薄闇の坑道から朝日の差す外へ出ると、冷えた風がフリーレンたち三人の髪を後ろへ流した。坑内にこもっていた土と湿気の匂いが薄れ、朝日を受けた頬や手に少しずつ熱が戻っていく。
坑道の入口近くで、シュタルクは深く息を吸った。肩の力を抜き、疲れのにじむ顔でぼやく。
「結局、あれだけだったのか……? 他にも仲間がいたりするんじゃないのか?」
その問いに、フリーレンは坑道口へ振り返り、岩肌から地面まで視線を巡らせて答える。
「念のため調べたけど、特に痕跡は見当たらなかったよ。位相アンカーは置かれて間もない様子だったし、本格的な運用はまだ始まっていなかったのかもしれないね」
フリーレンの見立てを聞き、フェルンは顎を引く。ただ、坑道口からはまだ目を離さない。
「もしくは、別の目的があったのかもしれません。……ひとまず、村に戻って報告しましょう」
フリーレンが村の方角へ足を向け、三人は坑道を後にした。鳥の声が増え、朝日が山の斜面を下る中、何事もなく村へ戻る。畑では村人たちが早くから土を耕し、家々の煙突から朝食の煙が上がっていた。つい先ほどまで異界由来の危険が村のすぐ近くに迫っていた痕跡は、普段どおりの営みの中には見当たらない。
村長の家の前で三人の報告を聞いた老人は、顔から血の気を引かせ、大きく息を吐く。
「そうですか……あの坑道に、そんな得体の知れない物が。最近、妙なことが続いていたので依頼しましたが、早めにお願いして本当に良かった」
村長の指が胸元で落ち着かず組み替えられるのを見て、フリーレンは老人と目を合わせて言葉を返す。
「多分、設置されてからあまり時間が経っていなかったんだと思う。だから、手が付けられなくなる前に壊せたはずだよ。……ただ、何を狙っていたのかまでは分からないけど」
村長は深々と頭を下げ、その姿勢のまま礼を述べる。顔を上げても、血の気はまだ戻っていなかった。
「本当に、ありがとうございました。ただ……今後も何かおかしなことが起きた時には、またご相談させていただいてもよろしいでしょうか?」
フリーレンは下げられた頭を見て、返事までに一拍置く。
「私たちはこのあとオイサーストに戻るから、次に何かあってもすぐには来られないと思う。代わりに、大陸魔法協会に今回の件を伝えて、調査する人を送ってもらえるか頼んでおくよ」
その説明に、村長は固めていた肩を落とし、何度も頭を下げる。
「それは、心強い……。どうか、よろしくお願いいたします」
そう言ってから、村長は懐から小さな袋を取り出し、袋の口を両手で支えて差し出した。
「こちらは約束していた報酬です。ささやかではありますが、お受け取りください。本当に助かりました」
フリーレンは素直に受け取り、小さく会釈する。
「ありがとう。大事に使わせてもらうよ」
やり取りが一段落すると、村長はもう一度深く頭を下げた。三人はそれを見届け、軽く手を上げて別れの挨拶を返すと、オイサースト行きの馬車を手配するため村の外れへ向かった。
やがて、街道を進む馬車の荷台で、三人は揺れに身体を預けていた。周囲には緩やかな丘が続き、空には薄い雲が流れている。荷台に腰を下ろしたシュタルクは、坑道から回収した位相アンカーの部品を膝の上で転がしていた。車輪が轍を越すたび、金属とも石ともつかない角が掌へ引っかかる。
「しかし、よく分からない部品だな。見れば見るほど、なんだか気味が悪い」
フリーレンはそのつぶやきに視線だけを向けて答える。
「タヴが言ってた多元宇宙側の技術だからね。私たちの世界で使われている魔道具とは考え方がかなり違うんだと思う」
馬車が深い轍を越え、部品がシュタルクの掌で跳ねる。彼は落としかけたそれを掴み直した。
「多元宇宙の技術ね……。タヴが前に色々話してくれたけど、正直、半分もついていけなかったんだよな……」
その様子に、フェルンの口元がほんの少しゆるんだ。
「シュタルク様には、少し難しい内容だったかもしれませんね」
シュタルクは荷台の外を流れていく丘へ顔を向ける。
「はいはい、どうせ俺は馬鹿ですよ……」
フェルンの返事は、次の車輪の軋みに重なるほど早かった。
「いえ、そういう意味ではなくて……。魔法の基礎知識がないと、あの説明は理解しづらいと思います。本当に」
フリーレンは二人を順に見て、そのやり取りへ言葉を添える。
「フェルンの言う通りだよ。魔法や技術にある程度詳しくないと、タヴの説明は分かりにくかったと思う。シュタルクが混乱するのは普通だよ」
「じゃあ、今ここで、もう少し分かりやすく教えてくれよ。結局、何がどうなってるんだ?」
シュタルクは首を傾げ、フリーレンへ問いかける。
「うん。できるだけ簡単に言うとね──」
馬車が石の少ない平地へ出て、車輪の音が少し遠のく。フリーレンは語句を選びながら説明を続けた。
「もともと、多元宇宙側でも世界同士を行き来できるのは、ごく限られた人たちだけだったんだよ。本当に強い魔法使いや、特別な加護を持った存在とかね」
「やっぱり、特別な連中だけの話だったんだな」
シュタルクが黙って先を待つと、フリーレンは話を続ける。
「そう。でも、ある時から状況が変わった。きっかけははっきりしていないけど、多くの世界の境目が緩んで、前よりもずっと次元を越えやすくなったらしいんだ。その結果、色んな世界の間で技術や知識のやり取りが急に増えた」
「なるほどな……。それが、タヴが言ってた『技術革命』の始まりってやつか」
今度はフェルンが説明を引き取った。
「はい。今向こう側では、まさに『黎明期』と呼ばれる時代になっているそうです。次元を移動する手段が広まり、世界ごとに違う技術や魔法が一気に混ざり合い始めている、と」
「じゃあ、ギスヤンキとかマインド・フレイヤーも、それで急に強くなったのか?」
「そういうわけじゃないよ。どちらも前から次元を渡って活動していたらしいし、魔法も技術も、もともとかなり進んでいた」
フリーレンの答えを、フェルンが引き継ぐ。
「変化によって力を得たというより、それまでに蓄えた知識と経験を使って、新しい次元交流にも早く順応したのだと思います」
シュタルクは眉を寄せる。
「じゃあ、こんな変な道具が俺たちの世界まで転がり込んできたのは、あいつらが前より動きやすくなったからってことか。……でも、いろんな世界がそんなふうに一気に変わって、本当に大丈夫なのか?」
問いかけに、フリーレンは首を横に振る。
「全部の世界が上手くついていけているわけじゃないみたいだよ。新しい流れに乗れた世界と、置いていかれている世界の差が、どんどん広がっているそうだ」
フェルンも補うように説明を重ねる。
「高度な艦艇で空を自在に飛び回れる世界もあれば、魔法や技術が昔のままほとんど変わっていない世界もあると聞きました。世界同士の間で、進み具合の差が大きくなっている状態ですね」
シュタルクは唸るような声を漏らした。
「それは……あまり穏やかな話じゃないよな」
フリーレンはシュタルクの横顔を見たまま、説明を続ける。
「そのまま放っておけば、力を持つ世界が他を支配しようとしたり、反対に、追い詰められた世界が暴発したりするかもしれない。だから、その流れをある程度管理して、衝突を減らすために作られたのが、多元安定機構だよ」
聞き覚えのある名に、シュタルクの表情が変わる。
「多元安定機構……ええと、何だっけ、それ?」
フェルンは荷台の横木へ片手をかけ、揺れに耐えながら答える。
「もう……。シュタルク様、本当に忘れてしまっているんですね。多元宇宙の世界同士が、勝手にぶつかり合ったり暴走したりしないように、全体の秩序を守るための組織ですよ。タヴ様が所属しているところです」
「ああ、そうだ。それだ、それ。何となく聞いた気はしてたんだけどな……」
「ああ」と言うわりに、シュタルクの眉間にはまだ皺が残っている。
「正直、多元宇宙がどうこうの話はややこしすぎてよく分からねえ……」
フェルンはその顔を見て、言葉を継ぐ。
「確かに、実際に見たことのない世界の話は想像しづらいですよね。でも、今の状況を考えると、私たちも無関係ではいられません」
丘の向こうへ傾いた陽が、荷台の床を長く横切る。フリーレンはその光を眺めながら言う。
「分からないことだらけなのは確かだけどね。とはいえ、これから多元安定機構や異界と関わる機会は増えるだろうし、少しずつ慣れていけばいいよ」
そこで会話はいったん途切れ、荷台の中には車輪の軋む音と馬の蹄の音だけが響く。西の空が徐々に赤く染まり、丘陵の影が長く伸び始めた頃、馬車は丘の中腹に建つ小さな建物の前で止まった。
「さて、今日はここで一泊するよ」
フリーレンが外を見て告げると、シュタルクも身を乗り出して周囲を確認した。そこは馬の交換所を兼ねた、街道沿いの宿だった。
係員が馬車から馬具を外し、疲れた馬を厩へ引いていく。代わりの馬が出されると、外した馬具を掛け直し、革帯を順に締めていった。蹄鉄と車軸を確かめる音が、建物の壁へ短く響く。
係員への挨拶を済ませ、一行は建物へ入った。小さな食堂兼休憩所は素朴な造りで、暖炉の火が部屋全体を温め、柔らかな明かりが木の机と椅子を照らしている。フリーレンたちは軽めの夕食を頼み、席に腰を落ち着けた。
暖炉の薪が二度はぜたところで、シュタルクが位相アンカーの部品を机へ置き、口を開く。
「考えてみたんだけどさ。もし、強い魔法を誰でも道具で簡単に使えるようになったら、魔法使いっていらなくなっちまうのか?」
問いかけに、フェルンはわずかに目を細めて微笑む。
「いえ、それはないと思います。魔法の道具を作るのも維持するのも、新しい道具を開発するのも、結局は高度な魔法の知識が必要になりますから。むしろ魔法使いは、今より多く必要になるかもしれません」
「そういうものか……?」
シュタルクは位相アンカーの部品を裏返し、継ぎ目のない側面を暖炉の火へ透かす。フリーレンもそれを見ながら補足する。
「ただ、魔法使いの役割は今までとは少し変わるだろうね。魔法が使えるだけじゃなくて、道具を設計したり、大勢が安全に使えるように仕組みを整えたりすることが求められるようになるはずだよ」
「つまり、これまでとは違う種類の腕前がいるってことか」
シュタルクが言い終えるのを待ち、フェルンが説明を継いだ。
「はい。多元宇宙の向こう側では、その変化がすでに始まっていて、魔法や戦闘技術を体系的に教える場や、安全に実戦訓練ができる施設を作っているそうです」
薪が一本、炉の奥へ崩れた。シュタルクは空になった皿を前に、しばらく火を見ていた。
「そういえば、そんな話もしてたな……。途中で寝ちゃってて、ほとんど覚えてないけど」
シュタルクは残していたパンへ手を伸ばす。フェルンは自分の器を片づけながら返した。
「そうですね。あの時のシュタルク様は、途中から見事に熟睡されていましたから。覚えていないのも当然です」
フリーレンはそのやり取りを聞き、暖炉へ手をかざしたまま言葉を添える。
「向こうでは、戦場に出なくても実戦に近い訓練ができる施設が用意されているらしいよ。だから、命を落とす危険を減らしながら、かなりの実力まで伸ばせるようになったって」
フェルンも一息置き、さらに具体的な話を重ねる。
「それに、一部の人たちは特殊な方法で寿命を延ばしたり、時間の流れを調整したりして、長い修行期間を確保しているそうです。フリーレン様ほどではありませんが、百年単位で学び続ける人もいるとか」
シュタルクは目を丸くし、思わず声を上げた。
「百年も修行するのか……。俺だったら途中で投げ出しそうだな」
フリーレンは暖炉へかざしていた手を下ろす。
「長く生きれば誰でも飽きる、ってわけでもないけどね。ただ、全員が同じように時間を使えるわけじゃないだろうし、人によっては無理だろうね」
薪の端が赤く崩れるのを眺めながら、フリーレンはもう一つ言葉を足す。
「結局のところ、どれだけ便利な技術や魔法があっても、それ自体が悪いわけじゃない。問題になるかどうかは、使う側の考え方しだいだよ」
シュタルクは部品を取り上げ、その重みを確かめてから机へ戻した。
「確かに。どんな力でも、扱いを間違えたらろくなことにならないもんな」
やがて三人の会話は途切れ、食堂兼休憩所には暖炉の薪がはぜる音だけが残った。しばらくして、三人は明け方の出発に備え、それぞれ割り当てられた部屋へ向かう。足音が廊下へ消え、最後の扉が閉じると、短い休息の夜が始まった。
*
アストラルの虚空に、浮遊要塞都市トゥナラスが影を落としている。外郭から伸びる尖塔は先端を同じ方角へ揃え、中央の司令室を囲んでいた。その室内ではギスヤンキの指揮官たちが戦略テーブルを囲み、投影された戦線図から目を離さない。
戦略テーブルから立ち昇る半透明の像は、多元宇宙の各次元で拡大するデーモン侵攻を次々と映す。その周囲には、剣の柄へ片手を置いたギッシュたちが立っていた。剣技と高位の魔法を併用する彼らは、ギスヤンキ軍の前線指揮を任される戦士である。
ギッシュの中でも特に歴戦の猛者として知られる司令官が、戦略テーブルへ両掌をつく。ホログラムの赤い光が頬を照らす中、腹に響く声で状況を告げる。
「これは明らかにレッド・ウィザーズの策略である。我々ギスヤンキ帝国の前線基地や植民地がデーモン共に侵略され、我が軍にも被害が出ている。このまま放置すれば、原始世界への我々の偉大なる侵攻作戦にも重大な影響が生じる」
司令官の言葉を受け、若いナイトが胸へ拳を当てて敬礼する。周囲のギッシュが動かないのを確かめ、一歩進んで問いを投げかける。
「司令官殿、情報によれば多元安定機構も既に動きを見せています。彼らはレッド・ウィザーズと敵対しているようですが、一時的にでも我々の敵同士を相打ちさせる戦略を取ることはできないでしょうか?」
司令官はナイトを見つめたまま目を細め、顎を一度引く。
「その可能性は十分に検討に値する。多元安定機構は我らが長年にわたり対峙してきた厄介な存在だが、目下の最優先事項はレッド・ウィザーズとそれが引き起こすデーモン禍だ。利用できる状況ならば利用し、限定的にでも共同戦線を張り、レッド・ウィザーズを粉砕せねばならぬ」
その時、沈黙を守っていたサイオニック使いが進み出る。司令官の返答が途切れた間を選び、意見を挟んだ。
「しかし、司令官殿、我々が原始世界に向けての侵攻作戦を遂行するためにも、防衛力の維持は必要不可欠です。早急に各植民地の役割を再定義し、防衛体制を盤石なものとすべきでしょう」
司令官は短く頷き、最終的な命令を下す。
「よかろう。全浮遊要塞群は即座に『座標固定化フィールド』を外郭に展開し、デーモンの侵入裂け目を一点に集中させ、敵勢力を効率的に殲滅する。また、地表の前哨基地については、デーモン召喚陣が確認された次元へと迅速に移設を進め、『植民地ごと防壁』として機能させよ。艦載型位相アンカーは即時に撤去し、デーモンに対する自爆トラップを設置することで後追いの侵攻を防げ」
指示を受け取ったナイトやサイオニック使いたちは胸へ拳を当て、戦略テーブルの各方角へ散っていく。
トゥナラス要塞の発進デッキには、特殊装備を施された小型艦艇が次々と滑り込み、斥候隊員たちがそれぞれの配置に就いている。ナイト指揮官は、船内まで届く声で最後の命令を伝える。
「デーモンどもの侵入口を即刻特定せよ。同時に多元安定機構の動きも緊密に監視するのだ。接触することがあれば、敵対行動は避け、一時的な共闘関係を検討せよ。最優先事項はレッド・ウィザーズの駆逐であり、原始世界への我々の侵攻計画に支障を出すことは許されぬ。よいな!」
斥候たちは直ちに胸に拳を強く当て、忠誠を示す。
「任務了解!」
一糸乱れぬ声が響く中、艦艇群の尾部に青白い光が灯る。先頭の船体が発進デッキとの間を広げると、後続も同じ間隔で虚空へ滑り出した。窓越しに見える斥候の影は座席から動かず、各艦の船首だけが別々の次元座標へ向きを変える。
最後の一隻が要塞の外郭を離れても、司令室の戦略テーブルでは新しい座標が点灯し続ける。伝令役のナイトが一つずつ読み上げ、別の隊員が出撃済みの艦へ追補命令を送った。
一方、オリンドールの地下最深部では、天井の見えない石室にマインド・フレイヤーたちが等間隔で並ぶ。肉声を発する者はいない。中央に浮かぶエルダー・ブレインが収縮するたび、精神波が輪の外まで走り、すべての個体の意識を一つへ束ねている。
この場では、すべての意思決定と討議が《サイオニック》の波動を介して行われる。エルダー・ブレインが思考を送るたび、並ぶ個体の触手が同じ間隔で強張った。
【多元宇宙各地においてデーモンどもの侵攻が深刻化している。この無秩序はレッド・ウィザーズの陰謀によるものだ。彼らの企みは我らの統合意識を脅かすものであり、看過は許されぬ。また、多元安定機構も積極的に介入を始めている】
思念が石室の全員へ同じ像を送り込み、マインド・フレイヤーたちの瞳に赤い戦線図が映る。ウリサリッドはその像へ別の進路を重ねた。
【多元安定機構はレッド・ウィザーズと敵対している。我々は彼らを戦略的に利用し、この混乱を早期に収束させることができるだろう】
別のマインド・フレイヤーが、接触経路を黒く塗り潰す像を返した。
【しかしながら、多元安定機構との接触が我々の原始世界への侵攻作戦に影響を及ぼす恐れがある。我々の資源、コロニー、全ての行動を迅速に再評価する必要がある】
エルダー・ブレインが一度大きく収縮し、《サイオニック》の波動で二つの像を押し流して命令を返す。
【同意する。我々の秩序は絶対であり、何者もそれを侵してはならぬ。標準コロニーは即座に自己防衛のための精神障壁を展開し、汚染領域を隔離せよ。また、周辺の高知能種族がデーモンに飲み込まれる前に迅速に捕獲し、我々の集合意識へ同化させよ】
周囲のマインド・フレイヤーたちの瞳が一斉に光を強める。エルダー・ブレインは途切れず、次の命令を送り込んだ。
【移動型次元都市はデーモンが放つ混沌のエネルギーを静かに採取せよ。その無秩序を我々が新たなサイオニック兵器の開発に利用するのだ。また、捨てコロニーにおいては防衛を放棄し、あえてデーモンを惹きつけよ。彼らを誘引して消耗させることが我々の真の防衛策となる】
命令の波動が石室の端へ届く。並んでいた個体は同じ向きへ身体を返し、調査部隊の編成に移った。
オリンドール地下都市の巨大な発着場では、サイオニック機能を高めた特殊な艦艇がすでに準備を終え、出発の時を待っている。指揮を執るウリサリッドは、部隊全員に強力な意識の波動を送る。
【デーモンどもの侵入経路を迅速かつ正確に特定せよ。また、多元安定機構と接触した際は敵対を避け、彼らの力を限定的にでも利用することを許可する。レッド・ウィザーズの企みを阻止し、我々の原始世界への介入作戦を速やかに進めるのだ。我々の秩序は何者にも侵されてはならない】
調査部隊員たちは、同じ応答を一つの思念に重ねる。
【指示を受諾する。我々の秩序を脅かすレッド・ウィザーズとデーモンの脅威を即刻排除し、原始世界への作戦を迅速に遂行する】
調査船は強力な《サイオニック》の波動を船底から放ち、発着場との間をゆっくり広げて浮上していく。船体の影が並ぶ個体の頭上を通り、船首が出口へ揃うと推進力が増した。乗員たちは座席から身じろぎせず、エルダー・ブレインが送る戦線図を共有したまま、宇宙の深部へ目を向けている。
調査船の尾部が出口の闇へ消えても、エルダー・ブレインの精神波は石室の壁を一定の間隔で震わせていた。次の艦へ向けた編成命令が、残った個体へ途切れず流れていく。
トゥナラスの戦略テーブルでは、侵攻座標の一つへ青い駒が進み始める。同じ頃、オリンドールの統合意識にも、同じ赤い領域へ向かう黒い航路が刻まれていた。どちらの戦線図にも、まだ相手の駒は映っていない。
*
冷たい風が雪片を巻き上げ、セリア・イグナリアの銀鱗へ横殴りに叩きつける。極寒の辺境次元に築かれた前哨基地は、外壁の先までアンデッドに囲まれていた。踏み荒らされた氷原の各所で、騎士団の盾列が黒い群れを押し止めている。
本来、セリアには別の使命がある。閉ざされた次元の秩序と平和を取り戻せという、ティアからの召命だ。しかし今は、多元宇宙を脅かすアンデッド軍勢の掃討に追われ、その任務へ向かうことすらままならない。歯を噛みしめるたび、冷気とは違う熱が喉元までせり上がる。
目の前では、無限とも思えるアンデッドの軍勢が列をなし、骨と腐肉の穢れた姿を晒している。スケルトンの骨がきしみ、ゾンビの腐った肉体が群れを成して北方の凍土を埋め尽くす。その列の中央には、狂気の笑みを浮かべたシアリックの司祭が立っている。
そのさらに奥から、漆黒の鎧をまとったデス・ナイトが歩み出てくる。生前に残虐な行いを重ねた末、呪いによって不死の存在と化した強力な亡霊騎士だ。今回のデス・ナイトはレッド・ウィザーズによって覚醒させられ、完全な服従の下でその破壊の力を振るっている。蒼白く輝く刃を構え、死の瘴気を漂わせながら戦場へと歩を進めていた。
「シアリックの司祭どもめ! 罪もなき命を弄び、穢れを撒き散らした罪、その身で贖わせてやる!」
セリアは牙の間から告げると、《ガントレット騎士団》へ身体を向ける。
「ガントレット騎士団よ、戦列を組め! 我らが退けば、この地に生きる民に明日はない! 何としても防ぎ止めるのだ!」
ガントレット騎士団は、正義と秩序の名のもとに悪を討つ結社だ。多元安定機構の要請を受けて派遣された彼らは、基地から退避路へ続く最後の線を守っている。
騎士団員たちは素早く陣形を組み、輝く鋼鉄の盾を構えてアンデッドの猛攻に備える。
前列は盾の縁を重ね、後列はその隙間へ剣先を差し込んだ。凍土へ踏み込んだ靴が半ばまで雪に沈む。迫るスケルトンの指が盾を掻き、骨の先端が金属を擦る音が列の端から端まで走った。
「我らガントレット騎士団は秩序の守護者だ! 一歩たりとも退くな!」
騎士団長の号令に応じ、前列が盾を重ねたまま一歩進む。骨と腐肉の波が押し返してくる間にも、後列の剣は盾の隙間から突き出されていた。その背後で騎士団付きのクレリックが《Bless(祝福)》を唱える。白い光が列の端まで走り、押し込まれかけた靴底と剣先を支えた。
最前線の少し後方では、シアリックの司祭たちが笑い声を重ね、呪詛の詠唱でアンデッドを操っている。その筆頭の司祭が両手を高く掲げ、見開いた目を盾列へ据えて祈りを叫んだ。
「狂気こそが真理! 偽りの秩序を壊し、この世界を闇に飲み込め!」
司祭の叫びとともに黒紫色の《Guiding Bolt(導きの矢)》が迸った。光弾は雪を灰色に染めながら盾列を越え、騎士の胸へ直撃する。胸甲の継ぎ目から黒い霜が広がり、片膝が凍土へ落ちた。
「怯むな! 立ち上がれ、我らの正義は揺らぐことはない!」
指揮官の叱咤が飛ぶ。両脇の騎士が盾を寄せて穴を塞ぎ、その陰から別の二人が倒れた仲間をクレリックのもとへ引いた。骨の腕と司祭の魔法が空いた場所へ殺到するが、前列は《Sacred Weapon(武器聖別)》を宿した剣を盾の縁から突き出す。光る刃がスケルトンの胸骨を砕き、返す横薙ぎでゾンビを雪上へ倒した。
セリア・イグナリアは押し寄せる骨の腕を盾で払い、同じ場所に足を据え続ける。銀の鱗へ刃の光が走り、足元には砕けた骨が重なった。それでも敵軍中央に立つ漆黒の騎士──デス・ナイトから目を外さない。
セリアは右手に握ったウォーハンマーの柄頭を胸甲の天秤へ当て、息を吸って神への誓いを改めて口にする。
「ティアよ、私は誓う。悪に与える慈悲はない。復讐をもって悪を裁き、この世から根絶やしにするまで私は決して止まらない」
その言葉と同時に、彼女の背から眩い白銀の翼が広がる。それは《復讐の誓い》を極めた者のみが得る《Avenging Angel(応報の天使)》の力だ。この力を宿すパラディンは、天使のような翼を顕現させて空を自在に飛び、敵に計り知れない恐怖を与える威圧のオーラを身にまとう。
舞い上がったセリアを中心に、《Aura of Menace(威圧のオーラ)》が一気に広がる。その聖なる威圧にさらされたスケルトンやゾンビは動きを止め、震えながらその場に崩れ落ちていった。
「許しがたい穢れよ、この世から消え失せろ!」
セリアは雄叫びを上げ、翼を畳んでデス・ナイトの頭上へ急降下する。握り込んだウォーハンマーへ《Divine Smite(神聖なる一撃)》の力が集まり、振り下ろす軌道に沿って白光が膨れ上がる。
デス・ナイトは半歩退きながら黒剣を頭上へ差し入れる。ウォーハンマーは剣の腹を滑って右肩へ食い込み、命中した一点から《Divine Smite(神聖なる一撃)》の白光が鎧の内側へ炸裂した。デス・ナイトの片膝が凍土へ沈み、周囲のアンデッドも閃光に顔を背けて足を止める。
だがデス・ナイトの黒鎧は、胸甲をへこませながらも砕けない。凍土へ沈んだ片足を引き抜き、セリアを見上げて黒剣を掲げる。
「正義を語るドラゴンボーンのパラディンよ、その信念もろとも闇の底に沈めてくれる!」
デス・ナイトが呪われた力を集中させ、《Hellfire Orb(地獄の業火の球)》を解き放つ。漆黒の炎が巨大な球体となって生まれ、凄まじい速度で騎士団の防衛線へ迫った。
「守護陣を張れ! 我らの信念は地獄の炎などに焼かれはしない!」
騎士団長が全力で号令を飛ばす。その声に重ね、セリアはウォーハンマーを天高く掲げた。《Aura of Protection(防護のオーラ)》の白光が彼女から波となって広がり、盾列の胸甲へ次々に灯る。地獄の炎を前に竦みかけた者の呼吸が戻り、熱で緩んだ盾の握りも締まり直した。
前列の騎士は盾を肩へ押し当て、後列も背中から支えて守護陣を組む。セリアのオーラは壁にはならず、一人ひとりの胸甲の下で白く脈打った。漆黒の業火が盾列へ激突し、炎と死の冷気が縁を越えて隊列を呑む。盾は赤熱し、数人が膝をついた。それでも加護に支えられた騎士たちは意識を手放さず、後列が焼けた者を引くと同時に空いた位置へ盾を差し込んだ。爆風で雪が舞い上がったあとも、列の中央には道が開かなかった。
「その程度の呪われた炎で、私たちを阻めると思ったか?」
炎の壁が低くなると、セリアは牙を剥き、空中から黒き騎士へ突進する。ウォーハンマーの頭部へ《Banishing Smite(放逐の一撃)》が集まり、白い輪を幾重にも描いた。振り下ろす角度へ輪が一つずつ狭まり、その奥で色のない裂け目が細く開いていく。
「この一撃で消し飛べ、亡者よ!」
ハンマーが落ちる寸前、デス・ナイトは黒剣を掲げ、《Parry(受け流し)》で軌道をそらした。武器同士の衝突が粉雪と瓦礫を巻き上げ、近くのアンデッドまで凍土の上へ転がしていく。
デス・ナイトは膝を折りかけながらも一撃をしのいだ。眼窩の光が揺れ、黒剣の切っ先が一度下がる。それでも彼は口角を吊り上げ、低い声で嘲る。
「甘いな、聖騎士よ」
セリアは返事をせず、翼を広げて角度を変える。二撃目を迎える黒剣には《Dread Blade(戦慄の刃)》の瘴気が這い、触れた空気から色を奪っていた。刃がセリアの脇をかすめ、裂けた衣の縁と露出した肌を灰色に濁らせる。
二人が打ち合う下では、アンデッドの波がなお盾列へ押し寄せていた。騎士たちは剣を差し替えながら列を保ち、後方のクレリックは飛び込む呪詛を祈りで弾く。その頭上で黒剣とウォーハンマーが重なるたび、白と黒の火花が雪へ散った。デス・ナイトの踏み込みは次第に浅くなり、刃を返す肩も下がっていく。セリアはその遅れを見逃さず、《Divine Smite(神聖なる一撃)》を宿した武器を掲げて舞い上がった。
「ティアの裁きを受けよ!」
落下の勢いを乗せた一撃へ、デス・ナイトはなおも黒剣を差し入れる。だが受け流す前に刃が折れ、セリアのハンマーは漆黒の鎧まで打ち抜いた。
聖なる光がデス・ナイトの内部で炸裂し、内側からその存在を焼き尽くしていく。不死の騎士は叫びを上げる間もなく、眩い光の中で形を保てなくなり、やがて跡形もなく消え失せた。
セリアは消えゆく光を見届けながら、短く言葉を落とす。
「闇の中で犯した罪は消えない……その穢れを、償いながら滅ぶがいい」
指揮役を失った途端、アンデッドの隊列から統率が抜けた。屍たちの足並みが乱れ、押し止めていた騎士団が一斉に前へ出る。シアリックの司祭たちは呪文を連ねて立て直そうとするが、騎士団付きクレリックの祈りがそれらを端から打ち消していった。
やがて、シアリックの司祭の一人が叫び声を上げた。
「何故だ! 闇の力が通じないだと?」
それに応じるように、騎士団長が鋭い声で言い放つ。
「邪悪なる者よ! お前たちの呪われた闇は、我々の聖なる秩序の前には塵と化すのだ!」
騎士団員たちが一斉に剣を振るい、シアリックの司祭たちを追い詰めていく。
セリアは地上に降り立ち、戦場全体を一度見渡した。混乱が収まりつつあることを確認すると、騎士団員に向かって高らかに声を上げる。
「我々の正義は揺らがぬ! 闇を退け、この地を守り抜け!」
騎士団員たちは歓声を上げながら隊列を整え直し、残敵の掃討へと向かっていく。
セリアは閉ざされた次元へ向かう召命を胸に残したまま、翼を広げる。いまは目の前の戦線を空けるため、残敵の掃討へ進む騎士団の上空へ再び舞い上がった。
*
薄闇が降り積もる街角で、イーシャ・グレイブレアは三つ数えて息を吸い、倍の長さで吐いている。
朽ちた建物の隙間を縫う冷たい霧が、小柄な身体を撫でていく。胸元のイルメイターの護符には、閉ざされた次元へ向かえという召命の熱がまだ残る。だが路地の奥からは、アンデッドに追われる住民の足音が絶えない。ここを空けたまま次の世界へ向かうことはできなかった。
路地の奥ではアンデッドの群れが徘徊し、沈黙した街を蹂躙している。骨を軋ませるスケルトンと、腐肉を垂らしたゾンビが数え切れぬほど通りを埋め尽くし、その後方には闇の瘴気を纏ったヴァンパイアが潜んでいる。彼らを陰で操るのは、シャーの邪悪な聖職者たちだ。
「どうやら敵の補給線は、あの廃墟の地下を通っているようですね……」
イーシャの傍らで小声で報告するのは、《ハーパー》のエージェントだ。ハーパーは自由と善を掲げる秘密結社であり、多元安定機構の要請を受けてこの都市の防衛に駆けつけた潜入工作の精鋭たちである。仲間たちは闇の中で身を低くし、路地の遮蔽物から次の遮蔽物へ、手信号だけで移動を続けている。
「補給線を遮断し、アンデッドの供給を断つ。それがこの侵略を終わらせる鍵よ」
イーシャはそう囁き、イルメイターの護符をそっと握り締める。苦痛と忍耐を司るイルメイターに仕える彼女にとって、この闇に潜む戦いこそが自身の役割に相応しいものだ。
イーシャは護符から手を離し、巡回するスケルトンが角を曲がる拍に呼吸を合わせた。崩れた柱の陰から荷車の下へ移り、瓦礫に残る古い足跡へ靴底を重ねる。鎧の骨音が遠ざかると、扉の蝶番へ布を挟み、音を立てず廃墟の地下へ滑り込んだ。
そこには邪悪なシャーの祭壇があり、数人のシャーの聖職者が低い声で闇の儀式を唱えている。彼らは周囲に展開したアンデッドの統率を強化し、その力で都市の抵抗を破壊しようとしている。
「シスター、都市の様子はどうだ?」
祭壇の前に立つ黒衣の聖職者が、小声で問う。
「問題ないわ。シャーの闇がこの地を覆った以上、抵抗する者など現れるはずもないでしょう」
その言葉が終わるより早く、彼女の背後に小柄な影がすっと現れる。
「その確信が、あなたたちの傲慢よ」
イーシャの囁きと同時に、彼女のダガーが鮮やかな軌跡を描いて聖職者の首筋を切り裂く。傷口から放たれた不可視の嘆き──《Wails from the Grave(墓より響く嘆き)》は、傍らにいたもう一人の聖職者へ突き刺さった。刃を受けた者と、身体の内側で嘆きを浴びた者が相次いで床へ崩れ、その音に地下室の奥からヴァンパイアが反応して飛び出してくる。
ヴァンパイアはかつて、ある次元でレッド・ウィザーズが行った非道な儀式によって蘇った支配者だ。彼はもともと悪名高き貴族であり、その残虐性と闇の力を見込まれ、蘇生の代償として彼らに忠誠を誓わされた存在である。自由を奪われる代わりに、絶大な闇の力を授けられている。
ヴァンパイアは廃墟の地下回廊で足を止め、赤い瞳を壁際から天井へ走らせる。鼻先が一度動き、爪が石床を掻いた。
「……我が領域を踏み荒らす不届き者よ、姿を見せよ!」
ヴァンパイアは上唇を引き上げ、犬歯を剥いて指を鳴らす。指先から生じた闇の波動が周囲の影を揺さぶり、イーシャの隠された気配を強引に探り出そうとする。
闇の波動が床の埃を輪状に押し退け、イーシャの潜む柱へ近づく。輪郭を拾われる直前、彼女は祭壇の詠唱が強まる一拍に合わせて隣の崩落柱へ移った。波動は今までいた場所を撫で、石屑だけを浮かせて消える。
「姿を現さぬならば、こちらから探し出すまでだ!」
ヴァンパイアは鋭い動きで廃墟の中央に立ち、闇の魔力を凝縮させる。
「《Children of the Night(夜の子供たち)》よ、我が前に集え!」
彼の声に応じて蝙蝠の群れが影から沸き立ち、地下室を埋めていく。無数の羽音が壁際と天井を往復し、空気の乱れを探っている。イーシャは息を止め、群れの薄い箇所へ身体を滑らせた。梁と柱が重なる死角から、ダガーの切っ先をヴァンパイアの胸へ重ねる。群れが頭上へ寄るたび、柱際の羽音が一拍だけ薄くなった。イーシャはその間隔を数え、踏み込む時機を待つ。
イーシャの踵が小石を押した瞬間、ヴァンパイアの顔がそちらへ向く。床を蹴る音も残さず距離を詰め、爪を振り下ろした。
「そこか!」
しかし、その攻撃が届く直前、イーシャは《Uncanny Dodge(直感回避)》で身をさばく。超常の勘が先に働き、身体をわずかに捻って軌道を半身で外す。爪はイーシャのジャケットを浅く裂いたものの、肉を深く抉る軌道からは逸れた。
「……良い動きだ、ハーフリングのローグよ」
ヴァンパイアは犬歯を覗かせてイーシャに向き直る。細めた赤い瞳が、彼女の靴先から頭までを一度なぞった。
「だが、その程度の技ではこの私には敵わぬ。影に潜むお前の正体を暴いてやろう」
そう言ってヴァンパイアはイーシャへ視線を据える。《Charm(魅了)》の力が赤い瞳へ集まり、彼女の意識へ絡みつこうと伸びた。
ヴァンパイアの瞳と目が合った途端、イーシャのこめかみに冷たい痺れが走る。彼女はイルメイターの慈悲を心に唱えた。
「イルメイターよ、この誘惑に屈しない力を……!」
魅了の魔力が視界の縁を暗くする。イーシャが護符を握ると痺れは指先へ抜け、ヴァンパイアの瞳から意識を引き剥がした。
ヴァンパイアが僅かに眉をひそめる。
「魅了が通じぬとは……小癪な!」
彼は犬歯を剥き、再び闇の魔力を込めた攻撃を放とうとする。しかし、その一瞬の隙を逃さず、イーシャは反撃に転じる。
「今度はこちらの番よ」
イーシャはその場に足を据え、《Steady Aim(狙いすまし)》で呼吸と肩の揺れを止めてダガーを投げる。刃は音もなく空気を裂き、ヴァンパイアの胸を貫く。命中と同時に傷口から《Wails from the Grave(墓より響く嘆き)》が溢れ、天井を旋回する蝙蝠の群れへ走った。羽音の塊が内側から崩れ、何匹もの影が床へ落ちて、ヴァンパイアまでの間に一本の隙間が開く。
「ぐっ……!」
ヴァンパイアは呻いてよろめくが、胸を貫かれたまま両足を踏みとどめる。心臓の位置から血が溢れても、赤い瞳の光は消えない。
「これしきで私が倒れるとでも思ったか!」
ヴァンパイアは傷口へ掌を押し当て、《Regeneration(再生)》を呼び込む。流れ出た血が逆向きに這い、裂けた肉の縁を引き寄せた。だが刺さったダガーから白い光が滲むと、戻りかけた血は黒く乾き、傷は開いたまま止まる。イルメイターの聖印だけが刃の根元で脈打っていた。
「馬鹿な……再生が……できないだと……!」
ヴァンパイアは傷口を押さえ、身体が急速に崩れ始める。その隙を逃さず、イーシャは蝙蝠の群れに開いた間を床すれすれに駆け抜ける。左手で腰の鞘から二本目のダガーを抜き、イルメイターの聖なる力を刃へ集めた。
「これがイルメイターの名において、お前に下される裁きよ!」
イーシャの唇がほとんど動かないまま言葉を結び、ダガーがヴァンパイアの心臓を貫く。その一撃に込めた聖なる力が魂を内側から焼き、断末魔を許さない。ヴァンパイアは膝をつき、指先から灰へ崩れていく。赤い瞳の光が消えると、床を覆っていた闇も壁際まで退き、祭壇の輪郭が戻ってくる。
その頃、廃墟の外周ではハーパーのエージェントたちとシャーの聖職者たちが、互いに姿を見せないまま路地の遮蔽物を奪い合っている。闇に包まれた街角では、遠くの刃音と靴底が瓦礫を擦る音だけが途切れ途切れに響く。シャーの闇の祝福を受けた聖職者たちは、暗黒の魔力を操りつつ、アンデッド軍団を背後から支援している。
「我らが女神シャーの御前に、無力な潜入者どもめ。その愚かな正義ごと、闇に葬ってやろう」
シャーの聖職者の一人が低く呟き、口角を片側だけ上げる。その瞬間、周囲の闇が濃密になり、視界を奪う魔法──《Darkness(暗闇)》が空間を覆う。
「しまった……!」
ハーパーの若いエージェントが思わず呻き、動きを止める。視界を奪われた闇の中では、足音と気配だけが命綱となる。しかし、経験豊かなハーパーの隊長が即座に反応する。
「動揺するな! 焦れば相手の思う壺だ。落ち着いて行動しろ!」
隊長が靴底で床を二度鳴らすと、エージェントたちは動きを止め、同じ長さで息を吐く。三度目の音を合図に、全員が直前に確かめていた次の遮蔽物へ身体を移した。光を奪われた場合の歩数も、仲間の位置を伝える靴音も、潜入前に繰り返した手順どおりだ。若いエージェントの肩から余計な力が抜ける。
だが、シャーの聖職者たちはさらに呪文を唱え、闇の中で追撃を試みる。
「逃げられると思うな! 我らが女神シャーの闇から逃れられる者など存在しないのだ!」
彼らが《Inflict Wounds(傷付与)》を唱えると、指先から黒い筋が手首へ這い、周囲の草まで萎れていく。足音が一気に近づいた。闇の中から伸びる手は、隊長の声がした辺りを探り、触れる相手を求めて指を開く。
「伏せろ!」
隊長の叫びでエージェントたちは身を沈める。最前の手が頭上を空振りし、隊長は伸びきった腕を外側へ払った。ほかの二人も床を転がって間合いを外す。触れる相手を捉えられなかった暗黒の魔力は、聖職者たちの指先で脈打ったあと霧散した。
一方、イーシャはすでに別の位置へ回り込み、壁際へ背を寄せて聖職者たちの声と足音を拾っている。
「……援護するわ、待っていて」
彼女は小声で囁き、壁際の空箱と倒れた長椅子を遮蔽にして、シャーの聖職者たちの声を背後から追う。聖職者たちはエージェントたちの呼吸と足音に意識を向けており、彼女が短杖の届く距離へ入っても振り返らない。
「イルメイターよ、罪なき者たちを守るために──」
彼女の手に握られたダガーが、声のした位置へ闇を裂く。刃は暗闇を維持していた聖職者の喉元を捉え、その場へ倒した。集中が切れると濃い闇がほどけ、路地の輪郭と残る敵の姿が戻る。傷口から溢れた《Wails from the Grave(墓より響く嘆き)》は、視界に現れた別の聖職者へ走り、墓場の叫びを身体の内側で響かせてよろめかせる。
「な……!」
残った聖職者たちが振り向く。その瞬間、エージェントの隊長が鋭く声を上げた。
「今だ! 攻めろ!」
エージェントたちが三方の影から飛び出す。一人が聖職者の膝裏を切り、沈んだ身体の脇へ二人目のダガーが入った。別の一人は祭壇側へ回り、退路を塞ぐ。正面へ向いた聖職者の意識から、背後のイーシャが外れた。
「小賢しい……! 我らを侮辱するか!」
聖職者たちは歯を剥いて両腕を振り上げ、再び闇の魔法で反撃を開始する。ハーパーの隊長は詠唱する唇と持ち上がる指を追い、魔力が放たれる前に軌道を読んでいた。
「敵は冷静さを欠いている。この機を逃すな!」
黒い光が正面を薙ぐと、エージェントの一人が柱の裏へ退き、その射線に引かれた聖職者の側面へ仲間の刃が入る。別の呪文を避けた者も、身を沈めた勢いのまま足元を払った。ダガーと魔法が交差するたび、聖職者たちの陣形は祭壇側へ押し縮められていく。
隊長たちが前衛を引き受ける間に、イーシャは影の境を辿り、孤立した術者の背後へ回った。ダガーの切っ先を向けても、相手は正面の攻防から目を外せない。
「あなたたちの呪いはもうここで終わりよ。イルメイターの慈悲を知りなさい」
イーシャは影から踏み出し、術者の背へダガーを突き立てた。同時に、正面でも隊長たちの刃が残敵を倒す。最後の詠唱が途絶えると、路地に残っていた闇も完全に消え去った。
やがて刃音が途切れる。ハーパーのエージェントたちは互いの顔を確かめ、肩の力を抜いて息を吐き、イーシャに頷いた。
「ここは完全に制圧しました。アンデッドの統率も乱れるはずです」
エージェントの隊長が報告すると、イーシャはそっと護符を握り締める。
「補給路は断った。これで多元安定機構が地上で掃討作戦を進められる……彼らと連携して、ここから完全に敵を駆逐しましょう」
イーシャはイルメイターの護符を胸元へ戻し、フードを深く被った。崩れた壁と夜霧の境を選んで歩き、廃墟の暗がりへ小さな背を沈めていった。
*
フリーレンたちがオイサーストの街を進み、大陸魔法協会北部支部へ向かい始めた頃には、朝の柔らかな陽光が街並みの屋根と石畳を淡く照らしていた。
大陸魔法協会北部支部は、都市の奥にある小高い台地の上に立っている。淡い石造りの本館から白亜の塔が伸び、正面階段の両側には杖と魔法陣の浮彫りが並ぶ。湖から吹く風が、広場を横切って塔の旗を揺らしている。
フリーレン、フェルン、シュタルクの三人が広場に足を踏み入れると、以前訪れた時には存在しなかった奇妙な設備が広場の隅に見える。床面には柔らかな感触を持つ特殊な素材が敷かれており、樹脂と魔力を組み合わせて衝撃を吸収する構造になっている。
だが、最も目を引くのは、その設備を四方から囲む八体の巨大な二足歩行ゴーレムだ。滑らかで無機質な肌を持つ巨躯には、目鼻口の造作がない。肩部に重厚な防具を備え、堅牢な粘土と精緻な魔法で形成された全身からは、淡い魔力が等間隔に波打っている。
シュタルクは、一体の踵から自分の背丈ほどもある肩まで見上げた。
「なあ、あのゴーレム、前はなかったよな? あんな人型の巨大ゴーレムを八体も配置するなんて、協会も随分と気合が入っているな」
フェルンは床材の継ぎ目へ靴先を置き、沈み方を確かめてから、ゴーレムの太い腕へ目を移す。
「警備用ではないようですね。床面の衝撃吸収材や、周囲に施された魔法を見る限り、何か重要なものを搬送するための設備に見えます。恐らくあのゴーレムが護衛や搬送を担当するのでしょう」
フリーレンはゴーレムの腕から床材へ視線を戻す。
「確かにそうだろうね。協会がこんな大掛かりな設備を準備するということは、よほど危険か重要な物を扱う予定があるんだろう」
三人は改めて協会の建物に向かい、入口を通って人声のまばらな受付ホールへ入った。受付カウンターの前に立ったフェルンは、坑道での出来事を協会に正式に報告するため、フリーレンとシュタルクに振り返り、一言告げた。
「それでは私は報告手続きをしてきますので、ここで待っていてください」
フリーレンとシュタルクは受付から離れた待合席に腰掛けた。ペン先が紙を擦る音だけが続く中、シュタルクは背もたれへ身体を預け、溜息と一緒に小声を漏らす。
「協会への報告って思ったより時間がかかるんだな。もうちょっと簡単に済ませられないもんかな?」
フリーレンは受付の書類から目を離さず、短く答えを返した。
「重要な情報であればあるほど確認も多くなるのは仕方ないことだよ。特に位相アンカーのような異界の技術となればね」
やがて、報告を終えたフェルンが、控えを手にして二人の元へ戻ってきた。シュタルクが軽く首を傾げて彼女の顔を見る。
「どうだった?」
フェルンは二人の前で足を止め、手にしていた控えを二つ折りにしながら答える。
「とりあえず村への人員派遣は検討してくれるそうです。協会も現在は対応が追いついていないようですが、重要案件として取り扱うとは言っていました」
フリーレンはフェルンの報告に一度頷く。フェルンが二つ折りにした控えを懐へ収めると、三人は連れ立って受付ホールを出て、協会の外に広がる広場へと再び戻った。
三人が協会の建物を一歩出た途端、ゴーレムたちの囲む設備から白い閃光が放たれた。中心を走る稲光が六角形の床材を順に照らし、雷鳴に似た轟音と共に空気が渦を巻く。ゴーレムは八体とも両腕を開き、歪み始めた空間へ掌を向けた。
「何だこれ!?」
シュタルクが声を上げ、フリーレンとフェルンも振り返った。目の前で歪む空間からタヴが踏み出し、その背後を血まみれの兵士や魔法使いたちが続く。何人かは仲間の肩を借り、足を引きずって六角形の床材へ移った。タヴ自身のローブも鮮血に染まり、肩が呼吸のたびに大きく上下している。最後の負傷者が広場へ出ると、背後の歪みは稲光を残して閉じた。
「おい、タヴ! 大丈夫なのかよ、その血は!?」
シュタルクは駆け寄り、フリーレンとフェルンもその後を追う。タヴは三人に気づくと一度目を見開いたが、すぐに片手を胸の前へ上げて制止した。
「オイサーストに戻っていたのか。心配ない、これは俺の血じゃない。ギスヤンキの位相アンカーを破壊する作戦に同行したんだが、奴らの抵抗が予想以上に激しくてな。特に重症を負った者を連れて《Teleport(瞬間移動)》で移動してきたんだ」
タヴの話を聞いているうちに、待機していた八体のゴーレムが一斉に動き出す。四体が負傷者の左右へ膝をつき、残る四体は治療施設までの通路を空けた。傷ついた兵士たちの首と膝裏へ腕を差し入れて抱え上げると、ゴーレムの掌から温かな回復魔法が発動した。淡い光が血に濡れた包帯を透かし、荒かった呼吸が少しずつ間隔を取り戻す。
「なんと……ゴーレムが《回復魔法》を扱えるとは。一体いつからこんな改良が施されたんだ?」
声を上げたのは、広場に駆けつけてきた治癒師の一人だった。他の治癒師も足を止め、開いた掌を見つめている。ゴーレムは負傷者の首と膝裏を支え、揺らさない歩幅で治療施設へ運び去った。治癒師たちも、その後を追って施設へ向かう。
フリーレンは負傷者を抱くゴーレムの掌から、血の跡を残さない歩幅へ視線を移した。
「なるほど……ここに設けられた設備は、魔法で運ばれてくる負傷者を迅速に搬送して治療するためのものだったんだね。それにしても、あの傷だと相当な重症だけど、大丈夫なのかな」
タヴは肩を一度回し、浅い呼吸の合間に答える。
「ここで適切な治療を受けられれば、助かる見込みはあるだろう。協会も迅速に対応してくれているしな」
シュタルクは運ばれていく負傷者を見送ったあと、血に染まったタヴのローブへ目を戻して問いかけた。
「肝心の位相アンカーの破壊作戦はどうだったんだ? 無事に成功したのか?」
タヴは血の跡が残る地面を一瞥して応じる。
「ああ、位相アンカーの破壊自体は成功した。ギスヤンキは激しく抵抗したが、最後に撤退を始めたところをこちらが追撃して、かなりの数を討ち取った。後の細かい処理は、向こうの現場に残した部隊に任せてきたから大丈夫だ」
フリーレンたちがそれぞれ頷くと、タヴは片手を振って《Prestidigitation(奇術)》を小声で唱えた。淡い波が胸元から袖と裾へ広がり、血に染まっていたローブから汚れが消える。フェルンは目をわずかに見開き、声を上げた。
「本当に便利な魔法ですよね、《Prestidigitation(奇術)》というのは。私にも教えていただきたいくらいです」
タヴは綺麗になった袖を見下ろし、困ったように答えた。
「ああ、これは確かに便利だが、俺はソーサラーだからな。体系的に魔法を人に教えるのは難しいんだ。悪いな、フェルン」
タヴは何か言い足しかけ、指先を見たまま黙った。《Prestidigitation(奇術)》は術式を一段ずつ組んだ結果ではなく、息を整えるのに近い感覚で現れる。フェルンへ渡せる手順が、自分の中には見つからなかった。
フェルンの口元がわずかに上がり、軽く頷いた。
「仕方ないですよね。でも、見ているだけでも十分勉強になります」
シュタルクはふと我に返ったように、タヴに問いかける。
「ところでさっきタヴが言ってた魔法、《Teleport(瞬間移動)》だっけ? 一体どんな魔法なんだ?」
タヴは治療施設へ続く扉が閉じたのを確かめ、三人にだけ届く声量で答える。
「《Teleport(瞬間移動)》は自分と目に見えている八人までの生物、あるいは一つの物体を瞬時に遠隔地へ移動させる魔法だ。物体の場合は大きさがせいぜい三メートル四方程度で、誰かが掴んだり持ち運んでいないものに限られる。いずれにしても、目的地の正確な情報がなければ危険が伴うから注意が必要だがな」
フリーレンが知る転移魔法は、術者の視界か、限られた距離の内側で完結するものばかりだった。見えない戦場から負傷者を選び、この広場の床へまとめて運ぶ──人類の魔法体系では、そこまでの隔たりを一息に越えられない。
「距離を問わず自由に移動できる魔法が、個人で使用可能なレベルまで体系化されているなんてね……。運べる人数や物体の大きさまで明確に決められていて、徹底的に汎用化されているのは、本当に驚かされるよ」
タヴは、治療施設へ運ばれた最後の担架を目で追った。
「まあ、《Teleport(瞬間移動)》は誰にでも簡単に扱えるわけじゃないけどな。魔力の消費も大きく、精密な制御が必要だから長めの訓練期間もいる。だから、実際に個人レベルで自由に使いこなせる魔法使いは多くない」
すると、フェルンがタヴの顔を見上げて問う。
「……あの、ずっと気になっていたのですが、ソーサラーは体系的に魔法を学べないのですよね? タヴ様は、《Teleport(瞬間移動)》のような魔法をどうやって習得したのですか?」
タヴは自分が出てきた空間の跡へ目をやった。白い稲光はもう残っていない。
「ああ……そういえばちゃんと言ってなかったな。ソーサラーの魔法習得方法の一つに、自分自身が魔法を直接体験して、体感的に習得するやり方がある。多元安定機構が運営する特殊な訓練施設があってな。俺はそこで実際に魔法の影響を何度も経験し、自分の内にある魔力を引き出す感覚を掴んだんだ」
タヴの意識には、初めて転移した瞬間の感覚が残っている。足裏から重さが抜け、身体の輪郭が元の場所からほどけ、遠い地点で呼吸と鼓動がもう一度噛み合う。今では、その一続きの衝撃を魔力の流れとして細かく辿れた。
「《Teleport(瞬間移動)》の場合もそうだ。最初は経験豊富なウィザードに同乗させてもらい、移動の感覚や魔力の流れを直接体感した。何度も繰り返すうちに魔法と俺自身の魔力の波長が一致して、徐々に自分自身で発動できるようになった。そういう仕組みだ」
フェルンは説明の終わりまで視線を外さず、整理した言葉を返す。
「なるほど……。魔法を学ぶというよりは、自分の中に眠っている力を直接引き出すための訓練を積む、という感じなのですね」
「まあ、それだけにリスクもあるし、完全に安定して習得できる保証もないんだがな」
広場に残った血の跡を、清掃係が水で洗い流し始める。シュタルクはその赤い水を一度見てから口を開いた。
「よくわかんねえけど、要は実戦や体験で鍛えるってことか?」
タヴは短く笑った。
「その通りだ。少なくとも俺は何百回と仕組みを説明されるより、一回飛ばされる方が理解できた」
その後、彼は話を切り、視線を三人に巡らせた。
「ところで、しばらくオイサースト郊外で修行すると言っていたはずだが、もう戻ってきたのか? 何か問題でもあったのか?」
フェルンが一歩出て踵を揃え、タヴを見たまま説明を始める。
「私たちは村からの依頼で、郊外にある古い坑道の調査に向かいました。そこでマインド・フレイヤーの位相アンカーを発見したのです。フリーレン様の適切な指揮もあり、なんとか破壊に成功しました。その結果を協会に報告するために、こうしてオイサーストへ戻ってきたんです」
タヴは最後まで聞くと、フェルンが提出した受付の方を振り返った。
「マインド・フレイヤーの位相アンカーを見つけて破壊したのか? それはまた興味深い話だな……もう少し詳しく状況を教えてくれないか?」
フェルンは発見から破壊後の確認までを、タヴが聞き返した箇所だけ補いながら語っていく。坑道内の魔力の歪みを追った先に位相アンカーがあり、その周囲を秘術使いを含む三体のマインド・フレイヤーと、インテレクト・ディヴァウラーの群れが守っていた。
護衛を退けた後は、協会から示された手順で装置の防護を解き、核を露出させて破壊した。砕けた直後に光が内側へ縮み、坑道を満たしていた圧迫感が消えたことまで伝える。周辺も調べたが、別の異常や目的を示す物品は見つからなかったという。
タヴは話を聞き終えるまで口を挟まず、組んだ腕へ顎を寄せたまま考え込む。
「なるほど……つまり、この世界の魔法でも問題なく位相アンカーを破壊できるってわけか。これは大きな成果だな」
だが、タヴの指が二の腕の上で止まり、眉間に皺が寄る。フェルンたちが遭遇したマインド・フレイヤーは《秘術魔法》を使い、魔法に秀でた秘術使いまで伴っていた。その組み合わせが頭に引っかかった。
(……秘術使いのような《秘術魔法》を用いる個体が位相アンカーの防衛についていたとは妙だな……。何か特別な理由でもあるのか?)
清掃の水が靴先まで流れてきた。タヴは一歩横へ避け、考えをいったん切り上げる。
「まあ、とにかくまずは位相アンカーを破壊できたことを喜ぶべきだ。あんたたちはすごいな。俺が同じ状況にぶっつけ本番で立たされたとしたら、おそらく破壊には手こずっただろうな」
フェルンはフリーレンの隣へ半歩戻って答えた。
「いえ、今回の件はフリーレン様の精神防御のおかげです。フリーレン様の防御がなければ、私やシュタルク様だけではあの状況を乗り切れなかったと思います」
タヴはそれを聞いて軽く吹き出し、目尻に皺を寄せた。笑いが喉の奥でもう一度弾む。
「ははっ、それは奴らもさぞかし面食らっただろうな。人の精神を操ることに関しては絶対の自信を持つ連中だからな。思い通りにならずに慌てふためく様子が目に浮かぶよ。まったく、ざまあみろって感じだな」
シュタルクもまた、タヴの言葉に拳で胸を軽く叩いた。
「そうだな、あいつら驚いてたぜ。俺は最初ヒヤヒヤしたけどな。あの精神攻撃ってやつ、フリーレンが全然平気な顔して受け流してるのを見て、少し気の毒になるくらいだったぞ」
フリーレンは二人の間で視線を往復させ、笑い声が途切れるのを待って口を開いた。
「私としては、特別なことをしたつもりはないんだけどね。まあ、結果的に役に立ったなら良かったよ」
タヴは笑いを収めて背筋を立て、フェルンの方へ身体を向けた。
「ともかく、詳しい状況が分かったのはありがたい。できれば俺も実際の現場を確認して、マインド・フレイヤーの目的を探りたい。手間をかけて悪いが、坑道か近くの村から持ち帰った物があるなら、後日貸してもらえないか? 《Teleport(瞬間移動)》の《関連する物体》に使いたい。場所までの道も詳しく聞かせてほしい」
聞き慣れない術語を、フリーレンが問い返す。
「《関連する物体》っていうのは?」
「六か月以内に目的地から持ち出された物品だ。それを媒介にすれば、品物に残る現地との結びつきを辿って、狙った場所へ確実に着ける。よく知る場所でも、媒介なしなら失敗の可能性は残る。まして今回は、俺が一度も訪れたことのない村だ。媒介なしで飛ぶつもりはない」
フェルンは「失敗の可能性」という言葉を聞き返す。
「失敗した場合には、具体的に何が起こるのですか?」
タヴは起こり得る三つの失敗を順に答えた。《目的地を外れる》なら狙った地点から座標がずれ、《似通った場所》なら目的地によく似た別の場所へ出る。最も危険な《大失敗》では転移の途中で術が崩れ、術者も同行者も傷を負う。
シュタルクは、治療施設へ運ばれていった負傷者たちの方を振り返った。先ほどのように大勢を連れて飛べば、失敗した時には術者だけでなく同行者まで巻き込まれる。何か言いかけた口を閉じ、治療施設の扉へ目を戻した。
フリーレンは三つの術語を口の中で繰り返してから問う。
「それは非常に興味深いね……《Teleport(瞬間移動)》という魔法は、一体誰がどんな経緯で開発したものなの?」
タヴは答える前に、短く唸った。
「あー……それを語るとなると、かなり長くて複雑な話になるぞ。確か、《Teleport(瞬間移動)》の元になった魔法は、はるか昔の大魔法使いオベロンが──」
しかし、彼が語り始める前にシュタルクが軽く手を振って制止する。
「おいおい、その話を始めたら終わらねえぞ。フリーレンがそんなこと聞き始めたら、日が暮れるどころじゃ済まなくなる」
フェルンも口元をわずかに上げ、シュタルクのあとへ言葉を差し込んだ。
「確かにそうですね。続きはまた次の機会にしませんか?」
フリーレンは眉尻を下げたまま長く息を吐き、二人へ一度頷いた。
「それじゃ仕方ないね。また今度、ゆっくり聞かせてもらおうかな」
タヴは話しかけたままになっていたフェルンへ戻る。
「長話は今度だ。まずは媒介を探そう。坑道で回収した物は、何か手元に残っているか?」
フェルンは先ほど報告を済ませた受付の方を振り返る。
「あの坑道で回収した位相アンカーの部品は、協会への報告の際にすでに提出してしまいました。協会の人に事情を説明して、一時的に貸してもらうことも可能かもしれませんが……」
「いや、そんな面倒なことをしなくても大丈夫だ。坑道そのものではなくても、近くの村に《Teleport(瞬間移動)》できればいい。その村から持ち出した物はないか? 掌に収まる大きさなら何でも構わない」
シュタルクはそれを聞くと、思い出したようにポケットに手を差し込む。
「あの村でもらった特産の木彫りならあるぞ」
「それなら媒介に使える。村から持ち出された品なら条件に合う」
シュタルクはポケットから小さな木彫りの飾りを取り出すと、それをタヴに向けて差し出した。彫り跡は素朴で、角は指に引っかからないよう丸く削られている。
「ほらよ。村の特産品らしいぜ。別に特別なものじゃないけどな」
タヴは右の掌で木彫りの飾りを受け取る。刻み目と欠けを確かめるように一周させ、礼を言った。
「ありがとう。しばらく借りる」
彼は右手で飾りをポーチへ入れ、その口を指先で閉じると、改めてフリーレンたちに向き直った。
「あとは、村の中の目印と、そこから坑道までの道を詳しく教えてくれないか。着いてから調査地点まで迷うわけにはいかない」
フェルンは出発時の道程を辿り直し、村の目印から順に語り始めた。
「村の名前はリューデル村です。オイサーストから北東へ馬車で一日半ほど、丘陵と深い森に挟まれています。村の中央には古い石造りの井戸があり、その横に大きなオークの樹が立っています」
タヴはまぶたを閉じ、フェルンの言葉に合わせて丘陵、森、井戸、オークの樹を頭の中へ置いていく。配置を終えると目を開き、一度頷いて言葉を続ける。
「よし、それだけ詳しい情報があれば十分だろう。あとは念のため地図も後で確認しておくか」
シュタルクはタヴのポーチへ消えた木彫りを見て、なおも確かめる。
「本当にそれで大丈夫なのか? さっき、《大失敗》とか怖いことを言ってたけど……」
タヴはポーチの口へ手を置き、先ほどより声を落とした。
「だからこそ、これを借りた。地図と現地の目印も照合してから飛ぶ。同行者まで巻き込む術だ。勘だけで使うつもりはない」
フリーレンは地図まで確かめるという言葉に反応した。
「強力なだけじゃなく、使う前の準備まで含めた魔法なんだね。オベロンの話も、ますます気になってきたよ」
タヴは約束だけを返した。
「こっちの件が落ち着いたらまた話そう。相当長い話になると思うがな」
彼の言葉に、フリーレン、フェルン、シュタルクの三人はそれぞれ短く頷いた。
*
ノルム商会本館、その最上階に設けられた荘厳な会議室では、紙をめくる音さえ高い天井へ反響していた。
商会幹部が円卓を囲む。民政官や衛兵隊長らは、散乱した地図と報告書の数字へ目を落としたまま動かない。読み上げる声は低く、一頁めくるたびに指が止まる。
「本日の報告は以上となりますが、各地の被害状況は悪化の一途を辿っています」
若い民政官が最後の行を読み終え、両目を指で押さえた。商会幹部の一人は机上の被害地図へ人差し指を置く。
「マインド・フレイヤー、ギスヤンキ、そして魔族。この三者が各地で争いを繰り広げ、北部高原の村々が巻き込まれている……ということだな?」
「その通りです。特に小規模な村落は、まともな防衛機構を持たず、戦闘に巻き込まれて壊滅状態に陥っています。現在の兵力では防衛どころか被害の調査すら満足に進んでおりません」
別の民政官が掠れた声で引き継いだ。
「現状では兵力不足が深刻です。通常の兵だけでは到底足りず、市民を強引に民兵化する形で対応していますが、これは市民の不満を招き、士気低下にも繋がっています」
衛兵隊長が机上の死傷者一覧を指で押さえ、補足した。円卓に座る幹部たちは、並んだ数字から目を上げなかった。
「また、死傷者があまりにも多すぎて、共同墓地の埋葬処理が完全に追いついていません。このまま放置すれば遺体の腐臭が魔物を呼び寄せ、さらなる被害拡大を招く可能性があります」
民政官が報告書を伏せる。室内に沈黙が広がる中、ノルム商会幹部の一人が、ため息混じりに口を開く。
「都市外への遺体搬送も、安全を保障できない。下手に動かせば、移送隊ごと魔物に襲撃されかねん」
その声が途切れても、発言を継ぐ者はいなかった。窓の外を厚い雲の影が過ぎ、机上の被害地図を暗くする。幹部たちは互いの顔を見たあと、死傷者一覧へ目を戻した。
重い沈黙の後、商会の幹部が報告書の端を拳で押さえ、語尾ごとに声量を上げた。
「遺体の処理についてだが、もはや従来通りの埋葬など悠長にやっている場合ではない。すべて焼却処分すべきだ。魔物を寄せつけないためにも、この決定は避けられんだろう」
だが、その言葉に即座に異を唱えたのは神殿から派遣された宗教関係者だった。
「その発言には到底同意できません。亡くなった方々への敬意と鎮魂は絶対に必要です。伝統的な埋葬方法を守らなければ、人心の荒廃はさらに進むでしょう。焼却処分など非人道的すぎます」
両者の声が重なり、引かれた椅子の脚が床を鋭く擦った。
「敬意などと言っている余裕がどこにある? 死者への敬意を示したところで、生きている者が死ねば意味がないではないか!」
商会幹部の怒声に、宗教関係者も激しく反論する。
「生者の命も大事ですが、死者を粗末に扱えば市民の精神は崩壊します! 今後の防衛にも悪影響が出るでしょう!」
怒声が相手の言葉尻へ重なり、焼却案と埋葬案の書類が円卓の両側へ押し返される。民政官の一人は両手でこめかみを押さえ、肺の空気を吐き切った。決裁用のペンは机上に置かれたまま、誰の手にも取られない。
「……墓を作れば腐臭に釣られた魔物が寄ってくる。だが遺体を焼けば市民の反感を招く……結局、どちらを選んでも地獄か」
その呟きに、幹部は眉間を二本の指で押し、吐き捨てるように応じた。
「市民感情よりも、生存が優先だ。こうした非常事態では仕方あるまい」
焼却案の決裁欄は空白のまま、埋葬を求める声と反対する声が重なった。その最中、扉が再び開き、息を切らした伝令が室内に飛び込んだ。
「た、大変申し訳ありません! 新たな情報が入りました!」
彼は報告書の端を震わせながら、最初の行を読み上げる。
「北西部にて、魔族の将軍『神技のレヴォルテ』が率いる軍勢が、ギスヤンキ及びマインド・フレイヤーの両勢力と激しく交戦している模様です。その余波で、近隣の村落が巻き添えを受け、甚大な被害が出ています!」
報告が終わる前から椅子が鳴り、幾人もの声が重なる。ざわめきはなかなか収まらなかった。
「また新たな戦線ができただと!? 我々にどうしろというのだ!」
幹部が椅子から腰を浮かせて叫ぶ。別の幹部も額を抑え、歯の間から吐き捨てた。
「もはや北部高原全体が戦場だ。これでは防衛どころではない……」
民政官の一人が声を一段上げた。
「もういっそ、互いに殺し合って勝手に滅んでくれればいい! 我々が付き合わされる筋合いなどない!」
その発言に、別の幹部が掌で机を叩き、相手の声へかぶせて叱責する。
「無責任なことを言うな! その殺し合いの余波が我々を飲み込んでいるんだぞ!?」
立ち上がる者と机を叩く者が続き、互いに責任を押し付け合う声が室内を埋める。やがて日が傾いても、机上の決裁欄はどれも空白のままだった。
その議論から二日後、ノルム商会本館の会議室に幹部や民政官、衛兵隊長たちが再び集まった。今日は騎士ヨアヒム、神官長ルドルフ、神官見習いのエルゼ、魔法使い見習いのミーナも同席している。四人は部屋の奥に間隔を空けて立ち、両手を身体の前で組んでいた。
四人は、ギスヤンキとマインド・フレイヤーの双方に直接接触した経験を買われ、状況の整理と助言のために呼ばれていた。
その時、会議室の扉が軽くノックされ、重厚な扉がゆっくりと開いた。伝令は一度唾を飲んでから入室し、その手で大陸魔法協会の印が押された書簡を握っている。
「失礼いたします。魔法都市オイサーストの大陸魔法協会北部支部より、極めて重要な通達が届いております」
伝令の声が途切れると、幹部たちの視線が手元の書簡へ集まった。ノルム商会の幹部の一人が、書簡へ向けて人差し指を一度動かした。
「通達の内容を簡潔に述べよ」
伝令は封蝋を割り、書簡を両手で開く。最初の行へ指を沿え、読み上げ始める。
「北側諸国全域において、異界の勢力──ギスヤンキ、マインド・フレイヤーによる活動が確認されました。彼らは次元間通路である『位相アンカー』と呼ばれる装置を設置し、各地で侵攻を開始しています。通達では、これらの位相アンカーを発見次第、即座に破壊し侵攻を阻止することを各勢力に強く推奨しています」
会議室にざわめきが広がった。伝令は書簡を一段高く持ち上げ、先ほどより語と語の間を置いて続けた。
「また、大陸魔法協会では、異界の魔法使い『タヴ』を正式な協力者として採用しており、すでにオイサースト近郊において位相アンカー破壊の実績を上げています。彼の魔法や知識についても、貴重な情報を提供しているとのことです」
その言葉に、ヨアヒムとルドルフは互いを見る。エルゼとミーナも顔を見合わせ、四人は揃って短く息を吐いた。
(タヴさんは生きていたんだ……しかも大陸魔法協会が正式に協力者として認めているなんて……)
ミーナは内心でそう呟き、強く結んでいた唇をほどく。その隣でヨアヒムも肩の力を抜いた。
「私たちはタヴと直接関わりました。彼の知識と力、そして協力的な姿勢は確かに信頼に足るものでした。あの地下礼拝堂で、我々がマインド・フレイヤーのコロニーを制圧できたのも、彼の協力があったからこそです」
ルドルフは、伝令が開いた書簡の末尾へ目を留めた。
「タヴ殿は決して敵対的ではありませんでした。この厳しい状況の中で、むしろ得難い味方でした。大陸魔法協会が彼を正式な協力者とするなら、我々としても積極的に関係を深めるべきでしょう」
エルゼも、地下礼拝堂でのタヴの姿を思い返して口を開く。
「確かに、彼の用いる魔法は未知のものでしたが、その行動や人柄には信頼できるものがありました。敵対するどころか、私たちのために重要な情報を提供してくれました」
それでも、ミーナは机上の兵力一覧と、壁へ留められた市街図を見比べる。
「位相アンカーの破壊は、極めて難易度が高い作戦になるかと思われます。異界の勢力との戦闘も並大抵ではありません。ノルム商会領の現状を考えると、それを実行するための余力はとても……」
商会幹部は兵力一覧の三箇所を順に叩く。
「その通りだ。我々には現在、それを実行できるだけの兵力も物資も不足している。すでに市民を強引に兵役に徴用し、どうにか兵力を保っている状態だ。これ以上の戦線の拡大には、到底耐えられない」
再び会議室に沈黙が訪れ、各人の視線が交錯した。発言が途切れたところで、会議室の奥で背筋を伸ばして座っていたノルム商会長ノルムが口を開いた。
「状況は理解いたしました。我々にそれを実行できる余力がないのは、すでに明らかなことです。しかし、このまま何もしないで放置するわけには参りません」
ノルムは声量を上げなかったが、一語ずつ区切って言い切った。皆が一斉にその顔を見る。
「大陸魔法協会の通達を受け入れ、位相アンカーを破壊する必要性は理解しております。しかし、我々がそれを独力で実行することは現実的に不可能でしょう」
幹部たちは兵力一覧へ目を戻した。反論は上がらず、やがて一人ずつ頷いていく。ノルムはそれを待ってから、次の言葉を続けた。
「ですから、我々に必要なのはオイサーストを含めた北側諸国全体からの支援です。この状況はもはや我々ノルム商会領だけの問題ではなく、北側諸国全域を脅かす危機となっています。各勢力との外交を展開し、速やかに戦力の融通を求める必要があります」
ヨアヒムは市街図を自分の側へ引き寄せた。
「現状では兵力が不足しており、位相アンカー破壊どころか、都市防衛すら危うい状況です。北側諸国に即座に協力を要請し、同盟体制を築く必要があるでしょう」
ルドルフは卓上の避難所一覧を取る。
「神殿としても外交的な支援は惜しみません。北側諸国各地の神殿や宗教組織とも緊密に連絡を取り、救護活動や避難所の設置といった支援に全面的に協力していきましょう」
エルゼは大陸魔法協会の書簡を受け取った。
「私はオイサーストの大陸魔法協会に書簡を送り、魔法使いの派遣を仰ぎたいと思います。タヴ様の協力で位相アンカー破壊に実績があるオイサーストならば、具体的な戦力支援を要請できます」
ミーナは各塔と神殿を結ぶ伝令線を、市街図へ細く書き込む。
「魔法使い不足の今こそ、オイサーストからの魔法使いの派遣が必要不可欠です。私たちから強く要請すれば、向こうも応えてくれるでしょう」
ノルムは提案者の顔を一人ずつ見てから、両手を机上に置いて結論を告げる。
「各自の提案を支持いたします。ヨアヒム殿には都市の防衛強化を、ルドルフ殿とエルゼ殿には宗教組織や大陸魔法協会との連絡役を、ミーナ殿には魔法使い個人間での緊密な連絡手段の確立をお願いします」
最後にノルムは、卓上へ集まった書簡と地図を見渡した。
「我々だけでこの危機を乗り越えることはできません。北側諸国全体の協力が必要です。外交を速やかに進め、互いに協力する体制を構築することが、この状況を打開する唯一の道です。全力を尽くしましょう」
全員が強く頷き、椅子を引く音を残して、それぞれの席を立つ。二日前には怒声ばかりが反響していた高い天井へ、今は市街図の上で駒を動かす乾いた音と、北側諸国へ送る書簡を記すペンの細い音だけが、なお途切れず返っていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
更新は不定期ですが、じっくり丁寧に進めていきますので、気長にお付き合いいただければ幸いです。