◇
都市部に向かって歩く。
時刻は午後三時を丁度回ったぐらい。まだ太陽の位置は高く、強く眩い光が私の肌に吸い込まれていく。暑いなんて、言葉にするのさえ億劫なほどの気温。自分の体温が5度や10度ぐらいは軽く上昇しているのではないかと思う。
きっと、それは錯覚だ。
何故なら私は、15分ほど前にはクーラーがかかっていた図書館にいたわけで。勉強をするという目的と、電気代節約というの二つの目の目的のために、そこにいたわけだ。
今日という日は決めている約束など何も無かったから、そこで閉館時間まで過ごす腹積もりだった。だが、やはり、人生というのは思い通りにはいかないよう。それを、だから楽しいなんて言ったのは誰だったか。今ではありふれてしまっているその言葉は、無味乾燥な、耳障りに感じるモノに変貌したように感じる。
(ああ、暑さで思考が、ネガティブにシフトしてるわねぇ……)
額に浮かぶ汗を手で拭う。
今になって、図書館(あそこ)はオアシスと同等であったのだと実感する。
「なんでこんなに暑いの?」と軽い気持ちで私の友達に聞いてみたことがある。そしたら、よくわからないデータと数々の理由を並べ立てて教えてくれた。ああ、でもね私の友達。
私、あの時何度も頷いて貴女の話を聞いていたけど、正直な話ーー全く理解できなかったわ。だってこんな何気無い質問に、世界の有象無象の理論をねじ込んでくるとは思わないじゃない。そうじゃないのよ、私は「夏だからしょうがないわね」なんて、そんな返答で満足できたのよ。蓮子、天才とアレは紙一重よ。本当に紙ほどの違いしかないの。つまり貴女はどっちでもあるのね。ーーああ、それはなんて、哀しい……。
心の中で彼女をすごく乏してしまっているが、きっと、それは暑さのせいだろう。
そう思うことにした。
陽炎が揺らめく。
まるで、今見えている景色を塗り替えるようにゆらゆらと。そのなかで私は肩を上下させ、気を重くさせながら歩を進める。
ため息ひとつ。長く吐き出す。
これは、私が図書館を出なくてはいけない理由が、彼女から呼び出されたからだということへの苛立ちから行われたものではない。別に、そんなのは全然関係ないのです。
これもきっと、夏のせいなのでしょう。
◇
「……出ないねえ、一真君」
「蓮子さん、根気ですよ根気。まだ20分ぐらいじゃないっすか」
「もう、じゃなくて?」
「不思議はそう簡単には来てくれないんですよ。自分が見たいと思う夢はなかなか見れないでしょ?それと同じです。」
「うーん、そんなもんかなぁ」
見慣れた、黒帽子を被った彼女の後ろ姿と、その隣りにいる彼女より背の高い男性の後ろ姿を視認できた。
黒帽子の彼女は宇佐見蓮子。
私と同じ大学に通っている女性、というよりは女の子という表現が似合うだろう。肩につくほどに伸ばされた焦茶の髪に、シンプルな半袖のワイシャツと日射しを吸収するミニスカート、全体的に白と黒で構成されているファッションだ。いつもツートンカラーの服装でいるのは中々不思議なものなのだが、今では慣れてしまっている。まぁ、彼女が起こす奇想天外な行動には全く慣れないのだが。
そして彼女の隣の男性は、この前知り合った坂本一真君だろう。
彼は藍色を基調としたスポーツTシャツと、これまた運動用の青い半ズボンを着ていることが後ろ姿から見ることができる。
彼は私より年下の高校生。背は男性の平均身長と同じくらいだが、若干筋肉質なのか肩幅が少しだけ普通の高校生よりも広く感じる。前本人にその事をさりげなく言ってみたら「そのせいで背が低く見られるんですよ……」と哀愁を漂わせて言っていた。
まあそれは、肩幅が広いと相対的に頭がより小さく見えるからではないかと思う。ただの推測なのだが。
そんな二人が見慣れたある機械に向き合って、何かをしている。
ーー投入口にお金を入れ、返却レバーを下にさげ、そして出てきた硬貨を確認したと思ったらまた、投入口に入れるという行為を繰り返す。
彼女らが相手にしている機械の名は『自動販売機』。その三台並んでいる内の二台を使って、彼と彼女は理解できない行動をとっている。
私はそんな、一目みて関わりたくないと思わせる彼女らにためらいつつ声をかける。
「……何をしているの?」
「あ、メリー。ようやく来たのね。ふっふっふ、待ちくたびれたぞ!って痛いッ!
一真君なぜ顔をわしづかみにしイタタタッ!!!!?」
「だ・か・らお前は宇佐見 蓮子なんだよ。すみませんマエリベリーさん。気づいたらこの人もう、貴女に召集をかけてたみたいで」
右手で蓮子の顔を掴みながら、申し訳なさそうに謝罪する一真君。その現実では滅多に目にかけることがない状況はスルーすることにし、私は声を返す。
「いや、それはいつものことだから別にいいわ。……で?貴方達は、二台の自販機を占領して何をしてるのかしら?」
「ああ、それですか」
「ッた!……ああ、痛かったぁ。ようやく一真ハンドから解放されたぜ。ふぅ」
一真君の手から離れた蓮子が安堵の息を一つ。その表情は、見るからに苦痛を訴えていた。
なんていうか、そこまで痛かったのか。
彼女は少しの間自分の顔を抑えていたが、やがてその手を放し私の問いに答える。
「まぁ、あれよ。倶楽部活動よ。倶楽部活動。見てわからない?メリー。」
「そうなの?」
「そうよ。なんか一真君がね、『秘封倶楽部でしたっけ?まぁ不思議発見みたいなもんっすよね、たぶん。じゃあ自販機で十円をいれて、戻す作業をしてください。不思議が出てきますよ』って言ったのよ」
「え、それで納得しちゃったの蓮子?」
「まぁ、蓮子さんですから。とりあえず、自販機から僕のお目当てのものが出た後に『それでは、ここでクエスチョンです』と言うことによって、秘封倶楽部の活動になっていくと蓮子さんは続けて言っていました」
「いや、それ不思議発見そのまんまよ。パクリよ。オマージュの片鱗すら見られないわよ。
え?蓮子それでいいの?私たちの倶楽部活動それでいいの?こんなんでいいの?」
「……良いんじゃない?(真顔)」
「良いわけないでしょ(迫真)」
暑さで頭がくらくらする。
ちなみにこの後聞いた話、一真君が言っていた『不思議』というものは《十円玉の側面に凹凸が出来ている》ーーとどのつまりギザ十のことであって、それを「ね、不思議ですよね?」なんて笑顔で彼が言っていたのを見て、私は、彼の友好関係がゼロであったこと、真面目に友達がいないということを再認識したのだ。その時の彼を見守る蓮子の表情が優しかったことがやけに印象的だった。
なにはともあれ、今日も平和な一日になりそうだった。
◆◆◆
まるで嘘のように消えていきました。
何もかも吸い込んでしまいそうな空はオレンジ色で、自分の肌でさえ、その色に染められてしまったよう。
ーー夕暮れのある風景。
掴む白球。腰の旋回運動。
ーー夢にさえ置き去りにされた情景。
回転で見えづらくなった
ーーもう手に入らないと理解できてしまう、古い夏の憧憬。
空では一つの飛行機雲が伸びていて、地面では、二つの人影が伸びていた。
……そんな、昔の面影でさえ嘘みたい。
耳に導かれる、暑苦しい相手の笑い声。
はっきりと見える、自分より大きな人の微笑み。
今では色褪せてしまった、夏の記録。
ーSide:Ghost Sー
◇◇◇
アスファルトの上で目玉焼きが作れるのではないか?
そう思えるほどの気温が、今日のこの夏の日なのであった。街の電気屋を横切った時に展示品のテレビが「今日の最高は39度!今後もこの暑さが続く予想ですが、これはやはり地球温暖化の影響なのでしょうか?」なーんて、番組内で専門家と芸能人が討論しているのが耳に入った。
毎年飽きないもんだなぁとそれを聞き思ったが、意識をこちらの現実に戻す。
……やっぱり、暑い。
地球温暖化だか地球が怒ってるだか泣いているだかは知らないけれども、暑いのだけは勘弁願いたい。頭は若干ぼうっとしてきたし、元気は枯れ果ててしまいそうだ。
人で溢れているこの街の中、空の日光の熱と地面からの不自然な熱気で体は疲れを訴える。ああ、あと半年先の冬の寒さが恋しい。
まぁ、冬になったらなったで、今度はその逆になるのだろうけれど。
「いやー夏だね。こんなに夏らしい夏は、いっそ清々しいよ」
そう言ったのは勿論宇佐見 蓮子。彼女のテンションはこの程度の暑さでは衰えないようだ。彼女は自分の白いリボンが巻かれた黒帽子を人指し指でくるくると回し、余裕を感じさせる表情で歩いている。
……一体、この人の体力は何処からくるのだろう。もしかしたこっちから吸いとっているのではないだろうか。
いや、流石に言い過ぎか。彼女はこれでも人間なのだ。時々人間離れした発想を実行するが、人間なのだ。多分。きっとそう。
言葉にすればするほど自信がなくなっていく。不思議なものだ。
その彼女の隣にいるのはマエリベリー・ハーンさん。今回の被害者である。陶器のように白い肌をし、髪の色は日本では見られないほどの自然な金色。やっぱり、日本人の染められた金髪とは違うのだなあ、とモノホンを見て一般人の俺は思ったのだが、どうでもいいことである。
マエリベリーさんは今まで図書館にいたらしいが、突然の宇佐見 蓮子による招集により仕方なく来ることになったみたいである。『来てくれ……いや、来い!メリィィイイイイイ!!!!!』みたいな令呪並みの強制力から参戦することになった彼女は、今現在、なんていうか、すごく、ヤバイ感じになっていた。
「うふふ、一真君。自由研究の宿題は終わった?終わってないなら『扇風機の風を受けているアイスクリームとそのまま普通に置いてあるアイスクリームではどちらが溶けるのが速いか?』と言う研究をオススメするわ。きっと興味深い結果が得られるでしょう。ふふふ」
「いや、マエリベリーさん。僕、高校生なので自由研究ないですし、それ興味深い結果も得られないと思いますよ」
「……大丈夫メリー?小学生に戻っちゃったの?そこのベンチで休む?私の『おっす、お茶』飲む?」
いつもの仏のような微笑みではなく、異常な笑みを浮かべマエリベリー・ハーンがこの場に君臨していた。そして今の彼女は、突飛すぎることしか言わないようになってしまっている。
ちなみにさっきまでは『誰もいない森の中で一本の木が倒れたら、そのとき音はすると思う?私はすると思う。こう、木が倒れて、バキッ!ていうのよ。そうしてその場に居合わせた木こりが空を見上げて「嫌な予感がする……ッ!まさか!」って言って駆け出すの。それが後の徳川家光。天下をとった猿の名前よ』と言っていた。
宇佐見ストレスによる弊害が今ここに…!とその時は戦慄が走った俺であったが、マエリベリーさんの顔色を見てこうなってしまった原因を理解することができた。つまり、
熱中症である。
「今ここに私がいるでしょう。でも、それは水面に映る月と同じなのよ。私であって、私でない。つまり人間はみな、それぞれの人生という道の上を、東北横断自動車道をーー走りきることができるっ。息をきらしながらっ、栄光の架橋を抜き足差し足忍び足で。もちろん、少しの勇気と筋肉が必要になるだろうけど」
絶対、これは熱中症である。
まるで悪夢を見ているようだ。こんなマエリベリーさん見とうない、見とうなかった、というのが俺の感想である。精神に多大な負担をかけられる。視界がぐわんぐわんする。
そんな中、今のマエリベリーさんと違い普通に異常な宇佐見 蓮子は彼女に自分の飲み物を渡しつつ、ポケットから出した白いハンカチで彼女の額の汗を拭う。
宇佐見 蓮子自身こんな状況は慣れていないのか、あたふたしながらマエリベリーさんに対応していた
俺はそんな宇佐見 蓮子をみて、ーーお前ハンカチなんてもの常備してたのかァ!!!と(普通はそこに目をつけないが)場違いながら驚愕していた。今まで生きてきた中で間違いなくベスト1の驚きである。いやだって、
宇佐見蓮子▽
E ハンカチ 女子力+10
とステータスに表示されているのだぜ?畏怖と恐怖ともっと恐ろしい何かがまるで台風のように荒れ狂っているステータスウィンドウである。
…ま、心から友達を気遣うことが出来ている彼女は、なんていうか、彼女らしいなとも思えるのだけど。
彼女は普段は空気の読めないアンド行動が読めないアンド言葉の通じない人間だが、それでも、相手を想いやることに長けている。それがはっきりとわかるのが今回の一場面だ。
それを微笑ましく、思ってしまうから俺は彼女を心から憎めないのだが。まあ、俺のそれはどうでもいっかである。
それでは、そんなふうに観察するのはさっさと止めにして、近場の休憩できる場所を探すことにする。
涼しく快適で騒がしくないところがベストである。かなりやばくなっている彼女のため、俺が携帯を取り出して調べているところで、あの宇佐見 蓮子が流石の一言。
「アレ?ハンカチで拭いた下から汗がでてこない。…ハハッ!極限まで減量してるボクサーみたい!!カッコイイ!!!」
お前の感性どうなってんだ。
坂本一真の評価が30下がった▽
◆
ーー当たり前の話だが、夏は暑い。
でも俺にとって、夏という季節はただ、暑いだけという認識しか持っていなかったことがわかった。
響くサイレン。気温によって生まれる少しの変化。それを調整するための一投。一対一。滴る汗。
--射、殺すかのごとく睨み付ける自身。邪魔だと言外に告げるモーション。人体の限界に至る旋回運動。そうして放たれたモノはーー
だからだろうか、それしか知らなかった俺には、今年の夏の場面場面が、それぞれ鮮明に目に焼き付く。
忘れもしない夏の記録、でもそれは、ーー本当に価値があったのだろうか?
「ーーなんて、ね」
きっとわからない。ただ、誤魔化すことだけはしないように。……まあでも、それを嘆く必要性を感じなかったことが、答えなのだろう。
◇
電気屋の前にある展示品のテレビに目をくれず、多種多様、様々な恰好をした人々は通りすぎる。
その画面の映像とその音声はただ流されるだけのものと化し、それは映る背景に、溶け込むだけの意義のない実像となる。
それを告げる人はいない。だから逆に、その機械はただ告げるだけ。
『次のニュースです。今年の全国高校ーーー選手宣誓はーー』