休日が開けた。
何ということだろう。何故休日という奴はこうも早く過ぎ去ってしまうのか。そんなに俺のことが嫌いか? 俺は大好きだぜカムバーック!
「バカなこと考えてないで支度しよ……」
部屋に備え付けてある小型冷蔵庫から野菜ジュースを一本取り出して口に含む。
たまに勘違いされるのだが、俺は別に野菜が好きという訳ではない。嫌いかどうかと聞かれれば好き寄りだと答えるが、ぶっちゃけその程度だ。
大事なのは野菜
「美味ぇなぁ……今日も美味ぇなぁほんと」
これさえあれば俺は何だって出来る気がする。さすがに空を飛べとか、水の中で呼吸しろとかは無理だが。
けど屋上から飛び降りろくらいならいける気がする。無傷で着地どころか芸術点満点も狙えそうだ。
「ん、おはようまふゆ。そっちも今からメシか?」
「……うん。おはよう」
ドアを開けて廊下に出ると、扉の前にはちょうど妹のまふゆが居り、一言だけ呟いてキッチンに向かおうとする。
朝だからなのか素っ気ない。いつも通りと言われればその通りなのだが。
「目的地は同じなんだし、一緒に行こうぜ」
「すぐそこなのに一緒に行く意味あるの?」
「ないけど。ないけどさ妹よ、意味のないことを精一杯楽しむことこそが人生の本質なのさ」
ふむ、我ながら中々良い事を言った気がする。これは司にも教えてやろう。また新たな名言を生み出してしまった。
自分の言葉に感心していると、まふゆはこちらに視線を向けることなくぽつりと零した。
「……じゃあ楽しむことのできない私の人生は終わってるも同然なんだね」
なんてことを言うんだこの娘は。
さすがにこの返答は予想外だったため誤魔化すために鼻頭を掻く。
「いいかまふゆ。かの喜劇王はこう言った『人生は恐がりさえしなければ素晴らしいものになる。人生に必要なもの、それは勇気と想像力、それとほんの少しのお金だ』と。つまり彼は『人生は自分の気持ちの持ちようと行動力で変えていける』ということを俺たちに教えてくれたんだ」
「チャップリンは演じる役とは違って悲劇的な人生を送ったらしいけどね」
「こらこらこら、人がせっかく名前を伏せたのに。チャップリンはすごいんだぞ。何がと聞かれると困るけど」
まぁ、チャップリンのことは横に置いておくとしよう。そもそも俺はチャップリンよりもチョコプリンの方が好きだ。誰だよチャップリンって。
俺は気を取り直して脳内CPUから新たな名言を検索する。何か良いのあったっけ。
「だったらあれだ、マリリン・モンロー氏の言葉をお前に贈ろう。『全てのルールに従って生きていたら、私はどこにも行けやしないわ』ってやつ」
「……だから、従い続ける私はどこにも行けないんだね」
それを最後にまふゆは去っていった。
まふゆがいなくなり、一人になった廊下で俺は肩を竦める。
「だったら自由に生きればいいものを。つくづく人間ってのは不器用だなぁ」
◇◆◇
無言で朝食を口に運ぶ。
今日のメニューはご飯物だった。実はパンの気分だったのだがそんなこと言える空気ではなく、そもそも用意して貰っておいて文句を言える立場でもないため黙って食事を進める。
隣ではまふゆと母さんが楽し気に話をしている。
本当に楽しそうに見えるのだからまふゆの演技力も中々のものだ。
まぁ、そんなことはどうでもいい。食べ終わったことだし学校に行く準備をしよう。
残り全てを口の中に掻きこみ、椅子を立つ。ここまではいつもの流れ、いつもの日常のはずだった。
「春樹」
しかし、今日ばかりは違ったらしい。
俺の名前を呼ぶ声。それは女性のものというには些か野太いもの。つまり男の声ということなのだが、我が家に男兄弟はいない。
ならば俺を呼び留めたのは誰なのか。そんなもの考えるまでもなく───
「どったの父さん。話しかけてくるなんて珍しいね」
我が父である。
こうして話かけられたのはいつぶりだろう。少なくとも二ヵ月くらいは経ってるんじゃないだろうか。そもそも父さんは昔から仕事で忙しく、家に帰ってくることも少ない。母さん達と違って会話できる絶対数が少ないというのはある。
だが、こうして視線を合わせてくるのは本当にいつぶりだろうか。
「……うん。あまり話せる機会がなかったからね。どうかな、学校は楽しいかい?」
「ん? そりゃあもちろん。全身全霊で楽しんでますとも」
なにを言いたいのかわからないが、父さんは少し嬉しそうに微笑んだ。
いつの間にか母さん達の会話も途切れ、視線がこちらに集中している。これ何の時間? さっさと飯食って支度しな!
「……勉強の方はどうだい? 高校に上がってからはテストの点数が伸び悩んでるって聞いたんだけど……」
「ん~? まぁ、平均点
少々わざとらしく溜息を吐く。
何を今更分かり切ったことを。そんな話をするために呼び止めたのか? 俺のことはいいからまふゆのことを見てやりゃいいのに。
それとも他に用でもあるのだろうか。そんな感じはしないため、恐らくただ話をしたかっただけなんだろうけど。
「学校生活も順調。勉強も問題なし。以上! 他に聞きたいことは?」
「あ、ああ、うん。だったらいいんだ。ごめんね呼び止めてしまって」
「別に気にしなくていいよ。そうしたいと考えた結果なんだろ? だったら俺はそれを尊重するさ」
人間、好きに生きなきゃ意味がない。だってそうだろ、退屈な人生になんの意味があるって言うんだ。
だから俺は父さんが『話したい』と思い行動したことを尊重する。好意だろうと悪意だろうと、そこに自分の意思があるのならそれを『朝比奈春樹』は否定しない。
否定はしない……が、まぁ仮に、俺の意思と相反した場合は対立するしかない訳だが。
どうやら本当に話は終わりらしいため、踵を返してその場を離れる。
今までまともに目も合わせようとしなかった父の、今回の行動。父さんの中で何かしら変化でもあったのか。
……いや、ないな。父さん鈍いし。
◇◆◇
準備を済ませ家を出る。結局あれ以降話しかけられることはなかった。
「……よかったの?」
「なにが?」
「さっき、もしかしたら仲直りできたんじゃない?」
隣を歩くまふゆの言葉に、フン、と鼻を鳴らす。
「もともと喧嘩なんかしてないだろ。向こうが勝手に期待して、勝手に気味悪がって、勝手に恐怖しただけ。だったら離れるのも近付くのも向こうの自由だ。俺は極論どっちでもいい」
まぁ、馬鹿馬鹿しいとは思うが。
俺個人としては母さん達に対する怒りや憎しみと言った感情は一切ない。むしろ不自由のない生活を送らせて貰っている分感謝しているくらいだ。
だが俺と家族の間には溝がある。これは俺が意図してつくったものではない。
人間という奴はどうも面倒で、感情という奴は想像以上に扱い辛い。大人であろうと自身の感情を完璧に制御下に置けていないのだから。
出来たら出来たで『人間味を感じられない』だの『機械みたい』だのと言われるんだがな。ちなみにソースは俺。
「ま、お前は自分の心配をしてなさい。宮女はそろそろ定期テストがあったろ。実は俺たちもなんだよね~」
「……そうだね」
声のトーンが一つ下がった。
まふゆは決してテストの点が悪い訳ではない。むしろ学内でもトップクラスのはずだ。
こいつの場合テストや勉強が嫌いというより、その結果による周囲の反応や期待を心地良いと思っていないんだろう。難儀な奴め。
珍しくまふゆの方から話かけてくれたため、ここで途切らせるのも惜しい。なにか話題はないかと考えるが、仕方ない。たまには兄貴らしい事をしてみようか。
「まふゆ、何か困りごとでもあるのか?」
「……え? なんで?」
不思議そうに瞬きを一つ。
何故と聞かれても明らかに悩んでいますオーラが漏れてるし。俺は世間一般で言うところの鈍感な人間とは違うのだ。
「相談くらい乗ってやるって言っただろ。ほれほれ、兄ちゃんが聞いてやるから言ってみな?」
「…………」
「言いたくないなら別にいいぞ。それがお前の選択なら、俺はそれを尊重する。言うのも自由。言わぬも自由。自由こそが人の辿り着くべき境地だと春樹思うわけ」
故にこそ想う。この世に不自由な人間のなんと多いことかと。
人間関係やしがらみに道徳、人は必ず何かしらに縛られて生きている。
だからこそ不自由の中でもがき、苦しみ、溺れそうになりながらもなお、星に手を伸ばし続ける者こそ真に評価すべき人間だ。
稀にしがらみも道徳も平気で捨てられるような、大切だと抱えておきながらそれを捨てることに一切躊躇いを持たない正真正銘の『化物』もいるが、そこまで行くともはや人とは呼べないのだろう。
だからこそ、まふゆ達には俺のようにならず、人として成長し前に進んで行って欲しいものだ。
しばらくの沈黙が両者の間に流れる。この沈黙がまふゆの答えなのだとしたら、今回の話はこれで終わりだ。あとは黙って歩くだけである。
しかし、
「私は、私がわからない……」
まふゆはその沈黙を破る選択をした。
歩みはそのままに、視線で話の続きを促す。
「どこを探しても、どれだけ探しても見つからない。これ以上探しても見つからなかったら私は、もう……ねぇ春樹」
まふゆが立ち止まる。俺は数歩先に進んでから後ろを振り返った。
まふゆの瞳に俺が映り込む。
暗い、感情を感じさせないその瞳にはしかし、確かな
「私は、どこにいるの……?」
この揺らぎこそが、彼女がまだ人である事の証左だ。
だから本当は慎重に挑むべきなのだろう。しかしそれでは俺らしくない。
だから。
「なに言ってんだバーカ」
指先でトンッ、とまふゆの額を叩く。
突然のことに反応が遅れたのか、まふゆの体勢がフラァと傾いた。
恨めしげに見つめてくる薫色の瞳。その中には心底呆れた目をした紅色の瞳が映り込んでいる。
「どこを探しても見つからないだぁ? そりゃあ見当違いだ。お前はもう自分を見つけてるよ」
「……そんなはず、ない。だって私はまだっ───」
「見つけてるんだよ。ただ見えてないだけだ。お前に分からなくても俺には
小突いた額を軽くなぞってから頭部に手を乗せる。
本当に不器用な奴だ。だが俺が答えを教えてやることはできない。これに関してはまふゆ本人がなんとかしなければいけない問題だ。
「いいかまふゆ。『ない』と『わからない』は全く違う。お前はただ見失ってるだけで確かにそこに居るよ。この俺が保証してやる」
俺の存在を感じさせるために、その自分と同じ薫色の髪を撫でていく。
俺たち兄妹は正直なところあまり似ていない。それは昔からよく言われてきた事だ。
性別も性格も、瞳の色でさえも違う俺達。だがこの髪だけは良く似ている。
ならばそれだけで十分だ。
「悪いが俺はお前に答えを教えてやることはできない。これはお前自身が越えなければいけない問題だからな。……ま、我慢できずもう消えるしかないってなったら俺に言え。一緒に消えてやるくらいの覚悟は出来てる」
「…………なん、で」
「なんでそこまでするのかって? そりゃあ兄貴だからな。そのくらいの事はしてやるさ」
逆に言えば、それ以上のことはしてやれないという意味でもある。
だが例えこれから先何があろうと、誰に何を言われようともこいつは俺の妹の『朝比奈まふゆ』で、俺は兄の『朝比奈春樹』だ。それだけは変わることはない。
自分が分からないというのなら、今はそれだけ知っていてくれればいい。
「いつか必ず、本当のまふゆをもっと知りたいって言う奴が現れる。そういう人に出会えたら自分の本音を全てぶつけてみると良い。きっとその相手は怒るだろう。悲しむかもしれない。だけど、その先にはきっとまふゆの探しているものがあるはずだ」
「……無理だよそんなの。だって、私は、良い子じゃないと……」
「無理なんかじゃないさ。俺は、これ以上お前に我慢して欲しくない。これから先、まふゆが後悔しないためにも、自分が本当にしたいことを見つけて欲しい。だってさ、自分のしたいことを見つけられた時には今探してる自分って奴も見つかってるかもしれないだろ? だからさ、まふゆ。まだ諦めるには早いんだよ。辛いかもしれないけど、苦しいかもしれないけど、それでも『朝比奈まふゆ』は確かにここにいるんだ」
今のまふゆに必要なものは自分を客観的に見てくれる第三者。あとはちょっとしたキッカケだ。
そしてその鍵は既にまふゆ自らの手で揃えられている。まふゆが夜な夜な活動している音楽サークルはその一助になってくれるだろう。
問題があるとすれば、それはやはり───
「春樹?」
「あ、悪いぼーっとしてた。よく考えたらまふゆからお悩み相談なんて初めてだなって思って」
「……そう、だっけ」
「そうだよ。お前は昔から何でも一人で抱え込む癖があるからなぁ。そのくせ自分の事には鈍い。だから本当は俺が止めてやるべきだったんだろうが………ま、後の祭か」
「私よりも、春樹の方がいつも一人で抱えてたと思うけど……」
「俺の場合はなんとでもなるからな。それはまふゆも知ってるだろ? あまり俺のマネしようとしない方がいいぞ。それがお前のためだ」
納得がいかなそうな目をするまふゆに笑いかける。
そりゃそうだ。人に抱え込むなと言っておきながら当の本人がこれでは納得できなくても無理はない。だがこればっかりは仕方がないだろう。どう足掻いたところで人には向き不向きというものが存在する。
それにまふゆの様に出来るからといって我慢してまでやる必要もない。結局のところやりたいことをするのが一番だ。
「だから俺のことなんか気にせず自分だけの答えを見つけなさい。他の誰でもない、まふゆ自身の答えを。それが見つかった時にまた聞くから教えてくれよな」
俺とは違い、まふゆの探しているものは確かに存在している。だから見つからないということはありえない。
それを少しばかり羨ましく感じるが、その想いは今の俺にはないものだ。
と、気が付けばもう別れ道にまで来ていた。ここから神高と宮女へのルートは別になる。
「ほら、頑張って来いよ。いつかお前の見つけた答えを聞くの楽しみにしてるからな」
「うん……いってきます」
まふゆの背中が完全に見えなくなったところで、俺もまた神高へと歩き始める。
正直まふゆが素直に相談してくるとは思わなかった。小さいころならともかくここ数年はめっきりそういうことはなくなっていたから。
それにしてもまったく………あーあ、本当に───
──── つくづく■■なぁ人間は……。
思わず漏れそうになったその言葉を、俺はそっと心の奥底に沈めた。
朝比奈春樹の抱える闇について
ヒント1
最後に漏らしかけたその言葉こそが、朝比奈春樹の『本質』を辿る鍵。
誰も知らない、親友も、家族も、妹でさえ知らぬその本心を彼が語ることはないだろう。きっと。たぶん。話したところで理解されないし。