーを放ち、小型巨人の首筋に鋭い刃を叩き込む。蒸気が立ち上る中、さらに次の獲物へと飛んだ。

 

「フィン、左側!」

 

 同僚の叫び声に反応し、素早く方向を変える。すでに二体の巨人を仕留めていた。疲労は蓄積されていたが、まだ戦える。まだ、生き残れる。

 そう思った矢先だった。

 

 全身が獣じみた体毛で覆われた、異形の巨人。そいつと目が合ったような気がして、思考が止まった。理性より先に、背骨の奥で「ヤバい」と叫ぶ本能の声が響いた。

 

「全員、散開せよ!」

 

 班長の命令が響く。しかし、その声が途切れる前に、獣の巨人は周囲の岩を掴み、投げ始めた。

 

 最初の一撃は遠くで爆発音を立てた。だが次の瞬間、視界が回転した。

 

「な……」

 

 声を発する間もなく、巨大な岩塊が俺の右側に直撃した。

 激痛が走り、右腕が宙を舞うのが見えた。それが自分の腕だと、しばらく認識できなかった。鮮やかな赤が視界を染め、空中で回転しながら、落下する。

 

 今度こそ、終わりか――

 

 地面に叩きつけられる衝撃と共に、意識は闇に呑まれていった。

 

 

 

 

 

 冷たい。

 それが最初に感じた感覚だった。俺は目を開けた。灰色の空がぼんやりと見える。周囲には兵士と馬の遺体が散乱していた。俺が倒したはずの巨人の残骸は、すでに蒸発してどこかに消えていた。

 

「……生きてる……のか?」

 

 右腕の痛みを確かめようとして、凍りついた。腕がない。肩から先が完全に消失していた。血は止まっているように見え、包帯を巻いて止血した形跡がある。

 誰がやった? 周りは死体しかない。俺が自分でやったとしか思えないが、記憶がない。

 

「生存者確認! こちらに生存者!」

 

 遠くから声が聞こえてくる。駆け寄ってくる兵士は調査兵団の連中ではなかった。駐屯兵団だ。

 ――戦闘が、終わっていた。どうやら既に遺体の回収が始まっているようだった。

 

 駆け寄ってきた兵士の顔に安堵の表情が浮かぶ。

「良かった、あと少し遅れていたら……」

 が、兵士は言葉を切り、俺の顔を見つめた。

 

「君……その口は?」

「え?」

 

 そう言われて気が付いた。

 唇の裏に、ぬるりとした感触。舌で転がして……俺は全身を硬直させた。温かい、肉。血の味。繊維質の破片が歯の裏に残っている。

 

 倒した巨人はもういない。蒸発してる。じゃあ、これ……何だ?

 

 そんなわけないよな? まさかな? 戦場のどさくさで、無意識に、味方の兵士を、なんて――

 

 その想像が脳裏に浮かんだ瞬間、胃の奥が痙攣した。

 恐怖が背筋を走った。答えを知りたくなかった。

 

「どうした?」

 

 兵士が心配そうに尋ねるが、俺は何も答えられなかった。

 口の中にあった肉は、もう形を失っていた。噛み砕いた覚えも、咀嚼した記憶もないのに、舌が血の味を覚えていた。

 

 

***

 

 

 兵団幹部たちが集う会議室には、秘密と緊張が濃密に漂っていた。珍しく、そこに女王ヒストリアの姿はなかった。

 

 閉め切られた扉の向こうでは、警備の足音が時折響くだけ。その足音が遠ざかるのを待つように、ザックレーが喉を鳴らし、会議の口火を切った。

 

「港の建設工事は順調に進んでいるようだな」

 

 指先で机を叩く音が、参加者全員の注意を引き寄せる。

「で、今日は……」

 

「女型の巨人の継承について、話しておきたい」

 

 その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が凝固した。

 

「……アニ・レオンハート」

 ナイルが小さな声でその名を呟くと、会議室の誰もが身を強張らせ、僅かに背筋を伸ばした。

 かつて女王と同期の訓練兵だった女。その名前は今や兵団の誰もが口を閉ざす存在だった。

 

 ザックレーはこめかみを指で軽く叩きながら、眼下の影を深めた。

 

「陛下の前では言いづらいこともあるだろう。もちろん後日報告はするが、今日は忌憚のない意見を聞かせてほしい」

 

 その言葉に、全員が僅かに姿勢を緩めた。権力を持つ者たちだけの密室で、彼らは本音を語り始める。

 

「水晶体の中で意識があるかどうかも不明。このまま寿命を迎えれば、力は失われる」

 ナイルの言葉に、幹部が互いに視線を交わす。彼らの顔には、焦りと不安が隠しきれずに浮かんでいた。

 

「それは困る」

 幹部の一人が言った。

 

「ただでさえ熟練兵は減り、新兵の訓練も追いついていない。我々にとって、巨人の力は貴重な兵器だ」

「だが継承の手段がない。いま自発的に巨人化できるのは……」

「エレン・イェーガーとアルミン・アルレルトの二名。しかし、彼らでもあの水晶体は砕けませんよ」

 割って入ったのはハンジだった。

 

「ハンジ。マーレの義勇兵たちの技術提供は?」

 ザックレーが問うと、ハンジは小さく首を振った。

「世界情勢や建設技術などは積極的に供与してくれていますが、巨人に関する情報を出し渋っている印象があります」

 

 ハンジの言葉に、会議室には一瞬の沈黙が降りた。やがて一人が、重い決意を込めて言葉を発した。

「……それでも、いざという時に備えて継承者だけは絞っておくべきだ。混乱を避けるためにもな」

 

「候補はいるのか?」

 ザックレーの一言を合図に、会議室には重い沈黙が落ちた。

 誰もが口を開こうとしない。名前を口にするということは、その者に死の烙印を押すことに等しかった。

 

「ヒストリア女王に……」

「おい、不敬が過ぎるぞ」

 ナイルの声には怒りが滲んでいた。彼は顔を顰め、別の提案を促すように視線を巡らせる。

「サシャ・ブラウスはどうだ?」

 一人が慎重に提案した。

「近接戦にも長けているし、生存率も高い」

 その提案に頷きかける者も現れ始めた矢先、鋭い声が空気を切り裂いた。

 

「待ってくれ」

 ハンジの声が部屋の空気を裂いた。メガネを押し上げながら続ける。

「女型だからといって、継承者が女でなければならない理由はない」

 

 その一言で空気が変わった。誰もが自然とハンジに注目する。

「……では、誰を想定している?」

 ザックレーが尋ねた。ハンジは一度深呼吸してから答える。

 

「フィン・トーテツ」

 

 その名が落ちた瞬間、会議室は静まり返った。

 

「誰だ?」

「そんな兵士、聞いたことがない」

 声には警戒と疑念が滲んでいた。ハンジは淡々と説明を始めた。

 

「調査兵団所属。ウォール・マリア奪還作戦の生存者。身体能力もそこそこ、訓練兵時代の成績も悪くなかった」

 

 ハンジは一拍置き、懐から数枚の報告書を取り出した。皺の寄った紙束を机に広げると、会議室の空気が変わる。

 

「そしてトロスト区の戦場で、『巨人の肉を口にしていた』という報告がある」

 

 その言葉が、会議室の空気を凍らせた。椅子の軋む音が鳴り、誰かが息を呑む音が聞こえた。

 

「は……?」

「……正気か?」

「ただの狂人じゃないか」

 

 嘲りや不信の声が交錯する。ハンジは報告書を見つめながら、言葉を紡いだ。

「彼には意志というものがない」

 その言葉に、兵団幹部たちの表情が強張る。

 

「誰かを守りたいとも、戦争を終わらせたいとも思っていないようだ。ただひとつ、明確にあるのは――『喰う』という衝動だけ」

 部屋の温度が一気に下がったように感じられた。誰かが不安げに口を開く。

 

「それはただの空腹ではないのか?」

「違う」

 ハンジの声は強くなる。

「彼が喰いたがっているのは『肉』じゃない。私には、彼は巨人という存在そのもの……その中身を、記憶を、無意識に取り込もうとしているように見える」

 

「……つまり、そのフィン・トーテツとやらは巨人の本質を感覚的に理解していると?」

 ナイルが恐る恐る尋ねた。

「かもしれない」

 ハンジは報告書から顔を上げ、部屋の全員を見渡した。

 

「普通の兵士にはない、奇妙な直感と執着。それは危険であると同時に、制御可能な力でもある」

「あぁ……餌を与えれば動くってことか」

 幹部の一人が震える声で呟いた。

 

「兵団の命令を彼に流し込めば、それが彼の『存在理由』になる。うまくやれば、非常に従順な兵器になり得るな」

 ずっと黙っていたピクシスが、少しだけ微笑んで言った。

「危険だが使いやすい。まるで言葉の通じる獣のようだ」

 

「……私も、実際に見た」

 ハンジが言う。

「彼が、巨人の肉を口に含む瞬間を。……信じられないほど、嬉しそうだった」

 

 その言葉が、会議室全体に染み込むように響いた。誰もが、その光景を想像して身震いする。

 しばし、誰も言葉を発しなかった。針が時を刻む音だけが、部屋に鳴り続けていた。

 

 

***

 

 

 右腕の感覚が消えてからどのくらい経ったのか、正確にはわからない。

 

 俺の仕事はいつの間にか事務ばかりになっていた。片腕がないからそれも仕方ない。

 ずっと蚊帳の外にいるだけの兵士だった俺は、今や戦力外の兵士になっていた。

 エルヴィン団長は片腕でも馬に乗り、立体機動装置を使いこなし、前線に立っていたのにな。

 マーレへの潜入調査だって、俺は誘われてすらいない。そんな計画、サシャに聞かされてから初めて知った。

 

 起きて、仕事して、食って、横になる。腹が鳴って、目を覚ます。そんな日々が続いていた。何も変わらない。何も湧いてこない。ただ、今日も腹が減っていた。

 この日も、俺はただ書類を眺めていた。

 ノックの音がして、扉が開く。

 

「よっ。生きてましたか?」

 

 顔を覗かせたのはサシャだった。手に包みを抱えている。笑っていた。いつものように。

 

「マーレに行ったんじゃなかったのか」

 フィンは目を逸らさずに言う。

「発つのは明日ですよ」

 サシャは勝手に椅子を引いて、俺の隣に座る。そして、持ってきた包みを開いた。

 

「はい、差し入れ。特製干し肉と……特製黒パン!」

「特製って。どうせ作ったのお前じゃなくてニコロだろ」

「袋には包んだのは私です」

「ったく……」

 

 サシャが笑いながら包みを差し出す。俺は無言でそれを受け取り、視線を落とした。

 

「前も、干し肉くれたよな」

「ああ、あのとき。倉庫の裏でこっそり食ってたら、結局見つかりましたよね」

「覚えてたのか」

「忘れませんって。あのときの教官の表情ときたら……」

 

 サシャは、俺に対する差し入れのはずだったパンを取り上げ、ちぎって自分の口に入れた。じっくり味わうように、目を細めている。

 

「……サシャは、静かだな」

 

 サシャが咀嚼の手を止めて、目を丸くする。

 

「え? うるさいってよく言われるんですけど」

「違う。そういう音じゃない」

 俺は目を伏せたまま続けた。

「中にある音だ。心臓の音とか、胃が軋む音とか……俺には、うるさい奴がわかる。中に『何か』を飼ってる音がするやつら」

「……へぇ?」

 

 いつの間にか、サシャはパンを全て食べ尽くしていた。今は干し肉の一欠片を噛んでいる。俺のための差し入れじゃなかったのかよ。

 

 部屋の静けさに、彼女の咀嚼音だけが響く。

 やがて、サシャが静かに呟いた。

 

「それ、褒めてるんですか?」

「どうだろな。俺にも、よくわかんねぇ」

 

 その言葉に、サシャはふっと笑った。

 そして立ち上がり、少しだけ干し肉の残りを机に置いた。

 

「美味しいものがあったら、お土産にしてあげます」

「食えるもんで頼む」

「そーいう言い方やめなさい。まず感謝することが先ですよ!」

 

 そう言って笑いながら、サシャは部屋を出ていった。足音が遠ざかっていく。

 

 俺は机のままに少しだけ残された干し肉を手にとって、口に運び、噛む。塩気があって、硬くて、しょっぱい。

 ――腹の音は、少しだけ、静まっていた。

 

 

 

 

 転換点は、サシャたちがマーレに発ってから、すぐだった。

 昼過ぎ、執務室の窓から見える空は重たく曇っていた。誰かが走る足音が、廊下を通り過ぎていく。それも一度や二度ではなく、何度も。

 

 何かが起きている。ドアがノックもなく開いた。

 

「大変なことになった」

 

 入ってきたのはフロックだった。

 相変わらず不機嫌そうな顔をしている。だが、今日はそれ以上に何かを抱えているようだった。

 

「何かあったのか?」

「……エレンとミカサが、消えた」

 

 フロックの顔には、怒りでも哀しみでもない、ただ「言葉を選ぶのが面倒」だと言わんばかりの諦めがあった。

 その一言で、俺の手元から書類の束が滑り落ちた。乾いた音が部屋に響く。何枚かが床に散らばっていく。

 

「いなくなった?」

「ああ。二人ともマーレで行方不明だ。兵団の誰にも、エレンから何の連絡もない。潜入調査に同行した連中から、さっきようやく便りが届いた。他の連中はいったん島に戻る予定らしい」

 

 フロックが続ける。

 

「兵団は隠そうとしてる。だが無理だ。エレンがいなければ、抑止力はもうない。……俺たち、終わりかもしれないぞ」

「……それで、どうするんだ」

「どうもしねぇよ。誰も何もできねぇ。マーレは宣戦布告の準備を進めてるらしいからな。どの程度猶予があるか分からないが……このままじゃ、世界中がこの島を囲む。それだけだ」

 

 フロックは吐き捨てるように言い残して、部屋を出ていった。閉じられた扉の向こうで、彼の足音が遠ざかっていく。




この作品は、エレンとミカサが二人で逃避行したIFルート世界が舞台です。
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