ーー過去に盛況していた、そんな場所はすぐにくすんでしまう。
流行、時の流れに浮かされていたそれは、一度巻き起こりそして失ってしまうと、再度浮上することは困難になる。その空間には時の名残、痕、そしてなによりもそれが『そうであったこと』だけが、記憶として残ることを許される。
…まるでそれは、熱を失ってしまった亡骸のよう。
人に触れられることも、見られることもなくなってしまったそれに滑らかさは感じられない。ただその鉄部分は赤茶色に錆び、埃が被るだけ。しかし、それでも現在稼働しているということを伝えるための、ボタンほどの大きさの電気ランプは緑色の光を放ち、準備は万全であることを告げている。
それがただ、悲しい。
耳をすませると、くぐもった機械音。今では静寂のみになってしまったそれを塗り替えるように、それは空気を振動させ響かせる。役目を果たせるよう、怠ることはせず、ただ耐えて次を待つ。
ーー高く、広い範囲を占めている緑色のネットが、一つの風で揺れた。
音はなく、力なくゆらゆらと。そうして、それは静止する。まるでそれが作業になってしまっているかのような寂しさ。本来ならば、激しさを受け止めるためのその動きを、忘れてしまったのだろう。だから後は擦り切れるだけ。摩耗していくだけだ。
日光がその場所の陰と陽を明確に分ける。影はより黒く、日の当たっている場所はより白く。
そして、それを見て何も想わなかったならきっと、冷めてしまっているに違いない。
◇◇◇
ガコン、と三百五十グラムの物体が落下し音を立てた。
自分の背丈よりも大きい自動販売機の前、しゃがんで二つの飲み物を取り出す。一つは甘い砂糖が多分に入った炭酸飲料。そしてもう一つはそのまえに買ったただのペットボトルの水である。
俺こと坂本一真の今の役割は、おつかいであった。
いや、まあそれはしょうがないと言えばしょうがないことではあるのである。ーーマエリベリーさんの『何か薬でもおやりになってる?』と問いかけてしまいそうな熱中症により、我々宇佐見一行は現在この地域でも大きな面積を占める公共の庭園へと来ることになった。
なんでも、店内のクーラーよりも木陰の下で自然の風に当たりたいのだとか。マエリベリーさんの何言ってんだかわからん言葉をやはりあの宇佐見蓮子は通訳することができ、そしてその通訳から、俺はそれを知ることが出来た。
「え?なになに……外の方が良いってこと?OK、OK。それにしてもメリー顔真っ赤ね。なんか相撲で張り手をいっぱいやられた力士の顔の色を想起しちゃうわ。…アレ?なんかピクピク痙攣してーーそういえば授業の時の話なんだけど、大学の先生が私と話してる最中こめかみがピクピクしてるのよ。やっぱり先生の仕事は疲れるのかしらね。頑張ってくださいって心の中で呟いたわ」
こんな感じで彼女の言葉を、俺に通訳していただきました。
ーーホント、宇佐ぽんぽ子ってすごいよな。最後まで畜生発言連発だもん。
コイツの脳ってどうなってんの?まるで見えてる世界が180度違うのではないか。だっておかし、逆にすごくね。なんでそんな発想になっちゃうの。お前絶対幼少期になにかしらの地球外生命体にコンタクトとられたでしょ。そしてその生命体と会話できただろ。そのレベルよ?恐怖通り越して不思議が溢れてくるわ。秘封倶楽部はお前自身をテーマに活動していけばいいのではないかと思いました、まる。
話を戻すが。まあそんなこんなで公園に着き、宇佐見蓮子とマエリベリーさんは大木の下、大きな木陰の下の芝生で休み、俺はマエリベリーさんに新たな飲料を与えるため、自販機にて水を買うことになったわけである。余談ではあるのだが、この場所の自販機の前に俺が立つのは今回で二度目である。
一度目はーー先ほどの話なのだがーー気軽に水を買いに来たとき「あ、そういえば俺、財布家にあるんだった」ということを思い出し、宇佐見蓮子に代金をもらうため引き返すことになってしまったのである。なんと間抜け、とその時は自分に呆れてしまったわけだが。呆れたところでお金が降ってくるわけではないので、一つため息をつき、元の所に戻っていった。そうして二度目、彼女から代金と「私の分も買ってきてくれる?缶で炭酸系が良いな」という注文を今度は承って、ようやく今買うことが出来たというわけだ。
右手と左手にそれぞれ持ち、その冷たさを肌を通して実感する。周りの気温も合わさって、その飲料の温度の低さがよけいに際立つ。
「……マエリベリーさんには、これからも頑張ってもらないと」
体調を取り戻し、万全になって。
彼女がいるといないのでは俺の負担が大きく異なる。例えるとするのなら、泳げない人がビート版を所持出来るか出来ないかの違い。結構深刻なものなのだ。
そのために早いとこ水を渡して復活してもらわないと。そう思い自販機の前から離れ、自然の景観が多く保存されている公園の中を進んでいく。
ーーふと、大きな木を下から眺めている二人の子供の姿が、目についた。
兄弟だろうか。一人の男の子は7、8歳ほどに見えまだ幼さが顔に多分に残っており、もう一人は中学生ほどの少年だと俺は認識した。
自身も、その子供たちが何故その木を見上げているのか疑問に思いその先へ目を向ける。すると葉が青々とついた数々の枝の間に、白と黒で構成された頭ほどの大きさのボールが見えた。
二人で遊んでいる時に木にのせてしまったのか、と一人納得する。しかしよくあんな高さにボールを蹴り上げたものだ。その白と黒のサッカーボール(今では漫画でさえ目にかけることが稀な配色である)は人の手で取ろうとするのが億劫なほどの位置に存在していた。木に登ったとしても手は届かないし、枝と枝の隙間にすっぽり入っていて、強風でさえ中々に落ちそうにない。
(まあ人間誰もが一度は経験するやつだな)
と俺は心の中で思い彼らから目を離す。
だがその時に、少年が男の子にかけた声が、耳に入った。
「ほら泣くな。お前少し泣き虫過ぎやしないか?」
ーーーほら、泣くな。お前は本当に母さん似だなあーー
そんな無いはずの音声が、再生された。
目を見開き、また再度彼らの方に向き直る。
「全く、ボールがのっちゃったぐらいで大げさな」
「ーーうう」
「おい、すぐ取ってやるから泣き止め。こんなんじゃダメだろ?」
ーーーお前はもうお兄ちゃんになるんだから、と。
そう俺だけが聞くことの出来る言葉が続く。
……そういえば昔、子供のころに同じような過去があった。
誰よりも速く、誰よりも遠くにと、力いっぱい振り上げた腕。でもそれは、
だからその思惑が失敗したときに、どうしようもない悔しさと悲しさで胸がいっぱいになってしまった。それが、涙という形あるものに変わってしまい、流れた。それが理由。
でも、そんなのは相手が知るよしもないことで。その時はただ、大袈裟だなぁと肩をすくめるにとどまっただけだった。
今想えばそれは、なんてーーーー
「でもよく考えるとコレ、……中々難しいな」
目を細めながら少年が言った言葉で、はっと我を取り戻した。
大木に手を当て、どうしたもんかと首を傾げる少年を、小さな男の子はぐっと堪えながら見るだけ。その姿をどう思ったのか。俺は気軽な声で、けれどもその実重く、
「ーー俺が取ろうか?」
声をかけてしまったのである。
◇
「一真君ありがと。ーーねえ?」
「どうかしましたか?」
買ってきた飲み物を宇佐見蓮子に手渡す。するとそれを受け取った彼女は自分の分の飲料を見て、俺に疑問を投げかけた。
「いや、なんかこの缶すごくへこんでるんだけど」
缶の上をぶら下げるように持ち、俺に見せつけ彼女はそう言った。俺はその返答をノータイム、かつ迅速に返す。
「ああ、それ元からへこんでたんですよ」
「絶対嘘でしょ。いやこれ、なんか意図的にやったとしか思えないほどボコッてなってるんだけど」
「…そういえば買うときに自販機の中から『どんがらがっしゃーん!』って聞こえたような」
「そんな自動販売機ないから。もしあったら中の飲みものが落ちるときに重力以外のものが加わっちゃてるから。そしてこんな一部分だけベコッてなってないから。あれ?私一真君に何か悪いことしたっけ?」
それはいつもしてるな、と心の中で返答する。
まあ、この事は正直すまんかったと思っている。やっぱさっきのああいう場合って、当てて落とすしかないよね、ということだ。
しかし失敗して飲み物が逆に木の上にのってしまうという最悪のパターンは回避できたので、自分的には大きな達成感を得られた。それほど集中し撃ち落とすことに取り組んでいたのだろう。あんなに俺が真剣だったのは高校二年生のころ授業で教室を移動することを知らず、ずっと一人自分の机でみんなの行方を考えていた時以来だ。ああいう時は普段思いもしない、世界の陰謀論じゃないかとか突拍子もないことを思いついてしまうものである。俺が図書室に行っている間に一体なにが…?隕石でも降ってきて避難でもしたのか?もしくはドッキリか?とかそんな感じだ。全くもって救いようのない頭である。でもわかってほしい、この気持ち。
「ま、意図してやったことじゃないので安心してください。ああそれと、多分それかなり振っちゃてると思うので、少し間をおいてから飲んでくださいね」
わざとではないことは明確にしておく。言い訳はさせてもらったが、本当に悪気はなかったのである。
その俺の言葉を本当か~?みたいな疑いの目線を俺にかけながら、彼女は俺の喋っている最中に、
「ーーーーえ?」
俺が注意したのと同時、彼女の人差し指にかけられたタブが、引かれた。
◇
ーー恐ろしいほどの爆音。
炭酸飲料は水の冷却、そして圧力をかけ強制的に二酸化炭素を溶かすことによって完成する。だが、それは振ってしまったことによって綻びが生じ、自ら外に出ようと蠢きだす。
ーーその水流が、小さな爆発音と共に瞬きよりも速く宇佐見蓮子に襲い掛かるーー!!!
坂本一真は歯噛みした。
自分がその飲料を渡す前に注意を呼び掛けていれば。今予知することが出来るコンマ数秒先の未来を回避することが出来たのだ。何故渡した後になって、彼女がそれに手をかけた後になってから声をかけたのか。そう、自らの過去の過ちを嘆く。ーーだがそれすら遅い。後の祭り、後悔先に立たず。彼の伸ばしかけた右腕は彼女に、届くことはない。
マエリベリ―・ハーンは自らの親友の危機を知ることなく、まるで眠っているかのような静寂を保ち芝生の上に横たわっていた。
思いもしないだろう。これから自分もその災厄ともいうべき人工の雨を、その身に浴びることになってしまうとは。運命を前にした人の無力。その弱さ。ーーしかし、両目を閉じ、自分の手を胸の下で組み眠る彼女の今の姿は、まるで何か、人の身では余る『奇跡』が起きることを願っているかのように見えた。
ーーだが神は微笑まない。容器から噴き出す、まるで炎が足りない酸素を吸い込んでいくような音は 鳴ってしまった。それは後の運命の暗示。なぜこんなにも、神による幸運は平等ではないのか。結末を想像することは容易。ただ、それを眠っている彼女は気付かないという救われない事実が存在するだけだ。
そして、そんな冷酷な運命を前にして宇佐見蓮子は、
「ーーーー、ッ」
まだ、諦めていなかった。
彼女の瞳の光は消えることはない。覆らない結果に目を背けず、しかし抗い続ける。
どうする?と自身に問いかける。缶を持つ腕を余所へと向けるーー時間が足りない。向かってくる水流を避けるよう、首を横斜め下に大きく逸らすーーそれでは自分のすぐ横に位置している親友に被害が。
彼女のトップクラスの頭脳をフル回転させる。だがその思いつき、導かれる策にはすべてリスクが伴ってしまう。
何をどうしても災厄は避けらない。ならばせめてーー最小限に。
自身の中枢神経を通し、その指令を彼女の右手に伝達させる。
プルタブにかかっている人差し指を押し出し、右の手のひら全体で、水流に真っ向から向かい打つ。
ーー自身の想定よりも強い力。耐える腕、軋む手のひら。その刹那の攻防を、一体この場にいる何人が視認出来ただろう?
そして、
「ーーふう」
数秒後、彼女は勝利した。
激しく荒れ狂っていた水は、今では過ぎ去った豪雨の後の湖のように静けさをとり戻し、容器の中で揺れている。それを安堵の表情で見た後、宇佐見蓮子は一息つき、
「手、洗ってくるね」
そう言って、この場を後にした。
◇
「わたしの知らない間に、そんなしょうもないことがあったのね」
「ふ、実際にさっきの私の勇姿を見たらそんなこと思わないわよ。カッコよかったんだから!ねえ、一真君?」
「…そうですね。ーー蓮子さんサイコー!さすがっす。」
「ふふん、そうでしょう、そうでしょう!」
あれから少し時間がたち、マエリベリーさんの体調が回復した。今では彼女は芝生の上に座り、言語も日本語に戻っている。そんな彼女に対し、宇佐見蓮子は声高らかにまるで福引で四等が当たった並みの自身の功績を語る。
まあ、終わりよければすべてよし。このまま調子にのらせておこうと思う。
先ほどの炭酸危機の回避を称賛し、そもそもの原因の所在を忘却させる。それが優先すべき俺の取る行動である。実際に宇佐見蓮子の取った刹那の判断は、それに直面したら誰でもそうするということは口にしない。相手の鼻をピノッキオにさせることが社会で一番重要なことだと耳にすることは多い。俺の情報の受け取り方がひねくれていなければ。
「もう午後4時の半ばね。まだ明るいけど」
「そんな時間かぁ。早いねえ」
マエリベリーさんの言葉に、宇佐見蓮子はゆったりと返答した。
木陰の下、夏の優しい風が緑を揺らす。陽の高さが前よりも低くなったからか、気温が少し下がっている気がした。
気がした、というのは、今が日陰にいるからそう感じたのかもしれないと思ったからだ。だからといって日向に出てその証明をするつもりにはならない。疲れてしまうので。
現在の若者はこれだから困ったものである。話は変わるが、最近では若者でもヘルニアになってしまうことがあるのだとか。腰が痛いと人間ほとんど何も出来なくなってしまうから悩ましいことである。常日頃から綺麗な姿勢を保つことがヘルニアにならないために大事なことだ。何事も常日頃からの努力の積み重ねだということである。まあ、俺はその努力できるのも才能だと思っている人種なのだが。全く、本当に最近の若者はこれだから(謎のドヤ顔)
「それで?」
マエリベリ―さんが目を隣にいる宇佐見蓮子に向け、言葉を続ける。
「これからどうするの?」
「……あー、うん。そうね…」
「相変わらず、ノープランなのね」
「まあね、フリーダムよ」
私、本能だけで生きてますからとでも言いたいかの如く、無い胸を張って言う宇佐見蓮子。牛乳って実際関係あるのだろうか?何故そんなことを今疑問に思ったのかは言わないが。ぽん、と彼女の肩に手を置き『Don't worry about it』と無駄に流暢に言ってやりたい……でも別にコイツは気にしてなさそうである。それにセクハラは下手すると逮捕案件なので駄目だ。…下手しなくても駄目だが。
「ん?あれは」
俺がそんなくだらないことに思考を割いている時に、宇佐見蓮子が遠くを目を細め見ながら呟いた。それに倣い俺とマエリベリーさんも彼女の目線の先を見る。
「あの緑のネットが大きく張られてるとこって何かわかる?」
宇佐見蓮子はそれを指さし、首を傾げる。
「……さあ?初めて見るわ」
その彼女の問いにマエリベリーさんは答えることが出来ず、同時に疑問を呈した。
緑のネットが高く、そして広い範囲を占めていることが遠目からでもわかるその場所。その付近は街の活気が感じられず、朽ちた商店街のような、そんな寂しさを感じられる。
ーー俺はその、宇佐見蓮子が実際に指さした場所に行ったことがあった。いや、『通っていたこと』があったと形容するほうがしっくりくる。
「行ってみます?」
俺は宇佐見蓮子に軽い口調で言う。そんな俺の態度を見てか、彼女は少しキョトンとした後言う。
「一真君、あれが何かわかるの?」
「まあ、そうですね。今の時代、ほとんど見られなくなった場所です」
よっこらせ、と降ろしていた腰を上げ立つ。
記憶を思い返す。
ーーくぐもった機械音。寸分の狂いの無い時間差で投げられる球。自分がそこにいたころには、その場所に他にくる人なんて滅多に見られなかった。例えるとするなら、手入れの行き届いていない墓場の空虚感。そんな雰囲気が常にあった場所。
自分が最後にそこに行ったのはーーいつの日だったか。
宇佐見蓮子とマエリベリーさんの方に顔を向け見下ろす。そうして一つ間を空けた後、その場所の名称を口にした。
「あれはーーーバッティングセンターっていう場所です」