「春樹、オレは……」
何かを言いかける司だったが、すぐに口を閉じて俯いた。
頭の中で言葉を選んでいるのだろうか。だが言葉なんて何でもいい。今の彼は先日とは別人のように変わっているように見える。傍から見ればそうでもないかもしれないが、中学からずっと一緒だった俺にはそれが顕著になって理解できた。
「……これから冬弥くん達がステージに立つ。それを見届けてからでも遅くはないんじゃないか?」
だから焦らなくてもいいと言外に伝える。
すると司はフッと苦笑を浮かべ「そうだな……」と返した。
◇◆◇
再びライブハウスに戻って来た俺は、司と肩を並べて最後列から熱狂する観客を眺めていた。
今歌っている人達が終われば、次は冬弥くん達の番になる。それまでは暇だなぁとぼんやりしていると司はポツリと呟いた。
「……春樹、お前は知っていたのか?」
「もちろん。俺は何でも知ってるさ」
なにを、とはお互い言わない。
俺達の間にそんな無駄な会話は必要ない。司の言わんとすることを俺は察し、司は俺が察していることを察している。それが成り立つ関係なのだ。
「……ちなみに、お前はどこまで知っているんだ?」
「少なくとも、セカイに関してはお前より詳しいよ。だからこそ俺は『答え』を見つけて来いと言った訳だからな」
司は僅かに目を見開き、やがて苦笑いを浮かべた。
司達がセカイに移動した瞬間を俺は目撃している。だが司達はセカイについて俺に説明しようとはしなかった。俺自身追及する姿勢を見せなかったことも理由の一つだろうが、ならばどうして知っているのかと聞いては来なかった。
本当は気になってるくせに、それでも追及しようとしないのは俺を信用しているからなのか、それとも俺から語るのを待っているのか。どちらとも、というのも十分あり得る話だ。
熱気が充満するこの空間で、俺達の周りだけ何故かその熱が避けているような感覚を覚えた。
「昨日、解散した後セカイに行ったんだ。そこでオレはお前の言う『答え』を………スターを目指し始めた理由を、あの日の咲希の笑顔を思い出した。オレは、皆を笑顔にできるショーがしたい」
いつもの煩さが嘘のように、司は静かに語り始める。
【ワンダーランドのセカイ】でミクやカイトと話したこと。そこで見失っていた『本当の想い』を思い出したこと。そして先日の事を謝ろうとフェニックスワンダーランドへ行き鳳さん、草薙さんの二人と仲直りが出来たこと。最後に類くんに会ったが『君とは相容れない』『君とショーをしたいとは思わない』と言われた拒絶されたこと。
「オレはただ、咲希のことを笑わせたかった。あの日咲希と見たショーの、スターのように。スターになりたいって思ったのも、オレも……咲希も……あの時、最高の笑顔をもらったからだ。それなのにいつの間にか、ショーを成功させて、スターになることばかりにこだわって……最低だな、オレは……」
司が俯く気配がする。視線を前に固定しているため直接見た訳ではないが、そのくらい分かる。
「俺は、スターになるために努力し続けてきたお前を最低だとは思わない」
しかし司の言い分に関して素直に頷くことは出来そうになかった。
一貫して視線を前から逸らさず、それでも気持ちだけは隣に立つ座長へ向けて俺は喋る。
「あの日の約束を覚えてるか?」
「……咲希の入院していた病院での話か?」
「ああ。俺はあの日、『お前を世界一のスターにしてやる』と言った。それに対しお前は『望むところだ』と答えた。そして今日までその言葉に違わず努力を積み重ねてきたお前を、俺が最低だとは言わせない」
そこでようやく俺と司の目が合った。
司のおかげで今の俺がいる。俺の探しているものは見つからなかったが、それでも司の存在が救いになっていたのは確かだ。
世界に絶望し、人類に失望していた俺が今を楽しめているのは間違いなく司の功績だった。
だからこそ俺の中での優先順位において現在、天馬司が最上位に位置している。親族を差し置いての一位だ。それだけ俺にとって重要な存在ということになる。
だからこそ、それを侮辱する奴は俺の敵だ。先日観客席を壊してでも類くんの言葉を遮ったのはそれが理由だった。
「俺はお前との約束を違えるつもりはないぞ。誰が何と言おうと、お前は必ずスターになれる。俺がしてみせる。……だから、やりたいようにやれば良い。あとは類くんだけなんだろ? だったらお前の『本当の想い』を、お前のやり方でぶつけてみればいいさ」
俺の時だってそうだったろう?と問いかける。
どれだけ拒絶しようとしつこく絡み続けてきた中学生時代。あの二年間が土台としてあったからこそ、天馬司は俺の心を動かすという偉業を成し遂げられた。
仮に司が途中で折れていれば、やはり今の俺はいなかっただろう。そう断言できる。
ステージの上では遂に冬弥くん達の番へと回り、その歌声が会場全体に響き渡る。
ストリートらしい力強い歌声だ。この歌が司の背中を押す要因にでもなれば恩の字だろう。
「ありがとう、春樹」
ふと、琥珀色の瞳が俺を射抜いた。
それが何に対しての感謝なのかは聞かない。そんなの今更聞くまでもないことだ。
司は視線を冬弥くん達へと戻すと満面の笑みでこう言った。
「話したらスッキリした。オレはもう、迷わない。もう一度類にぶつかってみよう! 当たって砕けろというやつだ!」
「出来れば砕けない方向でお願いしたいが………なら行って来い!」
バシン!!と力強く背中を叩く。このくらいの方が根性も入ることだろう。
「格好つけろよ司、格好いいぞ」
「当然だ! オレは天馬司、スターになるべく生まれた男なのだからな!」
数人の観客がこちらを振り返ったが、どうでもいい。そんなこと気にならない位に今の司は光り輝いていた。
もう、心配する必要はなさそうだ。
冬弥くん達『BAD DOGS』の歌が終わる。それと同時に司は背を向けて会場を飛び出していった。
なんだあいつ、冬弥くん達の歌にしか興味ないのか。まぁ、それは俺も同じなんだけどさ。
「おっと言い忘れていたぞ!」
と思えば、またすぐに戻って来た。なんだこいつ忙しないな。急に奇行に走るのはやめなさい。
司が何を言おうとしているのか知らないが、胡乱な目で見つめると今度は挑戦的な笑みを浮かべた。
「オレの方こそ約束を違えるつもりはない! オレはお前を追い続けるぞ春樹!
目を見開く俺に対し、してやったりと笑うそいつは今度こそライブ会場から走り去って行った。
思わず呆気に取られてしまったが、それはあの冬の日、あの病院で言われたものと同じ言葉で────
「……………ほんとお前って奴は」
片手で顔を覆い、天を仰いで壁に凭れ掛かる。
探しものなんてどこにもなかった。どれだけ探した所で見つからないのだと悟ってしまった。
まふゆと決定的に違うのはそこだ。あの子の探しものは『存在するもの』だが、対して俺のは『存在しないもの』だった。
だからこそ絶望し、失望していたあの頃の俺は他人に期待することをやめた。
「だから俺は、その言葉に、少しだけ救われた気がしたんだ……」
きっとお前は知らないんだろう。それでいい。そうでなくてはならない。
すべては過ぎ去った話だ。一人の星と出会い、明けない夜へと沈んだ。二度と朝日が昇らない永劫の夜を受け入れた。ただ、それだけの話。
「……………俺も行くか」
頭を切り替えてライブハウスを後にする。
本当は最後に冬弥くん達へ挨拶を、と思っていたのだがそんな時間はなさそうだ。
この後急遽セカイの狭間に行かなければならなくなった。そのためにも一度家に帰る必要がある。
まったく、碌に挨拶できないことを嘆くべきか、それとも親友が前に進んでいることを喜ぶべきか悩ましい所だ。
◇◆◇
無事、家に辿り着いた俺は物音を立てずに部屋まで戻ると即『Untitled』を再生させてセカイの狭間に移動した。
スマホの画面から舞い散る光が止むとそこはもはや見慣れた空間だ。今回ここに来たのには理由があるのだが……。
「わぁ! こんにちは!」
「おぅふ……」
突然腹部に衝撃が走った。
思わず受け止めてしまったが、何事かと視線を向けるとそこには月明かりのようなサラサラの金髪と白色の大きなリボンがあった。
その髪色は司や妹様とは少々異なり、一番近いのはレンだろう。というか色合いに関しては全く同じに見える。
「えっと、何事?」
薄々正体に察しは付いているが、念のため聞いてみる。すると腕の中にすっぽり収まっている少女は俺の腰に手を回すと顔を上げ、笑顔を浮かべた。
「はじめまして! 鏡音リンです! 気軽にリンって呼んでね!」
「……そっか、よろしくリン。俺のことも知ってるんだろうけど、一応自己紹介しておくよ。朝比奈春樹です、俺のことも春樹でいいよ」
簡単に自己紹介をすると、これまた満面の笑みを浮かべた金髪の少女、鏡音リンは『よろしく!』とはにかんだ。
髪色のせいか妹様を重ねそうになる。なぜ抱き着いているのかは知らんが、とりあえず頭を撫でておこう。
「ところでミク達を知らないか? ちょっと面白いものを見えようと思ったんだけど」
「ミク達ならあっちにいるよ! 案内するね!」
そう言って俺の手を引くリンに従って歩いてく。
それほど離れていなかったらしく、一分も歩けば姿が見えてきた。
どうやら見知った顔は全員揃っているらしい。まっさきにこちらに気が付いたカイトが片手を挙げて微笑みを浮かべた。
「おや、いらっしゃい春樹くん。リンとは会えたみたいだね」
「いきなり突撃されて驚いたけどな。……あと会ってないのは巡音ルカだけか?」
「そうだよ。中々タイミングが合わないみたいだけど、彼女も君に会いたがっていたからその内会えるんじゃないかな」
カイトの言葉にふ~ん、と返す。
それは別に構わないが、ならばミク達がここに集まっているのはどういう理由なのだろうか。それを尋ねるとメイコが嬉しそうにこう答えた。
「ふふ、ちょうど今『本当の想い』から新しい歌が生まれそうなのよ」
「ああ、司のだろ? ちょうどよかった、その話をしようと思って来たんだよ」
ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべて全員を見渡す。
俺の言っている意味が分からないのか、一様に首を傾げる姿がちょっと面白かった。
「今から司のセカイに行ってくる。せっかくだ、どんな感じで歌が生まれるのか直に見てみようと思ってな」
「えっ、で、でも前回はセカイに弾かれてたよね……?」
至極当然の疑問をミクが問いかけて来たが、それについてはほとんど解決しているため問題ない。
「大丈夫。前回、司のセカイに弾かれてから一週間。セカイの構造を解析するのに十分過ぎる時間だったよ」
「解析って………まさか」
「そう、そのまさかだ」
そう言って俺は虚空に手を翳す。
俺がしようとしていることを察したのか、ミク達は揃って俺の背後に移動した。
「既にセカイの仕組みも、その構造もすべて理解している。初めてここに来た時、俺にとって未知の塊だったセカイはもうなくなった。愛すべき未知から忌むべき既知へと成り下がった。それを侘しいとは思うが、故にこそ可能になったこともある」
セカイの理として敷かれているルールの内、入退場に関わるものは大きく分けて三つある。
一つ、セカイを構成する『本当の想い』を共有していること。
一つ、セカイと想いの持ち主が受け入れること。
一つ、『Untitled』を持っていること。または持っているものと共にいること。
前回はこの一番目のルールに接触したため、俺は【ワンダーランドのセカイ】に入る事が出来なかった。
であればどうすればいいのか。簡単な話だ、そうだろう?
視界が歪む。否、歪んでいるのは俺の視界ではなく風景。もっと正確に言えば歪んでいるのはこのセカイの狭間だった。
セカイの狭間という上位次元を通して各五つのセカイへとアクセスを開始する。
こんな芸当、本来人間に許された領分を逸脱しているのだろうが、そんなもの知ったことじゃない。
「う、嘘でしょう……っ?」
「ありえない……想いで出来ているとはいえ、それを自分の意思ひとつで……!?」
背後からメイコとカイトの悲鳴にも似た声が聞こえてきた。
元来、想いとは感情に付属する本心であり、本音だ。
例えば感情をコントロールできる人間は一定数存在する。しかしそこから生まれる想いそのものをコントロールできる人間は存在しない。こればかりは完全に無意識の領域であるためだ。
だからこそ人の強い想いからはセカイが産まれ、バーチャルシンガーまでもが発生するのだが。
「知るかよ。そりゃ俺以外の連中の話だろ」
だが、何事にも規格外というものは存在する。
俺の意思が、想いが、次元の壁を越えてセカイを侵食していく。その様子を観察しつつ、俺は一つのワードを唱えた。
セカイの理を変えるとは言っても、今回やることはせいぜいルールを一つ追加させることくらい。
一つ、セカイを構成する『本当の想い』を共有していること。
一つ、セカイと想いの持ち主が受け入れること。
一つ、『Untitled』を持っていること。または持っているものと共にいること。
そのルールが邪魔をすると言うのなら、ここに、新たな理を敷こう。
「『一つ、ただし朝比奈春樹は例外とする』」
静かに唱えられた言葉をトリガーに、正面の歪みに波紋が広がった。
◇◆◇
夕暮れに染まる教室で、楽器に触れていた二人の少女が顔を上げた。
「……ルカ、今のって……」
「ええ。信じられないけれど、私も感じたわ……」
◇◆◇
サイリウムの光に包まれたステージの上で、ダンスの振り付けを確認していた二人の少女は、ふと動きを止めて顔を見合わせる。
「ミクちゃん、今の感覚って……」
「う、うん……でも、あの子達以外の一体誰が……?」
◇◆◇
コーヒーの濃厚な香りが漂うカフェの中で、茶髪の女性が弾かれたように顔を上げる。
「……メイコも、感じた?」
「ええ……でもどういうことかしら。こんな芸当、一体だれが……」
「……わからない。けど、きっとあの子達に不利益なことにはならないんじゃないかな。勘だけどね?」
◇◆◇
何もない、灰色のセカイで鉄骨に座る白髪の少女は閉じていた瞳をゆっくりと開け、仄かな光が差す空を見上げた。
「……? 誰かが、まふゆの想いから生まれたこのセカイを……書き換えた……?」
◇◆◇
広がっていく波紋が溶け込むように消えていくと、目の前の歪みが伸縮と膨張を繰り返して真っ暗なトンネルが生み出された。
「……ルールの新規定着、完了。ゲートの生成も問題なし。ま、初めてにしては上々かな」
肩に入っていた力を抜くと同時に、肺に溜まった空気を吐き出す。
セカイ改変の際に住民であるバーチャルシンガーにバレた気配があったが、特段問題はないだろう。どちみち向こう側からこちらを認識する術はないし、それに要領は掴んだ。次からはもっと上手くやれる。
ふと後ろを振り返ると、ずっと見守っていたのであろうバーチャルシンガーの皆が口をパクパクとさせていた。
何か見た事のある光景だな。あ、あれだ、餌を求める池の鯉だ。あははそっくり。
「は、春樹くん……今なにを、したの……?」
「? いや見てただろ。ちょっとセカイの理に手を加えただけだよ。そんな大したことじゃない」
「大したことじゃない!? そんな訳ないでしょ!! セカイそのものへの干渉なんて、そんな越権行為どれだけの負荷が掛かることか想像も付かないわ! 下手したら膨大な情報質量によって貴方という存在そのものが押し潰されていてもおかしくないのよ!?」
「あーあー、分かってる分かってる。だから一週間もかけて念入りに解析を進めたんだぞ。本当は二日で終わってたのにさ」
メイコの怒声に肩を竦める。
彼女の言いたい事はわかる、だがそれもいらぬ心配だった。直接弄ってみて理解したが、あの程度の情報質量であればなんの問題もない。
むしろ今なら更に奥へ踏み込めるという確信すらある。それこそセカイの形状に干渉してしまえば、あるいは……。
「おっと、思考がズレた。ま、とにかくこれで俺もあいつらのセカイに入れるようになった訳だ。やったね」
「こっちの心臓が持たないからあまり無茶しないで欲しいんだけど……」
「は、あはは……まぁ、春樹くんのすることだからね、うん。でも多少は自重して貰えると僕達としては助かる、かな……?」
「検討しておく」
「それ絶対しないやつじゃんッ!!」
疲れたように胸元を握るミク。頬を引き攣らせるカイト。大声でツッコむレン。頭を抱えているメイコ。そしてそんな彼らをあわあわと見渡しているリン。
反応はそれぞれ違っているが、総じて俺の心配をしてくれていることは伝わってくる。でもセーフティは幾重にも講じていたため、本当に何も心配いらないのだが。
彼らへと向けていた視線を外し、全ての光を飲み込む漆黒の洞を見つめる。
このゲートを生成したのは他でもない俺自身だ。だからこそこの先に何があるのかも理解している。
「んじゃ、ちゃちゃっと行ってくる。留守番よろしく~」
「春樹くん!? え、ちょっ、ノリ軽っ!?」
意気揚々と洞の中に足を踏み入れる。
このゲートの先は司の、【ワンダーランドのセカイ】へと繋がっている。今頃は類くんを説得するためにショーでもしていることだろう。さっき覗いてみたら正にその通りだったし。
「さてさてさ~て。あいつがどういう結末に持っていくのか、特等席から観るとしますかね!」
自然と口角が上がるのを自覚しつつ、無粋な表情操作などはせず期待の声を上げた。
冬弥くん達には申し訳ないことに、踏み出す足取りは今日一で軽やかだった。
『え? 本当の想いを共有できてないからセカイに入れない? なるほどなるほど、だったら理そのものを書き換えればいいじゃん! 楽勝!』を地で行くイカレ主人公がいるのはここです。
天才。秀才。鬼才。神才。偉才。英才。賢才。非凡。規格外。
優れた者を表す言葉は数あれど、そのどれを持ってしても足りない、常軌を逸しているという言葉さえ生温い正真正銘のバケモノは、存在する。
故にこそ、その心を揺り動かし、真っ当な道へと導いた明星の功績は、時代が時代であれば『英雄』として崇拝されてもおかしくない偉業であった。