九つの巨人全部喰う(完結)   作:雄魔雌

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05 マーレ急襲計画

 目の前で暴れ出したそれは、確かに女型の巨人だった。いや、確かに形としては女型なのだが……壮絶な違和感が実験場全体に広がる。

 

「案の定、暴走している!」

「来るぞ……立体機動準備!」

 

 実験を見守っていた兵士たちが一斉に動いたが、間に合わない。巨人と化したフィンは、狂ったように前方の防壁に向かって拳を振るう。

 一発目で石壁が割れる。二発目で吹き飛ぶ。

 

 その時、上空から黒い影がひとつ、音もなく降下する。

 

「……やっぱり、初回は抑えが利かねぇか」

 

 リヴァイだった。

 立体機動のアンカーを即座に女型の左肩に撃ち込み、加速と同時に真横からの斬撃で筋肉を裂く。両腕が即座に落ちた。

 

 巨体がわずかによろめく。だが、止まらない。フィンは頭を振り回して変わらずに暴れている。

 

「落ち着け、さっき喰ったばかりだろうが」

 

 リヴァイが冷たく言い捨てる。そのまま空中を旋回してうなじめがけて回り込み、迷いなく刃を振るう。

 肉が裂ける音と共にフィンは揺らめいて、そのまま崩れ落ちた。

 

「中から飢餓のガキを取り出してやれ」

「了解!」

 

 

 

 

 

 ハンジはじっくりとその巨人の姿を確認していた。

 

 肩幅が異様に広い。肩甲骨から上腕にかけては、明らかに男の骨格をしている。

 だが腰は無理やりにくびれていて、骨のねじれが皮膚の下から浮かび上がっていた。

 下半身は細く、そして膝と足首の関節は奇妙なほど柔らかい。アニの巨人のような格闘姿勢が、なぜか正確にトレースされている。

 前身の巨人に似るなんて話は聞いたことがない。ハンジがアルミンに問う。

 

「前継承者の影が色濃く出るなんて、ありえるのか?」

「情報が少なすぎて分かりません。ですが、僕は特段ベルトルトの特徴を受け継いでいるわけでは……」

 

 顔もまた不気味だった。

 片方の頬は筋肉の下から「女の面影」が透けて見え、もう片方は骨が突き出て歪んでいた。

 顎が厚く、唇は裂けたまま閉じず、口腔内が常に湿り気を帯びた赤黒さを晒している。

 

 しかし最も奇妙なのは、その腹。

 なぜか異様に膨れている。

 皮膚が極端に薄く、血管が網のように浮き上がり、まるで中で何かが脈打っているように見えた。

 筋繊維の隙間からは、色の異なる赤黒い「なにか」が透けていた。

 それは皮膚ではない。胃袋だ。この巨人の腹は、何かを「喰ったこと」を隠す気がない。

 

 膨れた腹を揺らしながら、彼女――いや、彼なのか――は静かに地面に倒れていた。

 

 この巨人は、男の肉体に女の動きを混ぜただけでなく、なぜか獣の胃袋が混ざった……形を持つ飢餓そのものだった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「フィンの姿形は素晴らしいな。最高の兵器、神の彫刻。あれは醜く、ひどく美しい」

 

 ザックレーの手拍子だけが、死のような静寂を破った。

 

 巨人化実験直後。フィンは昏睡状態で隔離されている。

 テーブルの上に散らばる設計図。炸裂弾、対戦車火器、化学兵器……すべてが人間同士の殺戮のために考案された、死の道具だった。

 

「……これが、地鳴らしを失った我々の最後の抑止力だと?」

「ないよりは遥かにマシだ」

 ハンジが図面を叩く。

「世界がこの島を一丸となって攻めてきた時。巨人の力だけでは、もはや防ぎきれない」

 

 室内の空気が重くのしかかる。

 

「巨人はもう万能じゃない。その力は所詮『つなぎ』でしかない。これからの真の主戦力は機動部隊と火器、それが現実だ」

「問題は時間です」

 参謀の一人が身を乗り出す。

「兵器が揃う前に連合国が一斉攻撃を仕掛けてくる可能性は……」

「間違いなくある」

 

 ハンジの断言が室内を凍りつかせた。

 

「地鳴らしという防衛手段を失ったこの島を、世界が何年も見逃してくれるわけがない。時間は既に我々の敵だ」

 

 扉が開いた。アルミンが入室する。その瞳に、かつての迷いはもうない。

 

「マーレへの急襲作戦を提案します。彼らの宣戦布告と同時に、その場で叩く」

 

 静寂。だが今度は死の静寂ではなく、嵐の前の静けさだった。

 

「攻めて、どうするつもりだ?」

「マーレが保有する巨人の力を――すべて奪い取ります」

 

 室内の誰もが息を呑んだ。最後の賭けが、今始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 ハンジが壁の戦略ボードを指す。赤いピンがパラディ島、黒いピンがマーレ本土を示していた。

 

「現在の戦力比較だ」

 

 超大型巨人――アルミン・アルレルト。

 女型の巨人――フィン・トーテツ。

 

「我々はたった二体。対するマーレは――」

 

 獣の巨人、顎の巨人、車力の巨人、鎧の巨人、戦鎚の巨人。

 そして戦力外の存在として、消息不明のエレン・イェーガーが保有する進撃と始祖の巨人。

 

「エレンの確保を条件にしなければ、ジークの協力は得られません」

 アルミンが淡々と告げる。

「これについてはイェレナが協力を申し出てくれた」

「あの女が本当に信用できるのか?」

 参謀の一人が眉をひそめる。

「……分かりません。ですが彼女の手を借りなければ、現地でのジークとの接触は不可能です」

 

 巨人の力の奪取。それが唯一の活路だった。

 島が巨人の力を独占すれば、わずかでも時間を稼げる。地鳴らしほどの絶対的な力ではないが、エレン捜索と軍備増強のための猶予は必要だった。

 

「フィンの最優先任務は『顎の巨人』の捕食とする」

 ハンジの指がボード上のピンを動かす。

「顎の巨人の力があれば、戦鎚由来の硬質化を破れる。これは既にアニ継承時に実証済みだ。だからその次は戦鎚を狙う」

 

 だが――

 

「ただし顎の継承後、フィンに能力がすぐ発現するかは不明。状況次第では車力を標的にする」

 

 室内に緊張が走る。兵団幹部の一人が口を開いた。

 

「女型と顎の二種類までの継承はやむを得ないが、それ以上は危険だ」

「分かっている」

 

 ハンジが頷く。

 

「巨人化薬を複数確保し、戦鎚か車力を弱らせた時点で、兵士を無垢の巨人化させて継承させる。鎧の巨人については――」

「雷槍で集中砲火」

 

 アルミンが言い切った。

 

「ライナーの鎧は既に我々の兵器で貫けます」

 

 作戦の全貌が見えてきた。

 だが誰もが知っていた。これは綱渡りどころではない、奈落の上での曲芸だということを。

 

 

***

 

 

 壁外遠征から戻ったばかりの身体は、まだ冷たい風の匂いを引きずっていた。

 

 女型の巨人は、思ったよりもよく動いた。反応が速く、遠くの音まで拾う。あれがアニの体の性能だったなら、あいつの耳は、いつも世界のノイズに包まれていたんだろう。

 

(アニは、こんなふうに世界を見ていたのか)

 

 エレンとミカサの捜索という名目だったが、今回は実質、俺の「慣らし」が目的だった。暴走せず、巨人の肉体をきちんと運転できるかの確認。

 エレンは見つからなかった。

 ただ代わりに、俺の中でアニが喋り出しているような気がした。

 

 

 戻ってすぐ、俺は食堂でアルミンに呼び止められた。

 

「作戦の再確認、いいかな」

 

 いつもの丁寧な口ぶり。でも、あいつの目はもう、誰かの指示を待ってる顔じゃなかった。自分で戦争を動かす人間の顔になっていた。

 

「僕が超大型巨人でマーレの軍港を破壊する。フィンは事前にレベリオへ潜入、宣戦布告と同時にタイバー家の当主を捕食。表に出てくる以上、彼は戦鎚の継承者ではない可能性が高い。その後は戦鎚を探さずに、まず顎の巨人を狙う」

「了解」

「戦士の分断はイェレナを通じてジークが行う。車力と鎧はしばらく動けない状態になってもらう」

 アルミンは続けた。

「フィンに許された捕食対象は顎のみ。戦鎚や車力、鎧は他の兵士に継承させる。薬はリヴァイ兵長が保有してる。島に連れて帰るようなことはせず、レベリオで全部奪う。……理解できてる?」

「……ああ」

 

 俺はパンをかじりながら、よくわからない味を口に広げてた。胃袋は満たされてるのに、何かがずっと底で鳴っていた。

 そして、気づいたら言っていた。

 

「いい加減、帰らないと」

「……どこに?」

「故郷に……父の元に」

 

 言いながら、自分で「あれ?」と思った。

 口が、勝手に言っていた。

 俺の中で、別の誰かが喋ってるようだった。

 アルミンがゆっくり顔を上げる。警戒ではなく、心配の目だった。

 

「フィン……それって、君自身の……?」

 

 そのとき、目の前がぐにゃりと歪んだ。

 

「絶対に帰ってこいって、父が言っていた。裏切るわけにはいかない。だから俺は、私は……俺は……」

 

 止まらない。

 俺の中で誰かが過去を語っている。記憶? いや、これは再演だ。俺の舌と声帯を使って……アニが舞台の上に立っている。

 そして、俺は震え始めた。

 

「……違う。俺じゃない。まだ『俺』になってない。アニがいるだけ。まだ、空っぽで……喰わないと……もっと、早く、もっと深くまで……」

 

 スープの皿がカタカタ揺れた。指が、自分の膝を無意識に掻いていた。皮膚を破っても気づかないほど、奥に何かが空いてる。

 

「俺は……俺は、一体何を……いつまで喰えば……」

 

 アルミンが席を立った気配がした。でも俺は見なかった。

 いや、見れなかった。アルミンの目を見れば、自分の顔が、どんな表情をしてるのか分かる。それを知るのが、怖かった。

 

 

 

***

 

 

 

「精神的に脆弱すぎないか。本当に使い物になるのかどうか」

 

 アルミンの報告に、リヴァイが呟いた。

 彼は腕を組んだまま無言になった。その横でハンジが、やや渋い顔で言葉を探している。

 

「……アニの記憶が、強く残りすぎてるのか? それとも本人の問題か」

「たぶん、どっちもです」

 

 アルミンは答えながら、何度も浮かんできたフィンの顔を思い出していた。食堂のテーブル越しに見た、空っぽの目。

 ハンジが口を開いた。

 

「症状は深刻?」

「記憶の混線だけならともかく、誰が自分なのかを疑っている節があります。それが表に出始めてる」

「暴走の兆候かな……」

「可能性は否定できません」

「だとしたら、どうする」

 

 リヴァイが低く言い、アルミンが即座にかぶせた。

 

「彼はまだ自我を失ったわけではありません。ただ、とにかく『空腹』のようです。それが何を意味してるのかは……分かりませんが」

 

 ハンジがゆっくり眼鏡を押し上げた。

 

「空腹が自我を支えてる存在か。それはもう……人間じゃないのかもしれないね」

 

 アルミンは答えなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 空はまだ青くなりきらず、海辺の空気には冷たさが残っていた。

 港の隅、波止場に一隻の小型船が停泊している。

 

 それが俺の乗艦だった。

 飛行艇部隊よりも先に出る、先行潜入班。編成は極少数。俺を含めて、たった十人。

 

 物音を吸い込むような朝の静けさのなか、ハンジが最後の確認に来た。

 

「エレンの行方はまだ掴めていない。でも、時間がない。頼むよ」

 

 俺はただ、うなずいた。

 ポケットから布を取り出して口元を拭い、それを無造作にズボンの中に突っ込んだ。

 

 船のタラップに足をかけかけたとき、背後から声がかかった。

 

「フィン!」

 

 振り向かなくても、誰の声かは分かった。

 サシャだ。

 まだ上着を着きれていない様子で、髪は寝癖のまま。でも、その手には、いつものように食べ物を持っていた。

 

「ほら、これ」

 

 焦げたパン。

 

「元気、出ますよ」

 

 そう言って、彼女はそれを半分に割った。

 

 俺の足は止まった。手は、ゆっくりと伸びた。

 受け取ったパンは、その場では食べなかった。代わりに、それを胸ポケットに入れる。

 サシャが怪訝そうな顔をするかと思ったが、彼女はただ、それで納得したように微笑んだ。

 

「……じゃあ、また後日」

「……ああ」

 

 たったそれだけの言葉を交わして、俺は船に乗った。

 

 

 

 エンジンの音が低く響く。港がゆっくりと遠ざかる。風が吹き抜ける中で、俺は胸のポケットを押さえた。

 中のパンは、まだ少しだけ温かかった。

 

(食べたら消える。だから、今はまだ食べない)

 

 それが俺の中の、「まだ人でいられる部分」だった。

 

 

 




あまりにもガバガバですがゴリ押しするしかねぇ。許容してくれる人は今後もよろしく頼みます。
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