一勝千金億女 作:ぽぽちん
欲望渦巻く大都会。
そのはずれにあるベッドタウンに、ぽつんと1軒。
うらぶれた飲食店がある。
軒先テントに描かれた「ラーメン」「餃子」「炒飯」。
垂れ下がったのれんには「中華」と書かれ。
小さなショーウインドウには、年季の入った食品サンプル達がずらりと並んでいる。
道路に面したその店の名は「
日本の定番中華料理をリーズナブルに提供する、いわゆる町中華である。
日差し傾く午後17時半。
閑古鳥が鳴く店に、一人の客が訪れた。
「らっしゃいー」
「……ども」
店主の間延びした声。
それに反射的に挨拶したのは若い女性だった。
飾りっ気のない無地の黒パーカーを着ている。
下は安物のジーンズで、靴はくたびれたスニーカー。
ラフ極まりない格好である。
しかしその流線型のボディラインは相応の女性らしさが感じ取れた。
纏めていないサラリと長い黒髪。
長いまつ毛と、鋭さを感じ取れるツリ目。
顔だちは凛としており、おめかしすれば声をかけられてもおかしくない容貌である。
しかして疲れを大いに孕んだ陰気な雰囲気が、全てを台無しにしているとも言えた。
つい最近まで無職だった、うら若き(?)女性である。
「あー、えっと。ラーチャンセット。餃子大盛りで」
「ハイよ」
席についてすぐに注文したのは彼女の好物である。
ラーチャンセット。
醤油ラーメンと、普通盛り炒飯、そして餃子3個セット付きの、いわゆる満腹セットである。
町中華らしく量は多めだが、天馬は軽々平らげる。
むしろ足りないからいつも餃子を足す。
大盛りは餃子9個。
それでも足りないように思えるのは、つい先程のスパーリングのせいだろう。
(……やっぱ、鈍ってるな)
ぐい、とコップを煽りながら考える。
考えるのはもちろん、自らのブランクのことである。
こう見えて天馬は元格闘家だ。
学生の頃、ダイエット目的で格闘技のジム通いを始め。
その切っ掛けでプロ選手を目指すも、大手団体加入前に網膜剥離を患って引退。
その後、未練がましくも裏格闘団体『アンダードッグファイト』に参戦。
3戦3勝という好スタートを切るも、「試合に華が無い」「毎試合長すぎる」という理由でクビに。
結果として無職になり、暇を持て余していたのだが──、
(とはいえオーナーである以上、私の出る幕はないだろうが……)
──今の彼女は、色々あって裏格闘団体の代表者である。
この団体を立ち上げたのは、つい一月程前の話である。
共通点が「落ち目」という、何とも情けない親友達と共に始めたこの仕事。
女性格闘家だけの裏格闘というのが受けてるのか、今のところ大盛りあがり。
選手層も厚くなり、固定客がつく事で収益もうなぎ上り。
興行のたびに最高収益を記録している。
軌道に乗ってきた実感が、希望にはあった。
しかしながら問題は山積みだった。
(殺戮武闘会──惨歯組に筋通しか。不安だな……
老舗裏格闘団体『殺戮武闘会』。
その運営は惨歯組という老舗のヤクザが行っている。
「ヴァルキュリア」は親友が「神宮寺組」の
そのよしみで
その発言力はかなり弱く、間違っても同業者に喧嘩を売る余力はない。
なのに。よりにもよって。
『殺戮武闘会』の女子王者が、ヴァルキュリアに参戦してしまった。
それも本人の意志で。
これは引き抜きとも取られかねない、危険な挑発行為だ。
しかも対戦の結果、相手のスター選手を傷物にしてしまったのだ。
これから何をふっかけられるか心配でならない。
(まあハナが交渉するんだ。悪い結果には……ならないだろう。多分。多分な……というか、それもこれも全部アイツのせいで………………はぁ、頭がいて~……)
元はと言えば、こんな事になったのもある人物のせいだと希望は考えていた。
通称『日本一危険な女子高校生』。
お嬢様学校、
彼女の実態は戦闘狂だ。
今は亡きカルト宗教『神の軍勢』。
そこで洗脳+軍事訓練を受けた彼女は、とにかく強い相手を求め続けるバトルジャンキー。
直近の興行でも『殺戮武闘会』の女子王者を下して優勝。
通算戦績は連戦連勝負け無し。
ほとんどの相手を一撃のもとで下し、そして未だに全力を垣間見せていない恐ろしい娘だった。
(強すぎるんだよなぁほんと。前の試合で
探さないと、どうなるか?
まず希望が
姫奈はなぜか自分に固執している節がある。
それは偶発的な彼女との戦闘で仕留めきれなかった事に由来してるらしい。
意味がわからなかった。
確かに2回とも何とか殺られずに済んだが、それは偶然。
ただでさえ
じゃあひたすらアイツから逃げ続けたら、どうなる?
(……最悪、国家転覆を始めるかもしれない。ははは、バカげてる。バカげてるけど、けどなぁ……夢物語じゃねえんだよなぁ……)
ため息が止まらない。
姫奈は、かつて公安にマークされていた最重要危険人物。
『神の軍勢』が作った化学兵器を隠し持っている、とは本人の言である。
彼女なら本気でテロを起こしてもおかしくはないだろう。
しかも「自分と張り合える、強い相手がいないから」という理由で。
(……………………だー畜生ッ! 在野で強い奴いないのか!? 都合よく裏格闘に理解があって、しかもどの組織にも所属してないフリーで、なおかつ姫奈にも勝てるような強い女格闘家ッ!)
「はいお待たせ。ラーチャンセット、餃子大盛りね」
「あ……はい」
二人がけの席に店長が次々と料理を運んでくる。
メンマ、煮卵、チャーシューとわかめの醤油ラーメン。
盛りは普通の、グリーンピース乗せ卵炒飯。
羽根付きのパリっとした餃子が列をなし。
ワカメとゴマ入りの中華スープ。
ミニサラダ、春巻き。
きゅうりの漬物と沢庵。
デザートの杏仁豆腐まで添えられた。
あっと言う間に机が大渋滞である。
かぐわしい香りが立ち上ると、たまらず腹が抗議音を立てる。
悩みなんてどうでもいい、早く食べさせろ。そう言ってるのだ。
(……それもそうだよな。食べてから考えるか)
まずはラーメン。
熱々のスープをおっかなびっくりレンゲで運ぶ。
これは、たまらない。
箸が踊り、誘われるように麺をすする。
縮れ麺が口に勢いよく吸い込まれ、その食感に全身が喜ぶのが分かる。
続けてゴマドレのかかったサラダ。
ほどよく
そして餃子を次々と口に収める。
止まらない。
箸が止まらなくて困る。
久々にスパーに夢中になったせいで体が飢えていたようだ。
夢中になって栄養補給を続けていくと、不意に店の扉が開いた。
「ようおっさん。いつもの大盛りで」
「おう、らっしゃい。久しぶりだね」
どうやら別の客のようだ。
勝手知ったる様子でカウンターに座ったその客は、ジャケットを椅子にかけてネクタイを緩め始める。
「アレ? どうしたんだいスーツ姿で。就職でもしたのかい」
「いや会話はえーから仕事して」
気さくな会話を見るに、常連客らしい。
颯爽と会話を打ち切ったその客は、出された水をカッと呷り始める。
少し気になって顔を上げると、その姿が目に入った。
"やさぐれた女サラリーマン"。
それが第一印象だった。
白いカッターシャツに紺色のジャケット。
下はパンツルックスのスーツスタイル。
背中まで届く髪はゴム紐で止められている。
金に染めていたのだろう。
何か月経ったかしらないが髪の途中までは金で、根元までは黒のプリンヘアーになっている。
顔つきはシュっとしているが、目つきは細い。
何となく自分と同年代っぽいように思えた。
「……」
ぼーっと見ていると、ふと目があった。
猜疑的な目。
まるで敵か何かを窺うような、そんな目だった。
サっと顔を伏せる。
失礼な真似をしてしまった。
他人様をじろじろ見て何をやってんだと、自分を叱責する。
……さっさと食事を取って帰ろう。
食事スピードをあげていくと、耳が気になる音を拾った。
ニュースだった。
『──速報です。〇〇市××町において、通行人の男性から「店の中で人が倒れている」という通報があり、従業員および客と思われる男女数十名が倒れているのが分かりました。事件があったのは風俗店「ヴェロニカ」であり、男女はいずれも店内で昏倒。すぐに病院に運ばれましたが、いずれも外傷はなく、命に別状はないとのことです。警察はガス漏れの可能性を疑っており──』
「……」
壁に備え付けられた小さなTVが、ぼそぼそと事件を報じていた。
××町。
ここからかなり近い。
電車二駅分ほどの距離だ。
物騒な話もあるものだ。
(そういや、ハナが言ってたな。××町の風俗は
人が死ななくて何より。
そう思いながら画面を眺めていると、ニュースキャスターが淡々と告げた。
「また不審な人物を見かけたという通報もあり、歳は20代~30代で、スーツ姿をした女性。髪を金色に染めていたそうです。警察は、その人物に関する調査を始めており──」
女性。
年は20代~30代。
スーツ姿。
髪は金色。
……まさか?
いや、まさか。
まさか……なぁ。
「あいよ。ニラレバ、チャーハン大盛に餃子」
「おう」
チラチラ見ていると、怪しい女の元に料理が運ばれてきた。
こんもりと盛られた品の数々は、ふとすれば自分のよりも量が多い。
チャーハンなんて、ちょっとした小山になっている。
それをレンゲ片手にガツガツと、それこそ自分と同じくらい乱暴にかっこんでいく。
どうやらかなりの健啖家らしい。
見ていた店員も、思わず唸る。
──もしゃもしゃ。
──もぐもぐ。
──ぐァツ、ぐァツ、ぐァツ。
「……しかしあんた、毎度よくそんなに入るね。別に体は大きくもないのに」
「
あっという間になくなっていく料理を見て、自分もつられるように食事をしていく。
していくのだが、どうにもニュースが気になって仕方がない。
ただのガス漏れならいい。
だが、もしも昏倒の原因がコイツにあったら?
ガスのせいではなくコイツが、何かをしたというのなら?
……通報するべきなのだろうか。
いや、見過ごすべきなのだろう。
警察は優秀だ。
自分なんかが介入する必要はない。
そもそも裏格闘のオーナーが警察に通報してどうする?
自分が捕まるのがオチだろうに。
(だけど……だけどさぁ。あぁもう──!)
落ち着かない。
背筋がかゆくなってくる。
もしものことを、想像してしまう。
鎮圧、出来るだろうか。
位置取りは悪くない。
私はテーブル席。対角線上のカウンター席に奴がいる。
何よりも奴は自分に背を向けている。
立ち上がり、会計するフリをして背後から襲う。
後頭部に右ハイなら一撃で昏倒させられるかもしれない。
相手が一般人だったらの話だが。
けれど、もしも相手がソレを見越していて。
実力も私以上だとしたら。
例えば武器を持ってたとしたら?
……念を入れるべきだろう。
食べかけのラーメンを投げつける。
そして間髪いれずに、テーブルを乗り上げて飛び蹴り。
この方がまだしっくりくる。
奴は食事に熱中している。
自然を装えば不意は打てるだろう。
スープを飲み干す素振りで丼を持ち上げ、そのまま投げれば──、
「勿体ねえからやめとけ」
「えっ?」
思わず背が跳ねた。
声の主は、今まさに食事を取っている奴だった。
奴はコップ片手に、ゆっくりと体を向けてくる。
「ラーメン。まだ食べてないんだろ? せめて食ってからにしとけ」
「──ッ!」
諭すような一言に、全身が総毛立つ。
見透かされている。
こちらを一瞥もしてないのに。
行動にも、それすら態度にも出してないのに!
冷や汗が止まらない。
コイツ、一体何者だ?
何で分かったんだ!?
……いやいや馬鹿か私!
態度に出すな、平静を装え!
「お、おいおい一体何の話だ? 何を言って……」
「とぼけなくてもいーぞ。俺を襲おうと思ってたんだろ? ニュースの犯人だと思って」
「はぁ? ──あぁ、そういやさっき言ってたな。金髪でスーツ姿で、20代くらいで女性。確かに不審者の特徴そっくりだ。今気付いたよ」
「演技下手だなー。別に襲ってくれても構わないが、捕まるのはお前だぞ?」
「だから襲うとか襲わないとか……! そんな事考えてすら──」
「テーブルを掴んで、重心を前のめりにさせてるのに? ……そうさな。ラーメンをぶん投げて、続けて飛び蹴りってところか? 狙いは悪くないが、もう通用しなくなっちまったな」
「ッ、い、いやだから何を言って……!」
「ついで言うとお前さん、
ズバズバと、怖いくらいに当ててくる。
一瞥するだけでそんなに分かるのか?
いや、分かる訳がないだろ!
こいつ、本物のエスパーか何かかよ?!
動揺を見透かしてニヤニヤと笑う相手。
自分が二の句を告げなくなっていると、奴は水を呷ってこう続けた。
「別にどうもしねーよ。俺もお前も、ただ飯を食いに来た。そうだろ?」
「……ああ」
「ま、襲ってくれた方が俺は楽しいが……その気も失せちまったようだな」
「何のことか、分からないな」
「そういう事にしておいてやろう。──ところで、そんなお前に相談があるんだけど」
「……」
一体全体、何だというのだ。
野試合の申し出か?
身構えていると奴はゴソゴソと懐を漁り、何かを取り出す。
縦長の革財布だった。
……財布?
奴はそれを私の前でひっくり返す。
パラパラ。
落ちてくるのはレシートと、なにかの名刺だった。
ふとそのうちの一枚が目についた。
『高級ソープ ぬるぬる』……?
「お金。ないから貸して」
「……はぁ?」
「ちょっとすったもんだあって職ナシの金欠でな。千円くらいあるかと思ったら何もないでやんの」
「……」
「袖振り合うも多生の縁っつーだろ? 人助けっつーことで千円くらい恵んでくんね? あ。先に仕掛けようとしたのはアンタだし、迷惑料ってことでもよくねえか? な?」
両手をあわせて媚び媚びのポーズ。
全身を強い脱力感が襲った。
……見ず知らずの相手に金せびるか、普通!?
あまりにも恥知らず。
あまりにも常識知らずだった。
しかもさり気なく罪悪感をくすぐってくるあたり、手慣れている。
絶対ロクな性格してないのが、よく分かった。
もちろん、こんな申し出断るしか道はない。
逆に受ける人がいれば見てみたいくらいだ。
「……いいよ。持ってけ」
「お。一万円? マジで? ラッキー。お姉さん超スキ」
……だが、気付けば金を出していた。
それは別に私が博愛主義だからもでないし、人道主義だからでもない。
なんだろう、してやられたことに対する
奴がウキウキ顔で札を奪い取ると、思わず私は訊いていた。
「なぁ。その代わりに名前を教えてくれよ」
「あ?」
「一万円は迷惑料にしてはそこそこイイ値段だと思わないか? 未遂で終わったんなら尚更だ。名前くらい聞いていても罰は当たらない。そうだろ?」
「ふぅん。……
「十分だ。覚えとくよ」
すでに料理を平らげていたらしい。
承久はコップに残った水を飲み干そうと思い切り呷り始める。
──絶好の
彼我の距離は数mもない。
拳を握り込み、ぎゅ、と地を蹴って腰をひねる。
自然と伸びていく腕に、体重を乗せていく。
奴の視界はコップが隠してくれる。
さぁどうする承久!
これに反応出来るなら、反応してみせ──ッ!
ぱしゃっ。
「ぶっ!?」
「……」
顔中に広がった冷たい感触。
それは私の顔に水がぶっかけられていた証左。
開けた視界が認識したのは、コップを傾けてニヤついている承久だった。
「未遂で終わってよかったな?」
どうやら読んでいたらしい。
伸びかけた腕をペシッと叩いた承久は、ジャケット片手に颯爽と席を立った。
「ごっそさーん」
「あいよ。……いつものだから、お会計1200円」
「そこの姉ちゃんが払ってくれるらしい。だよな?」
「……え? あ……あ、ああ」
濡れそぼった私は、つい反射的に頷いてしまう。
承久はこっちを待たずに店を出ていったので、ぼーっとその姿を見送っていたが……すぐに、ハッとなった。
『在野で』『都合よく裏格闘に理解があって』
『どの組織にも所属してないフリーで』
『なおかつ姫奈にも勝てるような強い女格闘家』
──もしかして。
──もしかしてもしかして、もしかして!?
「アレ。お客さんなんでずぶ濡れ? ……ちょっとお客さん? お客さん!?」
急ぎ外に出ると、すぐに特徴的なプリンヘアーが見つかった。
私はもう、すがるように奴に駆け寄っていた。
「お、おい! ちょっと待ってくれ!」
「あ? 何おねーさん。もう金返せって言われても返さないよ」
「金なんか、そんなのどうでもいい! アンタ、今フリーっていったよな? そうなんだな!?」
「えぇ? 何何
「いや違う違う!? アンタ、いや承久。強い相手と戦いたくないか?」
「──」
ピクリ。
奴の雰囲気がたちどころに変わる。
やはり、ビンゴだ。
こいつもまた戦闘狂。
その力を持て余し、居場所を欲する格闘家なのだ。
「率直に言う。ウチの選手になってみないか? もちろん他の団体に所属してなけりゃ、だけどな」
ヴァルキュリアの名刺を渡すと、奴は名刺とこちらの顔を何度も見返し、再び笑顔を見せた。
それは新しいおもちゃを見つけた、子どものような笑み。
純粋で、それでいて悪意に満ちた笑みだった。
「強い奴、本当に用意してくれるんだろうな?」
「少なくともウチに一人、どうしようもなく強い奴がいて困ってたところだ。倒せるなら倒して欲しいぜ」
その言葉を聞いて、満足したのだろうか。
承久は名刺を手に、何処かに消えていった。
こうしてヴァルキュリアに新たな仲間が増えた。
しかも本郷姫奈と同じくらい強力な劇薬だ。
最初こそ奴を招くのがベストだと、私は考えていた。
だって人員不足を解消できるし。
姫奈のライバルになってくれるかもしれないし。
何よりも、惹かれるものがあったから。
だが、もし私がこの日に戻れるなら。
それこそ殴ってでも止めていただろう。
なぜかって?
だって承久は、姫奈にも負けじ劣らずの、とっておきの厄ネタだったから。