界を穿つ魔法使い   作:黄金の20面ダイス

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フリーレン、フェルン、シュタルクは坑道で位相アンカーの破壊に成功したことを大陸魔法協会に報告し、タヴとの連携も深めていく。多元宇宙の各地で戦線が拡大し、セリアやイーシャら英雄が、秩序と平和を守るために徹底抗戦を続けている。一方、ギスヤンキとマインド・フレイヤーの覇権争いに巻き込まれた北部高原は、魔族も加わる三つ巴の激戦地となり、ノルム商会は各国に協力を求める。


#10:多元宇宙の守護者たち

 薄闇の坑道から朝日の差す外へ足を踏み出すと、爽やかな風がフリーレンたち三人の髪を穏やかに揺らす。坑道の内部にこもっていた重い空気からようやく解放され、柔らかな陽光がフリーレン、フェルン、シュタルクの体を温かく照らしている。

 

 坑道の入口近くで深く息を吸い込んだシュタルクは、肩の力を抜き、疲れのにじむ顔でぼやく。

 

「結局、あれだけだったのか……?他にも仲間がいたりするんじゃないのか?」

 

 その問いに、フリーレンは坑道の周囲へ視線を巡らせながら静かに答える。

 

「念のため調べたけど、特に痕跡は見当たらなかったよ。位相アンカーは置かれて間もない様子だったし、本格的な運用はまだ始まっていなかったのかもしれないね」

 

 フリーレンの見立てに、フェルンも小さくうなずく。ただ、その目にはわずかな違和感が残っている。

 

「もしくは、別の目的があったのかもしれません。……ひとまず、村に戻って報告しましょう」

 

 フリーレンも同意するようにうなずき、三人は坑道を後にする。鳥のさえずりが増え、朝の光が山の斜面をゆっくりと照らし出していく。村までの道のりにはこれといった異常もなく、静かな帰路が続いた。畑では村人たちが早くから土を耕し、家々の煙突からは朝食の煙が立ちのぼっている。つい先ほどまで、異界由来の危険がすぐ近くまで迫っていたことなど、誰も知る由もない。

 

 村長の家の前で報告を聞いた老人は、顔色を青くしながら大きく息を吐く。

 

「そうですか……あの坑道に、そんな得体の知れない物が。最近、妙なことが続いていたので依頼しましたが、早めにお願いして本当に良かった」

 

 村長の安堵と恐れが混じった声に、フリーレンは落ち着いた調子で言葉を返す。

 

「多分、設置されてからあまり時間が経っていなかったんだと思う。だから、手が付けられなくなる前に壊せたはずだよ。……ただ、何を狙っていたのかまでは分からないけど」

 

 村長は深々と頭を下げ、重く息を吐きながらも礼を述べる。その顔にはまだ不穏なものが色濃く残っていた。

 

「本当に、ありがとうございました。ただ……今後も何かおかしなことが起きた時には、またご相談させていただいてもよろしいでしょうか?」

 

 フリーレンはわずかに申し訳なさそうな表情を浮かべてから、穏やかに答える。

 

「私たちはこのあとオイサーストに戻るから、次に何かあってもすぐには来られないと思う。代わりに、大陸魔法協会に今回の件を伝えて、調査する人を送ってもらえるか頼んでおくよ」

 

 その説明に、村長は肩の力を抜いてほっとしたようにうなずく。

 

「それは、心強い……。どうか、よろしくお願いいたします」

 

 そう言ってから、村長は懐から小さな袋を取り出し、両手で丁寧に差し出した。

 

「こちらは約束していた報酬です。ささやかではありますが、お受け取りください。本当に助かりました」

 

 フリーレンは素直に受け取り、小さく会釈する。

 

「ありがとう。大事に使わせてもらうよ」

 

 やり取りが一段落すると、村長は再び深く頭を下げる。三人はそれを見届け、軽く手を上げて別れの挨拶をすると、オイサースト行きの馬車を手配するために村の外れへ向かった。

 

 やがて、街道を進む馬車の荷台で、三人は揺れに合わせて身体を預ける。周囲には緩やかな丘が続き、空には薄い雲が流れていた。荷台に腰を下ろしたシュタルクは、坑道から回収した位相アンカーの部品を指先で転がしながら、難しい顔つきで首を傾げる。

 

「しかし、よく分からない部品だな。見れば見るほど、気味が悪い作りだ」

 

 そのつぶやきに、フリーレンは視線だけを向けて答える。

 

「タヴが言ってた多元宇宙側の技術だからね。私たちの世界で使われている魔道具とは考え方がかなり違うんだと思う」

 

 シュタルクはため息をつき、頭をかきながらぼやいた。

 

「多元宇宙の技術ね……。タヴが前に色々話してくれたけど、正直、半分もついていけなかったんだよな……」

 

 その様子を見て、フェルンは口元をほんの少しゆるめる。

 

「シュタルク様には、少し難しい内容だったかもしれませんね」

 

 からかわれたと感じたのか、シュタルクは肩を落とし、拗ねたように視線をそらす。

 

「はいはい、どうせ俺は馬鹿ですよ……」

 

 フェルンは慌てて両手を振り、言い直す。

 

「いえ、そういう意味ではなくて……。魔法の基礎知識がないと、あの説明は理解しづらいと思います。本当に」

 

 フリーレンも静かにうなずき、そのやり取りを眺めながら言葉を添える。

 

「フェルンの言う通りだよ。魔法や技術にある程度詳しくないと、タヴの説明は分かりにくかったと思う。シュタルクが混乱するのは普通だよ」

 

「じゃあ、今ここで、もう少し分かりやすく教えてくれよ。結局、何がどうなってるんだ?」

 

 シュタルクが少し不服そうに問いかけると、フリーレンは短くうなずき、説明を始める。

 

「うん。できるだけ簡単に言うとね──」

 

 彼女は語句を選びながら、淡々と続けた。

 

「もともと、多元宇宙側でも世界同士を行き来できるのは、ごく限られた人たちだけだったんだよ。本当に強い魔法使いや、特別な加護を持った存在とかね」

 

「やっぱり、特別な連中だけの話だったんだな」

 

 シュタルクが納得したようにうなずくと、フリーレンは話を先へ進める。

 

「そう。でも、ある時から状況が変わった。きっかけははっきりしていないけど、多くの世界の境目が緩んで、前よりもずっと次元を越えやすくなったらしいんだ。その結果、色んな世界の間で技術や知識のやり取りが急に増えた」

 

「なるほどな……。それが、タヴが言ってた『技術革命』の始まりってやつか」

 

 シュタルクがゆっくりとうなずく。今度はフェルンが、説明を引き取るように落ち着いた声で続けた。

 

「はい。今向こう側では、まさに『黎明期』と呼ばれる時代になっているそうです。次元を移動する手段が広まり、世界ごとに違う技術や魔法が一気に混ざり合い始めている、と」

 

「それで、ギスヤンキとかマインド・フレイヤーとかいう連中が、その流れに乗って力を付けているわけか」

 

 シュタルクは手にした部品をもう一度見つめ直し、低くつぶやく。

 

「だから、こんな変な道具が急に俺たちの世界まで転がり込んできたってことだよな。……でも、そんなふうに一気に進歩して、本当に大丈夫なのか?」

 

 問いかけに、フリーレンは首を横に振る。

 

「全部の世界が上手くついていけているわけじゃないみたいだよ。新しい流れに乗れた世界と、置いていかれている世界の差が、どんどん広がっているそうだ」

 

 フェルンも補うように説明を重ねる。

 

「高度な艦艇で空を自在に飛び回れる世界もあれば、魔法や技術が昔のままほとんど変わっていない世界もあると聞きました。世界同士の間で、進み具合の差が大きくなっている状態ですね」

 

 シュタルクは唸るように声を漏らした。

 

「それは……あまり穏やかな話じゃないよな」

 

 フリーレンは彼の横顔を見ながら、淡々と続ける。

 

「そのまま放っておけば、力を持つ世界が他を支配しようとしたり、反対に、追い詰められた世界が暴発したりするかもしれない。だから、その流れをある程度管理して、衝突を減らすために作られたのが、多元安定機構だよ」

 

 シュタルクは眉間に皺を寄せながら、小さく首をかしげる。

 

「多元安定機構……ええと、何だっけ、それ?」

 

 曖昧な記憶を探るような声に、フェルンはほんの少し呆れた表情を浮かべつつ、すぐに口調を和らげて説明する。

 

「もう……。シュタルク様、本当に忘れてしまっているんですね。多元宇宙の世界同士が、勝手にぶつかり合ったり暴走したりしないように、全体の秩序を守るための組織ですよ。タヴ様が所属していたところです」

 

「ああ、そうだ。それだ、それ。何となく聞いた気はしてたんだけどな……」

 

 シュタルクは思い出したようにうなずきながらも、まだ釈然としない顔で頭をかいた。

 

「正直、多元宇宙がどうこうの話はややこしすぎてよく分からねえ……」

 

 フェルンは柔らかい目つきでうなずき、静かに言葉を継ぐ。

 

「確かに、実際に見たことのない世界の話は想像しづらいですよね。でも、今の状況を考えると、私たちも無関係ではいられません」

 

 フリーレンも穏やかな笑みをわずかに浮かべ、シュタルクの肩を軽く叩いた。

 

「分からないことだらけなのは確かだけどね。とはいえ、これから多元安定機構や異界と関わる機会は増えるだろうし、少しずつ慣れていけばいいよ」

 

 そこで会話はいったん途切れ、荷台の中には車輪の軋む音と馬の蹄の音だけが響く。西の空が徐々に赤く染まり、丘陵の影が長く伸び始めた頃、馬車は丘の中腹に建つ小さな建物の前で止まった。

 

「さて、今日はここで一泊するよ」

 

 フリーレンが外を見ながら告げると、シュタルクも身を乗り出して周囲を確認する。そこは街道沿いに設けられたコーチング・インで、宿と馬の交換所を兼ねた施設だった。

 

 係員が馬車から馬具を外し、別の馬を連れてきて手際よく繋ぎ直していく。慣れた動きには無駄がなく、短い時間で準備が整っていく。コーチング・インは、旅人が途中で休息を取り、馬を休ませたり乗り換えたりするために古くから利用されてきた場所だ。長距離を移動する者にとって、こうした拠点は欠かせない。

 

 係員への挨拶を済ませると、一行は建物の中へ入った。小さな食堂兼休憩所は素朴な造りだが、暖炉の火が部屋全体を温め、柔らかな明かりが木の机や椅子を照らしている。フリーレンたちは軽めの夕食を頼み、席に腰を落ち着けた。

 

 静かな時間が流れる中、シュタルクがふと何かを思い出したように口を開く。

 

「考えてみたんだけどさ。もし、強い魔法を誰でも道具で簡単に使えるようになったら、魔法使いっていらなくなっちまうのか?」

 

 問いかけに、フェルンはわずかに目を細めて微笑む。

 

「いえ、それはないと思います。魔法の道具を作るのも維持するのも、新しい道具を開発するのも、結局は高度な魔法の知識が必要になりますから。むしろ魔法使いは、今より多く必要になるかもしれません」

 

「そういうものか……?」

 

 シュタルクが意外そうな顔を見せると、手元の位相アンカーの部品へ視線を落とす。その様子を見て、フリーレンもゆっくりと補足する。

 

「ただ、魔法使いの役割は今までとは少し変わるだろうね。魔法が使えるだけじゃなくて、道具を設計したり、大勢が安全に使えるように仕組みを整えたりすることが求められるようになるはずだよ」

 

「つまり、これまでとは違う種類の腕前がいるってことか」

 

 シュタルクのまとめに、フェルンがうなずいて説明を継いだ。

 

「はい。多元宇宙の向こう側では、その変化がすでに始まっていて、魔法や戦闘技術を体系的に教える場や、安全に実戦訓練ができる施設を作っているそうです」

 

 シュタルクは眉をひそめ、思い出そうとするように唸る。

 

「そういえば、そんな話もしてたな……。途中で寝ちゃってて、ほとんど覚えてないけど」

 

 申し訳なさそうに言うシュタルクに、フェルンはわずかに肩をすくめる。

 

「そうですね。あの時のシュタルク様は、途中から見事に熟睡されていましたから。覚えていないのも当然です」

 

 フリーレンはそのやり取りを聞きながら、穏やかな表情で言葉を添える。

 

「向こうでは、戦場に出なくても実戦に近い訓練ができる施設が用意されているらしいよ。だから、命を落とす危険を減らしながら、かなりの実力まで伸ばせるようになったって」

 

 フェルンも落ち着いた声のまま、さらに具体的な話を重ねる。

 

「それに、一部の人たちは特殊な方法で寿命を延ばしたり、時間の流れを調整したりして、長い修行期間を確保しているそうです。フリーレン様ほどではありませんが、百年単位で学び続ける人もいるとか」

 

 シュタルクは目を丸くし、思わず声を上げた。

 

「百年も修行するのか……。俺だったら途中で投げ出しそうだな」

 

 フリーレンは軽く肩をすくめる。

 

「長く生きれば誰でも飽きる、ってわけでもないけどね。ただ、全員が同じように時間を使えるわけじゃないだろうし、人によっては無理だろうね」

 

 そう言ってから、フリーレンは暖炉の火を見つめ、静かに息を吐く。

 

「結局のところ、どれだけ便利な技術や魔法があっても、それ自体が悪いわけじゃない。問題になるかどうかは、使う側の考え方しだいだよ」

 

 シュタルクは真剣な目つきで部品を見つめ直し、ゆっくりとうなずいた。

 

「確かに。どんな力でも、扱いを間違えたらろくなことにならないもんな」

 

 食堂兼休憩所には、やがて言葉よりも暖炉の薪がはぜる音の方が目立つようになる。しばらくして、三人は明け方の出発に備えるため、それぞれ割り当てられた部屋へ向かった。こうして一日は静かに終わり、短い休息の夜が訪れた。

 

 *

 

 アストラルの虚空に巨大な浮遊要塞都市トゥナラスが浮かんでいる。幾本もの荘厳な尖塔が真っ直ぐ虚空に伸び、要塞の輪郭を形作っている。要塞の心臓部にある広大な司令室には、精鋭のギスヤンキたちが整然と並び、重い緊張が空気を満たしている。

 

 要塞中央に据えられた巨大な戦略テーブルからは半透明のホログラムが立ち昇り、多元宇宙の各次元で起きているデーモン侵攻の深刻な被害状況を次々に映し出している。その前でひときわ重い存在感を放っているのがギッシュたちだ。ギッシュは強力な剣技と高位の魔法を同時に扱う戦士であり、ギスヤンキ軍の中でも最上級のエリートとして前線の指揮を任されている。

 

 ギッシュの中でも特に歴戦の猛者として知られる司令官が鋭い眼光を放ちながら、低く威圧的な声で状況を告げる。

 

「これは明らかに赤の魔道士団の策略である。我々ギスヤンキ帝国の前線基地や植民地がデーモン共に侵略され、我が軍にも被害が出ている。このまま放置すれば、原始世界への我々の偉大なる侵攻作戦にも重大な影響が生じる」

 

 司令官の言葉を受け、若いナイトが静かに敬礼し、慎重に問いを投げかける。

 

「司令官殿、情報によれば多元安定機構も既に動きを見せています。彼らは赤の魔道士団と敵対しているようですが、一時的にでも我々の敵同士を相打ちさせる戦略を取ることはできないでしょうか?」

 

 司令官は冷徹な眼差しでナイトを見つめ、重々しく頷く。

 

「その可能性は十分に検討に値する。多元安定機構は我らが長年にわたり対峙してきた厄介な存在だが、目下の最優先事項は赤の魔道士団とそれが引き起こすデーモン禍だ。利用できる状況ならば利用し、限定的にでも共同戦線を張り、赤の魔道士団を粉砕せねばならぬ」

 

 その時、沈黙を守っていたサイオニック術士が進み出て、慎重に意見を挟む。

 

「しかし、司令官殿、我々が原始世界に向けての侵攻作戦を遂行するためにも、防衛力の維持は必要不可欠です。早急に各植民地の役割を再定義し、防衛体制を盤石なものとすべきでしょう」

 

 司令官は短く頷き、最終的な命令を下す。

 

「よかろう。全浮遊要塞群は即座に『座標固定化フィールド』を外郭に展開し、デーモンの侵入裂け目を一点に集中させ、敵勢力を効率的に殲滅する。また、地表の前哨基地については、デーモン召喚陣が確認された次元へと迅速に移設を進め、『植民地ごと防壁』として機能させよ。艦載型位相アンカーは即時に撤去し、デーモンに対する自爆トラップを設置することで後追いの侵攻を防げ」

 

 指示を受け取ったナイトや術士たちは威厳に満ちた敬礼を返し、それぞれの任務の遂行へと素早く散っていく。

 

 トゥナラス要塞の発進デッキには、特殊装備を施された小型艦艇が次々と滑り込み、斥候隊員たちがそれぞれの配置に就いている。ナイト指揮官が威圧感のある声で最後の命令を伝える。

 

「デーモンどもの侵入口を即刻特定せよ。同時に多元安定機構の動きも緊密に監視するのだ。接触することがあれば、敵対行動は避け、一時的な共闘関係を検討せよ。最優先事項は赤の魔道士団の駆逐であり、原始世界への我々の侵攻計画に支障を出すことは許されぬ。よいな!」

 

 斥候たちは直ちに胸に拳を強く当て、忠誠を示す。

 

「任務了解!」

 

 一糸乱れぬ声が響く中、艦艇群が静かに発進していく。トゥナラス要塞はアストラルの虚空に浮かんだまま、次々と指令を送り出しつつ活動を続けている。

 

 一方、オリンドールの地下最深部に位置する薄暗く巨大な聖堂とも呼べる空間では、マインド・フレイヤーたちが一糸乱れぬ隊列で無言のまま並び立っている。彼らの中心には巨大なエルダーブレインが浮かび、静かな脈動とともに強い精神の波を放ち、すべてのマインド・フレイヤーの意識をまとめている。

 

 この場に言葉は一切必要とされない。彼らの間では肉声は無意味であり、すべての意思決定と討議は強力な《Psionics(超能力)》の波動を介して行われる。今、その波動がエルダーブレインの巨大な意識によって容赦ない圧迫感となり、彼らの精神に叩き込まれている。

 

【多元宇宙各地においてデーモンどもの侵攻が深刻化している。この無秩序は赤の魔道士団の陰謀によるものだ。彼らの企みは我らの統合意識を脅かすものであり、看過は許されぬ。また、多元安定機構も積極的に介入を始めている】

 

 エルダーブレインの思念は強力で鮮明であり、聖堂の中にいるすべてのマインド・フレイヤーの精神が共鳴し、その意識を完全に共有している。ウリサリッドがエルダーブレインの意思に反応し、即座に思考を重ねた。

 

【多元安定機構は赤の魔道士団と敵対している。我々は彼らを戦略的に利用し、この混乱を早期に収束させることができるだろう】

 

 別のマインド・フレイヤーが深い疑念を投げかけた。

 

【しかしながら、多元安定機構との接触が我々の原始世界への侵攻作戦に影響を及ぼす恐れがある。我々の資源、コロニー、全ての行動を迅速に再評価する必要がある】

 

 エルダーブレインは、冷たい《Psionics(超能力)》の波動でその意識を総括する。

 

【同意する。我々の秩序は絶対であり、何者もそれを侵してはならぬ。標準コロニーは即座に自己防衛のための精神障壁を展開し、汚染領域を隔離せよ。また、周辺の高知能種族がデーモンに飲み込まれる前に迅速に捕獲し、我々の集合意識へ同化させよ】

 

 エルダーブレインの命令に応じるように、周囲のマインド・フレイヤーたちの瞳が怪しく光を強める。さらにエルダーブレインが、揺るぎない意思を告げる。

 

【移動型次元都市はデーモンが放つ混沌のエネルギーを静かに採取せよ。その無秩序を我々が新たなサイオニック兵器の開発に利用するのだ。また、捨てコロニーにおいては防衛を放棄し、あえてデーモンを惹きつけよ。彼らを誘引して消耗させることが我々の真の防衛策となる】

 

 その命令が波動となって広がると、聖堂内にいるすべてのマインド・フレイヤーが即座に同調し、エルダーブレインの意志を完全に受け入れる。それと同時に、議場から調査部隊の編成命令が発せられる。

 

 オリンドール地下都市の巨大な発着場では、サイオニック機能を高めた特殊な艦艇がすでに準備を終え、出発の時を待っている。指揮を執るウリサリッドは、部隊全員に強力な意識の波動を送る。

 

【デーモンどもの侵入経路を迅速かつ正確に特定せよ。また、多元安定機構と接触した際は敵対を避け、彼らの力を限定的にでも利用することを許可する。赤の魔道士団の企みを阻止し、我々の原始世界への介入作戦を速やかに進めるのだ。我々の秩序は何者にも侵されてはならない】

 

 調査部隊員たちは一糸乱れぬ統合意識でその命令を受け入れる。

 

【指示を受諾する。我々の秩序を脅かす赤の魔道士団とデーモンの脅威を即刻排除し、原始世界への作戦を迅速に遂行する】

 

 調査船は強力な《Psionics(超能力)》の波動を発しつつ、静かに滑るようにして浮上していく。彼らの集合意識に一切の揺らぎはなく、その視線はすでに宇宙の深部に潜む混沌へと向けられている。

 

 オリンドール地下深部は再び静寂を取り戻すが、エルダーブレインとマインド・フレイヤーたちが抱く強い決意は揺らがない。多元宇宙における彼らの侵攻計画を進めるための行動は、すでに着実に動き始めている。

 

 多元宇宙では、冷酷な軍事秩序を重んじるギスヤンキと、地下深くで集合意識を操るマインド・フレイヤーという二つの勢力が覇権を争っている。

 

 両者は、それぞれが持つ魔導工学とサイオニック技術を総動員し、新たに生じた混沌の脅威を封じ込めようとしている。彼らが狙う原始世界への侵攻計画が成功するかどうかは、この局面での判断と行動に左右される。この先に待つ結果は、二つの勢力だけでなく、多元宇宙全体の行方にも影響を与えていた。

 

 *

 

 冷たい風が星のように光る雪片を巻き上げ、セリア・イグナリアの銀鱗を容赦なく叩きつけている。彼女が立つここは、多元宇宙の数ある次元の中でもとりわけ混沌と絶望に満ちた、極寒の辺境次元に築かれた前哨基地だ。この氷原一帯そのものが、最前線の戦場になっている。

 

 本来、セリアには別の使命がある。閉ざされた次元の秩序と平和を取り戻せという、神々からの召命だ。しかし今は、多元宇宙を脅かすアンデッド軍勢の掃討に追われ、その任務へ向かうことすらままならない。その行き場のない焦りが、彼女の胸の奥で静かに燃え上がっている。

 

 目の前では、無限とも思えるアンデッドの軍勢が列をなし、骨と腐肉の穢れた姿を晒している。スケルトンの骨がきしみ、ゾンビの腐った肉体が群れを成して北方の凍土を埋め尽くす。その列の中央には、狂気の笑みを浮かべたシアリックの司祭が立っている。

 

 そのさらに奥から、漆黒の鎧をまとったデスナイトが悠然と歩み出てくる。生前に残虐な行いを重ねた末、呪いによって不死の存在と化した強力な亡霊騎士だ。今回のデスナイトは赤の魔道士団によって覚醒させられ、完全な服従の下でその破壊の力を振るっている。蒼白く輝く刃を構え、死の瘴気を漂わせながら戦場へと歩を進めていた。

 

「シアリックの司祭どもめ!罪もなき命を弄び、穢れを撒き散らした罪、その身で贖わせてやる!」

 

 セリアは吐き捨てるように告げると、《Order of the Gauntlet(ガントレット騎士団)》の精鋭たちに鋭い声を飛ばす。

 

「ガントレット騎士団よ、戦列を組め!我らが退けば、この地に生きる民に明日はない! 何としても防ぎ止めるのだ!」

 

 ガントレット騎士団は、正義と秩序の名のもとに悪を討ち払うために存在する結社だ。多元安定機構からの要請を受け、この絶望的な防衛戦に派遣された彼らは、まさに世界の守護者と言える。

 

 騎士団員たちは素早く陣形を組み、輝く鋼鉄の盾を構えてアンデッドの猛攻に備える。

 

「我らガントレット騎士団は秩序の守護者だ!一歩たりとも退くな!」

 

 騎士団長が天を裂くような号令を上げる。その声に呼応し、鋼の鎧をまとった騎士たちが戦列を整え、鋭利な剣を抜いて前方へと進み出る。盾を掲げた前衛が壁を作り、闇の瘴気をまとったアンデッドの波へ正面からぶつかっていく。

 

 その背後では、ガントレット騎士団所属のクレリックが聖なる祈りを捧げ、《Bless(祝福)》の魔法を唱えている。神々の加護が騎士たちの体を包み込み、刃と精神に力を与え、攻撃の精度と踏みとどまる力を引き上げていく。

 

 最前線の少し後方には、狂った笑みを浮かべるシアリックの司祭たちが複数陣取り、呪詛の呪文を唱えながらアンデッドを操っている。その筆頭の司祭が狂気に染まった眼差しで両手を高く掲げ、邪悪な祈りを叫んだ。

 

「狂気こそが真理!偽りの秩序を壊し、この世界を闇に飲み込め!」

 

 司祭の叫びとともに黒紫色の魔力が手元から迸り、《Guiding Bolt(導きの矢)》が邪悪なエネルギーを帯びて騎士団の隊列へ放たれる。その禍々しい光弾が盾を構えた騎士の一人に直撃し、騎士は苦痛に呻きながら膝を突いた。

 

「怯むな!立ち上がれ、我らの正義は揺らぐことはない!」

 

 指揮官が再び叱咤の声を上げる。すぐさま別の騎士たちが隙間を埋めるように前へ出て隊列を整え直し、倒れた仲間を背後のクレリックのもとへ運び出す。

 

 戦場は瞬く間に混乱の極みに達し、騎士団とアンデッド、そしてシアリックの司祭たちの魔法が入り乱れてぶつかり合う。前線の騎士たちは《Sacred Weapon(武器聖別)》を発動し、剣に光をまとわせてアンデッドの群れに次々と斬り込んでいく。刃が振るわれるたびに眩い光が迸り、スケルトンやゾンビが一撃で浄化されて雪上に崩れ落ちた。

 

 その激しい乱戦の中心で、セリア・イグナリアは一歩も退かず、毅然と立ち続ける。銀の鱗に覆われたドラゴンボーンの騎士の体表が光を跳ね返し、猛り狂うアンデッドの群れの中でも圧倒的な存在感を放っている。その視線が、敵軍中央に立つ漆黒の騎士──デスナイトを冷たく捉えた。

 

 セリアは静かに胸甲に刻まれたティアの天秤へ触れ、神への誓いを改めて口にする。

 

「ティアよ、私は誓う。悪に与える慈悲はない。復讐をもって悪を裁き、この世から根絶やしにするまで私は決して止まらない」

 

 その言葉と同時に、彼女の背から眩い白銀の翼が広がる。それは《Oath of Vengeance(復讐の誓い)》を極めた者のみが得る《Avenging Angel(応報の天使)》の力だ。この力を宿すパラディンは、天使のような翼を顕現させて空を自在に飛び、敵に計り知れない恐怖を与える威圧のオーラを身にまとう。

 

 舞い上がったセリアを中心に、《Aura of Menace(威圧のオーラ)》が一気に広がる。その聖なる威圧にさらされたスケルトンやゾンビは動きを止め、震えながらその場に崩れ落ちていった。

 

「許しがたい穢れよ、この世から消え失せろ!」

 

 セリアは雄叫びを上げ、天から一気に急降下する。戦鎚には強大な《Divine Smite(神聖なる一撃)》の力が宿り、振り下ろされる瞬間、戦場全体を包むほどの白光が膨れ上がった。

 

 ハンマーが地を打つと同時に、聖なる衝撃波が噴き上がる。広がった波動が周囲のアンデッドの群れを一瞬で灰燼と変え、その中心に立つデスナイトの鎧さえ激しくきしませた。

 

 だが、デスナイトは容易に倒れる相手ではない。その呪われた黒鎧は衝撃を耐え抜き、彼は冷淡な目でセリアを見上げながら禍々しい剣を掲げる。

 

「正義を語るドラゴンボーンのパラディンよ、その信念もろとも闇の底に沈めてくれる!」

 

 デスナイトが呪われた力を集中させ、《Hellfire Orb(地獄の業火の球)》を解き放つ。漆黒の炎が巨大な球体となって生まれ、凄まじい速度で騎士団の防衛線へ迫った。

 

「守護陣を張れ!我らの信念は地獄の炎などに焼かれはしない!」

 

 騎士団長が全力で号令を飛ばす。その声に重なるように、セリアが天高く戦鎚を掲げる。彼女の体から神聖な光が溢れ、《Aura of Protection(守護のオーラ)》が一段と強く広がっていく。このオーラは聖騎士と周囲の仲間の精神と肉体を守り、あらゆる邪悪な力に立ち向かう力を底上げするティア神の加護の現れだ。

 

 騎士たちの盾列とセリアのオーラが重なり合い、前方に巨大な聖なる防御障壁が形成される。漆黒の業火が轟音とともに障壁に激突し、周囲一帯が炎と爆風に飲み込まれる。しかし、ティアの守護の力は揺るがず、地獄の炎は障壁の外側で弾き返された。

 

「その程度の呪われた炎で、私たちを阻めると思ったか?」

 

 炎が収まり始めるのを確認すると、セリアは空中から怒りをあらわにして黒き騎士へ突進する。戦鎚には、さらなる《Banishing Smite(放逐の一撃)》の力が凝縮されていく。対象を次元の狭間へ追放し、異界の存在に対して絶大な効果を発揮するパラディンの秘技だ。聖なる光が戦鎚の先端で眩い輝きを放つ。

 

「この一撃で消し飛べ、亡者よ!」

 

 ハンマーが振り下ろされる瞬間、デスナイトは素早く黒剣を掲げ、《Parry(受け流し)》で軌道をそらそうとする。両者の武器が激突し、膨大な衝撃が周囲に広がった。近くにいたアンデッドや瓦礫が吹き飛び、粉雪と破片が空中を舞う。

 

 苦悶の色を浮かべながらも一撃をしのいだデスナイトだが、その眼差しには明らかな焦りがにじみ始めていた。それでも彼は口角を吊り上げ、低い声で嘲る。

 

「甘いな、聖騎士よ」

 

 セリアはその挑発を無視し、間髪入れずに翼を広げて旋回する。角度を変えて再びハンマーを叩き込むが、デスナイトもただ受けるだけではない。呪われた黒剣が不気味な瘴気を放ち、刃の上を漆黒の波動が走る。《Dread Blade(戦慄の刃)》──相手を切り裂きながら生命力を腐敗させる死霊の一撃だ。その忌まわしい刃がセリアめがけて振り抜かれた。

 

 再度、刃とハンマーが激しくぶつかり合う。衝突のたびに衝撃が雪原を揺らし、戦場全体が震える。互いに一歩も譲らない攻防が続くが、セリアの神聖な力はじわじわとデスナイトを追い詰めていく。彼女は再び《Divine Smite(神聖なる一撃)》を宿したハンマーを高く掲げ、天へ一度舞い上がると、そのまま勢いを乗せて落下した。

 

「ティアの裁きを受けよ!」

 

 渾身の一撃が降り下ろされる。デスナイトはなおも剣を掲げて《Parry(受け流し)》を試みるが、その力はもはや受け止めきれない。セリアのハンマーが呪われた黒剣を真っ二つに砕き、そのまま漆黒の鎧を貫通した。

 

 聖なる光がデスナイトの内部で炸裂し、内側からその存在を焼き尽くしていく。不死の騎士は叫びを上げる間もなく、眩い光の中で形を保てなくなり、やがて跡形もなく消え失せた。

 

 セリアは消えゆく光を見届けながら、短く言葉を落とす。

 

「闇の中で犯した罪は消えない……その穢れを、償いながら滅ぶがいい」

 

 指揮役を失うと、アンデッドの隊列から一気に統率が抜けていく。命令を失った屍たちは動きに乱れを生じ、騎士団の隊列が再び前へ押し返した。シアリックの司祭たちは必死に呪文を連ねて抵抗するが、騎士団付きクレリックの聖なる呪文がそれらを次々に打ち消していく。

 

 やがて、シアリックの司祭の一人が叫び声を上げた。

 

「何故だ!闇の力が通じないだと?」

 

 それに応じるように、騎士団長が鋭い声で言い放つ。

 

「邪悪なる者よ!お前たちの呪われた闇は、我々の聖なる秩序の前には塵と化すのだ!」

 

 騎士団員たちが一斉に剣を振るい、シアリックの司祭たちを追い詰めていく。

 

 セリアは地上に降り立ち、戦場全体を一度見渡した。混乱が収まりつつあることを確認すると、騎士団員に向かって高らかに声を上げる。

 

「我々の正義は揺らがぬ!闇を退け、この地を守り抜け!」

 

 騎士団員たちは歓声を上げながら隊列を整え直し、残敵の掃討へと向かっていく。

 

 セリアの使命はまだ終わらない。異界の女神によって閉ざされた次元の秩序と平和を守るため、彼女はここで戦い続ける覚悟を新たにした。翼を広げ、再び空へ舞い上がる。閉ざされた次元へ至る道を開くための戦いは、これからも続いていく。

 

 *

 

 薄闇が降り積もる街角で、イーシャ・グレイブレアは静かに息を整えている。

 

 朽ちた建物の隙間を縫って漂う冷たい霧が、彼女の小柄な身体を撫でていく。彼女には本来、ここではない別の使命がある──閉ざされた次元の秩序と平和を守護するという重要な召命が。だが、多元宇宙各地で頻発する侵攻に対処するため、彼女はいまもここで足を止めざるを得ない。

 

 路地の奥ではアンデッドの群れが徘徊し、沈黙した街を蹂躙している。骨を軋ませるスケルトンと、腐肉を垂らしたゾンビが数え切れぬほど通りを埋め尽くし、その後方には闇の瘴気を纏ったヴァンパイアが潜んでいる。彼らを陰で操るのは、シャーの邪悪な聖職者たちだ。

 

「どうやら敵の補給線は、あの廃墟の地下を通っているようですね……」

 

 イーシャの傍らで小声で報告するのは、《Harpers(ハーパーズ)》のエージェントだ。ハーパーズは自由と善を掲げる秘密結社であり、多元安定機構の要請を受けてこの都市の防衛に駆けつけた潜入工作の精鋭たちである。彼らはすでに闇の中で、静かに任務を進めている。

 

「補給線を遮断し、アンデッドの供給を断つ。それがこの侵略を終わらせる鍵よ」

 

 イーシャはそう囁き、イルメイターの護符をそっと握り締める。苦痛と忍耐を司るイルメイターに仕える彼女にとって、この闇に潜む戦いこそが自身の役割に相応しいものだ。

 

 静かに息を吸い込み、彼女は姿を影に溶け込ませる。《Phantom(幻影)》ローグの超自然的な隠密能力によって、その気配は完全に消える。闇に同化した彼女の足取りは音もなく、廃墟の地下へと滑り込んでいく。

 

 そこには邪悪なシャーの祭壇があり、数人のシャーの聖職者が低い声で闇の儀式を唱えている。彼らは周囲に展開したアンデッドの統率を強化し、その力で都市の抵抗を破壊しようとしている。

 

「シスター、都市の様子はどうだ?」

 

 祭壇の前に立つ黒衣の聖職者が、小声で問う。

 

「問題ないわ。シャーの闇がこの地を覆った以上、抵抗する者など現れるはずもないでしょう」

 

 その言葉が終わるより早く、彼女の背後に小柄な影がすっと現れる。

 

「その確信が、あなたたちの傲慢よ」

 

 イーシャの囁きと同時に、彼女の短剣が鮮やかな軌跡を描いて聖職者の首筋を切り裂く。瞬間的に放たれた不可視の嘆き──《Wails from the Grave(墓より響く嘆き)》が発動し、周囲の聖職者の精神を直接揺さぶる。彼らは呻きながら床に崩れ落ち、その音に地下室の奥からヴァンパイアが反応して飛び出してくる。

 

 ヴァンパイアはかつて、ある次元で赤の魔道士団が行った非道な儀式によって蘇った支配者だ。彼はもともと悪名高き貴族であり、その残虐性と闇の力を見込まれ、蘇生の代償として彼らに忠誠を誓わされた存在である。自由を奪われる代わりに、絶大な闇の力を授けられている。

 

 鋭敏な感覚を持つヴァンパイアは、廃墟の地下回廊で気配を感じ取ると、即座に鋭く辺りを見回す。その赤い瞳は闇の中で光り、僅かな揺らぎすら見逃さない。

 

「……我が領域を踏み荒らす不届き者よ、姿を見せよ!」

 

 ヴァンパイアは怒りを露わにしながら指を鳴らす。指先から生じた闇の波動が周囲の影を揺さぶり、イーシャの隠された気配を強引に探り出そうとする。

 

 だがイーシャ・グレイブレアの姿は影と同化し、《Phantom(幻影)》ローグの能力で完全に闇の一部となっている。闇の波動は彼女のすぐ傍を通り抜け、何もない空間を撫でて消え去った。

 

「姿を現さぬならば、こちらから探し出すまでだ!」

 

 ヴァンパイアは鋭い動きで廃墟の中央に立ち、闇の魔力を凝縮させる。

 

「《Children of the Night(夜の子供たち)》よ、我が前に集え!」

 

 彼の声に応じて蝙蝠の群れが影から沸き立ち、瞬く間に周囲の空間を満たす。鋭敏な感覚を持つ蝙蝠たちが音もなく飛び交い、周囲を探っている。イーシャは息を殺し、僅かな隙間を縫って蝙蝠の感知を避ける。影に溶け込んだまま、短剣を構えて慎重に狙いを定める。

 

(焦ってはいけない。確実に仕留めるために……)

 

 イーシャが僅かに動きを見せたその瞬間、ヴァンパイアが即座に反応する。超自然的な敏捷性を持つヴァンパイアは音もなく彼女の方へと駆け寄り、鋭い爪を振り下ろす。

 

「そこか!」

 

 しかし、その攻撃が届く直前、イーシャは《Uncanny Dodge(直感回避)》で身をさばく。超常の勘が先に働き、身体をわずかに捻って軌道を半身で外す。爪はイーシャのジャケットを浅く裂くだけに留まり、その鋭さは空中で空振りに終わった。

 

「……良い動きだ、ハーフリングのローグよ」

 

 ヴァンパイアは冷たく笑いながらイーシャに向き直る。赤い瞳が残忍な好奇心に輝いている。

 

「だが、その程度の技ではこの私には敵わぬ。影に潜むお前の正体を暴いてやろう」

 

 そう言ってヴァンパイアは闇の呪文を唱え始める。《Charm(魅了)》の魔力が彼の瞳に集まり、見る者の精神を捕らえようと迫る。

 

 イーシャは直感的に危険を察知する。自分の精神を集中させ、信奉するイルメイターの慈悲を心に唱える。

 

「イルメイターよ、この誘惑に屈しない力を……!」

 

 魅了の魔力が迫るが、イーシャの精神は揺るがない。慈悲と苦難を司るイルメイターの加護を受けた彼女の心には、あらゆる闇の呪術を跳ね返す意志が満ちている。

 

 ヴァンパイアが僅かに眉をひそめる。

 

「魅了が通じぬとは……小癪な!」

 

 彼は苛立ち、再び闇の魔力を込めた攻撃を放とうとする。しかし、その一瞬の隙を逃さず、イーシャは反撃に転じる。

 

「今度はこちらの番よ」

 

 イーシャは素早く闇に紛れ、《Steady Aim(狙いすまし)》で集中を高めると、制御しきった軌跡で短剣を投げる。刃は音もなく空気を裂き、ヴァンパイアの胸を正確に貫く。

 

「ぐっ……!」

 

 ヴァンパイアが呻き、その身体がよろめく。しかし、アンデッドである彼は致命傷を負っても即座には倒れない。

 

「これしきで私が倒れるとでも思ったか!」

 

 ヴァンパイアは傷口から流れる血を力へと変え、《Regeneration(再生)》の力で傷を即座に回復させようと試みる。だが、短剣にはイルメイターの聖なる祝福が込められている。再生を阻害する聖なる力が、ヴァンパイアの身体の回復を完全に妨げる。

 

「馬鹿な……再生が……できないだと……!」

 

 ヴァンパイアは動揺し、身体が急速に崩れ始める。その隙を逃さず、イーシャは即座に接近する。彼女の手には新たな短剣が現れ、《Wails from the Grave(墓より響く嘆き)》の力が刃に宿る。

 

「これがイルメイターの名において、お前に下される裁きよ!」

 

 静かな囁きと共に、短剣はヴァンパイアの心臓を完全に貫く。その一撃に込められた墓の嘆きがヴァンパイアの魂を内側から破壊し、断末魔を許すことなくその存在を消し去る。ヴァンパイアは力なく膝をつき、身体が灰へと崩れ落ちていく。その瞬間、周囲を満たしていた不浄な魔力が急速に霧散した。

 

 その頃、廃墟の外周ではハーパーズのエージェントたちとシャーの聖職者たちが、緊迫した隠密戦を繰り広げている。闇に包まれた街角は、張り詰めた静寂に支配されている。シャーの闇の祝福を受けた聖職者たちは、暗黒の魔力を操りつつ、アンデッド軍団を背後から支援している。

 

「我らが女神シャーの御前に、無力な潜入者どもめ。その愚かな正義ごと、闇に葬ってやろう」

 

 シャーの聖職者の一人が低く呟き、冷笑を浮かべる。その瞬間、周囲の闇が濃密になり、感覚を奪う魔法──《Darkness(暗闇)》が空間を覆う。

 

「しまった……!」

 

 ハーパーズの若いエージェントが思わず呻き、動きを止める。視界と聴覚が奪われた闇の中では、鋭敏な感覚だけが命綱となる。しかし、経験豊かなハーパーズの隊長が即座に反応する。

 

「動揺するな!焦れば相手の思う壺だ。落ち着いて行動しろ!」

 

 冷静な指揮のもと、エージェントたちは静かに呼吸を整える。ハーパーズは自由と正義のために闇の中で戦う秘密結社であり、闇や恐怖に抗う術を誰よりも知っている。

 

 だが、シャーの聖職者たちはさらに呪文を唱え、闇の中で追撃を試みる。

 

「逃げられると思うな!我らが女神シャーの闇から逃れられる者など存在しないのだ!」

 

 彼らは《Inflict Wounds(傷付与)》の呪文を唱え始める。その闇の魔法は接触した対象の生命力を強制的に奪い取り、皮膚や肉を内側から破壊する凶悪な術だ。暗黒の魔力が空間を切り裂き、闇の中で見えない刃のように迫る。

 

「伏せろ!」

 

 隊長の叫びでエージェントたちは身を低くし、呪文の衝撃を巧みに避ける。鋭い闇の力は彼らの頭上を通り抜け、背後の壁を焼く。

 

 一方、イーシャはすでに別の位置に回り込み、慎重に闇の背後を狙っている。

 

「……援護するわ、待っていて」

 

 彼女は小声で囁きながら、《Phantom(幻影)》のローグ特有の超自然的な隠密能力を使い、シャーの聖職者たちの背後へと忍び寄る。聖職者たちはエージェントたちに意識を向けており、彼女の存在には全く気づいていない。

 

「イルメイターよ、罪なき者たちを守るために──」

 

 彼女の手に握られた短剣が、《Wails from the Grave(墓より響く嘆き)》の力を纏う。その刃は静かに、正確に闇を切り裂き、一人の聖職者を瞬時に倒す。

 

「な……!」

 

 残った聖職者たちが振り向いた瞬間、エージェントの隊長が鋭く声を上げる。

 

「今だ!攻めろ!」

 

 エージェントたちは即座に反応し、影から飛び出しつつ、《Sneak Attack(急所攻撃)》を駆使した短剣の連続攻撃でシャーの聖職者たちを取り囲む。

 

「小賢しい……!我らを侮辱するか!」

 

 聖職者たちは激昂し、再び闇の魔法で反撃を開始するが、ハーパーズの隊長は冷静にその挙動を読み切っている。

 

「敵は冷静さを欠いている。この機を逃すな!」

 

 隊長の指示の下、エージェントたちは正確に闇の呪文を避け、その反動を利用して攻撃を仕掛ける。短剣と魔法が闇を切り裂き、聖職者たちの陣形を乱していく。

 

 闇の中に響くのは、魔法と金属が交差する鋭い音だけだ。シャーの聖職者たちは徐々に数を減らされ、その闇の儀式も中断され始める。その間もイーシャは冷徹に戦況を見つめ、影に潜みながら次の標的を捉えている。

 

「あなたたちの呪いはもうここで終わりよ。イルメイターの慈悲を知りなさい」

 

 そう呟くと、再び影の中から飛び出し、残る聖職者の背後に短剣を突き立てる。断末魔すら上げる間もなく、最後の敵は崩れ落ち、闇の呪文は完全に消え去る。

 

 やがて静寂が戻る。ハーパーズのエージェントたちは互いに安堵の息を漏らし、イーシャに向かって頷いた。

 

「ここは完全に制圧しました。アンデッドの統率も乱れるはずです」

 

 エージェントの隊長が報告すると、イーシャはそっと護符を握り締める。

 

「補給路は断った。これで多元安定機構が地上で掃討作戦を進められる……彼らと連携して、ここから完全に敵を駆逐しましょう」

 

 イーシャは静かにそう告げると、再び影に溶け込む。誰にも知られず、誰にも称えられないその静かな戦いの中で、彼女はイルメイターの慈悲を胸に、閉ざされた次元の秩序と平和を守る使命を全うし続けていく。

 

 *

 

 フリーレンたちがオイサーストの街を進み、大陸魔法協会北部支部へ向かい始めた頃には、朝の柔らかな陽光が街並みを穏やかに照らしていた。

 

 大陸魔法協会北部支部は、都市の奥にある小高い台地の上に堂々と立っている。淡い色合いの石造りの建物は、控えめながらも格式のある佇まいを見せ、中心には高く伸びた白亜の塔がそびえ立っていた。湖からの風が柔らかく吹き抜け、周囲の静けさと相まって荘厳な雰囲気を醸し出している。

 

 フリーレン、フェルン、シュタルクの三人が広場に足を踏み入れると、以前訪れた時には存在しなかった奇妙な設備が広間の隅の方に設置されているのが視界に入った。床面には柔らかな感触を持つ特殊な素材が敷かれており、それは樹脂と魔力を組み合わせたもので、衝撃を効果的に吸収するためのものだと容易に推察できた。

 

 だが、最も目を引いたのは、その設備を四方から囲むように立つ八体の巨大な二足歩行ゴーレムだった。滑らかで無機質な肌を持つ巨躯は彫像のように表情がなく、肩部には重厚な防具が装着されている。その体躯は堅牢な粘土と精緻な魔法で形成されており、全身から淡く穏やかな魔力が滲み出ている。

 

 シュタルクは眉をひそめ、興味深そうにそのゴーレムたちを見つめていた。

 

「なあ、あのゴーレム、前はなかったよな?あんな人型の巨大ゴーレムを八体も配置するなんて、協会も随分と気合が入っているな」

 

 フェルンもまた、静かな瞳でその設備を注意深く観察しながら、小さく首を傾げる。

 

「警備用ではないようですね。床面の衝撃吸収材や、周囲に施された魔法を見る限り、何か重要なものを搬送するために見えます。恐らくあのゴーレムが護衛や搬送を担当するのでしょう」

 

 フリーレンは静かに頷き、ゴーレムの無表情な顔を淡々と見つめて呟く。

 

「確かにそうだろうね。協会がこんな大掛かりな設備を準備するということは、よほど危険か重要な物を扱う予定があるんだろう」

 

 三人は改めて協会の建物に向かい、入口を通って静かな受付ホールへと入った。受付カウンターの前に立ったフェルンは、坑道での出来事を協会に正式に報告するため、フリーレンとシュタルクに振り返り、一言告げた。

 

「それでは私は報告手続きをしてきますので、ここで待っていてください」

 

 フリーレンとシュタルクは無言で頷き、受付から離れた待合席にゆったりと腰掛けた。静かで落ち着いた空間にしばし沈黙が訪れると、シュタルクは軽く溜息をついて小声で話す。

 

「協会への報告って思ったより時間がかかるんだな。もうちょっと簡単に済ませられないもんかな?」

 

 それに対し、フリーレンは淡々とした口調で答えを返した。

 

「重要な情報であればあるほど確認も多くなるのは仕方ないことだよ。特に位相アンカーのような異界の技術となればね」

 

 やがて、報告を終えたフェルンが静かに二人の元へ戻ってきた。シュタルクが軽く首を傾げて彼女の顔を見る。

 

「どうだった?」

 

 フェルンは落ち着いた声で小さく頷きながら答える。

 

「とりあえず村への人員派遣は検討してくれるそうです。協会も現在は対応が追いついていないようですが、重要案件として取り扱うとは言っていました」

 

 その報告にフリーレンは安心したように軽く頷き、三人は連れ立って受付ホールを出て、協会の外に広がる広場へと再び戻った。

 

 だが、三人が協会の建物を一歩出た途端、広間の隅に設置されたゴーレムたちが囲む奇妙な設備から突如として鮮烈な閃光が放たれた。中心から迸るような稲光が空間を鋭く走り、雷鳴に似た轟音と共に空気が激しく渦巻き始める。嵐のような魔力がうねりを上げ、周囲の空間が荒々しく歪み始める。

 

「何だこれ!?」

 

 シュタルクが驚いて声を上げ、フリーレンとフェルンも振り返った。目の前で歪む空間から現れたのは、血まみれの兵士や魔法使いたちを伴ったタヴの姿だった。彼自身のローブも鮮血に染まり、ひどく疲れた表情を見せている。

 

「おい、タヴ!大丈夫なのかよ、その血は!?」

 

 シュタルクは慌てて駆け寄り、フリーレンやフェルンも素早くその場へ向かった。しかしタヴは驚きながらも落ち着いた様子で手を軽く振り、彼らを制止した。

 

「オイサーストに戻っていたのか。心配ない、これは俺の血じゃない。ギスヤンキの位相アンカーを破壊する作戦に同行したんだが、奴らの抵抗が予想以上に激しくてな。特に重症を負った者を連れて《Teleport(瞬間移動)》で移動してきたんだ」

 

 タヴの話を聞いているうちに、待機していた八体のゴーレムが一斉に動き出す。頑強な腕で傷ついた兵士たちを丁寧に抱え上げると、ゴーレムの掌から温かな回復魔法が発動した。

 

「なんと……ゴーレムが《回復魔法》を扱えるとは。一体いつからこんな改良が施されたんだ?」

 

 驚きの声を上げたのは、広場に駆けつけてきた治癒師たちの一人だった。他の治癒師も驚愕の表情を浮かべている。ゴーレムは迅速かつ丁寧に負傷者を抱え、治療施設へと急いで運び去った。治癒師たちも、その後を追うようにして治療施設へと向かっていった。

 

 フリーレンはその光景を静かに見守りながら、周囲の設備や状況を確認するように視線を巡らせ、小さく呟く。

 

「なるほど……ここに設けられた設備は、魔法で運ばれてくる負傷者を迅速に搬送して治療するためのものだったんだね。それにしても、あの傷だと相当な重症だけど、大丈夫なのかな」

 

 タヴは軽く頷き、疲労の残る顔つきのまま答える

 

「問題ないだろう。ここで適切な治療を受ければ必ず助かるはずだ。協会も迅速な対応をしてくれているしな」

 

 シュタルクはそのやり取りを聞き、少し考え込むような素振りを見せると、表情を引き締め、真剣な眼差しで問いかけた。

 

「肝心の位相アンカーの破壊作戦はどうだったんだ?無事に成功したのか?」

 

 タヴは淡々と、しかし自信に満ちた口調で応じる。

 

「ああ、位相アンカーの破壊自体は成功した。ギスヤンキは激しく抵抗したが、最後に撤退を始めたところをこちらが追撃して、かなりの数を討ち取った。後の細かい処理は、向こうの現場に残した部隊に任せてきたから大丈夫だ」

 

 フリーレンたちはその報告を聞いて安堵したように軽く頷き、タヴは軽く手を振って《Prestidigitation(奇術)》を小声で唱えた。まずローブの胸元付近が綺麗になり、続いて袖口、肩、裾と次々に呟くように魔法を繰り返すと、血に染まっていたローブ全体が元の清潔な状態へと戻った。その様子を見て、フェルンは思わず感嘆の声を上げる。

 

「本当に便利な魔法ですよね、《Prestidigitation(奇術)》というのは。私にも教えていただきたいくらいです」

 

 タヴは困ったように苦笑しながら返答した。

 

「ああ、これは確かに便利だが、俺はソーサラーだからな。体系的に魔法を人に教えるのは難しいんだ。悪いな、フェルン」

 

 ソーサラーは生まれ持った特異な血脈や魔力の源から直感的に魔法を操る。魔法の理論や術式を体系的に学び、精密に構築して行使するウィザードと違い、他人に順序立てて魔法の発動方法を説明し教えることは、ソーサラーにとって非常に困難な作業となる。

 

 フェルンは柔らかな微笑を浮かべ、軽く頷いた。

 

「仕方ないですよね。でも、見ているだけでも十分勉強になります」

 

 シュタルクはふと我に返ったように、タヴに問いかける。

 

「ところでさっきタヴが言ってた魔法、《Teleport(瞬間移動)》だっけ?一体どんな魔法なんだ?」

 

 タヴはしばらく考え込むようにしてから、落ち着いた口調で答えを返す。

 

「《Teleport(瞬間移動)》は自分と目に見えている八人までの生物、あるいは一つの物体を瞬時に遠隔地へ移動させる魔法だ。物体の場合は大きさがせいぜい三メートル四方程度で、誰かが掴んだり持ち運んでいないものに限られる。いずれにしても、目的地の正確な情報がなければ危険が伴うから注意が必要だがな」

 

 フリーレンは驚きを隠さず、小さく息をついた。この世界にも瞬間的に移動する魔法は複数存在しているが、それらはいずれも視界の範囲内や限られた距離内に限定されたものばかりだ。

 

 距離を問わず自由に瞬間移動できるような魔法は、人類の魔法体系には定義されておらず、一部の大魔族やゼーリエのような存在であれば、もしかすると可能かもしれない──という程度の話でしかなかったからだ。

 

「距離を問わず自由に移動できる魔法が、個人で使用可能なレベルまで体系化されているなんてね……。運べる人数や物体の大きさまで明確に決められていて、徹底的に汎用化されているのは、本当に驚かされるよ」

 

 タヴはフリーレンの反応に対して、少し補足するように付け加える。

 

「まあ、《Teleport(瞬間移動)》は誰にでも簡単に扱えるわけじゃないけどな。魔力の消費も大きく、精密な制御が必要だから長めの訓練期間もいる。だから、実際に個人レベルで自由に使いこなせる魔法使いは多くない」

 

 すると、フェルンが以前から気になっていたように、ややためらいながら新たな疑問を口にした。

 

「……あの、ずっと気になっていたのですが、ソーサラーは体系的に魔法を学べないのですよね?タヴ様は、《Teleport(瞬間移動)》のような魔法をどうやって習得したのですか?」

 

 その質問に、タヴは少し驚いたように目を瞬き、軽く笑って頷きながら答えを返した。

 

「ああ……そういえばちゃんと言ってなかったな。ソーサラーの魔法習得方法の一つに、自分自身が魔法を直接体験して、体感的に習得するやり方がある。多元安定機構が運営する特殊な訓練施設があってな。俺はそこで実際に魔法の影響を何度も経験し、自分の内にある魔力を引き出す感覚を掴んだんだ」

 

 タヴは言葉を選びながら説明を続ける。

 

「《Teleport(瞬間移動)》の場合もそうだ。最初は経験豊富なウィザードに同乗させてもらい、移動の感覚や魔力の流れを直接体感した。何度も繰り返すうちに魔法と俺自身の魔力の波長が一致して、徐々に自分自身で発動できるようになった──そういう仕組みだ」

 

 フェルンはその説明に深く納得し、感嘆したように口を開く。

 

「なるほど……。魔法を学ぶというよりは、自分の中に眠っている力を直接引き出すための訓練を積む、という感じなのですね」

 

「まあ、それだけにリスクもあるし、完全に安定して習得できる保証もないんだがな」

 

 タヴの声には微かな自嘲が滲んでいたが、同時に自負も感じられた。シュタルクは困惑と興味を混ぜ合わせたような顔でその話を聞きながら、首を傾げる。

 

「よくわかんねえけど、要は実戦や体験で鍛えるってことか?」

 

 タヴは軽く頷いて笑う。

 

「その通りだ。理屈じゃなくて、自分自身で魔法を感じ取る力が大事なんだ」

 

 その後、彼はふと思い出したように視線を三人に向けた。

 

「ところで、しばらくオイサースト郊外で修行すると言っていたはずだが、もう戻ってきたのか?何か問題でもあったのか?」

 

 フェルンが一歩前に出て、落ち着いた表情で説明を始める。彼女の声は簡潔で明瞭であり、事態の深刻さと重要性を的確に伝えていた。

 

「私たちは村からの依頼で、郊外にある古い坑道の調査に向かいました。そこでマインド・フレイヤーの位相アンカーを発見したのです。フリーレン様の適切な指揮もあり、なんとか破壊に成功しました。その結果を協会に報告するために、こうしてオイサーストへ戻ってきたんです」

 

 タヴはフェルンの説明を聞くなり眉を大きく持ち上げ、強い関心を示した。彼は腕組みをすると、彼女の言葉を確かめるように問い返す。

 

「マインド・フレイヤーの位相アンカーを見つけて破壊したのか?それはまた興味深い話だな……もう少し詳しく状況を教えてくれないか?」

 

 フェルンは小さく頷き、慎重に言葉を選びつつ、さらに詳細に状況を語った。

 

 坑道内部の異質な魔力の歪みを発見し、奥深く進んだところに位相アンカーが設置されていたこと。

 

 その周囲にはマインド・フレイヤーと眷属が護衛として待機していたこと。彼らとの激しい戦闘の末、装置を協会が提示した方法で無事に破壊したこと。

 

 そして位相アンカーを破壊した後も、周辺を調査したが、特に他には異常なものや手がかりとなる物品は見つからなかったこと──これらを、フェルンは端的に整理して伝えた。

 

 タヴは黙ってその話を聞き終えると、深く思索に沈むように腕を組み、小さく頷く。

 

「なるほど……つまり、この世界の魔法でも問題なく位相アンカーを破壊できるってわけか。これは大きな成果だな」

 

 だが、タヴの表情には微かな違和感が浮かんだ。フェルンの説明によれば、彼女たちが遭遇したマインド・フレイヤーは明らかに《Arcane Magic(秘術魔法)》を行使している。そしてアルカニストと呼ばれる、特に魔法に秀でた個体が同行していたという点に、タヴは内心で疑問を感じていた。

 

(……アルカニストのような《Arcane Magic(秘術魔法)》を用いる個体が位相アンカーの防衛についていたとは妙だな……。何か特別な理由でもあるのか?)

 

 しかし彼はその考えを一旦脇に置き、ふっと表情を和らげた。

 

「まあ、とにかくまずは位相アンカーを破壊できたことを喜ぶべきだ。あんたたちはすごいな。俺が同じ状況にぶっつけ本番で立たされたとしたら、おそらく破壊には手こずっただろうな」

 

 そう言って、タヴは感心したように三人の顔を順番に見た。フェルンはその言葉を受け、少し恥ずかしげに微笑みながら首を横に振った。

 

「いえ、今回の件はフリーレン様の精神防御のおかげです。師匠の防御がなければ、私やシュタルク様だけではあの状況を乗り切れなかったと思います」

 

 タヴはそれを聞いて軽く吹き出すように笑った。彼の表情には、マインド・フレイヤーが精神魔法を無効化された時の狼狽する様子を想像して楽しんでいるかのような悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。

 

「ははっ、それは奴らもさぞかし面食らっただろうな。人の精神を操ることに関しては絶対の自信を持つ連中だからな。思い通りにならずに慌てふためく様子が目に浮かぶよ。まったく、ざまあみろって感じだな」

 

 シュタルクもまた、タヴの言葉に大きく頷きながら胸を張った。

 

「そうだな、あいつら驚いてたぜ。俺は最初ヒヤヒヤしたけどな。あの精神攻撃ってやつ、フリーレンが全然平気な顔して受け流してるのを見て、少し気の毒になるくらいだったぞ」

 

 フリーレンはそんな二人のやり取りを穏やかに見守っていたが、フェルンに視線を向けて静かに問いかけた。

 

「私としては、特別なことをしたつもりはないんだけどね。まあ、結果的に役に立ったなら良かったよ」

 

 タヴは改めて真剣な表情に戻り、再びフェルンに視線を戻した。

 

「ともかく、詳しい状況が分かったのはありがたい。できれば俺も実際の現場を確認して、マインド・フレイヤーの目的を探りたい。手間をかけて悪いが、後日現地へ《Teleport(瞬間移動)》で移動するために、《Associated object(関連物品)》があるなら借してもらえないか?あと場所の詳細な情報も教えて欲しい」

 

 フリーレンは少し困惑したような表情を浮かべ、聞き慣れない言葉を問い返した。

 

「《Associated object(関連物品)》っていうのは?」

 

 タヴはそれを予想していたかのように、落ち着いて説明を始めた。

 

「《Teleport(瞬間移動)》で安全かつ正確に場所を特定して移動するためには、六か月以内に目的地から持ち出された物品が必要なんだ。それを媒介にして魔法的に座標を確定させる。これがないと、《Off Target(座標ずれ)》、《Similar Area(類似領域)》、《Mishap(大災難)》といった危険が伴うことになる」

 

 フェルンが興味深げに首を傾げて質問を重ねる。

 

「それらは具体的にどんな現象なんですか?」

 

 タヴは簡潔に、だが分かりやすく説明した。《Off Target(座標ずれ)》とは、目標地点からある程度離れた場所にずれて出現してしまう現象。

 

 《Similar Area(類似領域)》は、目的地に指定した場所と似た別の地点に誤って移動してしまうこと。

 

 そして最も危険な《Mishap(大災難)》は、魔力が暴走し、術者や同行者が深刻な負傷を負ってしまう可能性があるというものだった。

 

 フリーレンはその説明を聞くと、ますます好奇心を刺激されたらしく、興味深げに身を乗り出す。

 

「それは非常に興味深いね……《Teleport(瞬間移動)》という魔法は、一体誰がどんな経緯で開発したものなの?」

 

 タヴはやや困ったように口元を歪め、小さく頭を掻いた。

 

「あー……それを語るとなると、かなり長くて複雑な話になるぞ。確か、《Teleport(瞬間移動)》の元になった魔法は、はるか昔の大魔法使いオベロンが──」

 

 しかし、彼が語り始める前にシュタルクが軽く手を振って制止する。

 

「おいおい、その話を始めたら終わらねえぞ。フリーレンがそんなこと聞き始めたら、日が暮れるどころじゃ済まなくなる」

 

 フェルンもそれに同意するように、静かに微笑みつつフリーレンを宥めるように口を挟む。

 

「確かにそうですね。続きはまた次の機会にしませんか?」

 

 フリーレンは残念そうな表情をしつつも、二人の言葉に仕方なく頷いた。

 

「それじゃ仕方ないね。また今度、ゆっくり聞かせてもらおうかな」

 

 タヴはそのやり取りを微笑ましく見ていたが、改めて真面目な表情に戻り、再びフェルンへと視線を戻した。

 

「それで、さっき話してくれた坑道の位相アンカーの件だが、俺も直接現地を確認したいんだ。《Teleport(瞬間移動)》に使うための《Associated object(関連物品)》を借りたいんだが、何かないか?」

 

 フェルンは少し申し訳なさそうな顔をし、小さく頭を下げるようにして返した。

 

「あの坑道で回収した位相アンカーの部品は、協会への報告の際にすでに提出してしまいました。協会の人に事情を説明して、一時的に借してもらうことも可能かもしれませんが……」

 

 タヴは彼女の言葉を穏やかに手を振って止めた。

 

「いや、そんな面倒なことをしなくても大丈夫だ。坑道そのものではなくても、近くの村に《Teleport(瞬間移動)》できればそれでいい。その村で拾ったり買ったりした物はないか? 掌に収まるくらいの大きさの物であれば、何でも構わない」

 

 シュタルクはそれを聞くと、思い出したようにポケットに手を差し込む。

 

「あの村で依頼を受けた時、村の人がお守り代わりにってくれたものがあるんだ。それでよけりゃ渡せるぞ」

 

 タヴはその言葉を聞いて軽く頷き、静かな口調で応じる。

 

「ああ、それなら全く問題ない。その村で作られ、誰かが実際に持っていた物なら十分《Associated object(関連物品)》に使える」

 

 シュタルクはポケットから小さな木彫りの飾りを取り出すと、それをタヴに向けて差し出した。彫刻は素朴だが温かな作りで、村の職人が手作りしたのが一目で分かる。

 

「ほらよ、村の土産物らしいぜ。別に特別なものじゃないけどな」

 

 タヴは木彫りの飾りを慎重に受け取り、手の中でそれを確かめるように軽く転がしながら礼を言う。

 

「ありがとう。これがあれば座標を確定できる」

 

 彼は飾りを注意深くポーチに収めると、改めてフリーレンたちに向き直った。

 

「あとは、その村の名前と周囲の地形についても詳しく教えてくれないか。《Associated object(関連物品)》があっても、場所について知らないと、目的地を指定できないからな」

 

 フェルンは慎重に頷くと、記憶を整理しながら落ち着いた口調で語り始めた。

 

「村の名前はリューデル村です。オイサーストから北東に馬車で一日半ほどの距離にある小さな村で、丘陵地帯に囲まれています。村の東側には深い森が広がり、その森と丘陵に挟まれた場所に村が位置しています。村の中央には古い石造りの井戸があり、その横に大きなオークの樹が立っています」

 

 タヴは静かに目を閉じ、その情報を頭の中で慎重に整理しているようだった。彼は小さく頷きながら慎重に言葉を続ける。

 

「よし、それだけ詳しい情報があれば十分だろう。あとは念のため地図も後で確認しておくか」

 

 シュタルクは、少し心配そうに眉をひそめながら問いかけた。

 

「本当にそれで大丈夫なのか?さっき、《Mishap(大災難)》とか怖いことを言ってたけど……」

 

 タヴはシュタルクの不安を受け止め、声の調子だけを穏やかに落とした。

 

「大丈夫だ。《Mishap(大災難)》というのは、まったく知らない場所や情報が曖昧な場所へ移動しようとした時に起こりやすい現象だ。今回は村の詳しい風景も分かって、《Associated object(関連物品)》もあるから、安全に移動できるはずだ」

 

 フリーレンは興味津々な表情でタヴを見つめている。

 

「聞けば聞くほど面白い魔法だね、《Teleport(瞬間移動)》というのは……。その魔法のオリジナルを生み出した大魔法使いオベロンの話も気になるね」

 

 タヴは軽く笑いながら、フリーレンの好奇心に応えるように返した。

 

「こっちの件が落ち着いたらまた話そう。相当長い話になると思うがな」

 

 彼のその言葉に、フリーレン、フェルン、シュタルクの三人は頷く。そして、各々が次なる行動へと思いを巡らせ始めていた。

 

 *

 

 ノルム商会本館、その最上階に設けられた荘厳な会議室には、北部高原の運命を背負う者たちの張り詰めた緊張が漂っていた。

 

 商会幹部が円卓を囲み、民政官や衛兵隊長らが苦渋の表情を浮かべる。円卓中央には地図や報告書が散乱し、それらを読み上げる声は重々しく、憔悴の色が色濃く現れている。

 

「──本日の報告は以上となりますが、各地の被害状況は悪化の一途を辿っています」

 

 若い民政官が疲れきった表情で報告を締め括ると、商会幹部の一人が深刻な眼差しを向けた。

 

「マインド・フレイヤー、ギスヤンキ、そして魔族。この三者が各地で争いを繰り広げ、北部高原の村々が巻き込まれている……ということだな?」

 

「その通りです。特に小規模な村落は、まともな防衛機構を持たず、戦闘に巻き込まれて壊滅状態に陥っています。現在の兵力では防衛どころか被害の調査すら満足に進んでおりません」

 

 別の民政官が疲労のにじむ声で引き継いだ。

 

「現状では兵力不足が深刻です。通常の兵だけでは到底足りず、市民を強引に民兵化する形で対応していますが、これは市民の不満を招き、士気低下にも繋がっています」

 

 衛兵隊長が厳しい口調で補足した。円卓に座る幹部たちは、その報告に深刻な表情を隠さなかった。

 

「また、死傷者があまりにも多すぎて、共同墓地の埋葬処理が完全に追いついていません。このまま放置すれば遺体の腐臭が魔物を呼び寄せ、さらなる被害拡大を招く可能性があります」

 

 民政官の報告に、場の空気が一層冷え込んだ。現実を受け入れ難い沈黙が一瞬広がる中、ノルム商会幹部の一人が、ため息混じりに口を開く。

 

「都市外への遺体搬送も、安全を保障できない。下手に動かせば、移送隊ごと魔物に襲撃されかねん」

 

 静かだが重々しいその言葉に、誰もが言葉を失った。窓の外では雲が厚く垂れ込め、荒れ果てた北部高原の陰鬱な空気がそのまま室内にまで浸透しているようだった。幹部たちが顔を見合わせても、解決策を見いだせる者は一人もいなかった。

 

 この絶望的な状況を、誰もが重く胸に受け止めていた。会議が再開すると、商会の幹部が強い口調で言い放った。

 

「遺体の処理についてだが、もはや従来通りの埋葬など悠長にやっている場合ではない。すべて焼却処分すべきだ。魔物を寄せつけないためにも、この決定は避けられんだろう」

 

 だが、その言葉に即座に異を唱えたのは神殿から派遣された宗教関係者だった。

 

「その発言には到底同意できません。亡くなった方々への敬意と鎮魂は絶対に必要です。伝統的な埋葬方法を守らなければ、人心の荒廃はさらに進むでしょう。焼却処分など非人道的すぎます」

 

 両者の主張が激しくぶつかり合い、会議室内は一気に緊迫した。

 

「敬意などと言っている余裕がどこにある?死者への敬意を示したところで、生きている者が死ねば意味がないではないか!」

 

 商会幹部の怒声に、宗教関係者も激しく反論する。

 

「生者の命も大事ですが、死者を粗末に扱えば市民の精神は崩壊します!今後の防衛にも悪影響が出るでしょう!」

 

 感情的な対立が激化し、議論はますます収拾がつかなくなっていた。そんな中、民政官の一人が疲弊した表情で深い溜息を吐き出した。

 

「……墓を作れば腐臭に釣られた魔物が寄ってくる。だが遺体を焼けば市民の反感を招く……結局、どちらを選んでも地獄か」

 

 その投げやりな呟きに、幹部が苦い表情で応じた。

 

「市民感情よりも、生存が優先だ。こうした非常事態では仕方あるまい」

 

 だが、結論は出なかった。両者の意見は平行線を辿ったまま、議論はさらなる混乱へと発展していった。議論が平行線を辿る中、扉が再び開き、息を切らした伝令が室内に飛び込んだ。

 

「た、大変申し訳ありません!新たな情報が入りました!」

 

 彼は慌てて報告書を読み上げる。

 

「北西部にて、魔族の将軍『神技のレヴォルテ』が率いる軍勢が、ギスヤンキ及びマインド・フレイヤーの両勢力と激しく交戦している模様です。その余波で、近隣の村落が巻き添えを受け、甚大な被害が出ています!」

 

 その報告に、一同が再び騒然となった。誰もがその状況をすぐに受け入れられず、ざわつきが収まらない。

 

「また新たな戦線ができただと!?我々にどうしろというのだ!」

 

 幹部が苛立ちを隠せず叫ぶ。別の幹部も額を抑え、苦々しく吐き捨てた。

 

「もはや北部高原全体が戦場だ。これでは防衛どころではない……」

 

 民政官の一人が耐えきれずに苛立ちを爆発させる。

 

「もういっそ、互いに殺し合って勝手に滅んでくれればいい!我々が付き合わされる筋合いなどない!」

 

 その無責任な発言に、別の幹部が強い口調で叱責する。

 

「無責任なことを言うな!その殺し合いの余波が我々を飲み込んでいるんだぞ!?」

 

 会議室は混乱の極みに達し、互いに責任を押し付け合う声だけが室内を埋め尽くした。

 

 誰一人として明確な解決策を持たないまま、北部高原を襲う未曾有の危機に対する焦りと諦めだけが募っていた。

 

 その議論から二日後──再びノルム商会本館の重厚な会議室に、ノルム商会幹部や民政官、衛兵隊長たちが集まっていた。加えて今日は、騎士ヨアヒム、神官長ルドルフ、神官見習いのエルゼ、そして魔法使い見習いのミーナも部屋の奥に控え、座ることなく静かに立っていた。

 

 四人が参加している理由は明白だった。前回の会議で持ち上がったギスヤンキとマインド・フレイヤーという未知の勢力への対処法を巡り、実際にそれらの勢力と直接接触した経験がある彼らから、改めて状況の整理と助言を得る必要があったためだ。

 

 その時だった。会議室の扉が軽くノックされ、重厚な扉がゆっくりと開かれた。入室してきたのは緊張した面持ちの伝令だった。彼の手には、大陸魔法協会の印が押された書簡が握られている。

 

「失礼いたします。魔法都市オイサーストの大陸魔法協会北部支部より、極めて重要な通達が届いております」

 

 静かだが緊迫感に満ちた彼の言葉に、幹部たちは表情を引き締めた。ノルム商会の幹部の一人が、伝令に視線を向けて静かに促した。

 

「通達の内容を簡潔に述べよ」

 

 伝令は慎重に書簡を開き、厳粛な表情で読み上げ始める。

 

「北側諸国全域において、異界の勢力──ギスヤンキ、マインド・フレイヤーによる活動が確認されました。彼らは次元間通路である『位相アンカー』と呼ばれる装置を設置し、各地で侵攻を開始しています。通達では、これらの位相アンカーを発見次第、即座に破壊し侵攻を阻止することを各勢力に強く推奨しています」

 

 会議室にざわめきが広がった。さらに担当官は慎重な口調で言葉を続けた。

 

「また、大陸魔法協会では、異界の魔法使い『タヴ』を正式な協力者として採用しており、すでにオイサースト近郊において位相アンカー破壊の実績を上げています。彼の魔法や知識についても、貴重な情報を提供しているとのことです」

 

 その言葉を聞くや否や、ヨアヒム、ルドルフ、エルゼ、ミーナの四人は思わず顔を見合わせ、小さく息を吐いた。四人ともが内心、深い安堵を覚えていた。

 

(タヴさんは生きていたんだ……しかも大陸魔法協会が正式に協力者として認めているなんて……)

 

 ミーナは内心でそう呟き、微かに表情を緩める。ヨアヒムもまた肩から力が抜けるのを感じ、ゆっくりと息を吐く。

 

「私たちはタヴと直接関わりました。彼の知識と力、そして協力的な姿勢は確かに信頼に足るものでした。あの地下礼拝堂で、我々がマインド・フレイヤーのコロニーを制圧できたのも、彼の協力があったからこそです」

 

 ルドルフも静かな口調で同意を示す。

 

「タヴ殿は決して敵対的ではありませんでした。この厳しい状況の中で、むしろ得難い味方でした。大陸魔法協会が彼を正式な協力者とするなら、我々としても積極的に関係を深めるべきでしょう」

 

 エルゼもそれを支持するように口を開いた。

 

「確かに、彼の用いる魔法は未知のものでしたが、その行動や人柄には信頼できるものがありました。敵対するどころか、私たちのために重要な情報を提供してくれました」

 

 しかし、ミーナは少し慎重な表情を見せていた。

 

「位相アンカーの破壊は、極めて難易度が高い作戦になるかと思われます。異界の勢力との戦闘も並大抵ではありません。ノルム商会領の現状を考えると、それを実行するための余力はとても……」

 

 彼女のその言葉に、商会幹部が深刻な表情で口を開く。

 

「その通りだ。我々には現在、それを実行できるだけの兵力も物資も不足している。すでに市民を強引に兵役に徴用し、どうにか兵力を保っている状態だ。これ以上の戦線の拡大には、到底耐えられない」

 

 再び会議室に沈黙が訪れた。各人が互いに視線を交わし合うが、状況を打開するための明確な答えは見出せない。その重苦しい沈黙を打ち破ったのは、会議室の奥に静かに座っていたノルム商会長ノルムその人だった。

 

「状況は理解いたしました。我々にそれを実行できる余力がないのは、すでに明らかなことです。しかし、このまま何もしないで放置するわけには参りません」

 

 穏やかながらも断固たる口調でノルムが言うと、皆が一斉にその顔を見た。

 

「大陸魔法協会の通達を受け入れ、位相アンカーを破壊する必要性は理解しております。しかし、我々がそれを独力で実行することは現実的に不可能でしょう」

 

 その言葉に幹部たちは静かに頷いた。ノルムは、冷静かつ穏やかな表情で明確な方針を示す。

 

「ですから、我々に必要なのはオイサーストを含めた北側諸国全体からの支援です。この状況はもはや我々ノルム商会領だけの問題ではなく、北側諸国全域を脅かす危機となっています。各勢力との外交を展開し、速やかに戦力の融通を求める必要があります」

 

 ヨアヒムが真摯な表情で一歩前に進み出る。

 

「現状では兵力が不足しており、位相アンカー破壊どころか、都市防衛すら危うい状況です。北側諸国に即座に協力を要請し、同盟体制を築く必要があるでしょう」

 

 ルドルフもそれに同意するように口を開いた。

 

「神殿としても外交的な支援は惜しみません。北側諸国各地の神殿や宗教組織とも緊密に連絡を取り、救護活動や避難所の設置といった支援を全面的に協力していきましょう」

 

 エルゼは慎重ながらも明確な口調で言葉を続ける。

 

「私はオイサーストの大陸魔法協会に書簡を送り、魔法使いの派遣を仰ぎたいと思います。タヴ様の協力で位相アンカー破壊に実績があるオイサーストならば、具体的な戦力支援を要請できます」

 

 ミーナも静かに頷いた。

 

「魔法使い不足の今こそ、オイサーストからの魔法使いの派遣が必要不可欠です。私たちから強く要請すれば、向こうも応えてくれるでしょう」

 

 ノルムはそれらの提案を一つひとつ丁寧に受け止め、力強く結論を告げる。

 

「各自の提案を支持いたします。ヨアヒム殿には都市の防衛強化を、ルドルフ殿とエルゼ殿には宗教組織や大陸魔法協会との連絡役を、ミーナ殿には魔法使い個人間での緊密な連絡手段の確立をお願いします」

 

 最後にノルムは、皆を見渡しながら決然とした口調で言った。

 

「我々だけでこの危機を乗り越えることはできません。北側諸国全体の協力が必要です。外交を速やかに進め、互いに協力する体制を構築することが、この状況を打開する唯一の道です。全力を尽くしましょう」

 

 全員が強く頷き、それぞれが役割を胸に刻んで立ち上がった。北部高原の危機を打開するため、ノルム商会は外交と協力を通じた行動を開始するのだった。

 




最後までお読みいただきありがとうございました。
更新は不定期ですが、じっくり丁寧に進めていきますので、気長にお付き合いいただければ幸いです。
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