リューデル村近郊の坑道跡。崩れた坑口と尾鉱の土盛りが褐色の段丘を作り、折れた梁材が低い影を落としている。浅い用水と小川の縁には薄氷が張り、風が枯れ草を細くこする。その静けさの下で、見えない編成が地形に溶け込むように身じろぎを止めていた。
地上の本隊は樹陰と地形の影へ分散し、上空には《Invisibility(不可視化)》を施したマインドウィットニスを一体だけ上げている。露見を避けるため、空の目はそれ一つに限る。各員は《Nondetection(占術妨害)》の護符も身に着け、魔法で探られる事態に備えていた。
地上側にはクオトアが十数体、周辺の小川筋や灌漑用の浅い堀に身を沈め、編み網と短い銛を抱えて潜む。鱗に泥と湿り気の匂いをまとい、目だけを水面に残して動きを止める。生垣の根の間にはインテレクト・ディヴァウラーが散開して伏せ、知性感知は張らず、足裏で土の震えと温度差だけを拾い、見張りの役に徹している。
樹の影のさらに奥には四体の古参のマインド・フレイヤーが位置を取り、そのうちの一体──指揮官──が触手の動きだけで全体を制する。倒れた梁材の陰には思念圧縮記録子が据えられ、別の一体が記録灯へ指を添えていた。事後対応のため前線へ差し向けられた、ネオセリッド対処班である。
坑道外れの空域にはまだ白い幕が立っている。《Sleet Storm(みぞれ混じりの嵐)》の領域だ。氷の粒が風に揉まれて斜めに流れ、内部は白い壁のように見えない。上空のマインドウィットニスは外側から輪郭だけを追う。その縁で、巨大な影がふっと薄くなったかと思うと、次の瞬間には縁の少し外側に重なった。《Misty Step(霧渡り)》の光点が短く、連続して点る。ひと跳び、またひと跳び。短い間隔の連続瞬間移動が繋がっていく。ネオセリッドは嵐の境界線をまたいで外へ出る。
それを視認した指揮官が上空のマインドウィットニスへテレパシーを送る。《Telepathic Hub(テレパシー中継)》を通じ、声なき命令は丘や樹の影に散ったマインド・フレイヤーたちへ同時に届いた。
【能動探査は禁止だ。標的と術者に気づかれる可能性が高い。外から見える事実だけを拾い、記録に徹しろ】
ネオセリッドが領域の外へ抜け切った直後、《Sleet Storm(みぞれ混じりの嵐)》の集中が断たれた。氷の雨が弱まり、空域が薄い灰色を取り戻す。上空のマインドウィットニスは全周の視界を開き、地上では思念圧縮記録子の記録灯が点った。届いた視界情報が映像のまま収まり、同時刻の刻印が一つずつ打たれていく。以後の報告は、この記録に基づくものとなる。
【連続瞬間移動を繋いでいる。こちらの改造にはない動きだ。外因給餌の疑いとして記録】
ネオセリッドは地表から巨体ひとつぶんほど浮き、砂利と霜を巻き上げながら北東へ滑る。生来の《Levitate(空中浮揚)》が腹面を支えている。しかし触手を地へ掛けてもいないのに、浮かせるはずの力が前へ傾き、速度を増していた。進行方向の砂利が一定の角度で後方へ流れる。その軌跡を上空のマインドウィットニスが追い、地上の一体が記録子へ刻み込んでいく。
【標的が《Levitate(空中浮揚)》を応用した推進層を形成。滑空として記録】
マインドウィットニスの視界の端から、二つの人影が前方へ滑り出た。一人は長い髪の術者、もう一人は風の層をまとう術者だ。後者は背から抜いたクオータースタッフへ指を滑らせ、唇が一度動く間に先端の光を別の術式へ組み替える。その焦点具の扱いも、魔力が幾層もの円となって立ち上がる順序も、対処班が知る《秘術魔法》のものだった。二人は空を速く滑り、残る距離を風の層の術者の《Dimension Door(次元扉)》で一気に詰めた。
【風の層の術者が《秘術魔法》を明確に行使したのを確認。出自はこの世界ではない。系統はソーサラーと推測する】
地上の対処班はネオセリッドを追って移動し、露見を避けて速度を落としながら丘と樹の影を次々と伝って進む。先行していた上空のマインドウィットニスが監視を継続する中、地上は一歩遅れてリューデル村の外縁に到達した。クオトアは小川に連なる浅い堀へ滑り込み、網の端を杭にかけて水面下に沈める。インテレクト・ディヴァウラーは藪の根の影から家屋の石基礎の割れ目へ移り、足裏で微震を拾い続ける。
村の屋根が帯状に現れ、鍋を叩く乾いた音が風に乗って届いた。小川沿いの道には村人が溢れ、対処班の移動路と避難列が重なる。水面下のクオトアの頭上を荷車の車輪が通り、轍から落ちた石が泥へ沈んだ。銛を握る手が反射的に上がる。指揮官が短い念を送ると、鱗の腕は水底へ伏せた。今ここで一人にでも見られれば、監視そのものが崩れる。
上空から届く視界では、長髪の術者が巨体の正面へ張り付き、髪の盾で触手を滑らせていた。別の束が石畳を打つたび、避難列へ伸びかけた触手が彼女へ向きを変える。
【囮行動に標的が反応。触手の軌道が避難列から長髪の術者へ転換】
風の層をまとう術者は通り角へ矢印の標を浮かべ、光らせた木の棒を先導役へ渡している。離れた者には伝声で指示を継ぎ、路上の障害物を退かしながら、人の流れを北西へ寄せていった。
【避難誘導は風の層の術者が実施。標と光と伝声で人の流れを制御】
その矢先、上空の視界から灰紫の巨体が消えた。屋根を三つ隔てた先で輪郭が戻り、また消える。終点は避難列の正面だった。途中の空間を飛び越すたび、記録子の時刻印だけが不自然な間隔で並ぶ。
風の層の術者が雷鳴を残して先頭へ移る。長髪の術者も屋根際を滑り、髪を街灯へ一度巻き付けた。髪が張った反動で身体を振り子のように運び、先頭へ追随する。その直後、村の内側から見えない力が押し寄せた。水路の泥が同じ向きへ盛り上がり、石畳に亀裂が走る。術者が逆向きの力を返すと、二つの圧は正面で噛み合い、やがて上下へ向きを変えた。列の先頭がよろめき、動きが止まる。
【《Telekinesis(念動力)》の異常出力と上下圧への切替を確認。避難列は一時停止】
上空の長髪の術者が角度をつけて飛び込もうとした瞬間、標的の前方に白い歪みが走った。彼女の髪と四肢が宙で止まる。落下はせず、風に支えられた姿勢のまま動かない。記録には、歪みの発生角と彼女が硬直した時刻が刻まれた。
【上方の長髪の術者が《Mind Blast(精神爆砕)》により硬直。落下はしていない】
風の層の術者は列へ身を低くするよう号令を飛ばし、正面へ魔力を返す。標的の周囲で歪みが裏返るように揺れ、押し寄せていた圧が一気に剥がれた。
【押し合いは風の層の術者側が優勢へ。《Dispel Magic(魔法解呪)》と思われる挙動を確認。前面の圧が剝落】
間を置かず、標的の口奥で先ほどと似た揺れが膨らみ始める。
【《Mind Blast(精神爆砕)》再発動の兆候。間隔は短い】
術者と避難列の間へ石壁がせり上がり、直後の衝撃を受け止めた。白い粉塵が壁の上へ噴き上がる。
【《Wall of Stone(石の壁)》の構成は十枚。中央八、両翼二で外開き。正面の衝撃は遮断される】
ネオセリッドは回り込まず、触手を正面の継ぎ目へ何度も叩きつける。ひびが広がるたび、列は壁の陰で身を低く保った。
【標的は《Wall of Stone(石の壁)》の破壊を試みている。列は低姿勢で待機】
石壁を叩く音へ、白い光が横から差し込む。新たに現れた白い外套の男が短杖を向けると、交差する光が巨体の輪郭を縫い留めた。標的の身体は動かないが、周囲の粉塵はなお同じ方向へ流れ、石垣の鎖も周期的に揺れている。
【視認拘束魔法は通じたが、周囲に精神圧の兆候が残る。魔力操作の抑制は不成立と推測】
拘束が続く間に、村人の列は壁の陰から右へ折れた。光の棒が畑道へ移り、最後尾の姿が家並みから離れていく。
【標の向きが変化。列は右へ迂回して移動を再開】
白い外套の男が放つ白銀の魔弾へ、風の層の術者が黒い光線を重ねた。二人は同じ箇所へ交互に撃ち込み、標的を覆う透明な膜の戻りが一瞬ずつ遅れていく。
【攻撃は交互。白銀の魔弾と黒い光線で一点集中。精神障壁は再展開に遅れが出る】
記録灯の上で、拘束の交点がわずかにずれた。灰紫の体節は正面から力を加えた様子もなく、濡れたものが輪から抜けるように角度を変える。次の時刻印では頭部が半身ぶん外へ出て、その次には全体が自由になっていた。詠唱も媒介も見えないため、指揮官は術名ではなく、拘束開始から脱出までの秒数を刻ませる。
【視認拘束魔法の交点が滑走し、体節が微角で置き換わる。《Freedom of Movement(移動の自由)》と酷似した挙動】
直後、標的は白い外套の男へ短い跳躍を連ねた。
【視認拘束魔法は機能停止。標的は短距離瞬間移動を連続し、白い外套の男へ接近】
男が杖先から細い魔弾で迎え撃つが、照準の先から巨体の輪郭がずれ、光は外れる。続けて触手が振り下ろされ、男の左手前に現れた透明な魔法障壁が激しく明滅し、縁へ細いひびが走った。標的は止まらず、触手をもう一度振り上げた。
【白い外套の男の左手前に透明な魔法障壁が出現。初撃は阻止。標的は再打へ移行】
ネオセリッドがその触手を男へ振り下ろす直前、硬直していた長髪の術者の肩が動き、首がわずかに巡った。呼吸、視線、指先、体幹の順に動きが戻っていく。
【直後に長髪の術者が硬直から復帰。予備動作なしの瞬間移動で背後へ】
長髪の術者は復帰と同時に消え、次の一拍にはネオセリッドの背後へ現れた。詠唱も手振りもなく、光や音の兆しもない。同じ視界の中で、姿だけが置き換わっている。彼女は髪の束を二本に分け、一方を頚の根元、もう一方を触手の根元へ掛けて締め上げた。
髪は短時間で投石紐のように張り、足元の空気が踏み台のように沈んでから弾む。彼女は腰をひとつひねり、巨体を引き回して放った。ネオセリッドは大きな弧を描いて村の外れ側へ投げ出される。
【長髪の術者がネオセリッドの頚部と触手根を髪で拘束後、投擲で標的を村外縁側へ排除】
ネオセリッドは地面へ届く前に《Levitate(空中浮揚)》で落下を鈍らせる。着地の代わりに低い振動が水路を走り、伏せたクオトアの胸まで揺らした。続いて喉が膨らみ、音とも思念ともつかない震えが押し寄せる。マインドウィットニスを経由して四体の頭蓋へ同じ不快感が届くが、語としての意味は結ばれない。
【咆哮を記録した。意味は未確定。頭部と胸郭に軽い振動】
ネオセリッドが村内から引き離され、避難列との距離が開いたところで、対処班は監視の焦点を村外縁へ移す。思念圧縮記録子の灯が強まり、取り込まれた映像から余分な景色が削ぎ落とされた。残ったのは、標的と三人の術者、それに避難列の動きを表す淡い軌跡だ。指揮官が触手の先で時刻印を繰るたび、それらは同じ地図の上へ重なっていく。
標的の軌跡は、嵐の縁と避難列の前で何度も途切れていた。途切れた先には、短距離の瞬間移動でしか届かない間隔がある。念動の押し合いでは地面まで割り、視認拘束に捕らえられた後にも、身体を滑らせる動きを新たに見せた。どの変化も、追い詰められた直後に現れている。指揮官は三つの時刻印を選び、同じ色で結んだ。偶然の発露として片づけるには、間が整いすぎていた。
一方、術者たちの軌跡には乱れが少ない。風をまとう男は避難列を動かしながら防壁を立て、白い外套の男が加わると攻撃の間を合わせた。長髪の女も精神の一撃から戻るや、標的を村の外へ投げ出している。三人とも戦う力を残し、村人の列はすでに右手の畑道へ移っていた。ここへ対処班まで姿を現せば、標的だけでなく三人の術者を同時に敵へ回し、目撃者も増やす。記録子の上で、その損失だけが明瞭に浮かび上がった。
地上の本隊も露出を抑えたまま位置をずらす。クオトアは小川の淀みから堰石の陰へ、インテレクト・ディヴァウラーは石垣の基礎から茂みの根へと移り、視線の通りにくい経路だけを選んだ。指揮官のテレパシーが上空のマインドウィットニスを経由し、散開する各員へ渡っていく。
【標的は外から力を供給されている線が濃厚だ。連続瞬間移動、拘束からの脱出、念動の異常出力といった状況証拠が揃っている】
東側を押さえるマインド・フレイヤーが、念の強さも間も崩さず、同じ経路で返す。
【討伐は今の戦力では割に合わない。標的の目撃者は多く、我々が出ればさらに増える】
西側のマインド・フレイヤーが、マインドウィットニス経由で補足を入れる。
【完全な抹消は成立せず、三名の高位術者との交戦リスクも懸念される】
東側の一体が思念圧縮記録子の脇へしゃがみ、泥の上で標的と潜伏線を結んだ。最短の線は白い外套の男の視界と、風をまとう術者の射線を横切る。小川沿いへ曲げれば、移動中の避難列へぶつかった。
クオトアの網を先に掛ける案が記録子へ映る。水路から標的までは、乾いた畑を十数歩。網を投げられる距離へ届く前に、水面から出た鱗の身体が長髪の術者の髪槍に捉えられる位置だった。
指揮官は泥の二本の線へ触手を置いた。四体の精神波を重ねて標的を止める手はある。だが一撃で止まらなければ、次に退路へ動くところまで三人の術者へ晒すことになる。拘束されるたび新しい逃れ方を見せる標的を前に、触手は攻撃の印まで進まず、南へ引いた退路の印へ戻った。
指揮官が記録子から触手を離すと、像の明るさが一段落ちた。倒れた梁材の隙間から漏れていた青い光も消え、周囲には泥水を流す音だけが戻る。観測は続ける。だが、こちらの存在を知らせる光は一つも残さない。
指揮官から、各員の思念を押し返す硬い応答が返る。
【判断を確定する。討伐はリスクが高く、痕跡抹消は困難。外因給餌の疑いは濃厚として記録】
続けて指揮官が命令を発した。
【三名の術者に標的を押し付け、互いの消耗を狙う。我々は監視に徹し、結果に応じて次の行動を再決定する】
小川の淀みで、クオトアの一体が水面すれすれまで銛を持ち上げた。指揮官の触手がわずかに閉じると、銛は音もなく泥の中へ戻る。生垣の下ではインテレクト・ディヴァウラーが、地を蹴る三人ぶんの震えと、巨体が荒地へ落ちた重い揺れを拾っていた。
地上のマインド・フレイヤーは各自の影へ身を据え直し、露出せず見通しだけを確保できる位置へ僅かに詰めた。クオトアは水面下で姿勢を保ち、インテレクト・ディヴァウラーは足裏の微震だけを拾い続ける。上空のマインドウィットニスは高度を保ち、周囲を見渡す目の中へネオセリッドと三名の術者を収めた。その視界情報が、地上の思念圧縮記録子へ途切れなく刻まれていく。
退路の確保を任された一体が、村から顔を背けたまま後方へ滑る。足を置くのは枯れ草のない石だけ、枝に触れそうな箇所では身体を横へ薄くする。二十歩先の倒木まで届くと、掌を下へ向けて停止の合図を返した。小川の水面では、それを受けたクオトアが一体ずつ下流へ沈み、浮いた泥だけを残して位置を替える。戦場へ向けた目の数は減らさず、包囲の輪だけが静かに南へずれた。
【作戦は第二段階へ移行。露見回避を最優先、記録を継続せよ】
【了解】
*
リューデル村の東外れ。畑地の切れ目から続く低い荒地で、ネオセリッドが土色の起伏を押し潰しながら身をもたげる。村の屋根は背後へ遠ざかり、間には冬枯れの畑と低い石垣が横たわっていた。弱い南東風が、同じ方向へ草の穂をなでていく。ゼンゼは触手の届く一歩外を低く浮かび、長い髪を前へ垂らして盾と槍の形へ編む。タヴとヴィアベルは彼女の右後方へ扇状に開き、互いの射線を塞がず支援できる高さを取った。
灰紫の外殻に走る縫い目が、呼吸に合わせて脈打つ。口器の内側では、骨のような白い鈎が三本、舌のように短く開閉した。ゼンゼはその動きへ目を据え、呼吸を一度だけ深く取る。髪の白光が強まるたび、三本の鈎も同じ拍でこちらへ向いた。
髪に宿した祝詞が微かに光る拍だけ、ネオセリッドの唸りが強まる。穂先を動かしても反応は鈍いのに、白光が明滅すれば触手までそちらへ寄る。憎悪を向けられているのは自分ではなく、祝福の由来となった遠い存在らしい。確証はないが、反応の偏りはそう読める。
「私自身のことは眼中にないということか……舐められたものだ」
呟きながら、ゼンゼは髪を盾・槍・鞭の三筋へ分けた。槍は骨の継ぎ目へ向けて尖らせ、盾は打撃を滑らせる丸い面に張り、鞭は振動で注意を引く。石礫まじりの地面を鞭で叩くと、乾いた音が連続して響いた。触手のうち二本が音へ向きを変え、巨体の初動に一瞬の間が空く。
そのとき、ゼンゼの頬を薄い冷えがかすめ、胸の内側で祝福が一度だけざわめいた。彼女が髪盾を正面へ寄せるのと、巨体が霧の切れ端を残して位置を変えるのは同時だった。前へ十メートル、さらに十メートル。短い転移が連続する。
挑発に応じて正面に出たというより、より強い気配へ滑るように引かれている。彼女は先に進んだ触手の根の角度に合わせ、盾の上縁を左へ傾けた。ネオセリッドの巨体が目前で移動を止め、蛇腹状の外殻が息を吐くように膨らみ、触手が扇形に開いた。最短距離からの一撃が来る。
初撃は横薙ぎ。ゼンゼは盾を浅角で迎え、髪の表面に走らせた魔力の膜で打ち抜き線を滑らせる。衝突の衝撃は肘ではなく肩から腰へ逃がす。二撃目は縦。槍に変えた束を下から差し上げ、触手の腹側を撫でて角度を狂わせる。
三撃目は正面からの突き刺し。盾を重ねて厚くし、表面にわずかな凹みを作って突端を吸い込むように受ける。受けの三手の間に、槍の髪束が連続で継ぎ目を穿つ。最初の二突きは透明な膜に滑らされた。精神の障壁が表層で波打つのが、刃ごしに伝わる。三突き目、波の戻りに一拍遅れが出た隙へほんの指先ぶんだけ刃が食い、粘液が点で飛ぶ。
三撃を受け終えたゼンゼは呼吸を揃え、半歩だけ右へ滑る。正面を塞いでいた髪盾を薄く畳み、ネオセリッドの側面まで射線を開いた。そこへ右後方で待っていたタヴが《Eldritch Blast(怪光線)》を、ヴィアベルが《ゾルトラーク(一般攻撃魔法)》を同時に連射する。
黒と白銀の射撃が交互に刺さるが、ネオセリッドの全身に透明な精神障壁が盛り上がって火花めいて散り、通った数発も分厚い皮膚に阻まれて浅い焦げを刻むに留まる。ゼンゼはさらに一歩前へ押し、鞭にした髪で地面を三度叩く。一定間隔の乾いた打音に、触手の根元が音へ引かれるようにわずかに傾いた。誘導は効いている。
だが、巨体の周囲では、先ほどまで立っていた草まで地へ伏している。空の明るさは変わらないのに、輪郭だけが濃くなったような圧が皮膚を押す。その内側に、ゼンゼは独特の律を感じ取った。祈りの拍に似ている。先ほどの咆哮──《選ばれし者》の宣言の余韻が、今もこの生物の筋へ力を送り続けているのだと、身体が理解した。
「神の力でこの地を害するなら、それ相応の覚悟をしてもらうぞ」
ゼンゼは髪の槍を短く引き、盾の厚みを一段増して正面を塞ぐ。舌のような細い触腕が盾の縁から覗き、硬い鈎がからからと擦れる。外殻の亀裂に薄い光の縫い目が見える。そこに刃を通せるかどうかは、次の瞬間にかかっている。彼女は顎を引き、集中をさらに絞った。
タヴは右後方の空に留まりながら、微かな変化に目を凝らしていた。ゼンゼの槍が継ぎ目へ刺さるたび、ネオセリッドの皮膚下の線が一瞬だけ歪む。亀裂の内側を光の糸が走り、裂けた縁を左右から引き寄せてしまう。タヴがかつて《身体再生の恵み》の働きを見たときと同じ、失われた肉を補う光だ。だが今は、どれほどの傷まで戻せるのかを測っている暇はない。
(酸器官はどうだ……)
タヴは視線を口縁に落とす。先ほどまで乾いた線だけだった口の内側に、白い煙がわずかに漂った。鼻腔の奥を刺す酸の匂い。続いて口縁の内側で、薄い膜が泡立つのが見えた。喉奥から伸びる導管が膨らみ、弁が一つひとつ開いていく。酸器官が再起動している。タヴはそこで判断を固め、鋭く声を投げる。
「ゼンゼ、酸が来る!」
「分かった」
次の瞬間、ネオセリッドの口が扇形に開く。白い蒸気に続き、薄緑の液体が地表を扇状に掃く。砂利が泡立ち、低い溝が一瞬で白く霞み、酸臭が風に乗って頬へ張り付いた。ゼンゼは髪の盾を斜めに立てたまま横へ滑り、薙ぎ払う線の外へ出る。酸が通った地面にはぬめりと蒸気が残る。彼女がその外から距離を詰め直そうとしたとき、巨体の腹部が不自然に膨らんだ。
「……待て。腹の嚢が……」
タヴの声は、自分でも驚くほど低かった。ネオセリッドの腹面に沿って卵嚢のような膨らみが走り、皮が内側から押されている。数呼吸のうちに膨らみへ節と曲がった脚の形が浮き、内側で身をよじった。皮膜がひとりでに裂け、暗紫の外皮がのぞき、分節を連ねた胴がずるりと滑り出る。裂け目の縁から黒い脚が列をなし、地面をつかんで体を押し出した。続いてもう一つ、さらにもう一つが滑り出る。現れたのは三体。
いずれも身長は四メートルほどで細身で紫黒の外皮に覆われ、頭部に翡翠色の小さな複眼が点々と並ぶ。上半身に相当する部位の末端からは、長い二本の触手が腕のように延び、そのうち一本は細身のレイピア、もう一本は長尺の杖を持っていた。腹の分節は毛虫めいて地面をかくが、全体は芋虫というより大蛇のように強く撓む。出てきた瞬間から、三体は互いに位置を取り合う。
「……気持ちの悪い生まれ方だ。自然な出産ではない」
ゼンゼが低く言い、裂けた皮膜から露出した筋の収縮を目で追う。
「生まれた瞬間からもう連携が取れている……異常だ」
三体は地に落ちるなり三角形の陣形をつくった。二体が前衛で、レイピアを肩の高さに水平に構えて間合いを塞ぎ、最後の一体は後衛として杖を斜めに構え、前衛が進むのを援護する。こちらの隊形を物理的に裂いて、ネオセリッドに近づけさせないための配置だ。
「胸糞わりぃ気配だ……視界に入れたくもねえ」
ヴィアベルが唾を吐くように言い、短杖を胸の前で返す。三体から滲み出る狂気のオーラに、胸骨の内側がざわつく。右手の節が白くなるほど柄を握り込んでも、杖先は三体から外れない。タヴは右前衛へクオータースタッフを向けた。
「右を俺が撃つ。左はあんたで押さえてくれ」
「いいぜ。奴の杖をへし折ってやるよ」
合図と同時に、ゼンゼは髪の盾を前へ押し出し、ネオセリッドの顎下へ斜めに入り直す。槍に変えた束で顎を叩き、巨体の向きを自分へ固定する。ゼンゼがその正面を保つ間に、タヴは右側面へ移り、《Eldritch Blast(怪光線)》を前衛右の個体へ一射した。胸板の寸前で空気が硬く弾け、火花のように散る。見えない膜が受けている。
今の反応から、攻撃の直後に薄い障壁を張る仕組みだと判断できる。ならば間をずらして押す。発射の瞬間に短く印を切り、次弾の軌道を上へ振り、間隔を半拍遅らせて連射する。黒い光線が三発、四発。膜が波打ち、焦げ目が一点に残る。並行して、左前衛へヴィアベルの白銀の魔弾──《ゾルトラーク(一般攻撃魔法)》──が正面から走り、凛と張った音とともに白い閃きが外殻に浅い筋を刻んだ。
右前衛は胴をひねり、レイピアの鍔元で次の黒い光を受けた。刃の周囲へ生じた精神の膜が火花を散らし、射線を斜め上へ弾く。だがタヴはそれを見越し、遅らせた一条を低く通して腹節の脚を狙っていた。黒い光が地面を掻く脚の列へ走る。異形は前半身だけを浮かせて避けたものの、着地の拍が遅れ、三角陣の右辺に間が開いた。
ヴィアベルはそこへ短杖を振り、左前衛を押す白銀の射線を一度だけ右へ曲げる。二体の間を狭め、互いの剣を振りにくくする狙いだ。左前衛がレイピアを引いて場所を譲り、右前衛は体節を沈めて前へ抜ける。動きに声も合図もない。それでも片方が空けた場所へ、もう片方が間髪入れず入り込んだ。タヴは開いた三角が罠に変わるのを見て、身を一段高く浮かせる。
右前衛は一方の触手でレイピアを振り払い、もう一本が握る杖先から赤白い光条を六本──《Scorching Ray(灼熱の光線)》を撃ち返した。タヴが《Shield(盾)》を展開すると、五条は透明な面で砕け、外側へ回った一条だけが肩の外を焼いて通過する。同時に左前衛は、テレパシーでヴィアベルの意識へ《Suggestion(示唆)》の言葉を突き刺した。
【今は前線に残るより、村人の避難を指揮した方が多くを救える。列の先頭に立って誘導してほしい】
逃げろ、とは言われていない。仲間を見捨てろとも言わない。救える人数を増やせという形で、ヴィアベル自身の責任感へ異物の判断を滑り込ませてくる。遠くの避難列が脳裏に浮かび、正面の敵から杖先を外す方が正しいように思えた。
その考えに従いかけた指を、ヴィアベルは左手の爪で弾いた。右手の甲に針のような痛みが走る。痛みより先に湧いた罵声が、借り物の判断へ亀裂を入れた。
「その提案、耳障りだ。てめえが飲み込んで黙ってろ」
彼は視線を正面から外さず、半歩だけ後ろへ引いて間合いを整えて短杖を構え直した。ヴィアベルは左前衛の全身を視界に収め、即座に《ソルガニール(見た物を拘束する魔法)》を発動する。光帯が空中で交差し、左前衛の肩と腰、触手の根元に目印を縫い付ける。動きの起点が突如として重くなり、レイピアの切っ先が宙で止まった。
その直後、異形の後衛が杖で地面を叩く。杖先の環形刻印が淡く点り、叩いた地点から灰白の霧──《Fog Cloud(濃霧)》が膨らんだ。白は三体の輪郭を呑み、荒地の窪みへ流れ込んで、畑境の低い石組みまで隠す。流れる風にも濃霧は崩れず、ヴィアベルは《ソルガニール(見た物を拘束する魔法)》の標的を見失った。
タヴは直前まで右前衛がいた位置へ《Eldritch Blast(怪光線)》を一本だけ通す。黒い光は何にも触れず、遅れて荒地の端に残る崩れた石組みを打った。ほぼ同時に、右から腹脚の擦れる音が走り、左では杖の石突きが鳴る。どちらを追っても、残る一体へ横腹を晒す配置だった。
(霧は自分たちの視界も塞ぐはずだ。だが連携は崩れない……触手で地面の震えを拾っているのか、短距離の思念連絡で位置を共有しているのか)
霧の縁では砂粒の流れが三体の通過に合わせて途切れる。その切れ目は重ならず、互いを避ける角度へずれていく。タヴは位置が入れ替わるたび、三つの切れ目を目で追った。
「面倒を増やしやがって」
ヴィアベルは舌打ちしながら右手の短杖を胸前で返し、空気を一拍だけ掴む。《シュトルムラフ(瞬間的な突風を発生させる魔法)》を起こすと、地面すれすれの突風が霧を一方向へ押し流した。白い幕は縁から千切れるように薄れ、数呼吸で崩れる。タヴは霧の裂け目から左前にいた異形の口腔がすでに開いているのを捉え、警告を飛ばす。
「左の奴が口を開いている、退け!」
刹那、異形の口から深紅のガスが扇状に噴き出す。タヴは《Wind Soul(風の魂)》で右斜め後方へ身を引き、ヴィアベルは《飛行魔法》で上へ逃れた。広がりきる前の縁が外套をかすめただけで、喉に鉄の味が残り、鼻腔が焼けるように痛む。霧の向こうでは二体目が二人の退路を塞ぐ位置へ滑り、後衛の杖先が次の術へ光を集めていた。
節の連なる胴、複眼、二本の触手。そして思念を交わす間さえ見せずに組み替わる陣形。タヴは古い地下遠征の記録を手繰った。
(古い地下遠征の記録で読んだことがある……こいつらは恐らく《神話位階》を得たセウガシだ)
ネオセリッドの腹から武器を持ったまま生まれたことも、三体が初めから一つの意思で動くことも、タヴの知識にはない。分からない由来を埋めるより、目の前で示された力を数えるべきだった。毒息、呪文、そしてこちらの術を読む連携。前衛の一体が霧の残滓を割って踏み込み、レイピアの切っ先をタヴの胸へ揃える。考える時間まで与えるつもりはないらしい。
二人が円錐の外へ抜けた直後、ネオセリッドはゼンゼに正対したまま頭部だけを持ち上げ、胸郭を大きく広げて喉袋に圧をためる。狙いは上空のタヴとヴィアベルの高度線だ。体幹の向きはゼンゼに釘付けだが、顎の角度だけで噴線を持ち上げようとしているのが分かる。ゼンゼはその兆しを読み、髪の束を槍に変えて一気に踏み込み、顎の棘列と口角の間へ差し入れて、てこの力で頭部を南側へ強引に振らせた。
次の瞬間、酸が筋になって空を裂き、畑境の石垣を斜めに抉る。石は泡立って崩れ、白い蒸気が瞬きの間に立つ。喉が二発目の吐出へ震えた気配に合わせ、ゼンゼは同じ角度でさらに押し込み、噴線はまた明後日の方向へ走った。上空の二人を巻き込む射線は、ゼンゼの一撃で完全に逸らされた。
「二体、前へ来るぞ!」
ヴィアベルの警告と同時に、前衛のセウガシ二体が距離を詰めてくる。彼は左前衛に視線を向け、再度《ソルガニール(見た物を拘束する魔法)》を掛けにいく。だが前衛の二体の背後を一定距離で追従していた後衛のセウガシが、前方の隙間越しに杖先をわずかに傾けた。杖頭の環が短く光り、《ソルガニール(見た物を拘束する魔法)》の発動直前に《Counterspell(呪文妨害)》が差し込まれる。魔法の織り目そのものを引き抜かれ、ヴィアベルの術式は立ち上がる直前で霧散した。
「やってくれるじゃねえか……!」
ヴィアベルが悪態をつく間にも、後衛の杖は次の妨害へ向き、前衛二体はその射線を守るように間を詰めていた。ここでまた拘束を結んでも、立ち上がる端から切られる。維持しているあいだヴィアベルの目まで一体へ縛ることになる。タヴは足止めを捨て、右前衛へクオータースタッフを据える。《Subtle Spell(呪文発動秘匿)》を重ね、発声も身振りもなく先端へ黒い光を凝縮させていく。
その時、空の色が一段明るくなり、タヴは視線を上げた。耳の裏で澄んだ鈴の音が転がる。ゼンゼの髪先から、粉のような白光がほどけて散った。祈りの言葉は聞こえない。それでも身体の内側には、一拍ぶんの冴えが灯る。
(……見ているな。彼方の女神が)
タヴはそれ以上は考えない。今はただ、敵の動きだけを追えばいい。右前のセウガシが前部の体節を沈め、先頭の脚に並ぶ黒い鉤を砂礫へ食い込ませる。腹の分節がばねのように縮んだ。突入の前兆だ。タヴはその瞬間、準備していた《Eldritch Blast(怪光線)》を右前衛へ連ねて叩き込む。黒い光線は見えない精神膜に阻まれて弾けたが、反動で身体が半歩ぶんよろめく。タヴは間を置かず、左手で《Telekinetic Shove(念動突き)》を同時に走らせ、左前にいるセウガシの身体を外側へ押し出し、前進を僅かに鈍らせる。
押し出された左前衛は、腹脚の半分を地から離しながらもレイピアを突き出した。切っ先は届かない。だが刃の溝を赤い光が走り、細い熱線となってヴィアベルへ伸びる。彼は短杖を横へ払い、《防御魔法》を立てた面ごと身を右へ流した。熱線が透明な板を押し込み、鼻先まで赤く染める。ヴィアベルは歯を見せるように笑い、押される勢いを使って左前衛の側面へ回り込む。
その動きを後衛の杖が追う。環形の刻印が光った瞬間、タヴが低い位置から黒い光を差し入れ、杖先を上へ跳ねさせた。代わりに右前衛のレイピアがタヴの脇へ滑り込む。彼はクオータースタッフの石突きで剣身を払い、風を蹴って刃の外へ抜けた。三体は攻め手を止めず、崩れかけた陣形を足元から組み直してくる。
ゼンゼは正面のネオセリッドから視線を外さず、周囲の空気の筋を感じ取っていた。酸の扇が止み、巨体が低く息を整える。彼女は髪の槍の角度を変え、体重を前へ送り、次の跳び出しを迎え撃つ準備を固める。
その刹那、空気が張る。真上ではない。少し離れた空の一点が、銀白の輪郭で薄く光った。輪は二重で、縁に細かな刻みがある。水面の渦の中心に立つような静かな引きが一瞬だけ生まれ、そこから二つの影が降りた。二人の背には、風を起こさない実体のない光の翼がふわりと展開し、羽ばたきの軌跡だけが薄く空気を撓ませる。
「全員、距離を保ったまま私の後ろに集合してくれ!」
ゼンゼは高度を取り、荒地の上で右へ半身を切って一時集合の位置を作った。タヴは《Wind Soul(風の魂)》で斜め上へ抜け、ヴィアベルは《飛行魔法》で加速して並ぶ。光の翼を持つ二人の騎士も同じ高さまで上がり、五人は空中に小さな楔形を組む。地上では、ネオセリッドが口を閉じて触手を沈め、前衛のセウガシ二体も半歩だけ引いてレイピアの切っ先を下げる。後衛は杖を胸の前で横に構え、三体とも瞬きほどの間、こちらと距離を測るように動きを止めた。
ひとりは男。ショートソードと円盾を持ち、甲冑の継ぎ目に月光色の飾り金が走る。円盾の表には細い弓のような紋が浮かび、彼が構えた瞬間、盾の周囲に薄い幕が派生して二人ぶんが入るほどの楯幕を形づくった。もうひとりは女。細身のグレートソードを軽く下げ、滑らかな鎧の背で光の翼がゆっくり翻る。
二人はそれぞれ肩に白木と銀で飾られたロングボウを横掛けに負い、腰には黒革の矢筒を下げていた。肌は浅く褐色、髪は月を溶かしたような銀色。目つきは鋭いが、こちらへ剣気を向けてはいない。甲冑の金具が触れ合う重い音と、革へ染み込んだ油の匂いが風に届く。背の光だけをまとった幻ではなく、武具ごとこの場へ降り立った二人だ。円盾と胸甲に刻まれた細い月の紋は、ゼンゼの髪に宿る白光と同じ拍で明滅していた。
「遅れてすまぬ。彼女の呼びかけに応じて馳せ参じた」
男が短く告げた声は、《Tongues(言語会話)》を介してヴィアベルとゼンゼにも意味を結んだ。ゼンゼは二人の装束と名乗りを、自分に授けられた《騎士の恵み》の働きと照らし合わせ、頷いた。
「……イーリストレイに仕える執行官か?」
タヴはゼンゼの髪に宿る白光と、騎士の装束に刻まれた月の印を見比べて問う。クオータースタッフの先は、まだ地上の三体へ向けたままだ。
「誰だお前ら。味方ってことでいいんだよな?」
ヴィアベルは正面の敵から意識を外さずに杖先を下げないまま、荒っぽい声だけを騎士二人へ投げる。
「味方よ。この界の主の許しを得て、イーリストレイ様から遣わされた。私は刃を、彼は盾を貸す」
女の騎士の声には迷いがない。地上ではセウガシ三体が散開を始め、杖頭へ赤白い光を集めている。ゼンゼは頷くと、先手を取るため分担を告げた。
「盾持ちは私と来てくれ。正面のネオセリッドを止める。グレートソード持ちはタヴとヴィアベルを援護してくれ。そちらは三体の異形を頼む」
二人の騎士は顎を引いて無言で応じ、タヴとヴィアベルは「了解」と短く答える。女の騎士が光翼をひと打ちして先行し、タヴはクオータースタッフを構え、ヴィアベルは短杖を握り直してその背を追い、三体のセウガシへ向かった。男の騎士は円盾を半身に構え、ゼンゼの左斜め前へ出る。丸い幕が薄く広がり、荒地の砂粒がその縁を回る。女の騎士の白刃が後衛の杖を押さえ、タヴとヴィアベルの光線が前衛二体の初撃を散らす。その掩護の内側で、男の騎士は円盾をゼンゼの前へ寄せた。
「一つ、加護を結ぶ。手を」
男の騎士は空中で静止してゼンゼに向き直ると、剣を鞘へ戻して右手を自由にし、腰の小袋から薄い白金の指輪をひとつ摘み出した。ゼンゼが「これは?」と首を傾げる。
「《Warding Bond(守りの紐帯)》だ。対の指輪をはめ、私が触れて祈れば、汝の守りは強まり、受けた傷の半分をこの身へ移せる。片方はすでにこの篭手の下にある。私が倒れるか離れすぎれば切れ、必要なら私から解ける。よいか」
背後で赤白い光条と白銀の魔弾が交差し、女の騎士の大剣が後衛の杖を弾いた。ゼンゼは差し出された指輪へ目を落とす。自分の傷が彼へ流れることになるが、ここで自分が崩れれば、正面のネオセリッドを押さえる者がいなくなる。迷いを一息で収め、右手を差し出した。
「……分かった。だが、私の代わりに死ぬのはやめてくれ」
男の騎士は一瞬だけ目を細め、頷きとも首を振るともつかぬ仕草で応えると、右手で指輪をゼンゼの掌へそっと載せる。ゼンゼはそれを受け取り、右手の薬指に通す。男の騎士は円盾を前腕の革帯で固定したまま、空いた右手の篭手でゼンゼの肩に軽く触れ、同時に左の前腕ごと円盾の縁で小さく印を結ぶ。二人の指先の間に銀糸が一度だけほどけ、胸の奥に静かな涼しさが落ちた。ゼンゼは脈の拍が騎士のそれと一瞬だけ重なるのを感じる。楯幕の縁が一段濃くなる。
「行くぞ」
男の騎士は円盾を構え直し、前へ押し出した。ゼンゼも髪を締め直して同時に飛び出す。二人は空中で斜めの楔を作るように加速し、正面のネオセリッドへ一気に距離を詰めた。騎士の楯幕が固くなり、叩きつけられた触手を外へ逸らす。その隙へゼンゼが槍を差し入れ、縫い目の奥へ浅く刃を通した。粘液が細く飛び、外殻の縫合がうなりながら閉じる。騎士の腕がきしむ音は紐帯を伝ってきたが、足は崩れない。ゼンゼの肩へ走った衝撃も半分に薄まり、残りが騎士の胸甲へ鈍く跳ね返った。
「……助かる。引き続き援護を頼む。私が敵を刺す」
「任せておけ」
ゼンゼは盾と槍を交互に繰り出し、騎士はそのたび楯幕の厚みを変える。広げすぎれば薄くなる。狭めすぎれば隙が増える。騎士はどちらへも寄らない幅を保ち、ゼンゼの槍筋だけを空けていた。剣には手を回さず、触手の横薙ぎを盾の縁で軌道の外へ逃がし続ける。円盾が触手を流すたび、騎士の足は弧を描いて元の位置へ戻った。剣を抜かぬまま、月下の舞踏の型を盾で踏んでいる。
ネオセリッドは二人の呼吸を崩そうと、重い薙ぎの途中で触手を急に沈めた。狙いはゼンゼの足元だ。騎士が円盾を伏せ、その縁を滑らせて触手を地へ落とす。触手の根元がゼンゼの肩をかすめ、鈍い痛みが走った。同じ拍で紐帯が冷たく張り、傷の半分を引き受けた騎士の肩も沈む。
痛みが来た時、盾も開いていた。ゼンゼは一拍も待たず、口器の脇へ髪槍を差し込む。刃は精神の膜を削り、灰紫の皮へ細い傷を通した。巨体が頭を振る前に、騎士の盾が槍の根元を支える。二人がかりで傷を横へ広げた。すぐに縫合の光が集まったものの、閉じ切るまでには先ほどより一拍多くかかった。
一方、女の騎士は側面に展開するセウガシたちへ一気に距離を詰め、最初から後衛を狙って接近戦を挑む。騎士の突進を通すため、タヴが後方上空から《Mold Earth(大地成型)》を走らせた。右前衛の腹脚が着く寸前に砂礫が盛り上がり、次の一歩では地面が浅く沈む。体節が上下へ揺さぶられたところへ、ヴィアベルの《ゾルトラーク(一般攻撃魔法)》が左前衛の手首と鍔元を正確に打ち、レイピアの軌道を外へ弾いた。二体の腹節の間が、人ひとり通れる幅に開く。女の騎士はそこを斜めに駆け抜けた。
後衛は触手の一本で杖を、もう一本でレイピアをすでに構えていた。杖に力を集めようとした瞬間、女の騎士の刃が一拍早く杖頭の線を押さえ、術の立ち上がりを潰す。後衛は杖を引く動きからそのままレイピアの刺突へ切り替え、口腔の咬器も突き出して噛みつきも混ぜるが、女の騎士は角度を変え、剣の腹でレイピアを絡め取っては外へ払い、敵を間合いに入らせない。
細身の剣は軽く見えるが、振り下ろされる速度は速い。その間、前衛二体はタヴとヴィアベルへ正面から《Scorching Ray(灼熱の光線)》を交互に放って応戦するが、後衛の援護に回る余裕はない。
タヴは視界の端で、別戦線にいるゼンゼの髪へ白い光がまた走るのを捉えた。祝福は続いている。こちらはセウガシを崩すだけだ。足下を流れる砂交じりの風の中で、彼は呼吸を一度だけ整え、女の騎士が後衛を押さえる前面へ視線を戻した。
騎士は前面でグレートソードを斜めに構え、前衛二体の間へ角度を差し込んで進行を止め続ける。タヴは彼女の右後方の上空に留まり、ヴィアベルは左後方で角度を合わせる。三体はすでに二体前衛、一体後衛の三角陣を取り、前衛はレイピアを肩の高さに据え、後衛は杖を胸前で斜めに構えて援護の体勢を崩さない。
そのとき、三体の皮膜の下を緑色の脈動が同時に走った。右前衛の腹脚が沈んだ土から抵抗なく抜け、女の騎士に刃の腹で押された後衛も、濡れたもののように圧の脇を滑っていく。タヴは《Freedom of Movement(移動の自由)》に似た光を見て取り、後衛へ意識を絞った。
タヴは《Dispel Magic(魔法解呪)》に《Subtle Spell(呪文発動秘匿)》を重ね、後衛のセウガシへ術を投げ込む。皮膚の内側で脈動が止まり、女の騎士が押し込んだ剣の腹に体が引っ掛かった。だが次の一歩までに、同じ緑の光が傷口から染み出し、また全身へ巡ってしまう。タヴはヴィアベルへ短く告げた。
「拘束を抜ける加護が、解呪してもすぐ戻る。直接攻撃で削るぞ」
「神様の景品配りは太っ腹だな。礼拝一回でそんな加護が付くなら、今から祭壇に走ってもいいぜ」
二人は言い終えるより先に火力を重ねる。ヴィアベルが《ゾルトラーク(一般攻撃魔法)》を左前衛の眉間へ通し、タヴは《Eldritch Blast(怪光線)》を右前衛の胸板に連射した。前衛二体は薄い精神障壁を身の周りに立て、表層の空気が水面のようにたわんで弾ける。だが防ぎ切れなかった一条が膜の隙を抜けて迫り、受けた個体は胴を素早くくの字に折って体節を平らにし、腹の多数の脚で地面を掻いて横に滑るように退き、入射角を外して回避した。
後衛は女の騎士と至近で鍔迫り合いを続け、片方の触手で杖頭を守りつつ、もう片方の触手でレイピアの刺突を差し込み、口縁の鉤歯を開いて噛みつきも混ぜ、近接の圧を切らさない。女の騎士はグレートソードの腹でレイピアを絡め取って外へ払い、噛みつきは剣身の平と肩の捻りで頬をかすめさせるに留める。背の光翼で短く浮き下がって間合いを調整し、高さを保って刺突線をずらす。
前衛二体も《Magic Missile(魔法の矢)》で反撃し、光の矢がタヴとヴィアベルを正確に追う。タヴは《Shield(盾)》で応じ、ヴィアベルも《防御魔法》の面を斜めに立て、追尾する光を外へ滑らせた。最後の光弾が砕けると、三体の射撃が途切れる。
だが接近戦を続ける女の騎士の足が、踏み込むはずの場所より半足ぶん外へ落ちた。戻した剣先も二重にぶれ、後衛の喉ではなく肩口をかすめる。三体の周囲で絶えず擦れていた精神のざわめきが、近くに留まる彼女の感覚へ食い込んでいるのだ。女の騎士は瞼を固く閉じて開くが、地面の傾きは左右へ揺れたまま戻らない。次の刺突を払う剣の弧が、肩幅ひとつ外へ膨らんだ。
後衛はその乱れを逃さず、レイピアを短く二度突き込んだ。女の騎士は一撃目を剣の鍔で受け、二撃目に肩を引く。切っ先が胸甲の月紋を擦り、銀の火花が散る。さらに横から前衛の杖先が向き、淡い光が彼女の視界へ広がりかけた。タヴはクオータースタッフを上げ、その線へ黒い光を割り込ませる。杖頭が跳ね、術の光は空へ逸れた。
タヴの視界の先で、女の騎士はグレートソードを握り直し、息を吐いて吸い、標的の喉元だけを見る動作で意識を刃へ戻す。タヴはクオータースタッフを軽く掲げ、先端を騎士へ向けて《Message(伝言)》を送る。
「無理をするな。援護するから距離を取ってくれ」
女の騎士は持ち場へ半歩戻りかけ、止まる。置いた足が狙った場所から半足ぶん外れた。視界の揺れが収まらないうちに離脱を選び、《Message(伝言)》の囁きをタヴへ返す。
「……承知よ。上へ抜けて、弓に替える」
女の騎士が返答した直後、タヴは向けたクオータースタッフの先端から四条の《Eldritch Blast(怪光線)》を同時に解き放つ。二条は後衛に叩き込み、残る二条は左右の前衛へ撃ち分ける。黒い光に押された三体の軸が外へぶれ、反射的に間合いを一歩引く。
三体の軸が外へ開いた間に、女の騎士は実体のない光翼をひるがえし、斜め上へ抜けた。まとわりつくざわめきが薄れるところまで距離を取り、グレートソードを背に収める。代わりに肩のロングボウを抜き、なお味方へ矢を通せる低い空域で身を返した。
女の騎士は一度こめかみを振り、重なっていたセウガシの輪郭が一つへ戻るのを待つ。息を吐く間にも矢を番え、後衛の杖を狙った。ヴィアベルは位置を変えず、短杖の先を左前衛の目と喉の線へ置く。
女の騎士が後衛へ弓を向ける横で、ヴィアベルも動く。セウガシの重心線ごと持ち上げる要領で《物を浮かす魔法》を掛け、接地反力を奪って前進の勢いを殺しにかかった。腹節の土がぱらぱらと落ち、レイピアの切っ先が上へ逸れる。しかし対象は自ら《Levitate(空中浮揚)》を起動した。
セウガシの腹節が地面を離れた。生来の《Levitate(空中浮揚)》だ。二本の触手が砂礫を強く打ち、その反動で巨体が横へ跳ねる。ヴィアベルの術で奪ったはずの踏ん張りを、空中での滑りへ変えられた。彼は忌々しげに舌打ちし、高度を一段上げて射線を維持する。
直後、二体の前衛が同時にこちらへ圧をかける。杖を振らず、声も発さないまま《Dispel Magic(魔法解呪)》がタヴとヴィアベルへ届いた。解除の波が二人の身体を通り抜け、目に見えない幾つもの膜が軋む。弾き返すものと、端から剥がれていくものに分かれた。
タヴが坑道調査の直前に自身へ施した《See Invisibility(不可視視認)》は、視界の端から薄膜を剥がされるように消えた。《Wish(願い)》で再現した《Mind Blank(空白の心)》は揺らいだだけで残る。《エレクティオリンガ(思念を重層翻訳する魔法)》にも、言葉と意味を結ぶ感覚にも、変化はなかった。
タヴの身体に根づいた《Wind Soul(風の魂)》も風を失わない。一方、ヴィアベルを支えていた《飛行魔法》は外から掛けた術式ごと断たれ、身体が急に沈んだ。
「クソっ、術式が──!」
自由落下で速度が一気に増し、ヴィアベルの外套がばさりと膨らむ。地面へ吸い寄せられる身体へ、タヴが《Feather Fall(軟着陸)》を間に合わせた。強い向かい風を受けたように落下が緩む。
「落下速度は抑えた。姿勢だけ保ってくれ」
「恩に着る。すぐに《飛行魔法》で上がる」
ヴィアベルの外套が空気を受け、高度を下げながら身体を安定させる。だが地表へ近づいたところを、前衛二体は逃さなかった。左右から扇状に走路を切り、斜め前へ一気に詰める。二本のレイピアで、ヴィアベルの胴を十字に挟む角度だ。
後衛のセウガシは杖頭の光を広げ、ヴィアベルへ術を向けようとする。女の騎士は斜め上の近い空域から弓を引き、一本目の矢を杖を握る触腕の内側へ打ち込んだ。握りが緩んだ瞬間、二本目が杖頭の脇を叩き、光の向きを上へ弾く。狙いの線を外されたセウガシは彼女へ頭を巡らせ、大口から深紅のガスを吐き返した。
酸味と生臭さを帯びた霧が翼の先を包み、甲冑の銀飾りを赤黒く曇らせる。女の騎士は息を止め、翼を畳んで霧の下端へ身を落とした。頬をかすめた毒にも動きを崩さず、抜けたところで再び翼を開く。だが前衛はなおヴィアベルへ迫り、間合いの圧は緩まない。
タヴは三本の杖先がこちらを窺っているのを見て、《Fireball(火球)》へ《Subtle Spell(呪文発動秘匿)》を重ねる。迫る二体の頭上に赤い一点が灯り、次の瞬間には膨れ上がった炎が二体の上半身を呑んだ。爆発の底が砂地をかすめ、焦げた草と土を狭い輪にして吹き飛ばす。
熱の膜が破れ、乾いた突風が草の穂を寝かせる。二体は身をくの字に折り、爆発の外へ散りながら後退した。外殻を舐めた炎がそのまま消えず、皮膚の下へ吸い込まれていく。《Absorb Elements(元素吸収)》の赤光が触腕を走り、握られた二本のレイピアへまとわりついた。
女の騎士は上空でロングボウを収め、グレートソードを抜いて構え直すと、後衛のセウガシへ向けて高度を落とし始める。ヴィアベルはその間に与えられた時間を使い、《飛行魔法》を再起動して高度を取り直した。そのとき、三体のセウガシがぴたりと動きを止める。触手を胸前でゆるく組み、杖を掲げ、体幹を低く折る。祈りにも似た奇妙な所作だが、矛先は自分たちではない。三体の顔のない視線は、遠く別の戦域へと向いている。
南西から、皮膚の裏を這うような気配が波となって押し寄せた。タヴが顔を向け、ほぼ同じ拍でヴィアベルも短杖をそちらへ振る。遠い閃きの下では、紫黒の影が何かを撫でるように揺れていた。像の細部までは見えなくとも、死者を弄ぶ類の所行だと二人には伝わる。女の騎士もグレートソードの柄を強く握り直し、低い声を落とす。
「許しがたい冒涜だ……!」
ヴィアベルは南西の紫黒い影を睨み、短杖を正面の三体へ戻した。
「クソが……! このイモムシ野郎共をさっさと片づけて──」
ヴィアベルが言い切る前に、タヴの周囲で風が逆巻いた。真下の土埃が吸い上げられ、幾つもの渦を作る。ローブの裾が上へ引かれ、クオータースタッフの先端には青白い静電の輪が灯った。
空気が乾き、雷雨の後に似た匂いが鼻を刺す。女の騎士は目を見張り、ヴィアベルの喉が小さく鳴る。三体のセウガシも祈りを止め、同時にタヴを仰いだ。触手の先が細かく震え始める。
ソーサラーの《Flexible Casting(柔軟な呪文発動)》は、内なる魔力から《呪文スロット》を作り、使い残した《呪文スロット》を再び内なる力へ戻す。タヴも遠征や長期戦では、そのやり繰りで必要な階梯を補ってきた。ただし、新たに作れるのは五階梯までだ。《Wish(願い)》に使った九階梯の《呪文スロット》はすでに空で、本来なら埋め直せない。
タヴは喉の奥で息を一つ裂いた。残っていた低い階梯の《呪文スロット》を内なる魔力へ崩し、血脈に残る力とまとめて逆流させる。向かわせる先は、空になった九階梯の《呪文スロット》だ。本来なら術の仕組みが拒む変換を、肉と神経まで導管にして押し通す。胸骨の裏で雷鳴が鳴り、空のスロットへ血の熱ごと魔力が落ちた。
最初に異変へ気づいたヴィアベルが、短杖を下げかける。声を掛けようと口が動く。だがタヴの足元では、集まりすぎた風が地表を円く削り、細かな石まで浮き上がる。近づけば巻き込まれる。女の騎士も剣を半歩だけ前へ出し、タヴと三体の間へ割り込める角度を取った。セウガシたちは祈りの形を解き、三本の杖を同時にこちらへ向ける。タヴは誰にも目を向けない。今、視線を外せば、束ねた力が身体のどこを破るか分からない。
耳の後ろで血管がはじけ、鼻腔へ鉄の匂いが滲んだ。こめかみの内側が焼けるように脈打ち、視界の縁へ白いひびが走る。指先の皮膚が細かく裂け、皮下では稲妻の細線が瞬いた。乾いた焦げの匂いが周囲の空気へ混じる。タヴはクオータースタッフを持ち上げ、右前のセウガシへ向けた。先端が揺れないまま、乾いた声が落ちる。
「ここで終われ。名を捨てろ」
三体のセウガシが同時に反応する。杖先から、空間の縫い目を逆撫でするように、三条の《Counterspell(呪文妨害)》が走った。断ち糸はタヴの周囲へ食い込み、呼吸と指の動きを三方向から崩しにかかる。胸骨の裏で脈が跳ねても、タヴは肉と神経まで代価にした術式を保持した。三条の糸は詠唱を断てず、弾かれて空へほどけていった。
三本の妨害が弾かれると、標的となった右前のセウガシは複数の脚で砂を噛み、魔法の射程外へ逃れようと横へ跳んだ。石片がはぜ、体幹をくねらせて必死に距離を取ろうとする。タヴは視線すら動かさない。前に向けたクオータースタッフはそのままに、声だけを短く落とした。
「死ね」
セウガシの横跳びは着地まで届かなかった。複数の脚が同時に折れ、体幹が砂地へ落ちる。杖がこつりと石を打ち、複眼が端から一つずつ光を失った。口器の痙攣も、最後の眼が暗くなるのと同時に止まる。
*
タヴたちが三体のセウガシを押さえていた頃、ネオセリッド戦域では、ゼンゼが《Wind Soul(風の魂)》で地表すれすれを滑り、男の騎士と肩を並べて巨体の正面へ出ていた。騎士の背で実体のない光翼が静かに打ち、円盾の縁が月光色に明滅する。ゼンゼの右手薬指では白金指輪が光り、騎士との間を結ぶ《Warding Bond(守りの紐帯)》が、一度だけ見えない糸の輪郭を浮かべて消えた。
ネオセリッドはうねる胴を低く伏せ、太い触手を面で押す薙ぎと、半歩角度を外した突きを交互に繰り出した。予備動作は薄く、触手より先に空気だけがざわめく。口奥の襞が開くたび、石と砂の匂いへ酸臭が混じり、舌の根に金属の苦みが残った。
「月の巫女よ、道を明らかに──迷いを祓い、刃と心に灯を」
男の騎士が鞘から剣を抜き、短く祈る。胸前で剣と盾を交差させると、鐘に似た音が鳴った。彼とゼンゼの周囲へ粒のような光が降る。《Bless(祝福)》だ。ゼンゼの槍が継ぎ目を外れかければ、穂先で銀の火花が弾けて軌道を戻す。騎士の足が砂に滑った時も、踵の下へ同じ光が散って踏ん張りを支えた。楯幕の前縁が厚みを増す。ゼンゼの髪も次々と形を変えた。槍で継ぎ目を探り、盾で受けて角へ流す。鞭に変えた束は触手を打ち払い、距離を刻んだ。
押しているのは巨体だ。触手は一本ごとに重さが違い、軽い打撃で盾を撫でて軸をずらし、次の重い一撃で押し潰しにくる。ゼンゼの防ぎは間に合うが、風圧だけで腕の骨が鳴った。そこへ頭の奥を白い衝撃が走る。視界は揺れないのに、思考だけが一瞬沈み、同じ衝撃が間を置かず続く。
《Mind Blast(精神爆砕)》の波だ。ゼンゼは呼吸を浅く刻み、《Bless(祝福)》のかすかな導きに意識を合わせて鈍さを押し返す。衝撃のたび右手の指輪が、ちり、と冷たく鳴り、その半分が男の騎士の身へ流れていく。《Warding Bond(守りの紐帯)》が確かに働いている。
ネオセリッドが尾側の節で地を押さえ、前半身を渦のようにたわませる。触手で空を掻いて身体を引き寄せ、顎を絞った。次の瞬間、ばねを解くように頸部が伸びる。狭い角度から喉元へ噛みつく軌道だ。ゼンゼは槍で顎の棘列と口角の間を叩き、てこの力で頭をひねって逸らした。男の騎士も円盾の縁で触手の横薙ぎを刈り、返しの縁打ちを根元へ入れて一歩押し戻す。二人の連携は噛み合っている。それでも巨体の圧は衰えず、白い衝撃がさらに畳みかけた。耳鳴りの中で視界の輪郭が薄くなる。
ゼンゼの膝が風の上で一度沈んだ。紐帯の指輪が冷たく鳴り、男の騎士の呼吸まで荒くなる。沈みかけた意識の半分を引き受けていた。彼は苦痛を隠さず、盾を二度打って拍を刻む。ゼンゼはその音だけを拾った。一打目で髪の盾を畳み、二打目で槍を伸ばす。触手の間を縫った穂先が外殻の傷へ届き、閉じかけた縁をもう一度こじ開けた。粘液が髪を濡らし、巨体の喉から低い軋みが漏れる。騎士が半歩押し込み、ゼンゼはさらに刃を深くした。二人を結ぶ銀糸が張り詰め、白く浮かぶ。
ネオセリッドの口器が、その銀糸を追うように二人の間へ向いた。触手の連打が止まり、代わりに口奥の襞がひとつずつ開いていく。空気ではなく、まとっている魔力そのものを吸い込むような冷えが走った。
祈りの粒が一斉に消え、右手の指輪の冷えが途切れた。ネオセリッドの口器が音もなく鳴り、目に見えない一刀が走る。《Dispel Magic(魔法解呪)》がゼンゼを断ち、同時にゼンゼにかかっていた《Bless(祝福)》も、《Warding Bond(守りの紐帯)》も霧のように解けた。《自身の髪の毛を自在に操る魔法》で編んでいた髪の結び目もほどけ、盾と槍の形が崩れる。
「くっ──!」
ゼンゼが髪を再編しようとした隙へ、一本目の触手が面で押し潰しに来る。彼女は《防御魔法》を起こし、六角形の魔力板を前へ重ねた。衝突した中央板が深くたわみ、隣り合う板へ白い亀裂が走る。そこへ二本目が斜め上から落ち、まだ光の残る継ぎ目を正確に打った。
障壁が砕ける。破片の光を割って三本目が入り、ゼンゼは髪の束を辛うじて間へ差し入れた。だが束ごと押し込まれ、触手の重みが脇腹へ届く。肺から息が抜け、身体が風の上を横へ滑った。追ってきた四本目を残った髪の盾で受け流すものの、衝撃は肩から背へ突き抜ける。《健康の祝福》の熱が臓腑の奥で張り、鳴った骨を内側から支えた。視界の縁が黒く狭まる。ゼンゼは舌を噛んで意識を繋ぎ、ほどけた髪をもう一度束ね始めた。
男の騎士がゼンゼの前へ割り込んだ。横切りざまに円盾を叩き上げ、最も重い触手の角度を外す。剣身の平を円盾の縁へ預け、柄から右手を離してゼンゼの肩へ触れると、淡い温もり──《Cure Wounds(傷治療)》が流れ込んだ。胸を締めつけていた痛みが和らぎ、打撲の芯がほぐれて呼吸が戻る。触れたまま、彼は低く告げた。
「下がって組み直せ」
ゼンゼは頷き、風へ身を預けて数間退きながら髪を再編する。束は盾と槍へ戻り、先端が継ぎ目を探る細い針の形へ尖る。騎士は剣の柄を握り直して一歩も退かず、円盾を斜めに置き、剣先で巨体の注意を正面へ留めた。その背後で、ゼンゼの脳幹の奥へ氷の針のような圧が集まる。ネオセリッドの見えない刃が、彼女へ照準を合わせている。
「我と汝、今は一対──こちらを見よ」
男の騎士の祈りに応じ、円盾の月紋から一本の白い線が走った。《Compelled Duel(強制決闘)》の光はネオセリッドの胸元へ絡み、引き絞られた弓弦のように張る。巨体の触手がゼンゼを追う角度で止まり、一本、また一本と男の騎士へ向き直った。さきほどまで彼女の心臓へ滑り込もうとしていた冷たい圧も、進路を変えて彼の胸へ集まっていく。男の騎士は円盾を深く構え、視線だけでゼンゼを見た。静かな声で、短く告げる。
「汝に託す」
ゼンゼは左手を胸前へ上げ、指先から召喚の糸へ意識を通す。《騎士の恵み》の結び目を解き、元の世界へ還すための線が指の間に生まれた。閉じる寸前、世界の膜が乾いた音を立てる。騎士の兜が後ろへ跳ね、剣を握る指が一本ずつ開いた。円盾の縁が地を擦り、膝が落ちる。ゼンゼの指先に残った召喚の糸は、行き先を失って冷たくほどけた。
ネオセリッドの眼も触手も、すでにゼンゼへは向いていない。騎士が「汝に託す」と告げた時には、見えない狙いが彼へ移っていたのだ。何を嫌い、なぜ先に狙ったのかまでは読めない。ゼンゼは倒れた兜の奥に息の動きを探したが、胸甲も喉当ても二度と持ち上がらなかった。
ネオセリッドの上空へ、紫黒の油膜が咲く。虹を孕んだ粘る滴が花弁のように開いては潰れ、眼球に似た泡が無数に膨らんで溶ける。甘く腐った臭気へ鉄の匂いが混じる。名を呼ぶ必要のない遠いものが、粘体の幻肢を伸ばして犠牲の上を撫でる。祝福ではない。供物を差し出した者へ向ける、濡れた称賛だった。
ゼンゼは奥歯を噛み、髪の槍を構え直す。ネオセリッドが口腔をすぼめ、酸の扇を成す溜めに入る。倒れた騎士の遺骸と、自分を同時に巻き込む角度だ。ゼンゼは風を足裏に噛ませ、《Wind Soul(風の魂)》の推力で遺骸へ切り込み、髪を瞬時に帯へ束ねる。剣帯と円盾の取っ手という硬い把持点だけを一拍で引っ掛け、遺骸を円錐の外へ跳ね出す。同時に彼女自身は逆方向へ身を切り、扇の縁から抜ける。酸線は遺骸があった空間を焼き、白い蒸気が甲冑の縁で弾ける。飛沫が頬へ届く寸前、髪の盾が火花のようにそれを弾いた。
だがネオセリッドの喉は震え続け、次の噴線を遺骸へ合わせた。もう一度運ぶためゼンゼが前へ出れば、今度は回避が間に合わず、彼女自身が酸を浴びる。騎士はゼンゼを生かすために死んだ。その意志を捨て身で無にすることはできない。空気が一度擦れ、ひび割れた思念が皮膚の裏へ押し入る。本来、ネオセリッドは言葉を理解せず、話せない。だが誰かの手が動物の喉へ人の声を掴ませたように、意思の形だけが無理に編まれた。
【い……ガイ/カ……オマエ。エラベ】
ゼンゼは返事を待たず、右掌から白銀の《ゾルトラーク(一般攻撃魔法)》を撃った。喉奥へ届くはずの閃きに対し、巨体の輪郭が撓み、空間が裏返る。予備動作のない短距離移動だった。魔弾は空を切り、ネオセリッドは次の瞬間、遺骸の傍へ現れる。
薄緑の短い噴流が先に走り、遺骸の肩口から胸郭を斜めに洗う。布と皮膚が泡立って崩れ、金具が白く曇り、骨の縫い目が露出する。続いて、喉がひとつ鳴る。口縁の歯列が外へめくれ、咽喉の内側に並ぶ棘が螺旋に立つ。吸い込みが始まると、酸で脆くなった頭蓋の接合がばきりと割れ、脳漿と骨片が渦に攫われた。
上半身は咽喉へ半ばまで飲み込まれ、咽頭は獲物を呑み込む生物の動きで収縮する。だが棘が騎士の肉を削るたび、上空では眼球めいた泡がひとつずつ膨らんだ。酸の唾液が白煙を上げれば油膜の花弁が開き、頭蓋の割れる音には粘る指が同じ拍で折れ曲がる。脳漿と骨片が吸い込まれると、花弁は満ち足りたように閉じた。ゼンゼの胸骨の裏へ、冷たい爪が食い込む。
粘る幻肢がまた空に芽吹き、紫黒の油膜がぬらりと笑ったように揺れる。ぬめる掌の幻影がはっきりと拍手を打ち鳴らし、一打ごとに湿った音が空気へ染み広がった。ゼンゼの喉の奥で何かが軋み、視界の縁が冷たく細く光る。
【……クモツ。きょう──】
「喋るな」
自分の声とは思えない低さで言葉が落ちた。胸の奥に灯った熱は暴れず、髪の槍と同じ方向へ細く真っ直ぐ伸びていく。月光の糸が舌の裏へ触れ、その口を借りたもう一つの声が短く吐き捨てた。
「お前のそれは祈りではない。喉を閉じろ」
こいつは私が殺す。
最後までお読みいただきありがとうございました。
更新は不定期ですが、じっくり丁寧に進めていきますので、気長にお付き合いいただければ幸いです。