界を穿つ魔法使い   作:黄金の20面ダイス

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帝国とギスヤンキが激突する戦場で、ギスヤンキは奴隷兵を投入し、ラジエルは高度な魔法と巧妙な策略を駆使して激戦を展開。ギスヤンキは自軍兵士すら無慈悲に処分し、その恐るべき非情さを目の当たりにした帝国軍は、戦場で新たな覚悟を試されることになる。一方、次元亀裂から押し寄せるデーモン軍勢の猛攻を受けたブロックスは、防衛線の崩壊寸前に追い詰められていたが、そこに多元安定機構の援軍が現れる。


#9:鋼鉄と魔法が交差する戦場

 高地を吹き抜ける風は頬が痺れるほど冷たい。帝都アイスベルクから離れた山間部には、張り詰めた静けさが広がっている。切り立った岩壁の間に張った天幕が並び、灯した篝火が薄明かりの中で揺れる。三十名の帝国兵が黙々と準備を進め、その傍らで、女性指揮官のエリーゼを含む五名の魔法使いが精神を集中させている。

 

 その一角に、蒼銀のローブを纏ったラジエルが立っている。視線はどこか気だるげで、軽薄そうな笑みを崩さない。彼を警戒するエリーゼは硬い表情のまま、ラジエルに声をかける。

 

「ラジエル殿、本当に作戦に参加されるおつもりですか?率直に申し上げて、軍の上層部でもあなたの起用については意見が割れています」

 

 ラジエルは眉をわずかにひそめ、肩をすくめる。普段とは違い、魔法による翻訳を介さない肉声で返答した。

 

「オヤ、まだ……ソンナ、ことイッテルのかい?僕ガ、協力スれば帝国側ノ……ヒガイを最小ゲンにオサエラレルと、保証スるケドね。ソレニ、コレは陛下の……ご意思……だったのでは?」

 

 ラジエルの言葉は発音や抑揚がところどころずれているが、意味は伝わる。エリーゼは驚きを隠せず、わずかに目を見開く。

 

「ラジエル殿、この世界の言語をいつの間に習得されたのですか?」

 

 ラジエルは苦笑しながら軽く手を挙げ、《Tongues(言語会話)》を簡潔に唱える。舌先へ魔力が通り、その後の声は滑らかに響く。

 

「申し訳ない。まだ完全には身についていないみたいでね。学習を始めてから、一月も経っていないんだ。大目に見てくれると助かるよ」

 

 その返答を耳にしたエリーゼと周囲の兵士たちは、ラジエルに対して驚きと畏れを強める。わずか数週間で、文法と発音が必要な異世界の言語をここまで扱っている。その能力と才気が示す危うさは、誰の目にも明らかだ。エリーゼは表情を引き締め、苦々しく頷く。

 

「……承知しています。ただ、あなたの行動は常に我々の理解を超えています。現場の士気にも関わる問題ですので」

 

 周囲の兵士と魔法使いも、疑念と警戒の視線をラジエルへ向ける。だがラジエルは意に介さず、薄い笑みを浮かべたままだ。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。皆が無事に帰ることが一番重要なんだからさ」

 

 その口調は軽く、信用できる響きとは言い難い。それでも、彼の言葉を正面から否定できる者はいない。やがて夜の暗さが薄れ、冷たい風が峡谷へ流れ込む。早朝の淡い光が広がるころ、帝国軍の部隊はすでに隊列を組み、進軍を開始している。

 

 アイスベルク郊外の高地は、険しい岩肌が鋭く突き出し、進める道が限られている。この難所を越え、事前の偵察で得た地形調査とギスヤンキの戦術傾向の分析を踏まえたうえで、敵が位相アンカーを設置していると思われる地点へ向かう。

 

 帝国兵は歩みを抑え、周囲を警戒しながら前へ出る。その視線は時折、自軍の前衛に立つラジエルへ向く。

 

「あいつが前に立つのか……本当に大丈夫なのか?」

 

「陛下のお達しだからな。仕方ない」

 

 兵士たちの囁きを耳にしながら、エリーゼも苦い表情でラジエルを見ている。ラジエルは戦闘に参加させない予定だったが、帝国の損害を抑えられると主張して参加を提案し、陛下の命で渋々承諾した経緯がある。

 

 ラジエルは視線の集まりを感じ取り、小さく肩をすくめる。ラジエルは隣を歩くエリーゼへ軽く手を振る。

 

「さて、作戦を始める前に、君たちにささやかな魔法を施してあげようか。大したことじゃないが、少しは生きて戻れる見込みが上がると思うよ」

 

 エリーゼは眉をひそめ、疑いの目を向けて言った。

 

「何をなさるおつもりですか?勝手な真似は控えていただきたいのですが……」

 

 ラジエルは気にせず、口元を少しだけ緩め、指を一本立てながら言葉を返す。

 

「まあまあ、そう固くならずに。身体を軽くして、動きを整えるだけのものさ」

 

 ラジエルは即座に詠唱へ入る。術の組み立ては精緻で、手順も速い。その様子を帝国の魔法使いたちは訝しげに見守る。ラジエルが用いるのは《Longstrider(健脚)》と呼ばれる魔法だ。対象の身体に軽い魔力を通し、移動速度を高める補助魔法である。

 

 通常、ウィザードは呪文を行使する前に、自身の魔法書を研究して術式の構造と魔力の流れを精神へ定着させる必要がある。知識と集中によって準備した呪文は、十分な休息のたびに組み直せる。術者はその都度、必要な呪文を選び、心の内側で再構築する。

 

 だが《Spell Mastery(呪文体得)》の域に達した術者にとって、この手順はさらに踏み込んだものになる。通常の準備を超えて、一部の呪文構造を精神と魔力の深部へ刻み込み、基本的な範囲の行使であれば、魔力の消耗なしに発動できるようになる。

 

 さらに、術者が八時間をかけて深い瞑想と集中を行い、刻み込んだ呪文構造を慎重に解き、別の術式を組み直せば、熟達の対象を入れ替えることもできる。その再編成には、改めて魔法書を精査し、精神の内側に新しい魔法構造を記憶し直す作業が必要だ。加えて、その作業には通常より長く慎重な時間を要する。

 

 ラジエルは《Longstrider(健脚)》を《Spell Mastery(呪文体得)》の域まで高めている。ラジエルは意識をわずかに集中させるだけで、この魔法を繰り返し扱える。

 

 ラジエルは儀式めいた手つきで、兵士と魔法使い一人ひとりの肩へ軽く触れていく。

 

「まず君から。じっとしててね……はい、次」

 

 帝国軍の魔法使いの一人が首を傾げ、小声で漏らす。

 

「これは……一体何の儀式なんだ?」

 

 だが魔法を受けた兵士たちは直後に、自分の身体が軽く感じられることに気づく。足運びが滑らかになり、踏み込みが遅れにくい。

 

「本当だ、身体が軽い……」

 

「動きが楽になってる……気休め程度かと思ったが、案外効果があるのか?」

 

 兵士たちは警戒を解き切らないものの、隊の空気はわずかに持ち直す。最後にラジエルはエリーゼの前で足を止め、穏やかな表情で手を差し出す。

 

「エリーゼ殿、あなたもですよ。……ご心配なく、ほんの些細な後押しさ」

 

 エリーゼは一瞬迷い、複雑な感情を浮かべながらも静かに頷く。ラジエルの手が肩に触れると、軽い感覚が身体の内側へ広がる。

 

「確かに効果があるようですね……」

 

 エリーゼは感謝の視線を向けつつも、胸の奥の警戒を拭い切れない。自分の反応に戸惑いを残したまま、彼女は口を開く。

 

「……準備は完了しました。進みましょう」

 

 ラジエルは小さく笑い、落ち着いた動作で頷く。帝国軍の部隊は前進を再開する。

 

 やがて峡谷の中央付近へ差しかかると、帝国軍の部隊は伏兵を警戒し、索敵魔法を先行して展開する。兵士たちは盾と槍を構えて防衛陣を敷き、魔法使いたちは視界と探知を補う術を重ねる。ラジエルも周囲の魔力の流れを探りながら、前線の中央に立っている。

 

 その時、索敵魔法を操るエリーゼが低く告げる。

 

「付近一帯で異常な魔力波動を検知しました。この反応……位相アンカーが峡谷のどこかに隠されていると見て間違いありません」

 

 エリーゼの言葉を受け、帝国兵は周囲の地形を改めて確認する。視線を凝らすと、高台と簡易な防衛陣地が次第に浮かび上がる。その陣地の周囲には、銀色の甲冑を身に纏ったギスヤンキ兵が整然と隊列を組み、こちらの接近を待ち構えている。帝国軍の部隊は足取りを抑え、前線拠点へ近づいていく。

 

 防衛陣の中央には隊長格と思われるギスヤンキ・ナイトが二名いる。その背後の高台には、紫色の不穏な光を帯びた魔導兵器、サイオニック砲が左右に二基設置されていた。各砲には魔導兵が二名ずつつき、一名が砲身の調整を進め、もう一名が護衛として周囲を見張っている。

 

 さらに周辺を固める十五名のギスヤンキ戦士が、冷えた表情のまま隊列を維持し、帝国軍の動きを監視している。

 

 その前方に押し出されるように並ぶのは、明らかに意思に反して動員された約六十名の奴隷たちだ。外見はこの世界で知られる種族と異なり、小柄で醜悪な容貌を持つ見慣れない存在が混じっている。

 

 尖った耳を持ち、黄色から赤褐色を中心とした肌色をしたゴブリン。そして爬虫類のような鱗と尾を持ち、臆病ではあるが罠や伏兵を使い、数で押し切る戦い方を得意とするコボルドと呼ばれる種族だ。

 

 どちらも本来は強者に従わされ、斥候や坑道掘り、襲撃などを担うことが多い。だが今は奴隷兵として最前線に立たされており、その扱いは異様に映る。

 

「Maintain formation! Obey your masters, filth!(隊列を維持しろ!主人に従え、愚かな奴隷ども!)」

 

 ギスヤンキ・ナイトが冷酷な命令を飛ばすたび、奴隷たちの首元にはめられた銀色のサイオニック拘束具が光を放つ。奴隷たちの顔が強張り、苦痛に歪む。拘束具が与える精神的な命令が抵抗の意思を削り、身体を従わせる。

 

 その光景を目にした帝国兵の間に動揺が広がり、隊列がわずかに乱れる。

 

「奴ら……見たこともない種族を盾にして防衛を固めているぞ……」

 

 兵士の一人が声を詰まらせる。ラジエルは肩を軽くすくめ、淡々と答える。

 

「あれはゴブリンとコボルドだね。ゴブリンは多くの世界で略奪や襲撃を生業にする種族で、危険を避けて動くことが多い。コボルドは小型の竜に近い種族で、同じく臆病だが狡猾で、罠や集団戦を得意としている。どちらも例外的な強者がいないわけではないが、基本的に単独で前線に出て戦えるほど胆力があるわけではないよ」

 

 ラジエルは言葉を切り、冷えた目でギスヤンキ兵を見やる。瞳には嘲りが混じり、そこに小さな嫌悪が浮かぶ。

 

「それにしても、自分たちを高等種族と称して奴隷を肉の壁として使うとは、相変わらず悪趣味な種族だね。まあ、ギスヤンキが支配する世界では、ヒューマンもエルフも等しくああなる。生き残れても、待っているのは奴隷としての暮らしだけだろうさ」

 

 冷淡な口調がさらに空気を重くし、兵士たちの動揺がさらに広がる。緊張が増す中、エリーゼが鋭くラジエルを睨む。

 

「ラジエル殿、いたずらに兵士を動揺させるのはやめてください。あなたには作戦上の任務があるはずです」

 

 ラジエルは気楽そうに両手を挙げ、軽く笑って見せる。

 

「おや、これは失敬。ただ僕は事実を言ったまでだよ。兵士たちには現実を知る権利があると思ったんだ。なにせ、あそこに立たされている奴隷のようになるかどうかは、これから君たちが勝つか負けるかで決まるのだからね」

 

 エリーゼは言い返しかけて、口を閉じる。唇を噛み、視線を前方へ戻した。ラジエルの言葉を完全には否定できない。

 

 戦場では、勝てば支配し、負ければ支配される。その関係は単純で、結果は残酷だ。どれだけ正義や誇りを掲げても、戦いが始まれば最後に残るのは力の差になる。相手がギスヤンキであれば、その現実はさらに重い。

 

 エリーゼは唇を引き結び、毅然とした声で兵士たちを叱咤する。

 

「これは戦争です。敵は我々の世界を、家族を、そして自由を奪いに来ている。迷いや躊躇は敗北に直結します。皆、帝国の軍人として自らの務めを果たしなさい。守るべきは我々自身と帝国の未来です!」

 

 兵士たちはようやく状況を受け止め、盾を握り直す。目に恐怖は残るが、部隊として戦う意志がそれを少しだけ上回る。

 

 ラジエルは小さく鼻を鳴らし、面白がるように口元を上げた。

 

「いいねえ、そのくらいの覚悟がないと、この先の戦いは乗り切れないだろうからね。彼らの未来がどちらに転ぶのかを決めるのは、君の決断ひとつにかかっているよ」

 

 エリーゼは鋭い視線でラジエルを捉え、短く息を吐く。

 

「言われるまでもありません。私が指揮官ですから」

 

 ラジエルは満足げに頷き、指を鳴らして魔力を高めていく。

 

「それじゃあ、そろそろ僕の役目を果たしてくるよ。まあ、奴隷たちはなるべく殺さないように善処するけどね」

 

 そう言い残し、ラジエルは軽やかに宙へ浮かぶ。そのまま戦場の上空へ向けて急上昇していった。エリーゼは険しい表情で背中を見送り、すぐに兵士たちへ号令をかける。

 

「全軍前進!帝国の誇りを胸に、敵を打ち破るのです!」

 

 号令とともに、帝国軍の部隊は隊形を整え、峡谷を一斉に前へ出る。掲げた盾と剣先が朝の光を反射し、緊張がさらに高まっていく。

 

 対する奴隷兵たちは、恐怖に歪む表情のまま迎え撃つ。ゴブリンやコボルドは生き延びるために基本的な武器訓練を受けてはいるが、隊列を組んで正規の戦線で戦った経験はほとんどない。奴隷兵の列は早くも乱れ、小柄な身体が震えながらも、かろうじて剣や盾を持ち上げている。

 

「Forward, scum! You are merely meat to shield your masters!(進め、下等生物ども!お前たちは主人を守る肉壁だ!)」

 

 ギスヤンキ・ナイトが冷酷に叫ぶ。すると奴隷たちの首に装着されたサイオニック拘束具が再び光り、命令が精神へ押し込まれる。奴隷兵の足は抗えず、前へ踏み出していく。帝国兵が前衛の奴隷兵に接敵する前から、両陣営はすでに応酬に入っている。

 

 後方のギスヤンキ・ナイトが短く指示を飛ばすと、配置についた戦士たちは魔導クロスボウを構え、正確な牽制射撃を重ねる。矢が進路を塞ぎ、帝国軍の進軍速度が抑えられて隊列が揺れる。

 

 高台の魔導兵も間を置かずに《Magic Missile(魔法の矢)》を発動し、帝国側の魔法使いたちの動作を執拗に妨害する。

 

 帝国の魔法使いたちはすぐに防御へ切り替える。前方に《防御魔法》を組み上げ、続けて《ゾルトラーク(一般攻撃魔法)》を返す。だがギスヤンキ魔導兵が《Counterspell(呪文妨害)》を重ね、帝国側の術式を次々に掻き消していく。

 

 上空に浮かぶラジエルは、《Fly(飛行)》で戦場上空を移動しながら位置取りを変え、指先から《Frostbite(凍傷)》──対象を冷気で包み込み、軽度の凍傷を与えると共に動きや攻撃を鈍らせる《Cantrip(初級呪文)》──をギスヤンキ戦士へ連続して放つ。冷気に触れた戦士の動きが鈍り、帝国兵が前へ出る余裕が生まれる。

 

 やがて帝国兵と奴隷兵の前衛が正面でぶつかった。剣戟が交錯し、峡谷中に悲鳴と金属音が反響する。戦列を維持することに不慣れな奴隷兵は必死に応じるが、帝国兵の手数と間合いの前に次々と斬り伏せられ、砂埃の中へ倒れ込む。

 

 奴隷兵の後方に控えるギスヤンキ戦士たちは、隊列を崩さずに魔導クロスボウを構え、一斉射撃で帝国軍を正確に撃ち続ける。中央の二人のギスヤンキ・ナイトも自らクロスボウを構え、牽制射撃を維持しながら、奴隷兵を動かすための指揮を厳しく重ねている。

 

 その時、高台に設置されたサイオニック砲の一基が紫色の光を強め、操作役の魔導兵が狙いを定める。直後に砲身が轟音を放ち、戦場に振動が走った。

 

「Fire at will!(自由射撃開始!)」

 

 紫色の波動が戦場へ叩き込まれ、帝国兵の隊列が崩れて悲鳴が上がる。混乱を収めるため、帝国の魔法使いたちは《飛行魔法》で峡谷の高地を確保し、すぐに攻撃魔法を展開する。

 

「敵魔法使いを叩きなさい!」

 

 エリーゼは杖を掲げ、《カタストラーヴィア(裁きの光を放つ魔法)》を放つ。眩い光の矢が形成され、敵陣の魔導兵へ向けて飛ぶ。だがギスヤンキ魔導兵も反応が速く、《Shield(盾)》を展開して辛うじて弾き返す。

 

 帝国側の他の魔法使いたちも《ゾルトラーク(一般攻撃魔法)》を集中して撃ち込もうとする。しかし、その瞬間を待っていたかのようにギスヤンキ・ナイトが命令を下す。

 

「Counter their spells!(奴らの呪文を妨害しろ!)」

 

 号令と同時にギスヤンキ魔導兵たちの《Counterspell(呪文妨害)》が差し込まれる。帝国の魔法使いが術式を組み終える前に打ち消され、完成しかけた魔法が弾け散る。攻撃と防御が噛み合わず、戦況は膠着へ向かっていく。

 

 一方、上空のラジエルはゆったりと片手を掲げ、静かに魔法を起動する。ラジエルを中心に強い光が閃き、七つの星を模した光球──《Crown of Stars(星の冠)》が次々と現れる。光球はラジエルの頭上をゆっくりと旋回し始めた。

 

 この魔法は術者の意志に従って光球を操り、任意の敵へ強い光弾を放てる高位の魔法だ。強い光が戦場の視線を集め、兵士たちは一瞬動きを止める。

 

 ラジエルは余裕を崩さず片手を振り、小さく呟く。

 

「さて、それじゃあ、もう少し派手にいこうかな」

 

 ラジエルは片手で《Minor Illusion(初級幻術)》──敵の感覚を欺く幻影や音を生み出し、判断を鈍らせる《Cantrip(初級呪文)》──を戦場へ放つ。幻影が現れ、奴隷兵たちが驚いて動きを止める。同時に、もう片方の手で《Crown of Stars(星の冠)》の光弾を操り、後方のギスヤンキ戦士を正確に撃ち抜く。

 

 ラジエルの魔法攻撃が続き、敵陣には少しずつだが確かな動揺が広がっていく。

 

 そして帝国兵たちは、戦場で起きている不自然な変化に気づき始める。敵の攻撃が寸前で逸れたり、目の前の奴隷兵が急に横へ弾かれるように吹き飛ばされる。

 

「おい……やっぱりあの魔法使い、気味が悪いぞ。見えないところで何かやってるみたいだ」

 

 帝国兵の一人が息を切らしつつ仲間に囁くが、その原因を確かめる余裕はない。戦場は混乱と緊迫で埋まっている。

 

 上空から魔法を放ち続けるラジエルを見て、ギスヤンキ・ナイトたちは警戒を強める。使われている魔法とその運用から、ラジエルが帝国の現地魔法使いとは異なる系統──ウィザードだと判断し、その出自をトリル次元に結び付ける。トリルはギスヤンキにとって侵攻対象でもある主要な物質界の一つであり、多元宇宙で強力な魔法使いを多く輩出することで知られていた。

 

 ギスヤンキ・ナイトの一人が険しい表情で指を突き上げ、ラジエルの排除を最優先の目標として命じる。

 

「Shoot him down! Focus all fire on that wizard from Toril!(奴を撃ち落とせ!あのトリルのウィザードに集中砲火を浴びせろ!)」

 

 号令と同時に、周囲のギスヤンキ戦士たちは魔導クロスボウを構え、空中のラジエルへ照準を合わせようとする。だが狙いが定まりかけた瞬間、ラジエルの周囲で光が揺らぎ、《Mirror Image(鏡像)》が展開される。複数の幻影がラジエルと同じ動きで並び、戦士たちは本体の位置を判別できない。判断がつかないまま引き金が引かれ、魔力付きの矢が鋭い音を立てて上空へ殺到する。

 

 矢の大半は幻影へ向かい、身体を貫いた直後に霧散して実体に届かない。わずかに正確な軌道で迫る矢には、ラジエルが片手を上げ、《Shield(盾)》を即座に張る。魔法障壁が矢を弾き、矢は軌道を崩して落ちていく。

 

 その間にギスヤンキ魔導兵たちはサイオニック砲を調整し、強い紫色の波動をラジエルへ放つ。精神を狙うはずの波動は、ラジエルの身体へ触れた瞬間に拡散し、形を保てず消える。

 

「残念だけど、その手の攻撃は通じないんだよね」

 

 ラジエルは《Mind Blank(空白の心)》──術者の精神を守り、精神攻撃や占術効果を遮断する強力な防護魔法──をすでに自分へ施している。この程度の波動では干渉できない。

 

 攻撃が通らず、魔導兵の動きにわずかな間が空く。ラジエルはその瞬間を逃さず、高位の《Spell Slot(魔力の器)》を用いて《Shatter(破砕)》を放つ構えに入る。

 

 護衛のギスヤンキ魔導兵がそれに気づき、咄嗟に《Counterspell(呪文妨害)》を差し込んで止めようとする。だが護衛が用意できる《Spell Slot(魔力の器)》では、ラジエルが注ぎ込む高位の魔力と練度に釣り合わない。妨害の術式は途中で押し潰され、ラジエルの詠唱は乱れないまま進む。

 

 砲を操作していた魔導兵は間一髪で《Misty Step(霧渡り)》を使い、その場から姿を消して背後へ移る。しかし護衛は《Counterspell(呪文妨害)》の行使で反応が遅れ、身を退く動作へ移る前に衝撃が届く。

 

 ラジエルの指先から放たれた衝撃がサイオニック砲と護衛を直撃する。兵器は破片となって飛び散り、護衛の魔導兵も同時に砕け散る。高台の一部が崩れ、耳を刺す爆音とともに黒煙が立ち上る。その煙はギスヤンキ兵と奴隷兵の視線を引きつけた。

 

 帝国兵たちは砲台が破壊される光景を見て、ラジエルの魔法が戦場の流れを強引に変えることを改めて実感する。その威力と手際は兵士たちの感覚を越えていた。

 

 同時に前線でも騒ぎが起きる。砲が粉砕され、護衛のギスヤンキ魔導兵が吹き飛ぶのを見た奴隷兵たちは、恐怖に耐え切れず散り散りに逃げようと動き出す。

 

「Graak! Druruka mog!(誰か!助けて!)」

 

 ゴブリンが震える声で甲高く叫び、後方へ向けて走り出す。隣ではコボルドが、喉の奥を絞るような竜語で叫ぶ。

 

「Vethis! Vethis aryte!(もう嫌だ!こんな戦いは!)」

 

 パニックに陥った奴隷兵たちは武器を捨て、涙を流しながら逃げようとする。だがギスヤンキ・ナイトは許さない。ナイトは冷酷な表情のまま、逃亡を図る奴隷兵へ強い《Psionics(超能力)》の波動を放つ。奴隷兵の身体が硬直し、苦痛に顔を歪める。足取りは止まり、操られるように前線へ引き戻されていった。

 

「Worthless filth! Fight until you perish!(愚かな役立たずどもめ!死ぬまで戦え!)」

 

 ギスヤンキ・ナイトは命令を止めない。拘束された奴隷兵たちは絶望した表情のまま、前へ出るしかなかった。

 

 一方、もう一人のギスヤンキ・ナイトは、奴隷兵の混乱が帝国兵へも波及し、側面に小さな隙が生じたことを見逃さない。銀色の両手剣を抜き、後方から前線へ向けて駆け出す。

 

「Cover me! I'll lead these slaves and strike their flank!(援護しろ!私が奴隷どもを率いて奴らの側面を叩く!)」

 

 命令を受け、周囲のギスヤンキ戦士たちは魔導クロスボウで射撃を重ね、ナイトと奴隷兵の突撃を援護する。もう一方のギスヤンキ・ナイトもクロスボウを掲げ、空中のラジエルへ狙いを向けた牽制射撃を続けている。

 

 エリーゼは敵の側面攻撃に気づき、帝国軍部隊の魔法使いたちへ鋭く指示を下す。

 

「側面攻撃を許してはなりません!魔法で迎撃せよ!」

 

 号令とともに帝国軍部隊の魔法使いたちは詠唱を始める。だが同時に、破壊されたサイオニック砲を操作していたギスヤンキ魔導兵が戦線へ戻り、残る一基のサイオニック砲のそばにいた魔導兵も牽制の魔法を展開する。彼らは《Counterspell(呪文妨害)》を重ね、帝国側の術式を次々と打ち消していく。

 

 帝国魔法使いの一部は辛うじて攻撃魔法を放つが、直後にギスヤンキ戦士たちが激しい反撃に出る。正確な魔導クロスボウ射撃が魔法使いを狙い、さらに数名のギスヤンキ戦士が《Misty Step(霧渡り)》や《Enhance Leap(強化跳躍)》で距離を詰め、近接攻撃を仕掛けてきた。

 

 突然の接近戦に巻き込まれた帝国軍部隊の魔法使いたちは攻撃を中断し、《防御魔法》や《ジルヴェーア(高速で移動する魔法)》を急いで展開して距離を取る。しかし経験の浅い魔法使いの一人だけが対応し切れず、前線に取り残される。焦って《防御魔法》を起動しようとしたその眼前に、ギスヤンキ戦士の銀色の剣が迫っていた。

 

「ひっ……待っ──!」

 

 その言葉は最後まで届かない。鋭い銀剣が魔法使いの胸を深々と貫き、彼は呻き声を漏らす間もなく崩れ落ちた。

 

「嘘だろ……まだあんな若い奴が!」

 

 帝国の魔法使いたちから悲痛な声が漏れる。だが魔法使いたちはすぐに訓練で身につけた動きを取り戻し、怒りと動揺を押さえ込んで防御態勢を立て直す。

 

 散発的に放たれる攻撃魔法は効果が薄く、ギスヤンキ・ナイトが率いる奴隷兵の側面攻撃を止め切れない。隙を突いてギスヤンキ魔導兵は残る一基のサイオニック砲を調整し、紫色の波動を帝国兵の隊列へ撃ち込む。衝撃が直撃し、数名が吹き飛ばされて混乱が広がる。

 

 帝国軍部隊は崩れかけている。だが上空のラジエルは見過ごさない。ラジエルは牽制射撃を続けるギスヤンキ・ナイトへ鋭い視線を送る。直後、《Crown of Stars(星の冠)》から光球がひとつ放たれ、猛烈な速度で飛ぶ。ナイトは咄嗟に回避し、光球は脇を通り過ぎる。だが、その一瞬の動きの乱れこそがラジエルの狙いだった。

 

 ラジエルは高位の《Spell Slot(魔力の器)》を消費し、《Shatter(破砕)》を残されたもう一つのサイオニック砲へ撃ち込む。ギスヤンキ魔導兵の二人は、ラジエル相手では砲を守り切れないと判断し、《Misty Step(霧渡り)》で攻撃範囲から離脱する。

 

 しかし、そのうち一人が姿を消して再出現した地点へ、間を置かず《Crown of Stars(星の冠)》の光弾が飛び込む。星のような輝きを帯びた魔力の塊が魔導兵の頭部を貫き、頭が吹き飛んだ。

 

「Damn you, wizard scum! You'll pay for this!(忌々しいウィザードめ!この報いは必ず受けさせてやる!)」

 

 回避した直後、同僚が無残に倒れるのを見たもう一人の魔導兵が、怒りに満ちた声でラジエルを罵倒する。

 

「そんなに怒るなよ。死は神聖なるリッチ女王とやらの元に召される祝福なんだろう?」

 

 ラジエルの冷笑が閃光に重なって響く。サイオニック砲は爆散し、砲台は轟音とともに完全に破壊される。陣地には再び濃い煙が立ち上った。

 

 だが、帝国軍部隊の側面へ回り込んだギスヤンキ・ナイトと奴隷兵の攻撃は、すでに成功しかけている。逃げようとした奴隷兵は《Psionics(超能力)》で押し戻され、絶望の表情のまま帝国兵の盾列へ突き込まれる。帝国兵は盾で受け止めながら後退し、列の間合いが乱れる。

 

 ギスヤンキ・ナイトはその乱れを見て踏み込み、両手剣で帝国兵の盾の縁を叩き落とす。前に出ていた帝国兵の一人が体勢を崩して胸元が開き、ギスヤンキ・ナイトが止めの一撃を振り下ろそうとした。直後、彼の足元で見えない顎が噛みつき、動きが止まる。

 

「What is this!?(何だこれは!?)」

 

 ギスヤンキ・ナイトは驚いて叫ぶ。その正体は、ラジエルが密かに召喚していた《Mordenkainen's Faithful Hound(モルデンカイネンの忠実な番犬)》──術者が指定した狭い範囲を守護する不可視の猟犬を呼び出す魔法──だった。

 

 猟犬は姿が見えないまま接近した敵へさらに襲いかかる。攻撃を受けた敵は、視覚で位置を特定できず、踏み込みを止めざるを得ない。猟犬の噛みつきが続き、ギスヤンキ・ナイトと周囲の奴隷兵の動きが乱れていった。

 

 そして帝国兵たちは、目に見えない力が側面で敵を押し止めていることに気づく。驚きと呆れが混じった声が漏れる。

 

「これもラジエルの魔法か?一体いくつ魔法を同時に行使しているんだ……」

 

 しかしエリーゼに、それを見守る余裕はない。エリーゼは接近してきたギスヤンキ戦士の鋭い刃に対し、寸前で《防御魔法》を展開して弾き返す。同時に、エリーゼは兵士へ素早く指示を飛ばす。

 

「今のうちに態勢を整え、側面を守り、魔法使いを援護してください!」

 

 不可視の猟犬による予期せぬ攻撃で、ギスヤンキ側の足は止まっていた。帝国兵たちは短い隙を逃さず、最低限の守備隊形を素早く組み直す。彼らの視線に戦意が戻る。砂埃が舞い、視界が霞む中で、再編された帝国兵の一人が弓を手に号令を叫ぶ。

 

「弓で援護しろ!奴らを魔法使いから引き離せ!」

 

 帝国兵の一部は側面の防衛を維持しつつ、号令に合わせて弓を構える。矢はエリーゼを含む帝国魔法使いを狙うギスヤンキ戦士へ向けて放たれる。

 

 矢が連続して飛び、数名のギスヤンキ戦士に命中する。残りの戦士も身を屈め、回避行動を取らざるを得ない。結果として、帝国の魔法使いへの攻撃は一時的に途切れる。

 

 それでも帝国兵たちは、自分たちの射撃精度に内心で引っかかりを覚える。放った矢が、狙いよりわずかに正確に敵へ当たっているように感じるのだ。逆に、敵の反撃の矢が不自然に逸れる場面を目撃する兵士もいるが、原因を考える時間はない。

 

 その間も、上空のラジエルは混乱に乗じて新たな魔法を重ねていく。

 

 ラジエルの片手から《Sleep(睡眠)》──広い範囲へ眠りの魔力を拡散し、対象を昏睡状態に落とす魔法──が放たれる。奴隷兵たちは抗い切れずに力が抜け、膝をついて倒れ込み、そのまま深い眠りへ沈む。

 

 同時に、ラジエルの頭上を巡る《Crown of Stars(星の冠)》の光弾も、鋭い軌道で放たれ、奴隷兵を率いるギスヤンキ・ナイトを狙う。

 

 ギスヤンキ・ナイトは反射的に身を翻し、咄嗟の回避で致命傷を避ける。だが光弾はすぐ傍の地面を激しく穿ち、衝撃と爆風が周囲の破片を跳ね上げた。

 

「Gah……!(ぐぅっ……!)」

 

 ナイトの鎧の隙間に鋭利な石片と金属片が入り込み、肩口と脇腹から血が滲む。だが闘志は消えない。ナイトは痛みをこらえて歯を食いしばり、ファイターの戦技である《Second Wind(底力)》が立ち上がる。裂けた傷がわずかに塞がり、身体の動きが持ち直す。

 

 彼が剣を構え直し、反撃の姿勢へ入ろうとした時、戦場の反対側からエリーゼの凛とした声が響く。

 

「怯んではなりません!ここが正念場です、全力で反撃を!」

 

 号令に応じ、帝国軍部隊の魔法使いたちは陣形を立て直し、すぐに詠唱を再開する。エリーゼ自身も先頭に立ち、《ゾルトラーク(一般攻撃魔法)》を放つ。側面から迫るギスヤンキ戦士の一人が正確に撃ち抜かれて崩れ落ちた。

 

 ギスヤンキ戦士の被害も増え、表情に動揺が混じり始める。形勢が帝国軍部隊へ傾きかけていることは、誰の目にも明らかだった。

 

 その時──。

 

 後方から奴隷兵を《Psionics(超能力)》で操っていたギスヤンキ・ナイトが、冷徹な目で特定の命令コードをギスヤンキ語で叫ぶ。

 

「Shakh-tor'nak!(Shak-Torを始動する!)」

 

 その声は、帝国軍部隊と激しく交戦するギスヤンキ部隊の最前線にまで届いた。

 

 *

 

 夜明けの空は薄く紫色に染まり、冷たい風が城壁都市を吹き抜けていた。その地平線を裂くように、不気味な赤紫色の次元亀裂が口を開け、渦巻く魔力の奔流が容赦なく流れ出している。兵士たちの間からは、もはや穏やかな朝の気配は完全に消え去り、恐怖と焦燥に満ちた叫びがあちこちで響いていた。

 

 前線の防衛ラインで指揮を執るドワーフの英雄、ブロックス・フレイムスミスは重厚な鋼の甲冑に身を包み、鍛冶神モラディンの加護を授かった戦斧を手に兵士たちを鼓舞し続けていた。彼の傍らでは、自ら鍛え上げた鋼鉄の守護者《Steel Defender(鋼の護衛)》がぎこちない動きながらも忠実にデーモンを押し返している。

 

「耐えろ!ここを破られれば全員死ぬ。背後には俺たちが守るべき家族や友人がいることを忘れるな!」

 

 ブロックスの重厚で落ち着いた叱咤に応え、兵士たちは再び武器を握り直す。しかし、連日の戦闘で限界まで疲弊した彼らの士気はもはや風前の灯火だ。

 

「ブロックス殿、また新たなデーモンが現れました!」

 

 兵士の声に顔を上げると、新たな次元亀裂から巨大なバルルグラが血走った目を輝かせ、鋭い牙を剥き出しにして突進してくるところだった。圧倒的な筋力を誇るデーモンは防衛ラインを瞬く間に蹴散らし、兵士たちを城壁へ叩きつけていく。

 

「……モラディンよ、力を貸してくれ!」

 

 ブロックスは静かに祈りを込めながら、自身の戦斧を握りしめる。その刃は既に朝の祈祷を通じて鍛冶神モラディンの加護を宿し、かすかな神聖な輝きを帯びている。彼は強く地を蹴り、バルルグラの正面に堂々と立ちはだかる。

 

「ここから先へは通さねえ、忌々しいデーモンめ!」

 

 ブロックスは地響きを上げて迫るバルルグラの拳を冷静に見極め、瞬時に身を翻す。その瞬間に生じた隙を逃さず、戦斧を叩き込む。鋼の刃が肉を裂き、デーモンの断末魔が響き渡る。

 

「まだだ!油断するな!敵はこれで終わりじぇねえぞ!」

 

 だが、彼の叫びは兵士たちに伝わる前にかき消された。再び亀裂が大きく口を開け、ヘズロウやバルルグラといった大型のデーモンが続々と戦場へと降り立つ。その姿を目にした兵士たちは、もはや戦意を完全に失い、戦線は一気に瓦解し始める。

 

「なんてことだ、あんな怪物が複数も……!」

 

 若い兵士が武器を落とし膝をつく。それでもブロックスは毅然とした表情で彼らを叱咤する。

 

「恐れるな。奴らがどれほど強かろうと、俺たちには鋼の心と信仰がある。立ち上がれ!」

 

 ブロックスは戦況を冷静に分析しながら、素早く兵士たちに防衛ラインの再編を指示する。彼は背後に迫るデーモンの咆哮を耳にし、低く鋭い声で魔法の詠唱を始めた。

 

「見えぬ猟犬よ、ここに我と共にあり、敵を食い尽くせ。《Mordenkainen's Faithful Hound(モルデンカイネンの忠実な番犬)》!」

 

 その瞬間、ブロックスの前方の空間が僅かに揺らめき、透明な魔力の猟犬が召喚される。この魔法は術者が指定した狭い範囲を不可視の番犬が守護し、近づく敵を容赦なく攻撃する強力な防護術だ。猟犬は即座にデーモンに襲いかかり、鋭い牙でもって敵の喉元を食い破っていく。兵士たちには姿は見えないが、その確かな威力に兵士たちはわずかに士気を回復させた。

 

「今だ、奴らを押し返せ!」

 

 ブロックスは即座に腰に下げていた魔導クロスボウを構え直し、鋭い目で次々と敵を狙い撃ちにする。放たれた魔力を帯びた矢は、狙い違わず敵を貫き、その勢いを鈍らせる。

 

 しかし、敵は倒しても倒しても次々と新たなデーモンが這い出し、防衛線は一向に安定しない。徐々にこちらの兵士の数が敵に凌駕されつつあることを、ブロックスは肌で感じ取る。そんな中、背後に控える兵士の一人が涙を流しながら叫んだ。

 

「ブロックス殿、援軍はいつになったら来るのですか!」

 

 ブロックスは重苦しい表情で伝えざるを得ない。

 

「セリア・イグナリアとイーシャ・グレイブレアは、デーモンとは別に赤の魔道士団オルクス派が動員したアンデッド軍団の迎撃に追われている。だから、ここへ来ることはできなくなった。モラディンが別の救援を手配してくれているそうだが、それもまだ到着していない……だが、それでも俺たちは戦い続けるしかねえ!」

 

 兵士たちは落胆するが、それでもかろうじて戦線を維持する。ブロックス自身も、胸の内で焦燥が膨らむのを自覚する。

 

(モラディンよ、本当に援軍は間に合わないのか……!)

 

 その時、新たな次元亀裂が大きく口を開き、地響きと共にさらなる巨体が現れた。バルルグラとヘズロウ、異界の怪物たちが揃って防衛線へ猛然と突進してきた。

 

 兵士たちは完全に恐怖に飲まれ、もはや防衛線は崩壊寸前となる。

 

「防衛ラインを再編しろ!」

 

 ブロックスは叫びながら、《Steel Defender(鋼の護衛)》と共に敵へ突撃した。鋼の人形が身を挺してデーモンを抑える間に、彼自身も巨大なバルルグラの前に立ちふさがる。

 

 彼は己の胸に手を当て、静かにモラディンへの祈りを捧げる。ブロックスの瞳に迷いはない。顎に力を込め、視線はまっすぐ前を向く。

 

「《Spirit Guardians(護りの霊)》よ、俺の周囲を護れ!」

 

 ブロックスの祈りと共に、その周囲に炎をまとった小さな鍛冶の精霊が次々と姿を現す。この精霊たちは術者を中心に守護するように旋回し、接近する敵を自動的に攻撃する守護の魔法だ。炎の精霊たちは神々しい輝きを放ちながら敵の軍勢へと突撃し、デーモンを容赦なく焼き払う。

 

「反撃の狼煙を上げろ!戦いはまだ終わっちゃいねえぞ!」

 

 ブロックスの雄叫びに勇気を取り戻した兵士たちは、再び隊列を整え直し、盾と槍を構え直して迫り来るデーモンの群れを押し返す。精霊たちが生み出す炎の壁に勢いをそがれたデーモンたちは、一瞬足を止めざるを得ない。

 

 背後では、弓兵隊を率いる下士官が叫ぶ。

 

「敵が怯んだ隙を狙え!一斉射撃!」

 

 弓兵たちは即座に矢をつがえ、素早く狙いを定めた。一糸乱れぬ連携で放たれた矢の群れが、デーモンたちに容赦なく降り注ぎ、その分厚い皮膚を次々と貫いてゆく。戦場にはデーモンたちの悲鳴が響き渡り、敵の突撃がわずかに鈍る。

 

 その隙を突いてブロックスは腰に備えた魔導クロスボウを手に取る。アーティフィサーとして自身で鍛え上げた特別なこの武器は、魔力を帯びた矢を高速で撃ち出すことができる優れものだ。狙いを定め、確実な一射を次々と放つ。矢はデーモンたちの急所を正確に貫き、敵を次々と戦場に沈めていく。

 

 しかし、その奮闘にもかかわらず、次元の亀裂はさらなる脅威を生み出している。

 

 新たな巨大な裂け目が大きく口を開き、そこから現れたのは異様な臭気を放つ巨体、ヘズロウであった。獰猛なデーモンは大きく顎を開き、低く威嚇的な唸り声を響かせる。巨大な筋肉質の腕を振りかざし、防衛線の前衛を一撃で薙ぎ倒しながら防衛ラインの中心部へと迫りつつある。

 

「あのヘズロウを止めろ!奴が防衛線を崩すぞ!」

 

 ブロックスの鋭い指示に反応し、周囲の兵士たちが一斉にそのデーモンを攻撃する。だが、ヘズロウの分厚い皮膚に矢や刃は簡単には通らず、兵士たちは次々と跳ね飛ばされていく。ブロックスはすぐさま前に踏み出し、自らヘズロウと対峙した。

 

「これ以上は好きにはさせねえぞ、デーモンめ!」

 

 ヘズロウは低く唸りながら、鋭利な爪を振り上げ猛然と振り下ろす。だがその一撃は、ブロックスの周囲を守護する炎の鍛冶精霊たち《Spirit Guardians(護りの霊)》に焼かれて勢いを奪われ、軌道もわずかにずれる。精霊たちはデーモンの皮膚を激しく焼き、動きを半拍遅らせた。

 

「モラディンの炎は簡単には越えられねえぞ!」

 

 ブロックスは盾を構え直し、弱まった爪を正面で受け止める。膝で衝撃を殺し、足裏で地へ逃がして体勢を崩さない。

 

「右側からもデーモンが来ています!」

 

 兵士の一人が叫ぶ。

 

 ブロックスの意識が眼前のヘズロウに集中した隙を狙って、別のヘズロウが右手側から突進してくる。鍛冶精霊たちは即座に反応し、そのヘズロウを焼き払おうとするが、その巨体は《Spirit Guardians(護りの霊)》の炎をものともせず突破し、強烈な爪の一撃を繰り出した。

 

 ブロックスは盾を咄嗟に構え直そうとするが、わずかに遅れた。巨大な爪が鋭く彼の脇腹を抉り、鋼の鎧を激しく砕く。強い痛みが彼の身体を駆け抜ける。膝が折れかけ、地面に倒れ込む寸前で何とか踏みとどまったが、脇腹からは鮮血が滴り、全身に鋭い熱が走る。

 

「ブロックス殿!」

 

 近くにいたクレリックが即座に駆けつけようとするが、ヘズロウの追撃がその隙を与えない。だがその刹那、ブロックスの《Steel Defender(鋼の護衛)》がヘズロウの眼前に飛び出し、その鋼鉄の身を盾として激しい攻撃を受け止めた。《Steel Defender(鋼の護衛)》が作った僅かな時間を逃さず、クレリックは素早くブロックスに手をかざす。

 

「我が神よ、傷つきし鋼の守護者にあなたの癒しの力を。《Cure Wounds(傷治療)》!」

 

 クレリックの掌から放たれた温かな神聖な光が傷口に染み渡り、ブロックスの深く抉られた傷を瞬く間に癒していく。《Cure Wounds(傷治療)》は術者が触れた対象に生命力を注ぎ込み、傷口を即座に塞ぎ、痛みを和らげる治癒の呪文だ。

 

 痛みが退き、力が戻ってくるのを感じると、ブロックスはクレリックに力強く頷く。

 

「恩に着るぞ……助かった!」

 

 ブロックスは再び立ち上がり、砕けかけた盾を構え直した。眼前ではヘズロウたちが獰猛な唸りを上げ、防衛線を完全に崩そうと迫り続けている。背後には負傷した兵士たち、そして都市の住民がいる。その事実が、彼の覚悟をさらに固める。

 

「モラディンよ、最後まで我らと共に!」

 

 ブロックスの雄叫びが戦場に響き渡る。地響きを上げて迫るヘズロウやバルルグラ、圧倒的な力で押し寄せるデーモンたちに、彼は自らを最後の防壁として立ちはだかった。治癒を受けた身体は未だ痛みを抱えるが、戦いは止めない。彼の盾はひび割れ、鎧は砕けかけている。それでも彼の視線はぶれず、呼吸は乱れない。

 

 兵士たちもまた、ブロックスの奮闘する姿に勇気を奮い立たせ、再び武器を握り直す。しかし、デーモン軍勢の圧倒的な数と強さは、兵士たちの努力を嘲笑うように防衛線を徐々に押し崩しつつある──その時だ。

 

 上空から重く低い唸りが響き渡り、周囲の空気が急速に震え始めた。異変を感じ取った兵士たちは困惑した様子で次々と視線を上げる。

 

「……あれは一体?」

 

 天空に新たな裂け目が光を放ちながら現れ、その中心から、これまでの禍々しく混沌とした次元の裂け目とはまるで異なる、鮮やかで制御された円環状の門が開かれる。

 

「次元の裂け目……なのか?」

 

 兵士たちの多くは次元を越える勢力や技術について詳しく知っているわけでもなく、次元転移という現象自体も漠然とした空想や噂話程度の認識だった。だが次の瞬間、裂け目から鋭角的な流麗さを備えた飛行艇が現れ、青白い次元光をまといながら、轟音と共に戦場の空に姿を現す。

 

「あれは……まさか、噂に聞く多元安定機構の……?」

 

 飛行艇は即座に高度を下げ、まず最初に前部のハッチが開く。先行したのは軽装のレンジャーたちだ。彼らは《Horizon Walker(地平線歩き)》──各地の次元門を警備し、他次元からの侵入者を追うことを役目とする流派の熟練者──で、空中から間合いを測ると、地表近くで一斉に《Misty Step(霧渡り)》を踏む。短距離の瞬間移動で落下を帳消しにし、そのままデーモンの背面へ滑り込んで剣と矢を浴びせた。

 

 続いて後部ハッチが開き、ファイターとウィザードの混成チームが降下する。ウィザードが全員へ《Feather Fall(軟着陸)》を付与し、部隊は布のように速度を殺して降下。着地と同時に散開した。ファイターの中には《Eldritch Knight(秘術の騎士)》──武技に加えて防御術と力術を中心に少数の呪文を修める戦士──も混じる。魔法と剣技を同じ歩幅で前線へ持ち込むのが彼らのやり方だ。

 

 すべての降下が完了すると、飛行艇は直ちに高度を上げ、流麗な軌道を描きながら再び円環状の門の中央へと吸い込まれるように戻っていった。飛行艇が通過した後、鮮やかな円環はゆっくりと収縮して消滅し、跡形もなく戦場の空からその姿を消した。

 

 そして部隊の中央には、ヴィダルケンのウィザードが悠然と降り立っていた。青みがかった滑らかな肌と長身痩躯の身体に、深い蒼色のローブを纏っている。その整然とした服装と理知的な表情には冷徹な知性と厳格な規律が漂っており、指揮官としての風格を感じさせた。

 

 ブロックスはその姿を見て、一瞬言葉を失う。

 

 このヴィダルケンのウィザード──アゼリオン──はかつてタヴが引き起こした次元災害に対応するために編成された、事故対応部隊の隊長だった男だ。

 

「あんたは……アゼリオン!」

 

 アゼリオンはブロックスに視線を投げると、どこか冷ややかな表情で口を開く。

 

「随分と苦戦しているようだな、ブロックス。もう少し早く呼ばれればここまで被害は出なかっただろうに」

 

 彼は手首の装具に固定した《Arcane Focus(秘術焦点具)》である透明な結晶に触れ、即座に冷静な指揮を開始した。

 

「前衛は防衛線を即刻立て直せ。レンジャー部隊は敵の後方を狙え。全ウィザード隊員、範囲攻撃呪文を敵中央部に集中させろ!」

 

 アゼリオン自身も即座に詠唱を始める。彼は《War Magic(戦争魔法)》を修めたウィザードで、この学派は力術と防御術の原理を一体で運用し、魔法を盾にも刃にも変えて戦場の主導権を奪う。詠唱の合間に防護を差し込み、敵術の勢いを受け流してこちらの打撃に転じるのが得意な流派だ。

 

 各ウィザードは号令から一拍で陣形を整え、アゼリオンと共に正確無比なコントロールで《Shatter(破砕)》を敵陣の中央に重ねて炸裂させ、雷鳴の衝撃で隊列を崩す。さらに、間髪入れず《Magic Missile(魔法の矢)》で逃げるデーモンへ追撃を浴びせる。並走した《Eldritch Knight(秘術の騎士)》たちは《Booming Blade(唸る剣)》で間合いを制し、押し返しながら切り崩した。

 

 多元安定機構部隊の迅速で的確な攻撃により、戦況は一瞬で変わる。

 

「すげぇ……!多元安定機構の戦士なんて初めて見たぞ!俺たちも負けてられねぇ!」

 

 兵士たちは新たな味方の到着に歓声を上げ、士気を取り戻して防衛ラインを力強く再構築し始める。ブロックスはその様子を見守り、アゼリオンへ視線を戻して歩み寄り、静かな表情で声をかける。

 

「以前、お前がタヴを庇った時、私はお前のやり方を認めることができなかった。だが、今ならその理由が理解できる」

 

 ブロックスは黙って耳を傾ける。アゼリオンは続けて言う。

 

「私は常に秩序と次元の安定を優先してきた。個人の救済よりも秩序の維持を重んじたが……お前のように、一人の命を最後まで守り抜こうとする信念を、羨ましいと感じていたのかもしれん」

 

 ブロックスは一瞬目を伏せ、苦い記憶を噛みしめてから静かに告げる。

 

「あの時、俺の判断を尊重してタヴの保護を許可してくれなければ、あの子を救うことはできなかった。組織の上層部からも相当な反発があっただろうし、あんた自身の立場が危うくなったことも俺は知っている。その恩は決して忘れちゃいねぇ。だが今、タヴは再び危機に晒されている」

 

 アゼリオンは軽く頷き、険しい表情を崩さずに応じる。

 

「その通りだ。現在の状況は極めて深刻だ。既に赤の魔道士団がタヴを利用しようと動き出している。その背後には混沌を望む悪神の影もあると見ている。このままでは、単なる局地的な問題では済まない。多元宇宙全域が巻き込まれる危険がある……だからこそ、今こそお前の信念を貫くべき時だろう」

 

 アゼリオンは鋭い眼差しに熱を帯び、まっすぐ言い切る。

 

「ここでの戦いをさっさと終わらせろ、ブロックス。そしてタヴを助け出し、世界を救ってこい。あの少年の全責任を持つと誓ったのはお前だろう?」

 

 ブロックスはその言葉を受けて覚悟を固め、力強く頷き、周囲の兵士たちを鼓舞する。

 

「よく聞け!これから敵の召喚儀式を阻止するための反攻作戦を立案する。多元安定機構の戦士たちが来てくれた今、俺たちはもはや孤独じゃねぇ!」

 

 兵士たちは一斉に歓声を上げ、その目に再び闘志が宿る。

 

 ブロックスは静かに息を吸い、多元安定機構の部隊と共に作戦の検討を開始する。状況確認から敵の配置や儀式地点の特定まで、慎重に議論を重ね、計画は着実にまとまっていく。都市の防衛ラインを整えつつ、いかに犠牲を抑えながらデーモンの召喚儀式を止めるか──方策を一つずつ積み上げていく。

 

「急ぐが焦るな。一歩ずつ、確実に作戦を練り上げていくんだ。必ず都市を守り抜き、世界を救うぞ!」

 

 ブロックスの宣言に応え、兵士たちと多元安定機構の戦士たちは連携を深めていく。防戦一方だった戦場に、沈着な指揮と実行可能な戦術が整い始めた。

 

 *

 

 奴隷兵を率いて帝国軍部隊と相対していた前方のギスヤンキ・ナイトは、後方から響いた「Shakh-tor'nak!」の命令を理解する。ギスヤンキ・ナイトは《Misty Step(霧渡り)》を発動し、霧のように姿を消して戦線から大きく距離を取る。

 

「何だ……?急に退いたぞ」

 

 撤退の動きを目にした帝国兵が、戸惑いを隠せず呟く。だがその直後、戦場に倒れている奴隷兵の首に取り付けられた拘束具が一斉に強い魔力反応を示し、光が激しく明滅し始めた。上空で状況を見ているラジエルは眉を寄せ、その反応が爆発に繋がる種類だと察知する。ラジエルは視線を地上へ走らせ、爆心になり得る位置と帝国兵の間合いを素早く見定めた。

 

(これは……もう間に合わないね。仕方ない、せめて一人だけでも犠牲を減らそうか)

 

 ラジエルは舌打ちし、指先で空気を払うように動かす。ラジエルは《Gust(突風)》──空気を操り、人間サイズまでの生物や軽い物体を風で押し動かす《Cantrip(初級呪文)》──を放ち、直下の帝国兵一人を隊列から数メートル外へ押し出した。続いてラジエルは鍛錬で習得した《Telekinetic Shove(念動突き)》を起動し、精神力だけでその兵をさらに遠くへ弾き飛ばす。直後、凄まじい爆発音と衝撃が周囲を覆った。

 

 倒れている奴隷兵の首輪が連続して炸裂し、前線の動きが一気に乱れる。近くにいた帝国兵数人が爆風に巻き込まれ、身体がねじれるように吹き飛ばされる。混戦の中で逃げ切れなかった奴隷兵も爆発に呑まれ、小柄な身体が破片とともに転がった。

 

「うああっ……脚がっ……脚がっ!!」

 

 爆発で地面に倒れた若い帝国兵は、膝から下が失われ、鮮血が噴き出しているのを見て絶叫する。痛みで顔が歪み、両手が地面を掻く。すぐ隣では、巻き込まれたゴブリンが黒く焼けた状態で倒れていた。

 

「くそっ……一体何が起こったんだ!?まさか、首輪が爆発したのか……!?」

 

 ラジエルの《Gust(突風)》と《Telekinetic Shove(念動突き)》で寸前に押し出され、かろうじて軽傷で済んだ帝国兵が震える手を地面につき、呻くように声を絞り出す。

 

 周囲では、爆風で投げ出された奴隷兵が状況を理解できず、目を見開いたまま身体を痙攣させている。別の奴隷兵は腹部を押さえ、息が続かずに地面を這う。土と血で濡れた地面を指が滑り、動きが止まる。

 

 奴隷兵たちの間にも恐怖と絶望が広がった。仲間の首輪が突然爆発したことで、彼らは自分たちの首に巻かれた拘束具に何が仕込まれているのかを理解し始める。

 

「Graak! Norga! Norga!(嫌だ!外せ!外せ!)」

 

 一匹のゴブリンが錯乱し、首輪を無理やり引き剥がそうと爪を立てる。だが鋼鉄製の首輪は外れず、爪が滑って首筋が裂け、血が流れる。隣ではコボルドが震えながら、喉の奥を絞るように叫ぶ。

 

「Thric vur throdenilti! Si mi ti sjerit!(爆発するぞ!俺も死ぬんだ!)」

 

 だが、その恐慌もギスヤンキ・ナイトの冷徹な《Psionics(超能力)》の波動で押さえ込まれる。ギスヤンキ・ナイトは苛立たしげに奴隷兵を強引に操作し、恐怖で硬直した身体に隊列の形を作らせる。

 

「Silence! Fulfill your purpose and explode!(黙れ!己の役割を果たして爆ぜろ!)」

 

 エリーゼは状況を掴み、帝国兵へ鋭い声を飛ばす。

 

「全員、奴隷兵とその死体から離れなさい!今すぐ距離を取って!」

 

 号令に従い、帝国兵たちは苦渋の表情を浮かべながら後退する。倒れた仲間に手を伸ばしかけても、次の爆発を警戒して引き戻される。隊列は乱れたまま、奴隷兵とその死体から距離を取っていく。

 

 ギスヤンキ戦士たちも、自軍のナイトが叫んだコードの意味を理解している。彼らは魔導クロスボウで牽制射撃を重ね、帝国軍部隊の魔法使いと上空のラジエルの動きを抑えつつ、冷徹に後退を進める。

 

(ギスヤンキめ、奴隷兵を爆弾にして特攻させる気か……まったく、酷いことするね)

 

 ラジエルは冷えた視線で前線を見渡す。奴隷兵の首輪にはサイオニック爆弾が仕込まれており、必要になれば自爆させる目的で用意されていたのだ。奴隷を失う損は大きいが、ここで敗れるよりはましだと判断したのだろう。

 

 その時、残された二名のギスヤンキ魔導兵が帝国の魔法使いへ狙いを向け、《Magic Missile(魔法の矢)》を連続して放ちながら叫ぶ。

 

「Suppress them now! Don't let them interfere!(奴らを抑えろ!介入させるな!)」

 

 帝国軍部隊も反撃に移る。魔法使いたちは《防御魔法》を展開しつつ攻撃魔法を返し、兵士たちは弓を構えて矢を撃ち込む。矢と魔法が交錯し、前線の見通しがさらに悪くなる。

 

 混乱の隙を使い、前方のギスヤンキ・ナイトが《Psionics(超能力)》を一点に集中させる。ギスヤンキ・ナイトは予備動作をほとんど挟まず、《Innate Spellcasting(生得呪文発動)》で《Telekinesis(念動術)》──術の持続中は視界内の対象を意思の力で動かし、強い念動力で相手を拘束できる魔法──を発動した。

 

 ギスヤンキ・ナイトの念動力がラジエルの身体を捉え、空中で動きが止まる。ラジエルは短い言葉を囁き、《Silvery Barbs(銀の棘)》──対象の集中を乱し、行動を狂わせると同時に、その隙を自身や別の対象へ引き寄せる魔法──を発動した。ギスヤンキ・ナイトの思考が一瞬乱れ、念動の制御が揺らぐ。ラジエルはその揺らぎに合わせて拘束から抜け、姿勢を崩さずに次の手へ意識を切り替えた。

 

 しかし前方のギスヤンキ・ナイトは動揺を見せず、《Telekinesis(念動術)》で再びラジエルを掴もうと念動力を集中させる。その一方で、後方で指揮を執るもう一人のギスヤンキ・ナイトは《Mage Hand(魔道士の手)》を密かに展開していた。見えない手は奴隷兵の死体から外れた首輪を掴み取り、一直線にエリーゼがいる位置へ投げ込もうとしている。

 

 ラジエルは状況を理解し、《Dispel Magic(魔法解除)》──対象にかかっている魔法効果を強制的に解除する魔法──を前方のギスヤンキ・ナイトへ放つ。《Telekinesis(念動術)》はその場で途切れ、拘束が消える。続けてラジエルは《Mage Hand(魔道士の手)》も解除しようとするが、動作が間に合わない。首輪は弧を描いて後方へ飛び、エリーゼの近くへ落ち込んだ。

 

「しまった……っ!」

 

 エリーゼは落下してくる首輪の動きを察知し、杖を掲げて《防御魔法》を展開しようとする。だが焦りで発動がわずかに遅れ、障壁が組み上がり切る前に首輪が爆発した。衝撃波が不完全な防御を押し破り、彼女の身体を後方へ吹き飛ばす。

 

 エリーゼは地面に叩きつけられ、激痛と眩暈、耳鳴りに襲われる。視界が白く霞み、指先に力が入らない。身体を起こそうとしても、手が地面を捉え切れず、赤黒い血が指の間から落ちる。

 

「エリーゼ隊長が負傷した!」

 

「隊長を守れ!誰か彼女に応急手当を頼む!」

 

 帝国軍部隊の動きが乱れ、叫びが連鎖する。兵士と魔法使いの目に焦りが浮かび、前線の間合いが崩れかけた。

 

「まだだ……まだ戦える……」

 

 エリーゼは痛みに顔を歪ませながら呟く。だが声は細く、息が続かない。

 

 その瞬間を狙うように、再び強引に操られた奴隷兵たちが帝国軍部隊の前衛へ向かって突撃を始める。彼らの首輪には特殊なサイオニック爆弾《マインドクラスプ》が仕込まれており、赤黒い光が強まり、異様な作動音が増していく。

 

 逃げることも抵抗することも許されない奴隷兵たちは、怯えた目で泣き叫びながら前へ押し出される。

 

 上空のラジエルは判断を固める。ラジエルはあえて《Fly(飛行)》を解除し、空中から降下を始めた。落下中のラジエルは《Feather Fall(軟着陸)》を展開し、降下速度を制御する。ラジエルは両手を前方に掲げ、別の魔法へ移る。

 

「悪いけど、これ以上は行かせないよ。《Wall of Force(力場の壁)》」

 

 帝国兵たちと奴隷兵の間に、透明な魔法障壁──《Wall of Force(力場の壁)》が現れ、前線を分断する。障壁は水平に広がり、横方向に最大およそ三十メートル、縦方向に約三メートルの平面として固定された。厚さは数ミリ程度だが、刃や衝撃では破壊できず、多くの魔法でも崩せない。

 

 ただし、この魔法を維持するには術者が《Concentration(精神集中)》を保ち続ける必要がある。《Concentration(精神集中)》とは、術式の効果に意識を向け続け、持続を支える状態だ。一定時間効果が続く呪文に多い性質で、《Fly(飛行)》も同じ性質を持つ。

 

 基本的に、精神集中が必要な魔法を同時に二つ以上維持することはできない。また術者が強い衝撃を受け、集中が途切れた場合も魔法は解除される。

 

 ラジエルは帝国軍の前線より少し後方に着地する。降下で巻き上がった土埃が落ち切る前に、ラジエルは戦況を見渡した。後方で倒れているエリーゼは起き上がれず、指揮が止まっている。ラジエルは声を落とし、部隊へ具体的な指示を出す。

 

「奴隷兵たちはあの障壁を越えるのに手間取るだろうけど、ギスヤンキ自体は《Misty Step(霧渡り)》や《Enhance Leap(強化跳躍)》で壁を越えてくる。魔法使いは迎撃の準備を、前衛は防御態勢を整えて待ち構えるんだ。負傷者は即刻後方へ回し、エリーゼ殿には治癒を」

 

 兵士と魔法使いたちは一瞬意外そうな顔を見せるが、指示の内容は明確だ。彼らは迷わず動き、隊列を再編しながら負傷兵を後方へ運ぶ。エリーゼのもとへ《回復魔法》を扱える魔法使いが急いで駆けつける。

 

 その間、ラジエルは後方のギスヤンキ・ナイトから目を離さなかった。ナイトは腰の起爆装置、《サイオン・トリガー》を握ったまま、突然出現した《Wall of Force(力場の壁)》を睨みつけている。ギスヤンキ・ナイトは忌々しげに口元を歪め、即座に前方の魔導兵へ鋭く叫ぶ。

 

「The wizard has put up a Wall of Force! Usual tricks, just as we expected! Destroy it, now!(ウィザードが《力場の壁》を張ったぞ!想定通りのいつもの手だ!今すぐ破壊しろ!)」

 

 ラジエルは「いつもの手だ」という言い方に、眉をわずかに動かした。ナイトの声に焦りは薄い。見えない壁を前にしても手順を変えない以上、対策を持ち込んでいるように見えた。

 

 ナイトの指示を受けたギスヤンキ魔導兵の一人は、懐から濃緑の封蝋が付いた巻物を素早く取り出した。魔導兵が巻物を開き、短い詠唱に入った瞬間、ラジエルは術式の組み方から《Disintegrate(分解)》だと見抜く。

 

「なるほどね、そう来たか……!」

 

 彼の指先が反射的に上がりかけて、すぐに止まる。《Wall of Force(力場の壁)》が間にある以上、壁の向こうの魔導兵は《Counterspell(呪文妨害)》の対象にできない。頭では理解していたのに、身体が先に動いてしまった事実に小さく舌打ちする。

 

 直後、巻物から鮮烈な緑色の光線が放たれ、《Wall of Force(力場の壁)》へ一直線に伸びた。光線が壁へ触れた瞬間、障壁は細かな粉のように崩れて消滅した。遮るものが消え、帝国軍部隊は再び奴隷兵と向き合わされる。

 

 機を逃さず、後方に控えるギスヤンキ・ナイトは冷酷な表情のまま、腰の《サイオン・トリガー》を握り込み、前線へ向けて叫ぶ。

 

「Take them all down with you!(奴ら全員を道連れにしろ!)」

 

 奴隷兵の首輪が赤黒い光をさらに強め、鋭い金属音とともに高周波の不快なノイズを撒き散らす。奴隷兵の身体が痙攣し、それでも足は前へ出ていく。

 

「Graak! Roguuk moga daan!(嫌だ!死にたくない!)」

 

 ゴブリンは甲高いゴブリン語で絶望を叫びながら、押し出されるように進む。

 

「Vethis! Svent ve ekess loreat!(助けて!死にたくないんだ!)」

 

 コボルドも涙混じりに竜語で叫び、震える足で踏み出す。言葉は帝国兵には通じないが、声の調子と表情だけで悲鳴の意味は伝わった。

 

「止まれ!来るんじゃない!」

 

「弓を射て!奴隷だろうが何だろうが射て!」

 

 帝国兵たちは動揺を抑えきれないまま矢を放つ。矢が奴隷兵の身体を貫いても、即死しない限り前進は止まらない。奴隷兵は《Psionics(超能力)》で精神を掌握され、自分の意思とは無関係に肉体を動かされている。痛みや恐怖があっても、足を止めることは許されなかった。

 

 その光景が続き、帝国兵の戦意が急速に削られていく。そこへ前線のギスヤンキ・ナイトが不敵な笑みを浮かべて命じた。

 

「Attack! Tear their lines apart now!(攻撃!奴らの陣形を引き裂け!)」

 

 号令とともにギスヤンキ戦士たちが前へ出て、魔導クロスボウの射撃を連続させる。魔力を帯びた矢が途切れなく飛び、前線の圧力が増す。さらに後方の魔導兵も位置を変え、前線へ加わっていく。

 

 攻勢が強まる中、ラジエルは正確な動作で《Crown of Stars(星の冠)》の光弾を放ち、クロスボウを構えるギスヤンキ戦士の頭部を撃ち抜いた。戦士は声を上げる間もなく倒れる。続けてラジエルは《Silvery Barbs(銀の棘)》を発動し、別の戦士の狙いを乱す。同時に、帝国兵の一人へ次の動きに有利が生じるように干渉した。

 

 さらにラジエルは間を置かず、《Mold Earth(大地成型)》──視界内の地面を魔力で隆起させたり崩したりする《Cantrip(初級呪文)》──を展開する。最も近い奴隷兵の足元の土を崩し、踏み込みを鈍らせた。だが、その間に前へ出たギスヤンキ魔導兵が詠唱を完了させ、《Fireball(火球)》を帝国軍部隊の陣形へ投げ込む。

 

「まずい……!」

 

 帝国側の魔法使いの一人が杖を前方へ突き出し、《ヴェークヴァイゼ(飛来物の軌道を逸らす魔法)》を展開する。魔法が炎の進路に干渉し、《Fireball(火球)》は帝国軍部隊の中心からわずかに外れた地面へ激突して炸裂した。

 

「うあぁっ……!」

 

 直撃は免れたが、爆発の余波で一名の魔法使いが吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。

 

「ぐっ……《防御魔法》を維持しろ!」

 

「傷は浅い、怯むな!エリーゼ隊長の治療が終わるまで耐えるんだ!」

 

 だがローブの焼け焦げは増え、軽傷を負った者の顔色にも苦痛と焦りが出始めている。《防御魔法》の維持に乱れが混じり、戦況は少しずつ帝国軍部隊に不利へ傾いていった。

 

 ラジエルの目の前で状況は悪化し、猶予がない。たとえラジエルが再び《Wall of Force(力場の壁)》を張っても、敵はまた《Disintegrate(分解)》の巻物で崩すだろう。

 

「やれやれ、これは手早く済ませる必要があるかな……」

 

 ラジエルは《Crown of Stars(星の冠)》の最後の一弾を放ち尽くし、次の手を探すように視線を走らせる。直後、ラジエルの表情がわずかに変わった。視線が一瞬だけ外れ、瞳が小さく揺れる──まるで戦場の外側から何かを囁かれたかのような様子だ。

 

 次の瞬間、ラジエルの身体から強い圧迫感が広がった。《Mind Blank(空白の心)》の影響で魔力としては捉えられない。それでも空間が押されるような感覚だけが残り、周囲の魔法使いたちは言葉を失う。

 

「これほどの圧力なのに、魔力を一切感じない……?」

 

「奴は何をするつもりだ……!?」

 

 気配の変化に敏感なギスヤンキは、すぐにラジエルへの集中攻撃を試みた。

 

「Focus all attacks on the wizard! Kill him now!(全ての攻撃をウィザードに集中しろ!今すぐ奴を殺せ!)」

 

 ラジエルは飛来する攻撃へ視線を据え、口元だけで笑う。声は小さいが、言い切る調子は変わらない。

 

「僕たちの勝ちだよ」

 

 その刹那──

 

 ギスヤンキ部隊の後方で、位相アンカーが隠されている丘の陰が轟音と閃光を伴って爆ぜる。爆風が戦場を揺らし、後方のギスヤンキ・ナイトが反射的に振り向いた。

 

「What the hell!?(何が起きた!?)」

 

 ナイトが向き直った瞬間、身体を電撃が貫く。《Shocking Grasp(電撃の手)》──接触した相手に直接電撃を流し込み、反撃の動きを鈍らせる《Cantrip(初級呪文)》だ。ナイトは呻き、膝をつく。

 

「You bastard…… since when were you here……!?(貴様、いつからここに……!)」

 

 ナイトの正面に、静かな笑みを浮かべたラジエルが立っている。ラジエルは《Greater Invisibility(上級不可視化)》──身に着けているものも含めて透明になり、攻撃や行動を行っても透明状態を維持できる幻術魔法──を解除し、姿を見せた。

 

 前線で魔法を連続して行使していたラジエルは、ラジエルが事前に《Wish(願い)》を用い、本来なら十二時間の準備と大量の氷、高価なルビーなどの希少な材料を要する複雑な魔法《Simulacrum(似姿)》の効果を、瞬時に再現して作り出した分身だった。

 

 《Wish(願い)》は、術者が望む結果を直接世界へ押し付ける現実改変に近い。通常の呪文構築手順──材料を揃え、魔力を込め、術式を編む段階──を省き、本来必要な物質的要素も不要となる。

 

 《Simulacrum(似姿)》で生み出された分身は、術者と同じ姿を持つ複製体だ。記憶や能力、魔力の扱いまで再現するが、耐久力は本体の半分程度に留まり、消耗した魔力は回復しない。そのため術者は使いどころを選ぶ必要がある。

 

 一方で本体のラジエルは、《Greater Invisibility(上級不可視化)》と《Mind Blank(空白の心)》で気配を抑え、ギスヤンキの視線と索敵を避けて動いていた。帝国軍部隊を支援しつつ、必要な場面では矢や魔法の一部の軌道をずらし、位相アンカーの位置を詰めて破壊へ手を進めていたのである。

 

 丘の陰の爆発を見たエリーゼは、苦痛に顔を歪めながらも短く息を吐いた。

 

「成功……したのですね……」

 

 だがギスヤンキ側の混乱は、ここから急速に広がる。後方で位相アンカーが破壊されたことを目にした戦士たちは、爆発と指揮官の被害に動揺し、隊列の乱れを隠せない。

 

「Impossible……! Are you telling me the wizard who's been wreaking havoc at the frontline all this time was just a copy!?(馬鹿な……!今まで前線で猛威を振るっていたウィザードは、ただの複製だったというのか!?)」

 

 戦士たちは周囲を見回し、判断を失いかける。命令の流れが途切れた奴隷兵も動きを止め、立ち尽くしたまま視線だけが揺れていた。混乱と恐怖がその場に残り、前線の状況はさらに悪くなる。

 

 《Shocking Grasp(電撃の手)》を受けて膝をつくギスヤンキ・ナイトは、痛みをこらえながらラジエルを見上げる。視線の焦点が合った瞬間、ナイトの表情が変わった。

 

「Kra'ath……Vael'saar!? Dak gith'rakhtar──tor'zakh gith……!(あり得ん……まさか、《運命織り》……!?我らの遠征軍を滅ぼした仇め……!)」

 

 近年、ギスヤンキ軍の司令部は、戦場での指揮命令には奴隷や雇用する異種族の傭兵にも理解できるよう、機密性の高い内容を除いて共通語を用いるよう通達していた。だが極限の恐怖と混乱の中で、ナイトは思わずギスヤンキ語を口にしていた。

 

 ラジエルは冷淡に見下ろしたまま、流暢なギスヤンキ語で低く告げる。

 

「Zhak-til'zak gith' rakh-tor(勝負は決した。お前たちの戦はもう終わった)」

 

 その言葉は挑発であり、ギスヤンキにとっては屈辱を伴う宣告でもある。ナイトの呼吸が乱れ、意識が揺らいだ。その隙を逃さず、ラジエルは間を置かずに《Dominate Person(人物支配)》を発動する。

 

 この魔法は相手の精神へ干渉し、意思決定を上書きする強力な呪文だ。ナイトは抵抗の姿勢を崩し、瞳の鋭さが消えていく。焦点が定まらないまま、口がわずかに開いた。

 

 それを見た前方のギスヤンキ・ナイトは戦況の急変に気づき、部隊へ声を張り上げる。

 

「Stand your ground! Regain formation, we can still salvage this—(態勢を整えろ!まだ立て直せるはずだ──)」

 

 だが言葉は最後まで続かない。

 

 ラジエルの分身が静かに片手を上げる。次の瞬間、低く短い一言が放たれ、空気が震える。

 

「沈黙しろ」

 

 《Power Word: Stun(力の言葉:朦朧)》──術者が発する一言の強制力で対象の精神を圧倒し、意識を麻痺させる高位の魔法。ナイトは言葉を浴びた瞬間に動きを止め、朦朧としたまま立ち尽くした。

 

 二人のナイトがほぼ同時に無力化され、位相アンカーも失ったことで、ギスヤンキ部隊は統制を崩す。動揺が各所へ広がり、残された魔導兵たちは状況を読み取ると、即座に撤退を命じた。

 

「Retreat now! Maintain discipline and fall back immediately!(すぐに撤退だ!秩序を保ち即座に後退せよ!)」

 

 撤退を指示した魔導兵たちは、奴隷兵への命令だけを残したまま走り去る。置き去りにされた奴隷兵は状況を処理できず、叫び声と足音が重なり、前線は無秩序に飲み込まれていった。

 

 ラジエルの分身は逃げるギスヤンキ兵へ視線を向け、肩を軽くすくめる。続いて分身は帝国兵へ指示を出した。

 

「逃げ遅れた連中を狩っておいで。ただし、無駄死にを望むような深追いはやめておくことだね。奴らは追い詰められればどんな手段でも使う」

 

 帝国兵と魔法使いは、エリーゼの治療と負傷者の救護のために一部を残しつつ、動揺を抱えたまま追撃に移る。

 

 一方、ラジエルの本体は目の前で跪くギスヤンキ・ナイトを見下ろした。視線を合わせ、《Dominate Person(人物支配)》で繋がった意識へ、冷えた問いを念話で送り込む。

 

【少し話を聞かせてもらおうか。君たちがこの世界で何をしているのか、位相アンカーの正確な設置場所もだ。そして、あの奴隷たちの拘束を解除する方法も教えてもらえると嬉しいね】

 

 《Dominate Person(人物支配)》の影響下に置かれたナイトの瞳は濁り、念話に促されるように口元が開き始める。

 

「あの奴隷たちは……解除するには、首輪に仕掛けられたルーンを……」

 

 ナイトが掠れた声で言葉を続けようとした、その瞬間だった。

 

 ナイトの頭部が内部から爆裂し、血と肉片が飛び散って砕け散る。ほぼ同時に、前方で朦朧としていたもう一人のナイトの頭部も同じように破裂し、戦場に短い静止が走った。

 

 治療と救護のために残っていた帝国兵と魔法使いたちは目を見開き、言葉を失う。治療中のエリーゼも顔を青くし、息を呑んだ。近くにいた魔法使いが震えた声で呟く。

 

「な、何だこれは……自爆か?」

 

 ラジエルの分身は眉をわずかに上げ、淡々と口にする。

 

「やれやれ、せっかく苦労して生け捕りにしたのにね。情報漏洩を防ぐための自壊措置とは……ギスヤンキのやり方はいつもながら徹底的で残酷だね」

 

 その光景を見たエリーゼは、痛みをこらえながら震える声で言った。

 

「これが……世界を越えて侵略してくる敵の、徹底した狂気なのですか……」

 

 戦闘の音が遠のき始める中で、ラジエルだけが表情を崩さず、周囲の動きと残された脅威を静かに見定めていた。

 




最後までお読みいただきありがとうございました。
更新は不定期ですが、じっくり丁寧に進めていきますので、気長にお付き合いいただければ幸いです。
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